子供の頃、介護は『リアルおままごと』だった私には、介護なんて当たり前の日常すぎて『介護士』なんて仕事
おばあちゃんはアルツハイマー(5)最後の言葉と交通事故~後編~
11年前の1月7日…おばあちゃんは交通事故に合い、アルツハイマーではなく 脳挫傷で、言葉を沢山失うことになるなんて考えてもいなかった… 年末から年明けにかけて、息子の友達から感染しノロイルスと診断され、家族で実家へ帰ることも出来ずに正月の一週間を布団の中で過ごしていた。...
息子が生まれて 私は、初めての子育てに慌ただしく奮闘していた。 実家から2時間ほどかかる場所に暮らしていた私は、おばあちゃんの事を気にしつつ、なかなか実家にも帰れずに日々を精一杯過ごしていた。 夜泣きする息子の泣き声をうるさいと本気で怒鳴りつける旦那さんだったから あの頃の...
夏空が広がっていた。 出産予定日、一ヶ月前ともなると何をしていても汗がしたたり落ちてきた。 腑に落ちない顔をしているおばあちゃんを、あれこれと説得して、脳外科へ連れて行った。待合室で順番を待っていると、動きすぎたせいかお腹の張リを強く感じた。 ”いい子だから…まだ、産まれな...
この写真は、娘が2歳、息子が5歳を過ぎた頃の物だろうか? おばあちゃんは、丁度この頃入院先の病院で亡くなったんだっけ… 上の子が生まれたのは、平成14年の7月 その夏は、色々な意味で私にとって忘れられない夏になった。 『かなり下りてきているから、気をつけてね、』 産婦人科の...
13年間在宅介護だったおじいちゃんが亡くなり 介護生活に幕が降りてから8年後、 自分の人生を楽しもうとしていたおばあちゃんは アルツハイマーと診断された。 私と一緒に脳外科を受信し、アルツハイマーと診断される1年前 出産を控えて里帰りをしていた姉から、電話が来た。 『おば...
おじいちゃんの乗る救急車から見えた景色は鮮明に覚えているのに、 その後のことが、どうしても思い出せない。 病院へ運ばれた後、おじいちゃんの危篤状態が数日間続いたのは、覚えている… 呼吸が停止した時の青白いおじいちゃんの顔も、今でもよく覚えている。 私は、部屋に閉じこもりがち...
サヨナラは、突然やってくると知った中学2年生… 季節はいつ頃だったのだろう? 『おじいちゃん、咳してたから痰とってあげてね!』 大きなアコーディオンカーテンで仕切られた古い台所から母の声だけがした。 夕食の味噌汁の鍋がカタカタと、当たり前のように音を立てていた… 隣の部屋か...
おばあちゃんが、私におじいちゃんの経管栄養の作り方を教えてくれたのは、小学校何年生の時だっただろうか? 今の時代みたいに、紙のパックに入った経管栄養を開けて入れておしまいではなく カルシウムは、カルシウム、塩分は、塩分と軽量スプーンで計り調合していた。 ポットのお湯で赤ち...
幼稚園を休んでばかりだった私は、一ヶ月の半分しか友達と顔を合わせなかった。 一度休めば何日も熱が下がらなかったこともあったけれど、ズル休みもした。 幼稚園へ行っても友達と仲良くするのが苦手で、私の落ち着く場所は鳥小屋の中かうさぎ小屋の中だった。 格子の金網の間から空を見上げ...
パーキンソン病だったおじいちゃんは、いつもすり足で小刻みに家の中を歩いていた。 まだ幼稚園児だった私には、おじいちゃんの姿がロボットみたいに見えて 楽しくてしかたがなかった。おじいちゃんの真似をしては、おじいちゃんの後ろをついて歩いていたのを今でもよく覚えている。 当時暮ら...
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