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和子の記録 フォト&俳句 https://blog.goo.ne.jp/katuraju

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログ

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2015/12/16

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  • 福島 花見山公園 Ⅱ 百花繚乱

    百花繚乱の花見山公園Ⅱを見てください。マンサク、トウカイザクラ、ボケ、ジュウガツザクラ、カンヒザクラ、アマノガワ、カンザン、ロウバイ、サンシュウユヒガンザクラ、ハクモクレン、ソメイヨシノ、ハナモモ、オオテマリ、ヒュウガミズキ、レンギョウ、オカメザクラリキュウバイ、ウコンザクラ、ギョイコウ、サツキ、ミヤビ、ナノハナ、チューリップ、デショウジョウ、ツバキざっと上げただけでもこんなにあります。咲き満ちて全山燃ゆる花の山福島花見山公園Ⅱ百花繚乱

  • 福島県花見山公園は花盛り Ⅰ

    特急ひたち号で湯本まで行きそこからバスで花見山公園に向かいましたが、昼食のお弁当は車中で食べるという強行軍のツアーながら2時間弱で現地に到着しました。時折雨という予想に反して時折青空も出てきました。サクラやレンギョウなどの花木を栽培している花木生産農家の阿部家が、昭和34年(1959)から一般開放して2月にはロウバイ、3月にはウメ、4月には十数種類のサクラやレンギョウ、ボケやハナモモが咲き誇りまさに福島の桃源郷です。ありとあらゆる春の花が見られますので長い間楽しめる花園になっています。満開の花の山から写メールす西国お参りの旅は後2ヶ寺残っていますがその前に花見山公園の春をアップします。福島県花見山公園は花盛りⅠ

  • 大津市にある岩間寺を訪ねて(静かな山寺)

    第12番札所桂巨樹滋賀県指定天然記念物幹回り17m高さ40m樹齢1200年花咲く桂以前撮影新緑の頃に撮影JR石山駅からタクシーに乗り第12番札所の岩間山正法寺「岩間寺」に行きました。滋賀県と京都府の境にある岩間山嶺上にあり、養老6年(722)に元正天皇の勅命により泰澄大師によって開かれたました。寺の駐車場からはさらに山道を10分ほど歩かねばなりません。下のバス停からですと1時間歩きますので。奈良時代に泰澄(たいちょう)がカツラの木で千手観音を刻み、本尊にしたのが始まりと伝えられています。本尊の観音像は、人々を苦しみから救うために毎晩136の地獄を巡るので、全身から汗を出すといわれ「汗かき観音」として、また「ぼけふうじ観音」としても広く慕われているそうです。境内には日本随一の桂の大樹郡があり、特に「長寿桂」...大津市にある岩間寺を訪ねて(静かな山寺)

  • 東舞鶴29番札所松尾寺に参り「丹後の海」で京都まで戻る

    一両編成の可愛らしい電車にのって松尾寺本堂は改築中なのでパンフレットから丹後の海"客室の床は板張り壁には絵がサロンにもなって天橋立駅から宮豊線(一両)で西舞鶴まで行きそこで乗りかえて東舞鶴まで行きました。今日は風の強い日なので電車が途中の橋を強風で渡れずに手前の駅で30分ほど待期するというハップニングに出会いました。西国第29番札所の松尾寺は和銅元年(708)に開かれた古刹で福井県との県境に位置する青葉山の中腹にあり、松尾寺駅から約1時間かけて歩く参拝客も多いそうですが、とても歩けそうもないので今回は東舞鶴駅から往復でタクシーを頼みました。西国巡礼唯一の馬頭観音を祀る山寺です。残念なことに今本堂は数年かけての改築中で拝観できませんでした。境内は梅や桃の花が満開で花のお寺かと思わせるほどでした。出来上がった...東舞鶴29番札所松尾寺に参り「丹後の海」で京都まで戻る

  • 天橋立と 西国28番札所成相寺に参って

    本堂復元された五重塔ここから下山のバスに乗る天橋立笠松ケーブル成相寺は日本三景天橋立を望む景勝地にあり、西国巡礼第28番の札所になっています。宿泊地の京都駅から8:38の特急はしだて1号に乗り天橋立駅には10:40に到着。すぐに駅前からタクシーで成相寺に向かいました。車は山の急斜面を上ること25分。身代わり観音のお話で知られる願い事がかなう(なりあう)お寺として有名です。本尊は聖観世音菩薩で美人観音としても知られ、お参りすれば身も心も美しくなれると伝えられているのでワクワクしながらお参りしてきました。帰りはお寺の山門下からバスに乗ること6分で笠松公園駅へ。天橋立北側の成相山中腹にあり標高130mの高台にある「股のぞき発祥地」で知られています。ここから見る天橋立の眺望は天橋立三大観の1つと言われています。風...天橋立と西国28番札所成相寺に参って

  • 三春の滝桜 4月11日は8部咲きでした

    この角度では午後は逆光になり4月8日の夕方に開花宣言が出たばかりの三春の滝桜でしたが私たちツアーが訪ねた11日の3時過ぎでは8部咲きと見頃になっていました。まだ観光客は少なく駐車場もガラガラでしたからゆっくり鑑賞出来ました。三春ダム湖の東岸にある、エドヒガン系のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)。岐阜県の薄墨桜、山梨県の神代桜ととですが日本三大桜の一つとされています。樹齢1000年以上といわれ、樹高13.5m、根回り11.3mあります。幹回り8m三春の滝桜周辺には多くの枝垂れ桜が点在していて泊りがけで何度も撮影に行った場所ですが今回は久しぶりになります。ここの枝垂れ桜を見るのには午前中の日差しが良いのですが今回は午後3時過ぎでしたから逆光になっています。今回の花めぐりのツアーでは午前中に花見山公園を訪ねたのです...三春の滝桜4月11日は8部咲きでした

  • 源氏物語ゆかりの地 宇治へ

    宇治橋宇治神社世界遺産宇治上神社源氏物語ミュージアムにて椿の花の名前匂宮と浮舟の像中の島から見る朝霧橋世界遺産平等院越前市の紫式部公園金色の紫式部像源氏物語全編54帖のうち44帖までは、光源氏を主人公に華やかな宮廷での恋愛模様を描いたものです。それに対して、最後の十帖は光源氏の子薫君と孫の匂宮の二人の男性と、大君、中君、浮舟の三人の姫君が織りなすしっとりとした悲恋の物語です。その主要な舞台が宇治の地に設定されていることから「宇治十帖」と呼ばれていますが、「橋姫」ではじまり「夢浮橋」で終わっていることにみられるように、紫式部にとっては源氏物語の終章を書くうえで、川霧にけむる宇治川がなくてはならない舞台だったのでしょう。京都駅からJRの奈良線を使い、宇治駅で降りてまずは宇治橋のたもとにある紫式部像を見に行きま...源氏物語ゆかりの地宇治へ

  • 源氏物語ゆかりの地 石山寺

    東大門本堂前光堂前にあった紫式部像蓮如堂石山寺は、清流瀬田川のほとり、伽藍山(標高239m)の麓にあり、奈良時代から観音の聖地でした。平安時代、石山詣が盛んになり女流文学者らが石山の地を訪れました。紫式部もその一人で、7日間の滞在中にびわ湖に映る満月を見て『源氏物語』を書き出したと伝わっていますし石山寺には、紫式部以外にも「蜻蛉日記」や「更級日記」の作者など、たくさんの王朝女流文学者や貴族が詣でていました。ここは西国33霊場の13番目のお寺で12年前にもお参りしていましたが今回は紫式部ゆかりの地として訪ねました。開門を待っての朝8時、入母屋造り本瓦葺の門をくぐり雨上がりの清々しい石畳が続く参道の何と清々しかったことか。本堂、多宝塔、鐘楼、月見亭、光堂など一回りしてきました。丁度梅が満開の頃で帰り際には大勢...源氏物語ゆかりの地石山寺

  • 下鴨神社を訪ねて 源氏物語ゆかりの地

    かもみおやじんじゃ結婚式を2組も見ました申餅は「葵祭の申餅」と呼ばれ、祭期間中の申の日に食して、無病息災を願った故事に由来します。正式な名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」。賀茂一族の祖神をお祀りすることから、このように呼ばれます。京都は鴨川を中心に町づくりがなされておりますが、その上流である賀茂川と高野川の合流地点に祀られます。賀茂川の上流に鎮座する上賀茂神社と同様に、下流にまつられているところから「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」とも呼ばれます「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」と「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」の二柱を御祭神に祀っています。源氏物語第9帖『葵』の巻では葵祭の斎王御禊の神事で、光源氏をひと目見ようと訪れた元恋人・六条御息所と正妻・葵の上の牛車が、場所取りを巡り争う。見物...下鴨神社を訪ねて源氏物語ゆかりの地

  • 紫式部邸宅址 源氏物語執筆地 蘆山寺

    金色の紫式部像廬山寺(ろざんじ)は京都市上京区北之辺町にある天台系の単立仏教寺院。天台圓淨宗の本山です。本尊は阿弥陀如来。応仁の兵火に、信長の比叡山焼き討ちに遭遇して天正元年にこの地に移りました。ここは紫式部の邸宅跡として知られているので訪ねてみました。この地は紫式部の曽祖父の藤原兼輔から伯父の為頼、父の為時へと伝えられた広い敷地がここにあったそうです。祖父兼輔が建てた「旧い家」で一生の大部分を過ごしたといわれ、この邸宅で藤原信孝と結婚生活を送り一人娘の賢子を育て源氏物語を執筆したといわれています寺が収集した源氏物語ゆかりの資料が展示されていましたが撮影は庭のみでした。正式な入口は現在修理中でしたので南側から入りました。次回は源氏物語に登場する下賀茂神社です。紫式部邸宅址源氏物語執筆地蘆山寺

  • 源氏物語宇治十帖の舞台 宇治を歩いて

    源氏物語全編54帖のうち44帖までは、光源氏を主人公に華やかな宮廷での恋愛模様を描いたものです。それに対して、最後の十帖は光源氏の子薫君と孫の匂宮の二人の男性と、大君、中君、浮舟の三人の姫君が織りなすしっとりとした悲恋の物語です。その主要な舞台が宇治の地に設定されていることから「宇治十帖」と呼ばれていますが、「橋姫」ではじまり「夢浮橋」で終わっていることにみられるように、紫式部にとっては源氏物語の終章を書くうえで、川霧にけむる宇治川がなくてはならない舞台装置であったと書かれていました。「宇治十帖」を読み終えたばかりなので千年の時の流れを超えて、往時を偲ばせる宇治川の周辺を歩いて感慨深いものがありました。今回、大学では古文を研究している孫娘の説明を受けながらの旅で多くのことを吸収出来た旅でもありました。源氏物語宇治十帖の舞台宇治を歩いて

  • 京都御所を歩いて 源氏物語ゆかりの地

    御台所跡の桜今の京都御所は、南北朝時代から明治時代までの約500年にわたり天皇のお住まいとして使用されたもので、現存する建物の多くは1855年(安政2年)に造営されたものだそうです。なかでも注目したいのが、最も格式の高い正殿である紫宸殿。伝統的な儀式を行うために平安時代の建築様式で建てられており、現在の建物では明治・大正・昭和の三代に渡って天皇の即位礼が行われた場所です。風情のある庭園もあり、四季折々の風景が楽しめるということで20年ぶりに訪ねました。ボランテイアガイドの時間には間に合わなかったのでパンフレットを見ながら歩きました。5本ある枝垂れ桜は御台所跡にありましたが古木なのでかなり剪定されていたのですが丁度見ごろでした。「光る君へ」の時代、現在の京都御所である土御門東洞院殿は、藤原道長のお屋敷でした...京都御所を歩いて源氏物語ゆかりの地

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