母が右側脳幹の脳梗塞を発症。点滴、投薬治療で要介護3→支援1に回復。これまでの軌跡を残します。
こんばんは しばらくぶりの更新となってしまいました。 朝晩が急に夜冷え込むようになりましたが 皆さまはおかわりありませんか? さて、今日は脳梗塞を発症してしまった 母が、急性期の病院から回復期の病院に 転院する際、どのようにしてその病院を 決めたかをお話ししたいと思います。
こんばんは しばらくぶりの更新になってしまいました。 職場のことで色々ありまして 少し時間に余裕がありませんでした。 ですが、よい結果となったのでひと安心。 今後の事はまたしっかり考えて前に 進みたいと思います。 さて、今回は母はなぜそんなに社会復帰を 願ったのかを書いてみたいと思います。
つい2か月前まではベッドで 力なく横たわっていた母が 自分の力で、一生懸命動こうと がんばってくれていて とても嬉しかったのを覚えています。
母の話によれば、まず起床したら パジャマから室内着に着替えるそうです。 これは最初の頃はボタンが留められない
転院の為の説明を受けた時 母の場合の要介護度3だと最長で 6か月入院できますとの事でした。
いよいよ回復期の病院に入院です。 当日は私と弟も仕事を休み、父と3人で 自家用車に母を乗せて、転院先の病院へ
入院1週間程して病院から 介護保険証を貰う為の手続きを してくださいとの説明をうけました。 母の場合は、このまま自宅退院をしても 後の生活の質が落ちてしまうので
母の梗塞の後遺症ですが、脳の右側に 症状があったので、左側に麻痺が残りました。 特にひどかったのが、飲み込みで左側の筋肉が 上手く動かないため、
迷わず救急車だそうです。 どんなに病院が近くても、ご近所迷惑になる と思っても、それ程でもないと思っても。。
母が緊急入院となった知らせを父から聞き すぐ駆けつけられない不安な気持ちで仕事を 済ませ、ようやく病院に着いた時には点滴や管を つながれた母が力なくベッドに横たわっていました。
いま思えば、病気の兆候だったのかな?とも 思えるのですが、脳梗塞発症の半年くらい前から 母の感情の起伏が激しいな・・と感じる事が 多くなっていました。
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