先日10月17日俳優の西田敏行さんが逝去されました。僕が子供の頃からドラマやCM、バラエティなどに出演されているのを見ていたので今回亡くなられて非常に寂しい思いです。実は西田敏行さん本人1987年の夏、僕が大学二年生頃敦煌で見かけたことがあるのです。夏休
香川県丸亀市綾歌町栗熊、高松と金毘羅さんを結ぶ琴電琴平線栗熊駅の南西にある小高い丘の上に石塚山古墳群跡があります。平尾古墳群から大束川を北へ下った東岸に位置します。現地には石塚山古墳群跡の石碑が立っていました。道路建設で古墳のある丘が削られるため昭和61
香川県まんのう町中津山周辺には前回の安造田東三号墳はじめ未調査のものなどいくつかの古墳が点在しています。その中で安造田神社の境内に安造田神社前古墳に行ってきました。場所は安造田東三号墳の南で国道32号線を南に下って左側に進入。境内にも車は止めれたみたいです
シルクロードから来たガラスモザイク玉 安造田東(あそだひがし)三号墳
安造田東(あそだひがし)三号墳は香川県まんのう町北部にある中津山西麓、国道32号線の東に少し入ったところにあります。国道から車で古墳のある場所への横道が分かりずらくて通り過ぎてしまい何度もぐるぐると回ってしまいました。国道から入る道は結構せまいですが、め
香川県高松平野の東部、茶臼山の山頂部に高松市茶臼山古墳があります。石清尾山古墳群をはじめ高松平野の周辺には数多くの古墳が確認されています。高松平野に古代から有力な豪族がいたのかもしれません。下の地図は古代の海岸線を推定したものです。屋島は陸から離れている
国分寺六ツ目古墳は香川県高松市国分寺町の堂山山塊の一角である六ツ目山の西麓、四国横断自動車道のちょい東側にあります。高松市国分寺町福家付近。高架をくぐって高架下の道路に車を止めるてしばらく歩くと六ツ目古墳の看板がありました。階段を登っていきます。日頃の運
石ケ鼻古墳は本津川上流域、堂山山塊の南部の西に長く派生した丘陵で平野部からやや少し高い所にあります。実際はグーグルマップにマーキングされている位置より道に沿って若干北東です。高松市国分寺町福屋という場所ですが近くに石ケ鼻というバス停があったので石ケ鼻とい
平尾墳墓群は香川県丸亀市綾歌町の現在レジャー施設のレオマワールドがある場所にありましたが、レジャー施設建設のため一部は石室・石棺など移築復元され2号墓のみが現地に保存整備されています。余談ですが綾歌町は以前は綾歌郡でしたが平成に入って丸亀市と合併しました
香川県綾歌郡綾川町にある万塚古墳です。前回の岡の御堂古墳の南、農業経営高校の西側にあります。場所が非常に分かりずらかったのですが道路からすこし中に入った民家の敷地にありました。直径5m古墳らしきものはありました。単なる盛り土といえばそう見えるけどたぶん古墳
香川県の綾川中流域が羽床盆地を北西部に流れ途中90度東に流れを変える河岸段丘の辺りにはたくさんの古墳があります。そのほとんどは消滅しています。下の地図で古墳と分かっているところを数か所点で示していますがたぶんもっとあるはずです。その中のひとつ綾歌郡綾川町
香川県綾川町の綾川の中流域で南北から突然北東へと流れを変える羽床盆地にはいくつかの古墳があります。その羽床盆地の南の堤山のさらに南の大高見峰の山麓の段丘にある大林古墳です。石灯篭としめ縄でまつられている奥に古墳の入り口と思しき穴が見えます。穴は狭く入るに
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先日10月17日俳優の西田敏行さんが逝去されました。僕が子供の頃からドラマやCM、バラエティなどに出演されているのを見ていたので今回亡くなられて非常に寂しい思いです。実は西田敏行さん本人1987年の夏、僕が大学二年生頃敦煌で見かけたことがあるのです。夏休
東京で働いていたとき品川区の東急池上線の荏原中延近辺に住んでいた。家賃は会社が負担してくれて6万円までということで住居を探したのだがやっぱり東京は高くて都心の会社から近い場所で6万円の物件となると狭いワンルームしかない。町の雰囲気がなんとなく気に入ったの
香川県多度津町、多度津山の南東部に延びる丘陵部に造られた古墳です。多度津にはめったに行くことはないのですがたまたま行く用事ができたの見に行くことにしました。墳丘は円墳で横穴式石室で現況の直径は13.5mですが元々は20m超あったのではないかと考えられてい
香川県高松市石清尾山古墳群のある峰山の南の浄願寺山山頂に50基ほどの古墳からなる浄願寺山古墳群です。古代の地形を再現した地図です。尾根沿いからぽつぽつ古墳がみられ山頂部に群集しています。3DCGで再現、青い線で示したのが今回の登山ルートです。香東川の河原にあ
香川県高松市にある稲荷山は石清尾山の東側からぴょこんと突き出したようにあります。その東側の麓には栗林公園があり公園の借景にもされています。今回、峰山公園に車を止め石船塚古墳のある尾根から稲荷山にある稲荷山姫塚古墳、稲荷山北端古墳、稲荷山1号墳を見学に向か
桃の花と讃岐富士桜も
早朝でも大分暖かくなった。
早朝角山から讃岐富士。よく晴れてた。
まだまだ寒い日が続きますね。1月末はかなり寒くてこれならば城山の不動の滝がもしかしたら氷結しているのでは?と思い立ち行ってみました。城山へは元旦に登り初日の出を見に行ったのですが 城山登山で初日の出 今回は不動の滝までの入り口まで車で登りそこから滝のある
高松市御厩町(みまやちょう)にある大塚古墳です。住宅地の中に大小さまざまな石が積み上げられたものがぽつんとありました。 横穴式石室の盛り土円墳だそうですが盛り土は失われて石がむき出しになっています。石は崩れないようにコンクリートで補強されています。説明板
香川県高松平野南部、伽藍山の東裾にあり、御厩池の北面堤防付近の住宅地と農地の中に御厩天神(まみやてんじん)古墳があります。説明板によると後円部約28m、前方部約10mの帆立貝形の前方後円墳で出土遺物の埴輪片から古墳時代中期後半(五世紀後半)に築造されたものと
2023年1月1日初日の出を見るために城山に登りました。前回登ったのは2020年、3年ぶりの城山登山でした。天空の古代山城は実在した!(今はゴルフ場)朝5時に自宅を出発、歩いて黒岩天満宮の登山口を目指すも、まだ周りは真っ暗で黒岩天満宮の場所になかなかたど
丸亀市綾歌町にある快天山古墳(4世紀の前方後円墳)は昭和25年に発掘調査がされ、三つの石棺が発掘され調査後埋め戻されましたが昨年度から回再調査され今年72年ぶりに2つの石棺が掘り出されました。NHK 香川 NEWS WEBの記事香川 丸亀「快天山古墳」発掘調査 石棺の詳
以前、探索した雌山古墳の雌山の東側の麓に松山の津という旧跡があります。平安時代末、保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐に流され最初に上陸した地がこの松山の津です。現在は内陸になっていますが当時は下の図のように坂出市の沿岸部はほとんど海だったようです。現在、さぬ
香川県高松市新田町にある山下古墳です。古代の海岸線を再現した地図です。久本古墳のすぐ北に山下古墳があります。住宅街の中にあって分かりずらいと思いきや看板がありました。墳丘はほとんど失われていますが石室は残っているようです。なかなか立派な羨道入り口です。入
香川県高松市にある屋島はかつて、その名の通り陸から離れた島でしたが江戸時代に塩田開発や干拓で陸続きとなっています。。メサと呼ばれるテーブル台地状の地形で花崗岩の基盤の上に水平な讃岐岩質安山岩が乗っかっている感じの地形です。その屋島の北端に長崎鼻古墳があり
屋島神社は高松市にある屋島の南、四国村のすぐ隣にあります。讃岐東照宮と書いてあります。東照宮ってことは日光にもありますね。そう、東照大権現さまぁ。。。そう徳川家康を祀っている神社です。なぜその東照宮が讃岐の地、香川県にあるのか?実は高松藩の初代藩主は水戸
2021年春に四国むらにある四国村ギャラリーに行きました。四国村ギャラリーは四国村創設者の加藤達雄が収集した美術品を展示する美術館として、建築家・安藤忠雄氏設計により2002年に開館した美術館です。四国村ギャラリー実はバローチスターンの土器や土偶の企画展があ
香川県高松市屋島にある四国村に行ってきました。と言っても今は2022年の二月で行ったのは去年の2021年の二月なのでちょうど一年前の話なんですが。四国村は民家を中心とする古建築をテーマにした広大な野外博物館です。詳しくは公式ホームページをご覧ください。四
東京で働いていたとき品川区の東急池上線の荏原中延近辺に住んでいた。家賃は会社が負担してくれて6万円までということで住居を探したのだがやっぱり東京は高くて都心の会社から近い場所で6万円の物件となると狭いワンルームしかない。町の雰囲気がなんとなく気に入ったの
香川県多度津町、多度津山の南東部に延びる丘陵部に造られた古墳です。多度津にはめったに行くことはないのですがたまたま行く用事ができたの見に行くことにしました。墳丘は円墳で横穴式石室で現況の直径は13.5mですが元々は20m超あったのではないかと考えられてい