前立腺がん(CRPC段階)の治療・病状経過・薬物療法・ライフスタイルの記録や興味があることの覚え書き
県立高校を52歳で早期退職。その後8年間、DTPや英語関係の編集の仕事、PCインストラクター、私立の中高一貫校の講師を転々。 2012年10月(59歳)前立腺がん罹患を知り、2014 年4月(61歳)離職。 ステージはD2:G.S.8。まず5年を survive することが目標 。 ◇前立腺がん治療のこれまで ◇生活見直し&がん情報 のカテゴリに書いた記録は、おあなじ病気で悩む方の参考になればいいと思います。
昨年12月29日「角さん」が家族の見守る中、静かに息を引き取りました。 角さん本人希望により、地元の病院での手厚い緩和ケアを受け、最期まで自宅で過ごすことができました。SulSup先生を始め「角さんブログ」を応援していただきました皆様、本当にありがとうございました
さて、自分は前立腺がんの標準的な、薬剤をほぼ全部治療のために飲みました。その結果と様子は、余すところなくこのブログに書いてきました。そういう意味で、このブログはなかなかない事例集でにもなっていると思いす。 今度は、「骨転移」。ネットにたくさん居ますのっ
「緩和ケア 」に自分は、移行した。少なくてもその意識をもって取り組んでいる。 正確には移行していた。つまりがんセンターで治療を受けながら、病院の緩和ケア化にも通っていたのである。今度で10回になるかな? ・オキシコンチン10mg 朝 夕 ・バイアスピリン
今さなざまなことがあって、がん性疼痛への対処が一番大事なことなのだが、高血栓薬のこともあり、いろいろ錯綜して整理できていない。その他のことと合間って不安になってくる。・肺血栓塞栓症の薬の問題や在宅酸素療法さらに車椅子を レンタルするための・ソーシャルワ
① 9月13日 肺血栓塞栓症 9月29日(退院)② 9月29日在宅酸素療法 ③ 10月03日さいたまがんセンター治療をやめる④ 車椅子をレンタルするための準備⑤ 11月10日 S病院緩和ケア外来 ⑥ ソーシャルワーカー・ケアマネジャーさんと会う ⑦ 車椅子くる とてもつ
10月24日の今日、妻の誕生日でもあるのですが、前立腺がんステージDの罹患を知ってから5年生存を果たすことができました。この間、前立腺がんそれ自体それよりも、それ以外にいろんな病気が次々に出現する、まさに茨の道でした。 2015年8月 1回目肝転移RFAによる手術 20
2度も、肺血栓塞栓症になってしまいましたので、前立腺がんの薬剤の「添付文書」を調べ副作用に「血栓症」「血栓塞栓症」の記載があるかどうか調べました。結果は、右の表です。添付文書に書いてある通りに載せてあります。 簡単にまとめると、「抗アンドロゲン剤」と「骨
携帯用酸素ボンベを使えば、まだ自分の足で歩けるので、本日(10月3日)埼玉がんセンターに診察のため妻と一緒に行ってきました。 これで最後の診察にしようと決心して行きました。 というのは、前立腺がんも気になるものの、今回の肺血栓塞栓症は同じくらい予後が見通せ
みなさん、大変ご心配をおかけしました。なんとか持ちこたえ生還できました。またたくさんの励ましのコメントありがとうございました。 9月13日、息苦しさが襲い、通院しているS病院に駆け込みました。自分の様子を見た当直医は、「肺血栓塞栓症」の疑いと判断。 す
S病院緩和ケア科8回目の外来。 関節痛は緩和してきましたが、他の部位が痛くなってきました、明らかに骨転移の疼痛です。主治医にっ触診してもらうと、「仙腸関節(左)」の痛みだということです、確かに骨シンチの画像をレトロスペクティブに見ても、直近のを見ても骨盤
今日は、泌尿器科の定期検診。 PSA:641.859 ALP:203 ALPはかなりいい位の値だと思いますが、PSAは「もう、どうにも止まらない ♪」です。1月からの推移です。 今日は大事な日なので、妻と一緒に診察を受けました。まず自分の方は、①駄目元で、エストラサ
患者の家族Kさんという方から、2017年08月31日にに関するコメントがありました。(「2017年08月31日 5年生存を前にして --- 今後の病状の見通しを考える」のコメント1です) 自分も少し気になっていましたので、まずは確実な情報である「オプジーボの添付文書」を見てみ
あと2ヶ月で5年生存を果たせる見込みです。でも、前立腺がんステージDで、しかも大腸がん併発するなど、だんだん隘路に入って行っている感じがします。この5年間をとりあえずまとめてみました。(下の図をクリックすると、もう少し大きい図が別画面で開きます) 自
ひょんなことから、M.K さんという方と知り合い(友達といってもいいかな?)になりました。こんな歳になって、「友達」ができるというのは考えられませんでした。でもなんか気があうのです。 彼は、自分より4~5歳年上、いわゆる団塊の世代ですね。 若いときは本当に色々
ゾーフィゴを2月に初めて、7月に完遂(6回)して、今までになかったような症状に悩まされています。①1月中旬から2月中旬まで ---- 強烈な息切れ (これはゾーフィゴと関係ないかな。)②3月の中旬から今まで ---- 関節痛③8月 ・第4肋骨(左)。 胸骨体との
Soさんが、お父様の前立腺がんについて、せっかく色々調べ考えられて、薬物を試された結果、功をそうしたという詳細なコメントがありました。 そのSoさんが取り組まれた問題というのは、 カソデックス → オダイン(再燃)→( )→ イクスタンジ・ザイティガ
昨年は、1年間、肺血栓塞栓症・肝転移RFA・大腸がん治癒手術の期間(3月末からの3ヶ月間)は休止したものの、ずっと抗がん剤ドセタキセルの治療でした。(これは効きました。) 今年は、それに変わってこれまでゾーフィゴの治療を続けてきました。ゾーフィゴを始める準備
家庭菜園をしています。 少量多品種でやっているのですが、このところ、雨も降ったせいか、いろんな野菜が、毎日ぐんぐん成長して、食えども食えども、あおられている毎日が続いてます。 トマトは、1ヶ月間ほぼ毎日食べていましたが大体終わりました。リコピンたくさんと
本日(7月27日)、大腸がんの経過観察のためにがんセンターへ。消化器外科のK先生に3月と5月のCEA、CA 19-9、p53抗体の数値を示していただきました。CEA、CA 19-9は基準値以内でしたが、p53抗体の数値は高いものでした。でもK先生は、8月8日に血液検査をするので、引き続き
7月21日、午前11時頃、福岡県飯塚のお母さんから、「今、生まれたけん!」の一報。それを受けて、22日に飯塚に早く行こうと、夏休み始まってすぐの土曜日ということもあり、なかなか難しかったのですが、なんとか新幹線の予約などを取ろうと奔走したり(飛行機は苦手なので
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