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2015/11/20

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  • 「思いの力」を信じよう(後編)

    (自分の理想像を、繰り返し、心のなかで描けるか)むしろ、十代、二十代という年代においては、自分が思い描いている理想の姿と現在の自分とが、あまりに違いすぎ、そのギャップに苦しむことのほうが多いのではないでしょうか。理想家であればあるほど、理想と現実が違いすぎ、「思ったことは、ほとんど実現しない。手の届かない高嶺(たかね)の花である」という場合が多いわけです。また、「他の人が『よい』と思っているから、自分も目指した」というものは、結局、実現しないことのほうが多いのではないかと思います。若いころに、目指したり、考えたりしたことのなかには、自分の本心から出たものではなく、「他の人が『よい』と言っているから、自分もそれを目指していた」というものもあるため、それが実現しなかったとしても、別におかしくはありません。ただ...「思いの力」を信じよう(後編)

  • 「思いの力」を信じよう(前編)

    (成功とは、結果ではなく、自分自身が高まっていく感覚のこと)成功というものについて、これから“山”を登ろうとしている人に対して、何らかの手引になるようなことを述べていきたいと考えています。さて、若いころには、誰しも成功に憧(あこが)れるものであり、「成功とは、何らかの結果を手に入れた状態である」と考えがちです。私もそうでした。しかし、私は、その後、さまざまな体験を積み重ねてきて、「成功とは、結果を手に入れることだけではなく、自分自身が高まっていく感覚を自己確認しながら、人生の達成感を味わっていくことではないか」と思うようになりました。成功には、「こうであれば成功である」と言えるような、客観的な基準があるわけではありませんが、各人が、「自分としては、まずまず頑張れた。よくやれたので、自分の頭をなでてやりたい...「思いの力」を信じよう(前編)

  • 直江状にこめられた意地 ⑬

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――約二十万名という大軍勢を率いて、家康は上杉家を攻めようとしていた。ただこの作戦は石田三成の挙兵によって実現されることはなかった。だが、結局“徳川家にとっての敵方”としての汚名を着せられることとなった上杉家は、兼続が三成と個人的に親交があったこともあって、関ケ原の戦いにおいては西軍につく。そして西軍は敗退し、上杉家は多くの領地を失い、歴史の表舞台からは姿を消してしまう結果となる。ただ、「直江状」の中身をよく見ると、果たして兼続が本当に書いたのかどうかについては疑問が残る。兼続の名だけを借りた文書なのではないかと考えるほうがすんなり納得できる...直江状にこめられた意地⑬

  • 敗軍・直江兼続の家康への智謀 ⑫

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――したがって、いま関ケ原の合戦で敗れた敗軍の将である直江兼続が、徳川家康に向かって、「米沢三〇万石を別な扱いにしていただきたい」と申し出たことは、家康をはじめ、脇にいる徳川系の大名たちの眉をひそめさせた。さっと険しい空気が大広間にみなぎつた。が、兼続はこうつづけた。「そうは申しましても、このたび主人を誤らせた責任のすべてはこの直江兼続にございます。よって太閤殿下から頂戴した米沢三〇万石につきましては、そっくり返上させていただきます」「………」家康はなにも言わない。黙って兼続を見据えていた。腹の中では、(この男は、いったいなにを言い出す気なの...敗軍・直江兼続の家康への智謀⑫

  • 関ケ原で負けても上杉家を存続させた ⑪

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――米沢城にこの報告が届いたのは、九月二十九日のことである。関ケ原合戦が行われたのは九月十五日だから、当時のコミュニケーション状況ではやはり二週間かかったということになる。兼続は、「やはりそうか」と暗澹(あんたん)とした。さすがに落胆した。たった一日で勝敗がつくとは思わなかったからである。が、(石田殿が総大将では、そういうこともあるだろう。おそらく、裏切り者が次々と出たのだ)と判断したし、その通りだった。兼続は全軍に撤退を命じた。そして、「殿はおれがつとめる」と宣言した。このときの撤退ぶりは実に見事で、他国にも知られた。関ケ原合戦に参加した敵...関ケ原で負けても上杉家を存続させた⑪

  • 徳川軍の追撃をやめた上杉 ⑩

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――こういう家康の様子を、兼続は透視していたのだろうか、「家康を追撃しましょう」と景勝にいった。が、景勝は、「いや、やめよう」と首をふった。兼続は景勝を見た。「どうなさいました?勝てますよ」「わかっている」「それならば、なぜ?」「うむ」景勝はしばらく無言だった。やがて、まっすぐに兼続を見つめながらいった。「上杉の役割はここまでだ」「えっ?」真意をはかりかねるように、兼続は景勝を凝視した。「上方の戦いは、所詮上方同士で決着をつけなければならん。われわれは家康を白河口まで誘い出した。もしそこで、一戦となれば、上杉も死力をつくして戦っただろう」「は...徳川軍の追撃をやめた上杉⑩

  • 直江兼続の恐ろしさを知る徳川家康 ⑨

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――「石田三成蜂起」の報をきいた家康は七月二十日(即ち小山到着の翌日)、有名な”小山軍議”をひらいた。そして冒頭、「諸将の妻子は、大坂で人質として三成におさえられた。この上は家族のために、即刻大坂に戻り、石田三成に一味してもこの家康は少しもうらみに思わない」と告げた。一同は唖然とした。家康にすれば大ハッタリのジャブだ。が、このジャブにすべてを賭けた。陣中には暗い空気が立ちこめた。諸将の胸に一様に湧いたのは、(上杉と石田に挟撃されて、家康殿は滅びるのではないか?)という不安であった。諸将の中から、この不安をふりはらうように、つぎつぎと、「妻子の...直江兼続の恐ろしさを知る徳川家康⑨

  • 参謀の役割は主人の意識変革 ⑧

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――秀吉の天下事業は、いってみれば「地域情報の集積」によって作戦が立てられている。そういう知恵を出しているのは石田三成に違いない。同じ参謀的役割を果たしているとはいえ、直江兼続はこのとき石田三成の参謀力と、自分の参謀カとに大きな差があることを知った。しかし降伏したわけではない。兼続の競争心はいよいよ燃えた。そして、・自分と石田三成とは*義兄弟とはいえ、全面的に重なり合うわけではない・つまり、三成が補佐する秀吉公の天下事業と、自分が補佐する上杉景勝公の地域事業との間に、承認することのできない利害関係が生ずれば自分は景勝公の側に立つ・そのときは、...参謀の役割は主人の意識変革⑧

  • 兼続の“愛”は越後国の民を愛すること ⑦

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――秀吉の見抜いた通りで、直江兼続の方もこのやり方を活用(利用)していた。兼続は京都や大坂に行って、想像もしない、「天下と天下人の意味」を身に沁みて知った。越後国内では想像もできない様相が展開していた。つまり兼続から見れば、天下の事業に関わりを持つ人々は、「異種の人々」といえる。その周囲に対する気配りや、情報の収集の仕方、あるいはその分析判断、そして解決策の用意、その中から一つを選び取る決断、実行、さらにうまく行かなかった場合の修正などは、およそ考えたこともない。違った星から来た人間が仕事をしているような感を与えた。兼続はつくづく悟った。(こ...兼続の“愛”は越後国の民を愛すること⑦

  • 石田三成と直江兼続の共鳴する「義」 ⑥

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――直江兼続と石田三成は、落水城の会見のとき同じ二十六歳。ふたりはこのときから互いにシンパシーを感じて、それ以降、密かにやり取りをするようになっていく。兼続と三成が共鳴した理由は何だったのか。それは三成に「義」があったからではないだろうか。慶長三年(1598年)には上杉家に会津百二十万石への国替えが命じられたが、この裏には石田三成の尽力があったという。当初、金山がある佐渡は豊臣家が召し上げる予定だったが、三成の進言によって取りやめとなり、佐渡はそのまま上杉家の所領とするところとなった。また、国替えにあたっても三成はさまざまな援助を行なったとい...石田三成と直江兼続の共鳴する「義」⑥

  • 日本のすべての土地も太閤殿下の所有物と理解させる ⑤

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――「事情が違うとは?」「今は、日本のどこの土地もすべて太閤殿下の所有物です。そのことを殿下は諸国に対する検地によって示されております。検地というのはたしかに年貢額の再確定が狙いですが、それ以上にこの土地も太閤のものである、という殿下の意思表示だとも思います。そのために、検地を行うときに必ずきびしい指令をお出しになっておられます」兼続は自分の考えていることを語った。それはあくまでも、「大名が所有している土地も、もはや大名の所有物ではない。天下人の所有であって、大名はそれを一時借りているだけなのだ」という認識を、春日山城内の反対派武士が理解しな...日本のすべての土地も太閤殿下の所有物と理解させる⑤

  • 関白の野望と上方武士の恐ろしさを知る ④

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――兼続の頭は飛躍に飛躍を重ねる。したがってこの三人の対応を見て、秀吉が今何を考えているかが手に取るようにわかった。しかし、これは重大なことだ。石田三成がいった、「上杉家に反抗している新発田重家の処分は関白殿下にお考えがあり、いずれ木村清久を調停に赴かせるつもりだ」というのはいくつかの意味を含んでいる。それは、・日本国内のあらゆる地方における私戦を禁ずる・領土争いがあったときは、関白秀吉が乗り出して調停するということだ。このことはとりもなおさず、「日本の国土は、今後すべて関白秀吉の管理下に属する」ということの宣言と同じ意味だ。兼続は、(そうだ...関白の野望と上方武士の恐ろしさを知る④

  • 与六時代から情報がもたらされていた ③

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――上杉謙信は情報通だ。今でいえばITの達人だ。諸国の情報が自然に春日山城に流れ込むようなネットワークを各地に張っていた。これは武田信玄も同じだ。戦国を生き抜くには、何といっても情報通でなければならない。情報通であるためには、その情報が自然に流れ込んでくるような装置が必要だ。上杉謙信の場合、その装置というのは、彼の人柄だった。「謙信公のためなら」という、“ためなら”と思う人間が各地にいた。そして不思議なことに、その謙信の側にいる兼続(樋口与六)宛の情報の提供者が次第に増えてきた。口コミによるのだろうか、「謙信公の小姓を務める樋口与六という少年...与六時代から情報がもたらされていた③

  • “人を騙さない”という父からの信念を行動し続けた ①

    今回のシリーズは、直江兼続(なおえかねつぐ)についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――彼の父準豊と母は、典型的な低身分に甘んじる夫婦だった。だから与六に対してもいつも、「身分不相応なことは考えるな。自分の立場に応じた努力を続けろ」といい続けた。だから樋口家が木曾義仲四天王の一人であったとしても、「そんな誇りは家の中だけで保つものだ。決して外に出してはならない。もしも坂戸のお城の中でそんなことを口にすれば、みんなに憎まれる。いいな?」とクギを刺した。したがって与六の父母は、・今の樋口家の身分(薪炭を扱う仕事)に応じた生き方をしろ・それ以上の望みを持ったり、あるいは他を羨んだりするな・身分相応の生き方をしてい...“人を騙さない”という父からの信念を行動し続けた①

  • 直江兼続(1560~1619)上杉家の家老 ①

    今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。――――――――――――――――――――――――直江兼続(なおえかねつぐ)は、永禄三年(1560)上杉謙信の重臣樋口兼豊の子として生まれる。謙信死後、御館(おたて)の乱で家督を勝ち取った景勝に仕え、以後、景勝の参謀として織田、豊臣との折衝をこなし、上杉の領地を確保している。天正十四年(1586)景勝が上洛して秀吉に謁見(えっけん)したとき、秀吉は景勝ばかりでなく、兼続も一緒に大坂城内を案内。そればかりか、秀吉が茶をたてて景勝に勧めたとき、千利休が兼続に茶をたてていたという。秀吉にとっての利休と、景勝にとっての兼続が似た存在だということか。また、同十六年に景勝が従三位・参議に任官されたと...直江兼続(1560~1619)上杉家の家老①

  • おわりに――巣鴨で未来を見る

    日本をこれからどういう国にしていけばいいのかわからないという人がいます。少子高齢化で働く人がいなくなってしまう。医療保険や年金制度も破綻してしまうんじゃないか。財政が破綻してしまうのではないか・・・・・。これから恐ろしいことばかりが起きそうな気がして、どう生きていったらよいかわからないというわけです。でも、そんなことをいくら悩んだところで仕方がないでしょう。過去は修正できないものなのですからね。それより、問題点をこれからどう修正していけばいいのかを考えることが大切です。未来に向けての修正は恐ろしいものではないし、楽しいものです。モノが売れないと言いますが、これまでと同じ発想でモノづくりをしていては売れるモノがつくれるはずはありません。今求められているものは何かを考え、売れるモノをつくればいいだけのことです...おわりに――巣鴨で未来を見る

  • 慎重に進めるべきTPP

    2016年2月4日、ニュージーランドでTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の署名式が行われ、日本やアメリカなど十二ヵ国間で署名が行われました。アメリカが主導してきたTPPは環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的としたもので、これにより環太平洋地域の経済は活性化、豊かになると謳われています。しかし私は、TPPはとんでもないインチキだと思っています。それは、関税を決めるという国家の主権を捨てることを意味しているからです。そもそも、日本人はかつて日本が関税についてさんざん苦労したことを忘れてしまっているようです。黒船来航で開国を余儀なくされた江戸幕府は、1858年にアメリカ、イギリス、フランス。ロシア、オランダの五カ国と、安政五カ国条約(それぞれ日米修好通商条約・日英修好通商条約・日仏修好通商条約・日露修好...慎重に進めるべきTPP

  • 日本はアメリカと袂を分かってもいい

    アメリカ大統領候補のトランプ氏は、こんなことを言っています。「日本は自国を攻撃されれば米国に防衛してもらうのに、アメリカが攻撃されても何もしないというのでは不公平だ」「日本を含むアジア太平洋地域にアメリカ軍が駐留することに利益があるとは思わない。アメリカはかつてと立場が違う。以前は非常に強力で豊かだったが、今は貧しい国になってしまった」さらに、選挙戦で勝ち進むにつれ、発言をますますエスカレートさせ、「日本や韓国に駐留するアメリカ軍の経費については、日韓がそれぞれ全額負担すべきだ。もし払わないならアメリカ軍は撤退すべきだ」「日本は北朝鮮による核の脅威から自力で身を守るために核武装するべきだ」とも主張しています。つまり、金を寄越すか、いやなら核武装して自分で自分を守れというわけです。一件、とんでもない発言のよ...日本はアメリカと袂を分かってもいい

  • 日本は女性を蔑視しているという根拠なき中傷

    日本人の特質は、世界のどこよりも豊かな自然環境に育まれたものかもしれません。一方、男と女の関係も独特です。よく日本は女性を蔑視(べっし)している、女性の地位が低いと言いますが、そんなことはありません。日本の文化の底には賢い女性の感性が根付いています。そもそも縄文時代、男たちは何十人か固まって、マンモスや鯨などの大型の動物を狩りに出かけていましたが、途中で命を落とす者が少なくなかったでしょう。女性たちは、そんな男たちの帰りを、土器をつくりながら待っていたわけですが、「あの人まだ帰ってこない」と考えると腹が立ってくるから、燃え上がる炎を象(かたど)ったかのような火炎土器になったという話を聞いたこともあります。まぁ、それは冗談としても、女性は定住しているからお天気がわかるんですよね。あの山に雲がかかれば間もなく...日本は女性を蔑視しているという根拠なき中傷

  • ペロシの台湾訪問とアメリカの大戦略的ミス

    今日は国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。さて、今回は、ペロシさんの台湾訪問と、アメリカの大戦略的ミスについてです。アメリカのペロシ下院議長は8月2日、台湾を訪問しました。3日、蔡英文総統と会談しています。激怒した中国は4日から7日、台湾を取り囲むように6か所で軍事演習を行いました。皆さんご存知のように、私は台湾の味方です。しかし、アメリカのやっていることがすべて「大戦略的に正しい」とは思いません。今回は、アメリカの「大戦略的ミス」について考えてみましょう。(NATO拡大とアメリカの大戦略的ミス)「リアリズムの神」ミアシャイマー教授は、ロシアのウクライナ侵攻について、「アメリカに責任がある!」と断言していま...ペロシの台湾訪問とアメリカの大戦略的ミス

  • 日本の良さは多様性にある

    日本文化の強さの原点は多様性にあります。日本人のものの考え方は多角的で、実に伸縮自在です。だから一神教にならない。多神教になる。「捨てる神あれば拾う神あり」という寛容な心になれるのです。そういう人々が、列島の上で一万何千年か幸せに暮らしてきた。こういう国は世界中どこを探してもないでしょう。最近はやりの言葉で言えば、日本はダイバーシティ(多様性)の国なんです。食べ物も様々あって、それに全部名前をつけて、料理法も様々に工夫して、楽しく暮らしています。日本は小さな国だとかで片付けてしまいがちですが、よく見ると南北に二千キロぐらい広がっていて、寒いところから暑いところまであります。山もすごい。ゼロメートル地帯もあれば、三千メートル級の山々もあります。実にいろんなものがある。世界中に、ちょっと歩いただけでこんなにい...日本の良さは多様性にある

  • 直感力の大切さ

    私は、世界の人々と付き合うとき、日本人はもっと直感を大切にするべきだと思っています。どうも最近の日本人は、数字にこだわりすぎます。そして、直感力で考えるのは野蛮(やばん)だとか、ものごとは合理的に計算ずくで言わないといけないとか言うんです。私はそれを聞いていて、「ほんとうかね」と思います。だいたい子どもの頃から偏差値、偏差値で育っているから、数字の裏図けがないと不安で仕方がないのかもしれません。でも、直感は数字を超えるものです。すべてそこに入っています。たとえば、大きな仕事を目の前にして、「おまえこの仕事をやれ」と言われたとき、直感力が必要です。ほんとうに引き受けてやりきる力があるのか、自ら決しなければなりません。直感力で、「俺しかいないな」とか「やればできる」と判断しなければなりません。あるいは、「ダメ...直感力の大切さ

  • 詰んだ欧州。米英主導の対プーチン制裁という詐欺策に乗って自滅するEU

    プーチン大統領のウクライナ軍事侵攻を受け、ロシアに対して一丸となり厳しい経済制裁を科している西側諸国。しかしこの「対ロ敵視」には裏があり、まんまと乗せられた欧州各国は着実に自滅への道を辿りつつあるようです。今回の無料メルマガ『田中宇の国際ニュース解説』では著者で国際情勢解説者の田中宇(たなかさかい)さんが、対ロ制裁が欧州各国の首を絞めるだけに終わる理由を解説。さらに彼らは今後も親ロに舵を切れないとし、そう判断する根拠を示しています。(自滅させられた欧州)ウクライナ戦争は、欧州を自滅させた。今年2月末にロシアがウクライナ侵攻を開始したとき、米国の最上層部である諜報界は、石油ガス輸入停止など厳しい対露経済制裁を行えばロシアは短期間で経済破綻し、ウクライナでの露軍の稚拙な作戦展開と相まって、ウクライナや欧米の勝...詰んだ欧州。米英主導の対プーチン制裁という詐欺策に乗って自滅するEU

  • 世界が求め始めた日本人の生き方

    日本人は仲良く暮らそうということをいつも考えています。それが大前提で、あの人はいい人だと言われなきゃいけないと心がけています。でも、それをどうやって説明するかが難しい。インドネシアに行って仕事をしてみなさい。ブラジルに行って仕事してみなさい。いろいろ誤解が生じてたいへんですよ。でもそれにいちいち腹を立てていたら、世界に出ていくことなんてできない。鎖国したほうがいいということになってしまうでしょう。たとえば、日本人は付き合うと決めたら心の底まで付き合わないといけないと思っています。でも、外国人には、キャッシュオンデリバリーという付き合い方があります。アメリカに行って水割りを一杯飲もうと思ったら、値段表を見て、水割り一杯くれと言って一ドルか二ドルか置けばいい。そうすると向こうはちゃんと水割りを持ってきて、お金...世界が求め始めた日本人の生き方

  • 北海道も我が領土。プーチンを「ウクライナ侵攻」で止めなければならない訳

    勃発から160日を超えるも、未だ出口の見えないウクライナ戦争。西側諸国による厳しい対ロ経済制裁も長期に及び、各国とも自国経済へのダメージが顕著となっています。「自らの生活を犠牲にしてまで制裁を続ける意義があるのか」という声も各国国民から上がっていますが、ここで制裁を緩めるべきではないとするのは、国際関係ジャーナリストの北野幸伯さん。北野さんは自身の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で今回、ロシア政府高官らの発言等を紹介しつつ、制裁によりプーチン大統領の蛮行を止めなければならない理由を解説しています。(プーチンが欲しいもの=北海道、アラスカ、ウクライナ全部)今回は、読者のYさんからのご質問にお答えします。北野先生いつもメルマガを楽しみにしております。読者のYと申します。ロシア制裁で世界的に経済が苦しく...北海道も我が領土。プーチンを「ウクライナ侵攻」で止めなければならない訳

  • 日本に期待するアジアの国々

    ニューギニア島にセピック川という川があります。その上流は大変な秘境ですが、アメリカの大富豪ロックフェラー家の息子が1961年に人類学調査に訪れ、行方不明になっています。おそらく食人の風習のある現地人につかまって食われちゃったんだろうと言われています。「でも、もう大丈夫だろう。みんなでそこに行ってみようじゃないか」ということになり、私たちはセピック川を遡(さかのぼ)っていったんですが、もうホテルもあって、たとえばワニの肉を料理したのが出てきたりする。それがほんとうにうまいんですよ。そして翌日、現地の部落に行くことになりました。もう文明開化しているから、観光客が行くと歌って踊ってくれるというのです。村の子どもたちが「もしもし亀よ、亀さんよ」と歌ってくれましたので、こんな歌ができました。村人の日本語いまだ確かな...日本に期待するアジアの国々

  • 慰安婦問題しか難癖をつけられない韓国

    2015年12月に、日本の岸田文雄外相と韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相が会談して、いわゆる「慰安婦問題」についての合意がなされました。しかし、この問題はいつまでも解決することはないでしょう。韓国にはそれしか日本に難癖(なんくせ)をつける理由がないからです。そもそも慰安婦問題のきっかけは、嘘(うそ)の吉田証言でした。吉田清治という人物による「軍の命令で自身が韓国の済州島(チェジュとう、さいしゅうとう)で女性を強制連行して慰安婦にした」という証言を、1983年11月に朝日新聞が記事にしたことで問題化しました。吉田証言はその後、他の新聞でも報じられましたし、テレビメディアでも取り上げられ、韓国に飛び火し、ついには韓国の国定教科書に「数十万人の朝鮮女性が強制的に慰安婦にされ、650万人の朝鮮人が強制的に動員さ...慰安婦問題しか難癖をつけられない韓国

  • 武士の心を理解できないアメリカ人

    アメリカ人と日本人の感性の違いについておもしろい話があります。慶應大学からアメリカのハーバード大学へ留学した池田成彬(しげあき)の話です。池田は出羽国(現在の山形県米沢市)に米沢藩士の長男として生まれます。彼は1890年に、ハーバード大学からの派遣教師から「奨学金の話はつけといてやるから、行きなさい」と言われてアメリカに渡ったのですが、その奨学金の話がついていませんでした。しかし今さら日本に帰れないということで食うものも食わず勉強を続けていたのですが、あまりの窮状を見かねたアメリカの金持ちが、「あんたにお金をあげます」と申し出ます。そこで彼が「なぜくれるんですか」と聞くと「いや、見るに見かねてあげるんだ」という返事です。そこで彼は「じゃあもらいません。痩せても枯れても私は武士の子です。人の情けは受けません...武士の心を理解できないアメリカ人

  • 中国人には通じない日本人の親切心

    文化大革命があった1966~1976にかけて中国では大学の入学試験がありませんでした。それどこらか、大学自体が閉校していたようなものです。その後、やっと入学試験が再開されて、中国の大学から留学生が日本にやってくるようになったんですが、これがむちゃくちゃ頭のいい人ばかりでした。なにしろ、日本に留学してくるのは、入学試験が行われなかった間、6年も7年も一生懸命勉強したうえで、超高倍率の難関を突破して合格した学生ばかりだったからです。そんな中国人留学生のひとりが「それにしても、日本人はなぜこんなに親切なんですか」と、私に聞いてきました。日本人から、「おまえ着るものがないのか。じゃあうちの息子の古着があるから、これを着なさい」とプレゼントされたと言うのです。その日本人は留学生がいつも同じものを着ているからかわいそ...中国人には通じない日本人の親切心

  • 傲慢な国、謙虚な国 ~ 『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』

    アメリカの南部人には、日本人の謙虚さが良く分かる。(「傲慢×VS謙虚○」)歴史学者で麗澤大学助教のジェイソン・モーガン氏が面白い本を出した。題して『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』。最近、はやりの欧米人による自虐史観克服本の一つであり、この面についてはメルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」で北野氏が鋭い指摘をされているので、そちらをご覧戴きたい。弊誌では、この本のもう一つの魅力を紹介したい。それは表紙デザインで「傲慢(ごうまん)×VS謙虚(けんきょ)○」と大きく書かれた点に表れている。この本の中身はタイトルから想像するほど「傲慢」なものではなく、それよりも「アメリカも中国も韓国も(傲慢さを)反省して(謙虚な)日本を見習いなさい」と主張しているように読めた。モーガン氏はこう書いている。___...傲慢な国、謙虚な国~『アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい』

  • 20世紀で最も成功した万博を実現した日本人の気概

    「大阪万博にあれほどの熱量を送り込んだのは『高度成長』などではなく、当時の日本人の気概であり情熱であり志だ」(「20世紀で最も成功した万博」)日本が大阪誘致を目指す2025年万国博覧会の開催地決定に向け、博覧会国際事務局(BIE)の調査団が、東京、大阪を訪れた。団長の崔在哲BIE執行委員長(韓国駐デンマーク大使)は記者会見で、日本の計画を「調査団の暫定的な考え方としては良好だ」と評した。また、ディミトリ・ケルケンツェスBIE次長は「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマを「国際社会でも大きな意味を持つ」と指摘し、政府や地方自治体、国民の支持があることを確認したと語った。このケルケンツェス次長は、1970年の大阪万博を「20世紀で最も成功した万博」と評したそうな。参加者数6400万人という記録は、40年...20世紀で最も成功した万博を実現した日本人の気概

  • 国民が力を合わせて創りあげた「国家の品格」 ~ 明治神宮鎮座100年

    明治神宮の内苑・外苑は、数百万人の国民の協力で創られた。(森、表参道、神宮球場、、、)読者の皆さんは、次のことをご存じでしょうか?「明治神宮の鬱蒼(うっそう)とした森は、人が作ったものです。以前は、荒れ果てた不毛の地でした」「ファッションやグルメで若者に大人気のスポット、表参道とは明治神宮への参道です」「野球の聖地、神宮球場は、明治神宮の野球場です」明治神宮の内苑・外苑は明治天皇崩御を機に、明治の御代を記念し、世界に誇れる首都を作ろうと、数百万の国民が力を合わせて創り上げたものです。2020年11月1日に明治神宮は鎮座100年を迎えました。この機会に、我々の先人たちがどのように明治神宮の内苑・外苑を創りあげたのか、見てみましょう。(首都の品格が国家の品格を代表する)明治45(1912)年7月30日零時43...国民が力を合わせて創りあげた「国家の品格」~明治神宮鎮座100年

  • 正倉院 ~ 世界最古の国際美術館

    「全アジアのもっとも美しい時代の姿が、正倉院に保存されている」。この奇跡はどのように実現されたのか?(テヘランで見つけた正倉院所蔵品とそっくりの水差し)「これを初めて見たときには思わずハッとした」と早稲田大学でシルクロード史を研究されていた長澤和俊・名誉教授は言う。昭和41(1966)年春にテヘラン考古博物館を訪れた時のことである。そこで見つけたガラス製の水さしは、正倉院所蔵のものとそっくりだった。__________鳥の嘴(クチバシ)をかたどった口、流れるような曲線を示す胴体や把手(トッテ)、とくに注ぎやすいように親指をかける突起など、驚くほど似ている。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ただし、正倉院のものは大切に保存されてきただけに透明な美しさに溢れているが、こちらの方は出土品のようで、表面が銀化したり、汚れたりし...正倉院~世界最古の国際美術館

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