ここでレサマ=リマは、「タミエラ」という単語の言語的多面体としての機能について、美しくも危うい直喩と隠喩によって語りつくしている。「タミエラ」は「川の水に濡れた草の間をなめらかに這っていくヘビのように」見える、というのは、言語的多面体が意識の光源を反射して、様々な色彩に輝く姿を捉えているし、言語的多面体が「通り抜けたあと」では、周辺の単語たちがその反射熱によって「燃えあがりはじめ」るが、その時には言語的多面体としての「タミエラ」という単語は、炎を見つめながらじっとしているのだという風に読める。直喩として持ち出されたヘビが、いつしか隠喩としてのヘビにすり替わり、直喩は単純な放物線を描いてすぐに着地するのではなく、隠喩の作用によって重力の軛をしばらく逃れた後、「ずっと身をかがめたルビー色の山猫のように」という...ホセ・レサマ=リマ『パラディーソ』(13)