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ときどりの鳴く 喫茶店 https://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。

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2015/09/16

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  • 1:槻川 --・ 武蔵嵐山

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!槻川:1:槻川--・武蔵嵐山ミカンの北限・・大内沢・風布「槻川」は堂平山・北川(=大野峠あたり)を源流として流下し、大内沢川と合流して、東秩父村(埼玉県内唯一の村)、小川町へと流れる。「大内沢川」の東側山麓はミカンの北限であり、山を越えた荒川側にも「風布」というミカンの畑が散在する。大内沢川と荒川の川霧は、どうも気温を上げるらしく、川べりの標高の低いところより標高を高くしたところの方が気温が高いらしい。その「メカニズム」の理屈は読んでみたがよくわからなった。「ミカン」の由来は、近くの寄居の「鉢形城」の小田原の後北条の北条氏邦によって、氏邦の出身の伊豆から運ばれたものらしい。この城は、武蔵と上野、下野...1:槻川--・武蔵嵐山

  • 都幾川と槻川 ・いわゆる、源流の風景

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!都幾川と槻川:◇:都幾川と槻川・いわゆる、源流の風景「慈光寺」という古刹がある。外秩父山麓にあり、背後に「堂平山」を持つ。かなり規模の大きな「山寺」である。この寺のことを調べると意外と深い。これは、・・あとで、、この「堂平山」北を源とするのが「槻川」、「堂平山」南(大野峠辺り)を源とするのが「都幾川」、両川は、武蔵嵐山・菅谷館あたりで合流する。ともに清流・・「堂平山」は比企三山、”=笠山・堂平山・大霧山”。外秩父が比企に比定されているとは?知らなかった。外秩父は、「ヒルクラムサイクル(=自転車登板)」の首都圏のメッカである。時々、そんなサイクリングの自転車を見かける。また、「パラグライダー」の「堂平...都幾川と槻川・いわゆる、源流の風景

  • 入間川: 新河岸川:3

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!入間川:新河岸川:3(承前)◇:新河岸川(厳密には、新河岸川が入間川の支流かどうかは、覚えが目出度くない。運河であると認めているわけで‥)今は昔・・「与野」という町がありまして、大変栄えておりました」-・なんて書くと違和感があるが事実である。平成の大合併の末、「与野市」は「中央区」と名を変えて、「さいたま市」に飲み込まれた。この合併というのが曲者で、街名を、上下に分けたり、東西南北にしたりで、中とか中央としたりして、昔からの人情の歴史をそぎ落としていく。これが事実だが、極端な違和感を覚えないのは、JRにまだ「与野駅」という名の駅が存在しているからだ。でも。中央区なんて、味もそっけもなく好きでない。そ...入間川:新河岸川:3

  • 入間川 支流・成木川

    「どん」が何を意味するのか?「鈍」なのか?「呑」なのか?「丼」なのか?あるいは「首領(Don)なのか?はたまた!!入間川:成木川:2(承前)◇:成木川西川材・・・杉や檜の美林・・この「西川」には、「成木川」を加えていいものかどうか?。「成木川」にも、「筏流し」の記録がわずかに残る。。この「わずか」を、あえて「西川」にしていいものはどうか・・「入間川水系」には違いないのだが・かつて、この成木川の川沿いの街道を二度くらい通ったことがある。付近ならさらに数度行ったことがある。つつじの名園:「塩船観音」と「鎌倉古道」所以のためであった。さらに言えば、古族・豪族:金子一族の遺跡探求もあった。成木川清流:1「成木川」は青梅に源を求め、飯能に流下して、名栗川に落合する。以後を「入間川」という。「成木」地区は、飯能との隣接地帯...入間川支流・成木川

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