棚底城跡の攻略は、まだまだ続いております。まだ、半分しか攻略しておりません。。。あまりの暑さに、帰りたくなった。織田信長は、この時代・・・お茶を楽しんでいたのカナ?この上が、城主の居住地らしい。。。もう一息だな。。。この上らしい。。。ついに、到着。。。では
ついに・・・首里城を残して、ラストの城回り。。。たどりついた「具志川城跡」なるほど・・・道は、整理されているみたいですね。えぇぇぇぇぇぇハブだとー!!正確な居城年代は不明ですが、伝承によると、久米島具志川城の按司(あじ:領主的豪族)が久米島を追われて喜屋武に
糸数城(いとかずぐすく・いとかずじょう)は、沖縄県島尻郡南城市糸数にあったグスク(御城)の城趾である。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定。との事で・・・迷いながら、ようやく城内に辿り着いた。。。んー読めん!!wおっちゃんの仮の愛車と城壁だ。wwで
ここも、車のナビでは厳しかった。ww結局、ギガを使い果たしたスマホでグーグル先生のお世話になってもーた。実際の築城年数や城主などは不明であり、琉球の創世神である「アマミキヨ」が築いたという伝説が残るお城です。紀元前0世紀(2000年前)頃には拝所として、使用されて
やって来ました「知念城跡」ちと・・・デイズのカーナビでは無理でしたが・・・グーグル先生の案内でたどり着いた。wwいやー、結構膝に来る下り坂です。。。さすが沖縄ですね。。。筍が・・・ついに・・・見えました「知念城跡」知念城は代々の知念按司の居城であったと思わ
ホテルを出て・・・高速を飛ばして、やって来ました。。。こんな場所。。。マンホールの蓋もお洒落ですな。。。ここで入場料を支払い・・・そう本日の世界遺産の旅「斎場御嶽」に到着。。。沖縄に来て、毎日、城巡りで15,000歩以上歩いてますからね・・・ちと、膝に来ていま
勝連城を後にして、次の世界遺産を目指す。。。と・・・言う事で、ついに・・・座喜味城跡へと、たどり着いた。。。いいねぇ~世界遺産だよ~ではでは・・・城へと突撃致します。見えて来ました。。。ちと、今まで見て来た城よの小ぶりですが・・・この石垣に痺れますなぁ~
2024,3/23日、本日2城目に突入です!!勝連城跡へと到着。。。おぉぉぉ凄いぞー!!ワクワクするねぇ~と、言いつつ・・・城の前までカートに乗って来た。wwではでは・・・登りますかね~この階段・・・斜めになってて後ろにひっくり返りそうですがなー!!いいですね~ここに舎殿
さて・・・今回の旅のイベントが1つ終わりましたので・・・いよいよ、「沖縄世界遺産制覇の旅」の再開です。やって来た中城城跡・・・山の頂上に見えてます!!w入場料を払いすぐそばに、カート乗り場が。。。一番乗りの為に誰も居ない。。。と・・・思ったら、先に行っていた
2024,3/21日 快晴外からだけでも、感動しまくりだった。。。ここでチケットを見せて・・・いざ、入城です。。。平郎門ここから狙い撃ち?wいいですね~外郭階段の右側には、旧道が通ってます。。。昔は、大変だったんでしょうね。。。新しく道を作ったんですね。。。当然、お
日本の名城回りの旅を完結させようと・・・ついに、沖縄にやってまいりました。。。そして・・・沖縄世界遺産制覇の旅が始まった。。。2024,3/21日 快晴今帰仁城(なきじんぐすく)に到着。。。ここで、入城券を(600円)購入。。。いよいよ、スタートだ。。。模型があります。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要
次の目的地、「津山城」を目指そうとするがバスの運転手(女性)の方の勧めで城下町を少し、散策してから出かける事にする。ww城下町の面影を残すのが、高梁高校の南側に位置する「石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」。白壁の長屋門や土壁が続く町並みで、「旧折井家」と
ありがとう!! 現存天守12城!!痺れたよ~♪って事で、天守閣の回りを散策致します。まっ、小城ですけどね。。。趣がありますね。なんせ、本物だ。ww塀沿いに・・・裏に回る。凄いよね・・・岩を利用して建ててる。。。土台が強いはずだ。ww二重櫓にたどり着いたが・・・ここま
2023,11/9日日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。見事ですね。 よくぞ保存してくれました。。。8:30開城な
2023,11/9日国指定重要文化財の備中松山城は「現存12天守」の一つで、天守が現存する“唯一の山城”です。標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ、9月下旬から4月初旬(とくに10月・11月)には雲海に包まれる幻想的な姿を見ることもでき「天空の山城」とも形容され親
2023,11/8日津和野城の主郭は近世城郭の石垣造りが良好な状態で保存されている。城の最高所は「三十間台」であり、津和野城下を一望できる。また、三十間台の南側には南門(三の丸)などを見下ろせる「人質郭」が、北側には「太鼓丸」がある。との事。いざ!! 本丸目指します
2023,11/8日見えて来ました・・・本丸跡。。。やっぱ、山道だな。。。あーあの上か~道は悪いけど・・・イイ雰囲気ですね。w石垣が崩れてます。。。とても、修復は厳しいでしょうねー北から続く尾根(織部丸の方向)から本城への出入口となるのが「東門」で、坂崎氏時代以降
2023年11月8日 ついに・・・津和野城跡へと到着。。。行き方が、イマイチ不明だったが・・・先客が、階段を登って行くのでついていった。。。リフトがありましたがな~♪ありがたやーwwこれから先を思うと・・・気が重い。。。ボチボチと行きますか。。。果たして・・・膝は
「神瀬熊野座神社」は、そんな山あいを流れる球磨川のほとりに鎮座する神社です。参道は、川を背に山へ向かう坂道。奥にわずかに見えているトンネルのようなものが、熊野座神社の本殿がある洞窟の入口です。現在、参道は崩れ果てており・・・危険な道となっていました。w何と
では、東側を攻めてみましょう。。。こちらは、西側の相良藩方面が見えます。気分は、1万円入れたいとですが・・・もうね・・・言葉は、あれこれ要らない!!楽しすぎて・・・笑いが出るわぁ~wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
久しぶりに「佐敷城跡」へと突撃致しました。。。では・・・早速討ち入りしたいと思います。ここから、薩摩の動きが丸分かりでありますな。。。見晴らしが最高です。佐敷城跡は加藤清正が島津氏に備え肥薩国境防備のために築城したもので、島津・加藤両氏の戦いの場となりま
富岡城は慶長6年(1601年)に天草の領主となった、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)頃から築かれた。寺沢氏は、富岡城に藩代を配置し天草を統治したが、寛永14年(1637年)島原・天草一揆で一揆軍から攻撃を受けた。 この乱後、山崎甲斐守家治の領
天草は、五和町の御領城跡へとやって来た。。。戦国時代に天草下島の北部を治めた志岐氏が城を構えました。 この高台が城跡で、現在はお寺になっています。やはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
おっちゃんの、金運UP神社仏閣巡りの旅2023年バージョンの締めは・・・熊本最強金運UPパワースポットとして、人気が出ております。これは、福岡のテレビで放送したのが口コミで広がったとかで・・・す。よー知らんけど。。。へびの皮は、その辺で拾っとけ!!ってなもんですね
竜王神社巡りラストは・・・阿蘇三宮神社内にある竜神さん。。。金運が付くように・・・お参り。wwやはり・・・神社仏閣はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
グーグル先生のお導きにより・・・古麓稲荷神社へとたどり着きましたが!!駐車場が分らず・・・この急階段をひぃ~ひぃ~言いながら、上りました。。。もうね・・・膝がガクガクですがな~!!えっ?ここまで、車で来れたの??キツネにつままれたような気分です。wwもう・・・最後
何やら、雰囲気のあるお寺にたどり着きました。。。八代城主松井家の菩提寺で、臨済宗南禅寺(京都)の末寺。寺名は松井家初代康之の法名「春光院」にちなみ、久美浜(京都)、木付(杵築)、小倉、熊本を経て、延宝5年(1677)、この地に移った。本堂の背後に、松井家歴代夫
八代宮と八代神社は別ものなんですね。。。って事で・・・八代妙見宮にたどり着きました。。。八代神社であって、妙見宮??県指定重要文化財。 文治2年(1186)、後鳥羽天皇の勅願により検校散位(けんぎょうさんみ)の大江高房(おおえのたかふさ)が建立しました。この妙見宮近辺
城内にある八代宮にお参り致します。。。戦没された英霊に・・・ご挨拶。。。後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、懐良親王歿後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀する。こんなとこでも、足利軍と戦ったんですね。。。主祭神に
久しぶりに、八代城跡にやって来た。。。くまモンの説明を読みながら・・・いざ!!やはり、世の中お城ファンと言う人は、一定数居るらしく・・・私の前を、親子連れが歩いてます。wwでは・・・横から、入城致します。ww振り返れば、こんな感じ。。。ではでは、攻め入ってみま
久しぶりに、面白いパワースポットが有ると言うので、出かけてみた。八代市・・・到着しました~な・・・何んじゃコリャーー!!ド派手で御座います。ww社務所は、お留守のようです。。。黒と金を基調に作られています。。。これは・・・中国人が大好きなやつですね。wwえーと
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棚底城跡の攻略は、まだまだ続いております。まだ、半分しか攻略しておりません。。。あまりの暑さに、帰りたくなった。織田信長は、この時代・・・お茶を楽しんでいたのカナ?この上が、城主の居住地らしい。。。もう一息だな。。。この上らしい。。。ついに、到着。。。では
天草は、棚底城跡へと到着した。こんな田舎の山城跡が、国指定史跡とは・・・山全体が、ご神体の倉岳の麓にある。中世の天草は、上津浦氏・栖本氏・大矢野氏・天草氏・志岐氏などの国人(豪族)が分割して統治し、天草島内で領土争いを繰り返していました。その中でも棚底城
ちと・・・琉球疲れが出て・・・書く気力が萎えていた。。。と・・・言う事で、ボケて忘れてしまわないうちに福州園へとやって来た。。。中国で、嫌というほど見た光景ですが・・・なぜか?懐かしい。ww入口で、アホの習近平を褒めているパネルがあった。10年後には、歴史がど
沖縄世界遺産 識名園に到着では・・・入園です。楽しみです。識名園には、今も水が湧き出る「育徳泉(いくとくせん)」があります。きれいな淡水にしか生息しない「シマチスジノリ」という紅藻類の発生地として、国の天然記念物に指定されました。後方には、この泉を称えた
首里城を後にして・・・次の世界遺産の「玉陵」に来た。。。世界遺産ですがな。。。ではでは・・・神聖なる場所ですからね。。。ここですか。。。では・・・中に入ってみます。。。歴代王様達の墓ですね。。。沖縄の首里に佇む玉陵は、1501年に尚真王によって建てられた、琉
首里城内を出て、弁財天堂へとやって来た。。。では・・・橋を渡ってみましょう。。。もうね・・・言葉は要らない。wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
首里城内は、観ましたので・・・売店で、一休み。。。大金払って、記念メダル作りました。。。他の観光客は、誰も見向きもしない。。。おっちゃん・・・ちと、恥ずかしい。(笑)では・・・城の外観を楽しみ隊!!w淑順門を通ってしかし・・・この石垣の美しさは・・・何とも言え
ついに・・・40年ぶりにやって来ました。。。(笑)首里城です!!一番乗り??(笑)「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である
ついに・・・首里城を残して、ラストの城回り。。。たどりついた「具志川城跡」なるほど・・・道は、整理されているみたいですね。えぇぇぇぇぇぇハブだとー!!正確な居城年代は不明ですが、伝承によると、久米島具志川城の按司(あじ:領主的豪族)が久米島を追われて喜屋武に
糸数城(いとかずぐすく・いとかずじょう)は、沖縄県島尻郡南城市糸数にあったグスク(御城)の城趾である。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定。との事で・・・迷いながら、ようやく城内に辿り着いた。。。んー読めん!!wおっちゃんの仮の愛車と城壁だ。wwで
ここも、車のナビでは厳しかった。ww結局、ギガを使い果たしたスマホでグーグル先生のお世話になってもーた。実際の築城年数や城主などは不明であり、琉球の創世神である「アマミキヨ」が築いたという伝説が残るお城です。紀元前0世紀(2000年前)頃には拝所として、使用されて
やって来ました「知念城跡」ちと・・・デイズのカーナビでは無理でしたが・・・グーグル先生の案内でたどり着いた。wwいやー、結構膝に来る下り坂です。。。さすが沖縄ですね。。。筍が・・・ついに・・・見えました「知念城跡」知念城は代々の知念按司の居城であったと思わ
ホテルを出て・・・高速を飛ばして、やって来ました。。。こんな場所。。。マンホールの蓋もお洒落ですな。。。ここで入場料を支払い・・・そう本日の世界遺産の旅「斎場御嶽」に到着。。。沖縄に来て、毎日、城巡りで15,000歩以上歩いてますからね・・・ちと、膝に来ていま
勝連城を後にして、次の世界遺産を目指す。。。と・・・言う事で、ついに・・・座喜味城跡へと、たどり着いた。。。いいねぇ~世界遺産だよ~ではでは・・・城へと突撃致します。見えて来ました。。。ちと、今まで見て来た城よの小ぶりですが・・・この石垣に痺れますなぁ~
2024,3/23日、本日2城目に突入です!!勝連城跡へと到着。。。おぉぉぉ凄いぞー!!ワクワクするねぇ~と、言いつつ・・・城の前までカートに乗って来た。wwではでは・・・登りますかね~この階段・・・斜めになってて後ろにひっくり返りそうですがなー!!いいですね~ここに舎殿
さて・・・今回の旅のイベントが1つ終わりましたので・・・いよいよ、「沖縄世界遺産制覇の旅」の再開です。やって来た中城城跡・・・山の頂上に見えてます!!w入場料を払いすぐそばに、カート乗り場が。。。一番乗りの為に誰も居ない。。。と・・・思ったら、先に行っていた
2024,3/21日 快晴外からだけでも、感動しまくりだった。。。ここでチケットを見せて・・・いざ、入城です。。。平郎門ここから狙い撃ち?wいいですね~外郭階段の右側には、旧道が通ってます。。。昔は、大変だったんでしょうね。。。新しく道を作ったんですね。。。当然、お
日本の名城回りの旅を完結させようと・・・ついに、沖縄にやってまいりました。。。そして・・・沖縄世界遺産制覇の旅が始まった。。。2024,3/21日 快晴今帰仁城(なきじんぐすく)に到着。。。ここで、入城券を(600円)購入。。。いよいよ、スタートだ。。。模型があります。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要
次の目的地、「津山城」を目指そうとするがバスの運転手(女性)の方の勧めで城下町を少し、散策してから出かける事にする。ww城下町の面影を残すのが、高梁高校の南側に位置する「石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」。白壁の長屋門や土壁が続く町並みで、「旧折井家」と
ついに・・・首里城を残して、ラストの城回り。。。たどりついた「具志川城跡」なるほど・・・道は、整理されているみたいですね。えぇぇぇぇぇぇハブだとー!!正確な居城年代は不明ですが、伝承によると、久米島具志川城の按司(あじ:領主的豪族)が久米島を追われて喜屋武に
糸数城(いとかずぐすく・いとかずじょう)は、沖縄県島尻郡南城市糸数にあったグスク(御城)の城趾である。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定。との事で・・・迷いながら、ようやく城内に辿り着いた。。。んー読めん!!wおっちゃんの仮の愛車と城壁だ。wwで
ここも、車のナビでは厳しかった。ww結局、ギガを使い果たしたスマホでグーグル先生のお世話になってもーた。実際の築城年数や城主などは不明であり、琉球の創世神である「アマミキヨ」が築いたという伝説が残るお城です。紀元前0世紀(2000年前)頃には拝所として、使用されて
やって来ました「知念城跡」ちと・・・デイズのカーナビでは無理でしたが・・・グーグル先生の案内でたどり着いた。wwいやー、結構膝に来る下り坂です。。。さすが沖縄ですね。。。筍が・・・ついに・・・見えました「知念城跡」知念城は代々の知念按司の居城であったと思わ
ホテルを出て・・・高速を飛ばして、やって来ました。。。こんな場所。。。マンホールの蓋もお洒落ですな。。。ここで入場料を支払い・・・そう本日の世界遺産の旅「斎場御嶽」に到着。。。沖縄に来て、毎日、城巡りで15,000歩以上歩いてますからね・・・ちと、膝に来ていま
勝連城を後にして、次の世界遺産を目指す。。。と・・・言う事で、ついに・・・座喜味城跡へと、たどり着いた。。。いいねぇ~世界遺産だよ~ではでは・・・城へと突撃致します。見えて来ました。。。ちと、今まで見て来た城よの小ぶりですが・・・この石垣に痺れますなぁ~
2024,3/23日、本日2城目に突入です!!勝連城跡へと到着。。。おぉぉぉ凄いぞー!!ワクワクするねぇ~と、言いつつ・・・城の前までカートに乗って来た。wwではでは・・・登りますかね~この階段・・・斜めになってて後ろにひっくり返りそうですがなー!!いいですね~ここに舎殿
さて・・・今回の旅のイベントが1つ終わりましたので・・・いよいよ、「沖縄世界遺産制覇の旅」の再開です。やって来た中城城跡・・・山の頂上に見えてます!!w入場料を払いすぐそばに、カート乗り場が。。。一番乗りの為に誰も居ない。。。と・・・思ったら、先に行っていた
2024,3/21日 快晴外からだけでも、感動しまくりだった。。。ここでチケットを見せて・・・いざ、入城です。。。平郎門ここから狙い撃ち?wいいですね~外郭階段の右側には、旧道が通ってます。。。昔は、大変だったんでしょうね。。。新しく道を作ったんですね。。。当然、お
日本の名城回りの旅を完結させようと・・・ついに、沖縄にやってまいりました。。。そして・・・沖縄世界遺産制覇の旅が始まった。。。2024,3/21日 快晴今帰仁城(なきじんぐすく)に到着。。。ここで、入城券を(600円)購入。。。いよいよ、スタートだ。。。模型があります。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要
次の目的地、「津山城」を目指そうとするがバスの運転手(女性)の方の勧めで城下町を少し、散策してから出かける事にする。ww城下町の面影を残すのが、高梁高校の南側に位置する「石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」。白壁の長屋門や土壁が続く町並みで、「旧折井家」と
ありがとう!! 現存天守12城!!痺れたよ~♪って事で、天守閣の回りを散策致します。まっ、小城ですけどね。。。趣がありますね。なんせ、本物だ。ww塀沿いに・・・裏に回る。凄いよね・・・岩を利用して建ててる。。。土台が強いはずだ。ww二重櫓にたどり着いたが・・・ここま
2023,11/9日日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。見事ですね。 よくぞ保存してくれました。。。8:30開城な
2023,11/9日国指定重要文化財の備中松山城は「現存12天守」の一つで、天守が現存する“唯一の山城”です。標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ、9月下旬から4月初旬(とくに10月・11月)には雲海に包まれる幻想的な姿を見ることもでき「天空の山城」とも形容され親
2023,11/8日津和野城の主郭は近世城郭の石垣造りが良好な状態で保存されている。城の最高所は「三十間台」であり、津和野城下を一望できる。また、三十間台の南側には南門(三の丸)などを見下ろせる「人質郭」が、北側には「太鼓丸」がある。との事。いざ!! 本丸目指します
2023,11/8日見えて来ました・・・本丸跡。。。やっぱ、山道だな。。。あーあの上か~道は悪いけど・・・イイ雰囲気ですね。w石垣が崩れてます。。。とても、修復は厳しいでしょうねー北から続く尾根(織部丸の方向)から本城への出入口となるのが「東門」で、坂崎氏時代以降
2023年11月8日 ついに・・・津和野城跡へと到着。。。行き方が、イマイチ不明だったが・・・先客が、階段を登って行くのでついていった。。。リフトがありましたがな~♪ありがたやーwwこれから先を思うと・・・気が重い。。。ボチボチと行きますか。。。果たして・・・膝は
「神瀬熊野座神社」は、そんな山あいを流れる球磨川のほとりに鎮座する神社です。参道は、川を背に山へ向かう坂道。奥にわずかに見えているトンネルのようなものが、熊野座神社の本殿がある洞窟の入口です。現在、参道は崩れ果てており・・・危険な道となっていました。w何と