*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
2025年のMIYAZAKI神楽紀行・スケジュール【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<30>】
2025年の神楽の開催日が出始めました。コロナ過の中断期間を挟んで本格的な再開・再編・再生の機運が高まってきたようにみえます。筆者(高見)の神楽取材も今季の後半に入り、パワーアップしながら進行します。以下にそのスケジュールを掲示します。*従来の九州民俗仮面美術館のフィールドワークとしての神楽紀行は終了しています。*現地合流は歓迎です。*詳細は追って追記。☆◇日之影町「大人(おおひと)神楽」1月11日~12日◇諸塚村「戸下神楽」1月25日~26日◇諸塚村「南川神楽」2月1日~2日◇日南市南郷「潮嶽神楽」2月11日2025年のMIYAZAKI神楽紀行・スケジュール【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<30>】
「奥方様」は山の神になった/2024村所神楽にて【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<29>】
村所神楽の「奥方様」とは、南北朝期の戦乱を逃れ、米良山に入山した菊池氏の末裔・米良重鑑公の内室を表す。悲運にも内乱に倒れた重鑑公の後を追い自刃したお勝様はその時懐妊していた。それを憐れみ、村人が手厚く祀るとお勝様は村の女性のお産を助け、村を守る山の神となった。お勝様の元へは猪・鹿など山の獣が遊びに訪れた。神楽の場に舞い出て御神屋で暴れる猪は、猪荒神・大山祇命が森へと連れ帰る。米良山系の神楽に分布する山神信仰・女神信仰などが習合し、平和な山のくらしを伝える神楽。「奥方様」は山の神になった/2024村所神楽にて【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<29>】
悲運の領主は八幡様として祀られた/2024村所神楽にて【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<28>】
南北朝の戦乱を南朝方として戦い北朝との決戦に敗れた肥後・菊池氏の一族は米良の山中深く逃れた。菊池氏は米良氏と名を変え、この地を治め、善政を施いたが後の領主・米良重鑑公は内乱に倒れた。村人は重鑑公を慕い八幡様として祀り、神楽の主祭神として語り伝えた。悲運の領主は八幡様として祀られた/2024村所神楽にて【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<28>】
南朝の秘史と大王様の物語/2024村所神楽にて【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<27>】
【南朝の秘史と大王様の物語】南北朝時代末期、北朝と足利幕府連合軍との大宰府での決戦に敗れた南朝の一族とそれを支えてともに戦った肥後・菊池の一族は米良の山中深く逃れた。米良の山人は貴人と武人の一行を神として迎え、神楽に伝えた。「大王様」とは、後醍醐天皇の第九皇子・懐良親王を表す。政争に敗れて吉野に逃れた後醍醐天皇により南朝再興の夢を託され、転戦した皇子・懐良は一時は九州を制したが、悲願を果たせず流亡の身となった。悲運の皇子とその一族の物語は終夜吹き荒れた北風と哀調を帯びた神楽笛の音に乗って演じ続けられた。南朝の秘史と大王様の物語/2024村所神楽にて【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<27>】
ちょっと一休み。長旅を終えた後のような心地よい疲労感。出会った神楽の一場面一場面を思い出しながら、体力と気力の回復を待とう。掲示は「山神の祓」/40㌢×78㌢・和紙に水墨・インク・染料など。今季の神楽取材に入る前に出来た作品。「山神の祓(はらい)」とは、狩人や木地師、山仕事の人たちなどが山に入る前に唱える祓いの祝詞(のりと)。画面に小さく描かれているのがその文言だが、少しずつ滲みがあって完全な解読は難しい。素人や神がかり系の人たちなどが軽はずみにこの文言を唱えると、山神の怒りに触れて山の木にされてしまうなどの災難がふりかかる怖れがるので、このままにしておく。古式の鹿狩りを伝え、鹿狩りの神様が出る「鹿倉舞」を伝える東米良・中之又神楽の長老、故・中武福男翁と一緒に山に入る時、翁がこの祓いを行なった。添えられて...山神の祓【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<26>】
寒風の中で過ごした一夜の神楽【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<25>】
強い北風が、寒太郎や又三郎や寒介、寒女郎などをまとめて吹き付けてきた一夜、西米良村村所神楽を観た。今年最後の神楽取材なので、全曲を描くつもりでいたが、紙は風に煽られ、神楽の喰われる御神屋の飾りつけや旗なども吹き飛ばされるような強風が吹き続け、止まなかった。その寒さに負けて前半の南朝の一族と菊池の一族の物語を終えた所で、眠り込んでしまった。それでも切れ切れに南北朝の哀史とそれを受け入れ、伝承し続けた山人の物語を観て、満足の一夜を過ごし、帰って来た。今季は神楽開始早々から強行スケジュールだった。◇今期の取材:第一週諸塚・桂正八幡神社の「霜月祭り」から日田・由布院へと廻った旅。◇取材:第二週椎葉・栂尾神楽へ。今季の本格取材の開始。◇取材:第三週高千穂・秋元神楽から翌日の東米良尾八重神楽への連続訪問。◇取材:第四...寒風の中で過ごした一夜の神楽【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<25>】
「Dolphin Eyes」ご案内/イルカたちと会話をする写真家からのメッセージ
SamansaTablet三股晶子さんとGOMAFURECORD安藤千佳子さんの主催による企画展です。古い教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」は銀杏の落葉に彩られ、たくさんの散歩者が訪れています。「DolphinEyes」ご案内/イルカたちと会話をする写真家からのメッセージ
[上椎葉神楽の一夜]山中5時間の彷徨の先で出会った幻夢の郷③/やさしい国で生きてゆく(5)【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<24>】
渓谷沿いの道を遡り、椎葉へと続く山脈へ車を乗り入れると、黒々とした山塊を照らす月が、樹海の彼方に隠れて行手は真の闇となる。峠を越えて長い中山トンネルを抜け、夜狩内の集落へ出ると、遠くに椎葉の灯りが見えた。ここまで来ると、――ああ、帰ってきた・・・という気分になる。椎葉が生まれ故郷ではないが、この日本列島の原風景を思わせる風物と人情とが残されている土地柄に共感し、共振する心意が働くのだろう。この夜狩内集落も神楽を伝えるが、今夜は開催日ではなく、村の家はいずれも深く戸を閉ざしていた。誘い合って、上椎葉の神楽に出かけているのかもしれない。神楽もまた、太古の記憶を秘め、村人たちや異郷に暮らす人々の魂の原郷として継承されてきたものだ。*続きは作業中。[上椎葉神楽の一夜]山中5時間の彷徨の先で出会った幻夢の郷③/やさしい国で生きてゆく(5)【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<24>】
山中5時間の彷徨の先で出会った幻夢の郷②/やさしい国で生きてゆく(4)【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<23>】
・中之又神楽「荒神」*昨日の続き中之又に着いた時には神楽は始まっており、多くの拝観者が集まっていた。先月の東京・国立能楽堂の公演の影響だろう。晴れ舞台を経験し、伝承者たちも自信を持って舞うことができるだろう。顔なじみの人たちに声を掛けられ、舞人(祝子)の一人とも話したが、名物の蕎麦を一杯食べただけで出発した。車に乗り込もうとすると――高見さん、もうどこかへ行くのですか・・・――よその神楽で若い娘さんを見つけたな。などと声をかけられるが、――違う、ちがう、今夜は椎葉へ行く約束が出来てしまった。来年を楽しみに・・・と言い残し、村を後にする。ここまでにすでに4時間を費やしていた。これからさらに深い山中に入り、椎葉まで1時間。合計5時間の山中彷徨である。通い続けた30年を超える月日が後方へ流れ去る。最初に訪れた時...山中5時間の彷徨の先で出会った幻夢の郷②/やさしい国で生きてゆく(4)【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<23>】
山中5時間の彷徨の先で出会った幻夢の郷/やさしい国で生きてゆく(3)【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<22>】
*本文は作業中。山中5時間の彷徨の先で出会った幻夢の郷/やさしい国で生きてゆく(3)【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<22>】
神気漂う森/美しきもの見し時は②【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<19>】
先々週の土曜~日曜(11月30日~12月1日)、天岩戸神社の東本宮へ行った。この地域一帯が観光地化して、見るもの聞くものがなんとなく胡散臭く感じられ、敬して遠ざかるという心境で訪れることを避けていたのだが、昨年の天岩戸神楽を拝観して、伝承者(ほしゃどん=奉仕者殿)の真摯な取り組みと敬虔かつ清澄な舞いぶりに魅了され、ここには何か得体のしれない真理が秘められている、という感想を持ったことがこの日の訪問の契機の一つとなっていた。多くの参拝者・観光客でにぎわう西本宮に比べて、こちらは静かな神域であった。神社の裏手には散歩道があり、そこを辿ると、森厳な森の中に立つ七本杉があった。そこから奥は立ち入り禁止区域だったが、この禁足地の付近から、昔、弥生時代の石棺が発掘され、「岩戸文字」といわれる古代文字が書かれた蓋が発見...神気漂う森/美しきもの見し時は②【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<19>】
神楽の余韻【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<20>】
一昨日(12月7日)宮崎を出発、椎葉嶽之枝尾神楽拝観の予定だったが、寒波襲来、山間部は降雪・凍結の恐れあり、の予報が出たので、予定を変更して国道から入ってすぐのところに神楽宿のある高千穂・岩戸五ケ村神楽へ。終夜、絵を描きながら過ごし、翌朝、由布院へ。天気予報ほどの冷え込みはなかったが、高千穂から竹田へ抜ける道のところどころには凍結の痕跡があったので、予定変更は正解とみた。それでも4時間を駆けて由布院に着くと山頂付近を雪化粧した由布岳が迎えてくれた。こんな日の由布院の寒さは厳しい。早めの夕食をすまし、9時間ぶっ続けに寝て、早朝5時に一度目覚めると、室内で5度。ストーブを点けてまた寝る。計11時間の睡眠。そして今日(9日)の日中はぽかぽかと温かい一日となったので、積んできた荷物を降ろし、絵の仕上げと昼寝と空想...神楽の余韻【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<20>】
900年の時空を背負って舞う/尾八重神楽「花鬼神」―湯之像<ゆのかた>神楽祖神の面 【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<19>】
*続きは作業中。900年の時空を背負って舞う/尾八重神楽「花鬼神」―湯之像<ゆのかた>神楽祖神の面【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<19>】
許可を得て神面の写真を公開します/門外不出の神面を拝観―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて
尾八重神社の中武貞夫・前宮司さんからご許可をいただいたので、壱岐宇多守の神面の写真を公開します。文は湯之像神楽拝観直後のものを採録。 門外不出の神面を拝観/16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-10】☆「尾八重神楽」は、米良山系・旧東米良の山中に伝承されてきた。米良山系は古くは秘境・米良の荘と呼ばれ、外界と孤絶した村々を抱く深い山脈であった。南北朝時代末期、北朝と足利幕府連合軍との決戦に敗れた南朝の遺臣とそれを支持した肥後・菊池氏の一族は、米良の山中に逃れた。米良の山人は「神」として王家の一族を迎え、菊池氏は米良氏と名を変え、この地を治め、善政を布いた。下って明治維新後の廃藩置県により人吉県となり、明治22年の町村合併により東米良村・西米良村に分割され、...許可を得て神面の写真を公開します/門外不出の神面を拝観―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて
猪荒神と猪汁の一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<17>】
【猪荒神<ししこうじん>】夜が更けて神楽が終盤を迎え天空を狩人オリオンが天狼シリウスを従えて巡ってゆくころ村の背後の黒い森から猪が二頭、暴れ出てくる。猪は、田畑を荒らし猟師に追われて手負いになり暴れると怖いがその肉は美味で「薬喰い」と呼ばれるほどの効力がある。猪は御神屋で転げまわる「ぬた打ち」の所作をしたり、神庭に出て村人と遊んだりする。そこへ猪荒神が出て、荒ぶる舞を舞う。猪荒神とは狩りの領域を支配する山の神である。舞の途中で缶ビールやみかんをもらった猪が上機嫌で帰ってくる。猪荒神と猪はともに一差し舞い、森へと帰ってゆく。人界と自然界の協調の神楽。前日、徹宵で椎葉神楽を見て、家に帰って横になったらたちまち前後不覚となり、11時間ぶっ続けに眠った。目覚めたときは深夜10時だった。それから夕食をとり、珈琲を温...猪荒神と猪汁の一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<17>】
美しきもの見し時は/´24-´25友愛の森空想ギャラリーにて【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<17>】*始まっています
*本文は作業中。美しきもの見し時は/´24-´25友愛の森空想ギャラリーにて【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<17>】*始まっています
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*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
静かな画家である。寡黙というのではない。語り始めると、一晩中でも話題が尽きることはない。それは、いまから40年も前に、第一期の由布院空想の森美術館に彼が200枚とか400枚というデッサンを持ち込み、二人で語り合った体験があるから、私にはわかっている。けれども、誰かと話す時でも彼はメモ帳か小さなスケッチブックを持ち、絶えずペンを走らせ続けているから、初めて対面した人などは、この人は気難しい人に違いない、とか、沈黙の画家である、“描きまくり三世”、などと形容するのである。上掲は画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)の一ページ目の写真。これをみれば、画家・田代国浩は孤独な人ではなく、街へ出たり、子供たちと一緒に描いたり、アトリエを開放した絵画教室で仲間たちと描く日常があったり...手練の技【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-30>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑥
田代国浩展の展示作品には題名が付いていない。それについては、作者の明確な意図がある。画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)から転載しよう。☆普段作品にタイトルはつけない。名付けると「遠くへ行く」ような気がするから。どうしても付ける必要がある場合は曖昧にしておく。作品1とかUntirledAとかIntrospection2020とか。ただ、名付けることで「近くへ来る」こともあるのかなとも思うようになった。これらはその試み。その数点を抽出してみよう。☆作品とタイトルが一致して、「詩」が生まれている。作品とタイトルを切り離してみると、一行詩のようである。別の作品と組み合わせることもできる。・その赤がこの絵を台無しにしている・銅の元は声、銀の元はささやき、金の元は無音・姉は空に...題名のない絵とは【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-29>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑤
田代国浩展の展示を終え、久住・阿蘇・高千穂の草原を走り抜けて帰って来た。緑一色の草っぱらが風になびき、時折、霧が湧いた。霧は、峠を越える時には雨となった。無色の風景のただ中に、無数の線が走り、色と色、色と線とが交錯して奏でる音楽が交響した。田代国浩作品の残像が、広大な自然の中で躍動しているのであった。本人の「ことば」を画集の中から転載しておこう。☆テーマを決めてから描き始めることはまずない。エスエスキースをつくることもまれである。たいていはそういったことなしにキャンバスに向かう。もちろん私の脳が指令を出しているわけだから、何かしら考えてはいるのだろう。だが画面構成等、ああしようこうしようと思わないことの方が多い。置いてみたい絵の具を筆につけた瞬間に始まり、手の勝手な動きに身を任せて描いているうちに、絵は「...線が走り色彩が歌う【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-28>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展④
【“描きまくり三世”の熱量】田代君がそれらの偉大な先人たちの作風や人生観に影響されたり、追いかけたりしているわけではない。それは彼の一貫した作風と地域の子ども達や仲間と楽しく遊び、描く生活を続けてきたことでもわかる。彼は、人と会う時でもいつも手帳とペンを持ち、何かを描き続けているという。それが“描きまくり三世”という呼称を冠せられる由縁であろう。では描きまくり一世と二世は誰とだれであるか、という問いは棚上げするとして、今春、開催された福岡アジア美術館での個展では、なんと、大作・デッサン・オブジェや書など、1万点あまりの作品が展示されていた。ここにも“描きまくり三世”の面目躍如たる世界が開陳され、その膨大な作品群からは、「筑豊」の熱い地下水脈に熱せられた強烈なエネルギーが奔っていたのである。由布院空想の森美...熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展③【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-27>】:始まりました。
田代国浩展/展示進行中です。その様子は追ってお知らせします。描きまくり三世の仕事/<明日から>田代国浩展②【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-26>】
本日、由布院へ、出発。梅雨晴れの山野を駆けて行こう。今日(19日・夕方着)、明日(20日)、明後日(21日・午後4時頃まで)空想の森美術館にいます。明日まで武石憲太郎さんの展示があり、夕方・田代国浩氏の作品が届いて展示替えをします。お近くの方、お立ち寄りください。本日、由布院へ/由布院空想の森美術館の二日間【空想の森から<203>】
草木染めいろいろ。コロナ過以前、全力でやっていたころの仕事です。「草木染め」は、植物のことを知り、自然界から「色」をいただくこと。ここからアートへの展開、室内装飾への応用など、まだまだ多様な可能性があるのだが、ちょっと勢いを無くしている感があります。当方の老化と怪我続きなどの要因、各地で同様の趣旨のワークショップが増えてきたことなどがありますが、本格的な染色アーティストや職人が育つところまではきていない。もうひと踏ん張りしなくては。要望があれば各地へ出かけてのワークショップも可能です。お問い合わせ下さい。草木染めいろいろ【空想の森の草木染め<110>】
万緑の由布院。朝、珈琲を淹れていると、峨眉鳥が歌い、ウグイスの声も聞こえてきます。カッコウが鳴き、由布岳の山頂付近をミヤマキリシマが淡紅色に染めているのが見えます。朝食の残りを木立の下に捨てに行くと、正面の森の高い六本杉のてっぺんで見張っていたカラスがやってきます。巣作りから子育てへの彼らの繁忙期が始まっているのです。武石憲太郎さんの由布院空想の森美術館での個展も20日までとなり、その後は宮崎の「友愛の森ギャラリー響界」へと巡回します。自作が行方不明になるという不運なアクシデントに遭い、落ち込んでいた憲太郎さんに笑顔が戻りました。懐かしい由布院で、古い仲間たちと会い、錯綜していた紛失作品についての情報も少しずつ整理されてきて、元気を回復しつつあるのです。次は、宮崎へ来ていただきましょう。まだ、現役作家とし...湯布院での展示は20日まで/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:18>]
由布院空想の森美術館6月22日~7月30日(金曜・土用・日曜開館)大分県由布市湯布院町川北1358*ご予約いただけば随時開館できます。 友愛の森ギャラリー響界8月22日~9月20日宮崎県西都市穂北5248 小鹿田焼ミュージアム溪聲館9月1日~11月10日大分県日田市源栄町4830-3「筑豊」を拠点に旺盛な創作活動を続ける画家・田代国浩氏の個展が40年余りの交流を続けてきた三施設で実現しました。“描きまくり三世”の異名を持つ田代氏は、地域の仲間や子供たちと、自由で楽しい絵画制作の場を共有してきました。筑豊は、修験道の霊峰として栄えた英彦山を控え、古代の銅と鉄を有した文化の道が交差し、近代では炭鉱で栄えました。その文化風土から、多くの作家が輩出したのです。いつも手にノートとペンを持ち、人と会う時でも描き続けて...<予告>田代国浩展/描きまくり三世の仕事[空想の森アートコレクティブ企画]
由布院から「クララ」を採集して帰ります。由布院・九重・阿蘇などの草原に自生する植物です。2018年に再開した「由布院空想の森美術館」の敷地に自生していたものが増え続けています。それを少しだけ頂き、さらに久住・阿蘇の草原で採集して宮崎へ。森の空想ミュージアムの前の広場にも群生があります。これらを森の空想ミュージアムの中庭のかまどで焚き火をして、染めます。クララは草原の植物で、その根を噛むとくらくらとめまいがするというほど苦いことから、その名が付いたといいます。高原地帯の日当たりの良い草原などに自生します。高さ50-150cm。草原の中では丈高く、目立つ草です。全草有毒であり、根の部分が特に毒性が強いが、疥癬の治療薬、解毒・殺虫などの薬効もあります。ルピナンアルカロイドのマトリンが薬効の元といいますが、...夏色の風/夏の草原に自生する「クララ」で黄色と鶯色を染めるワークショップ【空想の森の草木染め】
[甲斐の国のヤマメに会ったこと]*2015年の記事をそのまま再掲。 甲府市武田神社に奉納された「山梨岡神社代々神楽」が終わった後、甲斐の国のヤマメに会いに行った。甲府盆地には、扇の要に向かうように三つの大きな川が流れ下っている。甲斐駒ケ岳の西側を廻って、盆地の西北端を流れる釜無川。昇仙峡と呼ばれる奇岩累々たる峡谷から流れ出て、甲府市の西郊を貫く荒川(東京都内を流れる荒川とは別)、大菩薩嶺を源流とし、盆地の東側を流れる笛吹川。この三本の川が合流し、富士川となって駿河湾へと注ぐのである。笛吹川には、渓流釣りをこよなく愛した文士・井伏鱒二が訪れている。俳人・飯田龍太の故郷でもあり、龍太は終生、笛吹川の流域を句作と釣りの拠点とした。甲斐の国を訪ねるならば、この笛吹川の畔に立ち、ヤマメまたはイワナの魚影を追ってみ...眼で釣る【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー13>】
「仙人の釣り」に関して私は12年前(2013)に一度書いている。まだそのころは60歳代で、仙人を云々するような年齢ではなく、いまよりも元気だったのだが、心意・釣りの心がけとしてはおよそこのようなものであったという事を確認するために、再掲しておこう。 [仙人の釣り方〕(2013年の記事を加筆・再編集)私は、他人に釣りを教えるほど上手な釣り師ではないと思う。しかしながら、教え方は上手なほうかもしれないと思う。私よりも釣果を上げる釣り手が、仲間のうちだけでも二人いる。だから、自分は名人づらをしないほうがいいとも思っているのだが、私が教えると、小学三年の女の子でもヤマメを釣り上げることがあるし、高齢のご夫婦が、ずぶの素人から3年ほどで立派な釣り手になった。リョウ(鈴木遼太朗君)は、小学五年から仕込んだから、高校生...仙人の釣り方【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー12>】
耳川の源流部に入る。通常、入渓地点を明らかにすることはないが、耳川は九州最大級の大河で、支流は数え切れぬほどあり、その支流のまた枝川が分かれて深い山脈の源流部へとつづいているから、単に耳川と言っただけでは、よほど馴れた人でもどの谷かはわからないだろう。上掲がその支流のまた支流の一つだが、3日前の雨で増水しており、入渓は困難。さらに上流を目指す。古い橋がある。コンクリートの経年変化をみれば、すでに100年近い年月が経過していることがわかる。ここから先は、路肩崩壊地点で通行不能。岸辺に車を停めて、途中で買ってきた弁当を食べる。地元の食材を使ったシンプルで美味しい杣人弁当である。同行の超名人・渓声君は、谷へと降りてゆく。私は今日は釣らない。水辺にも立たない。リウマチ性の神経痛が治るまで、無理は禁物である。普段、...仙人の釣りとは【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー11>】
釣行二日目。だが、私は、釣らない。前日、少しだけ沢を歩き、まだ回復が十分でないこと、時間をかければ治ることなどの見極めがついたから、今回は自重したのである。渓声君は、身支度を整え、渓谷へと下っていった。木立の向こうに清々と流れる渓流が見える。絶好の釣り日和である。釣果を期待しておこう。沢沿いの道を歩くと、朽ちた巨樹の根方に横倒しになった空洞の巨木があり、その周りにミツバチが群れ飛んでいた。標高500メートル以上の森にだけ棲むという日本蜜蜂である。里で見かけるミツバチよりやや小ぶりである。古い巣箱が倒れて放置されたままになっているが、ここで育った蜂たちが、その古巣を忘れずに周囲の朽木か岩場を棲み処にしているのだろう。崖の上段は深い森である。その崖を形成する岩の割れれ目から流れ落ちる水を汲み取り、車を停めてあ...山中のスピリチュアル空間で過ごすひととき【九州脊梁山地・薬草仙人の森へ<4>】
*本文は作業中。青葉ヤマメのアヒージョと洒落てみた【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー10>】
薬草仙人の山旅/二泊三日の山旅から帰って来ました。詳細は明日報告。【「薬草仙人」の森へ<3>】
神道哲学者・鎌田東二さんがお亡くなりになりました。享年74歳。初期の著作「神界のフィールドワーク」や「翁童論」は時代の扉を開く独創的な仕事として知られています。「国学」から「近代霊学」への橋渡しをしたほぼ唯一の人、すなわち現世(うつつよ)と神界の境界にいて、両界を繋ぐ人だったと言えるでしょう。私は「猿田彦大神フォーラム」でご縁をいただき、第一期の「由布院空想の森美術館」が閉館の危機に直面した時には、「空想の森を湯布院に残そう」という呼びかけをしていただき、たちまち1000人の支援者が集まる、現代のクラウドファンディングの先触れのような企画をしてくださいました。その後同館は閉館になり、2018年に再開。2022年に阿蘇にお出でになった時に私は駆け付けて、当時のお礼や神楽の里に通い続けている日常などを報告し、...訃報/現世と神界を結ぶ人・鎌田東二さんさようなら【空想の森から<202>】
今朝は、選択しておいた毛布とシーツを、森の木から軒下へかけ渡していた物干しのロープに、――よいしょ、と投げ上げて、乾した。良い天気である。午後、脚立に上って、熟れ始めた枇杷の実を採ろう。1ヶ月ほどいていた肩・胸(大胸筋)・二の腕・太腿の付け根、膝の周りなどの痛みが軽減している。よちよちと爺様歩きになっていた足も復旧。回復期に入ったのだ。「リウマチ性多発筋痛症」という神経痛の発症を確認し、薬草と治療薬、テルミー(温灸の進化系)などの処置が適切だったということだろう。――これならば、釣りに行けるかもしれない。と、いつもの楽天的観測が生じ始めている。だが、油断してはいけない。慎重に、時間をかけて身体に休養を与え、治して行くことをこれからの課題としよう。☆毎日飲んでいる「野草茶」は、次の8種の薬草をブレンドしたも...痛み軽減、快方へ向かった朝/イタドリ(虎杖)は「痛み取り」②【「薬草仙人」の森へ<2>】
*本文は作業中。イタドリは「痛み取り」【仙人の森へ<1>】
6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】
宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】
宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】
昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】
先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】
*本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】
ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて
画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】
梅雨入りの気象情報が出たけれど、降り続いていた雨が止んだ。自転車に乗って出かけよう。白いボディーの婦人用軽快車だ。ところどころ錆が出ているが、これは元の所有者の使用頻度が少なかったことによるもののようだ。毎年、山歩きや神楽取材に来ていた東京の人が、借りていたアパートを引き払ったため、家財道具一式と一緒に当方に寄付して下さった荷の中に、これがあった。自転車に乗るという行為は何十年ぶりかのことになるが、恐る恐るこぎ出してみると、案外、身体はそのコツを記憶していて、ママチャリとあまり的確とは思えない現代の呼称で呼ばれるその自転車は、颯爽と森の中へ走り出した。なかなかスポーティーでお洒落である。スピードも出る。昔の婦人用自転車は、ただ乗りやすいだけの簡略な構造で、デザインなどを考慮のうちに無かったような気がする。...風を切って緑の森を走り抜けること【森へ行く道<138>】
鎌を持って森へ行く。台所の生ごみを捨て、その上に刈草をかぶせ、さらに焚き火で出た灰をばら撒く。それがこの森の土を肥やし、野草や薬草や染料として利用できる植物、実の生る樹木などを育ててゆく。その生ごみに混じっていた切り屑や種子の中から芽を出すものがあり、なかには育って実を付ける野菜もあるのだ。それで、芽吹いた野菜の周りの草を払い、伸びすぎた木は間引きをして日当たりが良い環境を作ってやるのだ。自然農という農法には、私は抵抗感を持つ人間の一人だが、こうして自然界の中で育ってゆく作物を採集し、食べることができれば、縄文的採集農法と名付けてもいいかと思わぬでもない。上掲は4年前の写真だが、そうして育ったカボチャが、森の中へと蔓を伸ばし、大きな実をぶら下げていた。立派な黒皮カボチャであった。その風景は森になじみ、実は...森の菜園【森へ行く道<137>】
ケイタ君が帰って来た。旅の治療師・落合圭太君は、各地を旅しながら、理学療法士としての仕事をしたり、農家や林業家などで働いたりしながら、一年ほど前、当地へも立ち寄ってくれたのである。そして2ヶ月ほどの間に森のマドゥパンの手伝いをしたり、仲間たちの音楽イベントに参加したり、私と一緒にヤマメ釣りに行ったりした。そして実家のある神奈川県に帰り、そこで畑作りなどをして過ごしているという便りが届いていたのだったが、この春、家財道具など一切をまとめて、本格的にこの地へ移住してきたのである。ちょうど、一件、空家が出ていた時期だったから、そこに住み、我々の仲間として過ごすことになったのは好都合だった。他所の土地の人であり、旅人だったケイタ君が来た時、私たちはなんとなく、――帰って来てくれた。という感覚で迎えた。短期間での滞...ケイタ君の畑【森へ行く道<136>】
以下は、68歳の時(今から7年前)の記事。☆去年買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。☆このあと、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、アキレス腱断裂、左足踵の剥離骨折と続けて大怪我をした。つまり、自分の年齢が年...鎌を研ぐ朝
麻てらす3〜タイに響く草の歌〜」上映会のお知らせ日本における麻の第一人者、吉岡敏郎監督がタイから帰国されて直ぐの、最新情報満載の上映会です。2022年、大麻解禁になったタイの人々の変化を半年間、現地に滞在して撮影し続けた吉岡監督、、タイのモン族の暮らしぶりに密着し、飲む・燻すなど薬草の一種として大麻(ヘンプ、マリファナ)を上手く生活に活かす現実を取材し、ドキュメンタリーにまとめた力作です!!=映画解説=昔々、日本人にとってそれは日常の一コマ、そしてなくてはならない大麻でした。戦後私達は生活の一部である麻を奪われてしまいました。麻は、近年になって、その医療効果、有用性や経済性が再認識され、アメリカやヨーロッパの国や州で使用が大幅に緩和されるようになってきました。ただアジアでは、日本を含め、厳格な法律のもと、...「麻てらす-3」古来、神事などに使われてきた「大麻」。現代生活の中に再び生かすことが出来る日がくることを願う人たちの活動です。/当地「コミュニティスペースCsa-Coso森」にて。
五月の山河に大雨を降らせた台風1号と線状降水帯の発生を予報させた雨雲は東へ去り、爽やかに晴れた空が戻った。それでも山や渓谷は嵐の余波を秘め、大川には泥の色に濁り、山道に沿った崖からは大量の雨水が流れ落ち、時折、ざわっ、と森の巨樹がざわめいた。「青嵐」と昔の風流人たちはこのような状況を表現したのだが、まったく、この日はそれに相応しい山と森と渓谷の状況であった。馴染みの支流に分け入ると、水流は多く、流れも急だったが、濁りは少なく、岸辺なら歩けそうに見えた。――行くか・・・?とカワトモに声をかけると――行きますっ!!と威勢の良い返事が返ってきた。私どもの森へ通ってきたわずか2年の間に体格も立派になり、逞しさを加えてきた彼だが、学校へ行けばまだ中学三年生であり、年齢は14歳の少年である。不登校という冠称をコンプレ...青嵐の谿/極上のヤマメ料理を一品【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー8>】
台風と大雨を運んできた雨雲は東へ去り、爽やかな青空が広がっています。「糸好き」の仲間たちが集まって、今日は「山繭」から糸を紡ぎ出すワークショップ。明日は草木染め。見学・飛び入り参加(少人数に限ります)も可です。 山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。 ◇2日目(5月29日)「山繭(天蚕)」と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっ...山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ
釣友・渓声君を案内して、耳川の源流部を探訪することとなった。渓声君は、3ヶ月ほど前に骨折し、右足の脛から踵へかけてプレートが入り、ボルト6本で止めてあるという重傷だが、ゆっくりとなら歩けるほどに回復しているという。現代医学の進歩は想像をはるかに超えるレベルである。私は昨年の9月に屋根から落ちて左足の踵を剥離骨折し、一応病院へと行ったが、患部を固定する補助具をつけただけでほぼ自力で治した。長時間歩くと痛みが出ることもある、平地ではやや足を引きずり加減に歩くが、――谷を歩いている時は普通の状態に見えますよ。と同行の仲間が言うほどに回復している。行ってみようではないか。*続きは作業中。秘境の村の五月/骨折老人二人が行く【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー7>】
*本文は作業中。壁・アート・補修【風と森のアート´24-3】
南国の赤/水元博子展会場友愛の森空想ギャラリー宮崎県西都市穂北茶臼原5248(石井記念友愛社敷地内)会期2024年5月10日―6月10日AM10:00-PM3:00宮崎の「新芸術集団フラクタス」に所属し、発表を続けた中堅作家・水元博子。この画家の「赤」を見るとき、南国の生命力に満ちた空と大地、「いのち」の輝きと鼓動を思う。「フラクタル」とは混沌の中にきらめく光の断片という物理用語で宮崎出身の前衛美術家・瑛九の系譜に連なるグループ(現在は休止中)。瑛九が結成した「デモクラート美術協会」は戦後日本の前衛美術運動の先駆的グループで、実力作家を輩出して解散したが、それから半世紀を経て「現代アート」の源流的位置づけとして再評価されている。時は廻り、南の大地に根を張り、描き続けている作家たちには、それぞれの課題や試練...始まりました。【南国の赤/水元博子展】
*本文は作業中。万緑の谿で青葉ヤマメに会う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー6>】
山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。◇1日目(28日)は石井記念友愛社と周辺施設の見学、森の散歩。参加費無料。◇2日目(5月9日)山繭(天蚕)と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。横田が、40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっていた「ズリ出し」と呼ばれる技法を受け継ぎ、伝えてきました。同地の玖珠神楽の神楽歌に天照大神が口に含んだ繭から糸を紡ぎ出す、というシーンがあ...インフォメーション/山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ