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  • 梟谷の夏/秘渓に虹色のヤマメを追う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】

    *本文は作業中。梟谷の夏/秘渓に虹色のヤマメを追う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】

  • 真夏の一日、アートなカボチャ棚を作る【森へ行く道<140>】

    勝手に生えてきたカボチャの蔓が伸び放題に伸びて、花を付け始めた。原生種と地元の人がいう小ぶりで真青な花を咲かせる朝顔や、柚子、山椒などが植えこんである花壇の隅に捨てた野菜屑に混じっていた種が発芽し、成長したものだ。この逞しさを珍重し、棚を作ってやることにした。栴檀の大木を支柱とし、その周囲から竹を立てかけて、アートな仕掛けの棚とするのである。蔓の伸びて行く方角に竹を組み、そちらへと誘導してやる。行く先は、隣家との境の小さな森だ。この森の枝先や木の葉の影などに実が実り、ぶらぶらとぶら下がれば、日向かぼちゃの面目躍如たる風景となるだろう。少年期を過ごした山の村では、庭の隅っこに大掛かりなカボチャ棚を作る農家があり、子どもたちの憧れの風景だった。竹を組み立てて四角く区切った棚の天井からたくさんの青井小さなカボチ...真夏の一日、アートなカボチャ棚を作る【森へ行く道<140>】

  • 詩人のことばが生きている/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ④【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-11>】

    伊藤冬留著「羊の門」を取り出し、見つめる。長い間合わずにいた友人に深山の奥の神楽宿で思いがけず出会った時のような、懐かしさが胸をよぎる。表紙がいい。「羊の門」というタイトルも素敵だ。伊藤冬留という、北国に生まれ育ち、今は南国九州で暮らす詩人の悠揚迫らぬ挙措と、東洋の老哲学者にも似たその歩みと、時に見せる権力の横暴や社会の歪みに対する鋭い批判精神などを包含した題名だ。表紙絵の作者は大黒洋介(福岡県生まれ。2002年洗礼を受ける。2012年永眠)。本書に収められている経歴はこれだけだ。この絵は、大黒氏の自宅であった画家、小幡英資・大黒愛子夫妻のアトリエが、両氏の没後取り壊されることになり、急遽、残された遺作やコレクションを救出した時に、冬留さんの奥さんの伊藤美絵子さんが手に取り、洋介さんの妹御の原あやさんから...詩人のことばが生きている/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ④【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-11>】

  • 詩を読み、エッセイを読む朝/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ③【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-10>】

    【詩のかたち】現代詩とは、私の知る限り総じて比喩的暗示的表現法を用いた作品である。丁寧に読まない限り簡単に理解できない。私のように老いて時間も根気もない者は、どうしても敬遠してしまう。そんな折書店で、1千ページ余もある『吉野弘全詩集増補新版』(青土社)を見つけた。吉野弘は2014年1月、87歳で没した読売文学賞受賞の詩人である。 金槌が釘に言いました釘よーお前の脳天をおれが殴るおれはつらいがこれこそはお前が世間に役立つための聖なる儀式背筋を伸ばせ及び腰になってはいかん腰をくの字に曲げてはいかんひたすら真っ直ぐそれがお前の美しさ 釘が金槌に言いました金槌閣下―閣下が水泳を試みようとされる勇気こそ世間を感動させるでしょう浮いた噂も流れるでしょう粋ですよ金槌頭を揉みほぐし浮気の夢でもお楽しみください浮かぬ顔をな...詩を読み、エッセイを読む朝/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ③【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-10>】

  • 夏の朝、一編のエッセイを読む/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ②【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-9>】

    麦わら帽子をかぶり、自転車に飛び乗って、森の木立の下を走り抜け、「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ展の会場となっている「友愛の森空想ギャラリー」へ行く。森の風は涼しく、爽快である。会場で、パネルに仕立てられた一編のエッセイを読む。静かなひととき。そして詠んだ「ぞうきん」は、活字で読んだときとは異なる感動を得た。古い教会を改装した展示空間の中で、東の窓から差し込む真夏の午前の日差しの中で、かすかな、作者の「ことば」が響いてきたような気がしたのだ。 【ぞうきん】新聞の投書欄に50代女性の次のような一文が載っていた。「先日、図書館で河野進さんの「ぞうきん」という詩を見つけた。《こまった時に思い出され用がすめばすぐ忘れられるぞうきんになりたい台所のすみに小さくなりむくいを知らず朝も...夏の朝、一編のエッセイを読む/「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ②【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-9>】

  • 「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-8>】*画像を入れ替えて再掲。

    「白い花の咲くころ」伊藤冬留<エッセイ>と高見乾司<絵画>のコラボ【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-8>】*画像を入れ替えて再掲。

  • 夏が来た【森へ行く道<139>】

    梅雨が明けた。からりと晴れ渡り、遠い山の峰に真っ白な雲が浮かぶ南国の夏がきた。照りつける日差しは熱いけれど、木陰に入れば涼しく感じる風が吹いている。麦わら帽子をかぶり、短パンをはいて外に出よう。大鎌や鉈鎌、草刈り用の手鎌を研ごう。ついでに斧も研いでおこう。草刈りと、梅雨の間に荒れた道の修復を終えたら、中庭の楠の大樹の下にパネルを敷き詰めて、冬の間に描き溜めた神楽の絵を仕上げよう。刈り取った萱や蓬などの夏草は、焚き火の上に重ねて置くと、火勢を緩和し、蚊遣りの役目を果たす。煙が、楠の大枝と葉の間を漂い流れ、夏空へと立ち昇ってゆく。それを眺めながら、ヤマメ釣りに行く源流域の沢と太古の森の行程に思いを巡らす。南の国の夏は、身体の奥底に眠っていたエネルギーが覚醒するときだ。夏が来た【森へ行く道<139>】

  • 漂泊するアート「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて②[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    五ケ月をかけて、各地を巡ってきた「空想の森アートコレクティブ展」が、第一期の終着地点となる「藝術新社:漂泊」へと帰ってきた。この建物は、津軽(青森県)の古い林檎蔵を移築したもので、2年ほど前から「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」として運営してきたものである。北の国の豪雪に耐える設計による構造美は、南国にはみられない魅力があり、それ自体がアートと呼べるような建造物なのである。ここに、昨年から米子(旧制・廣瀬)凪里さんが参入してきてくれた。凪里さんは、由布院駅アートホールの事務局兼アートディレクターとして赴任してきて、企画や運営の主力として活動していたのだが、3年前に「大阪中之島美術館」のミュージアムショップ部門に抜擢され、関西での活動も目覚ましいものがあったのだが、いくつかの経緯を経て湯布院へ帰ってくること...漂泊するアート「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて②[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    今年(2024年)の3月から始まった「空想の森アートコレクティブ展」が第一会場「友愛の森空想ギャラリー(宮崎県西都市)」、第二会場「欅邸(宮崎県日向市東郷)」、第三会場「小鹿田焼ミュージアム渓声館(大分県日田市)」と廻り、場所・空間・展示作品・展示の手法などを変え、参加作家・作品も加わりながら第一期の終着地点「由布院空想の森美術館&藝術新社:漂泊(大分県由布市湯布院町)」へと辿りつきました。これは文句なしに面白い。主として古民家を修復・再生しながらアートスぺスとして運営している施設が会場となることから、行く先々の環境や風景、建物の空間構造などとどのように出会い、馴染むかということから作品選定が始まり、会場主・スタッフやアーティストとミーティングを重ねながら展示が開始される。その時点で、新たな鑑賞者や表現者...「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 風の野を越えてゆく【空想の森から<180>】

    本日、高千穂・阿蘇・日田を経由して由布院空想の森美術館へ。日田では「小鹿田焼ミュージアム渓声館ギャラリー」での展示替え。昨夜から生暖かい風が吹いて、今朝は雨。強い雨風の中を出発。 風の野を越えてゆく【空想の森から<180>】

  • 伊藤冬留のエッセイと高見乾司の絵画による白い花の咲くころ①【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-7>】

    表記の企画展が始まります。まずは展示途中の様子を公開。この企画はこの「森の空想ブログ」に連載した、詩人・伊藤冬留氏のエッセイと高見乾司の絵画のコラボレーションシリーズから抜粋し、「展示」としたものです。画面で文字と絵だけで観賞した時から、一歩進んで、「観る」に加えて「読む」という行為が生まれました。大げさに構えるつもりはありませんが、インターネットで手軽に情報を入手できる現代において、実際の作品の前に立ち、「観る」「読み取る」「思索する」などという行為が縮小してきているのではないか、それは五感で感じとる能力のを孕んでいるのではないか。この展示がそのような現代の「観賞」を考える機会になればありがたいと思っています。(企画者・高見乾司)伊藤冬留氏の「白い花の咲くころ」を転載しておきましょう。☆[白い花の咲くこ...伊藤冬留のエッセイと高見乾司の絵画による白い花の咲くころ①【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-7>】

  • 草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ≪ご案内≫[空想の森の草木染め<108>]

    夏の草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ日程:7月15日(月曜・祭日)時間:10時~15時まで場所:森の空想ミュージアム/西都市穂北5248-13☆参加費3000円☆お申込み・お問い合わせは担当高見tel090-5319-4167メールtakamik@tea.ocn,ne.jpへお願いします。☆別途染色素材のシルクストール代1500円~4000円(お好みのストールをお選びください。)☆今回は絹糸とウールの糸も染めます。染めた糸で冬から秋へ向けてウールのマフラーや着尺を織ります(別途申し込みが必要)。☆前日(14日)から糸染めや黄色+藍の重ね染めへの参加を希望する方は別途お申込み下さい。(2日間で参加費5000円となります)。*宿泊のご案内も致します。☆ストール購入+ハンカチや薄手のシャツ...草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ≪ご案内≫[空想の森の草木染め<108>]

  • 「仮面」はうそをつかない/門外不出の神面を拝観②―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて―【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-11】

    *前回の続き。本文は作業中。「仮面」はうそをつかない/門外不出の神面を拝観②―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて―【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-11】

  • 門外不出の神面を拝観した【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-10】

    「尾八重神楽」は、米良山系・旧東米良の山中に伝承されてきた。米良山系は古くは秘境・米良の荘と呼ばれ、外界と孤絶した村々を抱く深い山脈であった。南北朝時代末期、北朝と足利幕府連合軍との決戦に敗れた南朝の遺臣とそれを支持した肥後・菊池氏の一族は、米良の山中に逃れた。米良の山人は「神」として王家の一族を迎え、菊池氏は米良氏と名を変え、この地を治め、善政を布いた。下って明治維新後の廃藩置県により人吉県となり、明治22年の町村合併により東米良村・西米良村に分割され、さらに東米良村は昭和36年に西都市に吸収合併され、西米良村は自立の道を選ぶという激動の歴史を経て現在に至っているのである。米良山系の神楽は、南朝の遺臣と菊池氏の一族によって流入し、伝えられたという。村所、小川、銀鏡、尾八重、中之又という地域ごとに伝わり、...門外不出の神面を拝観した【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-10】

  • 45年ぶりのブラックコーヒー/由布院「亀の井別荘・喫茶天井桟敷」にて【空想の森から<179>】

    最近、耳の中で音楽が鳴り響く状態が続いている。そのきっかけとなったのは、ヤマメを追って渓谷を遡行している時だった。三筋に分かれた谷の出会いの地点が小さな滝になっており、その滝の水音が青葉に覆われた渓流に響いて爽やかな音楽を奏でているのだったが、それに混じって、聞こえてくるメロディーがあった。最初は、神楽笛の旋律のように思えたが、それに水の音や谷を渡ってゆくホトドキスの声などが交響し、西洋の音楽や青年期に親しんだ日本のフォークソングや流行歌などが混じった。いつの間にか、私は旅の歌・坊がつる讃歌や知床旅情、アンデスの民謡・コンドルが飛んで行く、ハンガリージプシーのダンス音楽・チェーラダーシュなどを脈絡もなく口ずさみ、それが日常生活の中にまで延長されてきているのだった。そしてその現象に、先日、45年ぶりに訪れた...45年ぶりのブラックコーヒー/由布院「亀の井別荘・喫茶天井桟敷」にて【空想の森から<179>】

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