*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
今日から二泊三日の予定で、釣友・渓声君が来る。不登校中二のカワトモ君もスケジュールの調整ができれば、合流するかもしれない。今季最後の釣行である。だが、私は釣らない。屋根から落ちて骨折しており、今度衝撃が加わったら、かかとの骨はバラバラに砕け散ります、と担当のT先生から念を押されているのだ。ヤマメは10月から禁漁期に入る。産卵期の魚体を保護するためである。ゆえに、9月最後の週は、名残の釣りとなる。釣り師たちは、渓谷に別れを告げにやってきて、それぞれの釣果やヤマメとの出会いを回想しながら、粛々と釣るのだ。私はその間、温泉に浸かり、身体と足とに休みを与え、木陰で本を読んで過ごす。秋の川辺の写真も撮り、里から山へと掛かる吊り橋の付近や、山の神の祠、山麓の集落などをスケッチする。なじみのポイントでは、じっと水の流れ...本日、米良の谿へ/今季最後のヤマメ釣り
古風と新風ー搬入・展示・そして開幕/現代アートの現場から③【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<8>】
古風と新風ー搬入・展示・そして開幕/現代アートの現場から③【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<8>】
帰って来た場所―神々のいますところ/現代アートの現場から②【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<7>】
一日目の展示、二日目の内覧会、三日目から五日目までのフェアと都合5日間の「AFAFアートフェア・アジア・フクオカ」への出展を終えて、由布院空想の森美術館まで帰ってきた。メインテーマとする展示品は買い手がつかずに残ったので、すぐに「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」に展示した。他の作品や仮面神たちの処に戻って来たのだ。なんとなくほっとした空気が流れ、――帰って来たよー。と作品たちが留守番をしてくれていた仲間たちに声をかけているような、和やかな場となった。神々のいますところ。それがここなら、売れずに残ってくれたことが「納得」の帰着点といえよう。そんなことを言うから、私は周りの皆から「マネジメント能力ゼロの男」と叱られるのであるが、いいのだ。作品の中に立ち現れた仮面の神々たちが居心地の良い場所に収まって、安堵の吐...帰って来た場所―神々のいますところ/現代アートの現場から②【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<7>】
会期終了報告/現代美術の現場から【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<6>】
昨夜(25日午後8時頃)、AFAFアートフェア・アジア・フクオカの出展を終え、由布院空想の森美術館に帰ってきました。会場では、自分のノートパソコンが使えなかった(スマホも持っていない)ので、仲間や友人たちのフェィスブック記事をシェアさせていただきました。今日(26日)、会場から持ち帰った作品を中心に空想の森の展示替えをして、電車で由布院から宮崎へ帰ります。出展期間に多くのことを考えました。これからゆっくりと整理して少しずつアップしてゆきます。ご来場くださった皆さん、展示・会場での対応などを手伝ってくださった仲間たちに感謝、感謝です。骨折した左足の痛みも軽減し、最終日には松葉杖をついて会場巡りをしました。会期終了報告/現代美術の現場から【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<6>】
準備完了。本日、出発して会場での展示。【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<5>】
出発準備をしていたら、思いがけず、オブジェが一点、完成した。会場中央に展示できるだろう。ちょっとピントが甘いが、雰囲気はつかめる。仮面はボロボロで風化した木地のままになっていたものを修復した。画面にあるのは「水の王」反対側に「火の王」を置く。ドローイングは「雪舞」シリーズ。今回の出品は、深山の雪の中で舞い続けられた神楽を主テーマとしている。火と水を司り、祭りの先導をし、山・森・村を守護する仮面神は、展示の主座に無位置するだろう。これは「神楽画帖」のシリーズ神楽宿に座り、観客とともに過ごしながら描いた。現場の空気感はとらえられているはずだ。*続きは作業中。準備完了。本日、出発して会場での展示。【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<5>】
「雪舞」【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<4>】由布院到着、出展作の整備と積み込み
雪舞南国九州の山の村も数年に一度大雪に見舞われ吹雪に閉ざされてしまうことがある山も森も神楽の舞台も白一色に荘厳される時――なに、昔の神楽はこんなものであったよ。と、古老がつぶやき淡々と舞い続ける舞人たち・・・中世の絵巻の世界が現出するのはそんな時だ。☆昨日、宮崎から由布院へ。一部高速道を走ったので、山越えより1時間短縮の4時間で到着。運転してくださった黒木彰子さん、ありがとうございました。黒木さんは友愛の森に通い、今は長崎大学の学生として勉学に励んでいるアンジン君のお母さん。染色工房を主宰し、友愛の森アートスタッフとしても参加してくださっている縁で、今回、力を貸して下さった。たくさんの人の応援を受けて、アートフェアへの参加がますます楽しみになってきた。本日(19日)は一日、由布院空想の森美術館にいて、出展...「雪舞」【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<4>】由布院到着、出展作の整備と積み込み
「神楽笛が聞こえる」【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<3>】本日、出展作を積み込み、由布院へ、出発します。
・「神楽笛が聞こえる」130㌢×180㌢金地に墨彩+民俗仮面【神楽笛が聞こえる】寒風に粉雪が混じる峠を越えてゆくと遠くから神楽笛が聞こえてくる。黒々とした山脈に抱かれて素朴だけれど古風で清雅な民俗を保つ人びとが、山神に捧げる神楽を奏しているのだ。国土創生の英雄たちと土地の先住の神々が出会い、相克し、協調してゆく物語。それが神楽だ。悠久の時間が流れ、風に乗って神楽笛が山塊へと響いてゆく。「神楽笛が聞こえる」【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<3>】本日、出展作を積み込み、由布院へ、出発します。
出発前日【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<2>】
出発前日の展示。旧・教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」にて。これが「AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023」の出展作の大作群。70㌢×メートルの「雪舞」と神楽画帖等の小品は現場で公開します。会場前景。手前の大作群は引き続きこのギャラリーでの公開となります。松葉杖を頼りに出かけます。【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023】の概要を再掲しておきましょう。出発前日【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<2>】
いざ、出陣 【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<1>】出発前、準備中です
*本文は作業中。いざ、出陣【AFAアートフェア・アジア・フクオカ2023<1>】出発前、準備中です
はるかな縄文の記憶を秘めて山と森の神々が降臨する/高千穂・秋元「ギャラリー蔵森」にて⑦【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<33>】
掲出は右が高千穂神楽「山森」、左が諸塚神楽「鬼神」。背景は金地のパネル。全体の大きさは70㌢×180㌢。「山森」とは、山の神が鹿狩りをしてその鹿の皮で太鼓を作るという神楽根本の伝承である。演技の途中で唱えられる「唱教」にそれが記されている。この「山森」の唱教は近接する日之影町・大人神楽の最初に唱えられる神楽幕開けの曲である。椎葉神楽の「しょうごん殿」も山の神の鹿狩りの神楽を表すという伝承がある。諸塚神楽の「鬼神」は神楽の最初に降臨する地主神である。「猿田彦」という伝承もある。土地神が渡来の神々を迎える儀礼である。「山森」「山守」という神楽の演目や地名には日本列島基層の信仰が秘められている。東北岩木山の山麓には「山森」「森」「山守」などと表記それる地名が点在しており、いずれも山の神が祀られている。そしてそこ...はるかな縄文の記憶を秘めて山と森の神々が降臨する/高千穂・秋元「ギャラリー蔵森」にて⑦【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<33>】
住吉三神と海神の舞/高千穂・秋元「ギャラリー蔵森」にて⑥【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<32>】
夜明けが近い時間帯の神楽宿。村人も遠来の客も、焼酎に良い、御神屋の周りで寝転がったり、眠り込んだりしている。その静けさに支配された御神屋に、朗々と神楽歌が響き、四人の舞人が舞い始める。山は雪雪は氷となり果てて解くる方より立つは白波住吉の岸打つ波の重ければ松は根ごとにあらわれの松住吉の松に小鳥が巣をかけていかに小鳥が住吉の松こんにちの氏の御祈祷さお鹿の黄金の箱に収めまします御幣立つ諸葉の山を吾れ行けば太子もそこに御幣とどまる定番の神楽歌とに加えて「海神」の水徳を讃える寿歌(ほぎうた)が混じる。高千穂神楽には、命付け(みことづけ)といって、仮面神に限らず奉仕者(ほしゃどん=舞人)にそれぞれ神名がある。神楽の場に立つ奉仕者には、神が降臨し、舞人は神に変異して神の舞を舞う。「住吉」のみことづけは大綿津見命<オオワ...住吉三神と海神の舞/高千穂・秋元「ギャラリー蔵森」にて⑥【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<32>】
海神の水徳を称え水源の安定を祈願する/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて⑤【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<31>】
*本文は作業中。海神の水徳を称え水源の安定を祈願する/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて⑤【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<31>】
太鼓の上で逆立ちをする神/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて④【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<30>】
閑話休題。落下事故から一週間が過ぎた。今日、ギブスが装着される。これでつま先立ちぐらいはできるようになるという。一本足の生活もそれなりに慣れてきた。もとに戻って、高千穂・秋元集落/民家ギャラリー「蔵森」での「神楽を伝える村へ」のご案内を続けることにしよう。・高千穂神楽「八鉢<やつばち>」/和紙に墨・インク・染料など。33㌢×70㌢ その神は、芋茎で出来た船に乗ってやってきたという。蛾の皮またはミソサザイの羽で出来たお洒落な服を着たこの神は、生まれた時、父神の神産霊神の指の間からこぼれ落ちたほど、小さな神であったという。その可愛らしい神・少彦名命は、海の彼方から出雲の国にやって来て大国主命と出会った時、大国主命が掌の上で玩ぶと、跳んでその頬を噛んだという悪戯者である。その後、大国主命と力を合わせ、国作りをす...太鼓の上で逆立ちをする神/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて④【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<30>】
杖の呪力/年寄りが屋根から落ちて骨折した④【森へ行く道<121>】
良寛の詩/現代語訳思えば無能の生涯であったことさこの国上山上に身を置いて無為にすごした日々のことを聞かれたらあの山田にひとり立つ案山子の仲間と笑って答えておこうよ・訳詩と書画/筆者遊行僧・良寛は、家を出て20年にわたる諸国遍歴の後、故郷越後に帰った。だが生家には戻らず、国上山という山岳寺院の庵居に身を置き、そこから里へ出て、乞食した。山にいる日は、試を作り書を書き、訪ねてくる友人・仲間たちと交友した。東洋の仙境に遊ぶような日々を送る禅僧の境涯は、過酷ともいえる修行の旅と学問に裏付けられているのであった。その安息の日を送る良寛に対する里人には、このように、私はあの山の田のかかしみたいなものだよ、と笑って答えるのであった。☆私は、目下、一本足で歩行する日々を余儀なくされている。かかとの粉砕骨折は、全治2ヶ月。...杖の呪力/年寄りが屋根から落ちて骨折した④【森へ行く道<121>】
空想の森の散歩者/年寄りが屋根から落ちて骨折した③【森へ行く道<120>】
*本文は作業中。空想の森の散歩者/年寄りが屋根から落ちて骨折した③【森へ行く道<120>】
鳥にはなれない/年寄りが屋根から落ちて骨折した②【森へ行く道<119>】
昨日(9月6日、落下から3日目)、MRI検査を終えて帰って来た。診断は「かかとの粉砕骨折」。わかりやすくいうと、ガラスのコップを落として底から胴部に至るまで無数の割れ目やひびやが入っている状態。割れ目の間から出血している。これが内出血。骨と骨をつないでいる関節に損傷があれば、即手術という選択だったが、ぎりぎりのところで踏みとどまっているという状態なので、このまま固定して、骨が固まるのを待つ、という治療法となった。本来は一ヶ月程度の入院治療が必要だが、三週間後に迫った「アートフェア・アジア・フクオカ2023」の出店準備をしたいので、無理に頼み込んで自宅療養を許可してもらった。担当医が外科の名医で、私どもの友愛の森の活動に参加してくれたこともある方だったので、理解して下さったのだ。「この次に衝撃を加えたら、ガ...鳥にはなれない/年寄りが屋根から落ちて骨折した②【森へ行く道<119>】
屋根から落ちた。昨日の午後4時頃。家根に上がり、雨漏りの箇所を修理して、降り始めた時、脚立が滑って(はしごを外された状態)垂直に落下。かなりの衝撃。左足が全く使えない。骨にひびくらいは入っているだろう。近くの病院は日曜で休診日だったので、一晩、痛みをこらえて寝た。腫れがひどく、内出血もある。これから病院に行きます。経過は後ほど報告。年寄りが屋根から落ちたという笑話の仲間になりました。昨日の午後4時頃。家根に上がり、雨漏りの箇所を修理して、降り始めた時、脚立が滑って(はしごを外された状態)垂直に落下。左足が全く使えない。骨にひびくらいは入っているだろう。近くの病院は日曜で休診日だったので、一晩、痛みをこらえて寝た。腫れがひどく、内出血もある。これから病院に行きます。経過は後ほど報告。年寄りが屋根から落ちたと...屋根から落ちた。
静かな村の一日/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて③【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<29>】
秋元にたどり着くと、人はだれでも――ここは、今はすでに失われてしまったという、東洋の仙郷にちがいない・・・と思う。高千穂から秋元に至る山道は、アジアの山岳の村を旅するような険しい崖沿いの道が続き、その道が深い木立の中を通り過ぎた地点で、ぽっかりと明るい空が開け、眼前に一基の水車と静かなたたずまいをみせる村が忽然と現れるからだ。二つの谷に沿って四十六戸の古風な家が点在する。それぞれの家には、「いろは」順に屋号がつけられている。この村に住む人の大半が「飯干(いいぼし)」という同じ姓を名乗るため、家ごとの呼び名が決められているのだ。家々を巡る細い道を歩くと、懐かしい笑顔に出会う。すれ違う人が皆、にっこりと笑って挨拶してくれるのだ。村人は、その日のお天気具合や出会ったタイミング次第では、――寄っていきなさい、お茶...静かな村の一日/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて③【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<29>】
神秘の村へ/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて②【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<28>】
【神秘の村へ】古代――まだ「国家」というものが神々の手にあったころ――の物語を語り継ぐ、神話の里・高千穂。その高千穂の里から西へと向かい、深い峡谷に沿って遡る道がある。道の両岸は切り立つ崖であり、その崖は、背後の大きな山脈に連なっている。断崖のはるか下方にも、また崖上にひろがるわずかな台地にも、棚田に囲まれた集落が見える。高千穂盆地の東方に聳える祖母嶽の山頂から昇った朝日が、これらの風景を照らしながら、ゆっくりと天頂を巡って、やがて西方の諸塚山の山脈に沈む。この山塊のどこかに、青い石を秘める谷があるという。けれどもその場所は、近づけば遠ざかり、また近づけばさらに遠ざかるという。碧玉(へきぎょく)――古代の王の首を飾ったとも、神を招く呪術に使われたともいう青い石――その石は、太陽の光を受けて地中から光を放つ...神秘の村へ/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて②【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<28>】
神々の降臨する村で/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<27>】
本日、始まりました。高千穂盆地の西方、諸塚山の山麓に位置する秋元集落は、神の降臨する村と呼ばれ、美しい日本の原風景を残す。「秋元神楽」を伝えるこの村の牛小屋を改装した野趣あふれるギャラリーと農家民泊に高千穂神楽に限定した作品を展示し、神楽の季節の始まりを告げる企画とする。高千穂に通い続けて30年一緒に神楽の絵を描きながら育った少年がいる。彼らとの再会が楽しみ。神々の降臨する村で/高千穂秋元「ギャラリー蔵森」にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展<27>】
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*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
静かな画家である。寡黙というのではない。語り始めると、一晩中でも話題が尽きることはない。それは、いまから40年も前に、第一期の由布院空想の森美術館に彼が200枚とか400枚というデッサンを持ち込み、二人で語り合った体験があるから、私にはわかっている。けれども、誰かと話す時でも彼はメモ帳か小さなスケッチブックを持ち、絶えずペンを走らせ続けているから、初めて対面した人などは、この人は気難しい人に違いない、とか、沈黙の画家である、“描きまくり三世”、などと形容するのである。上掲は画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)の一ページ目の写真。これをみれば、画家・田代国浩は孤独な人ではなく、街へ出たり、子供たちと一緒に描いたり、アトリエを開放した絵画教室で仲間たちと描く日常があったり...手練の技【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-30>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑥
田代国浩展の展示作品には題名が付いていない。それについては、作者の明確な意図がある。画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)から転載しよう。☆普段作品にタイトルはつけない。名付けると「遠くへ行く」ような気がするから。どうしても付ける必要がある場合は曖昧にしておく。作品1とかUntirledAとかIntrospection2020とか。ただ、名付けることで「近くへ来る」こともあるのかなとも思うようになった。これらはその試み。その数点を抽出してみよう。☆作品とタイトルが一致して、「詩」が生まれている。作品とタイトルを切り離してみると、一行詩のようである。別の作品と組み合わせることもできる。・その赤がこの絵を台無しにしている・銅の元は声、銀の元はささやき、金の元は無音・姉は空に...題名のない絵とは【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-29>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑤
田代国浩展の展示を終え、久住・阿蘇・高千穂の草原を走り抜けて帰って来た。緑一色の草っぱらが風になびき、時折、霧が湧いた。霧は、峠を越える時には雨となった。無色の風景のただ中に、無数の線が走り、色と色、色と線とが交錯して奏でる音楽が交響した。田代国浩作品の残像が、広大な自然の中で躍動しているのであった。本人の「ことば」を画集の中から転載しておこう。☆テーマを決めてから描き始めることはまずない。エスエスキースをつくることもまれである。たいていはそういったことなしにキャンバスに向かう。もちろん私の脳が指令を出しているわけだから、何かしら考えてはいるのだろう。だが画面構成等、ああしようこうしようと思わないことの方が多い。置いてみたい絵の具を筆につけた瞬間に始まり、手の勝手な動きに身を任せて描いているうちに、絵は「...線が走り色彩が歌う【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-28>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展④
【“描きまくり三世”の熱量】田代君がそれらの偉大な先人たちの作風や人生観に影響されたり、追いかけたりしているわけではない。それは彼の一貫した作風と地域の子ども達や仲間と楽しく遊び、描く生活を続けてきたことでもわかる。彼は、人と会う時でもいつも手帳とペンを持ち、何かを描き続けているという。それが“描きまくり三世”という呼称を冠せられる由縁であろう。では描きまくり一世と二世は誰とだれであるか、という問いは棚上げするとして、今春、開催された福岡アジア美術館での個展では、なんと、大作・デッサン・オブジェや書など、1万点あまりの作品が展示されていた。ここにも“描きまくり三世”の面目躍如たる世界が開陳され、その膨大な作品群からは、「筑豊」の熱い地下水脈に熱せられた強烈なエネルギーが奔っていたのである。由布院空想の森美...熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展③【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-27>】:始まりました。
田代国浩展/展示進行中です。その様子は追ってお知らせします。描きまくり三世の仕事/<明日から>田代国浩展②【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-26>】
本日、由布院へ、出発。梅雨晴れの山野を駆けて行こう。今日(19日・夕方着)、明日(20日)、明後日(21日・午後4時頃まで)空想の森美術館にいます。明日まで武石憲太郎さんの展示があり、夕方・田代国浩氏の作品が届いて展示替えをします。お近くの方、お立ち寄りください。本日、由布院へ/由布院空想の森美術館の二日間【空想の森から<203>】
草木染めいろいろ。コロナ過以前、全力でやっていたころの仕事です。「草木染め」は、植物のことを知り、自然界から「色」をいただくこと。ここからアートへの展開、室内装飾への応用など、まだまだ多様な可能性があるのだが、ちょっと勢いを無くしている感があります。当方の老化と怪我続きなどの要因、各地で同様の趣旨のワークショップが増えてきたことなどがありますが、本格的な染色アーティストや職人が育つところまではきていない。もうひと踏ん張りしなくては。要望があれば各地へ出かけてのワークショップも可能です。お問い合わせ下さい。草木染めいろいろ【空想の森の草木染め<110>】
万緑の由布院。朝、珈琲を淹れていると、峨眉鳥が歌い、ウグイスの声も聞こえてきます。カッコウが鳴き、由布岳の山頂付近をミヤマキリシマが淡紅色に染めているのが見えます。朝食の残りを木立の下に捨てに行くと、正面の森の高い六本杉のてっぺんで見張っていたカラスがやってきます。巣作りから子育てへの彼らの繁忙期が始まっているのです。武石憲太郎さんの由布院空想の森美術館での個展も20日までとなり、その後は宮崎の「友愛の森ギャラリー響界」へと巡回します。自作が行方不明になるという不運なアクシデントに遭い、落ち込んでいた憲太郎さんに笑顔が戻りました。懐かしい由布院で、古い仲間たちと会い、錯綜していた紛失作品についての情報も少しずつ整理されてきて、元気を回復しつつあるのです。次は、宮崎へ来ていただきましょう。まだ、現役作家とし...湯布院での展示は20日まで/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:18>]
由布院空想の森美術館6月22日~7月30日(金曜・土用・日曜開館)大分県由布市湯布院町川北1358*ご予約いただけば随時開館できます。 友愛の森ギャラリー響界8月22日~9月20日宮崎県西都市穂北5248 小鹿田焼ミュージアム溪聲館9月1日~11月10日大分県日田市源栄町4830-3「筑豊」を拠点に旺盛な創作活動を続ける画家・田代国浩氏の個展が40年余りの交流を続けてきた三施設で実現しました。“描きまくり三世”の異名を持つ田代氏は、地域の仲間や子供たちと、自由で楽しい絵画制作の場を共有してきました。筑豊は、修験道の霊峰として栄えた英彦山を控え、古代の銅と鉄を有した文化の道が交差し、近代では炭鉱で栄えました。その文化風土から、多くの作家が輩出したのです。いつも手にノートとペンを持ち、人と会う時でも描き続けて...<予告>田代国浩展/描きまくり三世の仕事[空想の森アートコレクティブ企画]
由布院から「クララ」を採集して帰ります。由布院・九重・阿蘇などの草原に自生する植物です。2018年に再開した「由布院空想の森美術館」の敷地に自生していたものが増え続けています。それを少しだけ頂き、さらに久住・阿蘇の草原で採集して宮崎へ。森の空想ミュージアムの前の広場にも群生があります。これらを森の空想ミュージアムの中庭のかまどで焚き火をして、染めます。クララは草原の植物で、その根を噛むとくらくらとめまいがするというほど苦いことから、その名が付いたといいます。高原地帯の日当たりの良い草原などに自生します。高さ50-150cm。草原の中では丈高く、目立つ草です。全草有毒であり、根の部分が特に毒性が強いが、疥癬の治療薬、解毒・殺虫などの薬効もあります。ルピナンアルカロイドのマトリンが薬効の元といいますが、...夏色の風/夏の草原に自生する「クララ」で黄色と鶯色を染めるワークショップ【空想の森の草木染め】
[甲斐の国のヤマメに会ったこと]*2015年の記事をそのまま再掲。 甲府市武田神社に奉納された「山梨岡神社代々神楽」が終わった後、甲斐の国のヤマメに会いに行った。甲府盆地には、扇の要に向かうように三つの大きな川が流れ下っている。甲斐駒ケ岳の西側を廻って、盆地の西北端を流れる釜無川。昇仙峡と呼ばれる奇岩累々たる峡谷から流れ出て、甲府市の西郊を貫く荒川(東京都内を流れる荒川とは別)、大菩薩嶺を源流とし、盆地の東側を流れる笛吹川。この三本の川が合流し、富士川となって駿河湾へと注ぐのである。笛吹川には、渓流釣りをこよなく愛した文士・井伏鱒二が訪れている。俳人・飯田龍太の故郷でもあり、龍太は終生、笛吹川の流域を句作と釣りの拠点とした。甲斐の国を訪ねるならば、この笛吹川の畔に立ち、ヤマメまたはイワナの魚影を追ってみ...眼で釣る【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー13>】
「仙人の釣り」に関して私は12年前(2013)に一度書いている。まだそのころは60歳代で、仙人を云々するような年齢ではなく、いまよりも元気だったのだが、心意・釣りの心がけとしてはおよそこのようなものであったという事を確認するために、再掲しておこう。 [仙人の釣り方〕(2013年の記事を加筆・再編集)私は、他人に釣りを教えるほど上手な釣り師ではないと思う。しかしながら、教え方は上手なほうかもしれないと思う。私よりも釣果を上げる釣り手が、仲間のうちだけでも二人いる。だから、自分は名人づらをしないほうがいいとも思っているのだが、私が教えると、小学三年の女の子でもヤマメを釣り上げることがあるし、高齢のご夫婦が、ずぶの素人から3年ほどで立派な釣り手になった。リョウ(鈴木遼太朗君)は、小学五年から仕込んだから、高校生...仙人の釣り方【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー12>】
耳川の源流部に入る。通常、入渓地点を明らかにすることはないが、耳川は九州最大級の大河で、支流は数え切れぬほどあり、その支流のまた枝川が分かれて深い山脈の源流部へとつづいているから、単に耳川と言っただけでは、よほど馴れた人でもどの谷かはわからないだろう。上掲がその支流のまた支流の一つだが、3日前の雨で増水しており、入渓は困難。さらに上流を目指す。古い橋がある。コンクリートの経年変化をみれば、すでに100年近い年月が経過していることがわかる。ここから先は、路肩崩壊地点で通行不能。岸辺に車を停めて、途中で買ってきた弁当を食べる。地元の食材を使ったシンプルで美味しい杣人弁当である。同行の超名人・渓声君は、谷へと降りてゆく。私は今日は釣らない。水辺にも立たない。リウマチ性の神経痛が治るまで、無理は禁物である。普段、...仙人の釣りとは【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー11>】
釣行二日目。だが、私は、釣らない。前日、少しだけ沢を歩き、まだ回復が十分でないこと、時間をかければ治ることなどの見極めがついたから、今回は自重したのである。渓声君は、身支度を整え、渓谷へと下っていった。木立の向こうに清々と流れる渓流が見える。絶好の釣り日和である。釣果を期待しておこう。沢沿いの道を歩くと、朽ちた巨樹の根方に横倒しになった空洞の巨木があり、その周りにミツバチが群れ飛んでいた。標高500メートル以上の森にだけ棲むという日本蜜蜂である。里で見かけるミツバチよりやや小ぶりである。古い巣箱が倒れて放置されたままになっているが、ここで育った蜂たちが、その古巣を忘れずに周囲の朽木か岩場を棲み処にしているのだろう。崖の上段は深い森である。その崖を形成する岩の割れれ目から流れ落ちる水を汲み取り、車を停めてあ...山中のスピリチュアル空間で過ごすひととき【九州脊梁山地・薬草仙人の森へ<4>】
*本文は作業中。青葉ヤマメのアヒージョと洒落てみた【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー10>】
薬草仙人の山旅/二泊三日の山旅から帰って来ました。詳細は明日報告。【「薬草仙人」の森へ<3>】
神道哲学者・鎌田東二さんがお亡くなりになりました。享年74歳。初期の著作「神界のフィールドワーク」や「翁童論」は時代の扉を開く独創的な仕事として知られています。「国学」から「近代霊学」への橋渡しをしたほぼ唯一の人、すなわち現世(うつつよ)と神界の境界にいて、両界を繋ぐ人だったと言えるでしょう。私は「猿田彦大神フォーラム」でご縁をいただき、第一期の「由布院空想の森美術館」が閉館の危機に直面した時には、「空想の森を湯布院に残そう」という呼びかけをしていただき、たちまち1000人の支援者が集まる、現代のクラウドファンディングの先触れのような企画をしてくださいました。その後同館は閉館になり、2018年に再開。2022年に阿蘇にお出でになった時に私は駆け付けて、当時のお礼や神楽の里に通い続けている日常などを報告し、...訃報/現世と神界を結ぶ人・鎌田東二さんさようなら【空想の森から<202>】
今朝は、選択しておいた毛布とシーツを、森の木から軒下へかけ渡していた物干しのロープに、――よいしょ、と投げ上げて、乾した。良い天気である。午後、脚立に上って、熟れ始めた枇杷の実を採ろう。1ヶ月ほどいていた肩・胸(大胸筋)・二の腕・太腿の付け根、膝の周りなどの痛みが軽減している。よちよちと爺様歩きになっていた足も復旧。回復期に入ったのだ。「リウマチ性多発筋痛症」という神経痛の発症を確認し、薬草と治療薬、テルミー(温灸の進化系)などの処置が適切だったということだろう。――これならば、釣りに行けるかもしれない。と、いつもの楽天的観測が生じ始めている。だが、油断してはいけない。慎重に、時間をかけて身体に休養を与え、治して行くことをこれからの課題としよう。☆毎日飲んでいる「野草茶」は、次の8種の薬草をブレンドしたも...痛み軽減、快方へ向かった朝/イタドリ(虎杖)は「痛み取り」②【「薬草仙人」の森へ<2>】
*本文は作業中。イタドリは「痛み取り」【仙人の森へ<1>】
6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】
宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】
宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】
昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】
先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】
*本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】
ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて
画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】
梅雨入りの気象情報が出たけれど、降り続いていた雨が止んだ。自転車に乗って出かけよう。白いボディーの婦人用軽快車だ。ところどころ錆が出ているが、これは元の所有者の使用頻度が少なかったことによるもののようだ。毎年、山歩きや神楽取材に来ていた東京の人が、借りていたアパートを引き払ったため、家財道具一式と一緒に当方に寄付して下さった荷の中に、これがあった。自転車に乗るという行為は何十年ぶりかのことになるが、恐る恐るこぎ出してみると、案外、身体はそのコツを記憶していて、ママチャリとあまり的確とは思えない現代の呼称で呼ばれるその自転車は、颯爽と森の中へ走り出した。なかなかスポーティーでお洒落である。スピードも出る。昔の婦人用自転車は、ただ乗りやすいだけの簡略な構造で、デザインなどを考慮のうちに無かったような気がする。...風を切って緑の森を走り抜けること【森へ行く道<138>】
鎌を持って森へ行く。台所の生ごみを捨て、その上に刈草をかぶせ、さらに焚き火で出た灰をばら撒く。それがこの森の土を肥やし、野草や薬草や染料として利用できる植物、実の生る樹木などを育ててゆく。その生ごみに混じっていた切り屑や種子の中から芽を出すものがあり、なかには育って実を付ける野菜もあるのだ。それで、芽吹いた野菜の周りの草を払い、伸びすぎた木は間引きをして日当たりが良い環境を作ってやるのだ。自然農という農法には、私は抵抗感を持つ人間の一人だが、こうして自然界の中で育ってゆく作物を採集し、食べることができれば、縄文的採集農法と名付けてもいいかと思わぬでもない。上掲は4年前の写真だが、そうして育ったカボチャが、森の中へと蔓を伸ばし、大きな実をぶら下げていた。立派な黒皮カボチャであった。その風景は森になじみ、実は...森の菜園【森へ行く道<137>】
ケイタ君が帰って来た。旅の治療師・落合圭太君は、各地を旅しながら、理学療法士としての仕事をしたり、農家や林業家などで働いたりしながら、一年ほど前、当地へも立ち寄ってくれたのである。そして2ヶ月ほどの間に森のマドゥパンの手伝いをしたり、仲間たちの音楽イベントに参加したり、私と一緒にヤマメ釣りに行ったりした。そして実家のある神奈川県に帰り、そこで畑作りなどをして過ごしているという便りが届いていたのだったが、この春、家財道具など一切をまとめて、本格的にこの地へ移住してきたのである。ちょうど、一件、空家が出ていた時期だったから、そこに住み、我々の仲間として過ごすことになったのは好都合だった。他所の土地の人であり、旅人だったケイタ君が来た時、私たちはなんとなく、――帰って来てくれた。という感覚で迎えた。短期間での滞...ケイタ君の畑【森へ行く道<136>】
以下は、68歳の時(今から7年前)の記事。☆去年買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。☆このあと、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、アキレス腱断裂、左足踵の剥離骨折と続けて大怪我をした。つまり、自分の年齢が年...鎌を研ぐ朝
麻てらす3〜タイに響く草の歌〜」上映会のお知らせ日本における麻の第一人者、吉岡敏郎監督がタイから帰国されて直ぐの、最新情報満載の上映会です。2022年、大麻解禁になったタイの人々の変化を半年間、現地に滞在して撮影し続けた吉岡監督、、タイのモン族の暮らしぶりに密着し、飲む・燻すなど薬草の一種として大麻(ヘンプ、マリファナ)を上手く生活に活かす現実を取材し、ドキュメンタリーにまとめた力作です!!=映画解説=昔々、日本人にとってそれは日常の一コマ、そしてなくてはならない大麻でした。戦後私達は生活の一部である麻を奪われてしまいました。麻は、近年になって、その医療効果、有用性や経済性が再認識され、アメリカやヨーロッパの国や州で使用が大幅に緩和されるようになってきました。ただアジアでは、日本を含め、厳格な法律のもと、...「麻てらす-3」古来、神事などに使われてきた「大麻」。現代生活の中に再び生かすことが出来る日がくることを願う人たちの活動です。/当地「コミュニティスペースCsa-Coso森」にて。
五月の山河に大雨を降らせた台風1号と線状降水帯の発生を予報させた雨雲は東へ去り、爽やかに晴れた空が戻った。それでも山や渓谷は嵐の余波を秘め、大川には泥の色に濁り、山道に沿った崖からは大量の雨水が流れ落ち、時折、ざわっ、と森の巨樹がざわめいた。「青嵐」と昔の風流人たちはこのような状況を表現したのだが、まったく、この日はそれに相応しい山と森と渓谷の状況であった。馴染みの支流に分け入ると、水流は多く、流れも急だったが、濁りは少なく、岸辺なら歩けそうに見えた。――行くか・・・?とカワトモに声をかけると――行きますっ!!と威勢の良い返事が返ってきた。私どもの森へ通ってきたわずか2年の間に体格も立派になり、逞しさを加えてきた彼だが、学校へ行けばまだ中学三年生であり、年齢は14歳の少年である。不登校という冠称をコンプレ...青嵐の谿/極上のヤマメ料理を一品【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー8>】
台風と大雨を運んできた雨雲は東へ去り、爽やかな青空が広がっています。「糸好き」の仲間たちが集まって、今日は「山繭」から糸を紡ぎ出すワークショップ。明日は草木染め。見学・飛び入り参加(少人数に限ります)も可です。 山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。 ◇2日目(5月29日)「山繭(天蚕)」と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっ...山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ
釣友・渓声君を案内して、耳川の源流部を探訪することとなった。渓声君は、3ヶ月ほど前に骨折し、右足の脛から踵へかけてプレートが入り、ボルト6本で止めてあるという重傷だが、ゆっくりとなら歩けるほどに回復しているという。現代医学の進歩は想像をはるかに超えるレベルである。私は昨年の9月に屋根から落ちて左足の踵を剥離骨折し、一応病院へと行ったが、患部を固定する補助具をつけただけでほぼ自力で治した。長時間歩くと痛みが出ることもある、平地ではやや足を引きずり加減に歩くが、――谷を歩いている時は普通の状態に見えますよ。と同行の仲間が言うほどに回復している。行ってみようではないか。*続きは作業中。秘境の村の五月/骨折老人二人が行く【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー7>】
*本文は作業中。壁・アート・補修【風と森のアート´24-3】
南国の赤/水元博子展会場友愛の森空想ギャラリー宮崎県西都市穂北茶臼原5248(石井記念友愛社敷地内)会期2024年5月10日―6月10日AM10:00-PM3:00宮崎の「新芸術集団フラクタス」に所属し、発表を続けた中堅作家・水元博子。この画家の「赤」を見るとき、南国の生命力に満ちた空と大地、「いのち」の輝きと鼓動を思う。「フラクタル」とは混沌の中にきらめく光の断片という物理用語で宮崎出身の前衛美術家・瑛九の系譜に連なるグループ(現在は休止中)。瑛九が結成した「デモクラート美術協会」は戦後日本の前衛美術運動の先駆的グループで、実力作家を輩出して解散したが、それから半世紀を経て「現代アート」の源流的位置づけとして再評価されている。時は廻り、南の大地に根を張り、描き続けている作家たちには、それぞれの課題や試練...始まりました。【南国の赤/水元博子展】
*本文は作業中。万緑の谿で青葉ヤマメに会う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー6>】
山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。◇1日目(28日)は石井記念友愛社と周辺施設の見学、森の散歩。参加費無料。◇2日目(5月9日)山繭(天蚕)と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。横田が、40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっていた「ズリ出し」と呼ばれる技法を受け継ぎ、伝えてきました。同地の玖珠神楽の神楽歌に天照大神が口に含んだ繭から糸を紡ぎ出す、というシーンがあ...インフォメーション/山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ