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2015/05/16

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  • 太宰治 情死行 ② 最期の太宰治・玉川上水

    太宰治情死行②最期の太宰治・玉川上水玉川上水前回にも触れたが私が東京近郊を走る玉川上水を歩いたのは、およそ2年前のことだった。玉川上水路散策が目的ではなく、三鷹の禅林寺にある太宰の墓を訪ねるためだった。禅林寺と玉川上水は近く墓参の帰りに、玉川上水に行った経緯があった。閑静な三鷹の住宅地を縫うようにして流れる上水路は、川沿いに木々が生え緑地の散歩道として近隣の住民の散策路でもあった。木陰の道を歩きながら、水かさの少ない浅い流れの水路を眺め、どうしてこんな浅い水路を太宰は死出の旅路の情死行に選んだのか、私は理解できなかった。疑問の解消は、事件当時の新聞記事を読ん時だった。13日の深夜、もしくは未明に太宰と愛人富栄が行方をくらまし、騒ぎが大きくなったのは14日の午後だった(①を参照)。新聞各社が報道したのは、16日だ...太宰治情死行②最期の太宰治・玉川上水

  • 太宰治 情死行 ③ 最期の願い

    太宰治情死行③最期の願い作家として世間的な名声を得た現実とは裏腹に、太宰の私生活はすさんだ生活の連続だった。太宰の人生は女性問題を初めとする乱脈ぶりに驚かされる。年譜から抽出してみる。大正14(1925)年16歳青森中学校在学宮越トキが行儀見習い女中として実家・島津家に住み込む。大正15・昭和元(1926)年17歳芥川龍之介に心酔する一方、女中のトキに恋心を抱き苦しむ。昭和2(1927)年18歳青森中学卒業官立弘前高校入学芥川自殺に衝撃を受ける。青森の花柳界に出入りし、芸妓・紅子と馴染になる。昭和4(1929)年20歳創作活動のかたわら紅子との逢瀬をつづける。カルモチンを多量に嚥下し、第一回自殺未遂事件を起こす。昭和5(1930)年21歳東京帝大仏文科入学共産党のシンパ活動に参加。10月芸妓・紅子(小山初代)出...太宰治情死行③最期の願い

  • 太宰治 情死行 ② 最後の太宰治・玉川上水

    太宰治情死行②最後の太宰治・玉川上水玉川上水前回にも触れたが私が東京近郊を走る玉川上水を歩いたのは、およそ2年前のことだった。玉川上水路散策が目的ではなく、三鷹の禅林寺にある太宰の墓を訪ねるためだった。禅林寺と玉川上水は近く墓参の帰りに、玉川上水に行った経緯があった。閑静な三鷹の住宅地を縫うようにして流れる上水路は、川沿いに木々が生え緑地の散歩道として近隣の住民の散策路でもあった。木陰の道を歩きながら、水かさの少ない浅い流れの水路を眺め、どうしてこんな浅い水路を太宰は死出の旅路の情死行に選んだのか、私は理解できなかった。疑問の解消は、事件当時の新聞記事を読ん時だった。13日の深夜、もしくは未明に太宰と愛人富栄が行方をくらまし、騒ぎが大きくなったのは14日の午後だった(①を参照)。新聞各社が報道したのは、16日だ...太宰治情死行②最後の太宰治・玉川上水

  • 読書案内「南三陸日記」 ⑦ 新しい命

    読書案内「南三陸日記」⑦新しい命前書き2020年10月に東日本大震災の地、福島、女川、南三陸を訪れた。3度目の震災地訪問である。一度目は2011年10月で、被災半年の彼の地は瓦礫の山で、目を覆うばかりの惨状に圧倒され、言葉もなかった。「復興」という言葉さえ口にするには早すぎ、瓦礫で埋め尽くされた町や村は、日の光にさらされ、津波に流された船が民家の屋根や瓦礫の中に置き去りにされたまま、時間が停止し原形をとどめぬほど破壊された風景が広がっていた。津波で流された車の残骸も、うずたかく積み上げられ、広大な敷地を所狭しと占領していた。二度目は2015年、瓦礫の山が整理されたとはいえ、津波に襲われた地域は荒地になったまま先が見えない状態だった。特に福島の放射能汚染地域は、近寄りがたい静寂が辺りを包み田や畑は雑草に侵略され、...読書案内「南三陸日記」⑦新しい命

  • 太宰治 情死行 ① 桜桃忌に寄せて

    太宰治情死行①桜桃忌に寄せて死に急いだ無頼派作家太宰治写真1写真2(写真1)昭和21年秋、東京銀座のバー・ルパンにて(撮影・林忠彦)(写真2)昭和23年4月、三鷹の自宅にて。左より長女園子、太宰、次女里子。太宰の多くの写真が、神経質で太宰の苦悩が表情に現れているような写真で私は好きになれなかった。この二枚は例外的な写真だ。新潮日本文学アルバムに掲載された写真で、私が好きな写真である(見つけるのに苦労した二枚である)。小説家水上勉はエッセイ『苦悩の年鑑』で二枚の写真について次のように書いている。酒房ルパンでの、太宰さんの屈託のない明るいお顔を拝見していると、それから一年半たって、太宰さんにあんな死が訪れようとは、誰も思っていまい。ルパンの写真には、まったく、その後一年半の無茶苦茶な酒びたりの修羅は想像できないので...太宰治情死行①桜桃忌に寄せて

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