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  • ●茶道と日本文化

    急速に廃れつつある日本の伝統文化。何故か日本保守党による特定の城の修復を選挙公約に掲げる昨今!その後に天皇制の見直しが続く・・・城の壁の方が重要とは?スポーツの世界でも日本古来の武道がスポーツとして海外に出張り、何となく「軒下を貸して母屋を取られた」感じがし、ルールまでも変更されスッキリしない気持ちのパリオリンピックだった。茶道においてはどうだろうか。海外でのブームとは行かないが、それなりに茶室が建てられ、お手前の稽古をされお茶会など催されている。この事が日本伝統文化の衰退の歯止めとなっているのだろうか?私はいささか疑問を感じられる。茶道に限らず、着物文化にしても若者や外国人へのへつらいにより、発展してたどり着いたまでの基本となるところを捨て形さえも見る影の無いものになって良いのだろうか?茶は中国から僧侶...●茶道と日本文化

  • ●茶道家は、小説家とも、画家とも作曲家とも違う?

    青山繁晴議員がYouTubeで語っていた「小説家と音楽家のネタ違い」から青山さんが言うには、小説家はマイナー的なところを捉えて小説を書く。音楽家はメジャーな作曲が多い(演歌はそうとも言えないな〜〜〜)と語っていた。私が思うには、絵画の世界は、写真技術が出来た以降は芸術的で哲学的な目でものを観る感であったが、現在に当たっては装飾的、イラストレーション的なメジャーな作品が主となっている。が・・・これらの作家は1人称での世界でしか無いだが、お茶の世界に置き換えると、「真・行・草」によるお点前の違いがあり、掛け軸など道具によりいくらでも変化する世界を作り出すことが出来るし、季節によっても、客層によっても亭主の演出によってその時、その場によって、いくらでも変化するまさに「爾今」の世界観を共有し楽しむ「一期一会」の場...●茶道家は、小説家とも、画家とも作曲家とも違う?

  • ⚫︎合気道をお茶に世界で見たら?

    茶の湯を「心」の部分を禅に中心を置いて、思った事を記したが、今回は茶の湯の点前を日本の武道の「技」から見て、取り入れる事が出来ないかを考えてみる事にしよう。「修業論」光文社新書内田樹より(うちだたつる/哲学者であり合気道7段)●「敵」とは「私に心身のパフォーマンスを低下させる要素」である。敵とは同じルールで戦う「対戦相手」に限定されない。武道家が「敵」という概念を出来るだけ広義かつ網羅的にとらえ、それを効果的に統御する技術を習得しようとするのは当然のことである。「天下に敵無し」とは、敵を「存在しては成らないもの」と捉えないという事である。そういうものは日常的風景として「あって当たり前」なので、特段気にしないという心的態度の事である。茶の道では?敵という言葉は当てはまらないが、茶会日の天候や自分の体調、点前...⚫︎合気道をお茶に世界で見たら?

  • ⚫︎茶道に関わったことで、何か変わった事はありませんか?

    皆さんがどんな理由からお茶の道に入ったのか、人それぞれですでしょうが、今まで生活をしてきた中には、お茶に関係した事は皆無に近い状態だったでしょう。作法やお点前それに茶道の知識、見るもの聞くもの全て初めての事。今に思うにワクワク、ドキドキの連続だった気がします。そんな日を送っていたある日「茶道ってこんなもんか」とストンと心に落ちたのが忘れられません。稽古が終わって車を運転し帰宅途中の時、少し陽が落ち対向車が見えにくい状態になったので、ヘットライトのスイッチをONにしました。今まででしたらライトを点ける事は無かったのですが、自分の車の存在を相手にわかりやすくしようとした働きかけでした。この時から、日中も点灯するようになりました。いまでは日中ライトをつけるのは当たり前のようですが、20年以上前ではありえない行為...⚫︎茶道に関わったことで、何か変わった事はありませんか?

  • ⚫︎お茶室「茶ごころ」開設について

    ご機嫌よろしゅう御座います。長い間、遠州流茶道札幌支部心葉会として活動してきましたが、コロナ騒ぎですっかり運営方法も変化し、新たに考える時期に入っているのではないでしょうか。茶道との付き合い方は、その方の環境などにもよって変わるのではないでしょうか。心葉会会員皆さんの目指している所は、小さな事より、もっと大きく捉えた茶道との関わりを模索中ではないかと捕まえますが・・・茶道の「流派」「お点前」「道具」などに異を捉えるつもりはさらさら無いが、我々の身の丈に合ったところで付き合いたいと心しております。今の日本文化「知的好奇心」への衰退から”どこへゆくのか日本”を思いますと、茶道の「輪」「和」「話」の部分の希薄さを感じられます。この解決策として柔軟性のある場を持つことに行き着き、道具を一括管理することができる茶室...⚫︎お茶室「茶ごころ」開設について

  • ●東野昭彦氏の講演より感じたこと

    子育ての「逆」の視点東野昭彦不登校・ネット依存・引きこもり・DV共同生活をして分かったホントの教育講演を聞き感じた事の羅列●他人との関わる事が大切●親より他人の言葉の方が素直に心に届く●表現する事は活きる事●やってみなけりゃ何も分からんということ●経験力を育てると自然に自分から学びたくなる●思い付きで行動すること●私(個人)より私達(二人称)への捉え方の方がより日本的●13歳からの予告教育責任を取らせる/失敗をさせる・「耕せにっぽんが大切にしている言葉」●カウンセラーとの違いは、子供たちのどこを見ているかといえば、24時間いつも全部を見ているということ、だから信用される●ありがとうの視線ありがとう(感謝すること)/喜ばせる(お役に立つ)ごめんなさい/やってみます●頼まれごとは試されている事●親は何のために...●東野昭彦氏の講演より感じたこと

  • ⚫︎日本文化が無くなる

    新聞社の文化センターの移転により和室がなくなる。これじゃ日本の誇る座して行う動きが無くなってしまう。畳文化は他の国にはない日本の象徴する文化だろう。なんでも簡単に無くしてしまう風潮。戻すには大変な苦労をする。日本人が自から自国の文化を捨てる。それも簡単にだ!また逆に復興させる・・・流行り物とする動きがあるが、とてもじゃ無いが日本文化といえないような品の無さ。馬鹿者が走り出したら止める大人が居なくなった。金になるなら何でもあり!情けない世になってしまったわ!⚫︎日本文化が無くなる

  • ⚫︎筆を置いた理由

    私も絵を描くということについて、今の時代は壁紙、装飾品的判断に重きを置いているようで、絵画に興味が薄れてしまったと思います。自分の力量があればまた違った判断ができたのだろうが、抽象的作品で、絵画における哲学的なものを表現する難しさに挫折したのだと思います。挫折なんて言われる程絵画にのめり込んではいなかったと思いますがね。一例では、東京での絵画展で、印象派と現代アートの抽象絵画展を同時に見たのですが、時代の古さを感じたのは抽象派の作品であり、印象派の時代は古いが作品の力強さに「なんで!どうして!」と、ショックを覚えたのを思い出します。抽象画が表現することへの限界、薄っぺらさを知らされたと感じて、タブローから手を引くことになりました。あくまで私の力不足から出た思い出あって、全く違う考えの方もいるでしょう。もう...⚫︎筆を置いた理由

  • ⚫️古民家再生Youtubeを見て感じたこと。

    最近YouTubuをよく見ているのだが、古民家再生物で感じられるのだが、中国者と我が国のものでは時代に即しているかどうかは分かりずらいが、ハッキリしているのは・・・我が国のDIYは、一口に言って「貧乏くさい」。ベニヤに壁紙を貼って終わり、家の周りにはこれといった造作も無く、何をどうしたいのか意図が分かりずらい。その点中国のDIYは見ていても楽しい。まず中国らしさが生かされている事が言える。外塀を作り門を構え、前庭などに結構な金をかけている。セメントの量はビックリもんだ。なぜだか「かまど」を再生する人が多いのにも驚かされる。日本では古い式たりなど捨ててモダンに生活する事へのこだわりが多いが、中国では茶室というかお茶を飲むところをその人のこだわりで作り上げる人が多いのには感心する。(茶飲み所の商売の方も多い)...⚫️古民家再生Youtubeを見て感じたこと。

  • ⚫️壊れた日本人!

    仏像を盗む輩が出た。「罰当たりめ!」こんな考えを持つ若いもんがいなくなった日本。誰も見てないからいいや・・・とか監視カメラがあっても何にもならん!誰もいなくても「お天道さんが見ているんだぞ〜〜〜」と親から聞かせられて育った我が歳。盗む事は悪い事だと思っていたが、今の門にはその感覚も無くなってきているようだな〜〜〜。日本人!戻ろうや!⚫️壊れた日本人!

  • ⚫️よくわからん世界

    自分のタイトルのバックデザインが出ていない。60日以上投稿がないと、消される仕組みだそうだ。何なんだ〜〜〜。⚫️よくわからん世界

  • ⚫️コロナ家のその後

    息子の症状は平時に戻りつつあり、熱は平熱で、咳も落ち着いて来たみたい。バトミントンがした〜〜〜いと、奥さんのメールに訴えているようだ。2回目の検査でも陽性反応が出ていたが、発症から10間の隔離生活を保健所を通しておこなってきたが、今日から後は、ホテル生活に切り替えるようです。1回目の検査で、ホテルでの療養を希望したが、部屋の空きが無く、予約待ちの状態で今日に至る。このまま自宅で療養しても良いんだが、本人は違う環境で残りの隔離生活を受けたいそうです。狭い同じ部屋では飽きるはな〜〜〜。味覚は治ってはないが、亜鉛がいいそうで、奥さん早速サツドラで購入。部屋の外は救急車のピポ・ピポとうるさい。保健所から迎えの車が3時ごろ来るそうで、息子は只今シャワー浴びております。もうちょっとの辛抱やで〜〜〜。(ワクチン接種の反...⚫️コロナ家のその後

  • ⚫️コロナでの我が家

    いやいや!コロナは想像を超えたところになりましたよ。朝のテレビで政府の見解を流していたが、「熱が高くても咳が出ても、これは完全にコロナだと思っても病院で治療を受けようと来院しないように、自宅でじっとして出歩かず、菌を撒き散らさないように心がけること」と、「60歳以上で疾患がある方、胸が苦しく、高熱が4日以上続いている者に限る」等のことを伝えていました。福祉関係に勤めている息子が7月30日職場で濃厚接触者となり、ホテルに監禁検査を受けるが、陽性反応になり自宅治療に切り替わり自室隔離と次の日からなる。こちとら夫婦は、予定のあったところはキャンセルし、ひたすら静かに退避!奥さんは食事から、トイレの消毒、洗濯とひたすら病人と亭主のお世話。私は熱を測りまくり、自室でYouTubeを見まくり。コロナでヒイヒイの状態の...⚫️コロナでの我が家

  • ●武道と茶道

    茶の湯を「心」の部分を禅に中心を置いて、思った事を記したが、今回は茶の湯の点前を日本の武道の「技」から見て、取り入れる事が出来ないかを考えてみる事にしよう。「修業論」光文社新書内田樹より(うちだたつる/哲学者であり合気道7段)●「敵」とは「私に心身のパフォーマンスを低下させる要素」である。敵とは同じルールで戦う「対戦相手」に限定されない。武道家が「敵」という概念を出来るだけ広義かつ網羅的にとらえ、それを効果的に統御する技術を習得しようとするのは当然のことである。「天下に敵無し」とは、敵を「存在しては成らないもの」と捉えないという事である。そういうものは日常的風景として「あって当たり前」なので、特段気にしないという心的態度の事である。茶の道では?敵という言葉は当てはまらないが、茶会日の天候や自分の体調、点前でのト...●武道と茶道

  • ●人生100年に向かっての下準備

    我が歳79を迎えるに当たって、80からの今後をどう生き抜くかを「まじめに」思案する。其れには、80から迎える人生100年までにはあと20年もある。80までも後1年はある。チョイとくどくはなったが、下準備としては充分である。問題は、何をやるのか?何をしたいのか?が・・・捜さなければならない。見つけた!早い!「ユウチューバー」になろう!おれは今まで何をやって来たかを振り替えると、釣り(主に磯釣)やカヌー・ドライブによるアウトドアや、陶芸など人並みの遊びはやって来た。40歳からは10年を周期と捉え、より深く物事に関わって見ようと、絵画では個展をやる事で芸術感を育て、居合道の世界により日本の武道の眼を、また遠州流の茶道に身を置く事により、今までにない自分を発見することが出来た。70歳を機会に「山口流篠笛」にて苦労修行の...●人生100年に向かっての下準備

  • 世の中変わったな〜〜〜と思うとき

    1、車で事故を起こしとき以前はすぐに「ごめんなさい」「すみません」と自分に非があるように先ずは、謝ったもんだ。今は「なにやってんだ!」「どこ見て運転してるんだ」と相手の非を先に指摘する。これは保険制度が行き渡って来てからのこと。金が絡むと見苦しい世の中に変貌する。2、会社組織が年功序列で無くなったとき海外の学者たちが、日本の年功序列の会社組織について、見直すような動きが出て来ているのにも関わらず、お金中心の考えに取り付かれた我が国の経営者が「利益第一」「能力主義」「株主重視」等、仏様の国の人には合ないガツガツした自分主義が横行し、潤いのない会社となった。3、研修などスキルアップに力を入れるようになって来たときなんでもかんでも海外から取り入れ、あたかも日本を作り替えようと自慢げにウンチクを語りさもさも乗り遅れた者...世の中変わったな〜〜〜と思うとき

  • ●武蔵「五輪書」と茶道の関わり

    宮本武蔵の最晩年に書かれた「五輪書」を皆木和義が観見の一振り駒草出版より抜粋。武蔵は全ての発想を兵法へと発展・進化させた。私は趣味の段階ではあるが、茶の湯を兵法に置き換えたならば、茶法と考える事が出来るのではないか。前回の内田樹氏の武道の技とお茶の点前を置き換えてみた。今回は武蔵の生きざまと茶道との一致する部分を見つけ出し、自分への糧と為し「老計」への指針となす。●武蔵は、「五輪書」全体を通して、勝つための五つの要諦を記している。一、相手の心と相手の動きを見抜く観察力、洞察力の鋭さ二、剣の技量の卓越さと敏捷さ三、相手に勝つための仕掛けづくり四、情報収集力五、志と勝利へのあくなき執念60回余りの不敗の理由は、実践の修行の中から「相手の心を見抜く術」を身につけた。「火の巻」の教えの中の「敵になる」とは、現代で言えば...●武蔵「五輪書」と茶道の関わり

  • 型の文化にイエローカード

    日本の文化の中でよく使われる言葉に「型の文化」という言葉がある。美術工芸での職人しかり、武道の型稽古、舞踊や茶道の仕草など数多くの日本文化を形ち作って来た。それこそ、日本を作る基本とも言える「学び・進化」させる手段の一つ。ここで問題になるのは、型の文化からは、独創性のあるオリジナルなものが生まれにくいという難点が有るが、特に最近の日本からは、「型の文化」さえ薄らえて来た。なぜ、独創的な物が生まれないのかというと、昔の日本には世界に誇れる物は多々ある。その物を生み出した「ひと」には、それを生み出す為の概念(理念→理論→理屈→へ理屈)がしっかりと備わっているからなのだ。最初の人には考え、考え方、がハッキリ見えていたにもかかわらず、その物を継承して行く仮定に楽に伝える事の出来る「型の継承」が入り込む。こらは、これとし...型の文化にイエローカード

  • 道新文化センターを引退

    59歳で広告代理店の制作を早期退職し、専門学校の臨時講師としてデザインを担当。知り合いのコネを頼り、ねじ込んでチャンスを得る。広告店に務めている時は、常にプレゼン、プレゼンで競争の世界。勝負を勝ち取らないと自分の存在が無い、そんな世界に、学歴も無く専門の教育も受ける事無く、デザインの先生に徒弟制度のような環境から始まり、何とか定年まで無事に、楽しく、周りの方に迷惑をかけながら身を置く事30年。専門学校では丁度生徒の質が大きく変わる時にあったのか、ろくでもない生徒には会わずに済んだ。自分の時間と、お金も自由になる事も幸いしお茶の世界を覗く。50歳から居合いを習っていたが、我が流派「戸山流」は、抜刀ではないが、試斬を取り入れ「切れればいい」と、形にはあまりウルサくない所が有り、その部分に自分なりに不満を感じ何か「ガ...道新文化センターを引退

  • ●令和2年 点初め

    点初めを、今年は心葉会のお世話で無事済ませる事ができました。Kさんと前日に26条に道具を取りにゆく事から始まり、当日9時にホテルへ道具搬入を済ませ、それぞれ各自、自分にあった仕事を見つけ、思ったより早く会場作りを終わらせる事が出来ました。Eさんが何と遅刻常習なのに、今回は早めの会場入り!助かりました。Sさんの床の拵え,軸の絵に富士山、花はボケ、いい雰囲気で出来上がったと思います。水屋の用意、会費集めにはTさんが力を発揮!皆さん回数を増やす事で馴れたのか、安心して見ていられる状態でした。Kさんの開会の音頭で始まり、支部長の挨拶。K/Tさんの濃茶での呈茶。お茶の神様に無事に新年を迎えられた事に感謝。遠州公の遺文を全員で唱和。私は眼鏡をしてなくハクナンショウも進みよく見えなく、KTさんの声に助けられた。濃茶の点前も前...●令和2年点初め

  • ●宗葉の「茶の湯」って何だろう!

    自分に取って茶道とは何だろうか?茶道というには少々大袈裟であれば、茶の湯とはどんなものだろう。茶人、茶の湯者、茶道家などと、大層な名で表さなくても、抹茶で人との混じり合いを大切に、日々の暮らしの中に、茶と関わった時間を持ち、精神的にゆとりある落ち着いた環境をどう持つ事が出来るか。今迄の歴史の中から、伝えられた幾人もの茶道家を手本とし、今の自分の身の丈にあった所で、考えをまとめてみよう。●鎌倉時代に臨済の開祖栄西(1141〜1215)によって中国から伝わり歴代将軍と同様に暇を持て余し唐物を収集し、殿中で立花、茶の湯を盛んに行う。義政の茶は水面に映った月を楽しむ境地で東山文化と言われる●詫び茶の開祖と言われる村田珠光(1423〜1502)八代将軍足利義政の時代、一休の純禅と深切に出合い、茶に禅味を加えた「月も雲間の...●宗葉の「茶の湯」って何だろう!

  • ●初の琵琶の会

    昨日お茶の仲間から招待された琵琶の世界にひったって来ました。誘ってくれた方は、「多趣味の極み」私の知っている所でも、剣詩舞(剣舞)、お茶に、茶花、和菓子作り、和装の着付け、ピアノ、只今プールを始めたそうな。そんな方から琵琶の会に剣舞で出場するという事で招待を受け茶の仲間3名と行って来ました。会場で篠笛の仲間にも会い楽しい思いをさせて頂きました。会の内容は今村サンの琵琶歴60年と吟・舞歴50周年を祝う「絆」をテーマにした記念大会。10時開演で、会員から来賓の出演、本部からの応援、最後にご本人「錦心流琵琶全国一水会潤水会の今村潤水サンの「敦盛」で終演。全部で45項目。4時半の長い舞台でした。受付で、芳名帳に記し、プログラムと、本日の出し物の琵琶演奏時の吟の歌詞をプリントしたものと、お昼弁当として巻物、赤飯、稲荷鮨の...●初の琵琶の会

  • ●チョッと高いお買い物

    「最近の大きなお買い物」先月私の所属している篠笛「笛の会」があり、年に一度の篠笛を購入するチャンスのある日。我が山口流の指定されているメーカー?は、制作者の多い中から「山桜」さんといい、山口千壽家元の狙っている音を作り出している広島の方です。篠笛は1笨〜12笨までの種類が有り、其の曲にあった本調子で吹くので、ある程度は数が必要で、経験を積みレパートリーの増えるに従って数も増えるものなんです。(これがまた欲しくなるんだわ〜〜〜)同じ調子の笛でも1本1本、音が微妙に違ったり、吹きやすかったり、吹き難かったりで、中心になる7笨調子などでは、いく笨も揃えている方もおります。ゴルフや釣りの道具とおんなじかな〜〜。12本セットではあるが平均的には下は3笨調子から上は9笨調子までで、12笨目はお守りの意味があるそうで、先日家...●チョッと高いお買い物

  • ●2人の許状式

    6日震度7での地震。夜中の出来事とはいえ恐かた〜〜〜。我が家の影響はコケシの損傷ぐらいだが、全道での停電、断水などがあったが、厚真方面の地滑りで家が崩壊し40名以上の死者が出た。札幌でも清田区で液状化現象による道路の陥没や家の傾き等で、まだ立ち直るには大分時間がかかるだろう。こんな状態の中、平成30年度遠州流茶道秋季認定授与式が東京で行われる為、交通機関にヤキモキしながら2人の受講生とともに無事出発!やはり東京は暑かった。初日はせっかくの「おのぼりさん」上野鈴本演芸場で昼の部の落語を聞く。満席で色物も面白く、TVに出ていない人なのに何でこんなに面白いのか?TV局の無難さに頼る怠けさを感じる。夕飯は以前には歌舞伎などをみたり、「どぜう」など食ったり日本文化丸かじりを体験していたから、今回の2人は「江戸前天ぷら」を...●2人の許状式

  • ●楽譜が音楽に変わる時

    世界的名のある演奏家が、日本の地方の小学校でオーケストラ部員に教えた時の名言。●良い演奏家とは「音で物語を作れる人」●感情を楽器に吹き込む事●ビブラートとは心の響き(怒り、悲しみ、歓びなど)●音色を大切に(浮き浮きと楽しくや悲しい音など)●自分を信じ「出せる」と言い聞かせる(強弱が付いて来る)●自分の音を探すのが魅力になる●「聞く人に音で何かをどう伝えたいか」この気持が大切この時、楽譜が物語に変わる時。●楽譜が音楽に変わる時

  • ●武士と茶道

    「亭主に隙がなくば、客は茶を楽しめませぬ。」「そもそも茶の湯はゆとりの道にござりますれば、慌ただしきご勤番の方にこそ親しんで頂かねばなりませぬ。よって古来武士は戦陣にても茶を点て申しました。常在戦場の武将ゆえ、茶人の隙を忘れては成りませぬ。謹厳居士等と囁かれているのは、少しも褒められた話ではあるまい。余裕が無い、隙がない、器が無い、という意味であろう。浅田次郎「一路」より●武士と茶道

  • ●篠笛と私 2

    人間永年やっていて、何んかもう一つ楽しむ事の出来る趣味をと、今まで自分自身の中で経験した事の無い「音のある生活」を取り入れ、6年余り過ごして来た後期高齢者です。先日千那先生から今年最後のお稽古日を終え「何か一言」と言われた時に「私は上手くなる事を諦めました」と宣言してしまいました。一生懸命に指導されている先生方には、別件で人に教える立場の者として大変失礼で有り、且つ無礼な言葉だと充分理解はしております。・・・が・・・こんな言葉を発した悩みを愚痴らせて頂きます。今は四本調子で「瑞鳳」「竹風」「かげろふ」を吹き込んでいるのですがなんせ音が出ない。この笛を買い求める時、候補は二本あったのですが、山桜山から「一本は素直で音が出やすいが、もう片方の笛は鳴るには苦労はするが鳴るといい音に育つ」と聞かされ、へそ曲がりの私とし...●篠笛と私2

  • ●洞爺合宿

    22日9時に我が宅へA、B両氏が到着。荷物をBさんの高級車に乗せ、真駒内地下鉄駅集合場所へ向かう。ここでC、Dさんと合流し、まずはきのこ王国へ出発。今回は私の足の手術も有りイマイチ運転に支障を感じるためBさんの車に同乗。また参加人数の私を入れ5名と少なく、女性陣の参加者は無し。恒例のきのこ汁をいただき何事も無く洞爺に到着。弁当屋で今晩の夕飯を予約し稽古場へ。道具搬入、稽古着に着替え瓶掛による盆点前。Bさんから始まりAさんDさんへと進む。ラストにAさんに伴頭を頼み私も稽古に参加。お湯の温度が高Dさんは飲むに一苦労。場所を変え茶室にて大板の稽古に入る。自分の点前の位置取りをしっかり取り成れる事が肝心。三人ともそれなりに心に留め置いた事もあるだろう。今回の参加者は少ないためゆっくりと十分に疑問のところを確認しつつ稽古...●洞爺合宿

  • ●カラスの親子

    以前、犬の散歩時に仲良くなったカラスの親子がいたが、犬用のおやつ一粒を挨拶代わりにやっていたところ、それを目撃していた小母さんが、「絵付けをしないで下さい」とヒステリックに怒られた。いつも金曜日に会うカラスで、遠くからでも我々の姿を目撃すると、三羽でやって来て挨拶する。時間や場所は限られ仲良しだったが、怒られたので、「お前にはもうやれないと」言い聞かせたがしばらくは顔を見せてかあかあと催促していた。母カラスは子カラスに分け与えていたが、親父カラスは自分だけ食っていた。カラスは人間の邪気を持って行ってくれる生き物とも言われる。あぁあ!あの色が黒でなかったらもう少し可愛がられるのにな~~~~。●カラスの親子

  • ●風流のはじまり

    NHKカルチャーラジオ「鴨長明と方丈記」浅見和彦より特別寄稿玄侑宗久「風流のはじまり」から抜粋江戸初期の「こんにちは」の定着で日本人の挨拶が完成するわけだが、これも昨日の継続でない新たな今日を望み、「こんばんは」でも昼間とは違う夜が望まれている。「無常」をベースに、常に「一からで直す」というのだ。「無常」であろうとする心情と、「あわれ」を感じる心情とは、拮抗する。しかも拮抗しながらそれを決して一本化しなかったのが日本人である。対をなすことそのものの生産性を学んだのではないか。「陰・陽」、「公・私」、「和・漢」その他にも「押す・引く」「攻める・防ぐ」「吹く・吸う」「引く・離す」「無常」と「あわれ」の「両行」は、やがて「風流」という「ゆらぎ」を肯定する言葉に勇気ずけされ、ほかにもさまざまな「両行」を生み出して行く。...●風流のはじまり

  • ●洞爺道場でお茶の特訓

    2016/7/16〜17洞爺庵9時半、真駒内地下鉄駅に、私が着いた5分前は全員集合していて即シュッパ~~~ツ!天気も良く四台の車を連ねいざ洞爺へ。その前に恒例の「きのこ大国」により銘々おにぎりときのこがタップリと入った、いつもと変わらぬ味のみそ汁を堪能。3連休の割には渋滞も無く快適なドライブ。洞爺湖町に入り今晩の夕食の弁当を1人1,500円で、夕食後の「飲み会用」としても通用する物として予約。そのあと明日の「野点」の菓子を購入。この近くには菓子屋が無く種類も少なく、どら焼きにする。最後に明日の下見に浮見堂まで足を伸ばす。予定の場は蟻が多く、また子供たちが水遊びに夢中になっている場でもあり若干ずらす。我が家に着き、明日の野点の分はそのままにして今日の徹夜の稽古の「大板」に使用する道具と、各自の寝袋などの荷物を搬入...●洞爺道場でお茶の特訓

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