「トトミチ」の仲仕歌
「とと道」というのは、吹屋が鉱山で栄えていた頃、瀬戸内の漁港から、鮮魚を、籠に背負って(天秤棒で担いだという説もある)、夜通し走りリレー方式で翌朝、吹屋に届けた道。詳細は不明だが、近年埋もれた道探しで報道されることがある。・・・「美星町史通説編」美星町昭和51年発行「トトミチ」の仲仕歌魚仲仕というのは、漁港から消費地の問屋へ魚介類をかついで運んだ人たちの俗称である。この仲仕が魚介類の産地である西浜、尾道、鞆、笠岡、下津井方面と消費地である成羽、吹屋、新見、高梁方面の問屋との間を中継ぎで交替しながら品物を運送していたのである。三山は、この仲仕の通る道筋にあり、しかも生産地と消費地の中間に位置していた。この仲仕の仕事は吹屋銅山の盛衰と比例してさかえたり、おとろえたりといわれている。明治後期には中継ぎ場には20...「トトミチ」の仲仕歌
2023/05/31 10:55