本庄重政
場所・広島県福山市松永町JR松永駅前本庄重政本庄重政は福山藩主水野氏の家臣本庄重紹の嫡子に生まれたが、家督を弟にゆずり、江戸に出て兵法を学んだ。島原の乱に従軍し戦功をたてたのち、現在の松永町高須に隠棲した。福山城下に出て藩の子弟に兵法をおしえ、さらに、干拓事業を指導し、1656年には柳津沖に新田を、翌年福山湾沖の深津に干拓を完成させる。1660年から藩営工事としての松永干拓に着工し、近郊の農民たちを動員し、まず堤を築いて塩場をひらき、1667年役40ヘクタールの広大な塩田を完成している。福山藩では、それまで中世的な揚浜塩田によって塩の需要をみたしていたが、松永塩田においてはじめて生産性の高い入浜式技術が採用された。重政は播州赤穂の大石頼母助(内蔵助の父)と親交ふかく、赤穂からの技術を取りいれたようだ。1676年...本庄重政
2021/05/04 16:18