米麦二毛作ほか

米麦二毛作ほか

麦は中学生の頃まで、通学路に干して毎年同じ季節を感じていた・・・、が高校生の頃はまったくその風景は消えてしまった。薄荷と除虫菊は昭和30年ごろ止めて、両親は鶏を飼い始めた。葉たばこは茂平はほとんどなく、大冝が多かったように思う。今も笠岡市内に多く残っている葉たばこの乾燥小屋は、築後60年経つことになる。・・・・・・・・・井原の歴史平成13年井原市教育委員会発行井原市農業の一断面重見之雄より転記米麦二毛作とその変化この地域(井原市)においては昭和30年代頃まで、水田耕作の主流は米麦二毛作であった。昭和23年には麦作が稲をかなり上まわる1800haにも及んでいた。当時は水田の裏作だけでなく畑でもかなり栽培されていたことを物語る。しかし昭和30年代から急速に減少しはじめ、50年代以降はとるに足らない状況になってしまっ...米麦二毛作ほか