「満州育ちのぼくが考える」

「満州育ちのぼくが考える」

2018年10月2日の山陽新聞文化欄に下記の記事が載った。「満州育ちのぼくが考える」山田洋次xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx山田洋次1931年生まれ。旧満州で育つ。(映画監督)1930年代の終わり、8歳のぼくが初めて見た日本の印象は今も鮮明である。港や町の通りに人がいっぱいいる。「あの人たちはみんな日本人?」波止場をよくみると大きな麻袋を背負ったり、半裸の姿で思い大八車を引いたりする人たちがいる。「あの働いている人たちも日本人なの?」決まっているじゃないの、という母の返事が不思議でならなかった。この体験は満州育ちの子供たちなら誰でも身に覚えがあるはずだ。垢で汚れた服装で重い労働をするのは中国人で、彼らを使役し、彼らの引く人力車に、傲然と背をそらせて乗っているのが日本人、というのが当時のぼくたちの常識だ...「満州育ちのぼくが考える」