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  • ★萩&湯田温泉紀行(完):余禄その2

    遊覧船の船頭さんが、「伊藤博文や山形有朋は、偉く出世したが、自分はさっさと故郷を捨てて、贅沢な暮らしを送り、萩のために何もしてくれなかった。」と漏らした言葉が、しばらく頭から離れなかった。20年近く前に、友人と京都の「無鄰菴」を訪れた時、「山口県出身の山形有朋の別邸が、どうして京都に?」と、語り合ったことを思い出した。「無鄰菴」は、南禅寺近くの閑静な場所にあり、その広さは約3,135㎡で、7代目小川治平衛の作庭によるもので、国の名勝に指定されている。説明文によると、洋館二階の間を、要人との会見に使ったそうで、日露戦争前の1903年4月21日に山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎による「無鄰菴会議」が行われた。小村以外の3人とも山口県出身だ。権力者の営みは、古今東西を問わず、変わらない。★萩&湯田温泉紀行(完):余禄その2

  • ★萩&湯田温泉紀行:余禄その1

    山口県は、総理大臣を一番多く輩出しており、その数「8人」とも「9人」とも言われる。奇妙な話だが、菅直人元総理のカウントの仕方で、差が出る。菅さんは、山口県宇部市で生まれ、宇部県立高校2年の夏、東京都三鷹市に引っ越したのは、紛れもない事実だが、山口県では、東京都出身の総理大臣にカウントしている。同じ山口県でも、光市の伊藤公資料館では、山口県に入れている。さて、「東京生まれ、東京育ち」の安倍さんが、山口県組みで、「山口生まれ、山口育ち」の菅さんが、東京組みに整理される背景は、、、、?安倍首相時代に、なぜか、「出身地は、原則として、戦前は出生地、戦後は選挙区」と、奇妙なルールを作っために、菅さんが山口から除外された。後任の菅首相が、また、変更し、どちらでも良くなった。蛇足ながら、「菅」は、「かん」とも「すが」とも読む...★萩&湯田温泉紀行:余禄その1

  • ★湯田温泉紀行(後編):中原中也

    湯田温泉ゆかりの有名人と言えば、詩人中原中也だが、私は、今まであまり関心がなかった。昭和時代に活躍し、文学史上に大きな足跡を残し、30歳で夭逝した詩人だというので、ホテルの読書コーナーで、作品を読んでみた。プロフィールには、1910年代半ばに起こった芸術運動「ダダイズム」に心酔し、作風は、虚無感と既成の秩序を破壊する思想とあったが、ピンとこなかった。最初のページをめくり、「トタンがセンベイ食べて春の日の夕暮は穏かですアンダースローされた灰が蒼ざめて春の日の夕暮は静かです」まで読んで、意味が呑み込めず、読み飛ばした。斜め読みしていたら、分かりやすい詩を見つけた。~また来ん春と人は言うしかし私はつらいのだ春が来たって何になろあの子が帰って来るじゃない思えば今年の5月にはお前を抱いて動物園象を見せても猫(にゃあ)と言...★湯田温泉紀行(後編):中原中也

  • ★湯田温泉紀行(前編):由来

    11月17日、萩から新山口駅まで、高速バス「スーパーはぎ号」に乗ること、約1時間。JR山口線に乗りかえて、湯田温泉駅まで約20分で着いた。湯田温泉は、山陽路を代表する温泉で、アクセス至便な立地なので、訪れる人も多い。4年前、毛利庭園や国宝瑠璃光寺の五重塔を訪ね、一泊した時、肌によく馴染む柔らかい湯だと感じた。開湯は、約600年前で、JR湯田温泉駅前に、湯田温泉発祥の象徴オブジェとして、高さ8mの巨大な「白狐」の像が建っている。傷ついた白狐が、湯あみをして完治したと伝わる。足湯に浸かっていた中年男性から、「湯田」の名前は、田んぼの真ん中から金色のお地蔵さんや、源泉が湧出したからだと、その由来を教わった。「お湯がコンコンと湧くから白狐?」と言って、笑われたが、湯量豊富なのは事実だ。(^^♪★湯田温泉紀行(前編):由来

  • ★萩紀行⑥:エピローグ

    萩は、2007年12月9日に開催された「萩城下町ハーフマラソン」以来、14年ぶりで3度目の訪問だった。マラソンコースは、市内の観光名所を網羅しており、妻と観光気分で楽しく並走し、同タイム(2時間13分43秒)でゴールしたので、思い出深い。その時、泊まったホテルの庭と露天風呂が素晴らしかったので、JTBに宿泊手配を依頼したら、新型コロナの影響で、閉業に追い込まれていた。やむなく、少々、奮発して、現天皇・皇后両陛下をお迎えした格式を誇る「萩城三の丸北門屋敷」に泊まり、フグ料理のフルコースを堪能した。翌朝、手入れが行き届いた広い庭を散歩したら、もみじと夏橙が絶妙のコントラストを描いていた。萩へ来るのは、これが最後になると思い、ホテルの売店で、夏蜜柑を使った和菓子を買い求めた。★萩紀行⑥:エピローグ

  • ★萩紀行⑤:松陰先生

    吉田松陰は、「安政の大獄」で捕えられ、30歳の短い生涯を閉じたが、多くのことを成し遂げた。江戸遊学中の23歳の時、140日間におよぶ東北周遊に出ているが、藩が発行する通行手形が、国許から届くのを待たずに出発したために、士籍を失い、浪人になったことが惜しまれる。道中を記した『東北遊日記』の一節に、「皆曰く、ひろく学んでしかる後遠遊すと。僕はすなわち遠遊して後に学を博す。」とあり、松陰の哲学が窺える。国の未来を見据え、志を高く持ち、周囲の目や危険を顧みず、信念を貫徹し処刑されたが、その遺志を継いだ松下村塾の門下生が、明治維新に活躍した。ネットで得る情報は、陳腐化する。しかし、自分の目で見て、得た知識は、忘れない。私には、松陰先生が、スマホ依存症を、こう嘆いているように思う。★萩紀行⑤:松陰先生

  • ★萩紀行④:夏みかん

    武家屋敷界隈を歩いていると、よく目につく「夏みかんと土塀」は、萩のシンボルと言える。現地では、夏橙や夏蜜柑とも呼ぶが、白壁や瓦むき出しのあら土の塀の上から、黄色い夏みかんが、可愛い顔を覗かせている景色は、絵になる。しかし、美しい景色と裏腹に、夏みかんは、萩のつらい歴史の象徴でもある。萩は、長い間、長州藩の政治経済の中心地として栄えたが、1863年に、藩主が、山口に移ったため、武士の流出で大打撃を受けた。財政再建策として、廃屋同然となった広大な侍屋敷の土地に夏橙を植栽したのが始まりだ。船頭さんの説明では、「夏みかんの実は、収穫しなければ、前年の実と今年の実が同じ木になるので、「夏代々」と呼び、「代々続く」縁起物でもあった。その後、大阪市場に出荷したところ、「代々」は「よよ」とも読めるので、問題が発生した。近畿地方...★萩紀行④:夏みかん

  • ★萩紀行③:風情

    萩市は、人口5万人程の小都市だが、伊藤博文、木戸孝允、高杉晋作等々を輩出した“明治維新胎動”の歴史が息づく城下町で、見所が随所に詰まっている。2015年に「明治日本の産業革命遺産」として、世界遺産に登録されたのも、先人の進取の精神が受け継がれた賜物で、今も教育熱心な土地柄だ。城下町は、日本海に面した城の外堀から碁盤目状に区画され、武家屋敷から医者・商人町へと広がっており、歩くと、街の匂いの違いが分かる。城近くから出ている「萩八景遊覧船」で、水の都・萩の城下町を川と海から眺めてみて、独特の地形が、萩観光の特徴を創出していることを実感した。船頭さんに、「何処から?」と訊かれて、金沢と答えたら、「百万石に比べると、貧乏だから、保存の費用が無い」と謙遜したが、私は、萩の方がはるかに昔ながらの風情を留めていて、居心地よさ...★萩紀行③:風情

  • ★萩紀行②外観

    金沢から萩へのアクセス方法は、陸路を利用すると、行くたびに、遠いと感じる。金沢午前8時15分発特急「サンダーバード12号」に乗り、新大阪で九州新幹線に乗り換え、さらに、新山口からバスで1時間。萩に着いた時には、午後3時半を過ぎていた。さて、萩市の中心部は、日本海と橋本川・松本川で形成する日本有数の規模を誇るデルタ地帯に位置するので、JR山陰本線が三角州の外側を迂回しているように、交通不便な地形になっている。しかし、城下町の頂点を成す萩城跡・指月公園が、JRの駅から離れた場所にあるので、逆に、観光資源を保存する面で貢献している。言ってみれば、観光客には有難い地形で、城跡から武家屋敷町・町家へと続く街並みは、車の往来が少なく、閑静で、昔ながらの城下町の風情が漂っている。★萩紀行②外観

  • ★萩紀行①プロローグ

    11月16日朝、金沢を発って、萩&湯田温泉を巡る二泊三日の旅が始まった。西日本エリアへの旅行は、昨年11月以来だった。ホームに、大阪行きの特急「サンダーバード」を待つ長い列が出来る光景は、1年前には見かけなかった。同じ時間帯に、名古屋方面に向かう特急「しらさぎ」を待つ人の姿がまばらだったので、京都の紅葉が見ごろを迎える時期になったことを直感した。京都は、北陸から日帰り観光圏内なので、列車は、通年で混むが、現在、一部の特急を間引きしているのも影響しているのか、乗車率は、90%近かった。出発後、福井でほぼ満席状態になったが、推察通り、京都で半数近くの乗客が下車したので、「GoToトラベル」を再開しなくても、確実に客足が戻ってきていると実感した。★萩紀行①プロローグ

  • ★父の存在

    今日は、父の命日だが、すでに五十回忌の弔い上げを終えて、20年以上経った。いつもより早く目覚めたので、惰眠をむさぼりながら、父の面影を追ってみたが、父の手の温もりを知らないし、おんぶや抱っこされた記憶もなかった。小学校に入学して、初めての父兄参観日に父の姿が無く、それ以降、「父兄参観日」が大嫌いになった。今なら大問題になるところだが、先生が、通信簿に、「片親なので」と平気で書く時代だった。先日、亡くなった瀬戸内寂聴さんが、「いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。すべてに感謝しましょう」とある法話が思い浮かんだ。不足を口にしても、足ることはない。今年、「金婚式」の節目を迎えることが出来たことに感謝し、これからも「分相応の生活」を心掛けたい。★父の存在

  • ★岸田政権への期待(後編):政治離れ

    公明党は、「こども支援給付金」を実施しないと、「選挙公約違反になる」と強調した。有権者は、選挙公約を当てにできないと心得て来たが、堂々と、「公約を守れない」として、反対を押し切る政治姿勢に、高圧的な権力志向が滲む。公明党の「山口ビジョン」には、「人間よりも利益を優先する経済至上主義で走り続けた結果、世界の価値観は大きく歪んでしまいました。私たちは一度立ち止まり(以下略)」とある。ましてや、安倍元総理大臣が、自民党の最大派閥の長に就いたので、派閥の発言力が、益々、強まる。岸田総理の政治姿勢に共感を持つが、突破力・実現力に不安を覚える。「もう、どうでもよくなってきた」というのが、正直なところで、政治に対する関心が薄くなりつつあるのが、一番怖い。次回更新は、11月20日の予定。★岸田政権への期待(後編):政治離れ

  • ★岸田政権への期待(前編):バラマキ

    第二次岸田新内閣が誕生し、本格的に始動したが、従来路線とあまり変わり映えせず、過大な期待は禁物だとの印象を受ける。「未来応援給付」と称した子供支援金10万円を現金とクーポンに二分し、所得制限(960万円上限)を設けたが、矛盾ばかりが目に付く。給付基準が「世帯主単位」なので、夫婦900万円ずつの場合、年収計1,800万円でも支給される。また、夫の年収が2,000万円でも、妻の収入が上限未満なら、妻を世帯主にすれば、支給対象になる。公明党の山口代表は、「子供を親の所得で、分断すべきではない」と主張したが、逆に、「国民を分断し、社会を分断しても良いのか?」と問いたい。どこで線引きしても、不満が残るのは、偏った施策であり、どう繕っても、「バラマキ」でしかない。★岸田政権への期待(前編):バラマキ

  • ★不知は禍の元

    連日、雷鳴が轟き、私が一番嫌いな季節が到来した。テレビの天気予報画面で「☼」と「☂」マークを見るたびに、太平洋側の人達を羨ましく思う。11月10日夜、雷鳴が響き渡ったので、エアコンの電源を切った。タイマースイッチが点滅していたが、そのままにして床に就いた。翌朝、タイマースイッチが点滅し続けていたので、電力会社に電話をして事情を説明すると、エアコン設備側の故障ではないかと診断された。エアコンを買った店に修理を依頼し、夕方、正常に戻ったが、故障ではなかった。自動ごみ掃除機能の手入れを怠っていたために、詰まったゴミが原因でショートを起こしたと指摘された。日を改めて、クリーニングをして貰うことにしたが、非常時の対応方法を見直したい。"(-""-)"★不知は禍の元

  • ★金婚式(後編):残るは2回

    結婚記念日は、経過年数ごとに名称が変わるが、私は、正確なことを知らない。結婚記念日を忘れたことはないが、毎年、食事に行く程度でお茶を濁し、きちんと形を整えて、祝ったことがなかった。古い話だが、30年目の節目に、友人に「銀婚式に何を贈ればいい?」と訊いて、「銀婚式は25年で、今年なら真珠婚式だぞ」と、笑われた程、私は、歳時に無頓着で、疎かった。妻へのプレゼントを3つ用意したのは、今までの詫びを兼ねた感謝の表現だったが、むろん、コメントはしないし、また、妻も無反応だった。50年も一緒に暮らせば、説明をしなくても、通じない方がおかしい。さて、「金婚式」の次は、5年後の「エメラルド婚式」で、60年目にあたる「ダイヤモンド婚式」が最後になる。それまで、健康面で迷惑をかけずに、一緒に元気に祝うことが出来たら、最高の贈り物だ...★金婚式(後編):残るは2回

  • ★金婚式(前編):贈り物

    昭和46年11月10日、東京青山で結婚式を挙げて、50年の節目を迎えた。妻へのプレゼントを何にするか、1カ月前から思案し続けたが、妙案が浮かばないまま、日が過ぎた。妻が欲しい物を探ろうとしても、訊けば、サプライズにならない。ふと、40年ほど前、ある上司から、「プレゼントをする秘訣は、予定した金額で、最高の物を選ぶことだ」と教わったことを思い出した。しかし、具体的な品を決めるのは難しく、思いあぐねた挙句、「私が欲しい物=妻が欲しい物」と考える結論に辿り着いた。そうすれば、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」のような悲劇が起きないし、共有すれば、価値が倍加するので、我ながら妙案だと悦に入った。「私が欲しい物」を3点買い込み、手紙を添えた。★金婚式(前編):贈り物

  • ★ブランド志向(番外編):地産地消

    500万円カニ騒動で、大間マグロの初セリで、毎年、高値で競り落とす「すしざんまい」の社長を思い出した。いくらご祝儀相場でも、3億円超の高値を付けた沖には、社長の見識を疑った。「金沢の人に美味しいマグロを届けたい」と豪語し、2013年11月に金沢店をオープンさせたが、わずか3年間で閉店した。北陸は、人口10万人当たりのすし屋数の全国ランキングで、石川県が2位、富山県4位、福井県6位の寿司処だ。市民は、季節により水揚げされる「旬の魚」を熟知し、近海物の美味い寿司ネタを知っている。「食(=Food)は風土」に通じ、値段ではなく、その土地の旬の食材を食べるのが、一番、美味い。「地産地消」の原点に立ち返るべきで、話題作りのパフォーマンスは、バブルで終わる。★ブランド志向(番外編):地産地消

  • ★ブランド志向(後編):見識

    11月8日の朝刊に、500万円で競り落とされた新ブランド蟹が、宿泊客が振舞われた様子が、載った。妻が、「恥ずかしくないのかしら?私なら断るけど」と、非難したので、私も読んでみて、驚いた。普通、個人情報の詳細を省略するものだが、宿泊した客の住所だけでなく、4人家族全員の氏名・年齢・職業まで、記事になっていた。夜のテレビ・ニュースでもカニを食べる映像が報じられたので、4人は「時の人」になった。さて、個人情報の漏洩問題が社会問題化しているご時世に、自らさらけ出す不用意さに驚いた。しかも、父親の職業が公務員だったので、住民の情報を軽々に扱いかねないと、恐怖を覚えた。同時に、家族が、カニを前に、はしゃぐのを見て、この子らが学校で、嫌がらせを受けないかと、老婆心ながら案じている。"(-""-)"★ブランド志向(後編):見識

  • ★ブランド志向(前編):疑問符

    11月6日、カニ漁が解禁になり、金沢の初競りで、「輝」に500万円の値が付いた。「輝」は、知名度の低い「加能ガニ」に代わる新ブランドとして、福井の越前ガニの最高級品よりも厳しい基準を設け、全国へPRしたい漁業関係者の悲壮感が滲むが、違和感を覚える。全国各地で、生産量を少なくして品質を上げるブランド志向の傾向が見られるが、平均的サラリーマンが、汗水流して得る年収が、カニ一杯で消し飛ぶなんて、馬鹿げている。地方紙の記事のみならず、NHKテレビの全国版で報道されたので、私は憤慨したが、妻は、「お金持ちが食べれば、いいんじゃないの」と、素気なかった。そう言ってしまえば、「身も蓋もない」が、カニのことだけに、食する人の柄(殻)が気になる。"(-""-)"★ブランド志向(前編):疑問符

  • ★若い世代の政治感覚(後編):兆し

    日本維新の会の躍進で、与党と真っ向から政策論争が出来る野党が誕生する可能性が出て来た。全当選者の平均年齢は55.5歳で、自民党が56.9歳、公明党56.4歳。立民54.7歳、共産党62.3歳と50歳以上だが、日本維新の会は、49.4歳と若い議員が多い。自民党と比べると、議席数でも得票数でも、まだまだ差は大きく、国政における不慣れもあるが、若さは、党が掲げる「改革路線」の推進力にもなり得る。この国の将来を担う若年層が、政権選択をしないと、後々、切歯扼腕することになる。日本維新の会が、果たして、広い世代の受け皿になれるのか、それとも、一過性の人気に終わるのか、今後、真価を問われる。★若い世代の政治感覚(後編):兆し

  • ★若い世代の政治感覚(前編):価値観

    衆院選の投票日とハローインが重なった10月31日の渋谷に、賑わいが戻ったが、投票に行かない若者が多くいた。街頭インタビューで、「投票に行かない」理由を訊かれて、「政治に関心が無いわけじゃない」と、悪びれずに答えた。また、別のテレビ局が、銀座で行ったインタビューでも、ほぼ同じ反応だった。「年寄りばかりの政治家で、私たちの意見を聞いてくれない」、「選挙の時だけ、カッコ良いこと言って、当選したら知らんぷり」、「今の生活は変わらない」等々、一種の嫌悪感と諦観があるように感じた。政治に対する関心と投票行動がミスマッチを起こしていることは、不幸なことで、その原因を探れば、投票率向上のヒントを得られし、また、より国民に寄り添った政治が期待できる。一部の若者の声に過ぎないが、政治に無関心ではないことに、救われる思いがした。★若い世代の政治感覚(前編):価値観

  • ★衆院選の結果(番外編):得票数

    総務省が発表した第49回衆院選の投票率は、戦後3番目に低い55.93%だったが、政党別得票数に変化が窺われる。上位5党の得票数は、自民党:約1,771万票、立憲民主党:約792万票、公明党:約654万票、日本維新の会:約491万票、共産党:約449万票だった。一方、2017年の衆院選では、自民党:約1,855万票、立憲民主党:約1,108万票、公明党:約697万票、日本維新の会:約338万票、共産党:約440万票なので、日本維新の会の躍進が際立った。旧態依然とした野党共闘に加わらず、独自の政策ビジョンを示し、41議席を獲得し、第3党に躍り出て、大阪の地域政党から全国区を窺うまでになった。スキャンダル追及や官僚いじめをしてきた野党第1党が、見習うべき政治姿勢で、幹部交代を機に、解党的な出直しを期待したい。★衆院選の結果(番外編):得票数

  • ★衆院選の結果(後編):成長戦略

    多くの有権者が、自民党政権を望んだ背景には、野党の政権担当能力に対する不信感がある。従来の選挙協力ではなく、与党に対峙する「国家ビジョンや政権構想」を明確にして、国民にアピールしない限り、支持を得られないと思い知るべきだ。さて、岸田首相は、成長と分配の好循環を目指す「新しい資本主義」の実現会議を立ち上げたが、まず、アベノミクスの総括をすべきだ。アベノミクスは、「大胆な金融政策」と「機動的な財政出動」の2本の矢が功を奏し、企業収益の向上や失業率を改善したが、肝心の第3の矢「成長戦略」が不十分だったので、所得格差を生んだ。岸田政権の「分配と成長」もアベノミクスと同質であり、「成長戦略」をどの分野に求めるのかが喫緊の課題だ。同時並行的に、徹底した行政改革を断行しないと、「分配」が望めず、財政再建は露と消える。★衆院選の結果(後編):成長戦略

  • ★衆院選の結果(前編):責任

    衆院選で、自民党が、単独過半数の議席を獲得し、立憲民主党が惨敗した結果が持つ意味は大きい。選挙公約をまともに受け止める人は少ないが、自公連立政権の責任は、どの政党よりも重い。最重要課題が、「コロナ禍の克服と日本経済の底上げ」であることに異議はないが、問題は、その手法だ。首相が掲げる「数十兆円規模の財政出動」や、公明党の高校3年生までの子供に「一律約10万円給付」するという公約は、実現性よりも、必要性を疑う。野党惨敗の中で、日本維新の会だけが大幅に議席を伸ばした背景は、「改革」の重要性を訴えたことで有権者の共感を得たと受け止めるべきだ。下の記事は、1年前、当時の河野行革担当大臣の発言内容で、視点がどこか狂っている。★GoTo連鎖症候群④行革までも河野行革担当大臣が、「救急車の高速道路利用料を往復とも無料にする」方...★衆院選の結果(前編):責任

  • ★木場潟公園マラソン大会(後編):変貌

    準備体操を兼ねて、一緒に園内を走り始めてしばらくすると、妻が「あれっ!」と声を上げた。木場潟の水面越しに白山を見ていた私が振り向くと、北陸新幹線の金沢以南の延伸工事が、木場潟横まで進んでいた。完成すれば、新幹線の乗客は、車窓に木場潟や白山を眺望できるが、木場潟からは、白いブロック塀がつながっているような殺風景な景色しか見えなくなる。木場潟周辺には、田園地帯が広がり、公園内では四季折々の花が咲き競い、野鳥の飛来も多く、整備された周遊路は、「美しい日本の歩きたくなる道」500選のひとつに選ばれている。春、貸しボートに乗って、約1,700本の桜並木と白山が織りなす絶景に出会える絶好のロケーションだ。妻は、「もう来年は、出ない」と言ったが、リベンジを期している私の心中は穏やかではない。★木場潟公園マラソン大会(後編):変貌

  • ★木場潟公園マラソン大会(前編):実践>見物

    10月30日(土)、小松市で開催された第34回木場潟公園マラソンの会場に着くと、大会独特の華やいだ雰囲気を感じて、欠場したことが悔やまれた。一周(6.4㎞)の部に出る妻のゴールを、ただ待つのも能が無いなので、私は、レース20分前に、1㎞地点から同じコースを走ることにした。コースは、木場潟公園の園内周回路一周なので、ランナーがくれば、道を譲ればよく、ゆっくりペースでも迷惑を掛ける心配が無かった。6㎞の掲示板が見えても、まだ余力があったので、ゴールまでと欲張った時、係員から、「コースから出て下さい」と声がかかり、コースアウトした。自己計測で、5㎞を43分48秒かかったので、1㎞8分46秒ペースだった。前回出場時(2017年)の記録をペース換算すると、1㎞6分52秒なので、大幅にダウンしたが、久しぶりに良い汗をかき、...★木場潟公園マラソン大会(前編):実践>見物

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