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私の国内旅行より
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2014/12/08

  • 妻5度目の入所後の容態(24)

    最近の妻の病状(270)ショックもショック、大ショックであった。一昨日、義妹と共に月1の妻との面会に訪れたが、いくら話しかけても妻は一言も喋らず、口を真一文字に結び、目はつぶったままでこちらを観ようともしなかった。事前にケアマネージャーの方から5/10前後に発熱があり、一時は8.8度にまで昇ったとのこと。検査の結果、尿路炎症の疑いがあり、個室に移し、抗生剤の投与を続けたところ、現在は回復している由。まずは安心した。不機嫌は病後のせいか、それとも昼寝中に起こされたためか、判然としないが、介護士さんとは受け答えしているところを見ると、どこの馬の骨ともわからない我々の訪問を不快に思ったに違いない。これまでは、我々を認識しないとはいえ、内容は頓珍漢ながらもともかく受け答えはしていたので、このように終始だんまりなの...妻5度目の入所後の容態(24)

  • 心を鬼にして‐‐‐‐

    今回は人に迷惑をかけてまで決断した例を披露したい。先に「4月19日」の稿で書いたとおり、最初の職場の給仕を辞め、しばし文化祭に向けて鋭意準備していたが、それも終わったので、次の職場を探し始めていたところ、夜学の同級生から、参議院で今若い人を募集しているが、トライしてみないかと話があり、聴けばその人の父親が院内で写真店を営んでいるので紹介すると言う。参議院なら夜学に近く、聞こえもいいし、働き甲斐があるなと思い、職種も聴かず、お願いしたところ、履歴書と簡単な面接を経て、後日採用の通知を貰ったので、指定された日に勇躍出勤した。その日はオリエンテーションのみだったが、配属先を告げられる。なんとエレベーターボーイであった。今でこそエレベーターはオペレーターが付くのは稀でほとんどがボタンタッチのみで、行きたい階に行け...心を鬼にして‐‐‐‐

  • 所変われば‐‐‐

    もう30年近く前のことであるが、食に関して驚いたことを2点ほどご披露したい。山形方面を旅行中、喜多方に立ち寄ったとき、昼食に独特の味で有名なラーメンを食べようと思い、折角だから少し贅沢しようとチャーシュー麺を注文したところ、ややあって出てきた器の中を見て驚いた。なんとそこにはチャーシューでぎっしりと麺が見えないくらい埋め尽くされていた。東京周辺でチャーシュー麺と言えば、申し訳程度にチャーシュウが数枚載っているだけで、こちらもそのつもりでいただけにビックリしたわけである。嬉しい誤算であった。喜多方では普通のラーメンが、東京周辺のチャーシュー麺に当たるらしい。次に松島へ義弟夫妻と旅行した時のこと。観光前に昼食のため、五大堂近くの蕎麦屋に立ち寄り、義弟と共に笊の大盛りを注文したところ、周りにいた地元の客が驚いた...所変われば‐‐‐

  • 4月19日

    4月19日は、私がN社に就職した初日である。危うく忘れかけていたが、その日から38年間勤めあげることになろうとは考えず、当初はもっといいところがあれば辞めようと思っていたものだ。部署は都心のM電報局で、仕事は電報の配達であつた。実は前年にもそこの内勤をしていた中学時代の友人の計らいでその局長の紹介という形で、同様の面接試験を受けており、試験官は栄養失調で青白い顔をしている私の容貌から、体力を必要とする配達の仕事はとても無理だろうとの判断され、落とされた経緯があり、2度目の挑戦であったわけである。偶々試験官が同じ方で、私を見るなり、「あれ!私、あなたとどっかで会いましたよ」と言われたので、前回も受けましたと言うと、「そうですか、でも配達の仕事は雨の日も風の日も自転車に乗って出かけなければならず、あなたにそれ...4月19日

  • 妻5度目の入所後の容態(23)

    最近の妻の病状(269)今日も同じだった。月1の妻との面会日。今月は次男と施設を訪れたが、前回と同じく、我々のことを認識しないばかりか自分の名前すら言えず、簡単な計算も全くできなかった。相変わらず、おやつはさっき美味しく食べたが、昼食はまだ食べていないと言う。私もここに入りたいな、と水を向けたところ、ここは満床だから入れないわよ、とすげなく軽くいなされた。ここで一番楽しいことは?に対しては「食べることと寝ること」とのこと。いわゆる「食っちゃ寝」が健康の源になっているようだ。ともかく共通の話題を見つけるのは難しいので、今回も尻取りをやって場を持たせた。あまり規則通りに1回言った言葉はNGにしてしまうと精神的に追い詰めてしまう恐れがあるので、妻には何回同じ単語を使ってもよいことにしたところスムーズに進み、迎え...妻5度目の入所後の容態(23)

  • めまい

    昨日(4/14)の10.50頃、日曜日で非透析日とあって、書斎でパソコンに向かっていたとき、何となく目頭を左手で抑えたところ、突然、身体が揺れ出し、制御不能に陥り、危うく椅子から転げ落ちそうになった。必死に椅子の手摺にしがみつき、何とか耐えた結果、10秒ほどで元の状態に復したが、これが階段昇降中のことだったらーーーと思うとぞっとした。原因は、急に気温が上昇したためか、あるいは老化が進み、貧血が更にひどくなったためであろうか?これまでも視界が一瞬消えるという小さな眩暈はあったものの、それによって身体のコントロールが効かなくなるようなことはなく、それもしばらくは起きていなかったので安心していたが、これからは常に臨死状態にあることを肝に銘じ用心せねばなるまい。以上めまい

  • 花見

    桜満開のの季節である。昔は桜を求めて都内の千鳥ヶ淵や靖国神社の境内はおろか遠く青森の弘前城や大阪の造幣局の通り抜けなど名所を巡ったものだが、まもなく米寿を迎える今日にあっては、とても外出・旅行どころではなく、近所を散策することさえ困難をきたしている。そこでやむを得ず、家から50mほどの所に咲いている桜を見ることで花見とした。それぞれにそれなりの見ごたえはあるものの、やはり群生したところに比し、迫力に欠けるのは否めない。51年前に現在地に居を構えた時、庭に桜の木を植えようと考えたこともあるが、妻が毛虫が付くからと嫌がったため桜は断念し、梅と木蓮の木を植えた経緯があり、ちょうど木蓮も桜と時を合わせるように満開で目を楽しませてくれている。以上花見

  • 呆れた自民党の裏金対応

    昨今、自民党は裏金問題に関係した議員の処罰を巡って揺れているが、全く国民の視点を無視した愚策と言わざるを得ない。いま国民が一番知りたいことは裏金作りの意図とその経緯の真相である。誰がいつどのような方法で決定し実行に至ったかである。ところが現状は臭いもの(真相)には蓋をし、外観だけを何とか見栄えのいいよう(処罰)にしているとしか見えない。そもそも、裏金問題が明るみに出た際、吉川議員が上部の人間から「何もしゃべるな!」と言われたことが明らかなのに、それを指示した人が誰だったのか、その後一切明らかにされていない。吉川議員本人もその後沈黙を守っている。言えばその人に迷惑がかかると思っているのか?それとも党内で干されてしまう恐れがあるからであろうか?裏金が最も多かった二階議員に至っては、次期衆院選に出馬しないことを...呆れた自民党の裏金対応

  • 父のこと

    これまで母のことに関しては記述してきたので、父についても紹介したい。父は、富山県の風の盆で名高い八尾の造り酒屋の四男坊として生まれたため、成人後、I家の婿養子に出されたと聞いている。I家の生業については聞かずじまいであるが、本人は銀行勤めで、その巧みな弁術と押し出しの良さでF銀行の支店長にまで昇任したとか。しかし博打にはまり込んだため、銀行からも妻からも絶縁を言い渡され、逃げるように上京し、私の母のもとに転がり込んだというのが、当たらずとも遠からぬ経緯である。母には前夫の遺した10軒ほどの家作収入があったため、父はその管理をすることで特に定職に就くこともなく、私が知る限りいつも家にいたように思う。当時は暮らしには月200円はかかる、と言っていた父を思い出す。なんと物価が安かったものよ。父は、私のことを可愛...父のこと

  • 妻5度目の入所後の容態(22)

    最近の妻の病状(268)危惧していた時がついに来た!今日も予約してあった時間に義妹と共に妻の許を訪れたが、能面のように表情を変えず、むしろ迷惑そうな態度で対面した。全く我々をのことを認識しないばかりか、スマホで妻の写真を見せても自分ではないと言い張る。これまでは答えられていた今日は何日かも知らないという。しかも得意としてきた足し算も、最も簡単な1+1でさえ首を振る。おやつも食べたばかりのはずなのに食べてないと言うし、昼食もまだ食べてないと主張して止まない。これまでは我々のことを認識するか、しないか、交互に繰り返してきた感じだが、ついには元に戻らず、認知症の度合いはだいぶ進んでしまったようである。それでも本人は血色もよく顔もふっくらしていて健康そうなので、そのことを褒めると、有難うございますとこの時ばかりは...妻5度目の入所後の容態(22)

  • 家族

    昨今、夫婦別姓論が声高に広がっているが、私にしてみれば、少年時代、祖父母や両親のみならず子供に至るまで全員が同一姓を名乗っている家族が羨ましく、我が家族の変異な構成を嘆いたものだ。というのは、父母は内縁関係にあったため、当然別姓であり、最初の夫との間に生まれた長兄は母と同じM姓、2番目の夫の子である次兄は親戚筋の名跡を継ぎN姓を、私は父方の姓であるI姓を名乗っていた。かように兄弟3人がすべて父を異にする複雑な家族であったため、単一姓の家族が羨ましかったわけである。写真は私の小学校(当時は国民学校)入学を記念して撮ったもので、長兄は戦地に赴いていたのでここには写ってはいない。(父52歳、母47歳、兄19歳)第2次世界大戦直後にもともと身体に支障のあった父と次兄は相次いで亡くなり、母がN姓を継ぐことになったた...家族

  • 東京大空襲の日に思う

    今日(3/9)は69年前(1945年)の東京大空襲の日に当たる。公式には3/10がその日とされているが、実際には、空襲は前日の夜半前から始まったので、被災者は3/9をもってその日と認識している人が多い。多いと言いながらも、大半の人はすでに鬼籍に入っており、一方2011年3月11日に発生した東日本大震災が人々の記憶に真新しいことから、東京大空襲のことは既に負のレガシィとして歴史上に名を残すのみと言った感があり、当時の被災者の一人として内心忸怩たる思いを禁じ得ない。当時の歴史を紐解くと、その夜は米国機B29が300機も来襲し、焼夷弾を下町中心に無差別に投下し、およそ10万人が犠牲になったと言われています。神田の東地区に住んでいた私たち家族は、幸いにも近くに映画館撤去あとの地下室を防空壕として近所の人と共に利用...東京大空襲の日に思う

  • 妻5度目の入所後の容態(21)

    最近の妻の病状(267)今回もまた他人と認識されてしまった。月一回の妻との面談、一縷の希望をもって次男と臨んだが、またも空振りに終わった。ま、元気そうだったし、本人も一番楽しいことは「ご飯とおやつ」と言うくらいだから、まず身体の方は心配あるまい。昔のことは何も覚えていないらしく、趣味だった西洋刺繍やグランドゴルフのこともやったことはないと言う。他人に口の中をいじられるのが厭らしく、隔週の歯医者の検診も受けてないようだ。本人曰く、今日も歯医者さん来てるみたいだけど私は嫌、とはっきり言いきっていた。ともかく内容のある会話はできないので、次男の提案で早めに尻取り遊びに切り替え、間を摂ることにした。本人は初めは知らないと言っていたが、すぐに慣れ、やや詰まる場面もあったが、どうにか進み、「ま」の場面で、「マッターホ...妻5度目の入所後の容態(21)

  • 幻の金婚式

    昨日は2月15日、最初の妻が生きていれば、結婚し、ちょうど50年、本来なら子や孫たちに囲まれ、金婚式を祝ってもらえる日になる筈であった。7年後、一子をもうけて喜びに包まれた直後、私の至らなさから、非業の死を遂げたこと、それ以来、心の闇となって久しい。今や祝ってもらうどころか、この日が金婚の日に当たるとは息子を始め、親戚の人らも誰一人覚えていまい。実に寂しい限りである。尤も息子はまだ生まれてなかったし育ててくれたのは継母であるので、この特別の日を知る由もないがーーーかくて一人、50年前の白黒写真を探し出し、新婚当時の思い出に耽る今日この頃である。幻の金婚式

  • 妻5度目の入所後の容態(20)

    最近の妻の病状(266)本日は本年最初の妻との面会日であり、昨年末は義妹同行にもかかわらず、他人同士の会話に終始したので、今回は捲土重来を期し、再び義妹に同行してもらい、入所先を訪れる。結果は残念ながら、散散なものだった。認知の症状は前回より進んでおり、何を聴いても頓珍漢な答えしか返ってこない。自分の年齢はおろか名前さえ知らないとのこと。それでも黙り込むことはなく一応反応があるのが救いである。写真を見せて子供や孫の話をしても、私結婚したことがないからそんな人居るわけがないと一蹴されてしまう。これまでかかわってきた地名の話をしても、そこは火事で焼けてしまったとか、地震で壊れてしまったなど、非現実的な答えしか返ってこない。唯一正確に答えられたのは「今日は1月31日、水曜日」であった。日付についてはいつもホール...妻5度目の入所後の容態(20)

  • 妻5度目の入所後の容態(19)

    最近の妻の病状(265)期待はものの如く打ち砕かれた。一昨日(12/27)は月一回の妻との面会日であり、必勝を期して義妹と訪れたのだったがーーーこれまでは次男と一緒の時は認識されずに終始していたが、義妹と来た時はいつも他愛無いながらも会話が弾んでいたので、今回も本年最後のお喋りができるものと臨んだだけに落胆度大であった。何を聴いても「知らない」「分からない」の一点張りで、私に対しては「知らない、初めて会う人」と宣う始末。妻にしてみれば、どこの馬の骨ともわからない二人がなぜ来たのだろうと思ってるやに想像できるほどだ。自分の誕生日はおろか名前まで知らない、今日の日付までも知らないというに至っては、取り付く島もない。場が持てないので、仕方なく尻取りゲームをしたが、こちらは幾分詰まりながらも、語彙は結構あるように...妻5度目の入所後の容態(19)

  • 筆仕舞い

    中学生時代から続けてきた年賀状ですが、来年は私にとって米寿に当たる節目の年であり、透析生活も10年目を迎え、気力体力の衰退は如何ともしがたく、今回をもって賀状の筆仕舞いをすることにしました。思えば、現役時はアナログ時代でもあり、一時500通を超える年もありましたが、退職後は徐々に減少に努め、最近は100通を切るまでに至っていました。しかしどうしても先輩なり、後輩でも毎年必ず元旦に届いている方々にはこちらでも欠かさず礼を返しておりました。しかし、一人暮らしで日々生きていくのがやっとという今日にあっては、遺憾ながらこの度最後の57人宛をもって筆仕舞いを決心した次第です。これらの方々とはこれからは可能な限り、SNS上でお付き合い願えればと思っています。もっとも日々衰えていく身にあっては、思い通りに行くかどうか怪...筆仕舞い

  • 妻5度目の入所後の容態(18)

    最近の妻の病状(264)一昨日(11/15)は妻との面会日。月に一回15分と限られている。ここ2か月は義妹と来てかなり会話が弾んだので、今回3か月ぶりとなる次男も期待大であったが、ものの見事に打ち砕かれた。全然我々のことを認識してくれず、知らないの1点張り。しかも先月あれほど意気投合した義妹のことも覚えていないという。自分が誰であるか?ここの人は全員自分の名前を知らないという。誕生日はおろか自分が何歳であるか?ここの人全員と同様、知らないという。ただ、今日は何日かは、なぜか正確に答え、「肌の色が白くなったね」と言うと、「全然外に出ないから」と至極もっともな答えが返ってきた。好きな食べ物は?に対しては「全部美味しい」。身体でどこか悪いところある?との質問には、「どこも悪いところない」と至極健康的な答え。掛け...妻5度目の入所後の容態(18)

  • 妻5度目の入所後の容態(17)

    最近の妻の病状(263)恒例となった月1回の妻との面会。今回は順番では次男と来る予定だったが、次男が僕よりもT叔母さんの方が母の機嫌がよいからと辞退したので、前回に続き義妹の出番となった。美味しいおやつのあとだったせいか、妻はご機嫌そのもの。座るや否やピンポン玉のように会話が弾み、期待通りの15分間であった。おやつに何を食べたか、昼食は何を食べたまで覚えていたし、嫌いなものはなく、全部美味しいとまで言い切った。自宅そのものは覚えていなかったが、隣の家のことは覚えていて、奥さんがきつい人で、ご主人のことを「パパ、パパ!」と呼んでは仕事をさせていたこと、その他、近所の2、3人の奥さん連についても思い出していた。こんなことまで思い出したのはかつてないことであり、驚いた次第である。誕生日も7月20日と口にしたし、...妻5度目の入所後の容態(17)

  • 松戸入院紀行

    透析生活も9年目に入り、左腕シャント付近の血管が盛り上がり大きな瘤となってしまったのでその手術を受けるため松戸のTK病院へ10月18日に入院することとなった。本来なら今通っているT病院で手術を受けられればいいのだが、あいにく当病院には血管専門医がいないため、やむを得ずの行程である。10時までに入院してほしいとことで、一泊分の必要アイテムをリュックに詰め、息子の車で行くこと30分余。入院手続き後、息子はそのまま帰し、まずは各種検査へ。PCR検査、血液検査、心電図、X腺検査とこなした後、3階の病棟に案内される。ところが、案内されたのは個室。あれ?おかしいな、個室など希望してないのだがーーー4人部屋は空いてないのか?と訊いたら、4人部屋をご希望ですか?と来た。手違いもいいところだ。改めてベッドごと移動し、4人部...松戸入院紀行

  • 今日は何の日?

    今日は10月22日、かつて私が愛して止まなかった前妻の生誕日である。生きていれば、今日で満82歳に当たる。きっと好々爺ならぬ好々婆になっていたに違いない。29歳というあまりに短い人生であった。決して超美人ではなかったが、私にとっては人生で最高のパートナー、最も魅力的な女性であった。昭和43年2月ころ、新橋の英会話スクールで出会い、クラスが違うので授業中に会うことはなかったが、偶々ある先生の肝いりで、希望者は残って合同の交流会をすることになり、そこでの自己紹介を通じて知り合ったわけである。数回の交流を経て、互いに連絡先電話番号を交換し合い、交際が始まったが、それが彼女にとって良かったことなのかどうか、別の男性と結ばれていれば、早世することもなかったのではないか?これ以後のことについては、先にこのブログで「結...今日は何の日?

  • 妻5度目の入所後の容態(16)

    最近の妻の病状(262)今日、9月29日、ようやく妻の入所先の新型コロナウイルス感染症も終息し、偶々予約してあった今日から面会可能となったことから、義妹とともに訪れる。ただ、接触管理は、アクリル板は以前より大きくなっており、それを越えての写真撮影や身を乗り出すことは厳禁とするなど一段と厳しくなっており、妻も当初は「聞こえない」と言ったほど。本人は素顔ながら我々はこれまで同様マスクのみならずフェースシールドまで着用を義務付けられており、担当のスタッフの方も極力我々と本人を接触させまいとしているのが窺われた。15時になり、スタッフの方に促されて所定の場所に行くと妻はすでに着席していた。アクリル板越しに「こんにちは」と言うと「こんにちは」と返ってきたが、にこりともせず、だれだろうと訝っているかのようであった。前...妻5度目の入所後の容態(16)

  • 母のこと

    去る8月27日は母の祥月命日であった。亡くなったのは今から遡ること43年、86歳と2か月であった。内縁を含め3度、夫に先立たれ、大正12年の関東大震災、昭和20年の東京大空襲と2度の大災害に遭遇するなどまさに波乱万丈の一生だったと言える。関東大震災では上野の山に避難したと聞いているが、詳しいことは聞きそびれたまま逝かれてしまった。家族状況も複雑で、最初の夫との間には5年間で2人の男の子を設けたが、二人目は僅か3歳で夭折したと聞いている。当時は数え年だったから、実際には満2歳前後であったと思われる。最初の夫に先立たれた後、次の夫とは男子1名を設けたが、若くして肺結核を患い、こちらも終戦を待たずに22歳で死に、残ったのは20歳も年上の長兄と、3度目の夫との間に生まれた私のみとなった。兄は高等小学校しか出てなか...母のこと

  • 妻5度目の入所後の容態(15)

    最近の妻の病状(261)8月16日、猛暑の中、予約してあった14.30からの妻との面会に次男と共に入居先に訪れる。前月、義妹と来た時は低レベルながら会話が弾んだので、今回も、と勇んで面会に臨んだが、いきなり我々のことは「知らない」と突き放されてしまった。ミーちゃんのことは、やはり「ここに書いてある」とMi-chanの刺繍を指さし、誇らしげ。前回あれほど和気藹々とやり取りした義妹の存在すら「覚えていない」という。今日の日付や年齢についても「知らない」の一点張り。ミーちゃんに歌を歌わせると、一応「上手だね」と反応は示すものの、こちらから促さない限り、自分から積極的に話しかけることはなかった。何が一番好きか?と問うたところ、「おやつ」と言う。ちょうどこれからがおやつタイムだと承知していて、期待を込めて言ったので...妻5度目の入所後の容態(15)

  • 妻5度目の入所後の容態(14)

    最近の妻の病状(260)今日(6/26)は新面会制度になって4度目。59日も間が空いてしまったので、いくら相性のいい義妹が一緒でも、果たして認識してくれるだろうか?との不安を胸に14時30分からの面会に妻の入所先に向かう。義妹の提案で、以前連れて行くと妻が喜んだミーちゃん(喋る人形)を覚えているかどうか、これも認識材料の一つとしてリュックに入れて出かける。結果は杞憂であった。我々の顔を見るなり、「T子さんにT夫さん!」と嬉しそうに叫ぶではないか。もちろん、ミーちゃんのことも覚えていて、早速話しかけていたが、家で冬眠中のものをそのまま持ってきたので、電池切れで反応なし。。今度は電池入れて持ってきてね。と言われてしまった。義妹が「よくミーちゃんだってわかっわね、と言うと、そこに書いてある、と切り返さてしまった...妻5度目の入所後の容態(14)

  • 再びのェアコン修理

    猛暑続きで辟易しているこの時期、2年前に続き、又もや居間のエアコンがダウンし一向に冷えなくなった。2年前は辛うじて10年の保障期間内であったので事無きを得たが、今回は完全に保障期間外なので、余程買い替えようかとも思いつつ、自分の年齢を考えると、やはり直るものなら有償でも直してもらおうとメーカーの修理部門にお願いして来てもらった次第である。原因は主に室外機のガス漏れであった。補充するとすぐ直ったが、部品も取り換えておいた方がよいだろうと、5日後にまた来てやってくれた。作業員はどこか見覚えがあると思っていたが、2年前に来た同一人であった。朴訥ながら、仕事は丁寧で確実、信頼度の高い人だった。おかげで今は外は酷暑であろうが、居間で快適に寛いでいる。以上再びのェアコン修理

  • 87回目の誕生日に思う

    去る6月28日は87回目の誕生日であった。すぐにもその日に感想を書くべきであるのに、ここのところの気力体力の衰えは如何ともしがたく、本日に至った次第である。この間、息子らを始め、SNS仲間から数通のお祝いメッセージをいただいた。こればかりは幾つになっても嬉しいものである。ただそれらに対し返礼メールを作成するのも大変であったがーーー兵庫の友人から87歳は、75歳の後期高齢者の時から数えてちょうど干支一巡したことになるとの指摘を戴いたが、なるほどそういう考え方もあるかなと感心する。さしづめこれからは末期高齢者ということになろうか?かつては数え年88歳をもって米寿のお祝いがなされたものだが、現在は古希も喜寿も傘寿などもすべて満年齢をもって対象年としているようである。あと1年、頑張れるかどうか?最近は透析疲れに加...87回目の誕生日に思う

  • 妻5度目の入所後の容態(13)

    最近の妻の病状(259)本日は新面会制度になって3度目。次男と共に指定された2時45分から15分間の妻との面談のためCホームを訪れる。妻にはこの病気の特性として明と暗があり、前々回の面会では全くの他人扱いだったで暗、前回は初めから我々のことを認識し会話も弾んだので明であったが、果たして今回は?と期待と不安交じりで臨んだが、結果は明と暗の中間であった。我々の名前はちょっとしたヒントで認識してくれたが、本人としては必ずしも納得はしてないようだった。面会コーナーへ連れてきてくれたスタッフの方が、ほら、旦那さんと息子さんよ、と促したが、妻はいつものように「私、結婚したことないから、旦那や息子がいるわけがない」と主張して譲らない。自分の名前、憶えている?と問うと「の〇〇き〇〇」と先生がつけてくれたの」と、まるでそれ...妻5度目の入所後の容態(13)

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