恥ずかしいことながら、昨年末から今年春にかけて思わぬタイムロスが起こり、時間を無駄にしてしまった感がありました。人生限られた時間、足元に気をつけながら大切に歩まねばと実感しています。以降また通常のサイクルに戻るべく型抜きして乾燥させたものを素焼きしていきます。窯のところの蛍光灯の調子が悪く、懐中電灯で照らしながら作業中です。窯入れ・素焼き
今戸人形(今戸焼の土人形)、できるだけ昔の姿を再現できるよう悪戦苦闘しています。
生まれ育った東京隅田川の畔の天然土を材料に戦前までで廃れてしまった東京名物の今戸人形(今戸焼の土人形)古いお手本や資料を頼りにできるだけ昔の姿を再現できるよう悪戦苦闘しています。
一昨日まで家の用事で亡父の故郷の山形ととなりの宮城に出かけて帰ってきたところですが、あちらでもウグイスやカエルの声が聞こえてくるくらいに季節がすすんでいました。今日の東京、まだ4月であるのが信じられない蒸し暑さです。私の住む赤羽では年に一度の馬鹿まつりで駅周辺でいろいろなイベントがあるようで人出があるようですね。水浴びしたいくらいの陽気なので水簸(すいひ)作業向きでもあります。先日作業して沈澱している上澄みの水を取り除いてできた空きスペースに撹拌した泥しょうを篩(ふるい)にかけながら流し込みます。撹拌用のバケツにできた空きスペースには水を張って採ってきた土を柔らかくしていたバケツから加えておいて撹拌にまわしていきます。まだ4月なのに。。
だいぶ日差しも力強くなってきて汗ばむほどになってきました。土づくりして貯めてあった分がなくなってきて給水鉢に寝かせてあったのを練って使える分がぎりぎり。水も痺れる冷たさではないので水簸(すいひ)作業を今日再開。昨日今日、所によっては蚊柱が立っているのを目にしたり、泥を撹拌しているところに早速蚊が寄って来たりと、今さらながら自分の作業のサイクルがまるで稲作のと重なっているのかな?とひとり合点したりしてます。田んぼに水を引いて代掻きだ田植えだという地方もあるでしょう。そういう作業の傍らカエルの合唱も始まるイメージです。我が家は住宅密集地の中でカエルの声にはご縁がありませんが、泥バケツの前に腰掛けていると、何やっているのか猫さんが遠巻きにチェックしに来ます。田んぼといっしょ?
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恥ずかしいことながら、昨年末から今年春にかけて思わぬタイムロスが起こり、時間を無駄にしてしまった感がありました。人生限られた時間、足元に気をつけながら大切に歩まねばと実感しています。以降また通常のサイクルに戻るべく型抜きして乾燥させたものを素焼きしていきます。窯のところの蛍光灯の調子が悪く、懐中電灯で照らしながら作業中です。窯入れ・素焼き
寒さ厳しい冬だと思っていたら、いつの間にか春めいた陽気。恒例信州中野のひな市。今年も上記「全国土人形即売会」の枠に出品させていただきます。ただ、のっぴきならぬ事情で支度していたものすべてを完成させるに至らず、少しですが、オリンピックではないけれど、出品させていてだけることがありがたいことと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。お知らせ「中野ひな市2025」
久しぶり窯の炉内いっぱいの素焼き。いつもこのくらい貯めてから窯を稼働させたいものです。窯出し
天気がよくて落ち着いているので洗濯日和というとけろですが、室内で干していた人形を天日干しにかけます。室内から天日である程度乾燥していないと、天日による急激な乾燥からヒビ割れたりすることもあるので慎重に。はじめ簾を被せて間接的に日光を浴びせ、途中から簾をはずします。しっかり乾燥できたら窯入れです。天日干し
自分の作業能力、作業環境をはるかに超えた数とタイムリミットつきの案件が降りてきて、どたばたしています。せめてレギュラーなスケジュールを侵食してこないよう対応したいものですが。。。おお慌て
春の彼岸の入りから2日目。江戸以来の流れを汲む最後の今戸人形の作者だった尾張屋金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)のご墓所のお参りに浅草今戸まで行ってきました。雨もあがって安定した天気で今戸までの往復の道中落ち着いて移動できました。桜の一部な木瓜の花など道端を彩っていい感じでした。「べらぼう」の効果なのか、千束から山谷堀にかけて写真を撮って歩いている人たちが多い感じでした。このところやたらキツイ「べらぼう」な事案に縛られ作業で座りっばなしで腰が嫌な感に悲鳴をあげてますが、何とか乗り越えたいものです。春のお彼岸
昨日の雨とうって代わり今日はよい天気で暖かく、待ちに待った屋外作業のできる日。沈殿サせていた水簸(すいひ)済みの泥しょうの上澄みの水を取り除き、沈殿していた泥を吸水鉢に移します。その前に吸水鉢で寝かせていた粘土を外に出します。この粘土こそが人形の材料となる江戸前の土です。各地の名産物の生まれたストーリーに違わず、今戸焼、今戸の土人形は荒川、隅田川の土色があったからそれを材料として生業とする人々が現れたわけで、その根拠やとなった土を材料として作ることに意味がある。そう信じて作業しています。今吸水鉢に移した泥しょうは時間をかけて水分を除いて粘土になります。江戸前の土
厳寒の中入みたいな春めいた陽気で2度ほど続いた水簸(すいひ)作業。明日から寒波が再び到来と聞いて、水簸やるなら今のうちでしよ、とばかり2回目で沈殿させておいた分の上澄み水を除いて篩(ふるい)にかけながら撹拌させた泥社しょうを流し込んでいます。今流し込んでいる分が沈殿できたら、様子をみて給水鉢に移せたらと思います。かたずけをしていたら、ご近所付き合いしているさくら猫の黒ちゃんが傍で覗いてました。やるなら今でしよ
2月29日江戸から続いた最後の生粋の今戸人形師だった尾張屋金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)のご墓所へお参り用させてもらっています。春吉翁の御命日は2月29日で4年にいちどの閏年のカレンダーにしかあらわれないのですが、28日か3月1日にお参りさせていただいています。昨日今日は花見の時期かゴールデンウィーク並の陽気で出かける服装に迷うくらいでした。三河島、根岸、金美館通り、お富士さん経由で今戸の春吉翁の菩提寺へ。お寺の境内の紅白の梅は盛りを過ぎた模様。久しぶりにお寺のハスキーちゃんに再会。春吉翁のお墓の拭き掃除をして既にお供えされていた花見と持参した花とをいっしよにお供え。お線香をあげて手を合わせ、失礼してきました。帰り道、山谷堀から見返り柳、衣紋坂、大門アトから仲の町通り、吉原神社と弁天様辺り、新しい大河...お参り
あしたは3月。床に堆積している紙を整理していたらみつかったレターパックの配達物。開けてみたらイラストレーターの佐々木一澄さんによる今年2025年の郷土玩具カレンダー。開けてみたら拙作の客寄せ狸(江戸以来の伝統を引く最後の今戸人形師だった尾張屋金澤春吉翁明治元年〜昭和19年のお作りになった人形をお手本に作ったもの)も描いてくださったのでした。何を今さらというタイミングですが、ありがとうございました。今更で怒られちゃう。。。
日差しがあって温たか。この天気に水いじりの作業をやらない手はありません。先週の午後温かだったときやっておいた水簸(すいひ)作業の分がきれいに沈殿しているので、上澄みの水を除いて空いたスペースに新たに撹拌した泥を篩(ふるい)にかけながらに流し込みます。バケツいっぱいにしたところへ蓋をして寝かせると沈殿し、上澄みを除いてまた同じ作業を繰り返していきます。小春日和
先に記しました他、諸国民芸「銀座たくみ」さんへも数点お持ちする見込みとなりました。お知らせまで。追伸:遅ればせながら干支の巳「三宝のり巳」について
年明けから時間が経ちましたか、お知らせさせていただきます。今年の干支の巳「三宝乗り巳」は年末の羽子板市で僅かですがならべていただきました。その後作り足していた分、いろいろな急行通過を待って塗り終えた数点づつですが、駒場のべにや民芸店、駒込の民芸しもと(標)さんにお渡しさしてきましたのでよろしかったらご覧ください。他のお店にも相談中ですが、様子により改めてお知らせします。画像の「三宝乗り巳」ですが、3つのパーツを型抜きして合体させる作りで数多くできなかったのですが、お店にお持ちした分以外にご希望あれば、お時間いただきますが、お店をとおしてお伝えいただければ、と思います。べにやさんにはほんじつ、鞠猫やあぶ惣型招き猫貯金玉をお渡ししてきました。丸〆猫(昭和戦前風型、嘉永安政風型)、本丸〆猫、左招き猫(明治風)、...遅れ馳せなから干支の巳について。
明日は初午なんですね。昨日電話を受け、明日初午だけど授与用の招き狐はどうなっているか?ということなんです。暮にもう全然在庫がない、と聞いて、ちびちび型抜き、素焼きして貯めておいたのですが、寝冷えして風邪をぶり返したりで電話なしでは、タイミングを逃してしまうところでした。焼き貯めておいた分を昨日から突貫作業でヤスリがけから地塗り、彩色まで進んだところ。乾き次第、透明な袋に詰めていきます。朝のうちに無事王子の装束稲荷の奉賛会の方にお渡ししたいです。装束稲荷の招き狐
本日2月4日(火)より仙台光源社さんの催事「郷土玩具雛の会」が開催されます。拙作の一文雛のほか、鉄砲狐、ひねり鳩などをお送りしているほか、猫ものを追ってお送りする予定です。詳しくは仙台光原社のホームページをご覧ください。リンクはこちら→郷土玩具雛の会(仙台光原社)
昨年暮れに産経新聞の記者さんとカメラマンさんとがうちの狭い作業場を取材にお越しになられた記事です。豪徳寺の招き猫の軒の下を借りたような体裁だと思いますが、何もないより全然ありがたいこと。上段左側の部分に今戸焼の土人形から生まれた招き猫の具体的な最高の作例と言える丸〆猫のこと、うちで再現を試みていることに触れていただいています。「今戸人形作家」というタグが面映いですね。作ってはいますけど「作家」っていう言葉のイメージはというと、インスタントコーヒーの♬ダバダ〜♬てな感じ(昭和すぎて最早通じない???)ありがとうございました。産経新聞(令和7年1月10日号)より
イラストレーターグラッフィックデザイナーの佐々木一澄氏企画による郷土玩具の展示即売イベントが渋谷区神宮前4丁目にあるOPAギャラリーショップにて開催されます。ありがたいとに拙作の人形も並べてくださり感謝しています。詳しくはリンクを張っておきますのでご覧ください。佐々木一澄氏新春企画「第11回日本の郷土玩具」(OPAギャラリーショップ)
昨夜仕上げた人形を携え、自転車で浅草へ。吉徳さんの露店でお渡ししてきました。羽子板市は明日までです。羽子板市2024(2日目)
遅れ馳せながら来年の干支の巳の拙作人形です。ひとまわり前の巳年に作った3種のうち2種に取り組み中ながら遅れています。とりあえず浅草羽子板市にご出店中の吉徳さんの露店に並べていただくべく3点だけですが急いで塗っています。おおかた構図や配色など12年前と変わりありませんが、微妙な変更があります。大同小異といったところです。またいく年の干支の辰ですが作業場のの事情などあって進んでいませんが、まずは吉徳さんにならべていただこうと、有卦船ひとつと善玉悪玉ふたつ取り急ぎ塗りました。巳も辰もこれから進めたいと思います。干支の巳ほか
一昨日お持ちできなかった人形を浅草の観音様境内で開催中の羽子板市の吉徳さんご出店の露店へ自転車で直接搬入させていただきます。吉徳資料室で学芸を担当されていた森直輝さんが接客されています。「もう売れちゃったのありますよ」とお知らせいただきましたが、どれだったおたずねするの忘れました。ひねり鳩の類いかな?何にまして毎度うれしくありがたいのは、ここ観音様の境内で今戸人形が鬻がれてきた歴史があって、その場で拙作の昔の今戸を目指したものを並べていただけること。最後の生粋の今戸人形師だった尾張屋金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)と親交のあられた吉徳さんに並べていただいているなんて感無量量です。ありがとうございます。明日また仕上がったものを運ばさせていただこうと思います。羽子板市2024(1日目)
一昨日まで家の用事で亡父の故郷の山形ととなりの宮城に出かけて帰ってきたところですが、あちらでもウグイスやカエルの声が聞こえてくるくらいに季節がすすんでいました。今日の東京、まだ4月であるのが信じられない蒸し暑さです。私の住む赤羽では年に一度の馬鹿まつりで駅周辺でいろいろなイベントがあるようで人出があるようですね。水浴びしたいくらいの陽気なので水簸(すいひ)作業向きでもあります。先日作業して沈澱している上澄みの水を取り除いてできた空きスペースに撹拌した泥しょうを篩(ふるい)にかけながら流し込みます。撹拌用のバケツにできた空きスペースには水を張って採ってきた土を柔らかくしていたバケツから加えておいて撹拌にまわしていきます。まだ4月なのに。。
だいぶ日差しも力強くなってきて汗ばむほどになってきました。土づくりして貯めてあった分がなくなってきて給水鉢に寝かせてあったのを練って使える分がぎりぎり。水も痺れる冷たさではないので水簸(すいひ)作業を今日再開。昨日今日、所によっては蚊柱が立っているのを目にしたり、泥を撹拌しているところに早速蚊が寄って来たりと、今さらながら自分の作業のサイクルがまるで稲作のと重なっているのかな?とひとり合点したりしてます。田んぼに水を引いて代掻きだ田植えだという地方もあるでしょう。そういう作業の傍らカエルの合唱も始まるイメージです。我が家は住宅密集地の中でカエルの声にはご縁がありませんが、泥バケツの前に腰掛けていると、何やっているのか猫さんが遠巻きにチェックしに来ます。田んぼといっしょ?
こういう問題はひとり腹に抱えておくべきか、でも生来隠しておけない性分だからアップしてしまいます。お納めさせていただいているお店のお客さんで、拙作の両手挙げて招いている狐が欲しいという方がいらっしゃるそうで、おしらく狐拳の狐をイメージされているのだと思います。狐拳は庄屋と猟師と狐で拳を打つ人形で組でこそ意味をなすものです。愛好家の方が狐拳の狐一体をまねき狐として楽しまれることには一向に構わないことなんですが、狐拳の狐だけ注文されるのは本来意味から逸脱することを作り手自らに要求されるようで自分自信が欺瞞に働いているような気になっています。ただそのお客さんのご希望を叶え差し上げたいので将来的には狐拳とは別の独自両手招き狐を創作して差し上げたいとは思いますが今すぐというのも厳しい話。そこでかなり昔、三十年くらい前...葛藤
今年もまもなく長野県中野市のひな市が開催されます。ひな市スケジュールに中、「全国土人形即売」という枠の中で拙作のもの出品させていただく方向でお送りさせていただいてます。自分にとって作ったものを並べていただけるきりがありがたいことです。お出かけの方いらっしゃればご高覧賜りたくよろしくお願いいたします。お知らせ「中野ひな市2024」
数年前に起こした江戸時代の太夫をお手本に作った太夫の形に尾張屋さん風の配色パターンで塗ってみました。裲襠に松が描かれているいわゆる「松の太夫」風な彩色に初挑戦。型が尾張屋さんのものより丸っこい感じなのと腰から下がやや詰まっているのですが、面描きは尾張屋さんのゆったりのんびりしたタッチをそのままでは難しいので筆を走らせるようなイメージで描いてみました。自画自賛になるかもしれませんが、ファーストトライとしては悪くはないように思いますがどうでしょうか。裲襠の配色は春吉翁作のものには別のパターンもあります。額の辺りのバランスも更に練習が必要だとは思っていますが。。ブギウギではないけれどズキズキワクワクしながらの彩色です。松の太夫
炉内スカスカで満を期して、という状態ではないのですが急ぎでこうなっています。当然炉内いっぱいにして素焼きするのが自分なりの納得ですが、、。確定申告とかのハードルがなかったら、、とボヤぃても。。。まあ人生山あり谷ありとかいいますけど。。。ボヤッキー。これからMAX800℃の素焼き。炉内500℃に達するまでは蓋を密封せず水分を逃します。明日遅くに炉内温度が100℃以下に下がっていれば取り出すことができそうです。無事に焼き上がりますように。。窯入れ·素焼き
お彼岸2日目。江戸伝来の今戸人形生粋の最後の作者尾張屋·金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)の御墓所へお参りさせてもらいました。風が強かったですね。突風の中、自転車に負荷がかかって進みにくかったり、ペットボトルが路上に舞い上がったり、、。日差しは暖かく、寒くはありまでんでした。お掃除させてもらってからお線香をあげてお参りさせてもらいました。春のお彼岸
今日、土いじりに暖房なしで作業できるのを実感。春なんだな、と体感的に知ることができました。久しぶりに火入れを型抜きしています。うちのように狭いスペースでは火入れサイズの割型を開くのも窮屈なにですが、ストーブなしでいられる気温がうれしく型抜きハッスル中です。冬眠から目覚めたタヌキのような感じでしょうか。。。春モード
今日2月29日は江戸から続いた今戸人形の生粋の最後の作者であった尾張屋金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)の御命日です。今年はうるう年なのでまさに29日が暦にあらわれて、お参りさせてもらっています。。他の年には28日にお参りさせていただいていたのでした。前の前のうるう年の御命日だったか、もうひとつ前のうるう年だったにはドカ雪が降って御墓所で雪かきした憶えがありますが、今年は曇ってはいても落ち着いた天気で何よりでした。画像の春吉翁は不知火関(小)の彩色をされているところですね。将に化粧廻しの部分を塗られていらっしゃいます。白黒写真なのでわかりませんが、朱色の部分のようにみえます。画面向かって右端には裃雛(下総雛とも)の女雛が見えます。ご生前に映画で記録されている由。しかし、そのフィルムの行方についてはどうなっ...春吉翁のご命日
タイトルのように、2月22日はニャンニヤンニヤンで猫の日なんだそうです。今日に合わせて新登場の今戸の猫をリリースとはいきませんがこれまでの拙作の猫画像を貼りつてみようと思います。画像を探すのに時間差ができますが、みつかったら追加したいと思いますにゃー。h今日は猫の日
先日仙台宛雛を仕上げて発送し、これから干支ものと初午の授与品や狐もの人形を、と舵をとってはいたものの、カレンダーをしっかり確認せずいたので、明日が11日、そしてあさってが初午だと気がついてパニック。王子装束稲荷さまからの授与される招き狐は昨年末にはまだ余裕があるから追加の必要がない認識でいたのが、明けて正月5日に芝居に出かけていた矢先、大晦日狐の行列で完売して底がついた由電話が入ったので急ぎ土で型抜きした分を今慌てて彩色してます。暮れ以来の辰の干支ものを早く仕上げてお納めすることと、装束稲荷の狐以外の人形類を王子へお持ちしなければ、という焦りもあるなか、初午当日に狐が底をついて授与できない心配もあって、三つの目標が三つ巴のようになっていました。まずは授与されるものが最優先だと考えて急ぎ彩色を進めています。...うっかり
暮れからの流れで、何を優先して進めているのか、と疑問に思われる方もおいでか、と思います。羽子板市以来の干支の辰も途中です。この仙台宛のものは昨年度に受けていたものの一部で、去年の今頃体調の不振でもしやコロナに罹ったのでは、と不安で寝込んでいたりで、やり残していたものです。今回仙台へお送りした一文雛とひねり鳩は昨年受けた分というわけで、ここでお知らせさせていただきます。これで干支と王子向け(初午、二の午)へまっすぐ舵を切れるところですが、例年の確定申告の支度というのも頭痛の種ですが。。毎度お伝えしていますとおり、干支については動くところでこの場ので改めてお知らせいたします。仙台光原社「雛の会」のサイトへのリンクを貼らせていただきます。→お知らせ「雛の会(仙台光原社)」
日々作業で目の前ことで明け暮れていたところ、べにや民藝店さんからレターパック。開けてみると新刊の「民藝」誌。めくってみるとグラビアページに拙作の座り猫と都鳥。うれしいです。これ昨年の日本民藝館展で選に入れてもらったもの。暮れは忙しくてとうとう会場へ足を運ぶことができず、また目の前ことで手一杯だったので、本当うれしい驚きです。ありがとうございますうれしい
一文雛や干支の辰。きはだで地塗りした上にすおう(蘇芳)を重ねて塗っています。画像の一文雛の女雛には10回重ねたところ、有卦船には7回重ねているところです。煮出した蘇芳の汁はワインレッドのようないろなのですが媒染として混ぜたミョウバンの酸性のためか黄色みを帯びます。しかし塗っているうちに微妙に赤みになります。同じ有卦船に顔料で塗る場合と煮出した植物の汁を重ねて発色させる場合との途中経過を並べてみました。植物の煮出し汁についてはまだ重ねが途中でこれから更に重ねていきます。すおう(蘇芳)
一文雛の女雛の衣にきはだ(黄柏)の煮汁を重ね塗りしています。画像では4回重ねたところ。最終的に上から蘇芳(すおう)の煮汁を重ねていきます。きはだは蘇芳の発色に赤みを強めるために下地です。2枚目の画像は今更ながらの有卦船できはだと蘇芳中心の彩色バージョン。船の側面は黄色の顔料で塗るところを木肌で、帆のストライプ部分をきはだと蘇芳との重ねで発色させる予定です。昨年末の民藝館展出品には「善玉悪玉」「珠とり海女」ともにきはだ蘇芳使用で彩色したのですが、「有卦船」での煮出し彩色はこれがはじめて。。どうなりますか。,顔料彩色辰も進んでいます。遅くて申し訳ありませんが、動きがあれば、この場でお知らせしまっす。ご了承ください。きはだ(黄柏)
この姿勢まるで昔ながらの駅弁売り。昨晩から冷え込みがことさら厳しくて、日頃作業している玄関の上り框(あがりかまち)付近ではヒーターを点けていても手が冷えてきます。仕方なく台所で木箱を膝上に抱えながらの作業。それでも建付けのすき間から入ってくる冷え込み。おそらく昔土人形や一文人形などを作って生業としていた無名の人たちの暮らしの感覚の一面を意図的ではなくとも追体験しているのかもと。。。理想をいえば、冷暖房設備完備の暑さ知らず寒さ知らずの松花堂弁当箱を一面に広げられるスペースで一気に作業できればな、、?とも。まあ現実的には落語で狐を塗っている情景にはかなり接近しているかと。。あるいは昭和歌謡の♫寒さこらえて〜♫みたいな???駅弁売り風作業
夜なべの作業。。眠気もしてきた。ひねり鳩、本来は生土に竹ひごを差し込んで乾燥させた上に地塗り、彩色されたものだったので脆く残るものが少ない言われています。自分で作る場合脆さを避けるため生土ではなくて、いちど素焼きした本体に竹ひご差し込むので二重に作業(①生土でで成形し、竹ひごを挿してくちばし、脚、尻尾の位置孔つける→②竹ひご抜いて乾燥させる→③素焼きする→④竹ひごを再び挿して部位を組み立て固定させる→⑤地塗りと彩色された)することになります。(本来は素焼きしないので②から④の工程はない)ことに④は土の収縮あって孔も小さくなりひごを削りながら孔に合わせるのでかなり面倒。ここの作業はなかなか思うようにいかず血圧があがりそうです。組み立て(ひねり鳩)
炉内温度が100℃以下に冷めたのを確認して窯の蓋を開けます。自分でやって言うのもおかしいかもしれませんが、掘ってきた土が素焼きでこんな赤みを帯びた色味に変化するのは不思議です。上の段の小物たち。窯から取り出しながら仕分けていきます。干支もの、王子向け、仙台向け、、。このあと彩色の前に地肌のやすりがけや胡粉による地塗りなどを済ませておきます。窯出し
実質新年あけに初窯ということになります。それにして炉内いっぱいにして焼くのが本望ですが、そうでない状態窯入れするの些かもったいない気分です。しかし際ということ優先しなければなりません。画像1枚目は炉内棚板2段目。細かなもの小さいものを並べ終わったところ。下の隠れている段には「有卦船」をはじめ辰干支ものが並んでいます。蓋を半開き状態素焼き運転開始。毎度ことながら炉内500℃なるまでは蓋は半開きにして「炉内の水分を逃がします。これから目覚ましをかけて仮眠をとります。炉内の温度を確認の上、改めて窯の蓋を閉めに起きます。窯入れ·素焼き
先日初芝居興行を歌舞伎座へ観に行き、芝居がハネて、帰りに何か食べようと移動中に携帯に連絡が入り、装束稲荷の授与品である招き狐が大晦日の「王子狐の行列」で全て授与されて無くなった由。暮の状況では、まだ余裕があるので急ぎ作り足す必要がないということだったので意外な展開。装束稲荷の神様への信心で善男善女がお求めになられたのが事実ではあるけれど、作らせてもらっている身としてはうれしいことです。今、遅ればせながら干支の辰の人形彩色しながら足りない分を粘土で型抜きもしていたところなので招き狐もぼちぼち抜きはじめました。天気予報で今夜は一番寒くなる、と聞いていたのが、午前4時過ぎあたりからやたら寒く感じています。とりあえず電気のファンヒーターを点けながら重ね着して作業していますが、それでも指先が麻痺しそうな寒さ冷たさで...狐の追加