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唯識に学ぶ・誓喚の折々の記 https://blog.goo.ne.jp/seikannamo

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思ってい

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2014/11/27

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  • 唯識入門(28)

    今日は。先週はお休みをいただきました。一週おきまして、今週から四分義について考えてみます。認識はいかにして成り立っているのかという考究になります。それに先立ちまして、唯識の基本に一度立ち返りたいと思います。唯識は、2000年以上も前から仏教の世界では連綿として伝わってきた思想です。唯識とは、「ただ識のみあり」、ただ心だけがあるということです。「唯識」とは、私たちの苦悩の解明に心血を注いで発見した珠玉の名言です。ただ心のみがあるとはどういうことでしょうか。私たちは私と周りの外界(環境)、あるいは私と私とは無関係に存在すると考えている外界の二つがあると考えています。所謂、主客二元論です。具体的には私が意識してもしなくても山があり、川があると思っています。唯識はそれを誤りだと指摘するのです。では何があるのかといいます...唯識入門(28)

  • 唯識入門(27)

    おはようございます。コロナウイルスの感染拡大も少し落ち着いてきた感がありますが、本当に大事なのは今現在の後ひと踏ん張りだと思います。不要不急の外出はできる限り差し控えるべきでしょうね。今の行動が明日を演出する。今の行動が未来を決定し、明るい未来の創造は、今何をなすべきかが未来より問われていることだと思います。このことを唯識ではどのように捉えているのでしょうか。難しい言葉では「三法展転因果同時(さんぽうてんでんいんがどうじ)」と教えています。『成唯識論』では所熏・能熏のまとめとして説明されています。「能熏の識等は種より生ずる時に、即ち能く因と為して復種を熏成す。三法展転して因果同時なること、炷(しゅ)の燄(えん)を生じ、焰生じて炷を燋(しょう)するが如し。亦、束蘆(そくろ)の更互に依るが如し。因果倶時なりと云うこ...唯識入門(27)

  • 唯識入門(26)

    今日は、一気に夏日ですね。体調管理しっかりと、濃厚接触は避けましょう。できるだけ外出も控えて、常日頃忘れていることを考えてみるいい機会ではありませんか。前回のつづきになります。古代の印度には論理学が学ばれていまして、特にですね、陳那(じんな・デグナ-ガ)論師が新因明学を完成させられて、唯識でもこの因明の三支作法を用いて説明されることが多々あります。前回の能熏の説明においても用いられています。宗・因・喩の三つを指しますが、宗とは、主張命題です。「AはBなり」ということになります。いんとは、宗が成り立つ理由ですね。喩は宗の正しさを裏付けるものとなります。能熏になるものは、宗とは「作用有るを以ての故に方に能熏なり。」その理由は、「無為をば簡ぶ因なり。」喩えば「種子の生滅の用有るが故に能く果を生ずるが如し。」(『述記』...唯識入門(26)

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