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唯識に学ぶ・誓喚の折々の記 https://blog.goo.ne.jp/seikannamo

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思ってい

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2014/11/27

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  • 唯識入門(25)

    今日は。今日も世間の風に左右されることなく、後生の一大事について学んでいきたいと思います。後生とは、死んでからのことを言っているのではありません。私にとって一番大切なこと。生まれてきた意味を問い、死することの意味を問う、そんなチャンスが今与えられてることに感謝の意を表し、学びを進めていくことを表しています。父が死の間際にふと漏らした一言が耳の底にとどまって離れません。「俺の人生一体何だったんだ。」と。父の問いかけに応えていかなければなりません。今日から、能熏(のうくん)の四義に入ります。前回までに述べてきました所熏については、『摂大乗論』にも同じ定義が述べられていますが、能熏につきましては、護法菩薩独自の見解になります。能ですから、熏習する方の働きの定義になります。所熏は受け入れる方、能熏は能動的に種子を受け入...唯識入門(25)

  • 唯識入門(24)

    今日は。昨夜来より爆睡しました。ちょっと疲れがたまっていて、やっぱり歳ですね。身体は正直です。ちょっとすっきりしました。唯識は難解ですか。私は何処に向かって歩いているのか。どうなりたいのかを思索する学問になると思うんですよ。いわば、無条件の救いを実現する学問です。では何故無条件の救いが完成しなのでしょう。何が邪魔をしてるのか。この状況を唯識は詳しく説き明かしています。一言でいえば、唯識無境です。境は対象ですね。識は私の心の構造になります。私の心の構造のみが存在して、対象である境は無いといっています。この「無い」は実体的に固定的に存在するものではないということなのです。実は、私も実体的に固定的に存在するものではないんですね。それは縁に由って変化する存在であるわけです。ここで、我と法が語られます。唯識は我を明らかに...唯識入門(24)

  • 唯識入門(23)

    おはようございます。あいにくの雨ですね。お昼以降春一番が吹き荒れるかもしれません。コロナの勢いは収まりをみせません。政府が七割から八割の外出を控えるようにというのであれば、あらゆる業種に御願いして、一週間から二週間、休業補償などを含めてロックダウンをするのが賢明であると思いますが、一部が動いて、お昼の営業は可能で、夜は駄目というのはどうなんでしょう。また、法規制外の営業を認めるというのであれば、水をすくって駄々洩れ状態ではありませんかね。家の近くの大型パチンコ店は来月六日まで営業を自粛されていますが、付近の個人店は営業されています。またここに依存症の人たちが集まるのですね。クラスターが発生する可能性大です。足並みが揃っていないことが要請の欠陥ではないでしょうか。それはともかく、今日は、所熏(経験の蓄積される場所...唯識入門(23)

  • 唯識入門(22)

    今回は熏習とは何かについて学びます。どのような理由から熏習という名を立てるのか。それは所熏(熏じられるもの=阿頼耶識))と能熏(熏ずるもの=七転識)に各々四義を備えて種子を生(新熏種子)・長(本有種子)するが故に熏習と名づけるのであると説明されます。種子論では、色は色という自己の種子を熏し、生じるときも同じ自己の色の種子から生じ、心は心の自己の種子を熏じ、生じるときも同じ自己の心の種子から生じる。けっして色から心が生じたり、心から色が生じるということはない。よって因果の道理に錯乱はないことを明かに説いていました。これを受けて、熏習に所熏の四つの性質と、能熏の四つの性質を明らかにしたのです。ようするに、熏習されるもの(所熏)と熏習するもの(能熏)とに分けて説明し、所熏になりえるものと、能熏になりえるものの特質を述...唯識入門(22)

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