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  • 生島足島神社(長野県上田市下之郷中池西701)

    訪問日令和9年5月26日生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)2度目の訪問になる「日本中央」とは、日本の中心に鎮座する神社からきている東鳥居境内には二つの鳥居がある夏至の日には東鳥居の真ん中から太陽が昇り、冬至の日には西鳥居の真ん中に太陽が沈むように造られている鳥居の額には社号の「生島足島神社」手水舎神池池心宮園地の神島内に社殿がある参橋を渡る小安社良縁子宝、安産子育、夫婦円満の神御本社(上社)ここを訪れて数ヶ月後にあるYouTubeを視聴した「縄文時代から存在する謎多き9つの神社」の1つに生島足島神社の名があった創建が不詳というのは、日本という国ができる前から存在していたということらしい主祭神:生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)本殿内殿には床板がなく、土間が御神体になってい...生島足島神社(長野県上田市下之郷中池西701)

  • 崇福山 安楽寺(長野県上田市別所温泉2361)

    訪問日令和6年9月26日崇福山安楽寺曹洞宗の寺院開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)*伝承では天平年間(729-749年)「行基」の建立、平安時代の天長年間(824-834年)の創立いうが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない境内図山門禅寺の境内は常に整備されていて気持ちがいい鐘楼本堂扁額には寺号の「安楽禅寺」堂内の様子本尊:釈迦如来扁額の文字「護聖(ごしょう)」は大切なものを守るという意味庫裡ここから有料となる拝観料:300円経堂(上田市指定文化財)寛政6年(1794年)宇治の黄檗山萬福寺から購入した鉄眼の一切経を保管するために建てられた「傅大師」によって考案されたといわれる廻転式書棚のような輪蔵輪蔵には古来から必ず傅大師をまつる習慣がある八角輪蔵(上田市指定文化財)天井画も美しい空穂(うつぼ)歌碑「老いの眼...崇福山安楽寺(長野県上田市別所温泉2361)

  • 一乗山 大法寺(長野県小県郡青木村当郷2052)

    訪問日令和6年9月26日一乗山大法寺比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺院飛鳥時代の大宝年間(701年~704年)に、藤原鎌足の子の定恵によって開山平安初期の大同年間(806年~810年)に、坂上田村麻呂の祈願から天台宗座主・義真により再興が図られた観音堂拝観料:300円観音堂内部特別拝観:700円(予約)予約をしていないため堂内には入ることできない扁額には「開運大悲閣」大悲閣とは、観世音菩薩の像を安置した仏堂(観音堂)を指す慈悲深いという意味もある本尊:十一面観音菩薩及び脇侍普賢菩薩立像2躯(重要文化財)厨子及び須弥壇(重要文化財)観音堂横にある観音像とても美しい姿である大法寺には「国宝の三重塔」があり、ここを訪れた目的でもある三重塔(国宝)坂を上がっていくと、日本一の美しさという「見返りの塔」が見えて...一乗山大法寺(長野県小県郡青木村当郷2052)

  • 淨瑠璃山 醫王院 淨光寺(長野県上高井郡小布施町雁田676)

    訪問日令和6年9月25日淨瑠璃山醫王院淨光寺真言宗豊山派の寺院別名:雁田薬師、妻恋薬師仁王門久し振りになるが、3度目の訪問になる仁王門横の説明機のスイッチを押すと境内に大音量で流れる仁王像雁田薬師には七不思議というものがある「七不思議其の五」に、土中から掘り出された紅白の仁王像もその一つ二人の仏師によって彫られたためで、色も縁起の良い赤と白に塗られている参道の石段「七不思議其の四」に自然石の石段がある一見雑然としているが、下の方から体を低くして見上げると、石段の鼻先が一直線に揃っている石段横に安置されている石仏薬師堂(重要文化財)室町時代の応永15年(1408年)の建立「七不思議其の一」には、この時代に施薬院が置かれ、薬師堂が建立されたことがそもそも不思議だという「国宝薬師堂」と彫られている昔は国宝に指定...淨瑠璃山醫王院淨光寺(長野県上高井郡小布施町雁田676)

  • 清津峡渓谷トンネル(新潟県十日町市小出癸2119-2)

    訪問日令和6年9月25日前日の夕方、故障したポータブルバッテリーのメーカーとの連絡がやっとついた指示された対策をやってみたが駄目で修理を依頼することになったこの日の朝、ポタ電に向かって罵声を浴びせ、拳で物理的刺激を与えてみたところ復活した清津峡渓谷トンネル「あいたの~愛犬と楽しくお出かけ~」というYouTubeを視聴し訪れた人気の観光地ということで駐車場の心配もあったが、近くの第1駐車場に駐めることができた駐車場から200m程歩くとトンネルの入口が見えてくる清津峡は、「上信越高原国立公園内」にある、信濃川支流の清津川が形成した峡谷である歩行者用の「清津峡渓谷トンネル」が掘られているが仕掛けが面白い少し歩くと受付所がある料金:大人1,000円小中学生400円トンネルの全長は750m緩やかな上り斜面になってい...清津峡渓谷トンネル(新潟県十日町市小出癸2119-2)

  • 山本五十六記念館・生家( 新潟県長岡市呉服町1丁目4−1)

    訪問日令和6年9月24日山本五十六記念館長岡が生んだ偉人「山本五十六」の生涯の足跡をたどり、その「人となり」を紹介する記念館昭和16年(1941年)の真珠湾攻撃を立案した連合艦隊司令長官、山本五十六の私物を展示している記念館前の「唐楓」入館料:500円駐車場:無料館内の撮影は禁止ということで読解力の無い私には辛い昭和18年(1943年)ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜された機体の一部パプアニューギニア政府の厚意により平成元年(1989年)左翼の里帰りが実現した記念館の受付の女性から「山本五十六の生家」が近くにあることを知らさせる駐車場がないので車をここに置いて行ってくださいと言われた(100m程歩く)山本五十六生誕の地明治17年(1884年)4月旧長岡藩士高野貞吉の六男として玉蔵院町(現長岡市坂之上町)で...山本五十六記念館・生家(新潟県長岡市呉服町1丁目4−1)

  • 金峯神社(新潟県長岡市西蔵王2丁目6-19)

    訪問日令和6年9月24日金峯(きんぷ)神社鳥居鳥居横にある駐車スペースに車を駐める鳥居の前に道路があり、車に注意しながら撮った鳥居から少し歩いた所に社殿があり、その近くに駐車場があった手水舎手水鉢には美しい花が飾られている拝殿へと続く参道では風車が迎えてくれるよく見ると金峯神社と書かれた風鈴もあるこの日は30℃を超える高温で風が吹くと涼やかな音が耳に入ってくる振り返ると三色の風車が規則的に置かれている神馬拝殿和銅2年(709年)元明天皇の勅願により北国鎮護のため大和国吉野山の蔵王権現を分霊して古志郡楡原の地に創建秋葉三尺坊は後に信州戸隠を経て遠州に渡り一大修験勢力を築いたが戦に破れ仁治3年(1242年)現在の又倉村の地に遷座信濃川河川交通の重要地であるこの地に門前町を築き、軍事勢力を持ち蔵王堂城を築き長岡...金峯神社(新潟県長岡市西蔵王2丁目6-19)

  • 雲高山 国上寺 その2(新潟県燕市国上1407)

    訪問日令和6年9月24日雲高山国上寺その2<前回の続き>寺号標寺号標には「越後一之寺国上寺」とある風神・雷神像山門前の風神・雷神像は昨年訪れた、新潟県小千谷市の「慈眼寺」にもあったが珍しい*慈眼寺には、河井継之助と新政府軍軍監岩村精一郎との「小千谷談判」に臨んだ「会見の間」が保存されている山門の彫刻大黒天像講堂前の香炉参道の風車講堂前の参道は風車で飾られている文殊菩薩合格突破鳥居と学問向上の文殊菩薩講堂の扁額扁額には山号の「雲高山」元文2年(西暦1737年)に建てられた本尊:木造千手観音菩薩立像(新潟県指定文化財)千手観世音菩薩像は、戦国武将上杉謙信が信心された霊尊と伝えられている幸せ観音観音様の周囲を三回巡ると幸せが授かると説明書きがあった3名の熟女が「遅いかも知れないが」と言いながら楽しそうに歩いてい...雲高山国上寺その2(新潟県燕市国上1407)

  • 雲高山 国上寺 その1(新潟県燕市国上1407)

    訪問日令和6年9月24日車載のサブバッテリーの他にポータブルバッテリー2個を積んできているが、ポタ電の1個が故障メーカーとの連絡が取れず、最悪、旅を中断し北海道に戻る事も考え新潟港付近に留まることにした雲高山国上寺(こくじょうじ)和銅2年(709年)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された越後最古の古刹今回が2度目の訪問となるぼけ防止・癌防止地蔵他人事とは思えない症状もあるので手を合わせたやすらぎ観音参道途中から右に入ると本堂が見えてくる鐘楼良寛像良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵がある六角堂額には「開運大黒天」本尊:大黒天像文治3年(1187年)源頼朝に追われる身となった義経は、武蔵坊弁慶をはじめ数人の家来と共に奥州へ落ちのびる途...雲高山国上寺その1(新潟県燕市国上1407)

  • 五頭山 華報寺(新潟県阿賀野市出湯794)

    訪問日令和6年9月23日弘法大師空海が開湯したという温泉が周辺にあり、華報寺境内にも共同浴場がある五頭山華報寺新潟県阿賀野市出湯に境内を構えている曹洞宗の寺院地名の「出湯」で想像できるように、温泉街のなかにある寺院という感じがする本堂創建は大同年間(806~810年)この地訪れた空海が五頭山の山頂に五頭権現を勧請し山麓に堂宇を建立したのが始まりとされている一説には天平年間(725~749年)に行基菩薩が五頭山で修行した際、霊木から4躯の優婆尊像を彫刻し一宇を設けて安置したのが始まりとし、現在、華報寺の本堂で安置されている1躯の「優婆尊(うばそん)像」は4躯のうちの1つとも云われている領主である城氏から乙宝寺(新潟県胎内市)、法音寺(新潟県新発田市)と共に領内3カ寺として庇護された五頭山は山岳信仰の拠点の1...五頭山華報寺(新潟県阿賀野市出湯794)

  • 旦飯野神社(新潟県阿賀野市宮下968番地)

    訪問日令和6年9月23日旦飯野神社(あさいいのじんじゃ)日出ずるところ始まりのときを意味する「旦(あさ)」眼下に広がる豊かな越後平野を現す「飯野(いいの)」この郷に稲作を初めて伝えたという鳥居秋分の日の振替休日ということもあり、近くの駐車場は満車で少し離れた場所に駐めた道の駅で得た情報で訪れたが千年以上の歴史を持つ神社だという手水鉢石鉢は、阿賀野市村杉温泉のラジウムを多く含んだ石水は旦飯野神社の清らかな地下水で流水を直接手に取るとのこと「旦飯野神社」と書かれた鳥居を進む神門明治初期に建てられた神門参拝者の多くが神門の彫刻を移動しながら眺めていた彫刻は十一支後に知ったが、十二支のうち何故か一つ彫られていない干支があり、それを探していたようだ狛犬神門の足元にある愛嬌のある「こま犬さん」撫で狛犬のようで、多くの...旦飯野神社(新潟県阿賀野市宮下968番地)

  • 水原代官所(新潟県阿賀野市外城町10)

    訪問日令和6年9月23日令和4年8月5日にオープンした「道の駅あがの」で朝を迎える道の駅の観光案内パンフにより、この日の目的地を設定した水原(すいばら)代官所私は時代劇が好きで、映画やドラマをよく視てきた代官所といえば「お前も悪のよう」という悪代官のイメージが強い江戸幕府は基盤となる年貢、特に米が安定して確保できる地域、交通の要となる地域を「直轄領地(通称:天領)」とした水原代官所は地方の代官所の一つであり、延享3年(1746年)から慶応4年(1868年)まで123年間続いた代官所の主な機能は年貢の徴収や民政だが、水原代官所の場合はこの地方の豊かな生産力を背景にした年貢収納を確保することや、福島潟の開発、および新発田藩・村上藩の監視が主な目的だった代官は江戸幕府を開いた徳川家の低い家格の旗本から任命され勘...水原代官所(新潟県阿賀野市外城町10)

  • 新潟総鎮守 白山神社(新潟県新潟市中央区一番堀通町510番地)

    訪問日令和6年9月22日小樽港発、新日本海フェリーにて新潟港へ向かい、秋の旅が始まった新潟市は予報通りの大雨で、観光をあきらめ道の駅「新潟ふるさと村」にて退避400台という駐車場も満車状態で、道の駅内の日本酒売り場で目の保養をしていた新潟総鎮守白山神社珈琲を飲みながら車内でのんびりと過ごしていると空が少し明るくなり小雨になった気になっていた千有余年の歴史のある神社が近くにあったので車を走らせた古町の赤い鳥居神社には参拝者用の無料駐車場があったが場所が分からず近くの白山公園駐車場へ初めて訪れる神社なので鳥居まで移動し参拝することにした「新潟総鎮守」とは、新潟の総(すべ)てを鎮(しず)め守(まも)る神様、神社という意味神社建立の年代は、永禄(1558年~)と天正(1573年~)の2度の火災により古記録を失って...新潟総鎮守白山神社(新潟県新潟市中央区一番堀通町510番地)

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