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  • 春日山 林泉寺(山形県米沢市林泉寺1-2-3)

    訪問日令和6年10月7日春日山林泉寺曹洞宗の寺院米沢藩「上杉家」の菩提寺であり、また同藩士「直江兼続」の菩提寺でもある元は、上杉家の本拠地があった春日山城(新潟県上越市)の山麓に建立された林泉寺上杉家の転封にともない謙信の遺骸、上杉家関係の文書、重宝の大半が米沢に移された林泉寺もこれに従って移転したとされる本堂内では上杉家についての説明と同時に質問もされるので油断できない以前訪れた時には謙信の幼名からの名前を質問され恥をかいた記憶がある今回は「仙洞院」について質問され困っていたところ、他の参拝者に助けられた堂内は撮影禁止、レンズを通すとなぜか脳にも記憶されるが、すでに何があったのかも思い出せない直江兼続、お船の方夫妻直江兼続の名を知ったのは、「花の慶次」というパチンコ台でこの時代の名だたる戦国武将が登場す...春日山林泉寺(山形県米沢市林泉寺1-2-3)

  • 上杉神社(山形県米沢市丸の内1丁目4-13)

    訪問日令和6年10月7日上杉神社ここを訪れる数日前に、武田信玄を祀る神社に参拝した信玄の好敵手である上杉謙信を祀っている神社を訪れなければ片参りとなる上杉謙信公之像享禄3年(1530年)1月21日、越後守護代・長尾為景の四男(次男、三男説もあり)として、春日山城に生まれる幼名の虎千代は、庚寅年生まれのために名づけられた初名は「長尾景虎」、上杉憲政の養子となり、「上杉政虎」と改名後に室町幕府の将軍・足利義輝より「輝」の字を受けて、最終的には「藤原輝虎」と名乗った「謙信」は、さらに後に称した法号である天地人「上杉景勝公と直江兼続公主従像」米沢藩の初代藩主上田長尾家出身で、同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を「上杉景勝」と改めた上杉鷹山公之像出羽国米沢藩9代藩主米沢藩政改革を行った江戸時代の名君とし...上杉神社(山形県米沢市丸の内1丁目4-13)

  • 靈巖山 圓藏禪寺(福島県河沼郡柳津町柳津字寺)

    訪問日令和6年10月6日靈巖山圓藏禪寺(別称:柳津虚空蔵、福満虚空蔵)臨済宗妙心寺派の寺院日本三虚空蔵のひとつに数えられる霊宝殿初めて訪れる寺院で、駐車場から歩いた順で写真を掲載していく傷病者慰霊碑国民の義務として従軍し敵弾に傷つき病に倒れたが、障害を克服して生き抜いてきた傷病軍人の碑水子地蔵尊人形塚庫裏箒(ほうき)杉慈母観世音菩薩鐘楼赤べこ発祥の地赤べこ発祥の伝説1611年の大地震で柳津も大被害を受け、虚空藏堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出た本堂再建に使われた大材は、只見川を利用して運ばれたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れた大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空藏堂を建てることができたのだ大撫牛赤毛の牛の群れはなぜか虚空...靈巖山圓藏禪寺(福島県河沼郡柳津町柳津字寺)

  • 会津飯盛山白虎隊士墳墓域(福島県会津若松市一箕町)

    訪問日令和6年10月6日会津飯盛山白虎隊士墳墓域(国の登録記念物)会津若松市には何度か訪れたことはあるが、有名なこの場所には何故か足が向かなかった白虎隊士飯沼貞吉この地で自刃を選んだ白虎隊17名の内、1名は一命を取り留めた名を飯沼貞吉という。彼は死ぬ事ができなかった悔恨の念から二度と会津の地を踏む事はなかったしかし、飯沼貞吉の語りによって、白虎隊の悲劇は後世に伝えられることとなった「会津さざえ堂(重要文化財)」横の階段を上がった所に白虎隊の墓がある白虎隊が敗戦し、鶴ヶ城へ急ぎ向かう道として通ったのが「戸ノ口堰洞穴」会津藩殉難烈婦の碑戊辰戦争(1868年)で自刃または戦死した婦女子230余名の霊を弔うために元白虎隊士で東京帝国大学総長などを務めた山川健次郎らの篤志家によって建てられた白虎隊の墓戊辰戦争(会津...会津飯盛山白虎隊士墳墓域(福島県会津若松市一箕町)

  • 円通三匝堂<会津さざえ堂>(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404)

    訪問日令和6年10月6日円通三匝堂<通称:会津さざえ堂、さざえ堂>人気YouTuber「あいたの~愛犬と楽しくお出かけ~」の映像で「さざえ堂」の存在を知って訪れた今回の旅では「清津峡渓谷トンネル」も同様に参考にさせてもらったさざえ堂までは階段もあり、少し歩くことになる赤い鳥居が見えてくる初めて訪れる場所なので、目に入るものを撮りながら進んでいく子育地蔵尊戸ノ口堰洞穴猪苗代湖の水を、会津地方に引くため掘られた洞穴戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら20名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約150mの洞穴を潜り飯盛山の中腹へと至った飯盛山の中腹に辿り着いた末、彼らは城下の黒煙を目にすることとなる厳島神社かつては宗像神社といい、永徳年間に地元の豪族、石塚、石部、堂家の三家によって建てられた厳島神社の名は明治元年(186...円通三匝堂<会津さざえ堂>(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404)

  • 白久山 清流院 長泉寺(栃木県那須郡那珂川町白久777)

    訪問日令和6年10月5日この日は朝から激しい雨で、天気予報でも終日続くとのことなので今日は移動日にした走行中に「三重塔」の写真を偶然目にした戻って確認したところ三重塔を有する寺があることが分かった白久山清流院長泉寺延徳3年(1491年)創建の歴史ある曹洞宗寺院で、「花の寺」としても知られているそうだ境内のお花の開花状況などをInstagramで発信されている山門平成18年(2006年)開山500年を記念して建立扁額には山号の「白久山」三重塔(慈光殿)昭和54年(1979年)完成老朽化した観音堂と薬師堂を取り壊し、新たに三重塔を造り「釈迦如来、十一面観音菩薩、薬師如来」を安置した本山永平寺貫首泰慧玉禅師により命名された「慈光殿」の額鐘楼堂から撮る曹洞宗寺院の境内は美しい鐘楼堂(白長楼)昭和56年(1981年...白久山清流院長泉寺(栃木県那須郡那珂川町白久777)

  • 笠間稲荷神社(茨城県笠間市笠間1)

    訪問日令和6年10月4日笠間稲荷神社日本三大稲荷神社の一つで、年間300万人を超える参拝者が訪れるという大鳥居確かに参拝者が多く、鳥居の前に人がいなくなる瞬間を撮るのに10分近く待った三大稲荷と呼ばれている神社をこれまでいくつか訪れている(笑)伏見稲荷、豊川稲荷、祐徳稲荷、千代保稲荷、最上稲荷、草戸稲荷、太鼓谷稲成手水舎楼門「萬世泰平門」と言い、重層入母屋造で昭和36年の竣工随身像拝殿昭和35年10月の竣工拝殿前の賽銭箱の大きさに驚く初詣には80万人以上の参拝者が訪れ、初詣参拝者数で茨城県1位を誇るのも理解できる奉納額おみくじ本殿(重要文化財)本殿が重要文化財ということで訪れたのだが、残念ながら修復中であった狐塚本殿の真後ろにある末社稲荷大神に由縁のある神様が祀られている聖徳殿聖徳太子を祀る藤棚境内の2株...笠間稲荷神社(茨城県笠間市笠間1)

  • 椎尾山 薬王院(茨城県桜川市真壁町椎尾3178)

    訪問日令和6年10月4日椎尾山薬王院桜川市真壁町椎尾にある天台宗の寺院道路脇の駐車スペースに車を駐め仁王門から境内に入る仁王門(桜川市指定文化財)樹木に囲まれた仁王門が見えてくる境内は天然記念物のスダジイ(椎の木)の巨木群生地仁王像は別の場所で拝観料:500円で公開されている手水舎本堂(桜川市指定文化財)寺伝によれば、延暦元年(782年)、法相宗の僧・徳一によって開山延暦2年(783年)、天台宗の開祖・最澄の高弟である最仙上人によって桓武天皇の勅願所として天台宗に改められた<最仙上人が天台宗寺院として開山したとする説もある>建長4年(1252年)忍性が真言律宗にしたが、観応2年(1351年)天台宗に戻ったという天文19年(1550年)の大火で諸堂焼失、寛文6年(1666年)に来山した本孝法印らが約40年の...椎尾山薬王院(茨城県桜川市真壁町椎尾3178)

  • 板倉雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町板倉2334)

    訪問日令和6年10月4日板倉雷電神社関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の総本宮鳥居朝からの雨、その後の降水確率も高かったが、この日の訪問地については調べていた到着時には小雨になり、車内で様子をみていたが傘を片手に車を降りた狛犬雷電神社という名の神社にはこれまで訪れたことはなく「総本宮」ということに気持ちが動いた拝殿(群馬県指定文化財)文政2年(1819年)の建築入母屋造平入り千鳥破風付向拝唐破風付瓦棒銅板葺茨城県水戸市の「別雷皇太神」、つくば市の「金村別雷神社」と並ぶ関東三雷神の1社雷童子「ふっと現れて助けてくれる」という本殿(群馬県指定文化財)二間社流造千鳥破風付瓦棒銅板葺で幣殿とともに天保6年(1835年)の建築創建:推古天皇6年(598年)聖徳太子とされる延暦年間(782年-806年)に坂上田...板倉雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町板倉2334)

  • 金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(栃木県足利市家富町2220)

    訪問日令和6年10月3日足利学校を訪問する途中に「国宝鑁阿寺」の案内矢印があった初めて聞く寺名で「ばんなじ」とも読めなかった近くということもあり立ち寄ることにした征夷大将軍足利尊氏像鑁阿寺に向かう途中にあった「足利尊氏像」恥ずかしい話しだが、この像を観て、足利氏と足利市の関係が結びついた金剛山仁王院法華坊鑁阿寺鑁阿寺はもともとは足利氏の館であり、「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されている真言宗大日派の本山楼門<山門・仁王門>(栃木県指定文化財)足利幕府13代将軍足利義輝の再建仁王像仁王像は桃山時代の作太鼓橋(栃木県指定文化財)楼門の正面に見えるのは国宝の本堂弘法大師像御水屋(足利市指定文化財)大銀杏(天然記念物)樹齢約650年、周囲約10m多宝塔(栃木県指定文化財)足利義兼の創建と伝えられるが...金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(栃木県足利市家富町2220)

  • 史跡 足利学校(栃木県足利市昌平町2338)

    訪問日令和6年10月3日史跡足利学校日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は国の史跡に指定されているこの日の朝までその存在すら知らずにいた道の駅で訪問地を検索していたところ「足利学校」の名がでてきた岡山県の「閑谷学校」の印象が良かったこともあり、興味が湧いた入徳門「入徳」とは「徳に入る」という意味で、道徳心を習得する所、すなわち学校に入るという意味扁額「入徳」は、紀州徳川家第11代藩主徳川斉順(なりゆき)の書参観料:480円を払うと「入学おめでとうございます」と言われた(面白い)休憩所でDVDにより足利学校の概要を把握し移動する休憩所内のジオラマ「恕」の額孔子像道徳心を習得する所だけに、孔子はこの後に何度も出てくる学校門日本で唯一の「学校」の額が掛けられた門寛年8年(1668年)に建てられ、足利学校のシ...史跡足利学校(栃木県足利市昌平町2338)

  • 世良田山 長楽寺(群馬県太田市世良田町3119-7)

    訪問日令和6年10月3日世良田山長楽寺群馬県太田市世良田町にある天台宗の寺院境内は「新田荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている総門額には山号の「世良田山」勅使門(群馬県指定文化財)徳川二代将軍秀忠が日光に建てられた東照社の社殿を長楽寺に移築する際に新しく作り建て替えられたもの勅使または幕府の上使が参向する際、あるいは新住職が入山する時以外は開かれなかったので「あかずの門」とも呼ばれている蓮池と渡月橋「心」の字を型どっていることから、心字池とも呼ばれている池の中央に「渡月橋」擬宝珠の欄干が付く、石造りの太鼓橋三仏堂(群馬県指定文化財)承久3年(1221年)当時の開基徳川義季の建立慶安4年(1651年)三代将軍家光が再造現在の建物は、昭和60年(1984年)に改修されたもの額には「顕密禅」三仏堂の中に安...世良田山長楽寺(群馬県太田市世良田町3119-7)

  • 少林山 達磨寺(群馬県高崎市鼻高町296)

    訪問日令和6年10月3日少林山達磨寺群馬県高崎市にある黄檗宗の寺院本堂が達磨で飾られている写真を見て訪れたのだが「縁起達磨発祥の地」とは知らなかったカーナビに案内されたのは寺務所(瑞雲閣)に近い駐車場「大石段」の下に総門がある鐘楼「招福の鐘」とある指示通り「心静かに2回」撞く達磨大師と思われる鐘楼の真下に大石段があるこの石段の先に見えるのが本堂だるまいし大講堂「無門会坐禅道場」「本尊:達磨大師」とある水屋霊符堂(本堂)達磨寺を訪れる途中、工場内の敷地に沢山の「だるま」が置かれていたのを目にしてきた群馬県指定のふるさと伝統工芸品に指定されていて、全国の張り子だるまの約8割が群馬県で生産されている室町時代末期、鼻高村の高台に行基菩薩が彫ったとされる観音様を祀まつる小さな観音堂があった延宝年間(1673~168...少林山達磨寺(群馬県高崎市鼻高町296)

  • 五徳山 水澤観世音(群馬県渋川市伊香保町水沢214)

    訪問日令和6年10月2日五徳山水澤観世音天台宗の寺院で1300年の歴史をもつ初めて訪れたが駐車場の大きさに驚いた(乗用車400台、バス30台)納札堂鐘楼参道を進むと線香の匂いが漂ってくる大和の鐘は撞くことができる(志納金100円)遠くから見えた霞んだ景色は線香の紫煙だった清昌稲荷お堂の周辺には参拝者が多く、周辺を散策しながら様子をみることに龍王辨財天「此の水は、当水澤観音の霊泉にて、財を成し、病を癒し天寿を全うする事は、龍王辨財天の示す処也」六角二重塔(群馬県指定文化財)元禄年間に建立され銅板瓦棒葺の造りで、我が国における地蔵尊信仰の代表的建築物宝暦5年(1775年)~天明7年(1787年)の間の建造六地蔵と大日如来が安置されている六地蔵を六角輪転の台座に安置「地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人...五徳山水澤観世音(群馬県渋川市伊香保町水沢214)

  • 一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮1535)

    訪問日令和6年10月2日一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)上野国一宮創立は社伝によると、現在の社地に社を定めた安閑天皇の元年(531年)とされている大鳥居今回が2度目の参拝になるが、帰り際に遠くにあるこの鳥居の存在を知った総門(惣門)大鳥居と総門は同じ高さにあるという駐車場から歩いてくると、この場所にでる銅製燈籠(富岡市指定文化財)狛犬くだり参道社殿配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある正面参道から石段を上がり大鳥居・総門をくぐると、今度は石段を下ってから本殿に参拝することとなるこのような配置の神社は「下り宮」・「下り参りの宮」と呼ばれている末社月読神社楼門への石段の横に鎮座する社殿は寛永12年(1635年)以前の本社の旧拝殿で、牛王堂として使用されていた斎館楼門(重要文化財)江戸幕...一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮1535)

  • 妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義6番地)

    訪問日令和6年10月2日妙義神社妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社今回が2度目の参拝になるが、訪れた2ヶ月後に多くの建造物が重要文化財に追加された境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれている第一鳥居最寄りの道の駅に車を駐め、少し歩くと鳥居が見えてくる本社まで275段の石段がある総門(重要文化財)神仏習合時代、妙義神社には別当として上野寛永寺の末寺である「白雲山高顕院石塔寺」があった現在の妙義神社の総門は、明治の初めに廃寺となった石塔寺の「仁王門」である扁額には院号の「高顕院」仁王像銅鳥居(重要文化財)稲荷神社(右)と和歌三神社波己曾社(重要文化財)現在の社殿は、宝暦年間(1751年-1764年)の大改修によるもの古くは「波己曽(はこそ)神社」といい、『日本三代実録』に記載がある拝殿内部...妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義6番地)

  • 身延山 久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延3567)

    訪問日令和6年10月1日身延山妙法華院久遠寺日蓮宗の総本山伽藍は、明治8年(1875年)の大火で焼失し、現在立ち並ぶ堂宇は再建されたものが多い三門(二王門)「空」「無相」「無願」の三解脱をあらわす三門79世日慈上人の筆による「身延山」の扁額仁王像(身延町指定文化財)伝運慶若しくは定朝作で鎌倉期の彫刻菩提梯全287段の石段(菩提=覚り、梯=かけはし)登り切れば涅槃に達するという意味の梯は、南無妙法蓮華経の7字になぞらえ、7区画に分けられている上りきれば満足感を得られると思うが、私は前回と同じように、上にある有料駐車場まで車を走らせたさらに駐車場からも文明の利器を有効に利用した手水舎五重塔現在の五重塔は3代目で平成20年(2008年)竣工初代の塔は元和5年(1619年)加賀前田利家の側室寿福院の建立。文政12...身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延3567)

  • 天守君山 願成就院(静岡県伊豆の国市寺家83-1)

    訪問日令和6年9月30日天守君山願成就院(国史跡)高野山真言宗の寺院国宝の仏師運慶の阿弥陀如来坐像など5躯を所有する山門数年前に国宝の仏像を拝観するため、一度訪れたことがある創建は文治5年(1189年)『吾妻鏡』によると、北条政子の父親で鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、娘婿の源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立北条時政とその子義時、孫の泰時の代にかけて次々に伽藍は拡大した延徳3年(1491年)に北条早雲による動乱で願成就院はほぼ全焼し僅かに再建された堂宇も後年の豊臣秀吉の「小田原征伐」の際に再び全焼運慶作の7体の仏像は僧侶らの手によって運び出され焼失は免れたが多くの寺宝は灰燼に帰し、願成就院は事実上壊滅した江戸時代に後北条氏の末裔、北条氏貞が再建現在の遺構はほぼその当時のものである現存する茅葺の本...天守君山願成就院(静岡県伊豆の国市寺家83-1)

  • 福地山 修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964番地)

    訪問日令和6年9月30日福地山修禅寺正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」で、略して「福地山修禅寺」と呼んでいる数年前、修禅寺を目指して伊豆半島に来たことがあったが、途中強い雨がふり引き返してしまった前日の夕方、温泉に入りに修善寺にきたのだが、道が狭く駐車場を探せなかったりでこの周辺を彷徨っていた筥湯(はこゆ)で入浴し、有料駐車場の場所も確認し翌日に備えた山門大同2年(807年)に空海が創建したと伝えられている奥之院(正覚寺)は、延暦10年(791年)に18歳の空海が修行したところと伝わっている空海は、桂川で年老いた父親の患部に川の水を掛ける親子を見かけた不憫に思い、独鈷(どっこ)で岩を砕いた所、熱湯が湧き出たと伝わっている熱湯が湧き出た場所は、現在でも「独鈷(とっこ)の湯」として修禅寺前の桂川にある仁王像百度...福地山修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964番地)

  • 富士御殿場蒸留所(静岡県御殿場市柴怒田970)

    訪問日令和6年9月28日富士御殿場蒸留所キリングループが所有するジャパニーズウイスキー蒸留所昭和48年(1973年)の操業受付で「蒸溜所ツアー」への参加を申し出ると運良く「1名の空きがある」とのことツアーは有料(500円)で早速申し込んだ私の車のナンバーを見ていたのか、受付の女性が札幌出身だと声を掛けてくれた歓迎されているようでとても嬉しい気持ちになったツアー見学者の待合室展示されていたこのボトルは所有している蒸溜所ツアー開始ツアーは、step1のシアターが終わると、step2の蒸留までの説明に入る最初に結論を言うとこれまで、いくつかの蒸溜所を回ってきたが、映像も担当者の説明も一番分かりやすかったポットスチルや富士御殿場蒸溜所最大の特長である「グレーンウイスキー」製造用の3種類の蒸留器が並ぶ所内を技術者達...富士御殿場蒸留所(静岡県御殿場市柴怒田970)

  • 乾徳山 恵林寺(山梨県甲州市塩山小屋敷2280)

    訪問日令和6年9月29日乾徳山恵林寺臨済宗妙心寺派に属する寺院甲斐武田氏の菩提寺黒門元徳2年(1330年)に、二階堂貞藤(道蘊)が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、五山派の夢窓疎石を招き開山二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされる足利義満により鎌倉禅林十刹に準ずる寺格を与えられた応仁の乱で荒廃するが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興した永禄7年(1564年)11月に美濃崇福寺から「快川紹喜」が招かれる快川紹喜は恵林寺住職となると、信玄自ら恵林寺を菩提寺と定めた天正4年(1576年)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修した四脚門<通称・赤門>(重要文化財)織田信長の甲州征伐(1582年)で焼失、その後、徳川家康によって再建(1606年年)された再建時の姿を今...乾徳山恵林寺(山梨県甲州市塩山小屋敷2280)

  • 甲斐善光寺<定額山浄智院善光寺>(山梨県甲府市善光寺3-36-1)

    訪問日令和6年9月28日甲斐善光寺正式名称は、定額山浄智院善光寺浄土宗の寺院各地の善光寺と区別するため「甲斐善光寺」と呼ばれることが多い山門(重要文化財)寺号柱にある「甲州善光寺」とも呼ばれている棟札によれば、明和4年(1767年)の上棟重層の楼門で、桁行16.88m、梁行6.75m、屋根幅22.9m、棟高15m和様と唐様を折衷した本格的な大建造物中央の扁額には山号の「定額山(じょうがくざん)」仁王像立派な仁王像ではあるが撮る側からすると障害物が多くて難しい可能な限り目線が合うように撮っているため、同じアングルになってしまう悩みながら撮っていると3人組の女性から声を掛けられた山門を背景に写真を撮って欲しいとの依頼であった一人旅をしていると会話する機会もなく、数日ぶりに話しをすることができた山門の正面に本堂...甲斐善光寺<定額山浄智院善光寺>(山梨県甲府市善光寺3-36-1)

  • 武田神社(山梨県甲府市古府中町2611)

    訪問日令和6年9月28日甲斐武田神社武田八幡宮の後に訪れたのが「武田神社」今回が2度目の参拝になるが駐車場が少し離れた場所にあるのが難点だ鳥居国史跡躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)信玄の父信虎が永正16年(1519年)に石和より移した「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡に鎮座」しているこの館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住した大正4年(1915年)大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、大正5年(1916年)に山梨県知事を総裁とする「武田神社奉建会」が設立大正8年(1919年)には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭が行われた右近乃橘・左近乃櫻京都御所の紫宸殿の左右に植えられていた桜と橘に由来する言葉狛犬手水舎拝殿前に参拝者が並んでいたので周辺を散策甲陽...武田神社(山梨県甲府市古府中町2611)

  • 武田八幡宮(山梨県韮崎市神山町北宮地1185)

    訪問日令和6年9月28日武田八幡宮山梨県というと武田信玄の名が頭に浮かぶ社殿が重文に指定されているということで訪れたが1200年の歴史を有するとは知らなかった一石百観音石像(韮崎市指定文化財)宝永6年(1709年)に天下太平・国土安全を願って建立された百観音石像は文字塔が一般的だが、像が彫刻されているものは珍しく貴重だ三ノ鳥居(明神鳥居)と石垣(山梨県指定文化財)石垣の上に立つ石鳥居と正面参道側の石垣と石段、随神門前の石積みは神社の境内の入口にあたる社頭の形態としては珍しい随身門(楼門)天保12年(1841年)に再建されたもの手水舎社務所楼門の先に見えるのが神楽殿神楽殿秋の例大祭では、多数の舞が奉納されている拝殿本殿(重要文化財)弘仁13年(822年)嵯峨天皇の勅命により、武田武大神(日本武尊の御子)を祀...武田八幡宮(山梨県韮崎市神山町北宮地1185)

  • サントリー白州蒸溜所(山梨県北杜市白州町鳥原2913-1)

    訪問日令和6年9月28日サントリー白州蒸溜所前日の夜、道の駅で白州蒸溜所HPを検索してみたところ、ウイスキー博物館・セントラルハウス入場(無料)に1名の空きあったビジターセンター&ショップ予定より早い時間に到着したが、受付をして中に入れてもらえることになったウイスキーブームの前に一度訪れた事があり、それ以来、サントリーでは白州が好きになり購入するようになった以前は、予約なしでも工場見学をすることができたが、現在は状況が変わったリニューアル後では今回が初めてになるこの陸橋も以前にはなかった白州の森緑の木々に囲まれた遊歩道を進むセントラルハウス&ショップ横文字が多くてよく理解できないが中に入ってみるショップにはウイスキーよりもロゴ入りのTシャツやグラスなどが多いスーパーなどで入手できるウイスキーには購入制限は...サントリー白州蒸溜所(山梨県北杜市白州町鳥原2913-1)

  • 大信州酒造(長野県)・七賢 山梨銘醸(山梨県)

    訪問日令和6年9月27・28日松本城を目指していたが、市内の道路は渋滞し雨も落ちてきたので諦めた最近、日本酒にも興味を持ち「酒蔵巡り」も面白いと考えていた大信州酒造(長野県松本市島立2380)ネットで調べていると面白い投稿があったショップに入り誰もいないかと思ったら、急に棚の下から店員が現れると……正式名は「大信州酒造株式会社」日本酒の酒蔵のショップに入るのは初めてということもあり緊張した雨が小降りになるのを待って車を降りたネットの投稿にあったように、ドアを開けても誰もいない棚の下から店員が顔を出し「いらっしゃいませ」とこれもネットの投稿にあったようにとても魅力的な女性だった親切で話しやすく、説明も上手だいつの間にか3本も購入してしまった長野県には魅力的な観光地も多いが、ガソリン代が他県より15~20円も...大信州酒造(長野県)・七賢山梨銘醸(山梨県)

  • 大王わさび農場(長野県安曇野市穂高3640番地)

    訪問日令和6年9月27日大王わさび農場長野県安曇野市にあるわさび農場(山葵の生産・販売)大正6年(1917年)に開場年間約120万人が訪れる安曇野随一の観光スポットここを訪れるのは3度目になるが、一日平均3万人を超える来場者は凄い今回は買い物目的で立ち寄ったため川辺だけで写真は少ない下記は、過去に投稿したもの大王わさび農場(長野県安曇野市穂高)-今、出発の刻(たびだちのとき)大王わさび農場「安曇野ワイナリー」に勤務する複数の女性に勧められた場所であるわさびも美しい風景もそれほど興味はなかったが行ってみることにしたNHK朝ドラ「おひさ...gooblog黒澤明監督の映画『夢』のロケ地収穫は年間通して行われている直射日光に弱い為、4月から9月末まで黒い寒冷紗でわさび田を覆うわさび田に引かれる湧水は一日12万ト...大王わさび農場(長野県安曇野市穂高3640番地)

  • 仁科神明宮(長野県大町市大字社宮本1159)

    訪問日令和6年9月27日仁科神明宮久し振りの再訪となる途中、中央線をはみ出してきた大型車と接触するところだった三本杉(長野県指定天然記念物)周囲5m余、高さ50m余、樹齢推定800年余昭和54年(1979年)3月、突風により「三本杉」の中央の杉の木が倒伏その根元の部分をもとの位置に復元保存手水舎手水鉢二ノ鳥居仁科神明宮の社叢(長野県指定天然記念物)周囲の木の高さに驚く社務所三ノ鳥居神門拝殿拝殿内部には「神明宮」の扁額国宝の社殿(本殿・中門)国宝の社殿を近くで観ることができる平安時代の終わりごろ、伊勢神宮領仁科御厨(伊勢神宮の庄園)を守るために、この地方の支配者である仁科氏により祭られた以来、1000年以上にわたり20年に1度の遷宮(式年造営)が行われてきた本殿(国宝)祭神:天照皇大神屋根檜皮葺、千木高く棟...仁科神明宮(長野県大町市大字社宮本1159)

  • 信濃国分寺(長野県上田市大字国分1049)

    訪問日令和6年9月26日信濃国分寺聖武天皇の詔により天平13年(741年)日本各地に建立された国分寺のうち、信濃国国分寺の後継寺院にあたるこの日は天気にも恵まれ、大法寺と安楽寺の国宝の三重塔を拝観、生島足島神社を参拝し、ここが4カ所目となる重要文化財の三重塔の拝観が主な目的になる観音堂江戸初期の百体観音像を安置するというが、拝観することはできない真田・徳川会見之地慶長5年(1600年)真田昌幸が徳川秀忠と国分寺境内で会見し、和平を結んだと見せて油断させ、徳川軍をやぶるこのため秀忠は関ケ原の合戦に間に合わなくなった現在、池波正太郎著「真田太平記」を読んでいる途中だが、まだ、この場面には至っていない地蔵堂郷土の名彫物師藤川仏師による地蔵尊と閻魔十王を安置する三重塔(重要文化財)三重塔は高さ20.1m源頼朝の発...信濃国分寺(長野県上田市大字国分1049)

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