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  • 慈恵山 円隆寺(京都府舞鶴市引土)

    慈恵山円隆寺真言宗御室派の寺院である。舞鶴は小樽港とのフェリーの発着の場として、よく利用するが寺社の参拝は初めてである。総門(京都府指定文化財)宝暦3年(1753年)の建立。「三つ棟造り」で、脇間の前後に四天王像を安置するというが撮ることができなかった。扁額には、山号の「慈慧(じけい)山」弘法大師像本堂(府指定文化財)円隆寺の創建は不詳で、奈良時代に行基菩薩が開いたとも、長徳年中(995~999年)に皇慶上人が開いたとも伝えられている。最盛期には院坊70を数えたが、文治4年(1595年)の山崩れで堂宇を失った。万治2年(1659年)と享保17年(1732年)に火災に遭い、現存する建物はその後の再建である。本堂の建立は、天明6年(1786年)である。多宝塔(府指定文化財)境内を散策、目の前に多宝塔が現れた。存在は...慈恵山円隆寺(京都府舞鶴市引土)

  • 本光山 馬居寺(福井県大飯郡高浜町馬居寺)

    本光山馬居寺(まごじ)高野山真言宗の寺院。道の駅で「近くにある有名寺院」と検索、いくつかあったなかの一つが「馬居寺」である。寺伝では推古天皇27年(西暦619年)聖徳太子の創建と伝えている。この不揃いの石段が歴史と風情を醸し出している。石段横にある石仏山門額には山号の「本光山」聖徳太子の創建ということは、「和をもって尊しとなす」の「和」なのか。木槌で叩いてみると、乾いた、いい音が境内に響いた。これが和音だと閃いた(笑)納経所境内の清掃をしていた住職と話しをする機会に恵まれた。真言宗の寺院は人里離れた場所にあるため檀家が少なく、多くは他に職業を持ちながら運営しているそうだ。心字池「心」の字をかたどった池の事だが、住職の説明を受けなければわからなかった。写真を見るとこの角度がわかりやすいが…当時は、池周辺を歩いても...本光山馬居寺(福井県大飯郡高浜町馬居寺)

  • 宝篋山 天徳寺(福井県三方上中郡若狭町天徳寺)

    宝篋山天徳寺高野山真言宗の寺院で、泰澄大師の開基と伝えられている。平安時代に村上天皇の勅願寺となり、その時の年号である「天徳」が名付けの由来と言われている。名勝方丈庭園の案内があったが、入口の戸は閉められていた。庭園の良さを理解できないので、あっさりあきらめ山門を出る。梵鐘初めて訪れたので何処に何があるのかまったくわからない。観音堂およそ1300年前の養老年間、泰澄大師が「宝篋ケ嶽」に上り、馬頭観音像一躯を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことを以て寺の起こりとしている。額には、山号の「宝篋(ほうきょう)山」本尊の馬頭観音が安置されているようであるが、堂内は真っ暗で拝顔することはできなかった。梵鐘には、「総力必勝」と刻まれている。遠くの丘の上に建物が見える。手前に「平成花苑」の文字が見える。奥の建物の額には「英霊殿...宝篋山天徳寺(福井県三方上中郡若狭町天徳寺)

  • 氣比神宮(福井県敦賀市曙町)

    氣比神宮越前国一之宮でもあり、北陸道総鎮守ともされ、明治時代には官幣大社となった格式の高い神社である。私には敦賀という地名、氣比神宮という社号から、高校野球の高校名が浮かんでくる。大鳥居(重要文化財)初代の鳥居は弘仁元年(810)境内東側にて創建されたが、康永2年(1343)暴風で倒壊。正保2年(1645)に旧神領地の佐渡から奉納された榁(むろ)の大木で再建され、西門に建てられたものが現在の鳥居。高さ36尺(10.9m)柱間24尺、木造両部型本朱漆。昭和20年(1945)の敦賀空襲では唯一その戦火を免れている。扁額は有栖川宮威仁親王の御染筆である。末社猿田彦神社祭神:猿田彦大神大鳥居近くに鎮座する。祭神は気比神を案内する神。社務所手水舎初めての参拝で境内の配置がわからないまま先へ進む。中鳥居拝殿前に鳥居がある。...氣比神宮(福井県敦賀市曙町)

  • 大瀧神社(福井県越前市大滝町)

    大瀧神社・岡太(おかもと)神社重要文化財の社殿があるということで気軽な気持ちで訪れたのだが、この社殿の美しさには目を奪われた。「縣社大瀧神社」の社号標を越え数十メートルの所に駐車場がある。寂れた雰囲気だっただけに、観光バスが2台も駐まっていたことに驚いた。鳥居額には「大瀧神社・岡太神社」が併記されている。上宮(奥の院)には大瀧・岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両神社の共有となっていることかららしい。狛犬手水舎観音堂(絵馬堂)団体の参拝者が説明を受けていたので、近くの建物に入ることにした。木造十一面観音坐像町指定文化財堂内には絵馬が掲げられている。色彩のはっきりしているものを選んでみた。境内の様子神馬神門少し離れた場所から全体を眺める。階段を上がると、神門の正面に社殿が見えてくる。拝殿・...大瀧神社(福井県越前市大滝町)

  • 出雲路山 毫摂寺(福井県越前市清水頭町)

    出雲路山毫摂寺(ごうしょうじ)浄土真宗の寺院で真宗出雲路派の本山。寺号「本山毫摂寺」と刻まれた石碑。御影堂門文化8年(1811)造営の欅造りの総門。旧来は、赤瓦に笏谷石の鬼瓦が乗せられていた。門扉手水舎境内案内図は後日、写真を整理するときに役にたってくれる。御影堂境内案内図でもわかるように、御影堂門の真っ直ぐ先にある。明治17年(1884)の造営。二十間四面の大伽藍で、総欅造り。本山布教伝道の根本道場となる。扁額には山号の「出雲路山」阿弥陀堂(本堂)明治17年(1884)の造営。御影堂と同年の造営で、総欅造りの堂宇。御影堂内の様子宗祖親鸞聖人の木像を中央に安置している。阿弥陀堂内の様子襖絵は、菱川師福の作阿弥陀如来像を安置している。欄間の彫刻のゑ女の碑重傷を受けながらも二姫を守り抜いた忠義の行いに対して、福井藩...出雲路山毫摂寺(福井県越前市清水頭町)

  • 山元山 證誠寺(福井県鯖江市横越町)

    山元山證誠寺(しょうじょうじ)真宗山元派本山親鸞聖人が越後の国へ御流罪の身として下向の途中、越前の国、山元の庄に立ち寄ったのが、證誠寺開山の基である。山門山門の先には御影堂が見える。手水舎御影堂浄土真宗寺院は堂内に入ることができるのだが、残念ながら戸が閉じられていた。山号と寺号が別々の額に並べて掲げられている。奥に御影堂、手前が阿弥陀堂阿弥陀堂梵鐘御影堂側から山門を見る。撮影平成30年10月23日山元山證誠寺(福井県鯖江市横越町)

  • 上野山 誠照寺(福井県鯖江市本町)

    上野山誠照寺(うわのさんじょうしょうじ))真宗誠照寺派の本山親鸞が越後へ配流のとき、1208年波多野景之の屋敷で最初に法を説いたのに始まるとされる。その後、如覚のとき現在地に移って真照寺と称した。永享年間(1429年-1441年)になって現在の寺号となった。四足門(しそくもん)県指定文化財。文正元年の創建、現大門は安永8年(1779)の再建、誠照寺最古の建築物。伝左甚五郎作「駆け出しの龍」文久2年(1862)の大火の際、この龍が水を吐いて門を守ったと伝えられている。四足門の扉鐘楼堂鐘楼・梵鐘は市指定文化財。弘化3年(1846)の建立。手水舎親鸞聖人尊像境内の一部が有料駐車場になっていたことには驚いた。もちろん参拝者には無料のスペースがある。御影堂市指定文化財。1862年の火災で焼失してしまったため、現在建ってい...上野山誠照寺(福井県鯖江市本町)

  • 鹿苑山 専照寺(福井県福井市みのり2丁目)

    鹿苑山専照寺浄土真宗の寺院で真宗三門徒派の本山。山門扁額には山号の「鹿苑山」山門の正面に見えるのは御影堂である御影堂市指定文化財天保9年(1838)再建。規模は正面11間(約30.3m)、側面9間(約29.1m)総欅造り。専照寺は、正応3年(1290)、如導上人が仏法興隆のため、現在の福井市大町の地に一宇を建立、寺号を専修寺と称したところからはじまる。如導上人の滅後、浄一上人が中野の地に一宇を建立し専照寺と改称したのが起源。昭和23年の福井大震災で御影堂を残し御本堂、その他、全て倒壊した。梵鐘阿弥陀堂昭和34年再建御影堂から堂内に入る。浄土真宗の懐の広いところで来る者は拒まずである。「見真」は親鸞の諡号仏教用語で、智慧によって真理を見きわめるという意味もある。外部の印象とは想像できない堂内の豪華さだ。撮影平成3...鹿苑山専照寺(福井県福井市みのり2丁目)

  • 長林山 称念寺(福井県坂井市丸岡町長崎)

    長林山称念寺丸岡城内で資料を読んでいたときに、この寺の存在を知った。山門右には、「史跡新田義貞公墓所」、左には「時宗長林山称念寺」の石柱。手水舎寺には人の気配もなく、手水鉢にも水はない。雑草も伸びている。境内にある立派な石碑も最上部がない。「(近衛)中将新田義貞公贈位碑」と読める。境内には二つの建物がある。ここは庫裏か。本堂養老5年(721年)泰澄により開山と伝えられ、正応3年(1290年)他阿真教によって時宗に改められたという。扁額には「忠誠殿」の文字が。戦乱の中で新田一族は最後まで南朝の後醍醐天皇を裏切ることなく戦い続けた武士だった。新田義貞公墓所(県指定史跡)忠雀門新田義貞が延元3年・暦応元年(1338年)に越前国藤島の燈明寺畷の戦いで戦死すると、遺骸が称念寺に運ばれたと『太平記』にある。遺骸は時宗のお坊...長林山称念寺(福井県坂井市丸岡町長崎)

  • 丸岡城(福井県坂井市丸岡町霞)

    丸岡城<別名:霞ヶ城>今回2度目となる丸岡城。一度目は偶然近くを車で通ったため立ち寄った。夏休みで広場では子供たちがラジオ体操をしていた。その広場も今は立派な駐車場になり年月の流れを感じていた。その時は、早朝のため無料で城周辺を探索したことをよく覚えている。丸岡城天守(重要文化財)現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城である。霞ヶ城の別名をもつ。由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるものらしい。お静慰霊碑(伝説「人柱お静」)石垣私の人生の大先輩に石垣に詳しい方がいる。そのことを知ってから、城を訪ねると必ず石垣を撮るようにしている。自然石をそのまま積み上げている「野面積み」手法だ。よく見ると石の色が違っている。1948年(昭和23年)の福井地震によって倒壊した影響かも知れない。急な石段を...丸岡城(福井県坂井市丸岡町霞)

  • 摩尼宝山 瀧谷寺(福井県坂井市三国町滝谷)

    摩尼宝山瀧谷寺(たきだんじ)東尋坊観光の後、近くにあったので気軽な気持ちで寄ってみようと思った寺院である。ところが……弘法大師像真言宗智山派の寺院総門龍頭の水寺社を巡拝していると、このような美しい参道にめぐりあうことがある。先に進むと山門が目に入ってくる。山門(重要文化財)天正年間に、柴田勝家の寄進によって建立されたと伝えられている。「摩尼宝山(まにほうざん)」の扁額は貞享4年(1687年)に智積院第七世瑞応泊如運敝僧正の筆。本堂側から見ると「鐘楼門」になっていることがわかる。本堂(重要文化財)間口十一間、奥行八間の寄棟造りで江戸時代中期の建造物。本堂横に受付があり入堂する。建物の梁が素晴らしかったので撮ろうとすると堂内の全ては撮影禁止と伝えられた。中央正面の瑠璃殿に本尊の「薬師如来」が祀られている。堂内では係...摩尼宝山瀧谷寺(福井県坂井市三国町滝谷)

  • 東尋坊(福井県坂井市三国町安島)

    天然記念物および名勝東尋坊この日は、朝から晴れていたので景勝地である「東尋坊」も候補地の一つに入れていた。商店街を歩いて海にでるのだが、魚介類の焼ける香ばしい匂いが鼻孔を刺激する。東尋坊は今回で2回目で、初めて訪れた日は雨が降っていた。やはり、晴れの日は気持ちがいい。ブラタモリで東尋坊を解説していたのを視ていたが、すでに内容は忘れてしまった。観光客も岩の上で何やら楽しそうにしている。この男性の数メートル前は崖になっていて、高所恐怖症の私には近づくことができない。この写真を撮るだけでも命がけ。昔、自殺の名所と聞いていたが、飛び降りる勇気があるなら、生きていたら何でもできそうな気がする。観光船乗り場もそれなりの場所にある。人間の大きさと比較すると、高さを想像することができる。若い女性が崖の近くに座っていたので近づい...東尋坊(福井県坂井市三国町安島)

  • 菅生石部神社(石川県加賀市大聖寺敷地)

    菅生石部(すごういそべ)神社加賀国二宮、通称敷地天神、菅生天神鳥居額には社号の「菅生石部神社」神門加賀市指定文化財歴史を感じる額で、社号が浮き出て見えるような気がする。神門の両側には、弓矢を持った男神像神門の前方に社殿が視界に入ってくる。拝殿中世には、一帯は北野天満宮の社領となっていた。「天神」の通称はそこからきたものであり、現在もその名残で境内に牛の像が残っている。馬が好き(といっても競馬だが)なので、神馬には自然目がいく。狛犬社号の記された額の形が神門と同じだということを、写真を整理していて気付いた。本殿祭神は「菅生石部神」古来より朝廷・武門からの崇敬が篤く、天慶3年には正四位下の神階が授けられた。毎年2月10日の例祭では、「竹わりまつり」の異名を持つ御願神事が行われる。定かではないが、神楽殿ではないかと思...菅生石部神社(石川県加賀市大聖寺敷地)

  • 自生山 那谷寺(石川県小松市那谷町)

    自生山那谷寺(なたでら)高野山真言宗別格本山。私が愛読しているブログの投稿に刺激を受けての、十数年ぶりの再訪である。山門数日前の出来事さえおぼつかないこの頃、かつて訪れた山門の記憶などまったく甦ってこない。扁額には山号の「自生山」門扉に彫られた仁王像昭和51年松久宗琳師の作何とも可愛らしい「護・美小僧」緑の木々に囲まれた美しい参道が視界に入ってくる。江戸期に寄進された石灯篭。名勝奇岩遊仙境この「三尊石」と呼ばれている奇岩の事はよく覚えている。現在は安全と景観保護のため立入禁止となっているが、この岩に上り、写真を撮ったことがある。写真ではわからないが、高所恐怖症の私には苦手な場所ということで記憶に残っている。不動明王の霊水念珠や指輪などに願いを念じながら霊水をかけると、不動明王の加護を受けられると言われている。自...自生山那谷寺(石川県小松市那谷町)

  • 小松天満宮(石川県小松市天神町)

    小松天満宮(別名梅林院)快晴の朝を迎えた。道に迷ったがこの日の最初の訪問地に到着した。鳥居一礼して鳥居を進むと、境内を清掃していた係の女性に丁寧な挨拶をされた。半年経った今でも、はっきりと記憶に残っている。筆塚芭蕉句碑立秋も過ぎたというのに、夕日は相変わらず素知らぬふうに赤々と照りつけ、残暑はきびしいが、さすがに風だけは秋の気配を感じさせる塀沿いを歩くと奥に神門が見えてくる。狛犬願かけ撫牛神門(重要文化財)扁額には「天満宮」社殿側から見た「神門」手水舎「菅公千年大祭」と刻まれている。天満宮に牛で想像できるが、菅原道真が祀られている。さらに先に進む十五重の石塔市指定文化財に指定されている。これまで十三重までは見たことはあるが、十五重塔は初めてである。拝殿・幣殿・本殿(重要文化財)祭神は、菅原道真公前田利常公白太夫...小松天満宮(石川県小松市天神町)

  • 金沢競馬場(石川県金沢市八田町西)

    金沢競馬場車で旅をして全国の競馬場を巡り、馬券を購入することも旅の楽しみの一つだ。石川県に入った時から、金沢競馬の開催日程を調べていた。地方競馬が衰退していくなか、金沢競馬はどのような状態になっているのか気になっていた。この日は天気も良く、休日ということもあったのか巨大な敷地の駐車場もファンの車で埋まってきている。入場料もこの日は無料、ツキもある。初めての競馬場なのでパドックなどの場所を確認する。出走馬の掲示板もローカル色がでている。騎手が一列に並び一礼して馬に向かう。礼儀正しさでいうとJRAの騎手より数段優れている。中央競馬の騎手は礼もしなければ、パドックに顔を出さない不届き者もいる。これが「金沢競馬の予想紙」、噂に聞いていたが見るのは初めてだ。早速、一冊(冊子になっている)購入。軍資金は旅先ということもあり...金沢競馬場(石川県金沢市八田町西)

  • 倶利伽羅山 不動寺 山頂本堂(石川県河北郡津幡町倶利伽羅)

    倶利伽羅山不動寺山頂本堂「鳳凰殿」から車で10分ほど走ると山頂本堂がある。休日ということもあり駐車場に駐めることができず、路上に駐車。「本山別格倶利伽羅不動寺」と刻まれた寺号石柱。味わい深い文字である。山頂本堂弘法大師奉安の倶利迦羅不動明王が祀られている。参拝者の多くは「護摩法」でお参りするために本堂内に移動している。境内を見渡すと光り輝いている「開運不動剣」に目がいく。境内の様子「修行大師」五重之塔室生寺の五重塔が屋外に建つ最小の塔と思っていたが、それよりもかなり小さい。ホームページでは高さ8mとある。室生寺16mのちょうど半分。「厄除け錫杖」和光塔明治元号100年を記念して建立された白亜の塔で、塔内には大日如来と修行大師が奉安されている。「手水舎」「大香炉」手向神社石堂神殿駐車場へ戻る「お滝不動」撮影平成3...倶利伽羅山不動寺山頂本堂(石川県河北郡津幡町倶利伽羅)

  • 倶利伽羅山 不動寺鳳凰殿(石川県河北郡津幡町竹橋)

    倶利伽羅山不動寺鳳凰殿「倶利伽羅源平の郷」という道の駅の近くに、このような立派な寺院があることを三度目の利用で初めて知った。かつて弘法大師創建と伝えられる七堂伽藍と十二ヶ寺の塔頭寺院が建立されていた。その伽藍の復興事業のひとつとして、鳳凰殿が竹橋地区に復興された。左右75mの木造建築は、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れている。「ふれあい観音」大香炉の奥に安置されている鳳凰殿は、主殿「三仏堂」・右翼殿「不動堂」・左翼殿「阿弥陀堂」からなる。主殿の三仏堂から堂内に入る。右翼殿「不動堂」参拝者のグループが何か作業をしていたため、不動堂に移動する。天井の仏画「波切不動尊」弘法大師が唐より帰朝の折、大時化にあい、不動尊に祈りを込めて、その難を免れた。「波切不動尊」の同体分身を高野山より勧請し、参拝者の交通安全と災難除が...倶利伽羅山不動寺鳳凰殿(石川県河北郡津幡町竹橋)

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