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深夜の告白 映画&写真帖 https://blog.goo.ne.jp/geeen70

映画や写真による緊張と弛緩の幻想 (『60年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)は2014年7月発売)

深夜の告白 映画&写真帖
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2014/10/28

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  • リリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』と天才俳優ダーク・ボガードの身体に充満する危ない妖気

    イマジカBSが『愛の嵐』を流していた。リリアーナ・カヴァーニは、これがあればもういいというくらいに濃密で危険な男と女の官能の劇を撮り上げた。女優とシャーロット・ランプリング、男優はダーク・ボガード。そういえば、いま、この名優を普通に語るような映画ファンをすっかり見かけなくなった。あの柔らかな毒を含む色気にあてられないのは、皆、それだけ健康・健全になったということか。いや、別にそんなこともないだろう。多分、語りたくても求められないし、語っても反応がないから、止めてしまうのだ。そういう風潮ならたしかにある。僕が子供の頃こういう大人の世界を垣間見せてくれる役者たちがいた。彼らの作品の広告もそのことを強調し、それをそのように伝えてくれる批評もあった。それらは人間の闇に微かな光を当てていた。なにしろダーク・ボガードである...リリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』と天才俳優ダーク・ボガードの身体に充満する危ない妖気

  • フィリップ・カウフマンらしい文芸大河ロマン『私が愛したヘミングウェイ』

    フィリップ・カウフマンの『私が愛したヘミングウェイ』(12)は、HBO制作のテレビ映画である。70~80年代にカウフマンは傑作を連打したが、90年代はあまり成功作に恵まれず、いまでは映画を撮れる機がはめぐってこないようだが、本作は久方カウフマンらしい文学趣味に溢れた佳品となった。『SF/ボディ・スナッチャー』でジャック・フィニィ、『ワンダラーズ』でリチャード・プライスを扱い、『ライトスタッフ』では巨匠トム・ウルフの映画化を見事に成し遂げて以降、『存在の耐えられない軽さ』でミラン・クンデラを、『ヘンリー&ジューン』でヘンリー・ミラーとアナイス・ニンを、『クイルズ』でマルキ・ド・サドの物語を描いてきたが、彼は元々は作家志望だったのである。だから、ヘミングウェイと彼の三番目の妻マーサ・ゲルホーン、それにドス・パトス、...フィリップ・カウフマンらしい文芸大河ロマン『私が愛したヘミングウェイ』

  • ネタバレなんて、どうってことない。オチを事前に知っても、一向に気にならない。

    町山智浩さんがよく「映画のオチ」を言う言わないについて苦々しく語っている。いわゆる「ネタバレ」のことだが、町山さんは基本「話したからなんだ」のスタンスだと思う。僕自身、先にラストを聞いたからって、どうってことない。聞くのと観るのとでは異なるし、昔の映画雑誌なんて公開前に「シナリオ採録」が掲載されていたのだ。映画の元にはシナリオがあり、そこから実際の「映像作品」がつくられているわけで、シナリオや批評などの「文字」をいくら読んだところで、一向に「映画を観た」ことにならない、というより、なれないのだ。映画はあくまで「観る」ものであり、「読む」でも「聞く」でもないのだから――少なくとも個人的には――仮にミステリーであっても、なんらビクともしないし、気にもならない。僕が最初期に読んだ映画本に『エンドマークの向こうにロマン...ネタバレなんて、どうってことない。オチを事前に知っても、一向に気にならない。

  • 『ホフマニアーナ』――アンドレイ・タルコフスキーが残した「幻視の鏡」

    「あなたも経験あるでしょう――少なくとも夢の中では――どんなことも起こり得るし、何を望んでも、すべてはきっと実現するはずだという確信を感じる経験が。その感覚が本当かどうか確かめようと決心すれば、それは本当に実現するのよ」「夢の中でならね」「夢だって現実と同じぐらい現実ではないかしら」(本書からの抜粋)タルコフスキー監督が19世紀初頭ドイツの幻想作家E.T,A,ホフマンをモデルにした映画の構想を立てたのは、1974年。75年に脚本の執筆を開始し、難航の末に書き上げたが、ソ連の国家映画委員会によって阻まれてしまう。しかし、83年にドイツから映画化の依頼を受けると、亡命を決意していたタルコフスキーは、86年からの撮影開始を予定していたが、病に倒れ、遂に「幻の企画」となった。『ホフマニーナ』(エクリ)はその脚本の翻訳で...『ホフマニアーナ』――アンドレイ・タルコフスキーが残した「幻視の鏡」

  • ロバート・アルトマンの問題作『ポパイ』は決して「興行的」な「大失敗作」ではない。

    「でもスタジオはあの映画で金を失くしてはいないんでね。ただ期待したほどのヒットにはならなかったというだけのことで。いまや『ポパイ』は驚異の子守映画になっているよ」(川口敦子訳『ロバート・アルトマン/わが映画、わが人生』キネマ旬報より)ロバート・アルトマン自身語るように1980年の問題作『ポパイ』は巷で言われるほど客が入らなかった作品ではない。興行成績ではなくむしろ批評が悪かったのだ。「Mojo」によれば1980年のボックスオフィスで年間の12位($49,823,037)をマークしている。ちなみに同年の1位は『スターウォーズ帝国の逆襲』。『ポパイ』とシェリー・デュヴァルが主演したスタンリー・キューブリックの『シャイニング』14位だがから『ポパイ』のほうが上なのである。前年の1979年に『スーパーマン』がヒットして...ロバート・アルトマンの問題作『ポパイ』は決して「興行的」な「大失敗作」ではない。

  • 『60年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

    もし映画界を支配する人々が良質な作品への敬意を持っているとしても、並み以下の作品でも興行的に成功できるという事実が、その敬意を弱めている。しかしテレビが状況を一変させた。映画産業は経済的に大きな打撃を受けたが、一方で、真面目かつ大胆な映画づくりが、いままで以上に求められる状況が生まれた。ロールスロイスとヒョウ皮に代表される華やかさが、ハリウッドから失われても、それに代わって若い世代には願ってもない刺激的な環境が生まれつつある。――スタンリー・キューブリック(1957年、CBSラジオ)第二次大戦のアメリカでは映画の非日常世界に浸ることが習慣化して、1946年には週間動員数が9000万人以上に達したとされる。しかし、38年から続いた反トラスト法違反の訴訟で敗れ、54年までに5大メジャーは直営劇場を手放して収益が激減...『60年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

  • 『70年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

    『70年代アメリカ映画100』の「はじめに」(執筆・渡部幻)より。60年代のアメリカ社会は「抗議」と「造反」と「革命」に燃えあがった。ベトナム戦争、軍の隊列、機動隊、選挙、公民権運動、学園紛争……。1969年にウッドストックに集まる40万のヒッピー、70年5月のニューヨークにおけるブルーカラーと反戦学生たちの衝突――これらの記録映像に通低している視覚的なイメージは、祭りとも見紛わせる人の群れ、つまり「群集」のド迫力である。平和的、暴力的、もしくは中立的なそれであっても、群集は共通して社会への帰属意識に目覚め、ときに巨大な群れとなることで「祭り(政)の季節」を生きた。俺たちは負けたんだ――デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』(69)より67年、アーサー・ペンが『俺たちに明日はない』で大恐慌期に実在したギャン...『70年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

  • 『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

    『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)の「はじめに」より。『80年代アメリカ映画100』は、タイトルのとおり「80年代のアメリカ映画には、どんな映画があったろう」という本である。この前の時代、つまり「70年代」のアメリカ映画は革新の季節として記憶されている。前半を象徴したアメリカン・ニューシネマは、勝利よりも敗北、夢よりも悪夢、体制よりも大衆に、積極的な肩入れをすることによって、いわゆる「ハリウッド」を迎え撃ち、カウンターカルチャーとしての「映画」を燃え上がらせたが、それは自らをも焼き尽くすほどの業火だった。一九七九年、当時を代表する若き映画作家フランシス・フォード・コッポラが総決算的な超大作『地獄の黙示録』を発表。この作品に登場するキルゴア大佐は、ベトナムのジャングルにナパーム弾を撃ち込み、敵の殲滅に成...『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

  • 渡部明美の60~70年代『週刊セブンティーン』のカラーイラストも発掘

    ©akemiwatabe(上記すべてに対し)『週刊セブンティーン』(集英社)の表紙イラストも昭和元禄アングラポップさんが発掘。創刊号からしばらく担当していたからかなりの量があるはずだけど手元にはないのだ。渡部明美の60~70年代『週刊セブンティーン』のカラーイラストも発掘

  • 渡部明美の60年代『花椿』のカットイラストが発掘された

    ©akemiwatabe(上記すべてに対し)ツイッターで「昭和元禄アングラポップ」さんから教えてもらいびっくり。個人的に懐かしい60年代『花椿』でのカットイラストが発掘された。渡部明美のもう忘れられた仕事だが、イラスト集をつくってまとめて眺めてみたくなった。(渡部幻)渡部明美の60年代『花椿』のカットイラストが発掘された

  • トッド・ヘインズの『キャロル』を観る前に読んでおきたい淀川長治の『太陽がいっぱい』話

    トッド・ヘインズの『キャロル』が評判のようだが、これは僕が去年に観たなかでも特に気に入った映画だった。いまは遠い時代のラブストーリーであり、同時に一人の女性の成長物語である。女性とデパート、レコードとラジオ、カメラとフィルム、非米活動委員会と盗聴――保守と抑圧の50年代を柔らかに胸を締めつけるような緊張美で飾りつけて洗練を極め、たまらなく魅惑的だ。全編が名演技、名演出の連なりからなり、撮影、衣装、美術、音楽に至る入念な時代考証とその繊細な表現力が観る者に「現在」を忘れさせる。ヘインズは当時のフォト・ジャーナリズムを参考にし、同時にデヴィッド・リーンの『逢いびき』を引き合いに出していると語るが、これは、社会的、政治的な抑圧と困難に直面したアウトサイダーのソウルを描き続けるヘインズの新たな到達になった。心許なく華奢...トッド・ヘインズの『キャロル』を観る前に読んでおきたい淀川長治の『太陽がいっぱい』話

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