弱視の進行で書けず。右目の中心部分に侵食ありで読めず。パソコン作業もダメ。ブログもダメか?書き続けるのは無理か?5月23日90歳1ヶ月
8月も早くも終わる。猛暑も残っているが6日をもって秋分を推し進める。そあいて、8月は意外に輝きと希望を残した。・パリ五輪の「日本3位、金メダル20個」に驚き。何よりも若者たちの「美しい肢体」が素晴らしかった。・メジャー野球の大谷「40本塁打―40盗塁」は、史上6人に次ぐ。そして年々、新しい記録を書き残していくであろう。・9月大相撲番付表も早くも発表…大関琴桜、関脇大野里、前頭2王鵬。この三方は、一年内に「琴桜横綱」、「大の里大関」、「王鵬三役」を確信したい。・るいしん君、C組、B組2年連続全国優勝!2年後6年生となって、A組の全国制覇よや如何!(8月17日付ブログご参照)・(各地の東京の)花火大会、盆お踊り、自社の縁日・屋台(食べ物)・金魚すくい…8月の輝きと希望
「るいしん」が全国優勝したぞ! 小学四年生が「バドミントン大会」に、二回も勝ったぞ!!
実は「るいしん」とは、私の親友松木幹治君の孫を松木琉森(るいしん)と称する立派な名前だ。加えて言えば、るいしん君は2年前に「Cクラブ(1~2年生)」で全国優勝を果たしており、本年四年、「Bクラス(3~4年年生)」も全国優勝を実現している。このBクラスの全国大会は、全小学生、53名(47都道府県代表)のトーナメント競争を勝ち抜いたのだ。勝も厳しく、B・Cグループへの2回優勝も強かった。私としては「驚き」以外にない。とにかく写真だけ掲げておく。左側先端がシード松木琉森(るいしん)君(全国優勝)賞状も頂きました(メダルもカップも!)「るいしん」が全国優勝したぞ!小学四年生が「バドミントン大会」に、二回も勝ったぞ!!
パリ五輪、素晴らしい若者の業績を!(つづき)…舞うがごとき美しい槍投げ「金」
見知らぬ若者たちが、20名の「日本の金」(米国、中国に次ぐ全国3位)を書き記した。新しい若者たちの業績を、誇りにした。その一つに、「舞うがごとき、美しい」槍投げを「業績」と思い残した。一挙に、舞うがごとき「槍投げ金」選手になった。こんな素晴らしい写真を残してくれてありがとう。パリ五輪、素晴らしい若者の業績を!(つづき)…舞うがごとき美しい槍投げ「金」
8月の猛暑に負けたためなのか、リハビリ訓練中に貧血で倒れ、ほぼ一日、久我山病院に面倒をかけることになった。お陰で、パリ五輪も忘れ終わってしまったところが、記事によると「日本第3位、金賞獲得20」が掲げられていた。恒例であった柔道、体操、レスリン、水泳などにはメダルが載っているが、新たに、スケート板滑り男の子や、槍投げ女の子、フェンシングの若者たちが、金賞を取っていた。フェンシングの優勝者かと思って髭ずら壮士と思うと、帽子を抜くと、可愛い10台女の子が召してくれる。一挙に「日本3位、金20」を加えたとにかく若者たちの写真を一枚撮りたい。パリ五輪に、素晴らしい若者の業績を!
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弱視の進行で書けず。右目の中心部分に侵食ありで読めず。パソコン作業もダメ。ブログもダメか?書き続けるのは無理か?5月23日90歳1ヶ月
快晴、薫風、好温…、最高の季節だ。大相撲夏場所は五日目で王鵬は3勝2敗、金星(対横綱豊昇龍)、銀星(対大関琴桜),関脇(対霧島)と3勝と見事であった。野球では広島カープが半月間で8勝4敗1分と立派。阪神を追って2位になった。実にいい気持ちであった。5月15日、良い日です。
臼杵人物記については既に4稿を書いたが、続いて荘田平五郎(三菱商事支配人)、首藤定(事業家、満州稼ぎ人)、日名子実三(彫刻家)、村上アヤ(臼杵小学校長)などなどのほか、異色の人物、大友宗麟(臼杵に十数年も住んだ)や、外国人で臼杵に初めて住み着いた二人、ウイリアム・アダムス(三浦按針)、ヤン・ヨ-ステン(耶揚子)などを準備していたが、書くことを止めた。止めることになった理由は、記述力を失ったことによる。①視力を極端に失ったことによる。②記入力(パソコン作業力)の弱化、③失語症の進化による言葉の失調、による。根本的原因による問題である。臼杵人物記の投稿を止めました
4月23日に90歳の誕生を受けました。親子家族から孫まで、祝ってくれました。弟夫婦たち、会社の社員の方々、多くの手紙やメールを届けていただきました。焼肉屋さんでたっぷり食べ、時期の煮魚を造ってくれた料理屋さんに満足しました。いろんな会合を楽しみました。沢山なお酒もいただきました。私は本当に幸せ者でした。きれいな、嬉しい手紙たち…「卒寿おめでとう」をたくさんいただきました
わが社員(某N氏)の話によれば、その父親は病気もなく、元気で農業を働き続けたが、90歳になり突然亡くなったと言われた。告別式の際、N氏が語った言葉である。「父親は良く働いた。畑では朝8時から夕方午後4時まで働いた。ところが、90歳になった途端、畑仕事を止めて、自宅の床に臥せて、食事も全て採らなかった。そして一週間、ちょうど7日目に死にました。水以外、一口も食べなかったことには驚きましたが、私としても「おやじ!見事な死に様(生き様?),天晴れだ」と言いました」あの老父が死亡した際、一言も弁解もなかったと聞いている。また、死後に及んで伝言の一言もなかったと聞いている。ある老農の「90歳の死」について
野上弥生子(小手川ヤエ)は、明治18(1885)年5月6日、小手川酒造業の父角三郎と母マサの長女として生まれた。6歳となり4月臼杵尋常高等小学校に入学、後に15歳となり上京、明治女学校に入学。17歳では同郷の野上豊一郎が一高等学校入学、21歳に明治女子学校卒業、豊一郎と結婚した。22歳の弥生子は、夏目漱石の紹介で処女作『縁』を「ホトトギス」に発表。以降、作家活動を80年間活動した。【主要な作品(小説)】・『海神丸』(大正11(1922)年)・『大石良雄』(1926)・『真知子』(昭和3(1928)年)・『欧米の旅』(1943)・『迷路』(1948)・『秀吉と利休』(1963)・『森』(1972~)【主要な受賞歴】』・女流文学賞(1964年)・文化勲章(1971年)・朝日章(1981年)・日本文学大章(19...臼杵人物記野上弥生子
2025年4月1日、90歳の月が始まった(4月23日誕生日)。80歳代は確実に10年間が続いたが、90歳代はそうはいかない。90歳代には、あるいは2,3か月まで、あるいは3,4か年も生きることはないだろう。有限の年月をじっくり生きて、充実した暮しを過ごしたい。無理をやめよう。無駄をすべて除こう。「輝くいいもの」だけを残して生きたい。短い命であるから……90歳の月が始まる
2025年3月26日。突如として暖かくなり、月末には桜は満開の見込みとなった。併せて、私の89歳を終わろうとしている。つまり私の80歳代の10年目を閉じようとしている。この90年間は「90歳を目指して」頑張り続けたつもりであった。今日の桜花爛漫に向ける日のようであった。しかし、90歳代となればそうはいかないだろう。はてさて、新しい年代にどう向かえていいのだろうか?春3月、桜花、爛漫…
中根貞彦は、明治11年2月、臼杵の二王座旧片切屋敷で、父八三郎と母マツエの三男として生まれた。父は西南戦争で死亡(10年6月)、母も早死して養子となる。叔キクが14歳まで貞彦を育てた。貞彦は、臼杵高等小学校(旧東中学校)、大分中学校(旧上野丘高校。一番最優秀の成績)、熊本第五高校(現熊本大学)と学び上がり、次に東京帝国大学法科(現東京大学法学部政治学科)を卒業、明治38年卒業し日本銀行へ入社した(27歳)。日銀の実力を認められ、ロンドン代理店監査役、帰国後国庫局長、大阪支店長(昭和2年)と昇進。以降、困難を続ける大阪業界を切り開き、「貞彦で出来ない仕事」と請われて、大阪の金融業を続けた。貞彦は、日銀総裁、大蔵大臣の職を2度も断り、三銀行(三十四、山口、鴻池銀行)を合併し、三和銀行を創業し、三井、三菱、住友...臼臼杵人物記中根貞彦
0歳に向かっていると、どんどん90歳代に近づいている感じがしていたが、2,3ヶ月前になると90歳の当日(2025年4月23日)を迎えようとすると、当該日の来る日のことを遠く感じている。80代には90歳に対して「上向」していたが、いざ90歳代は人生の始末をやらねばならないので仕事の性質上「下降」するのであろう。90歳の境目とは、「下降」へ向かう線のことなのか?いざ下降が始まれば、残る時間など何も在りはしないであろう90歳の境目
2月26日。暦の日繰りピッタリに合った暖かさ。前日までテレビが猛吹雪を知らせてあったが、決まったように春のニュ―スだ。「春と聞かねば知らでありしを聞けば急(せ)かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」(早春賦)うれしい反面、90歳(4月23日)の年齢が近づくにつれて、「おやっ…?」という音が聞こえている。体調は確実に弱っているが、まあ、特に異常はないが、いいだろう。春と聞かねば
山本達雄は、安政三(1856)年、臼杵の海沿鉄砲町に父確、母シマの次男、7人の4番目として生まれた。家族の暮らしは苦しく裕福ではなかった。色男であったが、ガキ大将で喧嘩は強かった。勉強は頑張り、藩校学古館に学び、書道に励み達筆屋であった。金がなくなってもどこにも出かけ働いた。いよいよ上京して金稼ぎをやるため慶應義塾に入るも月謝が続けず、大阪に行き教員養成学校、岡山県立商業講習所、大阪府商業講習所などに行く。以降、ようやく方向が定まったのであった。・三菱汽船会社への入社。28歳。荘田平五郎の紹介。・同、横浜支店副支配人、東京副支配人。(三菱へ)・営業局仕事の外国出張も、ロンドン、オクスフォード、ケンブリッジでも働いた。・日本銀行へ入社。・明治31(1899)年、日銀第五代総裁、43歳。・明治36(1904)...臼杵人物記山本達雄
既に、早くも春分を過ぎて陽気を迎えようとするが、風は冷たく、冷気は厳しい。そして、この時節を迎えると必ず小鳥たちがこの歌を唄う。春は名のみの風の寒さや。谷の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てず。時にあらずと声も立てず。(以降略)吉丸一昌作詞中田章作曲わが庭には、鶯(うぐいす)ではなくメジロが…吉丸一昌(明治6年9月15日生、臼杵町海沿、のち市浜住)は、特に語学、漢文、文学に優れ、臼杵をも超えて大分中学(元上野丘)、第五高等学校(熊本大学)を学んで、明治30年には東京帝国大学(東京大学)に上りつめた。加えて音楽に優れ、『新作唱歌』全十集など作成、自らの名歌も多く編集していた。吉丸一昌は、その時(明治30年)東京に行くため臼杵を発った。交通機関もなく大分に向かうため、豊後の六ヶ迫峠を歩いた。その峠から臼杵の町を...臼杵人物記吉丸一昌
>大相撲初場所の14日目まで、王鵬は素晴らしかった。金峰山の12勝2敗を追って、王鵬と豊昇龍の11勝3敗を競っていた。そして千秋楽の取り組みは、王鵬と金峰山になった。私ほある感想を抱いていた。「王鵬には金峰山への勝利を譲ってほしい。相手への優勝を祝いたいのだ。もし負けていれば、巴戦の勝利に絡まり、豊昇龍が勝つかもしれない」という嫌な予想を感じていた。予想通りとなった。全て終わった。思い出すのもイヤであった。もちろん、スポーツ精神を追求しなければならない。しかし、ダメな私にはセンチメンタルにも勝てはしない。一方、イチローは素晴らしい!。さわやかな米局野球殿堂入りだ。シーズン最多安打数62をはじめ、数多くの成績にもっている。言うべきことは何もない。素晴らしきイチロー、残念な大相撲初場所
酒元旦『亀の翁』純米大吟醸(新潟)朝7勺、晩酌1合2勺2日『鍋島』純米吟醸(佐賀)朝6勺、晩酌1合(やや控えめに)3日『姿』初すがた純米吟醸無濾過生原酒(栃木)朝5勺、晩酌1合3勺(控えと盛り返し)駅伝元旦ニューイヤー実業団(群馬)旭化成優勝5年ぶり26回目2日箱根学生駅団往路青山学大優勝3日帰路の青山学大の連覇やや陳腐の思いなかなかのご立派なお酒でした(初日旭化成)(2~3日目連覇)正月三が日の酒と駅伝
2025年元旦を迎える平凡であるが祝杯を挙げ、ニューイヤー駅伝による旭化成の健闘を祈っている脳梗塞(失語症)による「聞く力」を失っているが、クヨクヨしないで、新しい年に生きていこうと思っている。90歳時代に栄えあれ!2025年を迎える
89歳を閉じようとしている…何も変わっていない。90歳を迎えようとしている…何が変わるであろうか?去年今年貫く棒の如きもの高浜虚子90歳を迎えて何が変わるか
私が『資本論』を読み始めたのは、大分大学にいたマル系教師ご三方に教わったのが始まりであった。重光教授に価値論(資本論第一巻)、竹村助教授(当時)に金融論(同第三巻)、山本講師(当時)に地代論(同第三巻)と『家族、私有財産および国家の起原』、『空想より科学へ』など小論文を含め教えてもらった。しかし、銀行業務の労働密度、組合活動の多忙に負われ、腰を据えて、じっくりとやる資本論研究など出来なかった。銀行退職後となり第二の人生となったが、それはそれとして(旅や酒など)、十分な研究など出来なかった。(資本論もそれなりにやってきたつもりであったが)資本論の研究については、ようやく全三巻の構想を取りまとめ、やっと腰を据えて研究を始めたのであった。それは80歳になって出来たことであった。組合の後輩たちで、10~20名を集...90歳までの「人生の記録」⑤…資本論の研究
私たちの銀行生活は、全く多忙に追いかけられ、旅という思いすら何もなかった。52歳になってようやく銀行に退職し、いわゆる第二の人生を初めて、三井ホームの中で「自ら計画をもって生きる」というゆとりを持ってきた。「そうだ。旅に行こう」「せめて一年に一度は海外旅行をやろう」と動き始め、先ずアメリカに出かけた。53歳、1988年6月、北米はシカゴ、ナイヤガラ、ニューヨーク、ニューオーリンズを出かけた。そして最後は、76歳、2011年、オーストラリア(シドニー、メルボルン)までが海外旅行の記録であった。23年間、北米・中米、西欧・中欧・北欧、アジア一帯(含む豪州など)に及び、海外旅行数としては、22回、25か国、75か都市を回った。出版物としては『旅のプラズマ~心に残る街・人・言葉』と『旅のプラズマパートⅡ~世界の酒...90歳までの「人生の記録」④…旅(海外旅行と日本の全県)
酒について、その酒1「酒造と酒食」について書いたが、その後半である2000年から2018年(コロナの始まり)まで、約20年間、純米酒フェスティバル運動について書いてきた。これは、戦後の酒界に飲まれたニセモノ酒「アル添三増酒」に対し、ホンモノ酒である純米酒を宣伝し、拡大する運動を目指しできた。これは、高瀬斉委員長、中野繁事務局長を中心にして、堀江修二、橋本毅、首藤和弘と3氏を加え「純米酒普及推進委員会」を設立した。2001年4月、東京椿山荘で第1回を開催し、1200名(昼と午後、各600名)参加した。酒造蔵は50蔵に及び、約300銘柄の50ブースが広かれ、壮大な催しが続いた。約20年間、総開催数は東京で36回、大阪で11回、名古屋で3回、合計50回を開催した。純米酒普及推進という力も果たしてきたと思っている...90歳までの「人生の記録」③…酒2「酒純米酒フェスティバル」
89歳(4月23日)を超えて、早くも2か月を過ぎて疲労感を増してきた。自宅(杉並区上高井戸1丁目)から歩いた300メートルの京王線八幡山ぐらい、駆け足で楽であった。ところが、既に300メートル過ぎて改札口で一息置かねばならなくなった。一番弱ったのが足。自宅の階段でも10階で疲労する。ここ2か月で強く弱体化した感じだ。娘から、「九十歳のことだから…」と言われたが。失語症、特に「言葉の理解」が一番悪くなったが、何とか「見えること(テレビなど)」、「書くこと(パソコン)」などで、相応の「知力」を使えると思っているが、「動けない」疲労が固まってきた。プロ野球セ・パ交流戦は良かった。カープは2017年以来、7年回敗戦が続いていた。カープは⒑勝8敗で第5位。セ軍は通算して32勝25敗でトップを維持した。しかも阪神に2...89歳2か月の疲れ…、広島カープは頑張ったが
広島カープは、交流試合でパシフィックに常に負けてきた。今年はようやく勝ち進んで気がしていた。やはりソフトバンクの三連敗などをやられていたが、ようやく素晴らしい勝利を手にした。しかも三度の右肘手術に苦しんだが、成長を学んだようだ。佐々岡前監督の指導に教えられ、「フォームの間(ま)」を見つけたようだ。成長を大事にしたようだ。6月の木々を見ると、驚くほど緑が増えてきた。昨年冬の暮れでは、見る間に丸まに坊主にされていたが、大変な成長だ。2024年6月8日2023月11月12日梅雨曇り切り裂きて、ノーヒットノーラン!…青空呼ぶ大瀬良大地
一番好きな5月!一番明るい輝く日が好きだ。曇りも多いが。広島カーブが、待ってましたとばかり5月の終日、首位に上った。鯉(カープ)の月として5月の記録だけでも首位を保ちたい。若者大瀬良投手が第1勝を挙げて1000三振を記録(5月8日)、併せて栗林が地味な100セーブを記録した。大相撲でも、23歳の若者大の里が7場所所所要という新記録で優勝した。「泰然自若」と書きあげられた通り、素晴らしい男が勝った。ファン王鵬(24歳)も前頭4番目で6勝9敗に負けたが、大関の2人を破り、面目は上げた。輝く5月
三井銀行OBの方々で「山びこ」(山行者の集まり)中で、美味しい酒と食を求めた人たちが集まった。2013年1月、男性3名、女性4名の7名が集まりになったが、以来、足掛け7年21回の会合を続けた。2019年からコロナを止めて「酒と食」の会を止めたが、貴重な記録は書き残してきた。しかも、美しい酒の記録を“山桜桃(ゆすら)”という冊子を残してきた。それは、酒、食、名店、名肴、有名人、名言などなど、全61頁記録された。総まとめとして大塚『串駒』に集まり、全記録を話し合った。酒は「十四代」、「而今」などと「いしり鍋」がメインだ。7年21会の記録(全61頁)美しい「酒と食」…『山桜桃の会』の記録
1960年代、某市中銀行の、20歳代の若者たちが組合を続けていた。その70年代から80年代にかけて、極めて瑞々しい活躍をしていた(詳細は略)。そして80年代にかけ「自民・公明」政治の弱化を受け、銀行資本の組織攻撃も受けて(いずれも詳細は略)、「あの組合」は90年代に消えていく。しかし、「あの組合」は消えていったが、あの「30年間(90年代以降)の精神的組合活動」は失うことなく、今でも2024年に続いる。その「集い」の名前「心友会」(まさに、心の友!」で参加したのがピーク50名が集まり、今だなお半数の集まりが続いている。(物故者10名、病弱15名)既に80歳を超える者ばかりであるが、半世紀を超える素晴らしい組合活動を続けている。「若い」組合活動がまだ続いている!
大相撲もプロ野球も、若者たちの姿を目立つ。大相撲夏場所4日目5月15日、23歳の大の里が小結を張って3勝1敗。同じく23歳の熱海富士も前1頭で2勝2敗。24歳の前回優勝後に怪我で休場していたが、必ず後を継ぐであろう。(24歳も王鵬が調子が悪いが、まあ、これも次ぐであろう)その素晴らしいのがこの都の若改め琴桜、26歳で大関を張って、将来の横綱に向かうであろうプロ野球でも5月の中葉に目を覚まして、広島カープが15勝15敗ようやく頭を挙げて、やっとAクラス。いよいよ鯉の季節だ。それにも驚いたのは村上選手(ヤクルト)、24歳3か月にして200本の本塁打を記録した。若者たち続け!5月も中葉へ…、大相撲もプロ野球も
ブログの「一年前の記録」を読んでいたら、昨年四月23日の米寿の誕生日を祝ってくれて、北端の青森県の「田酒」と南端の佐賀県の「鍋島」のいずれも純米大吟醸酒を贈ってくれてあった。ところが今年の時期に、やや北端の山形県の「米鶴」と、やや南端の広島県の「雨後の月」(雄町無濾過生原酒)もいずれも純米大吟醸酒を贈られた。私ほど幸せ者がいるのだろうか。四月の緑が、目に染みるほどだ。緑が、一番美しく柔らかい時節だ。さあ、5月はもっと頑張って、力を入れよう。緑も強くなってくるだろう。太陽の力も、日に日に増すであろう。四月のお知らせ
4月19日(金)3月の初めから、「ステップぱーとな―芦花公園」というリハビリ運動に参加している。毎週金曜日、9時から12時まで3時間活動していた。その誕生日になる23日を前にして、お祝いのプレートを頂いた。びっくりして驚いたが、「真剣に取り組んで…」と書いていただき嬉しかった。4月23日正真正銘、2024年4月23日を受けて、89歳を超えて90歳を歩き始めたことを実感した。家族に「頑張って!」と励ましくれて、飛びっきり美味しかった「上州肉」を食べた。昨夜。広島・ヤクルト戦の初戦で2:0で完勝、2つの引き分けを挟んで4連勝だ。6連戦で無敗を取れてうれしい。続いてくれ!4月23日、89歳を超えました
4月中旬。あっという間に暖かくなってきた。プロ野球が全チーム一巡して、ようやく動きを始めてきたが、強力巨人軍の最終戦にめくわって、見事三連敗した。あっという間に最下位だ。まあ、いいことだってあるだろう。三連勝だってあるだろう。4月15日。東京医大病院に「痛い目」にあって、いち年ぶりに右の目に注射した。痛くも熱くもないが、また視力0.2が続いていたが、どうしたことか視力0.3が出た。4月の上向か?4月16日。折しも、NPO法人ミャゴラトーリの理事会の方々が、「オペラ策の向上策、中でも若者の顧客集中策」を話し合っていた。これほど難しい問題、これほど苦しい課題があるのだろうか?昨年暮れ丸坊主になったハナミズキもやっと開いた「ようやく目覚め」、少し動き始めた…
4月2日桜は満開に近いが肌寒い。季節料理『かわしまや』にMa氏とWaさんを誘って、「酒と料理の“山桜桃の会”」を編集するために会食した。数年を経て20回に参加した「山桜桃の会」だ。楽しみだ。4月4日久しぶりに松沢病院周りの桜を散歩した。わずかに2千メートル歩いただけで疲れた。疲れたが桜も花壇もかいどうもキレイであった。4月5日広島カープ対中日の久里が、7回まで完封してきたが8回のわずかの連打を打たれて0:1で負けた。先勝を続けてきたが辛敗した。世の中なんて何も分らない。写真1「かわしまや」写真2「松沢病院の桜、花壇、かいどう」ようやく目覚める四月の初旬
3月27日久しぶり美味しかった「イタリアン」(新宿3丁目の忘れたお店)を食べた。いろいろお世話にもなった人々と、楽しい会食であった。3月29日恒例の「芦花公園リハビリ」(週1回)3月分終了。3月30日ピアノ教室の発表会が行われた(西新宿ガルバホール)演奏した上手になったこと、何よりも、子供たちが楽譜(音譜)を追求する「真剣な眼と指」に感動した。3月31日プロ野球開始。広島カープ連敗のあと快勝。一勝(5対1)は値打ちがあった。ヤッた!3月の〆。いろんで良かった!
3月15日「ステップぱーとなー芦花公園」へリハビリ参加体調などのヒヤリングが中心22日マシントレーニングの、週1日3時間を実施中特になく異常なし3月18日Su氏、Mi氏と会食(新宿クラブ48階)コロナを挟んで数日ぶり、楽しい会合でした。3月24日大相撲春場所で尊富士優勝。スピード出世10場所で傷だらけの13勝2敗、110年目の歴史を記録した。王鵬もうれしかった。前頭3に位置して横綱、関脇、小結の三つを加え、7勝8敗を収めた。力を付けて立派だ!大相撲春場所尊富士の歴史的勝利、王鵬の健闘
6月11日。マザーズ社の株主総会に参加。相変わらず言葉が不自由であり、会議の役に立たぬが、みんなの笑顔を交わすだけが楽しかった。6月14日大相撲春場所第5日、若者王鵬(24歳、大鵬の孫)が横綱照ノ富士に堂々と寄り切り、金星を獲得した(前頭東3番)。嬉しく飲んだ酒は『米鶴純米かすみ酒』、これは美味しかった。久しぶりに口した句も思い出した。妻も飲むあまくつめたき春の酒日野草城かすみ酒三月の「春の酒」
3月6日ようやく輝き始めた太陽を喜んでいたが、早朝からみぞれ雪に襲われた。しかし約束どおりMi氏と食事会に出かけた。4時間を超えた楽しい会合で会った。(早くも次の会合も約束を入れた)3月8日翌朝、窓を開けると雪が落ちていた。しかし、その雪が早くも消えそうな雪が見えて、急いで写真を追いかけるような「3月の雪」を撮った。午後にはすべて雪は消えて、Ma氏と約束の食事に出かけた。これまた想像を超えた諸計画を結んできた3月⒑日今日…、大相撲が始まる。最早、雪の姿は何もない。消えかけて3月の雪
3月1日。ようやく、太陽の輝く季節が生まれた。体を動かす気持ちになってきた。娘に連れられ、「ステップぱーとなー芦花公園」に案題された。先ずは初めに「体育リハビリ」運動の「週一日、3時間」始めることにした。3月2日久しぶりに、大先輩K氏と会食(吉祥寺『砂場』)。大先輩どころでなく、御齢95歳2か月、おひとりバスを乗って自ら通い、お銚子各2本と食事を交わせながら2時間、しゃべり続けた。私も88歳11月ではあるが、子供遣いであった。3月3日女の子の暦は詳しくないが、たまたま「海鮮ちらし寿司」など買ってきたので、『米鶴純米かすみ酒』を飲んだ。“桃の酒”なのか“白酒”なのか、実な立派な、美味しい酒であった。リハビリマシン太陽の輝く三月
今月は、ブログの一言も書いていない。毎年毎年同じことを書いていたようだ。同じ感興を湧くこともないのだろう。「失語症」と「言葉の消失」のせいであろう。語を失う病状と空白な言語の中では、日々、新しい感興の中にはない。ブログなど書き続くことなど、何もないだろう。ただ一つ、『日本歌曲コンサート』(2月23日ミャゴラトーリ公演)に触れたことだ。久しぶりに寺山修司も表われて、「良いなあ~」(M氏の発言)という思いをコンサートに持った。二月も終わろうとしている
ブログを思い出すと、7日に「二つの駅伝」、15日に「3兄弟両夫婦の食事」、29日に「大相撲とマラソン新記録」、について短いニュースを書いてあった。それぞれ感激を受けたが。しかし、何も、特に書くことについては無かった。私の脳梗塞(失語症)は、リハビリ活動を動いているが、反面には「老齢による消失」を受けているので、結局、私は成長してない、動いている。思考力も、思索力もないので、ブログに書き記すものはない。さてはて、ブログは不要であるが……?一月(ひとつき)過ぎて…
本日(12月28日、日曜日)のハイライト!・大相撲横綱照ノ富士優勝、9回気迫の復活関脇琴ノ若13勝2敗、大関昇進決定・大阪マラソ前田穂南(天満屋),五輪へ2位(優勝はエチオピアのエデサ)19年ぶり新記録2時間18分59秒(2005年は野口みずきさん記録)思うことなし!今月はすべて終わり!本日のハイライト
脳梗塞(失語症)の病状は、前年6ヶ月間の状況が安定してきたと思っている。いわゆる新年のすべり出しから見て、安定していると思っている。病状の好転も悪化もしており、硬直している。長い、時間をかけて、良くするしかない。事務整理も、じっくり、時間をかけてやっていこう。大好きな大相撲も、15日間かけてやっていこう。今年初めて、3兄弟夫婦で食事を楽しんだ。新年最高の楽しみであった。新年のすべり出し
七日正月なんて、あまり考えてなかったが…。「松もとれて……仕事もしっかりやろう」と正月気分。一日、実業団対抗で旭化成が第三位。立派!大学箱根駅伝では早稲田は4秒差で7位。情けない実力!その早々、石川地区の大震災。不安どころの話でもない。ところで、ウクライナって、何が起こっているの?七日正月