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2014/10/10

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  • 秋は既に来ていた

    昨夜(8月28日夜)、窓を開けると涼しい風が入ってきた。それはむしろ肌寒ささえ感じさせた。おそくなって風呂に入ると湯は冷めていた。つい先日までの猛暑の中では、その冷めたお湯が汗ばんだ体に心地よかったが、昨夜は何とも頼りなく、思わず追い炊きのスイッチを入れた。「さやかに見えぬ秋」は、既に来ていた。もう一つ、後世の人は、この2022年8月を、3年にわたり猛威を振るったコロナウィルス感染症のピークの月と記憶するだろう。今月に入り全国感染者数は一日20万を超え、東京都でも3万人を超える日を続けたが、ここにきてようやく収まりを見せてきた。全国で10万人台、東京都でも1万人台(本日は9880人と1万人を割り込む)を続け、ピークアウトの様相を示し始めた。私は、コロナを軽視はしていないが、それほど重視もしていない。ワクチ...秋は既に来ていた

  • 終戦を挟む二つの77年

    八月は第二次大戦の終戦を記念する月である。1945年8月、6日に広島、9日に長崎に原爆を投下され、15日にポツダム宣言を受託し敗戦を迎えた。日本は焦土と化していた。今年はそれから77年目。一方、敗戦の年から77年を遡ると明治元年(1868年)、つまり明治維新に突き当たる。この明治維新は、鎖国に守られた泰平文化の江戸時代に幕を下ろし、日本の目を一気に海外に向けさせた。以降、日本は国を挙げて軍事強化に励み、覇権主義的海外進出に突き進む。日露戦争、日支事変、大東亜戦争(第二次大戦)への道である。満州(中国東北部)にカイライ政権を樹立し、朝鮮、台湾を植民地化し、更に南洋諸島の石油権益に手を伸ばした。勿論それは、世界列強の許すところでなく、前述の敗戦につながった。翻って戦後の77年間、日本は平和の道を歩いてきた。少...終戦を挟む二つの77年

  • ミャゴラトーリ『椿姫』は、なぜ感動をもたらしたか?(3)

    ヴィオレッタとアルフレードの愛…、この愛は、一体なんであったのか?演出者大澤氏は、それを解く鍵は、二人が交わす歌の中にあると言う(氏のFacebookなど)。ヴィオレッタの「いつから私を好きだったの?」という問いかけに、アルフレードは「一年前から好きだった」と答える。この言葉は決定的であったが、しかい、その一言でヴィオレッタは彼を愛した訳ではない。夜ごと取り交わす瞬時にして無機質な愛が充満している社交界、「愛は簡単に変わるものだから楽しむべし」と歌う社交界にあって、「一年」は永遠を意味しただろう。永遠の愛…、そのような愛をヴィオレッタは全く知らなかった。それを事も無げに伝えるアルレードとはどんな男か?その彼の内実、生きざま、人生観にヴィオレッタは惹きつられていく。そしてそれは、死ぬまで続く、正に永遠の愛と...ミャゴラトーリ『椿姫』は、なぜ感動をもたらしたか?(3)

  • ミャゴラトーリ『椿姫』は、なぜ興奮をもたらしたか?(2)

    第一幕の初めから、各歌手の圧倒的歌唱力により舞台に惹きつけられたが、物語の展開上当然のことながら、圧巻は二幕と三幕であった。二幕はジェルモン(アルフレードの父親)が登場し、ヴィオレッタに息子との別れを迫り、またアルフレードには、女と別れ故郷へ帰ろうと説得する場面。アルレードとの別れは死を意味する、と断固抵抗するヴィオレッタに対し、冷酷無比なジェルモンは、息子は我がジェルモン家を継がねばならない、婚約者として美しい娘もいる、息子と別れてくれ、と執拗に迫る。貴族としての地位と家系を守るという自我心だけで、そこに人間性のかけらもない。長いやり取りの末、ヴィオレッタは遂に折れる。「その美しい娘さんに伝えてください。哀れな女が犠牲になったと」と告げてアルフレードと別れる決心をする。最も哭かされたシーンであった。また...ミャゴラトーリ『椿姫』は、なぜ興奮をもたらしたか?(2)

  • ミャゴラトーリ『椿姫』は、なぜ感動をもたらしたか?

    この公演はなぜ感動を与えたか?それは、制作者(首藤史織)と演出者(大澤恒夫)の新解釈に基づく演出にあったのではないか?大澤氏の、チラシ裏面の解説によれば、原作者アレクサンドロ・デュマ・フィスは、自分の実体験としてこの小説を書いたが、それは、交際していた娼婦を最後は見捨て、その死に際にも会わなかったという結末であった。しかしデュマは、彼女の気高い愛を想起するにつけ、あまりにも哀れな結末を悲しみ、翌年戯曲化した際、死の直前に恋人と再開させ、彼は彼女を抱きしめ「神よ、この人をあなたぼ身元へ」と祈るシーンに書き改める。そこには、ヴィオレッタというこの女性を、娼婦と見るより純愛に生きた女性と見るデュマの目があった。ところが後年、歌劇王ヴェルディがこの作品をオペラ化する際、もちろん結末は二人の再会のシーンとし、神へ導...ミャゴラトーリ『椿姫』は、なぜ感動をもたらしたか?

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