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  • 9月号石造物通信

    9月号石仏通信9/13発行しました1ページ石刻。採訪6円光寺宝篋印塔小松茂生先生著2ページ熊谷氏周辺の板碑3ページ煙草の神様石田年子先生著4ページ大阪府叡福寺骨折前に発行したのが幸いでした9月号石造物通信

  • 骨折事故

    9/14野田市須賀神社までつまじき転倒しデジカメの上になりアバラ骨2本骨折しましたよく奇跡的に野田市から帰宅できたと神の保護があったのだと自分に言い聞かせています更新が遅れていますご了承お願いします骨折事故

  • ブログ移転

    OCNブログが11月に閉鎖する連絡がありうろたえてしまいGOOに移転準備に入りました熊谷市周辺の板碑3で移転準備にしたいと思いますブログ移転

  • 熊谷市周辺の板碑 2

    毎日50数名の方がご覧いただき感謝しています6.村岡観音堂茶臼塚板碑:熊谷市村岡362阿弥陀三尊種子板碑;村岡集会所広場、覆屋内に立つ市指定文化財、鎌倉時代中期文永十年(1273年)緑泥片岩、地上高331(熊谷市内で一番高い)阿弥陀三尊の脇侍あたりで折れ、修理・補強されている文永十年(1273)春、彼岸の中日に九人の子息らが、亡き父の菩提を弔い、同時に存命する母の逆修供養の願いをこめて造立された7.肥塚氏(こいづかし)供養板碑:熊谷市肥塚1-4-3(1)阿弥陀一尊種子板碑;成就院境外墓地の北側にある市指定文化財、鎌倉時代中期康元二年(1257年)緑泥片岩、高さ117Cm下幅39Cm「肥塚太郎九郎光長」の墓と伝えられている頭部は低い山形で頂部を欠損する。下に二条線、額部はつくらず、身部の輪郭はない1。(2)供養地...熊谷市周辺の板碑2

  • 熊谷市周辺の板碑めぐり1

    何時もの仲間4人でベンベの最高級車で楽ちんの熊谷市周辺の板碑を見て歩きました畠山重忠史跡公園深谷市畠山520●阿弥陀1尊種子板碑高さ136㎝緑泥片岩鎌倉後期嘉元2年(1304)重忠公没後100年後造立市指定文化財●重忠公主従の五輪塔鎌倉時代後期~南北朝時代造立6基あり中央の一番大きい五輪塔高さ169㎝県指定史跡俵薬師堂深谷市本田522板碑はガラスの小屋に安置されているため写真写りずらい●阿弥陀1損図像板碑高さ153㎝緑泥片岩阿弥陀如来は円形頭光を負い、東部から光明の放射を表現している市指定文化財境内の石造物庚申塔2基江南文化財センター熊谷市千代329文化●須賀広阿弥陀三尊図像板碑高さ147㎝緑泥片岩鎌倉時代前期嘉禄3年(1227)関東地方で最古県指定文化財●阿弥陀三尊図像板碑高さ180㎝緑泥片岩鎌倉時代前期歓喜...熊谷市周辺の板碑めぐり1

  • 天神社の狛犬

    8月に入ってから腰痛に悩まされどこ行けずに困っていました3日ほど前に整体外科にレントゲンを撮り骨に異常がないと言われた痛み止めの錠剤を飲み始めたところ痛みがと他の出出かけてきましたJR大久保駅と東中野駅の中間の地である北新宿。東中野駅より10分新宿に近いとは思えないほど、閑静な住宅地が広がっているところに神社は鎮座しております。鎧神社新宿区北新宿3丁目淀橋第4小学校横日本神話の悲劇のヒーロー・日本武命関東の英雄・平将門公その鎧が当社の地には眠っていると古来より言い伝えられ、人々の崇敬を集めてまいりました。伝説の地・鎧神社へ、社殿で手を合わせれば、悠久の歴史を感じられます。鎧神社の狛犬天保7年(1836)鎧神社の境内に天神社がある天神社の両脇にある狛犬は、全国的にも非常に珍しい狛犬型庚申塔です。造営は享保6年(1...天神社の狛犬

  • 8月号石造物通信

    8月号の石造物通信を発行しました7・8月はどこにも出かけず家に閉じこもりでした1ページ石刻・採訪5浅草寺の宝篋印塔小松茂生先生著2ページ京都府木津市の石仏を訪ねて3ページ富士の彫られた庚申塔石田年子先生著4ページ四天王寺の庚申堂8月号石造物通信

  • 7月号石造物通信 発行

    7月号石造物通信は発行しました1ページ石刻・採訪④知恩院五輪塔小松茂生先生著2ページ奈良市中将姫誕生寺付近真言律宗小塔院3ページ咳神・腹切り様房総石造文化財研究会副会長石田年子先生著4ページ杯状石今月号も両先生のお蔭で発行することができました小松・石田両先生に感謝です7月号石造物通信発行

  • 五輪塔型庚申塔

    首記の情報を得て出かけた自宅より15分強東急田奈駅より下車信号を渡り1k強緩やかな登坂を上りきったところの信号を右折し100m右側にあるはずだがみあたらず近くの老夫婦に教えていただきやっとたどり着いた稲荷社の右側に鎮座していた所有者野路光一家の屋敷神である稲荷社の祠の前に江戸時代前期の安山岩製の五輪塔があり、地輪の刻まれた銘文によって庚申供養塔であることが知られる。本庚申塔の位置は、現状では台地上の住宅地の裏にあたるが、本来は台地の下にある野路宅の裏山であった。空輪、風輪、火輪傾斜部、火輪軒部、水輪の正面に、五輪塔四方の梵字のうち、東方の発心門の梵字を刻む。五輪塔は、中世においては供養塔婆として数多く造立され、江戸時代前期には旗本等の墓塔として使用された。五輪塔が庚申塔に使用された例は極めて少なく、また、庚申塔...五輪塔型庚申塔

  • 埼玉県宮代町庚申塔を訪ねて

    梅雨の合間をぬって宮代町の庚申塔を訪ねた東武塔動物園前駅で下車東口改札口を出て徒歩10分弱宮代町百間6丁目地内路傍右端から笠付青面金剛像塔文化10年(1813)笠付青面金剛像塔明和2年(1765)笠付青面金剛像塔享保19年(1734)笠付青面金剛像塔元禄13年(1700)小屋の中舟形青面金剛像塔2臂延宝4年(1676)宮代町最古小屋の左側馬頭観音塔身代神社に向かう途中道標歩く事30分強地図がないためやっと到着身代(このしろ)神社宮代町須賀境内の石造物角柱文字庚申塔文政10年(1827)笠付青面金剛像塔寛政7年(1795)47基の文字庚申塔金剛寺宮代町須賀青面金剛像塔延宝8年(1680)歩きで住所がはっきりしなのに地図もなく歩くのが大変途中であとは後日といううことでバス停が見つかり町営バスで帰宅しました暑い中ご苦...埼玉県宮代町庚申塔を訪ねて

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