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  • 杉惠美子「漣」ほか

    杉惠美子「漣」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年05月20日)受講生の作品。漣杉惠美子五月の光をうけて炭酸水のような撥ねる音を聴きながらふくふく膨らむあしたを願いながらさざなみのひとりごとを聴いてみたいありふれた幸せとありふれた不幸の中でゆらゆら揺れて誰かとかくれんぼしながらずっとかくれていようかそれとも波のまにまに見え隠れしながらずっと手を振っていようか乱反射する月光の下で「炭酸水の描写、ふくふく、ゆらゆら、の動きが柔らかくて静か」「浮遊感が自然。気持ちがよくなる詩。五月の光で始まり月光の下でと終わるのは、最初は少し違和感がある。しかし光で統一されていてよかった」「五月の光から月光への変化には、時間の流れがある」「ありふれた不幸からの二行にひかれる。平穏な日々、小さな幸せを感じて生きている」杉...杉惠美子「漣」ほか

  • Estoy Loco por España(番外篇443)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPablo"Eneljardín"encáusticaoleo,Año2000,70x70cm.Aunquedebióflorecerenvarioscoloresyenformadevariasflores,sólopuedorecordardosflores.Doscolores.Otrossevuelvenligerosydesaparecenenelmundo.Unaeslaflorquecultivé.Laotraeslaflorquecultivaste.Esesoyyo.Elotroerestú.Eseesmicorazón.Eseestucorazón.Esoesloquerecuerdo."Eseesmicorazón.Eseestucorazón".¿Lo...EstoyLocoporEspaña(番外篇443)Obra,JesusCoytoPablo

  • ジョナサン・グレイザー監督「関心領域」(つづき)

    きのう書けなかったことのつづき。「距離」を考えるとき、きのう触れなかたっふたつのシーンが気にかかる。ひとつは、ラストのアウシュビッツ資料館(?)の映像。収容されたユダヤ人の鞄、靴が積み上げられている。その前にガラスの仕切りがある。そのガラスが気になる。私はアウシュビッツを訪問したことがないのでわからないのだが、あるガラスのせいで、ずいぶんこころが落ち着くのではないだろうか。(落ち着くという表現でいいかどうかわからないが、とりあえず書いておく。)もしガラスの仕切りがなかったら、その鞄や靴がもっている匂いが直接肉体に迫ってくるだろう。触感(実際に触れるわけではないが)も、ずいぶん違ってくるだろう。あのガラスによって、「距離」が一定に保たれている。そこに「一定の距離」が生まれてしまう。近づきうるかもしれないのに...ジョナサン・グレイザー監督「関心領域」(つづき)

  • ジョナサン・グレイザー監督「関心領域」(★★★★★)

    ジョナサン・グレイザー監督「関心領域」(★★★★★)(Tジョイ博多、スクリーン5、2024年05月24日)監督ジョナサン・グレイザー出演クリスティアン・フリーデル、サンドラ・ヒュラー注目したのはふたつのシーン。ひとつ目は、リンゴをひそかに配給(?)していた女性が、お礼の楽譜をみつけ、それをピアノで弾いてみるシーン。無残に殺され、死んでいくしかない人間がつくりだした、その音。彼は(彼女かもしれないが)、その音を実際に聞くことはない。音楽家の頭のなかには音が鳴っているかもしれないが、それはあくまでも抽象的なもの。ピアノであれ、人間の声であれ、なにかによって現実の音になる。そして、不思議なことに、その現実の音を聞くとき、私たちは現実の音以外のものをも聞き取る。その音楽をつくったひとのこころ、夢や願いを聞き取る。...ジョナサン・グレイザー監督「関心領域」(★★★★★)

  • Estoy Loco por España(番外篇442)Obra, Luciano González Diaz

    Obra,LucianoGonzálezDiazLeerlibrossignificaamarloslibros,amorlaspalabras.Peroesonoestodo.Loquequierodeciresqueloslectoresestánamadosporloslibrosylaspalabras.Unlibro,laspalabrasescritasenél,convirtieronaestehombreenungigante.Porqueellibroylaspalabrasamabanaestehombre.Eseamoresilimitado,comoelamordelamadre.Elhombrequeestáabsortoenlibrosnosabecómocrecesucuer...EstoyLocoporEspaña(番外篇442)Obra,LucianoGonzálezDiaz

  • Calros Ruiz Zafonと村上春樹

    CalrosRuizZafonはスペインの作家(故人)。「LaSombradelViento」は世界的なベストセラーになった。多くのひとが「おもしろい」というので、読み始めた。私のスペイン語は、NHKラジオ講座入門編のレベルなのだが、どうせなら分厚い本を読んでみようと思ったのだ。最初は辞書を引き引き読んでいたのだが、なんだか面倒くさくなった。辞書を引かなくても、おおよそのストーリーはわかるかもしれない、と思ったのである。たとえば33ページには、主人公ダニエルとクララという女性の会話があるのだが、そこで彼女は、こんなことを言う。Nuncatefiesdenadie,Daniel,especialmentedelagentealaqueadmiras.(だれも信じちゃだめよ、ダニエル。特にあなたが崇拝している...CalrosRuizZafonと村上春樹

  • 「落下の解剖学」と「悪は存在しない」

    最近評判になった二本の映画。共通点は、脚本がともに完璧であること。違いは、「落下の解剖学」には偶然というか、発見があるが、「悪は存在しない」には偶然の発見がないということ。具体的に言うと。「落下の解剖学」は、前に書いたが「音」がキーポイントになっている。起承転結の「転」の部分で、少年の弾くピアノの音が突然透明な輝きを発する。びっくりすると同時に、その瞬間、少年の「こころ」がわかるのだが、驚いているのは私(観客)だけではない。弾いている少年もびっくりしている。自分には、こういう透明な音楽を演奏することができるのだ、と驚いて、自分の弾いた音を聞いている。音楽に限らず、あらゆる芸術に触れているひとは、こういうことを体験したことがあると思う。ぜんぜん、うまくならない。しかし、ある瞬間、何かが自分のなかで起きたかの...「落下の解剖学」と「悪は存在しない」

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(106)

    「ボイオチアの形象」は、エリティス特有の、ことば数の多い詩。そのなかにあって、しかし、ここ、夜は眠りに忠実に侍べり、とことばが少ない。だが、その少ないことばのなかにあって、「侍べり」がおもしろい。普通は「はべり」ということばをつかわない。「忠実に」ということばといっしょにつかわれているので、ここでは「そばにいる」くらいのイメージだと思うが、この瞬間、「夜」が人格をもってあらわれてくる。それにあわせて「眠り」も人格をもってあらわれてくる。「眠り」に人格がつけくわえられるというよりも、「眠り」が人格をもってあらわれるとしかいいようのない、不思議な奥行きが生まれる。そして気づくのだが、エリティスの詩に登場する「もの」はすべて「もの」ではなく、人格をもった「いきもの」なのである。それは互いに交渉している。そして、...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(106)

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(105)

    書き漏らしがあった。リッツォスの詩が2篇「宵」と「軽やかさ」、エリティスの詩も2篇「エーゲ海の憂愁」と「ボイオチアの形象」。リッツォスの「宵」。静かに微笑みながら、美しく、詩は「美しい」を「美しい」ということばをつかわずに書くことだろうけれど、そんなことは百も承知で「美しく」と書く。そして、それをそのまま翻訳する。ここには、大きな秘密がある。一行だけの引用と決めて書いているので謎かけのようにして書くしかないのだが、この一行のほかの行は、こんなに単純ではない。暗示的だし、不気味でもある。何かしらの「不安」を含んでいる。それを拒絶して、ここには「美しく」が存在している。「静か」も「微笑み」も、そうである。この一行だけが、特別に、シンプルに書かれている。平凡に書かれている。それが、ぐい、と迫ってくる構造になって...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(105)

  • 青柳俊哉「運動」ほか

    青柳俊哉「運動」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年05月06日)受講生の作品ほか。運動青柳俊哉樋の綻びからくずれおちる雨の言葉雨の音にふれる時わたしは水の中にある潮水の神話がみみもとをながれおちる蝋梅の香にふれる時蜜を吸う蜂の口が斜めにさしかけてほそくながくわたしはふるえる氷の火山で空をおおう潮水の上昇気流松林の根をうるおす雪の羽毛の神話地に空にわたしはひろがりわたしから離れる世界に言葉の分子がただよう-「一行がすーっと入る。たくさんのことば、イメージが重なるが、タイトルがさっぱりしている。詩に対する姿勢がタイトルと最後に書かれている。ただ最後の一行はなくてもいいのでは」「『蜜を吸う蜂の口が斜めにさしかけて』という一行が好き。地上から宇宙へ旅立つ感じ、アウフヘーベンする印象がある。最後の一行がい...青柳俊哉「運動」ほか

  • こころは存在するか(36)

    神谷美恵子を読んでいて、ふいに、とても奇妙な気持ちになる。「私は神谷美恵子の文章に愛されている」と感じる。これは神谷美恵子に限ったことではないが、私は、何か好きな人の文章を読んでいると、私はその文章に愛されていると感じる。それは、私はその文章が好きという感覚よりも、何か、不思議な強さ、不思議な深さ、不思議な広がりで迫ってくる。その文章、ことばにつつまれている感じがする。このことばのなかにいる限り、私は安心できる、という感じだ。私は、そういう感覚を求めて、たぶん本を読んでいる。愛を知りたいというよりも、愛されているという感覚を思い出したくて読んでいる。これは、だから、何と言うか、「私の知らないことを知りたい」という「知識欲」とはかなり違う。「知っている何か」を確かめたいということになる。しかも、その知りたい...こころは存在するか(36)

  • Estoy Loco por España(番外篇441)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensUndía,unaobraqueconozcoohevisto,derepente,puedeparecerdiferente.Esomepasóhoy.Vienederepentedeunmundodesconocido.Unasolasombrapuedecambiarunaobra.¿Estoymirandolaobraoestoymirandolasombra?¿Oestoyescuchandoundiálogoentrelaobraysusombra?¿Joaquíncreólaforma?¿OJoaquíncreóunasombra?¿Sabíaquesicreaestaforma,apareceráestasombra?¿OlaformaquecreóJ...EstoyLocoporEspaña(番外篇441)Obra,JoaquínLlorens

  • 許暁●『共に春風を』(訳・竹内新)

    許暁●『共に春風を』(訳・竹内新)(澪標、2024年04月30日発行)許暁●(●は「雨」冠の下に「文」を組み合わせた漢字)の『共に春風を』を読む。詩は、簡単にいえば存在とことばが対になること。と、中国の詩を読むといつも感じる。対(二)を超えると、つまり三以上はすべて無限。中国人の書いたものを読んでいると、いつもそう感じてしまう。「謎」には、それに通じる一行がある。一が二を生み二が三を生み三が万物を生んでいる三のあとは突然、万になる。四も五も、十も百も千も関係がない。そして、ここでの「万物」とはもちろん「万」ではない。「無数(無限)」である。「万物」のなかの「一つ」が「対」を求める。その結果「二」が生まれる。それは、次々に起こる。その運動を止めることはできない。「万物」が「万物」として存在するのは、「一つ」...許暁●『共に春風を』(訳・竹内新)

  • こころは存在するか(35)

    和辻哲郎「倫理学」のなかに、和辻ならではのことばがある。ピラミッドについて触れた部分だが、ピラミッドの壁に描かれた絵について、それは死者、その霊が見て楽しんだというよりも、まだ死なない死者が、死後の生活として、すでに生前において、満足をもって眺めているのである。記憶で引用しているので、たぶん、ずいぶん間違えて書いているところがあると思うが、私はそんなふうに読んだ。何がおもしろいかといって、ピラミッドをつくるように命じた王が、どこかにそんなことを書いていたわけではなく(そんな記録は残ってはいない)、ここに書かれていることは和辻の想像だからである。「歴史」なのに、想像を書いている。そして、それは王の想像力を想像したものである。それにしても「まだ死なない死者」という表現が、とてもおもしろい。「まだ死なない」なら...こころは存在するか(35)

  • 堤隆夫「幸福を追求するために」ほか

    堤隆夫「幸福を追求するために」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年04月15日)受講生の作品。「幸福を追求するために」堤隆夫朝やけに匂い立つ草いきれの躍動夜風にそよぐ柿の葉の風鈴私は三十五億年前の三葉虫の記憶の中から生まれてきた去りゆく日々去りゆく人たち去りゆく悲しみ去りゆく歓びみんな私を育ててくれたみんな私を愛してくれたみんな私を懐かしんでくれた嘆くまい悔やむまい今私が立つ慈愛の夕陽のこの丘は三十五億年前に私の祖先が立っていた場所私の祖先が愛しあっていた場所私という個が普遍であるからにはあなたという個も普遍である私とあなたは互いの差異を認めあい今ここで生きていくために共に手を携えている幸福を追求するためにそれ以上のことが他になにがあろうか!多様で複雑な個々の苦しみを思いあう想像力こそが人間の尊厳...堤隆夫「幸福を追求するために」ほか

  • 濱口竜介監督「悪は存在しない」(★★★★)

    濱口竜介監督「悪は存在しない」(★★★★)(KBCシネマ・スクリーン2、2024年05月04日)監督濱口竜介出演山の風景映画の冒頭、カメラが冬の木立をとらえる。下から、梢を見上げる形で。その木立の緑が、セザンヌの緑に見える。灰色に、とてもよく似合う。森を下からとらえた映画では、黒沢明の「羅生門」を思い出すが、あのぎらぎらした空ではなく、この映画では深く沈んだ緑、灰色と黒に侵食されながら、それでも保たれている緑が、さらに深く沈んで行く。見ているうちに、見上げているのではなく、見下ろしていような感じになる。たぶん、灰色の空のせいで。灰色は、凍った雪の色にも見えるのである。だんだん、私は見上げているのか見下ろしているのかわからなくなる。あ、これが、この映画のポイントなのか。「自分の立場」が、いつのまにかわからな...濱口竜介監督「悪は存在しない」(★★★★)

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