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2014/10/02

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  • 僕の東横線 その3(最終回)  

    途中自由が丘と田園調布で時間を取ってしまったから、その2で東横線を終点までは語れないと分かった。しょうがない。この3で終わることにしよう。多摩川を渡ると川崎市になる。最初の駅「新丸子」には一回も降りたことがない。次の「武蔵小杉」も、僕の東横線から見るイメージでは工場地帯で、JR南武線との乗り換えの駅舎があったことを記憶しているのみ。高層マンションが林立している今の姿は、決して想像できない汚い工場街だった。武蔵小杉を出ると、次は「元住吉」。ここには降りたことはないから語ることは何もない。次の「日吉」は、僕が戦後一人で東京に戻ってきた時に、一度頼った親父のお弟子さんがいた。大した世話にはならず、結果として今では名前の記憶もないし、連絡は途絶えている。慶応大学で有名なのだが、三田のキャンパスに入ったことがあるが、日吉...僕の東横線その3(最終回) 

  • 僕の東横線 その2

    渋谷から「都立大学」まで話してきたから、「自由が丘」からあとを「桜木町」までとします。<自由が丘・碧空:毎日新聞よりお借りしました>「自由が丘」は、いっぱい、いっぱい、友達との思い出がある街だ。僕が6年間、住んだ街で、ここのアパートから、大学やアルバイト先に通い、IBMに就職が決まってからは、大田区の第一京浜に面したサイトにも、田園調布で乗り換えて通っていた。もちろん、住んでいたと言っても、立派なお屋敷だとか戸建て住宅に住んでいたわけではなく、それこそオンボロと言っていい木造アパートに、姉と一緒に住んでいた。思い出はいっぱいある。今、九品仏緑道と呼ばれている散歩道は、その頃は汚い小川だった。大井町線の自由が丘改札口の反対側の岸に、そのアパートはあった。直線距離では目の前なのだが、その頃は暗渠にはなっていなかった...僕の東横線その2

  • 僕の東横線 その1

    昔々、「中央線は地雷原」という文章を書いた覚えがある。その頃は、中央線の駅名を聞くと、そこに付随する僕の過去の辛い、悲しい、逆にうれしい思い出が、突然蘇ってくる。再現することができてやりなおせるのならば、それでもいいのだが、相手があることだからそうはいかない。今回は地雷原とは言えないが、いっぱい、いっぱい思い出の詰まった、僕の東横線のことを書いておきたい。現在の東横線は全部で21駅あるが、僕は書こうとしているのは全部で23駅の東横線だ。その理由はみなとみらい線ができて、横浜から先の「高島町」と「桜木町」がなくなったからだ。「渋谷」には、いっぱい良い記憶があるから、何を書けばいいかよくわからない。例えば、僕の大学時代のバイト先で長くお世話になったオフイスは宮益坂にあったし、いろいろな友達と何度も会ったし、丸山町な...僕の東横線その1

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