ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
開通していると思ってやって来ました。旧晴海鉄道橋が整備されて遊歩道になる計画です。周辺は公園として整備が進んでいます。春海橋から眺めます。運河の向こうは豊洲です。一向に工事が進んでいません。永く放置された鉄道橋が遊歩道として蘇ります。完成したら渡ろうと構えています。まだかなぁ。旧晴海鉄道橋未だ開通ぜず
千住寿町の交差点です。ここの交差点を渡るときはいつも楽しみです。向かいのサンロードは、いつもかっこいいバナーを掲示します。横断歩道を渡って見上げます。「ぱあまやさん」脇のバナーです。ちょっと凝ったデザインですが、いつものセンスとは違うように思いました。バナーを読みました。「千住宿開宿400年」だって!知りませんでした。歴史がありますね。商店街中緑のバナーです。ということは?と覗きます。やっぱり!ハッピーロード商店会も緑です。千住宿を構成する商店街だものね。いつものようにサンロードを行きます。振り返ります。・・・ということは?やっぱり!「きたろーど100」も。・・・まさかあそこはね。と覗きました。えっ、有りました!殆ど民家になっていて、バナーなんか全然掲示したことが無い商店街なのに?「柳原商栄会」の緑看板と...千住宿開宿400年
東尾久8丁目に交番が在ります。街は初夏の陽気です。振り向きます。若葉が萌えています。東京都立大学荒川キャンパスです。大学前のバス停です。バスが到着しました。目に優しい緑です。空気が新鮮な気がします。ハナミズキが盛りです。一番好い季節です。いつの間にかバスは発車しています。校舎へ向かう石畳です。不思議と、いつも、殆ど人が居ないキャンパスです。新緑の東京都立大学荒川キャンパス
有名な「長命寺の桜もち」です。始めて店に入ります。葉桜の季節です。店を出て覗きます。生まれて初めて買いました。帰宅して開けました。菓子皿が見つからなかったので、取り敢えず。だって、甘いものなんて食べなかったから、仕舞い場所が分かりません。桜葉3枚に包まれていました。最近、時々甘いものが食べたくなります。味覚が変わったのでしょうか?病気じゃ無いよね。桜葉が良い香りです。次は「桜もち」の向かいの、「言問団子」を食べてみましょうか。長命寺桜もち葉桜の季節
東小岩を走っていたら、煙突が有りました。やって来たのは「亀の湯」です。銭湯は「松竹梅」とか「鶴亀」とか、おめでたい名前を付けます。従って老舗の銭湯だと思います。こちらが入り口のようです。現役なのだろうか?電光サインが有りました。なになに?おお!現役です。コインランドリーも清潔です。やっぱり、共同住宅との複合経営です。今はこの業態が生き残っている銭湯の主流です。裏に回ります。煙突を見上げます。頑張れ‼︎近くには、先の大阪場所で、三度目の優勝決定戦にまたも敗れた、高安が所属している「田子ノ浦部屋」がありますが、訪問しません。勝負の世界は勝ってなんぼです。・・とは言いつつも、優勝賜盃を抱かせてあげたい。東小岩で「亀の湯」に遭遇した。
五月場所が近くなりました。大の里の横綱挑戦場所です。先場所は12勝、しかも相星決勝戦を経てのものです。13勝はして貰わないと横綱には相応しくないと思います。えっ、豊昇龍と一緒だって?だから、ちゃんと勝って欲しいところです。伊勢ノ海部屋の裏口でまわしを干していました。朝稽古が終わったようです。五月場所が近いので稽古にも熱が入っているでしょうね。当番でしょうか、皆んなのまわしを干しています。爽やかな天気です。白いまわしは関取のものです。二人しか居ません。小結の錦木と十両の若碇です。まわしは洗いません。太陽光で殺菌します。それでホントにバッチくないの?優勝争いに絡みそうなのは、大榮翔でしょう。成績が安定しています。当然琴櫻も優勝に絡みたいところです。先場所メンタルの弱さを見せたのが気がかりです。そして、一場所で...五月場所が待ち遠しい
久しぶりに通ったら、こんな貼り紙が有りました。「新企画を検討中」だって!復活するんだ‼︎もう閉店して4〜5年になります。それが復活です。「ふんわり」ですか。どんなになるんだろう?谷中の丘の三叉路に立つ一本杉です。貼り紙どおり楽しみに、ふんわり待ちます。谷中の一本杉と「みかどパン店」の今
思ったより葉が繁っていました。風が強いです。新緑の鬼子母神参道です。木洩れ陽の石畳に踏み入れます。見上げる新緑です。いつものように覗きます。並木ハウスは登録有形文化財です。あれ?手塚治虫が住んでいた部屋の窓が開いています!?一瞬有形文化財だぞ、って思いましたが、アパートなんで人が住んでいて当たり前と言えば、当たり前です。手塚治虫先生の部屋に住んでいるなんて、羨ましい!門前から見る鬼子母神参道です。戻りました。参道を行きます。振り返ります。覗きます。見上げます。やって来た上川口屋は休みです。次回会ったら「私だって病院くらい行くわよ」ってお婆ちゃんが言うと思います。新緑萌える季節です。gooblogの終了に伴う諸作業で混乱しています。その結果、本ブログが読めなくなっていました。複数の方からアドバイスを頂戴して...新緑の鬼子母神参道
都電線路脇に花が盛りです。振り返る巣鴨新田近くのカーブです。前は、もうちょっと行けば庚申塚が見える辺りです。電車が近いです。線路脇が春真っ盛りです。やって来たのは庚申塚の茶屋ですが、、休みです。定休日なんてあったの!?そういうシスに変えたのかな?三ノ輪橋行きが出発します。早稲田行きが花の中へ出て行きます。遮断機が上がって、一斉に車が横断します。人も横断します。何人の人や車が横断したでしょう?そこは旧中山道です。gooblogの終了に伴う諸作業で混乱しています。その結果、本ブログが読めなくなっていました。複数の方からアドバイスを頂戴してやっと復活し、元の状態に戻ったと思っています。当分こちらgooblogと引越し先の「hatenablog」の2本立で継続するつもりです。引き続きよろしくお願い致します。引越し...都電線路脇は花ざかり
あれ以来病みつきです。雑司が谷の小倉屋です。5〜6人の女性が順番を待っていました。こんな工場です。手焼きです。これじゃあ売り切れになりますね。買えました!殆ど10日に一度買っています。当初は買えなかった時期がありました。その後2袋限定とか、普通の製品4袋迄とか変遷を経て、今は普通のが4袋と徳用が2袋迄買えます。未だに飽きません。食べ始めたら止まりません。煎餅にまぶされた粉に秘密があるように思います。ハッピーターンと同じです。「やめられない、止まらないかっぱえびせん」状態です。病みつきです。小倉屋煎餅「あまから」
確かこの先です。あの枝振りの良い青もみじの場所です。こんなになっていました。泉鏡花の墓跡です。誰かの墓所になるのですね。泉鏡花らしい端正な墓石でした。ここで鏡花が見ていた景色です。今は神楽坂の圓福寺に、祖父母、両親、姪、妻すず、すずの両親と共に眠っているそうです。在りし日の鏡花の墓はこちらです。改めて、端正な墓でした。泉鏡花の墓が無くなった。
前回の続きです。マドンナが通って来る柴又駅です。<現在の看板です>「とらや」でトラブを起こした寅次郎が、「もう二度と柴又には帰らない!」と啖呵を切ったものの、マドンナに会ってしまって去り難い寅次郎です。そこにさくらが現れます。<背後の店は何度か業種が変わりました>「とらや」に居たくて仮病を使います。気を利かせたマドンナが呼んだ救急車で運ばれる寅次郎です。<右の商店が「くず餅の船橋屋」に変っています>マドンナが住む町の駅です。<京成立石駅です。現在再開発工事中で、階段が短くなっています。高架化で、やがて無くなります。左に見えていたホームも無くなりました><現在は階段の右側に臨時のホームが在ります>改札の階段を降りたらそこは商店街です。<こちらの階段は、工事中で閉鎖されています><出た先は、お馴染みの「立石仲...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー2
シリーズ第22作、1979年のお正月映画です。柴又に帰って来た寅次郎です。<映画導入部のお馴染みの景色です><お馴染みの帝釈天鐘楼と三門です>とらやの皆んなは墓参りに出掛けます。<背後に帝釈天の鐘楼が見えます>御前様に会います。<背後の◯口電機の看板はもうありませんでした>なんと、そこに寅次郎が居ました。皆んなでその行いを褒めます。<ここかな?墓所の整理をしたようです。墓石が有りません>御前様は読経をしてくださいます。でもそこは他家の墓でした。<制作から46年にもなると、墓地も変わるんですね。それらしい場所が見当たりません>「こいわ荘」はさくらと博のアパートです。博の父が上京して来ます。<電車を待ちました。ここだと思うんですが、、余りにも変っています>帝釈天門前にマドンナが現れて、とらやの場所を尋ねます。...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー1
江島杉山神社の近くです(「近く」の概念は人によって違います。自転車ですぐです)。やって来たのは弥勒寺です。杉山和一の墓は、彼が信仰した江ノ島の近くに有ると聞いていますが、ここ本所二つ目にも有ります。江島杉山神社が在る「一つ目」の隣りです。将軍綱吉の寵臣牧野成貞の菩提寺である縁で葬られたお寺です。「贈正五位杉山総検校」です。場所は本堂の左手です。木洩れ陽の下です。並んで「はり供養塔」が有ります。説明書も。「総検校和一」と刻まれています。興味がお有りであれば、観光地巡りで便利な循環バスでも行けます。「吉良屋敷跡」や「勝海舟生誕地跡」なども巡っている、散策に便利なバスです。本所二つ目杉山和一の墓所
参道を入ってお参りします。そこは鍼治稽古場跡地です。杉山和一は盲目でした。彼は盲人でも打てる鍼を開発しました。それは現在でも一般的に使われている方法です。彼は、この地に鍼灸稽古場を開設して、盲人の生活が立つようにしたのです。えっ!勝海舟って、米山検校の曾孫だったんですか!知りませんでした。江島杉山神社です。「江島」とは、「江ノ島」の事です。和一の名字と彼が信仰する江ノ島弁財天との、両方の名前から付いた社名です。神社の隣には「杉山和一記念館」が在ります。今でもここには「杉山鍼按治療所」が在ります。彼は五代将軍綱吉の病気を鍼灸によって快癒させました。将軍が「褒美を取らす。望みのものを申せ」と言います。和一が答えます。「望みはただ一つ目を下さい」それを聞いた綱吉は涙を流しながら、「如何な将軍でも目はやれぬ。一つ...杉山検校を祀る江島杉山神社
橋から眺める竪川水門です。水門の先は隅田川です。「一之橋」です。竪川に架かる隅田川から一つ目の橋です。今は沢山の橋が架かっていますが、江戸時代の主な橋は五之橋まででした。こんな、忠臣蔵ゆかりの橋です。竪川の上は、首都高速小松川線です。見ると頭を押さえられているようで鬱陶しいのですが、東京らしい風景として、カヌーイストに人気がある風景です。橋を南に渡ると緩い下り坂です。幟が立っています。すぐに「江島杉山神社」が現れます。NHK大河ドラマの「べらぼう」を楽しく観ています。「鳥山検校」から思いついてやって来ました。この話、続きます。思いついて江島杉山神社
白鬚橋を西に渡った明治通り沿いです。石柱があるのですぐに分かります。築地塀に囲まれています。有るだろうと思っていたらやっぱり有りました。大河ドラマ「べらぼう」人気を当てこんだ観光客誘致の幟です。いつもかんぬきが掛かっています。説明書を読みます。ドラマでは安田顕さんが好演していました。今まで演じた役者の中で、一番「らしい」と思わせてくれました。素晴らしい役者です。最期は壮絶な死に様で、哀しかったけど、あのように陽気な人だったのだろうと思います。注意書きです。私はいつも開けたままで入ります。内側から締めません。だって、塀の中にはここしか出入り口が有りません。イタズラで締められたら出られません。今まで訪問者に出遭った事が無いもの。・・と言っているはなから、中年男性が来ました。大河ドラマの集客効果って凄いですね。...平賀源内の墓へ行く。
桜が散って、雨が上がった翌日です。風が強い午後です。桜の根元は新緑が萌えています。大塚の坂を、桜色の都電が行きます。今は都電じゃなくて「さくらトラム」と呼びます。この桜は開花が早い佐藤錦です。もう葉桜の季節かと覗くと、もう、さくらんぼが成長していました。「これは佐藤錦なの。夜店で買ってね。ここに植えたの」って、おばちゃんが言っていました。都電が行きます。さくらんぼが楽しみです。大塚の佐藤錦が葉桜の季節
江東区毛利の路地を走っていたら煙突が有りました。行ってみました。「高砂湯」です。以前に「江東28湯」を歴訪したことがあります。でも高砂湯は28湯に入っていませんでした。銭湯組合に入ってないのだと思います。共同住宅と併営です。営業を続けている銭湯の多くが採用している業態です。もう、専業では厳しいみたいですね。営業中です。お客さんが来ました。近くには「榎稲荷神社」が在りました。下町らしい存在感です。「江東28湯」の記事はこちら。「高砂湯」に遭遇した。
お馴染みの立石仲店商店街です。この時間帯は賑わっています。珍しくアーケードに飾り付けが為されています。年末年始の「凧」の展示以来です。やっぱり桜は人心を高揚させます。活気の演出ですね。「せんべろ」の店も開店しています。こうして2025年の花見を完了しました。お付き合いありがとうございました。立石仲店商店街の桜
江戸川土手の菜の花が盛りです。ゴルフ場の向こうの土手が更に見事です。土手下から見上げます。寅さんが現れそうな景色です。江戸川の春景です。江戸川土手に菜の花満開
必ず観たい桜があります。やって来ました。約3km続く桜堤です。八代将軍吉宗が造った堤です。東京で暮らしているとよくその名前に出遭います。彼は暴れてばかりいたのでは無いのですね。水元大橋を眺めながら自転車を漕ぎます。来年も観たい桜です。水元公園桜堤に桜咲く
水元公園を巡るいつもの散策ルートです。中央広場の春です。自転車を押して往きます。水元公園中央広場の春を征く。
いつもの遊歩道を行きます。少し桜が有ります。サイカチの木です。そして、今年も観ることができました。振り返ります。水辺の桜です。これも必ず観たい桜です。水元公園/水辺の遊歩道
中央広場にやって来ました。春の景色です。のんびりと。ウエディングドレスの人が居ました。カメラマンと一緒です。結婚式の早撮りでしょうか?モデルさんの撮影でしょうか?色んなポーズを取ります。最後は、「春の舞」のように手を振りながら走り去りました。・・・モデルさんですね。春の景色を堪能します。公平に春は訪れますが、植物の反応は一律ではありません。これも春の景色です。水元公園/中央広場の桜
必ず観たい桜が幾つかあります。ここの場合は桜そのものではなくて、桜の下で遊ぶタナゴ釣り人たちです。ここは直径1円玉以下のタナゴを釣るのを目的にしている釣り人の漁場です。釣ってやろうという意気込みは感じられません。のんびり感だけが漂います。それほど難しい、達観した釣りなんだと思います。桜の下で好きなことに没頭する姿は、老後の生き方のお手本です。この景色を見るといつも思い出します。西行法師の短歌です。「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」水元公園/桜の下のタナゴ釣り人
咲きました!水辺は開花が遅いですね。下見してからの訪問です。ヘラブナ釣りの人たちです。のんびり感が伝わります。公園内は桜が少ないですが、春の景色を追います。桜を探しに移動します。水元公園に桜咲く
旧中川土手に咲きました。平素はカヤックを漕いでいる川です。たまの陸上散策も視点が変わって良いです。レンギョウも満開!春景色です。さくら大橋に来ました。江東区と江戸川区を結ぶ橋です。何処も春の陽気です。旧中川に桜咲く
新聞で紹介されていたのでやって来ました。しだれ桜だけ、と言って良い桜が咲く公園です。生憎の曇り空が残念ですが。のんびりと春を楽しんでいます。ここは別の事でも有名で、貴重な公園なんです。中央の池は貴重な種類のトンボの繁殖地で、湿地は東京都レッドリストにも記載されている希少植物の育成地なんです。しだれ桜だけの公園でもあります。これからは桜も観に来ます。尾久の原公園の桜咲く
裏側からやって来ました。花曇りの「あらかわ遊園」に桜が満開です。「スカイ何たら」が「大観覧車」前を横切ります。日本一遅い「イモムシコースター」がゆっくり、ゆっくり走ります。遊歩道を行きます。左は隅田川です。SLが来ました。ゆっくり現れて、ゆっくり去って行きました。園内の桜です。正面に来ました。都電が設置されています。柵から覗きます。東京ディズニーランドとは真逆の、全てがのんびりな公園です。あらかわ遊園に桜咲く
石神井川は渓谷です。遊歩道を下って行きます。下って行くと、「音無親水公園」です。沢山の人が寛いでいます。桜が満開で、青もみじが葉を広げました。季節の交代が始まっています。音無親水公園の桜と青もみじ
醸造試験所跡地公園です。入って行きます。満開です。広い草地の向こうが醸造試験所跡です。煉瓦色の試験所跡が好いです。ここ穴場ですね。地元の夫婦でしょうか?好いなあ。「醸造試験所跡地公園」の桜咲く
飛鳥山停留場前です。桜色の都電が行きます。背景は、桜の名所飛鳥山です。場所を変えます。ここ、けっこうカメラ小僧とカメラ親父が居ます。スマホの私は遠慮がちに撮ります。飛鳥山へ通じる陸橋です。早稲田行きが現れました。すぐに三ノ輪橋行きがやって来ました。撮影場所を陸橋の下に変えます。パステルカラーの都電です。桜色の都電が来ました。すれ違います。パステルカラーが行きます。もう桜を撮っているのか、都電を撮っているのか分かりません。自動車も混じり込んで、飛鳥山前の交差点です。飛鳥山の桜と都電の風景
亀戸の街の北に、「葛西用水」が在ります。埼玉草加から流れる農業用水です。南下して曳舟川に繋がり、荒川に通じます。古くは浅草まで繋がっていた水路です。桜が咲きました。川辺の家です。良い所にお住まいです。桜が満開の用水を行きます。花曇りです。振り返ります。満開の春です。葛西用水に桜咲く
曳舟川親水公園の桜が咲きました。ここは川底です。この時期は水を止めているのでしょうか?良い花見の場になっています。歩道に歴史を語るプレートが埋められています。ここは土手から舟を人力で引っ張った歴史があります。従って「曳舟川」と呼ばれて現在に至っています。経済的な運搬だけでなく、遊興の場でもありました。長い桜並木が続きます。長い長い桜並木が、四つ木から亀有まで続きます。そしてその先は、更に名前を変えて、桜並木が続いています。曳舟のプレートです。これは梅ですが、前掲の芸者に柳のプレートでもお分かりのように、風流を愛でる川です。それは今でも姿を変えて、花見だけでなく、夏の水遊びの場でもあります。花を追っていたら、もう亀有の街です。曳舟川親水公園の桜咲く
荒川の土手上の満開桜に誘われて坂を上がりました。そこは「小松川千本桜」です。実は初めて訪れました。千本以上は有ると思われる桜の林です。東京の有名な桜の名所には無い良さがあります。千鳥ヶ淵や目黒川と違って、桜の下に座れて食事ができます。キッチンカー等の屋台が無いけど、簡易トイレの設置があります。食事は自前です。家庭的な花見ができます。来年はここで花見をしようと思いました。小松川千本桜咲く
朝日印刷の従業員が結婚しました。そんなめでたい折、寅次郎が北海道支笏湖で知り合ったマドンナが高級ホテルで結婚式を挙げていました。<現在>久し振りに「ホテルニューオオタニ」へ行ってみました。赤坂見附の交差点の脇の堀に貸しボート屋と釣り堀が在ったよなと思ってやって来ました。弁解橋から眺めました。きつい紀尾井坂を漕ぎます。映像はこの角度です。説明板が有ります。なるほど。皇居に近い広大な土地だと思っていました。井伊家の屋敷跡だったんですね。結婚に乗り気の無いマドンナは結婚式場から逃げ出して、とらやにやって来ました。マドンナの母が連れに来ました。「とらや」と「い志い」の前で見送ります。<現在>ここで「とらや」の向かいの店が気になりました。「い志い」です。ちゃんと残っていました。この話、続きます。「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー3
千鳥ヶ淵から流れて来ました。正確には、靖国神社の駐輪場に自転車を置いて千鳥ヶ淵を歩いていました。桜を眺めに行きます。ここには英霊として三人の伯父皆んなが群がっています。東京の開花の標準木です。雅楽の奉納でもあったのでしょうか?ここから英霊にお参りします。沢山の人の中に、アジア系の外国人は居ません。あれほど各所に居るのに。隣りの千鳥ヶ淵なんかいっぱい居るのに。珍しく声を聴いたと思ったら、たぶん台湾からの旅行者だと思います。靖国神社の桜です。靖国神社の桜咲く
千鳥ヶ淵の隣にインド大使館が在ります。大使館から観る景色です。千鳥ヶ淵の桜と混雑です。靖国神社の鳥居です。そして何と、いつも撮るアンティークレストランが大混雑しています。これじゃあ撮れません。今年はこんな感じの骨董です。インド大使館から観る桜
必ず観ておきたい桜が幾つかあります。千鳥ヶ淵の桜が咲きました。混雑するのは覚悟の上です。押すな押すなの混雑です。外国人が多いです。菜の花と桜です。ボート小屋の屋上からの景色です。今年も観られました。千鳥ヶ淵の桜咲く
台東区の路地を走っていたらこんな看板が有りました。この路地を真っ直ぐ行くと「入谷」で、私がやって来た方向へ戻ると「西日暮里」らしいです。私自身よく分かっていません。なんと言ったら適切なのか?「現在地看板」とで言えば良いのでしょうか?左を覗くと、すぐそこが「荒川区」のようです。看板の向こうに住居表示が有ります。看板から向こうは「台東区根岸二丁目」です。そして信号機の表示は、「東日暮里四丁目」です。つまり、看板は「台東区根岸」に有って、広い道路から先は「台東区東日暮里」で、更に行くと「入谷」のようです。そして、交差点を左に曲がると、隣りの「荒川区」に入ります。複雑な場所なので、看板が必要だったのだと思います。今だったらスマホに向かって「現在地!」と言えば教えてくれます。いずれ無くなる看板でしょうが、なかなか味...台東区で出遭った「現在地看板」
椿山荘界隈の神田川を下ります。見飽きません。椿山荘界隈の桜
面影橋から歩きます。神田川は渓谷です。花筏が始まっています。川沿いの散策路を下って行きます。橋から覗きます。三島橋です。遊歩道の柵から覗きます。仲之橋です。上流・下流を眺めています。遊歩道から。豊橋です。この話、続きます。神田川に桜咲く
桜の下に小さな花壇が有ります。桜に負けず、季節の花が咲いています。適度な手入れが好ましいです。自由学園明日館の庭に咲く花
中庭に出ます。プレーリースタイル(草原様式)と呼ばれる建築物です。教室を出て生徒も見上げた桜です。ホールの窓に映ります。春の雲です。自由学園明日館の中庭から観る桜
ホールを出て廊下を行きます。中庭の桜を眺めます。教室に入ります。生徒が眺めた桜です。中庭に出ます。明日館の廊下・教室から観る桜
必ず観たい桜が幾つかあります。自由学園明日館に桜が咲きました。この景色が観たくて毎年来ています。ホールから観る今年の桜です。幾何学の模様の窓からの景色です。そして、いつも窓枠の花瓶に活けられている花も目当てです。季節の花が活けられます。今年は桜です。2階へ行きます。2階から観る桜です。視線を下げると、ホールの机です。目を上げると幾何学模様の窓です。1階に戻ります。この景色を観るためだけに訪問しています。入場と飲み物のセットは800円です。自由学園明日館の桜咲く
目白通りから見えました。学習院大学正門の桜です。横断歩道を渡りました。正門は登録有形文化財なんですね。学習院大学の桜咲く
信号に捕まりました。見上げる桜です。子供の頃のいろはカルタで、「さくらがさくころいちねんせい」ってのがありました。地球温暖化で開花が早いと言われていた桜ですが、結局のところ、例年通りの開花です。明日は入学式かな?壱岐坂下の桜咲く
咲きました!雑司が谷の丘の上です。3日間の雨上がりを待ってやって来ました。1本しかない古木が今年も咲きました。1本でも存在感があります。寒かった雨が上がったら、気持ちいい晴天です。雑司ヶ谷旧宣教師館の桜咲く
枝を落とし、下部の藪を取り払った野鳥のコロニーです。前回報告したとおり、営巣の場所というか枝が大幅に減少しました。鳥の数がずいぶん減ったように見えますが、残っている鳥たちは、ここで営巣するようです。ここに残っているのは、営巣地争いの勝者だと思います。敗者は何処へ行ったのやら。営巣できる枝が少なくなったので、逆光のせいもあって、まるでヤドリギみたいです。頑張れ!野鳥のコロニーそれでも繁殖中
天気が良くないけど、けっこう人が居ます。なるべく人が写らないタイミングで撮っています。いつも撮る「川上音二郎」の墓です。多くの有名人が眠る霊園ですが、今日のこの天気なのでこのメイン通りだけとします。「下谷警察署天王寺駐在所」です。隣の空き地が、五重塔があった天王寺でした。けっこう絵になる駐在所です。正面のツインタワーは、日暮里駅前のタワーマンションです。マンションより低い上野台地の上です。振り返ります。小雨が降り始めました。帰ります。谷中霊園の桜咲く
上野公園の山頂です。今年は開花宣言が早くなる予報があって、もう三度目の上野公園です。やっと咲きましたが、生憎の空です。とりあえず、花見をします。どちらを見ても、外国人ばっかりです。平日の寒い曇り空です。・・・国立博物館の、黒門の桜です。池田藩の城門を移築しました。観光客の皆さん、晴れたら良いね。上野公園に桜咲く
上野寛永寺は徳川家の菩提寺です。毎年見事な花を咲かせますが、いつも閑散としている観桜の穴場です。上野寛永寺の桜咲く
今年も誰も居ません。根津神社はつつじの名所です。従って、では無いでしょうが、桜が少ない神社です。今年もこの社務所前の古木を観に来ました。背後は、重要文化財の拝殿と透かし塀です。晴れていれば屋根の緑と塀の紅殻色と桜にピンクが艶やかの色彩を提供してくれます。対して、社務所は侘び寂びの風情を醸します。今年は残念です。こんな年もあります。根津神社の桜
枯れ残ったハスが残る不忍池です。桜が咲いたけど、曇り空なので華やかさは無いです。不忍池の遊歩道を行きます。この池の西側は貸しボートがあります。この寒空なのに、思いの外沢山のボートが浮かんでいます。この日しか乗るチャンスが無い観光客だと思います。よく見ると、殆どが外国人です。せっかく来たのに気の毒です。でも、彼らは結構楽しんでいます。東側は、枯れたハスを背景に咲く桜です。晴れていたら、春が来た!感が増すんだけど、、、。左右を観ながら自転車を押します。柳も新緑です。弁天堂を桜越しに観ます。外国人の撮影者が多いです。晴れた日に観たかったけど、観たい桜がいっぱいあります。今年はやむなし、の花見です。不忍池に桜咲く
当初は観測以来最速の開花宣言が出されそう、と言っていた東京ですが、寒さが続いて、やっと桜が満開になりました。やっぱり例年通りの開花です。言問通りを潜ります。満開なのに人が少ないです。平日の早い時間帯ってこともありますが、午後から雨の予報です。しょうがない、今年の墨堤の桜です。桜橋から眺めます。曇り空での花見です。墨堤の桜咲く
例年恒例の行事です。大横川です。当初の予定より開花が1週間遅いですが、来週は陸上でクラブの花見です。今日しかありません。満開の木もあります。この花見の良いところは、桜の枝の下に入って花を眺めるところです。もう一つは、扇橋閘門を通過ることです。隅田川の水位に合わせた閘門に入ります。今日は2m10cm水位を下げて、水位を調整します。他の人達も一緒です。水辺が恋しい季節になりました。多くのカヌーが出ていました。ずいぶん水位が下がりました。ゲートが上がります。信号が青に変わりました。海抜ゼロメートル地帯の街に帰ります。カヤックで花見/2025年
東京藝術大学音楽学部の桜が咲きました。煉瓦校舎とマッチして素敵です。藝術的です。その緩やかな下り坂を行くと、上島珈琲店が在ります。上野のお山の山頂です。太陽光が十二分に注ぎます。やっと巡って来た春の景色です。東京藝大と上島珈琲店の桜咲く
今年も看板が出ました。長い上り坂の桜祭りです。ここは「播磨坂」で、都下での花見の名所です。幼稚園の遠足でしょうか?楽しそうです。なおも自転車を押します。この界隈は大河ドラマ「いだてん」の舞台でした。主人公金栗四三が履いたマラソンシューズを作った足袋屋「播磨屋」は、この坂からの屋号だと思います。すぐ近くに店がありました。こんな場所です。「播磨坂」に桜咲く
水道橋を渡って、白山通りを北上していました。東京ドームの向かい側です。ふと路地を覗いたら、桜が咲いていました。行ってみます。このレストランがちょっと気になりましたが先を行きます。「しあわせこんぴらさん」の看板です。黄色が強烈に自己主張しています。石柱には「讃岐金毘羅宮東京分社」と有ります?あの、石段が沢山有る金比羅さん事ですね?説明板が有りました。あ、そういう事で「讃岐金毘羅宮東京分社」ですか!納得です。見上げる看板の向こうには、桜が満開です。境内に入りました。しっとりとして好い感じです。お参りします。堂内では読経の声が聞こえます。振り返る境内です。読経の声だけが聞こえるのが、かえって静寂な雰囲気です。ああ、好いです。思いがけない場所で出逢った春です。ビルの谷間の春です。「しあわせさん。こんぴらさん。」の桜咲く
踏み切りの向こうに桜が咲きました。桜よりも艶やかな都電です。春です。都電と桜/大塚の坂道の踏み切り
東京の観桜の名所である墨堤の南端にあるミヤビザクラを見に来ました。早咲きの桜です。外国人で溢れています。スマホを構えて、撮り終えた人が場を譲るのをじっと待っているんだけど、彼らはそこを動きません。撮った後もその場で写り具合を確認しています。こんな場合は「私にも撮らせてください」と言うのが世界の常識でしょうか?・・でもそれは、なかなか言えないです。枝を撮ります。墨堤のミヤビザクラ咲くが、
早咲きの桜が咲きました。隅田公園は花見の人でいっぱいです。スカイツリーと桜を撮ります。ソメイヨシノは五分咲ですが、春の景色です。隅田公園に桜咲く
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ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景
綱敷天満宮の西参道です。ここに志々満保育園が在ります。私はここの卒園生です。勿論何もかも変わって面影は残っていません。ここに新しく「歴史散策まち歩き」看板が出来ました。今回の帰省で訪ねた場所の多くが紹介されています。やっと町をアピールする気になったようです。今治市は「移住したい町ナンバーワン」らしいです。そんなこともあって、この看板を設置したのでしょうね。先日の地元ニュースで、昨年度の移住人口は1800人強らしいですが、私の周囲にそんな気配はありません。老幼なじみに訊くと、どうやら人が移住しているのは、平成の大合併で今治市になった島しょ部が中心だとか。旧今治市は人が流出しています。桜井「歴史散策まち歩き」看板
「衣干岩」のすぐ傍です。椀船の港です。ここから九州や中国・近畿に出かけて行きました。古い防波堤です。満潮時には水没します。丁度干潮に近いです。ここが「椀船の港」です。以前は堤防に下りられました。上流です。1本の大きな木が有ります。夏には蝉が煩くしますが、平素は静かな場所です。木陰を落とします。石碑です。句があります。漆器椀を満載して、行商人も載せて、帰りは各地の名産を積んで、椀船が往来した港です。昭和の中頃までは賑やかでした。もう昔の話になりました。椀船の港