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荒川三歩 https://blog.goo.ne.jp/arakawa3po

写真付きでチャリンコ散策結果を報告します。 めったに遠出しないので、殆ど近隣下町の出来事がテーマです。

荒川三歩
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2014/09/30

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  • 真夏日の立石仲見世商店街

    真夏日です。立石仲見世商店街にやって来ました。見事にシャッターが下りている商店街には誰も居ません。涼しいです。この涼しさは、寂寥感から来るのでしょうか?通じるものがあるように思います。ここは子供食堂です。帰郷していたので1ヶ月ぶりの訪問です。子供食堂が在って安心しました。周囲の状況から存続が心配になります。28日の訪問です。「どんと市」が30日にあるようです。例年はアーケードに飾り付けが有ったけど、昨年は無くなりました。それでも抽選会場を設営していて、寂しいながらもバーゲンセールの雰囲気がありました。今年はまだ設営されていません。大半の店がシャッターを下ろしているこの商店街は、時々店舗の交替があります。ここはシューズチェーンだったのが、シューズも洗えるコインランドリーになっています。この時間営業しているの...真夏日の立石仲見世商店街

  • 真夏日の浅草風景

    真夏日の浅草神社です。涼し気な「夏詣」の看板です。説明を読みます。なるほど!お参りします。そこで立ち止まってスマホを見ないでください。待つ間暑いです。作法に従って茅の輪を潜ります。手水舎が涼しげです。今年の夏もがんばろう!藤棚のミストシャワーに集まります。宝蔵門前は外国人ばっかりです。かっぱ橋商店街です。七夕飾りを設営中です。4年ぶりの夏祭りです。コロナ9波を気にしながら...。真夏日の浅草風景

  • 国分寺にて、

    国分寺の石段を上がります。鐘楼脇に石柱が有ります。脇屋義助廟への道しるべです。横から見ます。これから推察するに、脇屋義助には現在に至る子孫が居るようです。弘法大師握手像です。私は握手する資格がありません。修行なんて縁遠い生活です。国分寺にお参りします。小学1年生の遠足の場所ですが、その時の記憶は殆どありません。隣に神社が有ります。余談:他の場所に在った福島正則を祀った神社を合祀しているそうです。脇屋義助廟の方向を見ます。脇屋義助はここで病死しました。正面遠くに横たわるのは、彼が赴任予定だった、世田城が在った世田山・笠松山連山です。南朝方には無念の景色です。国分寺にて、

  • 国分寺塔跡

    脇屋義助廟から国分寺へ行く途中です。脇屋廟からすぐの場所です。「史跡伊予国分寺塔跡」です。当時の内務省の管理物件です。今では文科省だと思います。大きな石がゴロゴロしています。説明板です。柱を立てた凸状の突起が分かります。人によっては国分寺よりこちらに興味があると思います。私みたいに。国分寺塔跡

  • 脇屋義助公の廟

    故郷にこんな偉い人の墓が有るのを知ったのはホンの10年くらい前です。道案内はほとんどかすれています。脇屋義助公の廟です。由来書が有ります。風化して見づらいのでざっと転記します。「南北朝時代、楠正成、新田義貞(元征夷大将軍)らの連合軍を破った足利軍は戦勝の余勢をかって京都に攻め入った。足利尊氏は持明院統の北明天皇を皇位につけて政権の合法性をはかり、後醍醐天皇を幽閉して北朝中心の体制を固めた。密かに脱出した後醍醐天皇は、大和吉野に吉野朝廷を開いた。そして足利尊氏追悼の綸旨を諸国の武将に発した。ここに南朝と北朝の両皇統が並び立ち、諸国の武士は南北の二派に分かれて熾烈な抗争を各地で展開した。しかし戦況は南朝方に不利に展開、新田義貞、北畠顕家などの有力な武将が相次いで討ち死にし、後醍醐天皇も崩御した為、南朝方の勢力...脇屋義助公の廟

  • 吉野朝忠臣脇屋義助公廟への道

    今治藩主の墓を出たらこんな石柱が有ります。南朝に味方した脇屋義助の廟所と国分寺へ、山道を抜けて行く道です。右の山の頂上に今治藩主の墓がある古道です。急な山道です。途中で自転車を押して歩きます。前回迄は自転車で登り切ったのですが、、、山道を上がった所に道しるべが有ります。右から上がって来て、左に行きます。下り坂の途中、溜池の土手に道しるべが有ります。子供の頃から行き慣れた道です。土手上の道です。当時は道しるべが有りませんでした。目的地の傍です。背景の墓地が目的地なのですが、ちょっと止まります。「孝子七造生誕地」の石碑です。裏面にプロフィールが記載されています。「阿部七造翁文政12年7月17日此の生る。安政3年より明治末期迄加藤庄屋に勤め忠実親に孝養なす。安政6年今治藩主松平定法公より孝子として金一封を賜る。...吉野朝忠臣脇屋義助公廟への道

  • 今治藩主の墓で、

    右にある4代目の墓からお参りします。墓石の形は3基とも同じです。霊巌寺にある2代目の墓石ともよく似ています。4代目の墓所から初代と3代目の墓を見ます。3代目の墓です。斜め後ろの山は唐子山です。ここに福島正則が城を築き、藤堂高虎が今の場所に今治城を造りました。その後明治まで、久松家の所領でした。3代目の墓所から初代の墓を見ます。初代の墓所です。ちょうど今、大河ドラマで「どうする家康」を放映しています。この久松家は、徳川家康の母於大が久松長家と結婚したことから始まる家系です。久松長家と於大の3男の2男です。長男は伊予松山藩主になりました。於大と長家の孫、家康の異父弟の子供、甥にあたります。帰郷したら行きたかった場所の一つでした。乾いていない日陰に気をつけて、滑らないように下ります。自転車の場所まで戻りました。...今治藩主の墓で、

  • 今治藩主の墓へ行く。

    旧国道沿線に案内板が有ります。紫陽花の季節です。石段の参拝路を行きます。結構急坂です。雨ばっかりの晴れ間なので滑り易いです。緑が濃い坂道です。頂上が見えて来ました。山頂の墓所です。説明板を読みます。周囲の枝が払われて、昔から有った展望所からの見晴らしが良くなりました。瀬戸内海国立公園の海です。青松の林は唐子浜です。さて、お参りします。中央に、久松家初代今治藩主久松定房が鎮座しています。左に3代右に4代の墓が有ります。2代は江戸城の城代家老を務めて、深川の霊巌寺に眠っています。5代以降は全て霊巌寺に葬られています。歴代「定」の付いた名前を持っており、現15代もそうらしいです。この話、続きます。今治藩主の墓へ行く。

  • 瀬戸内海国立公園 青松のサイクリングコース

    帰郷時の写真が沢山残っています。振り返り記事を掲載します。結構永くなりそうです。瀬戸内海国立公園のサイクリングコースです。青松の間を走ります。左に唐子山です。海岸に茂る松林です。煉瓦の建物が在ります。もう文字が読めません。ここは「唐子浜海の子の家」です。十数年前に、海の難所であった来島海峡に置かれた灯台守の官舎を移築したものです。海に有るのがその「赤灯台」です。お互いに役目を終えてここに移築されました。背景は「しまなみ海道」を形成する島々です。正面に浮かぶのは「比企島」です。背後の島々は知りません。多島海なので島が多過ぎます。子供には覚えられませんでした。右手の島は「兵市島」です。小学生の頃同級生の親戚が住んでいましたが、もう60年くらい前から無人島です。正面から眺めます。好い風情です。南側のコンクリート...瀬戸内海国立公園青松のサイクリングコース

  • 変わり続ける東京の街

    あれはなんだろう?飯倉の坂です。曲線で構成したビルが在りました。コロナ禍でも東京の街は変わり続けていました。背後の超高層ビルは、外部が完成したばかりです。奥にもう1棟建設中です。この曲線で構成されたビルは初めて見ます。私がコロナ禍で行動範囲が縮小していた間に造られたのでしょう。面白いです。楽しい設計です。坂を下って行きながら見ます。横断歩道と結ばれたビルも同じ設計に見えます。ツインビルです。美しい曲線です。こちらもそうみたいです。同じ造るなら、楽しいデザインが好いです。やっぱり東京って、いつ行っても変わらない下町や、こういった変わり続ける都心が在って、住んでいて楽しいです。変わり続ける東京の街

  • 貴生堂の存在感

    姿の好いビルに遭遇しました。とても好みです。「資生堂」の古いビルかと思いました。資生堂じゃなくて、よく見たら「貴生堂」です。とてもお洒落です。何の商売でしょうか?向こうに昭和通りの上を走る首都高速上野線が見えます。人気のない真夏日の午後です。netで調べたら、眼鏡・貴金属店のようです。netは便利ですね。貴生堂の存在感

  • 木密エリア不燃化促進事業

    いつの間にか更地になっていました。スカイツリーが見通せます。いつもの事ですが、ここに何が建っていたのか全く思い出せません。よほどの特徴でも無いと、ただの景色としてしか捉えていないものなんですね。この界隈は「木密地域」です。木造住宅が多く、おまけに密集しているので、狭い道路に消防車や救急車が入って行けません。予想されている首都直下型地震の際には、大きな被害が予想されています。都は、数軒の土地に集合住宅を造って住み、住民+アルファの部屋を賃貸にして建設費を捻出するとともに住民の収入源とする。そして公園や駐車場等の火除け地を設けて延焼を防ぐとともに、道幅を広げて緊急車輌の通行を可能にする事業を提案しています。しかし、後継者の居ない老人はこのままで良いと考えるし、また土地の相続が行われていなくて地権者が複雑で纏め...木密エリア不燃化促進事業

  • 天徳寺の板碑

    病院の帰りです。ここには「板碑」が有ります。境内に菩薩像が立っています。その側です。木漏れ日の下に立っています。陽射しが反射して文字が見にくいです。石の塔婆です。「板碑」というだけあって、この薄さです。躓いたら割れそう、折れそうです。お参りを終えて門前から見上げます。虎ノ門ヒルズと関連の超高層ビルです。お寺の正面にそびえる高層マンションです。虎ノ門アパートの並びです。ビルの谷間の街です。天徳寺の板碑

  • 愛宕神社裏参道

    森ビルの超高層ビルが3棟そそり立っています。山より高いビルです。愛宕神社です。若い女性の参拝者が多いです。こちら側にも超高層マンションがそびえています。裏参道を帰ります。階段です。昔は山肌に参道がへばりついていたのだと思います。夏日なのに涼しい木陰の参道です。隣の住宅が近いです。お寺の屋根が見えます。解体新書を書いた杉田玄白の墓が有ります。愛宕山トンネルが見えて来ました。都心に在るトンネルです。愛宕山を貫きます。裏参道から見上げる超高層マンションです。振り返ります。トンネル脇の案内板です。愛宕神社裏参道

  • 虎ノ門のアパートが消失していた。

    神谷町駅から徒歩で病院へ向かいます。路地の正面は虎ノ門ヒルズと、最近完成した森ビルの超高層ビルです。年に1度の検査の結果を訊きに行きます。ここです。このアングルで一番多く眺めたと思います。周囲の高層ビルの谷間の路地です。この一角だけが低層住宅街です。ここに素敵なアパートが在りました。昨年来た時に解体工事の準備をしていました。その時から覚悟していました。今は駐車場ですが、やがてビルが建つと思います。周囲を見れば仕方ないなあと思います。小さな土地なので、以前のようなアパートが建てば良いのにな、と思っています。在りし日のアパートです。虎ノ門のアパートが消失していた。

  • これが渋沢栄一の墓!

    タブノキと墓の間は公園のような、休憩所のような場所です。正面が渋沢栄一の墓だと思います。左から訪問します。渋沢敬三は嫡孫で、日銀総裁、大蔵大臣を務めた人物です。それにしては墓石が小さいです。周りの人物がとてつもなく偉大だったって事でしょうか?青淵渋沢栄一の墓石の裏です。渋沢篤二は嫡男です。墓所の広さは傍流の徳川家を凌いでいます。ここは「中央東広場」らしいです。そして最後にやって来ました。渋沢栄一の上司です。近くに眠っている徳川慶喜です。思い付きから行ってみたら、驚きの多い散策となりました。改めて、渋沢栄一凄いです。これが渋沢栄一の墓!

  • 渋沢栄一の墓へ行く。

    谷中霊園は丘の上です。真夏日の直射日光を遮るには樹下が恰好の場所です。下谷警察署天王寺駐在所の前で涼風に吹かれて涼んでいました。谷中天王寺五重塔跡の傍です。退屈しのぎのスマホナビが霊園の墓所の主を教えてくれます。「渋沢栄一」の名前が有りました。一昨年の大河ドラマのときにはゆかりの場所を訪ねたものですが、墓所へは1度も行ったことがありません。よし、今日の散策のテーマが決まりました。駐在所の横を直進します。正面に大きな墓所が在ります。丸に十字は島津家の家紋で有名です。田中芳男の墓でした。渋沢栄一と同時代に活躍した人です。パリ万博に赴任しているので両者は面識があった筈です。同じ霊園に眠っているのですね。爵位は男爵です。これは幸先が良いです。すぐに清水徳川家の墓所が在りました。ここは門扉が閉じられて入ることができ...渋沢栄一の墓へ行く。

  • 谷中の路地の夏

    こう暑いと誰も寄り付きません。谷中の代表的な路地なので、座り込んで写生する人が多いのですが、こう暑いとねえ。夏の景色です。私が来るようになって20数年目の夏でしょうか?よく見ると、屋根が波打っています。それも風情です。隣のお寺です。朱門が鮮やかです。振り返ります。誰も寄り付かない、谷中の丘の上です。かき氷が食べたいです。谷中の路地の夏

  • 東京は夏です。

    帰京したら一番に蕎麦を食べに来ます。根津神社はもう夏越の大祓の準備完了です。参拝者がやって来ます。コロナが明けて、今年は神職による輪潜りの神事が行われるのでしょうね。芋甚に幟暖簾が出ました。「かき氷始めました」の光景です。夏!です。今日はまだ早いけど、今年もかき氷の食べ初めは、やっぱりここの「黒蜜きな粉」になると思います。東京は夏です。

  • 帰京しました。

    松山空港を離陸しました。墨絵のように幻想的な多島海です。大きく旋回して四国山脈越えです。太平洋に向かいます。霞んで見える正面奥が佐田岬だと思います。当たり前ですが、飛行機で見ると以外に近いです。子供の頃は道路事情が悪くて秘境のような場所でした。雨雲の上に出ます。...約1時間後降下します。やがて遠くに九十九里浜が見えます。ベッドタウンです。海岸線にロッテ・マリンスタジアムです。首都圏らしくなります。東京ディズニーリゾートです。外周道路が懐かしいです。葛西臨海公園です。ゲートブリッジです。東京のビル群です。羽田空港です。着陸しました。一連の都会の風景に、ほっとした私が居ます。都会人になったのでしょうか?帰京しました。

  • 「かどや」の鯛めし

    松山空港に居ます。11時55分発の飛行機で、羽田着が13時30分です。昼食のタイミングが悪い便です。空いているのでいつもこの便にしています。空港のレストランで昼食を取ります。あれ?!見たことがあります。帰郷して食べてない「宇和島鯛めし」を食べたかったのでちょうど良かったです。以前に東京大学の山上亭で食べた記憶が蘇りました。入ります。食レポに慣れていません。料理が出て来てすぐに盛り付けました。写真を撮っていません。普通の鯛めし(鯛の炊き込みご飯)と違って宇和島鯛めしは、鯛の刺し身と海藻を生卵の入った出し汁に漬け込んで、ご飯にかけて食べます。卵かけご飯に刺し身と海藻が入った状態です。東京大学で食べたときと同じ美味しさでした。当然です。愛媛県が本店だもの。東京大学で食べたのと同じメニューでした。東京大学の鯛めし...「かどや」の鯛めし

  • 年代物の養命酒

    帰郷したものの雨ばっかりです。何処か行きたいけど、雨だと自転車に乗れなし、車は無いしで、今日も自宅で冷凍食品の昼食を食べて居ます。昔から我が家の食器棚に有るな、と思っていました。アルコールは何でも来いの私だけれど、養命酒はそもそも飲んだことがありません。従って放っていました。写真の背景は誰も住んでいない家を、妹が片付け中の部屋です。片付け中に妹が見つけて、処分しようと封を切ったけど、キャップが固くて開かないそうです。どれどれと取った私の握力でもキャップは回りません。懐かしいラベルではありますが、もうボロボロです。手にとって眺めていたら、下方に何やら数字が打たれています。これって、製造年月日じゃないでしょうか?「1978年8月18日」と読めそうです。末尾の「A」の意味は分かりませんが、もしそうだったら、今か...年代物の養命酒

  • 母の生家訪問

    帰郷してから雨が振り続けます。今年は本格的な梅雨です。妹に連れられて母の生家へ行ってみました。伯父が亡くなった時以来の訪問です。子供の頃はしょっちゅう泊まりに来ていました。ずいぶんお世話になった親戚です。伯父が亡くなった後は伯母さんが施設に入って、今は誰も住んで居ません。庭の隅の駄屋(家畜小屋)です。牛を4頭飼えました。古い家を取り壊して前掲の家を建てる時、牛を売却して建築資金とし、空き家にしたここで煮炊き寝起きをしたのを覚えています。自宅に帰れば良いのに、キャンプみたいな生活を親戚と一緒にしていました。それを今でも覚えているのは、相当楽しく思って過ごしたに違いありません。駄屋の横と裏には複数の鶏小屋が有りました。庭の反対側にも家屋が在ります。1階右側は駄屋です。中は案外広くて、ここでも牛を4頭飼えました...母の生家訪問

  • 故郷のうどん−3 「うどん屋台うどん村」

    貴重な梅雨の晴れ間です。帰郷したら行きたいうどん屋が在ります。食べている途中に気付きました。もう手を付けていて、今更撮っても汚い画になります。食レポに慣れていない事もさりながら、美味しいのでがっついて食べてしまいました。冷やしうどん1,5とおでん3種で640円だったと思います。金額を覚えていないほどがっつきました。年に1回の訪問ですが、私を覚えてくれていました。経営者の夫婦です。もう10年くらい帰郷の度に自転車で食べに来ます。こちらがセルフサービスのコーナーです。他のうどん屋と同じように、刻みネギと天かすと摺り生姜は取り放題です。左の鍋におでんが有ります。目立たないけど看板が有ります。農家の庭に屋台を建てました。今日の主な話題は田植えです。私も他人に耕作をお任せしていますが、水田持ちです。こんな小さな屋台...故郷のうどん−3「うどん屋台うどん村」

  • 故郷のうどん−2 讃岐うどん「松製麺所」

    行列ができています。同じ会社に務めて退職し、Uターンした友人に連れて来て貰いました。讃岐うどん「松製麺所」です。丁度お昼時で、近隣のサラリーマンらしい人も並んでいました。安いですね。ぶっかけ大盛りを注文します。システムは何処も同じ、天かすとネギと摺り生姜は取り放題です。かき揚げをトッピングしました。期待通りに美味しかったです。前出の「つるべぇー」の方が好みかな?故郷のうどん−2讃岐うどん「松製麺所」

  • 郷里のうどん−1讃岐うどん「つるべぇー」

    帰郷すると好んでうどんを食べます。蕎麦は食べません。東京では蕎麦を食べてうどんは食べません。東京にも「讃岐うどん」等ありますが、やっぱり違います。郷里のうどんはどこでも美味しいのですが、お気に入りはここです。天気が悪いのにやって来ました。残念、卵を崩す途中で気付きました。慌てて撮った注文のうどんです。初めての食レポです。「温玉肉うどん大盛り」です。天かすとネギは乗せ放題で、770円だったと思います。満足しました。帰郷に際して立案した計画が一つ達成されました。数日後再訪しました。今日はあっさり系で、これです。「とりもも天おろしぶっかけの冷たいの」にオクラ天をトッピングしました。「とりもも天は席にお持ちします」との事です?トッピング棚にとりもも天が有るのに?やがて理由が分かりました。とりもも天が温かいのです。...郷里のうどん−1讃岐うどん「つるべぇー」

  • 今治うどん事情

    「丸亀製麺」です。今治国際ホテルの傍、つまり今治の中心地に在ります。「得得うどん」です。今治港の近くに在ります。「はなまるうどん」です。国道沿いに在ります。本場讃岐程ではありませんが、今治もうどん屋が多いです。私は東京ではうどんを食べません。やっぱり四国のとは味とコシが違います。そして故郷では蕎麦を食べません。通ぶっている訳ではありませんが、関西の蕎麦は関東の蕎麦とは違う食べ物です。こんな私なので、帰郷するとうどんばっかり食べています。田舎らしい地名のバス停です。今治うどん事情

  • 桜井漁港の防波堤から

    桜井漁港の防波堤を歩きます。陸を見ます。正面奥に太平記の舞台の世田山・笠松山連山です。右側の笠松山の麓が「野々瀬口」で、敵味方の死体が折り重なって、山道が見えなくなったと語られています。...もう10年近く前に登りました。300mちょっとの山ですが、もう来ることは無いとの想いで歩きました。こちらの正面は霊仙山です。長宗我部元親に滅ぼされた河野一族の城が在りました。今は展望広場になっています。そして、唐子山です。福島正則が城を築き小川裕忠が受け継ぎましたが、彼は関ヶ原の戦いで西軍に付いた為所領を追われました。後を関ヶ原の戦いで功績があった藤堂高虎が、伊予半国20万3千国を与えられて赴任しました。彼は唐子山の城を廃し、城の石垣や柱等を使って現在の今治城を築きました。界隈の今治中心の政治経済の始まりです。今は山...桜井漁港の防波堤から

  • 昼下りの桜井漁港

    帰郷したら行きたい場所が多くあります。南予や高知にも行きたいのですが、車が有りません。レンタカーを利用しようかとも思いましたが、雨ばっかりです。雨の観光はつまりません。近場の行きたかった場所を巡ります。やって来ました桜井漁港です。昼下りの漁港に人は居ません。自転車を押して港を歩きます。この港は、舳先が長いこのタイプの漁船が多いです。スピードが出そうです。何を獲るのでしょうか?それとも単に、来島海峡の急流対策でしょうか?港の向こうに兵市島が見えます。今日は遠望が利く梅雨の晴れ間です。タコツボです。今時分のタコは「梅雨だこ」と特に称されます。旬です。体を洗うのではないと思います。猟具とか獲物じゃないでしょうか?作業小屋と漁船を眺めて歩きます。タコ漁の船です。梅雨の晴れ間の、昼下りの桜井漁港です。昼下りの桜井漁港

  • 桜井漆器の町

    貴重な梅雨の晴れ間の散策です。自転車しか無いので行動範囲が限られます。近隣の懐かしい場所を行きます。桜井は漆器製造販売の町ですが、年々衰退しているように見えます。古い漆器藏です。もう制作はやってないと思います。沢山在る漆器屋のホンの一部を巡ります。路地で猫に見咎められました。ここにも漆器藏です。漆器藏が各所に在ります。ここは小中学校の同級生の家です。弟が後を継いでいます。向かいにも漆器藏が在ります。ここは卸販売店です。「碗船」を所有して大きな商いをしていた家です。主な販売作は北九州地区でした。通る過ぎる途中で振り返ります。左右の家とも、まだ後ろに敷地が続きます。いつ来ても人に遭わない通りです。桜井漆器の町

  • 大浜で昼食を

    妹が来て外食しようと言います。車で連れて行って貰います。メニューは海鮮丼です。お膳の向こうは、海鮮丼が出てくるまでのビールのつまみのタコの煮付けです。ほぼ食べてしまった残骸です。「梅雨だこ」は旨いと言います。その言い伝えのとおりでした。海鮮丼の切り身の豊富さは漁港の近くならではでしょう。ご飯は丁度良い、ほんの少しです。初めて入りました。美味しかったです。店の前は大浜漁港です。小降りの海です。しまなみ海道が霞んでいます。小雨に煙る静かな漁港です。漁を終えてもやい綱に繋がれた漁船です。正面奥に今治造船所のクレーンが林立しています。漁村は好いです。しっとりと、梅雨時の漁村です。大浜で昼食を

  • 今治「大黒湯」

    本町温泉の前の通りを北に行くとすぐに在りました。大黒湯です。よくある名前です。銭湯はおめでたい名前を付けます。老舗だと思います。見上げると煙突から煙が出ています。正面から見ます。好い雰囲気です。2階に干した玉ねぎが好ましいです。家族的です。銭湯の入り口です。13時半が営業開始です。先ほど煙突から煙が上がっていました。営業開始が早いのは、周辺が漁師町だからでしょう。漁を終えた後は風呂が欲しいです。汚れを落とす為、冷えた体を温める為です。横に大きな駐車場が在りました。先程の本町温泉より客の分布範囲が広いようです。入ってみます。廃材置き場です。燃料は木材です。木で沸かした湯は柔らかいと言います。火口が燃えています。こちらでも燃えています。風呂屋の炎を見るのは初めてです。優しい炎です。燃料置き場へ行きます。こんな...今治「大黒湯」

  • 今治「本町温泉」に遭遇

    焼豚玉子飯を食べた帰り、銭湯に遭遇しました。ビルの銭湯です。本町温泉の前は本町通りです。奥に入ってみます。海岸の方向です。民家の前に小さな駐車場が有ります。近所の人の利用が多いのでしょうね。見上げる煙突です。更に行きます。漁師町です。戻ります。正面から見ます。斜め前にも駐車場が在りました。銭湯の軒下に、ツバメの巣が有ります。子供が育っています。ツバメの巣が有る家は繁栄すると言います。今治「本町温泉」に遭遇

  • 焼豚玉子飯 元祖「重松飯店」

    こんな辺鄙な町に在るようです。「焼豚玉子飯」と検索したらすぐ出ました。先日松山駅前で、今治の焼豚玉子飯を参考にした「焼豚玉子カレー」なるものを食べました。美味しかったけど、焼豚玉子飯を食べたことが無いので比較のしようがありません。教訓として、とても高カロリー食だと思いました。焼豚玉子飯の元祖「重松飯店」です。TV等で見慣れた店の風景です。初めて経験するならやっぱりこの元祖の店です。開店20数分前です。東京に住んでいるとこの程度の行列には驚きませんが、結局開店前の行列は2,5倍になりました。「ウヲンヲンヲン」とエンジン音を響かせてバイクの一団がやって来ました。右に店主でしょうか、駐輪場所を指示しています。そんな中、スマホナビを見ながら徒歩でもやって来ます。ここは今治駅から2∼3km離れています。∼∼他県ナン...焼豚玉子飯元祖「重松飯店」

  • 今治銀座の今

    同じタイトルで何度か報告して来ましたが、その度毎に人出が少なくなっています。店が閉まっています。今治市唯一最大のアーケード商店街です。今治市の中心街です。わざとじゃありません。ホントに人が居ません。電話ボックスが替わりました。以前のレトロな方が良かったです。公衆電話を使う人は居ないでしょうね。災害時用の設置だと思います。お世話になった本屋も廃業のようです。何処も一緒です。この銀座商店街の復活も、何ともならないでしょうね。今治銀座の今

  • 今治新町商店街を行く。

    ハーバリーの正面は新町商店街です。今治銀座に続く商店街です。しまなみ海道ができるまでは、地元と島しょ部からの買い物客で車道まで人が溢れていました。風化して看板文字が見えません。ここは「早朝喫茶」でした。大阪等から早朝に船が着きます。バスの始発までここで、コーヒーとトーストのサービスセットを食べながら時間を過ごしました。昼夜を問わずいつも混んでいました。連絡船の時間待ちの場でした。僅かに喫茶店の面影があります。ここはもう駐車場です。商売の見限り時は大事です。先行有利です。船の往来がほとんど無くなった港に駐車場の需要は少ないです。外国人がやって来ました。職業訓練生だと思います。田植時だし日中だしで、買い物客は居ません。このまま真っ直ぐ今治銀座へ行きます。今治新町商店街を行く。

  • 今治市のねぶた祭

    先週の土曜日の事です。今治港へ行きました。数年前に港湾ビルが竣工して、「ハーバリー」という呼称になりました。船の形状の建築物です。「ハーバー」と「今治」からのみ命名だと思います。今治市のマスコットキャラクター「バリーさん」も絡んでいますかね?「青森県弘前市」の文字が見えます。普段は何もない静かな場所に、ねぶた祭ですね。準備の真っ最中です。本来は、旧暦の七夕祭りの行事です。ポスターが貼られていました。あら⁈今日やるんですね。愛媛県初上陸らしいです。という事は、愛媛県以外の四国には既に上陸している訳ですね。阿波踊りの徳島か?よさこい祭りの高知か?そして愛媛県はどうして今治なんだろう?松山市でなくて良いのでしょうか?見物客が来なかったら気の毒です。等々色々考えさせられました。ハーバリーの中には今治市のねぶた祭風...今治市のねぶた祭

  • 波止浜港から見る造船所

    波止浜港から見る造船所です。造船とタオルが今治の主要産業です。両方とも日本一の生産量です。所狭しと、各ドッグで船を造っています。ここから島巡りの船が出ます。芸予要塞跡の「小島」へはここから船に乗ります。今日は雨が振りそうなので渡船しません。帰郷してから、カラッと晴れた日がありません。残念です。時刻表です。1日10本の運行です。運賃は、小島往復で440円です。安いです。乗りたいなあ。でも、この天気だと今年の訪問は無理そうです。渡船はこの桟橋から出ます。造りかけの船を見ながら沖に出るその風景も良いです。この時間桟橋に渡船はありません。波止浜港から見る造船所

  • 糸山公園で、平山郁夫と高階城太郎

    平山郁夫画伯のレリーフです。彼が描いたしまなみ海道の来島海峡大橋です。橋の下は来島海峡です。こちらにも有ります。ここから描いたものです。来島海峡の名前の元になった「来島」です。来島村上水軍の本拠地でした。全島要塞化されて、山頂に城が在ったそうです。正面に港が在ります。波止浜港から出る渡船は、最初あそこに着桟します。しまなみ海道の向こうに霞んでいるのは今治市の中心地です。右前方奥に霞んでいるのが、「太平記」の舞台「世田山・笠松山」です。しまなみ海道の島々からもよく見えます。伊予国経営の中心だった事が納得できます。こちらが芸予要塞跡が在る小島です。来島海峡の要衝ですが、明治政府はここをバルチック艦隊が通過する可能性を考えていたんですね。展望台下の展望所に来ました。銅像が有ります。作者は「高階城太郎」です。彼は...糸山公園で、平山郁夫と高階城太郎

  • 大角海浜公園

    こんな場所です。前面は人工の海水浴場です。公園化するに際して造りました。それ以前は農道の先に在るタバコ畑で海は岩場でした。しまなみ海道の来島海峡大橋が梅雨の空気に霞んでいます。海中にコンクリートの円柱が立っています。バルチック艦隊の襲来に備えて小島に造られた芸予要塞の、大砲の命中度を高める為に造った標的です。背後は多島海の瀬戸内海国立公園です。大きい島は大三島だと思います。暗い遊歩道を行きます。視界が開けました。キャンプの人でしょうか?あの旗は何なんでしょうか?ここには伊豫水軍の番所が有りました。私はそれを確認できていません。説明板にあった岩礁です。潮が引くと歩いて渡れます。ここは四国本土最北端です。潮が流れています。日本一海流が早い「来島海峡」です。展望台からの景色です。しまなみ海道が走る馬島と大島です...大角海浜公園

  • 農協の苗床今年も、

    帰郷した時に見たいものの一つです。今年は梅雨が早かったのでもう田植えを始めているかと心配していましたが、やっぱり例年のカレンダーどおりでした。降雨の少ない郷里では、梅雨入りしてから田植えを始めます。日本一遅いのではないでしょうか?一部では出荷が始まっています。パッチワークのような美しさです。苗床の向こうは城が在った霊仙山です。長宗我部元親に滅ぼされた河野一族の城です。この小さな箱の一つ一つが苗床です。田植え機に積んで植えます。数日後、家の近くで田植えが始まりました。そして今日、田植えを終えた水田に映る太平記の舞台、世田山・笠松山連山です。故郷の景色は美しいです。農協の苗床今年も、

  • 松山の「焼豚玉子カレー」

    お昼時です。うどん屋を探していたら、カレー屋が在りました。JR松山駅前です。この「焼豚玉子カレー」が気になりました。「焼豚玉子飯」は今治市の名物ですが、私は食べたことがありません。この機会にカレーバージョンを食べてみるか。これです。店員に訊いたら、「今治の『焼豚玉子飯』をヒントにしました」とのことです。本家の玉子飯を知らないので比較のしようがありませんが、美味しいです。かなりの高カロリー食だと思います。一度今治の「焼豚玉子飯」を食べておかなくては、と思いました。松山の「焼豚玉子カレー」

  • 道後温泉駅と路面電車

    道後温泉駅の改札口からみかん色の電車が見えます。車内で料金を払うので駅員は居ません。松山市のゆるキャラ「みきゃん」のラッピングです。始発待ちです。トイレの案内板も、正岡子規や夏目漱石がここで暮らした時代を連想させます。電車が復路線に移動します。もうすぐあの「みきゃん」がこちらのホームに入ります。道後温泉駅と路面電車

  • 道後温泉駅前風景

    道後温泉本館の入浴を諦めて戻って来ました。伊予鉄道後温泉駅です。駅前には坊っちゃんカラクリ時計が有ります。1時間1回の設定時刻が到来すると2つの台がせり上がって、時計の裏や障子戸から、小説坊っちゃんの登場人物人形がオルゴールに合わせて現れて動きます。時計台の隣に無料の足湯が有ります。そして正岡子規の像です。ここから見る時計台と足湯です。子規像です。彼は東京でも暮らしました。上野恩賜公園の頂上に在る「正岡子規記念球場」の句は、「春風やまりを投げたき草の原」です。彼の大好きな野球姿です。又の名は「正岡野球(のぼる)」です。道後温泉駅前風景

  • 工事中の道後温泉本館

    伊予松山といえば、正岡子規と夏目漱石の坊っちゃんです。あ、「坂の上の雲」の秋山兄弟もいますね。今日は正岡子規と坊っちゃんです。商店街のハイカラさんです。手にしているのは地元の銘菓「坊っちゃん団子」です。人混みが少ないタイミングで撮っています。コロナ明けで観光客が多いです。正面の商店街出口が鮮やかです。通常は、ここから道後温泉本館の大屋根が見えます。蜷川実花氏デザインの工事フェンスです。相変わらずの派手さです。本館前の広場です。足湯です。工事中の道後温泉本館です。グルリと廻りましょう。工事中なので裏側が入り口になっています。本館で湯に入るつもりで来ましたが、、、止めます。工事中の屋根を見上げます。側面です。正面に戻りました。外国人が記念撮影中です。ここで本館玄関を背景に撮る観光案内を真似てやっているのでしょ...工事中の道後温泉本館

  • 道後温泉飛鳥の湯泉

    伊予鉄電車で道後温泉駅に着きました。駅前の商店街を行きます。「道後ハイカラ通り」です。ハイカラと言えばこの恰好です。飛鳥乃湯泉へ行くつもりです。アーケード商店街を観光客が行き交います。お土産屋が軒を連ねています。インバウンドが復活して大層な活気です。とても混雑している商店街を抜けた所に「道後温泉別館飛鳥乃湯泉」と「椿の湯」が在ります。こちら椿の湯です。隣り合って飛鳥乃湯泉です。人が居ないタイミングをはかって撮っています。派手ですねえ!道後温泉は数年前から蜷川実花氏とコラボレートしてイメージ展開しています。さて、商店街に戻って道後温泉本館へ向かいます。こんなに人が出ています。これだけの人を受け入れられる温泉施設を完備している道後温泉郷です。道後温泉飛鳥の湯泉

  • 路面電車で道後温泉へ

    松山法務局へ行ったついでに散策します。伊予鉄路面電車の車窓から見上げる伊予松山城です。「春や春十五万石の城下町:正岡子規」電車は90度曲がって中心街へ向かいます。松山市の繁華街を走ります。ゴトンゴトンと走ったらすぐ止まります。信号に捕まります。また停まります。駅間が短いです。運賃は大人180円一律です。安いと思います。長閑な時間です。JR松山駅前から約30分で到着しました。ホームから見上げる駅舎です。乗ってきた電車です。蜜柑のオレンジ色です。改札口方面へ線路を横切ります。改札を通らなくても構いません。電車で支払いは済ませてあります。駅頭に坊っちゃん電車が有ります。道後温泉駅の表です。駅前の商店街へ行きます。この話、続きます。路面電車で道後温泉へ

  • 伊予鉄道線路平面交差

    伊予鉄道路面電車の車窓です。踏み切りが有ります。伊予鉄道高浜線です。高浜線の線路です。松山観光港方面へ行く線路です。伊予鉄道大手町駅の傍です。ここに、日本唯一の平面交差の線路が有ります。左右が伊予鉄道路面電車の線路で、上下が伊予鉄道高浜線の線路です。観光地の伊予松山ですが、こんな名所も有ります。鉄ちゃんはお訪ねあれ。伊予鉄道線路平面交差

  • 郷里で出逢ったゴールドポスト

    今治駅前でゴールドポストに遭遇しました!驚きです。東京で3基に出逢いました。そのときはちょっと感動しましたが、東京なのでそんな人も居るだろうな、と思っていました。東京2020のゴールドメダリストなんかが、まさか今治に縁があるとは思ってもいませんでした。東京2020水泳男子100m平泳ぎの「山口尚秀」選手です。凄いね!と思いましたが、もうすっかり忘れていました。選手の顔も優勝シーンも思い出せません。...忘れてしまわないように、ゴールドポストを設置したのですね。郷里で出逢ったゴールドポスト

  • 主屋の現状 夏草の屋敷

    郷里の我が家(昨年相続しました)の裏に在る主屋です。こちらは通用門です。30年位前に築地塀が倒壊してコンクリートブロックになりました。門柱だけが残っています。草の屋敷です。もう何年も放置したままです。よく見ると、屋根の左端が陥没しています。家の中は、想像を絶する状態だと思います。ここから崩壊した屋根が良く見えます。通用門から庭に入ってみようとしましたが、害虫が心配なので止めました。こちらが玄関です。手前には大きな門が立っていました。主屋は資産家でした。父の同級生がいました。その父親は教師をしており、同級生も大学へ行って大企業に努めていると聞きました。退職後も帰って来ませんでした。彼の妹が一人で住んでいましたが、10年くらい前に亡くなって、その後誰も住んで居ません。我々分家がお金を出し合ってシルバー人材に草...主屋の現状夏草の屋敷

  • 耕作放棄地の国家帰属

    夏草の中に現れました。予讃線の特急電車です。こんな頭の丸い車両を見るのは初めてです。「アンパンマン電車」だけじゃ無いんですね?耕作放棄地の草刈りです。帰郷したら墓参りの次にやることがここの草刈りです。刈らないと雑草の種が飛んだり害虫が発生したりで、近隣の田圃に迷惑が掛かります。私的には他の田圃の田植えまでに実施する仕事です。刈っているのは、お馴染みの老幼馴染です。毎年彼にはお世話になっています。私の役割は、刈り取った草が隣に入ったり線路土手の下にある近隣共用の農業用水を塞がないように、熊手で自分ところに戻すことです。休み休みで2時間近く掛りました。「10年前なら休み無しで、一気に1時間位で出来たのに...」と、寂しく笑い合いました。何度目かの急行列車が通り過ぎます。ずいぶん綺麗になりました。今回は、線路土...耕作放棄地の国家帰属

  • アンパンマン電車で帰ります。

    伊予松山駅のホームも壁に貼られた電車のポスターを眺めています。梅雨入りした故郷ですが、夕陽が反射して見にくいです。吉野川を走るトロッコ電車があるんですか!乗ってみたいです。隣のポスターです。もう一度乗りたいなあ。「伊予灘ものがたり」です。あ、これ乗りたいなあ!「千年ものがたり」ですか!こちらは「時代の夜明けものがたり」ですか!好いなあ。JR四国は赤字です。これらの電車で旅したいなあ。故郷の助けになれば嬉しいし。返礼品目当てのふるさと納税よりよっぽど良いです。乗車予定の電車がやって来ました。アンパンマン電車です。のんびりしたアンパンマンと比べてあわだたしいホームです。車内の天井もアンパンマンです。3ヶ月前に取った飛行機の予約です。こんなに早く梅雨入りするとは思っていませんでした。さてさて。アンパンマン電車で帰ります。

  • 帰省します。

    入梅間近の羽田空港です。離陸した直後です。眼下に「海ぼたる」です。雲が重い関東地区です。雲間に江ノ島がかろうじて見えます。ずっとこんな調子でした。雲の上に出ました。全く外界が見えません。...気が付いたら高度を下げています。もやっています。しまなみ海道です。大島でしょうか?だったら来島海峡大橋です。飛行機は更に高度を下げて行きます。雲に突っ込みました。かろうじて翼が見えます。雲の下に出ました。旋回します。貨物船です。多島海を飛びます。もうすぐ着陸です。梅雨の故郷に帰りました。帰省します。

  • 東京アクアティクスセンターと東京辰巳国際水泳場

    TOKYO2020開催の時、建物と一緒に造られた公園です。当時は高揚感と共に芝生を歩きました。完成後暫くして、オリ・パラが1年延期されました。そして1年後、無観客で開催されました。でも、TV放送で十二分に感動できました。もう自国開催の必要は無いと思っています。振り返ると、東京辰巳国際水泳場が見えます。あそこでは水球が行われました。こんな位置関係にあります。石の広場を上がって行きます。ここに各国からの観戦者、が溢れるくらい歩く計画だったのですね。辰巳国際水泳場とのこの空間に、人々が沢山行き交う計画だったのでしょうね。全て夢の跡です。あの石段を上がります。振り返る辰巳国際水泳場です。見上げます。大きな屋根です。建物へ行きます。TOKYO2020の名残りです。あそこはアイススケートリンクに改造されます。ここを行...東京アクアティクスセンターと東京辰巳国際水泳場

  • 閉鎖された東京辰巳国際水泳場

    「曙橋」から「あけぼの水門」を眺めています。左にはJR京葉線の高架が見えます。高架下に、丸い屋根の建物が見えます。JR京葉線は大きな曲線を描いて都心へ向かいます。私はあの丸い屋根の建物、「東京辰巳国際水泳場」へ向かいます。もうすぐこの看板も変更されるんでしょうね。あれです。1993年に開業し、「水泳の聖地」と呼ばれていていました。東京2020では「水球」が行われました。入場可能人数がオリンピック水泳会場としての規格に達していませんでした。オリンピック委員会の方針で、新しい施設を造らざるを得ませんでした。芸術的な建築物です。私はここに入ったことがありません。2008年、北島康介氏がジャパンオープン男子200m平泳ぎで世界新記録を樹立した第4コースに、「世界記録達成記念コース」のプレートが有るそうです。ここは...閉鎖された東京辰巳国際水泳場

  • オリンピック遺産/夢の島公園アーチェリー場

    芝生の土手の向こうに夢の島熱帯植物館が見えます。夢の島に広場が出現しました。オリンピックが終わって2年が過ぎようとしています。このラインから選手が的に向かって矢を射ました。2階は役員席だったでしょうか?日本選手が銅メダルを取ったのを覚えています。ここは開放されました。しかし何に使うのだろう?との疑問が残ります。一方で、解体される施設もあると聞きます。当初から解体の予定で造ったものも在ります。大金を投入してその時限りの施設で良いのか?あるいは、費用対効果は適正なのか?私はTV観戦で十分以上の感動を得られました。メディアの力は偉大です。選手の緊張した表情や高揚感溢れる顔、そして結果のフィードバック等、現地では見る事ができないものです。唯一劣っているのは、会場の熱気や雰囲気、空気感です。それも無観客開催だと何の...オリンピック遺産/夢の島公園アーチェリー場

  • 雑司が谷 おにぎり・とん汁 山太郎

    大塚の「おにぎりぼんご」を初め、行かないのだけれど、おにぎり屋が気になっています。雑司が谷で遭遇しました。以前TVで「おにぎりぼんご」で修業した店主が開業した、と紹介されていました。こんな場所に在ったのですね。大塚の「おにぎりぼんご」程では無いけど、けっこう人気のようです。コロナ明け以降マスクをしない人が増えました。人の顔をいじるのに抵抗がある私です。雑司が谷おにぎり・とん汁山太郎

  • 雑二ストアの裏が解体されていた。

    雑司が谷の路地を散策していました。ここに在った家が無くなっています。長屋の裏が露出しました。この長屋は雑二ストアです。つまりこの商店街の店舗だった家の裏側です。久しぶりに商店街に入ってみます。この位置の八百屋が最後の店舗でした。閉店した時から変わっていません。振り返ります。ここからの姿も変わっていません。路地に戻って眺めます。こちら側もいずれ解体されるのだろう。いや、雑二ストアの解体が先になるか?ちょっと離れて眺めます。ふと、傍の家を見ると、店舗だったようです。「川津美屋」と読めます。何を商っていたのだろう?奥まで同じ色の壁が続きます。大店だったのですね。ひょっとしたらここは、雑二ストアはホンの一部で、周辺が商店街だったのかも知れません。雑二ストアの裏が解体されていた。

  • 永井荷風の墓が変わった。

    初夏の雑司ヶ谷霊園です。景色が違っていました!槇の木で囲われていた永井荷風の墓が露わになっていました。素通しです。何があったのだろう?今後どうするのだろう?...初夏の空に木々が梵ます。以前の墓所です。永井荷風の墓が変わった。

  • セ氏23度風速5mの日 三四郎池周回

    東京大学の三四郎池に居ます。正面に日除け棚が有ります。風が有ります。クラリネットの音は聴こえません。ベンチに座ろうと思います。飲み物が置かれています。その向こうのベンチにしましょう。葛の弦が日除けになります。逆光の葉が美しいです。隣を振り返ります。眩しいです。座っています。歩きます。見上げる坂の向こうの方向に安田講堂が在ります。大学の施設内とは思えません。一般的な溜池と大きさが変わりません。周回します。滝が有ります。三四郎池の水源です。どこから来るのでしょうか?文学部前の噴水でしょうか?その方向ではあります。綺麗な水です。上り下りの遊歩道です。結構険しい場所が有ります。橋に戻りました。クラリネットの練習をしていた人は、もう居ません。日除け棚の下から池を見ます。吹く風の湿度が低いです。入梅の前です。気持ち良...セ氏23度風速5mの日三四郎池周回

  • セ氏23度風速5mの日 入梅前の三四郎池

    木漏れ日の石段を下ります。随分池の水が引いています。池の底が遠くまで露出しています。こんなに橋の近くまで来られました。入梅前の三四郎です。脇から岸に上がって橋に向かいます。日除け棚の下に女性が居ました。年格好から学生では無いようです。クラリネットの練習中です。一般人に開放されている東京大学です。橋の上から三四郎池を見ます。一瞬強く風が吹きます。木々と水面が揺れます。気持ち好いです。いつものように池畔を歩きます。クラリネットの練習が再開されます。「♫タリラリー、タリラリー、ルルリルリルリルリルラー」爽やかな今日に似合わない、哀愁を帯びた音色です。飛び石が露出しています。振り返る撮影風景です。一番向こう迄行きます。風が吹きます。木々がざわめきます。カラッと涼しくて気持ち良いです。セ氏23度風速5mの日入梅前の三四郎池

  • セ氏23度風速5mの日 東京大学の銀杏

    本郷通りを行きます。東京大学の銀杏並木です。工学部前の名物大銀杏へ行きます。深緑の大銀杏です。大銀杏が影を作ります。気持ち好いい午後です。セ氏23度風速5mの日東京大学の銀杏

  • セ氏35度風速5mの日 忠犬ハチ公

    木漏れ日が縞を描きます。忠犬ハチ公と上野博士です。深緑の銀杏がガラスに映ります。爽やかな今日の気候です。セ氏35度風速5mの日忠犬ハチ公

  • セ氏23度風速5mの日 レストランアブルボア

    木漏れ日の下のレストランです。東京大学農学部のキャンパスに在るレストランです。今日のメニューです。安いです。テラス席です。数多くある東京大学の食事処で一番のお気に入りです。その理由の大きな部分は、この景色にあります。庭に降ります。入り口を振り返ります。いつも、食事の前に散策します。木漏れ日の庭です。入り口に戻ります。さて、昼食は何にしよう?「阿波尾鶏(あわおどり)カレー」なんか面白そうです。セ氏23度風速5mの日レストランアブルボア

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