今日も猛暑日の東京は人形町です。丁度11時になって、時計台が動きました。景色が白っぽいです。見上げる人も暑そうです。水辺が恋しいですが、隅田川の照り返しが厳しいです。正面は佃島の超高層マンション群です。ちょっと上流から見ると景色が変わります。隅田川に浮かぶ島とは思えません。猛暑日の人形町時計台
小雨の中をトンネルに向かいます。東京の中心地にトンネルが在る珍しい路です。このバイク、この場所に、チョット好いです。誰もいないトンネルを行きます。出たところに、愛宕山エレベーターが在ります。NHK放送会館と愛宕神社へ行く為のエレベーターです。・・・病院の帰り道です。トンネルを抜けて、出発した場所に戻ります。ここは愛宕神社の裏参道です。矢印の有る場所にあった看板が無くなって久しいです。一世を風靡したワインサロンが在りました。コロナの影響が大きかったと思います。腰を痛めていることもあって、跡地を見たいような、見たくないような、不思議な気持ちです。年を取るって、行動が消極的になります。在りし日のサロンの風景です。愛宕山トンネル周辺風景
やっぱり、無くなっています。年に一度定期検査で神谷町から虎ノ門へ路地を抜けます。そこに好い感じのアパートが在りました。その風情が好きで、ある意味1年が過ぎて病院へ行くのを楽しみにしていました。昨年は工事用ネットが張られていたので覚悟はできていました。更地になって次の建物工事が始まるまでよくあるように、コイン式駐車場になっていました。いつも思うとおり、建物が無くなった地面は小さく見えます・・・。さて、気を取り直して、予約の時間が迫っています。小雨の虎ノ門です。アパートが在りし日の姿はこちらです。虎ノ門のアパート跡地
久しぶりにやって来たら、工事中でした!教会の隣だけではありません。教会の前も工事中です。変化の無い界隈でした。一挙に2軒もの工事中に驚きました。両方とも民家だったと思います。あれだけ見ていたのに不思議なもので、どんな建物だったのか思い出せません。取り残されたような教会です。ここからの景色も好きです。この景色はいつまでも在ると思っていましたが、隣は古い長屋です。いつ無くなるか分からないと思い知らされました。この景色のファンです。残しておいて下さい。根津教会周辺が工事中
「根津甚八」って俳優が居ましたね。私は好きでした。俳優の話ではありません。この、玄関前に大きな樹がある家の話です。店名が「根津の甚八」、居酒屋です。この家屋は何度か商売替えをして、現在は居酒屋です。借家かも知れません。さて、こんな店です。お婆ちゃんが一人でやっていました。カウンターが有ります。照明も好いです。そして、座敷席が有ります。久しぶりの畳です。あ〜好い!この畳の座り心地と手触り。横になりたい!こんな額が有りました。短歌ですね。百人一首も有ります。これ、よく見ると三次元なんです。素朴なツマミで盛り上がります。この日最後の客でした。そして最後になりましたが、根津甚八さんとの関係は訊きそびれました。根津の甚八
乙女稲荷神社です。新緑と朱色が鮮やかです。初夏の光が注ぎます。西参道です。乙女稲荷神社と透かし塀を見ながら歩きます。いつものアングルです。新緑と透かし塀の風景です。好い季節になりましたね。根津神社の新緑西参道の風景
景色が緑色です。目にも鮮やかな季節です。唐門が初夏の陽射しに輝きます。舞殿からの風景です。楼門です。唐門と拝殿です。楼門が輝きます。透かし塀から拝殿を覗きます。紹介したのは昔の国宝、今は国の重要文化財です。ここでままごと遊びができる幸せな親子です。そして、重要文化財に犬を繋ぐ人と重要文化財に寝そべる犬。こんなに庶民に近い重要文化財も珍しい。根津神社の新緑重要文化財周辺
コロナ禍で一般者の立ち入りが中止されていました。待望久しく三四郎池へ行きます。いつものこの石段を下ります。ちょっと気持ちが逸っています。池に来ました!水量が多いです。ここまで水が来ているのは珍しいです。長雨の後です。・・・ばっちいな。逸る気持ちがちょっと醒めます。落ち葉を掃除していないですね。気を取り直して、新緑の三四郎池です。いつもの遊歩道を往きます。3年ぶりでしょうか?池に新緑を映します。初夏の風が渡ります。いつもの池畔の遊歩道を歩きます。振り返る藤棚の下に学生です。日常が戻った実感が湧きます。木漏れ日の遊歩道を往きます。秋にはこの紅葉を楽しんでいました。青もみじも好いです。弁当を下げた学生が歩いています。視界が開けました。普段は大抵あの四角の石まで行けます。やっぱり今日は水量が多いです。岸辺で昼食を摂る学...三四郎池へ行く/2022年初夏
あれっ!?正門が開いています!奥には、今や盛りと青銀杏が繁っています。行かなければ!もどかしく横断歩道を渡ります。やって来ました!コロナ禍で閉鎖されて以来だから3年ぶりででしょうか?毎年この地面が黄金色に埋まるのを楽しみにしていましたが、今日はやっと開放されて青銀杏を楽しみます。キャンパスを巡ります。やっぱり雰囲気好いです!いつもどおりに、工学部前の大銀杏も眺めます。好いです!安田講堂を眺めます。正門を振り返ります。学生が歩いています。マスクをしていても日常の風景です。その中に居る、私の散策の日常が戻って来ました。キャンパスを往きます。構内に有る郵便ポストです。学生が居ます。活気を感じます。自転車の列です。日常が戻っています。・・・でも、赤門は閉鎖されたままです。全面解除とはいかないようです。もう少しです。東京大学が一般開放されていた!
気持ちいい天気です。和船乗船体験中です。横十軒川親水公園です。この川には和船の同好クラブがあって、一般人を乗せるイベントを行っています。コロナ禍だったので、久しぶりの開催です。和船文化の保護に努めています。Uターン場所にしているようです。元は噴水かも知れません。漕ぎ手も乗客も、のんびりと好いですね。これも東京の姿です。和船乗船体験中
氷川神社の表参道です。ここの茅の輪くぐりが、厳か感があって好みです。あの鳥居に設営されます。いつかは、花嫁花婿が茅の輪をくぐる場面に出逢いました。お参りします。振り返ります。赤坂と六本木の間の丘に在って、神社らしい神社です。荘厳な山車蔵です。戻ります。帰りはこの石段を下ります。初めて通る参道です。木漏れ日の石段です。おや!?四合神社に出ました。花嫁が記念写真を撮っています。石に腰を下ろして待ちます。新緑のしあわせ神社です。先程まで花嫁花婿が幸せをお願いしていました。木漏れ日の下を氷川神社へ戻るようです。茅の輪くぐりの花嫁といい、なるほど、そういう神社なんですね。お幸せに。木漏れ日の氷川神社
赤坂の坂の途中に氷川神社が在りました。赤坂散策中の遭遇です。こちらから訪問したことはありません。新緑が眩しい参道です。入り口に佇んでいた人を振り返ります。好い景色です。さあ、行きます。氷川神社の境内にこんな場所が在ったのを知りませんでした。木漏れ日の下に神社が在りました。ほう、勝海舟ゆかりの社ですか。四合(しあわせ)稲荷ですか!お参りします。西行稲荷も在ります。こんな風になっていたのですか!?良い感じです。石段の上は氷川神社の拝殿でしょうか?石段を上がりました。ああ、ここに出るのか!夏越しの祓で茅をくぐりに来る神社です。木漏れ日に絵馬が鮮やかです。この話、続きます。新緑の氷川神社
東京ミッドタウンを散策しています。急坂を下って赤坂に来ました。初夏だなあ!と見上げます。好いい感じの店と出遭いました。氷川坂の酒屋です。好いい雰囲気だなあ、と眺めました。玄関右に貼り紙が有りました。「利き酒名人」なんですね。赤坂に「いずみや」が在る風景
カラー煉瓦の路地に行き当たりました。カラー煉瓦の路地は商店街の特徴です。街灯も商店街のものです。看板もバナーも有りませんが行ってみます。廃業した店舗がそのまま残っています。もう殆ど民家になっています。喫茶店が営業していました。昔からの常連さんの溜り場でしょうか?建具店です。数軒が纏まって共同住宅を建てて、家賃収入を得ながら1階で夫々が営業を続けるパターンです。資金力が無ければできません。道路沿いに、区民館が在りました。街の中心街だったようです。この先に大きな通りが在るようです。道路の向こうにも商店街が在ります。振り返ります。大きな通りが斜めに横切っています。商店街を分断して新たな道路を造ったようです。更に商店街を行きます。こちらにも、商店街看板もバナーも有りません。でも、人通りが増えました。結構賑わっています。...JR平井駅に通じていた元商店街
三菱一号館美術館に来ました。自転車を置いて中庭に入ります。新緑の庭です。美術館へ行きます。大勢並んでいますね。三菱一号館美術館の午後
歩行者専用の時間です。午後1時過ぎの丸の内仲通りです。遅い昼食を摂る時間でもあります。仕事に戻った時間でもあります。通りを眺めながら行きます。良い時間の過ごし方です。丸の内仲通りの午後
大相撲夏場所で照ノ富士が7度目の優勝を成し遂げました。早速、いつものようにやって来ました。やっぱり行列ができています。いつもより列が長いです。足元の看板を覗き込みます。「弁当100円引き」はいつもと同じですが、よく見ると、十両でも同部屋の錦富士が優勝していたんですね。照ノ富士の応援に夢中で十両以下の勝敗に気が回っていませんでした。すぐ近くの伊勢ヶ濱部屋にやって来ました。やっぱり有りました。優勝の証の出前寿司の器の山です。相撲部屋あるあるです。斜め向かいの家です。いつも優勝祝いを出します。ここでもちゃんと錦富士の優勝を祝っています。・・・ファンなら知っていて当たり前ですね。そうこうしていたらトラックが停まりました。花屋です。よく見ると札に「十両幕内ダブル優勝祝」と書かれています。これって、改めて凄いことですよね。...照ノ富士夏場所優勝の翌日風景
スケッチする人が多い公園です。対象は松本楼です。新緑の木漏れ日に佇みます。テラス席が満席です。屋外が気持ち良い季節です。新緑の木漏れ日の松本楼です。ここでもスケッチ中です。好い景色で好い趣味ですね。新緑の木漏れ日の松本楼
景色が緑です。秋は黄葉の名所です。冬は凍る鶴の名所です。そして新緑の名所でもあります。静寂の時間が流れます。好い季節になりました。緑の日比谷公園雲形池
踏切から三ノ輪橋停留場を眺めます。左は下車ホームです。乗客を全て降ろした後、電車は奥の始発ホームに移動します。この間の風景を楽しみます。今、始発電車が発車しようとしています。都電が出発してやって来ました。見送ります。場所を始発ホーム脇に移動します。下車ホームに早稲田からの電車が到着しました。薔薇の中を始発ホームに向かいます。始発ホーム後ろに移動しました。電車が折返し出発しました。見送ります。もう、次の便を待つ客が居ます。下車ホーム寄りに移動しました。電車が到着しました。電車が客を降ろしてやって来ます。客が乗り込みます。出発電車と到着電車がすれ違います。ホームに入って来ます。乗客を乗せて、発車時間迄待機します。出発します。古い看板が残ります。薔薇とこの光景、見飽きません。都電と薔薇の季節/三ノ輪橋停留場
荒川一中前停留場を出た電車が早稲田へ向かいます。薔薇の線路を往く電車を見送ります。荒川一中前停留場脇です。今年は薔薇の花が一斉に咲いたように思います。左に見える路地を行きます。三ノ輪橋行きの電車です。見送ります。早稲田行きがやって来ました。中学校の校舎前です。停車中です。線路の北の所々に路地が在ります。「ジョイフル三ノ輪商店街」に繋がっています。すぐそこに商店街のアーケードが見えます。丁度、三ノ輪橋と荒川一中前間が商店街です。下町を走る都電です。中学校のグラウンド前を走ります。町工場脇の狭い路地です。三ノ輪橋の踏切までやって来ました。薔薇の鉄路をふり返ります。この話、続きます。都電と薔薇の季節/荒川一中前界隈
三社祭りが3年ぶりに開催されます。つまり、町内神輿が練り歩きます。土曜日は、びんざさら、芸者衆、白鷺の行列がある予定です。そんな街の様子です。提灯が出されています。みんな待ちかねていた江戸の祭りです。浅草神社です。思いの外静かです。本社神輿蔵が閉じられています。先日まで神輿を展示していたのに、扉が閉まっています。最後の準備のようです。自転車を引っ張り出したら雨です。時折、前が見にくい位の雨です。途中、雨宿りしながら三社祭のHPを見たら、土曜の行事が中止となりました。明日は他用があります。・・・残念!まだ祭りの環境じゃないよ、と三社様が言っているような・・・。三社祭2日前の風景
好い季節になりました。新緑の雑司ヶ谷霊園です。泉鏡花の墓です。供花が有ります。いつ見ても端正な墓石です。新緑の霊園を行きます。竹下夢二が埋まっています。後ろ姿の景色です。去ります。新緑の霊園です。新緑の雑司ヶ谷霊園/2022年
新緑と朱鳥居が色鮮やかです。木漏れ陽の下を行きます。大銀杏に降る木漏れ陽を観賞します。この季節好いです。鬼子母神大銀杏の木漏れ陽
前回の訪問は寒さが強く残る3月でした。新緑の下の上川口屋です。店が閉まっていて、屋根に梯子が掛けられています。いつぞやは木の枝で屋根が壊れたと言っていたので想像は付きます。お婆さんは居ないのだろうか?屋根修理をしている筈の職人も姿が見えません。ここから見る限り、屋根の上は問題無いように見えます。私は武芳稲荷と大銀杏の新緑を観賞します。一廻りしたら居ました。掃除中です。「雨漏りしたのよ」「店はいつから開けるのですか?」「今日修繕が終わるから、明日は店を開けるわよ」良かったですけど、私、明日は来られません・・・。鬼子母神上川口屋が休業
踏切の向こうに欅の緑が見えています。すっかり初夏の景色になりました。新緑が茂っています。参道に踏み入れます。薄曇りの木漏れ日です。木漏れ日の参道を行きます。名物の大欅に木漏れ日が射し込んでいます。好いですね。見上げます。振り返る参道です。木漏れ日の案内処です。新緑の緑に色を添えます。参道を行きます。振り返ります。そこに、こんな詩が書かれていました。木漏れ日が揺れるコンクリートです。新緑と木漏れ日の鬼子母神参道
玄関廊下からまっすぐに裏庭を見通します。室内から新緑の庭を観賞します。二階に来ました。新緑と窓の芸術を堪能しました。雑司が谷旧宣教師館室内から観る新緑
正門前です。曇りがちの天気です。陽が射しました。裏庭へ行きます。建物を観賞します。シャクナゲの花が咲く庭を行きます。振り返る庭園です。薔薇とカルミアのアーケードです。気持ちの好い初夏です。新緑の雑司が谷旧宣教師館/2022年
三浦屋の屋形船はピンクに塗られています。その間を艀が下って行きます。浅草橋の上です。傍に日本橋女学館高校です。スポーツ・芸能の有力校です。浅草橋の下流を覗きます。柳橋迄の間にも船宿が在ります。路地をのんびりと散策します。今年の花見は屋形船が沢山出ていました。コロナが落ち着いているので客が戻って来ているようです。今年の夏の夜は船遊びで賑わうでしょうか?下流へ向かいます。小松屋と柳橋が近くなりました。向かいは天麩羅の名店「大黒屋」です。二階の窓の所が待合室です。天ぷら油の温度が上がるのをお茶を飲みながら待ちます。窓の下に小松屋が在って、神田川と柳橋と隅田川が眺められます。佃煮小松屋です。対岸には船宿小松屋が在ります。そして柳橋の上です。隅田川から艀が遡上して来ます。爽やかな5月です。神田川船着き場の風景
神保町の路地に時々行きます。ラドリオです。ラドリオからミロンガを見ます。振り返ってミロンガからラドリオを見ます。そして、路地の正面に行き当ります。三省堂に当たります。この裏口から入る事が多かったです。暫くこのルートを使って三省堂へは行けなくなりました。ラドリオとミロンガと三省堂
TVや新聞のニュースになるくらいの事件です。三省堂が神保町本店を一時的にせよ閉店します。ここ神保町は新刊・古本を含む本の街です。その中心に三省堂が在りました。ここから本好きの客は街に流れて行くと言っても過言ではありません。活字離れが叫ばれて久しいです。コロナ禍で来店が減っています。本を電子媒体で読む人が増えています。そんなこんなが影響したのでしょか?仮店舗の案内が有りました。行ってみます。紀陽銀行の隣の、ここのようです。神保町本店のすぐ近くです。ゴルフショップとその隣の茶色の店舗のビルです。神保町本店は築41年らしいです。トイレは古い感じですが、本屋としては何ら問題は無いと思います。集客と販売が落ちているようです。今のような売り場面積は必要ないのかも知れません。どのようなビルを建てるのか。上層階に住宅ができるか...三省堂一時閉店
都電沿線に薔薇が咲き誇っています。都電と薔薇を眺めます。都電の坂です。都電と薔薇を追います。ツツジも咲いています。箸休み的存在です。坂上は向原停留場です。・・・次の電車を待ちます。都電と薔薇の季節/大塚-向原の坂
両国駅から電車が発車します。この路は「国技館通り商店会」なんですね。横綱力士像の上に日の丸が出ています。これって、本場所開催中はずっと出ているのでしょうか?改めて見ると知らない事ばかりです。夏(5月)場所真っ盛りです。今場所は通行人が多いです。でも有りました。「入待ち出待ち禁止」プラカードです。それでもファンがやって来ています。相撲を終えて国技館を出る力士です。ファンから声援が飛びます。この時間に退出するのは幕下以下の力士です。ファンはちゃんと名前を呼んで激励します。見上げる空は爽やかな5月の空です。幟がはためきます。切符売り場は完売で閉まっています。スケジュール表です。終盤になると、千秋楽を含んだスケジュール表が掲示されます。平穏な様子ですが、入り口では検温が続いています。コロナ禍での興行に変わりはありません...2022年大相撲夏場所風景
散策も暑くなる季節です。「まだ営業しているのだろうか?」と思い出しました。店頭に人は居ません。奥に「お声掛けください」との貼り紙があります。おそらく奥の部屋で寛いでいて、声が掛かったら出てくるのだと思います。扱い商品は、ハンコとドリンクと、正面奥に少しの文具が有ります。店の前は新装の学校です。ここはおそらく、文房具屋さんだったのだろうと思います。子供の頃、学校近くの店で文具を買ったり、買食いしていたあの形態の店です。冷蔵庫の上の価格表は「120円」です。自販機と同じような価格設定です。場所によったら自販機より高いです。呼び出して1本買うのは気が引けます。結局申し訳なくて自販機で買ってしまいます。自販機を置けば良いのに、と思います。店と学校の間の道路です。新築の民家が並んでいますが、よく見ると、隣はパーマ屋さんで...冷えた商品出します。
浦安を走っていたら、氷屋に遭遇しました。立夏過ぎの陽射しに映えます。氷好きです。夏日でもまだ「氷が食べたい!」状況ではありません。よく見ると、結構良いお値段です。従業員でしょうか?元気良さそうな歩幅です。一度来てみたいです。真夏日にね。浦安の氷屋
初夏の陽射しです。船宿です。営業時間は夕方からです。人出も緩んで、商売に活気が出ていると思います。柳橋です。右岸の小松屋は船宿です。柳橋から神田川上流を眺めます。下流側です。柳橋を越えると隅田川に合流します。神田川の終点です。橋を行くと、もう一つの小松屋が現れました。柳橋は花街でした。芸者遊びの歴史を伝えます。こちらの小松屋やは佃煮屋です。柳橋と佃煮屋です。初夏のつくだ煮屋です。柳橋と柳です.繁盛しています。初夏の柳橋散策中です。初夏の柳橋
薬研堀の交差点です。東日本橋なのに、静かな路地です。こんな日もあるんですね。薬研堀不動院の参道です。おぉ〜艶やかです。川崎大師東京別院だったのですね。知りませんでした。ビルの谷間の寺院です。東日本橋散策中です。初夏の薬研堀不動院
この看板に惹かれました。東日本橋の路地です。三絃って、三味線の事ですよね。流石は日本橋です。日本の文化が残っているんですね。行ってみようと思いました。小さな神社に出遭いました。三絃と似合いそうです。綺麗にお世話されています。お参りします。縁起を読みます。「今日隆接する日本橋一丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、正保二年(1645)幕府が米蔵を建て谷野蔵矢之倉と称されていましたその庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した三社稲荷神社をまつりました三社は中央に『谷野蔵稲荷』左に『福富稲荷』右には『新左衛門稲荷』からなりたっておりましたが、五十年経て元禄十一年(1698)に御蔵を鉄砲洲に移転すると共に三社稲荷を一緒に移転されました御蔵の後地に居住する人達がその名を惜しんでそこに三社稲荷を残し今も尚東日本橋一丁目に『矢の倉三...「鶴屋三絃店」に惹かれたら、
古い店舗が在るなあ、と見ていました。廃業した魚屋です。えっ⁉隣の看板が、三味線の絵です。「美鈴屋」との屋号です。いかにもの屋号です。現役のようです。こんな住宅地の街道沿いです。こういう商売はいつまでも残って欲しい。日本文化の担い手です。でも、この界隈、商売になるような需要があるのだろうか?遠くからでも買いに来る、修理に持ってくる有名店なんだろうか?足立区のこんなに所に三味線屋が在った。
掲題の出典は「ロシアの殺し屋恐ろしや!」です。二男が中学生の時に教えてくれました(今では2児の父です)。オリジナルの方が多く韻を踏んでいてシャレとしては面白いのですが、さて、殺し屋=プーチンとしても何ら違和感が無いばかりか、恐ろしさが具体性を持っていっそう怖いです。ロシアの戦勝記念日の翌日です。さすがにこの日のロシア大使館の撮影は日本の警官に止められました。「刺激してくれるな」ということらしい。今まで見たことの無い、物凄い数での警戒態勢でした。従って前回の写真を掲載します。でやって来ましたウクライナ大使館です。こちらも、ロシア大使館の5分の1くらいですが、今までに無い警備体制で警戒しています。撮影はOKです。玄関前に写真が貼られています。前回は無かったものです。もっとも、前回の訪問はロシアがキーフに侵攻した時で...ロシアのプーチン恐ろしや!
日比谷です。新緑の電話ボックスが好いな、と止まりました。その向こうにシンゴジラがいました。出現した当時は随分違和感がありました。慣れるもんだなあ、と見上げます。後ろは東宝です。青い垂れ幕が気になりました。「東宝シンデレラ」と「TOHONEWFACE」のオーディション応募受付中です!世相が暗いです。新たなスターが誕生すれば良いですね!東宝シンデレラオーディション応募受付中
多分ここだと思います。あれから3年が経過しました。市場で店を出していた人たちは、何処へ行ったのでしょうか?何事も無かったように時が過ぎて、ここに魚市場が在った事を知らない人が居るのではないでしょうか?やがて忘れられるで存在しょうか?当時はここに歩道橋が有って、その上から眺めました。市場が無くなって、人の流れが変わって撤去されたのだと思います。隣の景色に面影があります。浦安市場閉鎖の記事は、こちら。浦安魚市場跡へ行ってみた。
東日暮里の路地を走っていたら「帝国湯」に遭遇しました。調べてみたら、約1年ぶりの出逢いです。方向音痴の私は、こういうことがよく起こります。目的地として出会うのでなく、殆どが行き当たりの遭遇です。・・・懐かしい。貼り紙があります。えっ!?暫くの休業案内です。こういう場合、殆どが再開しません。唯一、町屋の「大門湯」が再開したくらいです。コインランドリーとボイラー室への通路が閉鎖されています。見上げる煙突は以前のままです。そうだ、前回、裏に廻って煙突を見ました。裏に廻ります。全く前回と変わっていません。帰宅してホームページを検索しました。やはり「しばらく」とだけで、休業の理由は書いていません。あの煙突は、再び煙を吐くのだろうか?「帝国湯」暫く休業
路地を走っていたら出くわしました。東日暮里の路地です。東日暮里にはまだ銭湯が頑張っています。午後3時の開店です。屋号は「雲翠泉」です。「湯」が付かない屋号は珍しいですが、「泉」が時々在ります。銭湯は人が集まるからでしょう。ここにも町内会の掲示板が有ります。ボイラー口を見に横の路地へ行きます。あの水色の場所だと思います。銭湯らしい煙突です。路地を眺めます。常磐線の高架が見えます。下町らしい風景が好いです。東日暮里に「雲翠泉」の在る風景
車窓からの景色を楽しみます。リゾートゲートウェイ・ステーションからの景色です。リゾートゲートウェイです。下車しました。見送ります。駅前のディズニーホテルです。「夢の国」らしいです。ディズニーランドの入り口で記念撮影をしています。今日はゆっくりと、自分の好きなように撮れますね。嘘みたいなゴールデンウイークのディズニーランドです。結局3周しました。3周分同じ写真を取捨選択して構成するのに疲れました。この辺で。ディズニーランドモノレールに乗ってみたー2
散髪したら東京ディズニーリゾートへ来ることが多いです。その時は「東京ディズニー・ランドステーション」下に在るトイレを使います。静かな圧を感じて見上げると、モノレールがやって来ました。「そうだ、モノレールに乗ってみよう」と思いました。改札口です。モノレールは6分おきにやって来るようです。4つのステーションが在って、1周12分で回ります。大人1日乗り放題で260円です。よし!初めての乗車です。ホームからはディズニーホテルです。大型駐車場がガラガラです。5月6日、ゴールデンウイーク中の平日(金曜日)ではありますが、各地の観光地をニュースで見ていたのでこのい景色に驚きました。こちらはコーンで何かの地上絵を描いています。車内は空いています。いつも何処かで工事をしています。ベイサイド・ステーションに到着です。トイストーリー...ディズニーランドモノレールに乗ってみたー1
既報の放駒部屋の近くです。競技場のような建造物です。行ってみます。これです。正面の中空を横切っているのは首都高速三郷線です。目的物は空飛ぶ円盤のようにも見えます。ここは首都高速三郷線の出入り口です。こちらが入り口です。ETC専用にも驚きです。現金が使えないのですね。不便です。右側が出口です。出ると環状7号線です。中央にガードレールが有るので左折しかできません。反対側にも出入り口が在って、やはり出る時は左折しかできません。高速道路上で環状7号線の東西どちらへ行くのかを判断してレーンを選びます。こんな近くでじっくり見るのは初めてですが、近すぎて全体像が見えません。ちょっと離れて、環状7号線から見ます。自動車は入り口を入って、グルグル廻りながら上がって首都高速道路に合流します。首都高から出るときは、グルグル廻りながら...首都高速三郷線加平出入り口
GWに息子達が子供を連れてやって来ました。正月以来の来訪です。行き先は、葛西臨海公園です。孫達は3年ぶりの海岸です。昼間の干潮のタイミングを狙いました。こんなに沢山の人が居る干潟は初めてです。水温む立夏です。獲物は少なくても皆さん楽しそうです。伯父さんと従姉妹。そして叔父さんと従兄妹。夢中で穴を掘っています。服汚したらお母さんに怒られるよ。我が家は、私の代も子供の代も、「お父さん・お母さん」です。別に主義主張はありません。強制した訳でもありません。ついでながら、家族10人全員O型です。これも強制した訳ではありません。GWの葛西臨海公園
天気が悪くて外出できないときは近くで昼食を取ります。基本、昼食は外で摂るようにしています。家に籠って運動不足にならない為です。時々パスタを食べます。もっと時々「ママポーラ」で簡単に済ませます。席に案内され注文して暫くしたら、これが来ました。いきなりなのでビックリです。注文した「ベジタブル・トマトソース・スパ」が載っていました。注文品を取って矢印のボタンを押したら(ピンボケの画像でスミマセン)帰って行きました。また走っています。スタッフが隣の席の食器を載せてボタンを押したようです。厨房に帰って行きます。TV等で見た事があるのでその存在は知っていましたが、こんな私でも、見て、触れる時代になりました。今後、配膳ロボットが店内を走る廻るのが普通になるのだろうか?なるんだよね?配膳ロボットが来た!
この界隈に金座が在ったのですね。気が付きませんでした。先場所若隆景が優勝した荒汐部屋へ向かっています。マワシが干されています。5月場所が始まります。えっ!?あれがこうなったの?稽古場がガラス張りになりました!相撲部屋では初めて見る光景です。ギャラリーから見えるから稽古の手を抜けませんね。玄関の飾り付けも変わりました。さて、先(3月大阪)場所若隆景が優勝した翌日の風景です。工事中の部分がガラス張りになったのですね。まだ誰も大阪から帰っていません。優勝した形跡はこれだけでした。今度は両国なので、優勝したらパレードが見られます。若隆景に期待しています。今場所10番勝って、7月の名古屋場所で大関を勝ち取って貰いたいです。相撲界で言えば小兵です。よく稽古していると思わせる相撲っぷりが好いです。三代目若乃花(お兄ちゃん)の...若隆景頑張れ!
放駒部屋が独立しました。新築です。部屋の記事をお借りします。放駒部屋はInstagramを利用しています:「本日、おかげさまで無事に土俵開きを執り行う事が出来ました!関係者の方々に感謝です!ありがとうございました!先代師匠、女将さんにもお祝いしていただき大変嬉しかったです!土俵開きが終わりホッとした気持ちもありますが、これからがスタートです!気を引き締めて参ります!😊#放駒部屋…」さて、やって来ました足立区に移転した「放駒部屋」です。新築です。玄関の上には鯉のぼりが泳いでいます。5月は大相撲夏場所の季節です。玄関も看板もピカピカです。ポスターを読みます。部屋を興した喜びが伝わって来ます。「六町に相撲部屋がやってきた!!」「放駒部屋部屋開き」「お相撲さんのいる街に変身」「みんなで盛上げよう!!」マワシが干されてい...放駒部屋独立新築!
「タワービュー通り」です。今日は情報たっぷりです。やって来ました。自転車の放列が特徴の相撲部屋です。屋根にスカイツリーが突き抜ける、お馴染みの相撲部屋です。ここは友綱部屋でした。師匠は元関脇旭天鵬です。今は外国人親方が珍しくなくなりました。また、現在の相撲界の隆盛はモンゴル出身力士に負うところが大きいと思います。旭天鵬はそのモンゴル出身力士第1号です。前大島親方が初めてモンゴルから数人の力士をスカウトしてきました。言葉も習慣も違う日本に来た旭天鵬を含む彼らは集団脱走しました。当時の外国は相撲界をよく知らない事もあって、国際問題になりました。そんな彼らを前大島親方は親身になって育てました。旭天鵬が平幕で初優勝したとき、パレードのオープンカーで優勝旗を持ったのは大横綱白鵬でした。モンゴル力士の面倒を見続けた大先輩の...大島部屋の復活!
台東区橋場を走っていました。見覚えのある景色が多くなって、そうだ、あそこはどうなっているのだろう?と思い付きました。見覚えがある体育館風の建物です。カラーリングが変わっていました。エッ!?「立浪部屋」の立派な看板が出ていました!玄関の周りが改築されています。以前は和民家風の玄関でした。えっ〜!立浪部屋といえば若手の期待力士、小結豊昇龍が居る部屋です。以前は都外に在りました。あの後、ここに移転したのですね。名物の相撲部屋名入りの自販機を確認します。名前が替わっています。貴乃花一門が発足したとき、常盤山親方が千賀ノ浦親方と名蹟を交換して、貴乃花一門に参じました。貴乃花親方が引退したときに、千賀ノ浦部屋として弟子を預かりました。その後常盤山と千賀ノ浦は約束通り、5年経ったので名跡を元に戻しました。その直後、板橋に常盤...立浪部屋になっていた。
伊勢ヶ濱部屋に来ました。戦いに臨む前の静けさでしょうか?照ノ富士のファンです。序二段迄落ちて、引退を申し入れても親方に許して貰えず励まされて、大関復帰を目標に努力して、史上初の大復帰したら更に上を目指して努力して、とうとう横綱になりました。帰化に際しては、師匠の名字「杉野森」を貰いました。師弟愛に感動しました。先場所は103年ぶりの新横綱3連覇を達成できないばかりか、怪我の後遺症の膝が思わしくなくて休場しました。心配です。長く横綱を張れるとは思っていません。でももう少し綱を巻いて欲しい。再訪したら、部屋前で稽古していました。よく稽古すると言われている部屋です。席取りの印である白マワシは西前頭12枚目の翠富士です。お互いにゲンコツでマワシの上にボディーブローしています。バンバンと音がします。腹筋を鍛えているのでし...照ノ富士頑張れ!
大相撲夏場所(5月場所)が始まります。そんなタイミングで「押尾川部屋」が完成間近と聞きました。当然見に行きます。やって来たのは東武亀戸線の踏切です。スカイツリーが見える墨田区文化の街です。大きなマンションが工事中です。1階には既に看板が出ていました。工事中で忙しそうです。8日から始まる夏場所に完成を合わせているのでしょう。立派なマンションです。分譲または賃貸物件ですね。師匠は元関脇豪風です。事業家でもあるようです。いや、1階を賃借しているのか?真新しい看板です。木の香りがしそうです。新しく立ち上がる相撲部屋を、こんなタイミングで見るのは初めてです。私、ちょっと興奮しています。こちらから真新しい土俵も見えます。力士は西十両7枚目の矢後以下4人での立ち上げです。ヤゴはトンボの幼虫です。トンボはさがらないことから兜の...夏場所前に押尾川部屋がスタートする!
両国国技館に幟が出ました。2022年夏(5月)場所が始まります。新緑の初夏です。相撲取りが歩いています。自然と気持ちが高揚します。番付順に並ぶ力士の幟です。両国の初夏の風景です。気になっている相撲部屋を訪ねます。2022年大相撲夏(5月)場所が始まる!
やって来ました。ゴールデンウイークの「呑んべ横丁」です。大きなお世話でしょうが、皆さんどうしているのだろう?気になります。営業しています。休業の貼り紙が無くなりました。横丁を行きます。小さな横丁なのですぐに終わりになります。振り返ります。普段の風景です。もう一方の横丁です。横丁を通り抜ける人が居ました。珍しい光景です。普段の風景です。ゴム手袋が、人の存在を教えます。営業再開に際して掃除したのでしょうか?紫陽花の若葉が繁っています。季節が巡って「まん防」が解除されました。東京都は4万円/日の休業補償を出しました。25日営業店は100万円/月の収入になっていました。仕入れ無し、労働無し100万円の状態に馴れてしまってはいけません。さあ!商売再開です!ゴールデンウイークの「呑んべ横丁」
やって来たのは京成立石駅前です。ゴールデンウイークの立石仲見世商店街の様子を見に来ました。・・・普段と変わらないですねえ。アーケードに飾りを付けなくなって久しいです。販売促進費を節約したら客は足を向けないんじゃないかなあ?商店街1番の集客店が閉まっています。えぇぇ〜!?ゴールデンウイーク中休みますか!商店街の中心部です。八百屋と、総菜店が集まった場所です。こちらは洋品店です。こちらも。「衣食住」とはよく言ったものです。ここに「住」は無いけど、それ以外の店は閉まっています。商店街の中心部に戻ります。連絡通路から見る景色です。後ろは、この行列です!表に回ります。商店街2番の集客をする立ち食い寿司屋です。結局のところ、モツ屋が休んでいるだけで、普段と変わらない立石仲見世商店街です。ゴールデンウイークの立石仲見世商店街
庚申塚の交差点です。「お婆ちゃんの原宿」と呼ばれて久しい「巣鴨地蔵通り商店街」の入り口です。閉まっています。看板が外されています。元々目立たない店(と言うのかな?)だったけど、知ってしまうと賑やかな店先(と言うのかな?)でした。知らぬ間に閉店(と言うのかな?)したのだろうか?無ければ無いで寂しい・・・。在りし日の姿です。「巣鴨の母」閉店?
北千住駅東口です。いつも賑わっています。「学園通り商店街」です。初めの交差点を左折します。「学園西通り」「千住旭町商店街」です。こんな場所に銭湯が在ります。商店街に面して立っている「梅の湯」です。銭湯はおめでたい屋号を付けます。「松竹梅」は代表的なめでたいものです。早いもの順なので、老舗の銭湯だと思います。まだ営業前です。入浴料は480円です。「萩夏みかん湯」なんてやるんですね(訪問は4月21日です)。特別入浴料は240円です。足立区は銭湯に対しての補助があって、各種企画を立案します。玄関の左右にコインランドリーが有ります。こんな繁華街なのに、利用客が多いように思います。見上げる脱衣場と湯船の屋根です。前面道路の先にビルが見えます。東京電機大学です。ここには「ビュー坊マンホール」と「はじめの一歩マンホール」が有...北千住駅前に「梅の湯」の在る風景
路地の正面です。「軟式野球資料室」!?入る気は無いけど、ソフトボールのポスターが貼られています(軟式野球じゃないのかよ)。小さく、入場は予約制だって書いています。入る気は無いけど、やって来た路地です。鐘ヶ淵界隈です。音がしたので振り向くと、左に東武スカイツリーラインが走っています。通り抜けられそうなガードが有ります。行ってみます。右の塀に「墨田二丁目」の表示が有りました。潜ると、「玉ノ井遊郭」が在った地域に出られます。住宅街です。潜ったガードを振り返ります。さて、どの路地を行こうか迷っています。「軟式野球資料室」が在る路地
商店街看板が有りました。当然行ってみます。下町によく在る商店街です。ああ、ここは鐘ヶ淵なんですね。商店街を往きます。割烹でしょうか?「小町」の看板が有ります。その隣は「バーバー小野」です。えっ!?2軒で「小野小町」ですねえ!楽しんでいたら、よく知っている景色に出くわしました。東武鐘ヶ淵駅です。なあんだ、ここに出るのかあ。珍しく、「開かずの踏切」は遮断機が降りていません。路地が1本違うと、全く別の街になります。散策の楽しさです。「梅若商栄会」を行ったら、
煙突が見えました。これは銭湯ですね!東日暮里の路地です。荒川区はまだ銭湯が多く残っています。周辺をひと回りしましたが、入り口が有りません。・・・よく見ると、煙突は支柱だけで中身が有りません。廃業した銭湯に行き当たったようです。諦めていたら、銭湯に遭遇しました。数年前に報告した「黄金湯」です。まだ営業していました!嬉しいです。そして、隣りに有ったガチャガチャも、陽に焼かれ色褪せて有りました。中身が有るので現役だと思います。日暮里は古いものが残っている古い街です。廃業した銭湯に行き当たった。
荒川の路地で銭湯に行き当たりました。前面路地は商店街です。営業時間は遅くまでやっています。周囲は住宅街でもあります。商店街で働く人や、勤め人が帰ってきてから利用しているのでしょう。「喜楽湯」と言います。お約束どおり、コインランドリーもあります。大きな銭湯です。横路からも眺めます。大きな湯船です。親子でしょうか?何かを見上げています。大きな湯船に比べると、小さな煙突です。隣のアパートとの隙間に有ります。商店街の交差点でもあり、銭湯は人が集まる場所です。ゴミ置き場を提供しています。何かと便利な立地のようです。いつまでも営業を続けてくださいね。荒川3丁目に「喜楽湯」の在る風景
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今日も猛暑日の東京は人形町です。丁度11時になって、時計台が動きました。景色が白っぽいです。見上げる人も暑そうです。水辺が恋しいですが、隅田川の照り返しが厳しいです。正面は佃島の超高層マンション群です。ちょっと上流から見ると景色が変わります。隅田川に浮かぶ島とは思えません。猛暑日の人形町時計台
交差点の向こうに好い感じの店が在ります。ちょっと左には田中角栄邸が在る目白通りです。「鳳山酒店」です。よく見ると、二階の窓の所にも看板が有ります。「鳳」の文字が無くなっています。店の隣の路地です。その先は坂です。こんな急坂です。自転車で下るのが怖いくらいの坂です。東京には「富士見坂」があちこちに在ります。山坂が多い土地であると同時に、高層ビルなど無かったので、あちこちから富士山が遠望できたのでしょうね。すぐ先の古い家屋の所で坂が二つに分かれています。いわゆる車道と歩道です。今日は左側の石段を行くことにしました。初めて通ります。それにしても凄い蔦屋敷です。自転車を押して坂を下ります。正面に、新宿のドコモビルが見えます。相当の高低差です。坂を下りました。目白台の下の路地です。銭湯がある町です。鳳山酒店と目白富士見坂の風景
この路地は約20年間、私の散策路でした。週に1回は通っていますが、伊勢ヶ濱部屋が在ったらばこその散策路でした。シーサーしか残っていません。ここでは稽古後の相撲取りが屯して居ました。7人も関取が居ました。自動車も有りません。もっとも、今は名古屋場所前なので、普通なら名古屋に行っているのを知っていますが、やっぱり寂しい景色です。看板が有りません。伊勢ヶ濱親方が元横綱照ノ富士に代わって、伊勢ヶ濱親方は、元横綱白鵬が持っていた宮城野親方に代わりました。この家は、もう相撲部屋じゃなくて、杉野森さん(宮城野親方の本名)の自宅なんですね。ところが、親方が丹精して育てていた盆栽も有りません。どうしたんだろう?国技館の掲示板です。もうすぐ名古屋場所が始まります。両国は真夏です。商売に熱心な(成功した)大相撲関係者も居ます。...伊勢ヶ濱部屋の移転
毎日暑い東京です。墨田区を走っていて遭遇しました。立派な蔵を持っています。これは大店です。商店街を初めとする古いものが好きです。質店もその一つです。でも、こんな大きな質店は初めてです。私が知っている質店は、路地裏でしっとりと営んでいたりします。じっくり眺めました。こちらは、いわゆる「質流れ品」を販売するセクションみたいです。ショーウインドウです。硝子が反射してちょと見難いですが、これらはマイセンですね。お宝です。角に看板が有ります。角を曲がっても店です。こちらが質入れ口のようです。見上げる看板は「元禄2年」の創業です。西暦1689年です。これは、老舗だ!300年以上の歴史があります。そして、驚きました。広くて写真1枚に収まりません。良く見ると、大きな蔵が2棟在ります。こちらが住居でしょうか?とんでもない家...緑1丁目の「質フクシマ」
両国橋から隅田川が見えます。水上警察の船が居ました。その先を見ると、沢山の屋形船が川下に向かっています。何だろう?推測します。夏のイベントの準備だと思います。東京の夏と言えば花火大会です。だとしたら、「隅田川花火大会」ではないように思います。あれって、ここ両国より上流で行われるもの。7月の初めであり、隅田川の下流で行われるのであれば、「東京湾花火大会」です。そうに違いありません。そしてこれは、屋形船の「今年の陣割り」、つまり誰がどの位置で係留するかを決める日だったのではないでしょうか?東京の夏祭りが始まっています。はてなblogでは、駄菓子屋のお婆ちゃんTV出演の話です。⇒荒川三歩東京に夏祭りが始まる予兆
羽二重団子にかき氷の幟暖簾が出ました!いつもの席に座ります。愛車が見えます。客は私だけだったのですが、かき氷を食べ始めたら満席及び空席待ちになりました。私は「福の神」・「幸せ配達人」です。今年初めてのかき氷です。掘り進めると、ほんのりと黄色が現れました。「氷ゆず」を食べています。ふと気が付きました。私、ここでは「氷ゆず」しか食べておらず、他の店でも同じものしか食べていません。しかも、夫々別のものを食べているのです。あの店ではこれ、と決めている訳ではないけど、そうなっています。同じ店で食べ比べて、その店の一番美味しいものを決めれば良いのに、と思いました。往来する人々を眺めながら食べます。食べている処を眺められています。薄く小さくスライスしたゆずの皮も入っていて、上品な甘さにちょっと苦味もあって、好みの味です...「羽二重団子」で「かき氷」
南千住は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」への旅立ちの際に、隅田川から上陸した地です。矢印に従って、行きます。現在の「千住大橋」です。「せんじゅこばし」です。この先が「お上がり場」です。大橋の真下です。徳川家康と伊達政宗の工事の痕跡が残っているようです。大橋を抜けた場所が「お上がり場」です。松尾芭蕉だけでなく、大名や将軍家、日光門主等々が、隅田川から上陸した場所です。戻りましょう。・・・こちら側は「千住小橋」の表記になっています。何かの機会に読んだ記憶があります。橋に書かれた土地を含む名称は、その集落への入り口は漢字で、出口はひらがなで表記したそうです。ここが千住への入り口です(他の橋も気にして見ていますが、現在は左右に漢字とひらがなの表記が多いです)。上流側の堤防です。縁の多い場所のようです。現在は高層マンシ...「おくのほそ道」矢立始めの地
上品な茅の輪ではなく、なんかこう「荒ぶる神」らしい茅の輪を見たい、と思いました。思い付いたのが、南千住の「スサノオ(漢字転換ができません)神社」です。太い!根津神社や日枝神社などの3倍はあろうか、という太さです。スサノオ命はヤマタノオロチを退治した神です。武骨な茅の輪です。下町らしい、とも言えます。作法に従って参拝します。・・・ここに来ると、神楽殿が気になります。東日本大地震の時に、神楽殿いっぱいに千羽鶴を吊しました。荒ぶる地震を鎮める祈りの千羽鶴に心を打たれました。今日は「つきなみ祭昇殿参拝」です。神職が頭を垂れて通り過ぎて行きます。猛暑日の午後です。スサノオ神社夏越の大祓
拝殿が工事中の亀戸天神です。夏越の大祓にやって来ました。祀られている菅原道真公には不似合いの荒々しい茅の輪とお思いでしょうが、菅原道真公の先祖は、当麻蹴速を蹴殺して「相撲の神様」になった、野見宿禰なんです。そう言われたら、納得の荒々しい茅の輪です。工事中の拝殿を参拝します。工事の理由です。勉学の神様です。下町の人気神社です。猛暑日です。茹るような暑さです。草いきれがします。濃い緑が暑苦しいです。紫陽花の清々しさが清涼剤です。夏越の大祓「亀戸天神」
ずっと前に、同じ街で瓢箪だらけの家に遭遇しました。登録読者さんに教わったところ、瓢箪作りの名人だったらしいです。あれからこの街に来るたびにそれとなく探していましたが、遭遇しません。突然、遭遇しました。凄いです。色付きです。前に遭遇した家とは違いますが、同じ町内なのでお互いに知っていると思います。同好者と認識しているのか、ライバル視しているのかは分かりませんが、同じ趣味の方だと意識しているのではないでしょうか?これはこれで凄いです。前の人の家に出逢いたいなあ。前の人の記事はこちら。東四つ木の瓢箪の家の2軒目
綺麗だと思いました。いえ、枯れかけたアロエではありません。この苔です。菊坂下の路地に生えていました。見上げると、木造三階建の家です。菊坂に上がると郵便局とレストランです。本郷への急坂へ向かいます。谷底と丘上の街です。梅雨時の菊坂下
ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
例祭日じゃないけど、「花本社」へ行きます。地元出身の松尾芭蕉を祀っています。神となって「松尾芭蕉命」です。「俳聖」と謳われ、「奥の細道」を残し、住居跡が「芭蕉稲荷神社」となって、その近くには「芭蕉庵史跡庭園」や「松尾芭蕉記念館」が在ります。ここでも祀られて当然の人物です。・・・ここです。左右は神社です。この隙間には祠も有りません。どうやってお参りするんだよ!松尾芭蕉命をよ!右側は「合末社」です。立派です。左に「花本社」の立札が見えます。鳥居の上部が欠落しています。こんな謂れがあります。左は朱鳥居を潜ってお参りします。立派です。「永昌五社稲荷神社」です。その間に、鎮座する、祠も無い「花本社」です。...松尾芭蕉命を祀っています。誰かが何とかしませんか?俳句協会とか江東区とか?「花本社」にお参りしたいです。
白い幟が涼やかです。富岡八幡宮の夏詣です。この時期主な神社は何処でも夏詣を行って、茅の輪潜りを催行します。そもそもは、蒸し暑い梅雨時なので、食あたりとかも含めた、疫病避けの行事だったのだと思います。例年以上に暑いです。ちょっと涼を求めたいです。木陰が有りました。「大関力士碑」他、相撲に関する石碑が有る一角です。あそこで休憩します。ここは「勧進相撲発祥の地」と言われており、その縁で相撲関係の石碑が有ります。新しいところでは、「琴欧州」「琴奨菊」「豪栄道」が刻まれて居ます。現役で元大関の「正代」や「御嶽海」、「朝の山」、「高安」らは刻まれていません。「横綱」になる可能性があるから、引退するまでは刻まれません。「ない無い」って言ったの誰?そして「強豪関脇力士碑」です。「力道山」の名前がやけに白くて目立ちます。関...富岡八幡宮の夏詣
帰省中ずっと気になっていました。煙突に輪っかが付いています。見に行きます。輪っかは作業用足場のようです。輪っかが取れた後暫くしたら、知らない間に煙突が低くなっているように思います。クレーンと煙突の姿を眺めます。周囲は工場地帯です。新たな場所からも眺めます。けっこうな存在感が在りますが、煙突はその高さに必要な大きさがあるように思います。ズングリムックリになりました。輪っかが有る煙突の存在感
浅草が外国人にジャックされていました!暫く留守にしていたら
離陸します。蜜柑の島です。すぐに佐田岬です。飛行機は四国山脈を越えます。桂浜です。室戸岬です。太平洋の島です。房総半島です。波が海岸を洗って白波が立っています。九十九里浜です。千葉のベットタウンです。千葉港とロッテマリン(たぶんネーミングライツの名前があると思います)球場です。東京ディズニーリゾートです。左に江戸川です。葛西臨海公園と左に荒川です。ゲートブリッジです。東京のビル群です。これらが見たくていつも右側の席を取ります。羽田です。帰って来ました。東京と田舎と両方ともが自宅です。従って、両方とも「帰って来ました」です。飛行機で帰りました。
いつもちょっと早めの昼食にします。そしていつもこの店です。メニューです。いつもこれです。こんなのも有りました。参考まで。いつも鯛めしと、いつもビールです。ビールは美味しいものを食べる時の大人の作法です。商品説明と食べ方が付いています。要は、卵を軽く溶いて、鯛型の器に乗っている刺身と海藻と大葉を入れて軽く混ぜます。1膳目です。ご飯に卵にひたした刺身と海藻を乗っけます。その上から溶いた卵を掛けます。要は「刺身乗せ卵かけご飯」です。先ずかっ込んで、ビールで「ふう」と息を吐きます。「ああ」の感嘆でも良いです。ひと口ずつお箸で口に運ぶのでなくて、卵かけご飯と同じくかっ込むのが作法です。海賊の食事ですから。そのように食べて酒で流し込みます。しつこいですが、それが作法です。2杯目です。一気に完食しました。ふう~、食った...松山空港「かどや」の鯛めし
松山空港です。故郷は「かんきつ王国」です。名前を覚えられないくらい、或いはいつの間にかできていた新種など沢山の柑橘類があります。・・ずっと以前に、「愛媛県では蛇口からみかんジュースが出る」との地方伝説があって、それならと、実際にここ松山空港に作りました。そしてウケたので、それならと改良して、その後これも。ホストクラブなんかでよくやる「シャンパンタワー」ならぬ「みかんジュースタワー」です。やっぱり愛媛では蛇口からみかんジュースです。今も有りますアレ。私もできた時は嬉しくて飲みました。写真を撮っています。その気持ち分かります。最初皆んな撮っていたもの。「蛇口からみかんジュース」です。コップ1杯400円(高くなったね)です。お金を払ったら紙コップをくれて、自分で蛇口を捻ってジュースを出して飲みます。ちょっとした...蛇口からみかんジュース
帰郷してからうどんばっかり食べています。何処で食べても美味しいですが、私の好みはここです。ちなみに、故郷で蕎麦は食べません。そして、東京でうどんは食べません。メニューです。兎に角安いです。入ります。今日は「冷やし肉おろしぶっかけ」に、オクラとカボチャの天ぷらのトッピングです。生姜とネギを取り放題入れます。すりゴマを沢山まぶして頂きます。美味い!丼ものもありますが、うどん以外食べたことありません。旧国道沿いの繁盛店です。讃岐うどん/つるベえー
四国で暮らしているといつもお遍路さんを見掛けます。歩き遍路が目に付きますが、目に付かない多くの人はツアー遍路です。やって来たのは西条市の香園寺です。うどんを食べに来たついでにやって来ました。初めて来るお寺です。お寺らしくない造りです。まだ四国八十八ヶ所巡りをしたことがありません。・・・この歳だし、東京在住だし、もうしないと思います。18歳で生家を出たっきりの人生だったので、四国八十八箇所巡りの機会がありませんでした。年を取ったら行くのが億劫です。2階に上がります。ここ香園寺は、本堂の弘法太子像が有名らしいです。なるほど・・・。立派です。弘法大師像は右なんですが、お遍路さんが一心不乱に読経していたので、ここからお参りしました。隣に、お寺らしいお寺を建設中でした。貸切バスが来ました。ガイドが先頭に立って、沢山...四国霊場61番札所香園寺
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山