今日も猛暑日の東京は人形町です。丁度11時になって、時計台が動きました。景色が白っぽいです。見上げる人も暑そうです。水辺が恋しいですが、隅田川の照り返しが厳しいです。正面は佃島の超高層マンション群です。ちょっと上流から見ると景色が変わります。隅田川に浮かぶ島とは思えません。猛暑日の人形町時計台
猫舌なので、いつも早めにお茶を貰います。食べ終わったら、私にとって適温となった温めのお茶を飲む為です。湯呑みを持つときにも注意が必要です。「猫手」なんです。熱いのが持てません。例えば、冬の自販機の缶が熱くて持てません。思うに、舌を焼くような熱い湯を飲まないようセンサーとして、猫手になっていると考えています。身を護るDNAの作用だと思います。蕎麦屋でこんなことを考えています。私、「猫手」なんです。
ゲートブリッジが見える会場です。オリ・パラでカヌーとボートの会場になった「海の森水上競技場」再開業イベントです。東京都はオリ・パラのレガシーを活用すべく、ゴールデンウイークの初日に再開業イベントを実施しました。今後は一般にカヌー・ボートの練習やイベント等に活用する計画です。生憎の天気で、急遽ステージにテントが張られました。我々カヌークラブにも、カヌー体験のインストラクター及び再開業イベントの賑わかしの要請がありました。先ず、トークショーです。出演者は、パラカヌー日本代表瀬立モニカ、オリンピックボート代表富田千愛、プロフィギアスケーター村上佳菜子、仮面女子猪狩ともか、安田サーカス団長安田です。撮影会もありました。その後、なんと、「仮面女子」のミニコンサートです!なるほど、仮面です。アイドルのコンサートなんて、オヤ...「海の森水上競技場」再開業イベント
信号待ちでふと見ると、コンビニが閉店していました。何か書いてあります。えっ~!?まだ2年先ですよ。それまでこの角地を放って置くのかい?つなぎに何かやれば良いじゃないか。勿体ないと思うし、、、ホントにオープンする気あるのかなあ・・・?もう2024年春のオープンが決まっている不思議?
谷中「へび道」の女優が経営している店です。スエーデン小物を扱っています。休み休み、のんびりと営業しています。時には、2週間スエーデンに仕入れに行って休んだりしています。谷中は猫の街です。流石は女優です。猫を扱ってもセンス良い、といつも見てます。女優のセンスを評価する私は大それた奴ではあります。こんな貼り紙が有りました。移転の案内です。千駄木駅の傍なら近くです。また覗きに行けます。でも、また買わないと思います。我が家にそんなセンスは似合いません。「SWEDENGRACE」が移転した
新緑が鮮やかな岡倉天心記念公園です。岡倉天心像堂が緑に染まります。好い季節です。普段は人が居ないのに、今日は爽やかな空気感に誘われたのでしょうか?人が居ます。木漏れ陽の下に青年が一人。滑り台横にカップルが一組。多く陽が当たる塀際に工事関係者が一人。ブランコには誰も居ません。中央部の木漏れ陽が疎らです。見上げます。桜の季節前に剪定しちゃいました。こちらも疎らです。こちらも剪定しちゃいました。このせいで、今年はここの桜を観ていません。でも好きな場所です。木漏れ陽の下で、いつもより永く眺めています。岡倉天心記念公園の新緑と木漏れ陽
亀戸天神の太鼓橋を渡る人々です。復活した屋台の列です。藤を観賞します。良い薫りに包まれて巡ります。平日のお昼時です。コロナ禍を忘れたような人出です。お腹が空きました。車庫迄並んでいます。夏日の陽射しを避けています。藤を観に来ている訳ではありません。名店「船橋屋」のお昼時です。コロナ禍を忘れた風景です。連休明けが心配です。亀戸天神藤まつり/コロナ禍を忘れて
東武亀戸線を越えると商店街です。亀五商店街です。5月になると中空に沢山のこいのぼりが泳ぎます。平日の昼前なので客は少ないですが、今の時期は「亀戸天神藤まつり」の商戦真っ盛りです。そして、やって来たら人が一杯です!亀戸天神に久しぶりの人出と屋台です。藤まつりです。東京の気温が急激に上がって夏日です。藤はもう終盤ですが、遅咲きが満開です。藤を観た後お参りする善男善女の列です。私は並びません。善男じゃないです。藤を観賞します。2022年の藤まつりです。境内にある割烹「若福」も混んでいます。お昼時です。境内のここでも。普段の祭りの姿が復活です。亀戸天神藤まつり/2022年
荒川区の尾竹橋通りです。向こうが町屋です。この道を行くと都電荒川線町屋停留場に出ます。すぐ近くには「町屋の一本松」が有ります。工事中の尾竹橋通りを行くと、隅田川に架かる尾竹橋です。越えると足立区です。いわゆる下町です。この近所の出身なのですね。風貌から東京の都会っ子だと思っていました。左の路地を行ってみます。振り返るゴールドポストです。すぐに「キャメル鉛筆」です。既報のとおり隅田川の水運を利用して木材加工業が栄えた町です。ゴールドポストの半径2Kmだけでも、7〜8軒の鉛筆工場が在ります。現役の鉛筆工場は既報のとおりです。ゴールドポストからすぐに尾竹橋が在ります。尾竹橋から見る景色です。左が「帝京科学大学千住キャンパス」です。右の鉄柱を含めた場所が「東京電力北千住変電所」です。その間に、伝説の「お化け煙突」が在り...記念ゴールドポスト/鈴木誠也選手
信号待ちをしていたら巡回バスがウインカーを出して右折の体制です。ぼんやり見ていたら、前タイヤの直後にもウインカーが有って、小さなミッキーマークが光るんですね!桜が終わって、春休みが終わって、ゴールデンウイークが始まらない平日です。ちょっとモヤッた春の海です。都心のビル群が霞んでいます。ゲートブリッジも霞んでいます。やって来ました。サイクリングロードです。いつものように見るトイ・ストーリーホテルが完成しています。モノレールが来ました。足元は春の景色です。スプラッシュマウンテンを眺めます。モノレールがやって来ました。何分おきに走るのか分かりませんが、私には時間がたっぷりあります。・・・噴火しないですねえ。こんな散策です。東京ディズニーリゾート外周の春景
入園ゲートです。この時期の入園者は疎らです。当日券は制限なしでネット販売しています。入園ゲート前のディズニーホテルです。温かい天気なので、この空いている時期は狙い目ではないかと思いながら眺めています。それでもボチボチやって来ます。ゴールデンウイーク前の東京ディズニーランド
通行人を敵に見立てて、スナイパーごっこだろうか?後ろから狙われているのも知らずに、フッフッフッ。仲良し3人組
久しぶりに坂道の喫茶店にやって来ました。左下のマンホールがヒマワリみたいです。前の家を見ると、やったね!家の前一杯の落書きです。楽しいです!こういったチョークの落書きは、下町の路地でごく僅かに見ますが、池之端で見たのは初めてです。好いねえ!さて、いつも気になっている喫茶店を見ます。私は、一人で喫茶店に入れません。居酒屋だったら大丈夫なのですが・・・。元々コーヒーアレルギーなのでが、ここのような紅茶専門店に入ってみたいのです。でも、素面で一人では緊張してしまいます。人見知りです。おや?!「コロナ禍につき暫くの間の入店は一人のみ」と書いているではありませんか!それだったら、一人で黙ってカウンターに座って居ても、居心地は悪くないように思います。でも、常連さんばかりで会話が盛り上がっていたら居心地は悪いよね、なんて考え...落書きと池之端の喫茶店
今年は開花が早いです。もう見頃になりました。突然ですが、去年より100円値上げしました。でも、入る価値はあります。アヤメとつつじです。ここは早咲きと遅咲きが有って、長い期間楽しめるように作っていますが、もうどこも満開です。某全国紙のカメラマンが仕事中です。沢山撮ったので沢山載せます。つつじ祭りです!今年も2周しました。根津神社つつじ祭り/2022年
千住の大黒湯が廃業してから唐破風の玄関を撤去して、暫くなんにもしないで工事用シートに包まれたままでした。気になるので散策ルートを変えずに覗いていたら、ショベルカーが動く現場に遭遇しました。何も言えません。言う権利がありません。見つめるだけです。あの猿が登っている煙突も今日限りで無くなります。「ぬ板」「わ板」が有った銭湯でした。銭湯は残して欲しい日本の文化ですが、また一つ銭湯が消えます。在りし日の大黒屋はこちら。大黒湯解体工事に出遭う。
春の陽射しの下のアパートです。塗装工事を行って明るくなりました。好みの色です。「ウクライナ色」だなあと眺めています。玄関を確認します。踏切から線路を歩いて、ここです。ここ以外に行く道は有りません。都電が往きます。今日は自転車が停まっています。踏切から線路を歩いてあそこに自転車を置いて、ちょっと戻ってあそこの門から家に入ります。都電が往きます。あ、アパートのカラーリングと似ているなあ!そうだ!良いことを思い付きました。都電とアパートを見ます。これから何両も見ることになりました。・・・やっと来ましたウクライナ色の都電です。「頑張れウクライナ!!」・・・小一時間待ちました。思い付いたらすぐに現れて欲しいです。ここの玄関まではこう行く。出入り口は都電線路脇の家はウクライナ色/2022年春
「あらかわ遊園」の正門前の路地です。煉瓦塀が続いています。良く見ると、上下の煉瓦の積み方が異なっています。下の煉瓦が元から有った物です。すぐ隣は隅田川です。昔は、「暴れ川」とか「荒川」とか呼ばれていました。そこに住居を建てるときに嵩上げしたのだと思います。同じような煉瓦塀が続きます。ここは何か、カラー煉瓦でも有ったのでしょうか?電車のレリーフかも知れません。長い煉瓦塀が角に来ました。曲がります。まだまだ続く煉瓦塀です。西洋の城砦みたいです。新築住宅です。ここだけ煉瓦塀を取っ払って、こちら側を玄関にしました。治水工事のお陰で嵩上げする必要も無くなりました。煉瓦塀を追います。門です。説明板の向こうに続く煉瓦塀の先は隅田川の土手です。門の中から見ます。この先が隅田川土手です。こちらがやって来た方角です。煉瓦の積み方は...街に続く煉瓦塀
コロナ禍の影響で延びに延びた「あらかわ遊園」が、3年半ぶりでやっと再オープンしました。今日21日が再オープン初日です。今日は隅田川土手から覗きに来ました。観覧車が廻ります。園内が丸見えです。実は私、営業中の「あらかわ遊園」を見るのは初めてかも知れません。興味ありませんでした。こんな風に外からも楽しめる遊園地なんですね。再オープン初日は曇り空です。観覧車の前をモノレールが行きます。よく分からないけど、足で漕ぐんですね。柵から覗くメリーゴーランドです。モノレールが次々に通って行きます。初日で、事前予約だったのに、随分空いています。ワンコが身を乗り出して動きません。荒川土手の遊歩道です。カンガルーです。動物も居るんですね。隣はカピバラです。見学者が少ないですねえ・・・SLが来ました。ピカピカの新品です!何とかトレイン...のんびりと「あらかわ遊園」再オープン
東京の人は釣りが好きです。海でも川でも、日がな一日竿を扱っています。街には釣り堀が有ります。そして、こんな公園でも竿を伸ばしています。別に釣れなくても良いんです。一日のんびりできれば良いんです。釣れても、ここを縄張りにしているアオサギにくれてやります。屋根に、アオサギが留まっています。縄張りです。じっと動かなくて、お城の飾り物みたいです。白鷺城みたいだな。青鷺城か。屋根の下の家臣が釣るのを待っている雰囲気です。視線の先を見ました。ここにも家臣が居ました。・・・のんびり感が漂います。これも東京の春景です。アオサギの城
看板の色が濃くなったように思います。デザインもちょっと変ったような・・・?久しぶりに行ってみます。気になっている店を見ながら往きます。「仮面屋おもて」です。TV番組「激レアさんを連れてきた」で紹介されましたが、客が入っているのを見たことがありません。但し、通販を利用した客が世界中に居て、けっこう儲かっているらしいです。中央の男性は店主の顔で、左右のは、この顔の女性から買った顔だと言っていました。多分、肖像権を取得した、という事だと思います。建物が無くなってスカイツリーが良く見えます。工事中なので、今だけの風景です。寂れそうで、新規商店が現れる商店街です。〈以前の同じ場所に有った看板〉なるほど、看板だけでなく街灯の形状も変わって、時計が無くなったのですね。商店街を往きます。この商店街といえば、やっぱり「ハト屋のパ...「下町人情キラキラ橘商店街」の看板が変った
千住桜木町を走っていました。アパートでしょうか?民家のようでもあります。通り過ぎる処でした。塀に、・・・自転車が乗っていました。ちゃんと鍵も掛けています。かろうじてタイヤが乗るような、この狭い塀の上です。地上に停める場所くらい有りそうなものですが?この上に担ぎ上げるのも大変だろうに・・・?おや!?植木鉢も、台車と椅子も乗っかっているし、ここが物置だろうか?まあ、器用に、、、ネコじゃあるまいに。この自転車ネコじゃあるまいに、
昨日は阪神タイガースの記事だったので、今日は横浜ベイスターズ関連の紹介です。突然ゴールドポストに出遭いました。週に1度は通る場所なのに気づきませんでした。最近の設置かと思います。東京2020オリンピックで金メダルを取った選手のゆかりの場所に設置しているものです。対象者は、野球の山崎康晃選手です。東京都荒川区出身だったのですね。横浜ベイスターズの守護神です(今は三嶋だけど、)。ポストの前景です。ポストなので、人々が利用しやすい場所に設置しています。ここなら人の利用が多くて最適です。JR西日暮里駅の正面に設置されています。ベイスターズファンの方、見に来て、そして投函してください。山崎康晃選手の故郷の消印が押されますよ!記念ゴールドポスト/山崎康晃選手
散策をしていたら、三島神社に行き当たりました。随分久しぶりです。新緑の三島神社です。訪問します。新緑と緑青の屋根とで景色が緑です。三島神社と言えば「雷井戸」です。新しくなったように思います。拝殿へ行きます。説明板です。「凡そ670年前(昭和29年の記載ですので、もう、凡そ740年前ですね)愛媛県の日本総鎮守『大山祇神社』を勧進した」ことが書かれています。30数年前に東京に出てきた時に、有名な雷井戸を観たくて訪問しました。その時にこれを読んで心強く思ったものです。見上げる新緑です。この脇路は、樋口一葉が「たけくらべ」で書いた、吉原へ行く路です。静かに佇んでいます。新緑の三島神社
開幕前の予想に反して阪神タイガースが苦しんでいます。そんな折、先日の夕刊紙に掲載された記事を思い出しました。新聞屋が配布している廃棄袋から引っ張り出したので皺が寄っていますが、紹介します。以前から気になっていた、タイガースファンがスタンドで掲げている「春の大山打つんだ!」プラカードの謎が解けると共に、そのルーツである当時小学5年生(今は中学2年生)が書いた詩を読んで感動しています。サンテレビ(阪神タイガースの全試合を、試合開始から終了まで放送している関西地区のUHFチャンネル。私も見ていました)を見る事を日課にしている少年が、「春」を題材にした詩を書く授業で作った作品です。2番も有ります。絵も楽しんで下さい。5年生になっても詩に絵を添える少年と、それを咎めない先生にも拍手です。そうだね、まだ春だ。今年も始まった...「春の大山打つんだ!」
新宿区の南榎町の丘の上です。こんな説明板に遭遇しました。通り過ぎて引き返しました。こんな場所です。泉鏡花の墓は端正です。泉鏡花旧居跡に遭遇した。
葛西臨海公園の干潟から東京ディズニーリゾートのホテル群が見えます。あの防波堤に行こうとしています。振り向く干潟に足跡は見えません。細かい砂が固く締まっています。波の跡です。小さな波を起こしながら、少しずつ少しずつ引いていきました。干潟の景色を楽しみながら歩きます。ヘリコプターが飛びます。防波堤に上がりました。都心のビル群が近く見えます。春の気象のせいでしょうか?隣は野鳥保護区です。その向こうに東京ディズニーリゾートのホテル群です。防波堤から眺める春の景色です。カメラマンが沢山居ます。保護区の野鳥の撮影だと思います。野鳥ものんびりしています。こうして体験すると、「ラムサラール条約登録湿地」の値打ちがありますね。癒されました。葛西臨海公園の防波堤から、
春の海を見たくてやって来たら干上がっていました。滅多に無い大潮の昼間の干潮です。運がいい。ゲートブリッジが霞む春の海です。都心のビル群も霞みます。少しの人が干潟に出ています。私もスニーカーで入ってみます。砂が細かいので固く締まっていて、水の中を行かない限り濡れません。左右を眺めながら沖へ行きます。振り返る岸です。水温む春です。北を見ると、ディズニーランドホテルです。あの防波堤まで行ってみます。振り返る春の風景です。この話、続きます。葛西臨海公園の干潟
玄関の唐破風屋根の解体現場に遭遇してから、散策ルートを替えようと思っていましたが、やっぱり気になります。・・・こんなになっていました。屋根のてっぺんしか見えません。春の光の中を、人々は無関心に通り過ぎます。かろうじて看板が見えます。例によって裏へ行きます。あ、煙突がまだ残っています!見上げます。梯子を登る猿も居ます。いつまで煙突を見られるのだろうか?千住の路地に春の陽射しが注ぎます。白い工場シートが無ければ、いつもと変わらない景色なんです。千住大黒湯の解体
<太陽鉛筆>町屋を東西に走る沿道前です。「太陽鉛筆」です。ここでは制作はしていません。1階に事務所が在ります。見上げます。需要の減退で衰退した鉛筆工場は、その立地によって進路が別れました。廃業して駐車場になったもの、廃業して自宅を建てて別の職業に就いたもの、マンション経営に転業したもの、等々です。ここ太陽鉛筆は、その立地を生かしてマンション経営を兼業しています。こういう時に立地の有利不利が出ますね。<桐野鉛筆>春の日差しの路地です。鉛筆の絵の看板です。工場は奥まった突き当りです。データが無いので詳細は不明です。<篠崎鉛筆製作所>路地の突き当りに真っ青な工場です。大きな工場です。鉛筆の匂いはしますが、いつも静かです。空も工場も真っ青です。工場の向こうは隅田川です。対岸は足立区です。茶色で一部が丸い、平成帝京大学が...現役の鉛筆工場を巡る−3
<金子鉛筆>明るい自販機が目印です。厳しい業界ですが、この明るさに救われます。頑張っているんだなあ、と安心します。工場に看板が見当たりません。自販機が看板代わりでしょうか?ここ金子鉛筆は、三菱鉛筆のライセンス制作をしているらしいです。私の、下町散策時の水分補給場所でもあります。<市川鉛筆製作所>ここも町屋に在ります。立派な工場です。鉛筆の好い匂いがします。見上げます。ダクトが屋根の上迄伸びています。鉛筆を作る過程で発生する木屑をろ過して、空気を屋外に排出しているのだと思います。今日も静かに操業しています。現役の鉛筆工場を巡る−2
荒川区は隅田川の水運を利用した材木加工業が栄えました。鉛筆工場もその一つです。沢山の工場が廃業しました。現役の鉛筆工場を巡ります。<中野鉛筆加工所>東尾久の路地です。近づくと鉛筆の好い匂いがします。こんな路地に在ります。すぐ傍に銭湯が在ります。一度休業して再開した「大門湯」です。古い産業が残っている街です。<前田鉛筆製作所>この雰囲気が好きです。2棟で作業をしています。2階は、かつての従業員寮ではないでしょうか?<キャメル鉛筆>町屋の路地です。私、小学生の時に「ラクダマーク」の鉛筆を使ったことがあります。ここで作っていたのですね。ここは倉庫です。工場は足立区に移転したそうです。近くに「コーリン鉛筆」も在ったそうです。三角柱の鉛筆でした。こちらも使ったことがあります。転がり落ちにくいけど、角が指に食い込んで、使い...現役の鉛筆工場を巡る−1
遅咲きの桜の路地に春の光が注ぎます。都電の路地です。左の信号に都電が覗いています。スマホのシャッタータイミングは難しいです。光の中を都電が来ます。光の中を都電が行きます。都電の踏切を左右に行き来しながらの散策です。綺麗だなあ、と思います。・・・花の名前は知りません。下町の都電と春景
春の陽射しが注ぐ都電庚申塚停留場です。まだ電車が来る時間に早いのか、乗客は2人です。早稲田行きを見送ります。茶屋にも客は居ません。急に乗客が増えました。電車が来る時間なのですね。三ノ輪橋行きが来ました。春の光の中です。下車したのは彼女だけです。都電が行きます。さて、おはぎは苦手です。抹茶アイスに興味があります。都電庚申塚停留場の春
訪問の目印の桜です。今年も咲きました。池之端の路地です。この建物の裏です。池之端の井戸です。季節の変わり目にやって来ました。ちょっとアロエが元気になって、緑が濃くなったようです。でも、「春が来た!」との景色ではありません。この路地らしい風景です。今日も好いです。この佇まいが好きです。反対側からも眺めます。ああ、ポンプの後ろの鉢植えに花が咲いています。・・・池之端の井戸です。春なのに、季節感が無い池之端の井戸
見事な桜に惹かれて足を踏み入れました。この時期ここ宗林寺に足を止めたことはありません。こんな説明板が有りました。この鐘です。桜と鐘を眺めます。・・・そもそも、この寺は萩を咲かせる寺です。この石碑が見えないくらいに萩を植えていました。「萩寺」を名乗っており、見事な萩で有名でしたが・・・、でも、石碑の前の萩も切断されています。こちらの木も切られています。あんなに沢山あったのに、全く萩の木が見当たりません。どうしたんだろう・・・?<萩寺>だった時の風景今はこの「はぎ寺」の石柱が無くなっているので、萩寺を辞めたのだと思います。始める人が居れば、辞める人が居る。人生色々です。谷中宗林寺は「萩寺」を辞めた?
先週の話です。あれっ!?先ず思うのは、「ここに何が在ったっけ?」です。胡蝶蘭が沢山並ぶ景色は壮観です。こんなに沢山見たのは、銀座のクラブのチイママの誕生日以来です。カレー屋さんのようです。「ねづくりや」って、「根津厨」の意味でしょうか?3月末にオープンしたみたいです。根津の路地には珍しい大きな店舗です。大きいけど、一人でも入り易そうな店です。こうして街が変わります。「ねづくりや」オープン
やって来ました。春の「矢切の渡し」です。柳が芽吹きました。チューリップなんか植えたのですね。春らしいです。桟橋は相変わらず水没しそうです。先端はとっくに水没しています。旗が出ている時は営業中です。この旗を見ると、いつもTVドラマの「ドクター・コトー」の旗を連想してしまいます。渡し舟が松戸矢切からやって来ました。たった一人の乗客です。船を降りました。船頭が呼びます。「乗る人は居ませんか~」江戸川に長閑な風景が戻って来ました。「矢切の渡し」の春/2022年
江戸川の対岸土手が真っ黄色です。菜の花が今や盛りです。対岸は千葉県松戸市です。釣り人が居ます。水温む長閑な春が来ました。金町浄水場の取水施設です。通称、三角屋根の向こうにも菜の花の群生が続いています。三角屋根の下の釣り人と丸屋根です。花曇りの空です。丸屋根と菜の花です。振り返る三角屋根です。声がして振り向いて見上げると、土手の上に満開の桜です!柴又江戸川の春景です。柴又江戸川の春/2022年
水元公園の桜堤です。八代将軍吉宗の命で造った堤に桜を植えました。凡そ3,5Kmの桜土手です。東京では各所で徳川吉宗の名前に行き当たります。暴れてばかりの将軍(ドラマ「暴れん坊将軍」のイメージが強いです)ではなかったようです。桜土手は、今でも主要な道路として、遊歩道として庶民の役に立っています。さて、桜満開の遊歩道を往きます。お地蔵さんが有りました。お地蔵さんにも春がやって来ました。花曇りの散策は続きます。五代将軍吉宗造、春爛漫の桜堤です。水元公園桜堤(桜土手)の桜満開/2022年
レンギョウが咲いています。水辺の遊歩道を往きます。犬の散歩とすれ違います。水辺は寒いのか、季節の巡りが遅いです。ヤマザクラでしょうか?季節の変わり目風景です。こんな端境期が好きです。季節の変わり目を往きます。そして、例の桜です!今年も美しく咲きました。今年もこの桜を観にやって来ました。水辺に春が来ました。水元公園花咲く水辺の遊歩道/2022年
水元公園の大きな小合溜は釣り人の人気スポットです。彼の獲物は鮒です。対岸の桜を楽しみながらの釣りです。園内は案外桜が少ないです。少ない桜の下に寄り合います。ピクニック日和です。メタセコイアの森はまだ裸木です。小さな芽を付けた状態です。見上げるモノクロの空です。でも、気温はピクニック日和です。中央広場の桜に集まっています。広場は清々しい気持ちになります。一家団らんの花見です。黃水仙が一群咲いています。水元公園の春です。水元公園の春/2022年
清水観音堂の舞台で「月の松」を観てお参りします。ここでは、プライバシーを守るために、絵馬に書かれた願い事を桜形の覆いを掛けています。そうか、この時期だったのですね。こんな説明板が有りました。しだれ桜が盛りです。「井戸ばたの桜あぶなし酒の酔」十三歳のお秋の句です。さて、改めて、月の松を見上げます。平成24年の復元です。清水観音堂の花祭りと秋色桜
前回、桜並木から見上げました。今回は間近で観ようとやって来ました。自転車を停めて、裏口から入ります。階段を上がります。そこは舞台でした。東京の清水の舞台です。初めての訪問です。「清水の舞台」の前に配された月の松です。月の松は明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていたものを、平成24年に復元されたそうです。でも、ちょっと形が違う様に思います。歌川広重も描いた松です。これって、輪の中に青い屋根の弁財天を入れて覗くのが作法なのかな?ええと、あの枝がこうなって、ああなって、、分かりません。不忍池を琵琶湖に見立てているそうです。琵琶湖の竹生島から弁財天を勧請して、不忍池弁財天を建立している、とのことです。花曇りの上野です。<参考文献>『名所江戸百景上野清水堂不忍ノ池』/歌川広重"data-medium-file=...上野寛永寺・清水観音堂の「月の松」
上野の不忍池はお山の桜並木と並ぶ花見の名所ですが、水辺にあるのが特徴です。他所と違った花見の楽しみ方ができます。先ずは、この景色です。まだ残った冬枯れの蓮の茶色と桜のピンクと弁天堂の緑の屋根を楽しめます。更に、この時期芽吹く柳の新緑です。そして、池から観る桜と、ボートを桜の背景として観る楽しさです。池中央の遊歩道は賑わっています。左右の池が楽しめます。沢山のボートが出ています。桜を楽しむボートを遊歩道から楽しみます。新緑です。桜と弁天堂の風景も。東京の春です。不忍池の桜/2022年
花曇りの下を行く都電の向こうの桜は、東京の観桜の名所飛鳥山です。一山丸々桜です。八代将軍吉宗が、幕府に対する庶民の不満を発散させる為に造った、花見の場所です。平日なのに、この混雑です。駐輪場がママチャリで一杯です。平日の午後です。桜の下は母親と子供の花見です。屋台も出ています。人出が多すぎるので興味の先を転向します。後日、桜の終盤の人出が落ち着いた頃に、名残りの桜を眺めに来ます。飛鳥山といえば、渋沢栄一が住んだ場所でもあります。旧渋沢邸です。こちらが晩香廬です。大河ドラマにも登場した、グラント将軍を接待した館です。栄一の喜寿を祝って、清水建設からプレゼントされた館です。誕生日祝のスケールが違います。若い時の渋沢栄一です。壮年の渋沢栄一です。渋沢史料館です。そして、老年の渋沢栄一です。山の下は都電の線路です。沢山...飛鳥山の桜/2022年
旧中山道の板橋宿は江戸出る最初の宿でした。江戸に入る最後の宿でもありました。ここで旅装を整えて江戸に入りました。向こうに黄土色の橋が見えます。石神井川に架かる「板の橋」です。「板橋」の地名の由来です。勿論、現在は、板を模したコンクリート製です。石神井川に桜が満開です。上流の景色を観て、ここから下って行きます。あの、最初の橋から振り返ります。「板橋」です。下って行きます。両岸が遊歩道になっています。左右を行き来しながら下ります。桜は散り始めています。花の命は、あっという間ですね。コロナ禍でなかったら、大々的にお花見宴会をしていて、自転車はひんしゅく者だったと思います。花いかだが始まっています。ああ、立派な(?)花いかだです。美しいけど切ない景色です。途中に幾つか在る公園の一つです。この一番大きな公園は、水辺に降り...石神井川の桜/2022年
スカイツリーを桜越しに見上げる墨田公園は、昔からの花見の名所です。「ミズマチ」に近い場所が整備され、ミズマチとの一体感を造っています。花曇りの先週の土曜日です。賑わっています。子供と遊ぶ「おしなりくん」です。押上地区の「おし」と、地域ゆかりの歌人在原業平の「なり」を掛けた命名です。墨田区の公認キャラクターです。・・・ということは、墨田区主催の祭りでしょうか?ひときわ密な場所が有ります。心弾む音楽で盛り上がっています。私は通り過ぎますが・・・春だなあ!・・・コロナ第7派が来そうだなあ。政府は経済を回してコロナと共存の方針です。大丈夫かなあ?心配です。墨田公園の春
東京の花見の名所、墨堤の桜です。隅田川の堤なのに、何故か「墨堤」と言います。「墨田区」とも書きます。隅田川は、「墨田川」だった時代が有るのですかね?さて、桜を楽しみます。振り向きながら墨堤を往きます。沢山の船がやって来ています。桜と隅田川を観ながら往きます。ユキヤナギの向こうに「桜カラー」の屋形船を観ます。花見用に塗り替えたのでしょうね。そもそも3年前、コロナウイルス感染の始まりは屋形船からでした。屋形船が運行できない日々が永く続きました。やっと今年の桜の季節に「まん防」解禁です。船主の喜びが伝わります。TVクルーも出ています。ニュース用の撮影でしょうね。墨堤を往きます。あ、展望デッキを備えたホタルナが来ました。展望デッキに一杯の人です。桜を見上げています。もう1隻、こちらの船も手を振りながらやって来ました。勢...隅田川の桜/2022年
久しぶりに訪ねました。おや!?ミロンガに行列ができています。初めて見る風景です。通り抜けます。ミロンガです。この路地を訪ねると、いつもセピア色した学生時代の思い出が甦ります。今日も思い出に触れたくて・・・。さぼうるとラドリオとミロンガと/2022年春
わあ!凄い!!川越街道と山手通りの交差点に在る熊野神社です。鯉のぼりが泳ぐ境内の桜が満開です!只々見上げます。お参りします。2度めの訪問です。前回は鯉のぼりに圧倒されたのですが、春はこうなる、のですね。お参りを早々にして、やっぱり見上げます!熊野神社の桜/2022年
陽光輝く「目白の森」です。目白は高級住宅街ですが、自然というか、草木が沢山残された地域です。しかも樹木が大きいです。昔から、屋敷を造る時に、そういう思想だった街だと思います。山吹が満開です。大きな桜が満開です。近くの「目白庭園」よりは小さい公園ですが、一巡りして短時間過ごすには最適です。桜の下の「トンボ池」には花びらが散り始めています。園内はよく手入れされています。戻ります。トンボ池の杭に、小さな猛禽がやって来ました。拡大して見ましたが、「ツミ」でしょうか?目白の自然の豊かさの象徴のような風景です。なるほど、皆さん住みたがるわけです。「目白の森」の春
百周年を過ぎました。今年も咲きました。フランク・ロイド・ライトの設計です。プレーリースタイル(草原様式)というライトの第1期黄金期の作風です。この満開の景色を観るのが最近の年間行事になりました。今年は2度めの訪問で満開の景色が観られました。そして、ホールの窓越しに観る桜です。これを楽しみに春を待っています。自由学園明日館の桜/2022年
花曇りの公園で遊ぶ親子です。「トキワ荘公園」です。ここは元「花咲公園」でした。数年前に豊島区がここに「トキワ荘」を再現した時に名前が替わりました。満開の桜の向こうが再現された「トキワ荘」です。「トキワ荘」を眺めます。昭和の風景を再現しています。今日は入館しません。桜を観に来ました。公園が変ったのに合わせて、店が変わりました。こちら側にもドアを造りました。以前は、写真屋だか時計屋だったと思います。公園の隅に有る記念碑です。背後には説明版と「ゆかりの地地図」が有ります。街を散策します。「鉄腕アトム」と背後に大きな「うまい棒」です。令和4年11月にオープン予定の「昭和レトロ館」です。そして、トキワ荘の住人がお世話になった「中華料理松葉」が現役です。トキワ荘の内部はこちら。「トキワ荘の青春」です。「トキワ荘」の桜/2022年
この春2度めの訪問で、満開の桜に出逢えました。桜を青空で観てこその「春」だと思っています。この時期は「花雲り」の季節で、天気が不安定です。雲の動きを気にしながらの観桜です。佐伯祐三氏がアトリエから見送ってくれます。今度は初夏にやって来ますね。佐伯祐三アトリエ記念館の桜/2022年
展示場を出ました。森鷗外記念館の大観音通り側から眺めます。この通りに面した光源寺に大きな観音像があることからの名前だと思います。団子坂です。鷗外だけでなく、多くの文人が通った路です。夏目漱石の書いた三四郎も歩きました。庭に戻って三人冗語の銀杏と石を観ます。さて、根津神社の西参道にやって来ました。透かし塀と乙女稲荷の西参道です。久しぶりに観ます。水飲み場です。この土台が、森鷗外記念館展示の写真で鷗外と一緒に写っていました。日露戦争従軍記念戦利品砲弾の台座です。この凹んだ場所にスッポリと、椎の実状の砲弾を立てた写真を見ました。後年台座を転用したものです。当時、戦勝記念として、ロシアの砲弾を持って帰って飾るのが流行ったのでしょうか?素盞嗚神社でも見たように思います。後ろを見ます。「戦利品砲弾奉納陸軍々医監森林太郎陸軍...森鷗外が残した記念碑
さて、今日の目的地です。森鷗外記念館の門を潜ります。庭を通って玄関に向かいます。「写真の中の鷗外人生を刻む顔」展を観に来ました。実は、この新館になった記念館に来るのは初めてです。従って、数年ぶりの記念館訪問です。鷗外が迎えてくれました。展示場に向かいます。貰ったチケットとリーフレットです。貰った一部を紹介します。これは次回の告知です。1階から降りて来ました。深い地下に、展示場はあります。入り口です。以降、写真は撮れません。森鷗外の生涯を、写真を中心に綴ります。優秀だったんですね。優秀だったが故に、小説に没頭する人生を許されなかった人と理解しました。この展示会の写真で鴎外は、自分の顔は仕事で作り上げた顔だと自負しています。努力の人でもあったようです。森鷗外については殆どを知りません。その文章は難しいと思っています...「写真の中の鷗外人生を刻む顔」
日本医科大学付属病院の周辺が見違えました。住宅が整備されて、明るい公園になりました。新旧の坂です。左右で段の数が違います。新しい「お化け階段」になるのでしょうか?薮下通りの中心部です。崖上の藪が鬱蒼と茂った路でしたが、すっかり明るくなって、面影がありません。この部分に辛うじて古い石垣が残っています。藪上の街が数年前から再開発されていて、綺麗な建築物が完成されています。この崖が面影を留めていますが、もう、「薮下通り」の呼称は似合いません。まだまだ工事が続いています。もっともっと明るい路地になります。再開発のきっかけになったマンションです。元は芸術家の大きな屋敷でした。いつもの路地をいつもの場所に来ました。崖から見る景色は変わりません。ビルの隙間の薄曇りの空に、スカイツリーが見通せます。いや、ここに住んだ森鷗外にす...薮下通りが明るくなりました。
あれからずっと気になっていました。閉鎖から半年が経過しました。まだ「お知らせ」が出たままです。振り返れば、第1次緊急事態宣言の時、経営者の女将さんは閉館を決断しました。館内に森鷗外の旧居が保存されていて、赤字続きの今、経営を辞めれば、残っている資産で鷗外の旧居の保存を続けられる、との理由でした。その旨をお得意様に伝えた処、有志がクラウドファンディングを立ち上げる提案をしました。予想以上の賛同者が集まって経営を継続していましたが、結局半年前に閉館してしまいました。今は、森鷗外旧居を管理しているのだと思います。根津の街には「森鷗外没後100年」のバナーが春風にはためいています。これは縁だな、と思いました。行ってみます。「水月ホテル鷗外荘」の、あれから半年
徳川慶喜の墓所を覗いた足で、徳川家の菩提寺「上野寛永寺」に来てみました。桜が満開です。檀家は主に徳川家だと思います。篤姫もここに眠っています。屋根に葵の紋が輝きます。観光場所じゃないので、代表的な花見の聖地上野に在って、驚くほど閑静な場所です。賑やかな花見も好きですが、喧騒の今この時だから、静寂の花見も好いです。喧騒の真っ最中の東京に、静かに訪れた春の景色です。寛永寺の桜/2022年
満開の谷中霊園交差点です。交番が在る角です。あのマンションは丘の下の日暮里駅前に在ります。霊園の入り口方面です。ここには多くの有名人の墓が有ります。以前は墓地で花見をするのに違和感が有りましたが、東京に30年以上住んだら平気になりました。墓地での花見は、東京では普通の事です。「川上音二郎」の墓です。すぐ隣には「高橋お伝」の墓が有ります。満開の桜を愛でます。そして、「徳川慶喜」の墓所です。不思議なことに、ここだけ桜が咲いていません?ソメイヨシノの木だと思います。春なのに、ここだけ殺風景です。谷中霊園の桜/2022年
一日遊びました。大横川と小名木川の交差水路まで戻って来ました。小名木川に在る扇橋閘門に入ります。この閘門を通らないと海抜ゼロメートル地帯へ帰れません。パナマ運河の要領で、陸地の高さが違う地区を移動します。満々と水をたたえた閘門です。これが隅田川の水位です。今頃やっと陽が射してきました。排水した後の、これが小名木川の水位です。そして、この向こうが「江東三角地帯」と呼ばれる、海抜ゼロメートル地帯です。多くの土地は小名木川より低いです。閘門等の水門が無くて直接隅田川と繋がったら、江東三角地帯は水没します。こうして見ると、けっこう危険な場所に住んでいることを実感します。カヤックで花見に行く/2022年―3
幾つも橋を潜ります。桜が運河に枝を伸ばします。橋を潜ります。桜を潜ります。「東京湾クルーズ」です。普段は運河に来ません。今日は花見客で満員です。他に「日本橋クルーズ」も来ていました。お互いに手を振り合います。女性陣の差し入れによるおやつの「もぐもぐタイム」です。この話、続きます。カヤックで花見に行く/2022年―2
先日の日曜日の話です。花曇りで桜の色が映えないので投稿を躊躇していましたが、珍しい花見なので報告します。大横川を行きます。江戸城から見て、左右に流れているので「横川」です。カヤックの面白さの一つは、橋を潜る毎に景色が変わることです。桜を愛でながら行きます。レトロな橋を潜ります。「茂森橋」は大横川で一番低い橋です。満潮時は潜れません。真っ赤な「新田橋」が現れてました。橋の右に木場駅が在ります。左の住宅街と繋ぐ、古くから在る橋です。橋の袂には屋形船屋が在って、下町情緒漂う界隈です。首都高速深川線が現れました。ここでも低い汐浜橋を潜ります。高速道路を見上げます。いつもと違う景色にちょっとトキメキます。この話、続きます。新田橋はこんな橋です。カヤックで花見に行く/2022年―1
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今日も猛暑日の東京は人形町です。丁度11時になって、時計台が動きました。景色が白っぽいです。見上げる人も暑そうです。水辺が恋しいですが、隅田川の照り返しが厳しいです。正面は佃島の超高層マンション群です。ちょっと上流から見ると景色が変わります。隅田川に浮かぶ島とは思えません。猛暑日の人形町時計台
交差点の向こうに好い感じの店が在ります。ちょっと左には田中角栄邸が在る目白通りです。「鳳山酒店」です。よく見ると、二階の窓の所にも看板が有ります。「鳳」の文字が無くなっています。店の隣の路地です。その先は坂です。こんな急坂です。自転車で下るのが怖いくらいの坂です。東京には「富士見坂」があちこちに在ります。山坂が多い土地であると同時に、高層ビルなど無かったので、あちこちから富士山が遠望できたのでしょうね。すぐ先の古い家屋の所で坂が二つに分かれています。いわゆる車道と歩道です。今日は左側の石段を行くことにしました。初めて通ります。それにしても凄い蔦屋敷です。自転車を押して坂を下ります。正面に、新宿のドコモビルが見えます。相当の高低差です。坂を下りました。目白台の下の路地です。銭湯がある町です。鳳山酒店と目白富士見坂の風景
この路地は約20年間、私の散策路でした。週に1回は通っていますが、伊勢ヶ濱部屋が在ったらばこその散策路でした。シーサーしか残っていません。ここでは稽古後の相撲取りが屯して居ました。7人も関取が居ました。自動車も有りません。もっとも、今は名古屋場所前なので、普通なら名古屋に行っているのを知っていますが、やっぱり寂しい景色です。看板が有りません。伊勢ヶ濱親方が元横綱照ノ富士に代わって、伊勢ヶ濱親方は、元横綱白鵬が持っていた宮城野親方に代わりました。この家は、もう相撲部屋じゃなくて、杉野森さん(宮城野親方の本名)の自宅なんですね。ところが、親方が丹精して育てていた盆栽も有りません。どうしたんだろう?国技館の掲示板です。もうすぐ名古屋場所が始まります。両国は真夏です。商売に熱心な(成功した)大相撲関係者も居ます。...伊勢ヶ濱部屋の移転
毎日暑い東京です。墨田区を走っていて遭遇しました。立派な蔵を持っています。これは大店です。商店街を初めとする古いものが好きです。質店もその一つです。でも、こんな大きな質店は初めてです。私が知っている質店は、路地裏でしっとりと営んでいたりします。じっくり眺めました。こちらは、いわゆる「質流れ品」を販売するセクションみたいです。ショーウインドウです。硝子が反射してちょと見難いですが、これらはマイセンですね。お宝です。角に看板が有ります。角を曲がっても店です。こちらが質入れ口のようです。見上げる看板は「元禄2年」の創業です。西暦1689年です。これは、老舗だ!300年以上の歴史があります。そして、驚きました。広くて写真1枚に収まりません。良く見ると、大きな蔵が2棟在ります。こちらが住居でしょうか?とんでもない家...緑1丁目の「質フクシマ」
両国橋から隅田川が見えます。水上警察の船が居ました。その先を見ると、沢山の屋形船が川下に向かっています。何だろう?推測します。夏のイベントの準備だと思います。東京の夏と言えば花火大会です。だとしたら、「隅田川花火大会」ではないように思います。あれって、ここ両国より上流で行われるもの。7月の初めであり、隅田川の下流で行われるのであれば、「東京湾花火大会」です。そうに違いありません。そしてこれは、屋形船の「今年の陣割り」、つまり誰がどの位置で係留するかを決める日だったのではないでしょうか?東京の夏祭りが始まっています。はてなblogでは、駄菓子屋のお婆ちゃんTV出演の話です。⇒荒川三歩東京に夏祭りが始まる予兆
羽二重団子にかき氷の幟暖簾が出ました!いつもの席に座ります。愛車が見えます。客は私だけだったのですが、かき氷を食べ始めたら満席及び空席待ちになりました。私は「福の神」・「幸せ配達人」です。今年初めてのかき氷です。掘り進めると、ほんのりと黄色が現れました。「氷ゆず」を食べています。ふと気が付きました。私、ここでは「氷ゆず」しか食べておらず、他の店でも同じものしか食べていません。しかも、夫々別のものを食べているのです。あの店ではこれ、と決めている訳ではないけど、そうなっています。同じ店で食べ比べて、その店の一番美味しいものを決めれば良いのに、と思いました。往来する人々を眺めながら食べます。食べている処を眺められています。薄く小さくスライスしたゆずの皮も入っていて、上品な甘さにちょっと苦味もあって、好みの味です...「羽二重団子」で「かき氷」
南千住は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」への旅立ちの際に、隅田川から上陸した地です。矢印に従って、行きます。現在の「千住大橋」です。「せんじゅこばし」です。この先が「お上がり場」です。大橋の真下です。徳川家康と伊達政宗の工事の痕跡が残っているようです。大橋を抜けた場所が「お上がり場」です。松尾芭蕉だけでなく、大名や将軍家、日光門主等々が、隅田川から上陸した場所です。戻りましょう。・・・こちら側は「千住小橋」の表記になっています。何かの機会に読んだ記憶があります。橋に書かれた土地を含む名称は、その集落への入り口は漢字で、出口はひらがなで表記したそうです。ここが千住への入り口です(他の橋も気にして見ていますが、現在は左右に漢字とひらがなの表記が多いです)。上流側の堤防です。縁の多い場所のようです。現在は高層マンシ...「おくのほそ道」矢立始めの地
上品な茅の輪ではなく、なんかこう「荒ぶる神」らしい茅の輪を見たい、と思いました。思い付いたのが、南千住の「スサノオ(漢字転換ができません)神社」です。太い!根津神社や日枝神社などの3倍はあろうか、という太さです。スサノオ命はヤマタノオロチを退治した神です。武骨な茅の輪です。下町らしい、とも言えます。作法に従って参拝します。・・・ここに来ると、神楽殿が気になります。東日本大地震の時に、神楽殿いっぱいに千羽鶴を吊しました。荒ぶる地震を鎮める祈りの千羽鶴に心を打たれました。今日は「つきなみ祭昇殿参拝」です。神職が頭を垂れて通り過ぎて行きます。猛暑日の午後です。スサノオ神社夏越の大祓
拝殿が工事中の亀戸天神です。夏越の大祓にやって来ました。祀られている菅原道真公には不似合いの荒々しい茅の輪とお思いでしょうが、菅原道真公の先祖は、当麻蹴速を蹴殺して「相撲の神様」になった、野見宿禰なんです。そう言われたら、納得の荒々しい茅の輪です。工事中の拝殿を参拝します。工事の理由です。勉学の神様です。下町の人気神社です。猛暑日です。茹るような暑さです。草いきれがします。濃い緑が暑苦しいです。紫陽花の清々しさが清涼剤です。夏越の大祓「亀戸天神」
ずっと前に、同じ街で瓢箪だらけの家に遭遇しました。登録読者さんに教わったところ、瓢箪作りの名人だったらしいです。あれからこの街に来るたびにそれとなく探していましたが、遭遇しません。突然、遭遇しました。凄いです。色付きです。前に遭遇した家とは違いますが、同じ町内なのでお互いに知っていると思います。同好者と認識しているのか、ライバル視しているのかは分かりませんが、同じ趣味の方だと意識しているのではないでしょうか?これはこれで凄いです。前の人の家に出逢いたいなあ。前の人の記事はこちら。東四つ木の瓢箪の家の2軒目
綺麗だと思いました。いえ、枯れかけたアロエではありません。この苔です。菊坂下の路地に生えていました。見上げると、木造三階建の家です。菊坂に上がると郵便局とレストランです。本郷への急坂へ向かいます。谷底と丘上の街です。梅雨時の菊坂下
ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
例祭日じゃないけど、「花本社」へ行きます。地元出身の松尾芭蕉を祀っています。神となって「松尾芭蕉命」です。「俳聖」と謳われ、「奥の細道」を残し、住居跡が「芭蕉稲荷神社」となって、その近くには「芭蕉庵史跡庭園」や「松尾芭蕉記念館」が在ります。ここでも祀られて当然の人物です。・・・ここです。左右は神社です。この隙間には祠も有りません。どうやってお参りするんだよ!松尾芭蕉命をよ!右側は「合末社」です。立派です。左に「花本社」の立札が見えます。鳥居の上部が欠落しています。こんな謂れがあります。左は朱鳥居を潜ってお参りします。立派です。「永昌五社稲荷神社」です。その間に、鎮座する、祠も無い「花本社」です。...松尾芭蕉命を祀っています。誰かが何とかしませんか?俳句協会とか江東区とか?「花本社」にお参りしたいです。
白い幟が涼やかです。富岡八幡宮の夏詣です。この時期主な神社は何処でも夏詣を行って、茅の輪潜りを催行します。そもそもは、蒸し暑い梅雨時なので、食あたりとかも含めた、疫病避けの行事だったのだと思います。例年以上に暑いです。ちょっと涼を求めたいです。木陰が有りました。「大関力士碑」他、相撲に関する石碑が有る一角です。あそこで休憩します。ここは「勧進相撲発祥の地」と言われており、その縁で相撲関係の石碑が有ります。新しいところでは、「琴欧州」「琴奨菊」「豪栄道」が刻まれて居ます。現役で元大関の「正代」や「御嶽海」、「朝の山」、「高安」らは刻まれていません。「横綱」になる可能性があるから、引退するまでは刻まれません。「ない無い」って言ったの誰?そして「強豪関脇力士碑」です。「力道山」の名前がやけに白くて目立ちます。関...富岡八幡宮の夏詣
帰省中ずっと気になっていました。煙突に輪っかが付いています。見に行きます。輪っかは作業用足場のようです。輪っかが取れた後暫くしたら、知らない間に煙突が低くなっているように思います。クレーンと煙突の姿を眺めます。周囲は工場地帯です。新たな場所からも眺めます。けっこうな存在感が在りますが、煙突はその高さに必要な大きさがあるように思います。ズングリムックリになりました。輪っかが有る煙突の存在感
浅草が外国人にジャックされていました!暫く留守にしていたら
離陸します。蜜柑の島です。すぐに佐田岬です。飛行機は四国山脈を越えます。桂浜です。室戸岬です。太平洋の島です。房総半島です。波が海岸を洗って白波が立っています。九十九里浜です。千葉のベットタウンです。千葉港とロッテマリン(たぶんネーミングライツの名前があると思います)球場です。東京ディズニーリゾートです。左に江戸川です。葛西臨海公園と左に荒川です。ゲートブリッジです。東京のビル群です。これらが見たくていつも右側の席を取ります。羽田です。帰って来ました。東京と田舎と両方ともが自宅です。従って、両方とも「帰って来ました」です。飛行機で帰りました。
いつもちょっと早めの昼食にします。そしていつもこの店です。メニューです。いつもこれです。こんなのも有りました。参考まで。いつも鯛めしと、いつもビールです。ビールは美味しいものを食べる時の大人の作法です。商品説明と食べ方が付いています。要は、卵を軽く溶いて、鯛型の器に乗っている刺身と海藻と大葉を入れて軽く混ぜます。1膳目です。ご飯に卵にひたした刺身と海藻を乗っけます。その上から溶いた卵を掛けます。要は「刺身乗せ卵かけご飯」です。先ずかっ込んで、ビールで「ふう」と息を吐きます。「ああ」の感嘆でも良いです。ひと口ずつお箸で口に運ぶのでなくて、卵かけご飯と同じくかっ込むのが作法です。海賊の食事ですから。そのように食べて酒で流し込みます。しつこいですが、それが作法です。2杯目です。一気に完食しました。ふう~、食った...松山空港「かどや」の鯛めし
松山空港です。故郷は「かんきつ王国」です。名前を覚えられないくらい、或いはいつの間にかできていた新種など沢山の柑橘類があります。・・ずっと以前に、「愛媛県では蛇口からみかんジュースが出る」との地方伝説があって、それならと、実際にここ松山空港に作りました。そしてウケたので、それならと改良して、その後これも。ホストクラブなんかでよくやる「シャンパンタワー」ならぬ「みかんジュースタワー」です。やっぱり愛媛では蛇口からみかんジュースです。今も有りますアレ。私もできた時は嬉しくて飲みました。写真を撮っています。その気持ち分かります。最初皆んな撮っていたもの。「蛇口からみかんジュース」です。コップ1杯400円(高くなったね)です。お金を払ったら紙コップをくれて、自分で蛇口を捻ってジュースを出して飲みます。ちょっとした...蛇口からみかんジュース
帰郷してからうどんばっかり食べています。何処で食べても美味しいですが、私の好みはここです。ちなみに、故郷で蕎麦は食べません。そして、東京でうどんは食べません。メニューです。兎に角安いです。入ります。今日は「冷やし肉おろしぶっかけ」に、オクラとカボチャの天ぷらのトッピングです。生姜とネギを取り放題入れます。すりゴマを沢山まぶして頂きます。美味い!丼ものもありますが、うどん以外食べたことありません。旧国道沿いの繁盛店です。讃岐うどん/つるベえー
四国で暮らしているといつもお遍路さんを見掛けます。歩き遍路が目に付きますが、目に付かない多くの人はツアー遍路です。やって来たのは西条市の香園寺です。うどんを食べに来たついでにやって来ました。初めて来るお寺です。お寺らしくない造りです。まだ四国八十八ヶ所巡りをしたことがありません。・・・この歳だし、東京在住だし、もうしないと思います。18歳で生家を出たっきりの人生だったので、四国八十八箇所巡りの機会がありませんでした。年を取ったら行くのが億劫です。2階に上がります。ここ香園寺は、本堂の弘法太子像が有名らしいです。なるほど・・・。立派です。弘法大師像は右なんですが、お遍路さんが一心不乱に読経していたので、ここからお参りしました。隣に、お寺らしいお寺を建設中でした。貸切バスが来ました。ガイドが先頭に立って、沢山...四国霊場61番札所香園寺
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山