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  • 調査に進展!! 西光寺廃寺跡 最有力候補地について 前回確認した舟形板碑五輪塔ともやはり関係か!? 東大阪市上四条町 2024年6月29日

    ついに西光寺廃寺跡の調査が大詰めに。一気に謎が解明へ向かう可能性も。調査に進展!!西光寺廃寺跡最有力候補地について前回確認した舟形板碑五輪塔ともやはり関係か!?東大阪市上四条町2024年6月29日https://youtu.be/cGkpoPsNbXw?feature=shared調査に進展!!西光寺廃寺跡最有力候補地について前回確認した舟形板碑五輪塔ともやはり関係か!?東大阪市上四条町2024年6月29日

  • 岩瀧滝行紹介用動画・滝行シーン

    【音量注意】滝行紹介用動画のために滝行を撮影。雨がぱらつく中ながら強行。普段であれば中止レベルの天気と水量。滝行、久しぶりにて、更にこんな水量がある中は初めて、、うまく息継ぎができずに滝行シーン、テイク3も、、しかし、使えるかどうかは微妙、、声が終始上擦った。はぁ、、岩瀧滝行紹介用動画・滝行シーン

  • 西光寺跡について

    早速に西光寺跡と専門官の指摘されたところへと行ってきた。数点、瓦破片も確認はできた。江戸後期以降になるかな。要は、花草神社跡地の隣接、すぐ近くということになる。もちろん確定とは言えないが、有力候補には間違いない。また、舟形板碑五輪塔、近辺に類似例がないか、四条墓地、桜井墓地、横小路墓地をまわり、古い石仏群を確認に行ったが、全く無かった。地蔵石仏や二尊石仏、一石五輪塔は多く見られるが、五輪塔を彫ったものはなく、やはり珍しいもので、奈良側からの影響であるのではないかと考えられる。今回の西光寺跡候補地からそんなに離れていない場所から見つかったものであり、南北朝時代の武将のお墓の可能性も更に高まることになる。引き続き調査していきたい。西光寺跡、専門官の見解では、Dのやや上方ではないかとのことであった。確かに根拠は...西光寺跡について

  • 岩瀧滝行場・滝の様子・岩瀧山滝行体験について(往生院六萬寺)

    岩瀧滝行場の整備。草刈。完全自然任せのため、やはりこの梅雨の時期が一番の水量となります。ここのところ滝行の申し込みがありませんが、今なら良い修行となります。ただ、当日の天気次第(雨天中止)にもなります。岩瀧山滝行体験について(往生院六萬寺)http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/88153125.html岩瀧滝行場・滝の様子・岩瀧山滝行体験について(往生院六萬寺)

  • 字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認 南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も 近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わる 2024年6月24日

    お勤めのシーンが、いつも長くそのままアップしていたのを短くにカット編集しました。この舟形板碑五輪塔。すぐに史跡指定されるぐらいの古さであるかもしれない。経緯の話を伺って、いずれにしても畑の耕作の際に出てきたということは、そこのあたりは村墓地(代々管理される)というわけではなく、戦没者をそのままそこで祀ったお墓であった可能性が極めて高くなる。もちろん、南北朝時代・四條縄手の戦いの古戦場地であったわけであるため、楠木家一族の誰かのお墓である可能性も当然にあることになる。近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わってある。これは更に西光寺跡地と共に、関連石碑についても調査を鋭意に進めなければならない。字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も近くには神宮寺小太郎の首塚も伝...字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認南北朝時代・四條縄手の合戦での戦没武将のお墓である可能性も近くには神宮寺小太郎の首塚も伝わる2024年6月24日

  • 字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認・四條縄手の合戦での武将のお墓である可能性も

    驚いた。お地蔵さんではなく、これは舟形板碑五輪塔である。鎌倉〜南北朝時代に遡るであろうか。管理者の方の話によれば、明治生まれの祖父が、すぐそばの畑を耕作した際に出てきたものらしい。四條縄手の合戦での武将のお墓である可能性ももちろんある。神宮寺小太郎の首塚と伝わってある石のある花草神社跡地もすぐ近くだ。楠木正行、正時、和田賢秀、楠木家一族の誰かのお墓であった可能性も出てくる。また、更にいくつか同様の石碑も出てきてあったとも。まだこのそばに埋もれてあるようだ。この近くに水鉢のようなものもいくつか確認できた。ただ、この場所は予想していた山畑4号墳周囲ではなかった。西光寺跡地についても再考の余地が出てきたことになる。のちほどに動画をあげたい。字・花草谷にて舟形板碑五輪塔を確認・四條縄手の合戦での武将のお墓である可能性も

  • みんな頑張れとか、みんな一緒でいいとか、みんな大丈夫とか、何ら気休め、解決にもならないようなフレーズ、思想

    みんな頑張れとか、みんな一緒でいいとか、みんな大丈夫とか、何ら気休め、解決にもならないようなフレーズ、思想は、ある時期に流行することが一定に人間社会において確かにある。仏教でも、救いや空のあり方についても、同じように煙に巻くような考え方が流行することがあるもので、これに対しての修正として、サムイェ宗論が行われた例など、同じような宗論は、時代を経ても大小散見されることとなるのであります。かつて日本でも、いや、ほんの近現代においてさえも一時流行した悪取空見が、またも顔を覗かせ出したと言えるのが、「新しい領解文」問題なのである。明らかな誤謬があっても、いまだに取り下げ、撤回もされないのも異常だが、そのうちに異常事態に慣らされて、まあ、いいか、と済まされ出すのも恐ろしいことになるのである。同じようなことは、また起...みんな頑張れとか、みんな一緒でいいとか、みんな大丈夫とか、何ら気休め、解決にもならないようなフレーズ、思想

  • 臨済宗の葬儀と来迎会との関係について

    ご来迎の諸聖衆の主役は観音菩薩であり、観音さんが先頭となり亡くなられた方を浄土、阿弥陀如来のもとへと連れゆくことになりますが、その前に観音さんへと引き渡す代理として、諸聖衆を迎えるのが導師の役割となる。入退場以外で観音帽を被るのが引導の時のみとなるのは、代理としての役割を許されるのは、本来、その時だけであるからである。(ずっと被ってられる例もあるが、引導以外では遠慮するのが本来の作法となる)十仏名は、諸如来、諸聖衆により、浄土、悟りへの導き、資助を賜るために、往生咒は、阿弥陀如来の浄土へと無事に到達して往生されるようにとして来迎のために調えることとなる。山頭念誦の阿彌陀佛名号念誦は引導法語の一字関と共に葬儀の要諦となる。また、法炬(たいまつ)で円相後に中心にて描く種字梵字をキリークとしている。バクかアとさ...臨済宗の葬儀と来迎会との関係について

  • 西光寺廃寺跡地か?

    西光寺廃寺跡地と有力視しているところの土地を管理されている方から、年代不明な石仏について、改めてご連絡を頂いた。画像を見るとお地蔵さんかな。。かなり溶けてしまっているが・・相当に古そうだ。これで、旧山畑墓地跡で間違いなく、いよいよ西光寺境内地と考えてもよいかも。ならば、不明となっている「忠臣小楠之墓」の石碑所在確認に向けて更に一歩近づきそうだ。葬儀が入り、すぐ確認に行けそうにはない。週明けになるかな。。西光寺廃寺跡地か?

  • 河内・浄土院 歴史表舞台デビューへ 大東市・アクロス歴史アカデミー講座2024.7.14「河内往生院の世界」にて

    昨日は、考古学者の小林義孝先生と瓢箪山のカフェにて、来月7.14講座についての打ち合わせ。軽い打ち合わせのはずが、気が付けば3時間も経っていた、、互いに古代から中世にわたり、色々な説を論じ合う。。歴史学は仏教学でもあると実感。先生の仏教知識に、仏教に詳しくないと歴史学も深く入れないのかもと何となく思った。そういえば、昔は、学者ではなく、僧侶で郷土史家が多いのも何となく分かる気がした。歴史と仏教は深い関係性にある。浄土院の再発見、西光寺跡の探索も、仏教に詳しくなければ難しいと思われる。西光寺も日想観に着目することで、いよいよ跡地調査も大詰めとなった。万法蔵院跡もやはり日想観がキーワードと思われる。30分の時間を頂いたので、往生院と浄土院の紹介、宗教的役割、当時の信仰についてお話できればと考えている。http...河内・浄土院歴史表舞台デビューへ大東市・アクロス歴史アカデミー講座2024.7.14「河内往生院の世界」にて

  • 西光寺廃寺跡の調査について 候補地を選定 ついに有力候補を発見か!? 東大阪市上四条町 2024年6月18日

    いよいよ西光寺跡地の核心に近づきつつあります。西光寺廃寺跡の調査について候補地を選定ついに有力候補を発見か!?東大阪市上四条町2024年6月18日https://youtu.be/Cxk6p7mLD5g?feature=shared西光寺廃寺跡の調査について候補地を選定ついに有力候補を発見か!?東大阪市上四条町2024年6月18日

  • 字「天王堂が芝」について 福富神社の由来 やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか? 2024年6月18日

    字「天王堂が芝」と福富神社について。やはり古来より聖地であったと思われるのである。字「天王堂が芝」について福富神社の由来やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか?2024年6月18日https://youtu.be/Gg9cMnWdbFo?feature=shared字「天王堂が芝」について福富神社の由来やはり字名の由緒は古代に皇族の建てたお堂にあるのか?2024年6月18日

  • 山畑古墳群 山畑2号墳の紹介 府下最大級の玄室 上円下方墳 西光寺廃寺跡探索 東大阪市上四条町 2024年6月18日

    少し話題が逸れますが、山畑2号墳についての紹介。玄室、圧倒される大きさでした。山畑古墳群山畑2号墳の紹介府下最大級の玄室上円下方墳西光寺廃寺跡探索東大阪市上四条町2024年6月18日https://youtu.be/cfiN3hZyK3Q?feature=shared山畑古墳群山畑2号墳の紹介府下最大級の玄室上円下方墳西光寺廃寺跡探索東大阪市上四条町2024年6月18日

  • 三種の神器のつくられたところ

    ちなみに、天皇継承の象徴である三種の神器は、若江(東大阪)にて鏡、石切(東大阪)にて剣、神立(八尾)にて勾玉と、当時、最も渡来人文化が発達していた河内において作られたものであったとされているのでもあります。三種の神器のつくられたところ

  • 山背大兄王と生駒山 聖徳太子と道鏡

    また、別の調査にて、山背大兄王が、蘇我入鹿らによる画策での襲撃によって斑鳩宮から逃げた際、生駒山麓で隠れられたのが、まさに生駒西麓で、今の上四条のあたりであった可能性も。それが、隠れた先が、父、聖徳太子ゆかりの寺であり、当麻寺の前身とされている万法蔵院で、そこに逃げられていたという説も。ならば、やはり天王堂が芝に、聖徳太子の勧めにて当麻皇子の建てられたお寺があった可能性が高まるわけです。山背大兄王は、結局、斑鳩寺に戻り、一族、皆、自害されるに及ぶのであります…ただ、子の弓削王一族は、河内八尾、若江に逃れて土着し、勢力を維持、その後に、道鏡が出世するわけであります。道鏡は歴史上、かなり貶められて語られていますが、相当な学僧の智者でありました。道鏡が天皇となるべくの宣託が、しかるべきにあったのは、やはり聖徳太...山背大兄王と生駒山聖徳太子と道鏡

  • 西光寺跡地探索・山畑4号墳

    今日、昼の合間に山畑4号墳へと参りましたら、丁度、字花草谷の古い地主の方と4号墳周辺の土地の借り主の方がおられて、色々と有り難い話が聞けました。なんと、花草神社、福富神社以外にも、字花草谷にはもう一つの神社があったらしいです。代々神職だったとその地主の方に教えて頂きました。また、4号墳にも案内して頂き、少し周囲を探索させて頂きました。立地的にも西光寺跡、このあたりがかなり有力かもです。また動画で経過をご報告致します。今後、調査にも協力して頂けるとのことで、いよいよかなりの進展が期待できます。有り難いことです。西光寺跡地探索・山畑4号墳

  • 新しい領解文・弘願助正説・疑心往生説の共通した問題点について

    ああ、当時は信前、信後の報恩行の範疇として考えていたわけか、、結局、弘願助正云々どころか、浄土真宗でもなく、仏教でもないものに転落したのが、新しい領解文の正体であり、ほどなくして石泉学派についても考える意味がなくなったとして言及しなくなった。今回の疑心往生の問題は、簡単には、「みんな頑張れ」のような主張、言葉の暴力で相手を追い詰めること、傷つけることになりかねないということであるが、新しい領解文のあり方も似たようなものになっていると言えるだろう。更にそれを強制させるなど、論外でもあるわけだ。「みんな頑張れ」という主張は、頑張れないものを排除した物言いであり、どうしても頑張れないものを追い込むことになる。下手したら自死へも向かいかねない。「みんな救われる」、「みんな往生できる」というのも現実、救いようのない...新しい領解文・弘願助正説・疑心往生説の共通した問題点について

  • 弘願助正説

    愚聞のともにきくラジオ「領解を語ろう」3https://www.youtube.com/live/k102i_jrjOc?feature=shared岡林さんが言いたいことがようやくによくわかった。まあ、対機説法とは違った、とにかく安心感を与えたいと思っての悪気の無い自分の主張の押し付け、それがきっと為になる、正しいとの正義感からの自分の主張の押し付け、そういうことに対しての懸念であるのだろう。疑心あっても往生できるからと、とにかく安心して彌陀本願を頂きましょう的な、、また、それが弥陀本願を頂く入口にもなればオッケー的な、、言わば、弘願助正説みたいなものでしょうが、結局のところ、あれもこれもと類推、拡大解釈、援用して助正になるとしていけば、やがては人殺し、戦争も助正ということになるわけであります。そうなれ...弘願助正説

  • 上四条・経塚付近の楠正行公碑・正時公碑について

    西光寺跡本命と考えていた公碑周辺は、本命でなく、先日に寄った山畑4号墳あたりになるのではないかと考えています。この公碑は、昭和初期の建立で、目的は軍国主義戦意高揚のためとして建てられたもので、西光寺境内跡、もしくは旧山畑墓地、正行公・正時公五輪塔二基が元々にあった場所を考証して建てられたものではないと結論付けました。この公碑にやや惑わされ過ぎてましたね。上四条・経塚付近の楠正行公碑・正時公碑について

  • 福富神社・木曽御嶽本教・関西天王教会本部

    福富神社の詳細、やっと見つけた。現代編に載っていた。大正2年であるから、そう古くはない。天王教会だが、字名とは関係がないのは明らかなものの、やはり、ここが字「天王堂が芝」であったとの意見もある。また、西光寺跡地ではなさそうである。ただ、飛鳥時代以降にお寺があった可能性もなくはない。霊託、託宣を受けての創建とならば、古代からの聖地であったのは間違いないだろう。同じ話は今の神感寺でもある。ならば、ここに「天王堂」があったとの推測も成り立つ。桜井寺、万法蔵院、六萬寺があった可能性も捨てきれない。福富神社・木曽御嶽本教・関西天王教会本部

  • 木曽御嶽本教・福富神社

    客坊から四条へ向かう途中に「奥ノ宮道」の古い道標があった。「奥ノ宮」は、木曽御嶽本教の福富神社のことか?山畑地区に入る前に奥乃院の案内板もあったから多分、福富神社のことなのだろう。道標のすぐ近くに古墳かな?と思う盛り土があり、周囲を歩くと、少し空いた穴が、、覗くと間違いなく古墳だと確認できた。あとから調べると山畑4号墳で、発掘調査はされていないらしい。まだ順番が回ってきていないのか、、このあとに山畑2号墳も玄室入り口まで行ったが、画像は撮っていない。ただ大きさにかなり圧倒された。山畑2号墳は市内最大規模、明治時代に日本考古学の父、ウィリアム・ゴーランドが調査した記録もあるらしい。古墳好きな方なら一度は訪れるべきでしょう。西光寺跡地はまだ分からず。そういえば、この福富神社に関しては河内四條史に全く言及されて...木曽御嶽本教・福富神社

  • 客坊廃寺~上四条へ 西光寺跡の調査

    今日は合間に客坊へと行ってきた。平安時代から南北朝時代まで存在していた客坊廃寺付近から上四条へ。西光寺跡地、字天王堂が芝を調査。客坊廃寺は、蓮華紋の立派な軒丸瓦が出土している。客坊廃寺のやや南東にて石塔群、滝行場と出会った。客坊廃寺の修験道との関わりとも言えるだろう。密教系の寺院であったのかもしれない。その後、西光寺跡を重点的に探索したが、結局、分からないままに帰った、、客坊廃寺~上四条へ西光寺跡の調査

  • 未発見の石碑「忠臣小楠之墓」 江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま? 2024年6月12日

    この石碑も必ずまだどこかにあるはずである。発見に尽力したい。未発見の石碑「忠臣小楠之墓」江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま?2024年6月12日https://youtu.be/XWekEM-A_Hw?feature=shared未発見の石碑「忠臣小楠之墓」江戸時代・西光寺廃寺(東大阪市上四条)の境内に建立された石碑が行方不明のまま?2024年6月12日

  • 「忠臣小楠之墓」碑はどこへいったのか? 上四条にあった西光寺の境内裏に、小楠公碑が江戸時代末期に建立されている

    上四条にあった西光寺の境内裏に、小楠公碑が江戸時代末期に建立されている。おそらく畑小路地蔵堂内の五輪塔二基が元々あった側に建てられたのだろう。しかし、この「忠臣小楠之墓」碑はどこにも現存していない。西光寺が廃寺になった際に何処かに持ち出されて不明になったのか、もしくは五輪塔と共に隠匿された際にまだ別のところに隠匿されたままか、、おそらくは隠匿されたままになっている公算がかなり高いと思われる。この発見にも努めねば。。「忠臣小楠之墓」碑はどこへいったのか?上四条にあった西光寺の境内裏に、小楠公碑が江戸時代末期に建立されている

  • 往生院六萬寺 歴史館の紹介 展示物の簡単な説明 実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい 見学無料

    主に拙動画の撮影舞台となっている往生院六萬寺の歴史館、展示物の改めての紹介。往生院六萬寺歴史館の紹介展示物の簡単な説明実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい見学無料https://youtu.be/EFK08uxguOU?feature=shared往生院六萬寺歴史館の紹介展示物の簡単な説明実際の見学は事前完全予約制・寺務所まで事前に必ずご連絡下さい見学無料

  • 疑心について

    ご質問を頂いたのだが、疑心は、倶生諦執や無明、煩悩、我執や迷乱知、転顚知、煩悩障や所知障などとは性質を異にしている。なぜなら、それらと疑心は対治方法が根本から全く異なるからだ。主に空性を修習して対治していくのが、上記に挙げた疑心以外のものとなる。疑心は、空性の修習によって対治されるのではなく、ひたすらに弥陀本願を窺い、聞法によって対治されることになるからである。よく疑心を無明や煩悩、我執などと同一視して考えようという向きもたまに見かけるが、それは全くの見当違いであると思うのである。疑心について

  • 字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか? 飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる 2024年6月10日

    字「天王堂が芝」の地名が、明治期に消された理由とは!?字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか?飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる2024年6月10日https://youtu.be/aaOZshwUDBU?feature=shared字「天王堂が芝」場所の特定が難しいのはなぜか?飛鳥時代の寺院が存在していた可能性も。河内・桜井寺・六萬寺の実態解明にも期待できる2024年6月10日

  • 上四条・字山田付近に桜井寺→万法蔵院→六萬寺とあった可能性も

    このことに関しては、更に興味深いこともあり、桜井寺、六萬寺の所在地の解明へと繋がる可能性も極めて高くなる。もしかすると、桜井寺→万法蔵院→六萬寺とあった可能性も出てくる。ならば、現在の桜井寺・六萬寺の想定地である六萬寺・字院堂よりも四条よりの字山田付近が六萬寺の本命と目されるのである。字「天王堂が芝」が、字山田のどこにあったのかということに関わることになる。場合によっては大発見となる。もちろん鍵となるのは飛鳥時代の瓦、寺院跡、礎石となる。拙考が正しければあの未開地の調査を進めれば、本当に見つかるかもしれない。上四条・字山田付近に桜井寺→万法蔵院→六萬寺とあった可能性も

  • 字・天王堂が芝と字・山田 天皇・皇子の建立したお堂があったか? 河内国に当麻皇子の建立した当麻寺の前身である万法蔵院・禅林寺のあった可能性も?

    河内国山田に当麻寺さんの前身となる寺院があったとされるわけであるが、関連でかなり気になったのが、上四条の字山田と字天王堂が芝である。字天王堂が芝を特定、調査して、飛鳥時代の寺院跡が見つかれば、万法蔵院禅林寺の可能性も出てくる。天王堂=皇族が建てたお堂というわけである。上四条の山手は古墳も点在してあるし、しかも、未開地、未調査地がまだまだある。未だに開発が本格的に入らないのは、やはり四條縄手の戦いにおける怨霊、祟り伝説が根強くあるからでもあるのだろう。確かに気をつけなければならない土地柄ではあるが、しかるべくに地鎮、慰霊をすれば大丈夫である。新発見に期待が高まるが、すぐにはもちろん無理であろう、、とにかく、今はやれることで地道にやるしかない。字・天王堂が芝と字・山田天皇・皇子の建立したお堂があったか?河内国...字・天王堂が芝と字・山田天皇・皇子の建立したお堂があったか?河内国に当麻皇子の建立した当麻寺の前身である万法蔵院・禅林寺のあった可能性も?

  • そもそも一般在家門徒において真実浄土と極楽報土を区別して往生のあり方について理解できるのか

    そもそも一般在家門徒にとっては、真実浄土と極楽報土を区別して往生のあり方について理解できるのかとなれば、半数以上の方において、それは難しいのではないだろうか。むしろ、わかりやすい聖道自力、善根功徳が必要となる極楽報土往生を説く向きに傾くとしても仕方がない面もある。もちろん、信心決定しておらず、疑心あっても、極楽報土ならば往生の可能性がある。まあ、一定、自力修行、功徳が必要にはなるが、、新しい領解文も、衆生、門徒の側におけるそのような要請、需要に合わせて、真実浄土から極楽報土の往生へと教義転換を図ろうとした意思もあるように思えなくもない。しかし、親鸞思想の純粋性は失われ、教義が俗なるものへ傾斜するどころか、仏教でもない訳の分からないものへと転落することになってしまったわけである。笑えないお粗末さながら、いま...そもそも一般在家門徒において真実浄土と極楽報土を区別して往生のあり方について理解できるのか

  • 楠木正行公・正時公 畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す 東大阪市上四条町・山畑地区 2024年6月8日

    伝承にも若干のズレがあり、特定に困難さがあります。ただ、現在の山畑地区・旧山畑集落は、かなり荒廃しているものの、だからこそ遺跡が未だ残ってある可能性も高くあります。山畑地区に開発が入り、遺跡、遺構が出てくれば、いよいよ四條縄手の戦いに関する遺物も再発見される可能性があります。それにより、いずれの地が小楠公終焉地であったかの決着もつくように思われます。楠木正行公・正時公畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す東大阪市上四条町・山畑地区2024年6月8日https://youtu.be/YVdA95JJScg?feature=shared楠木正行公・正時公畑小路地蔵尊堂内・五輪塔の伝来地を探す東大阪市上四条町・山畑地区2024年6月8日

  • 疑心残存説について・潜在的自力心

    疑心は、本願への疑い、他力への疑い、仏智への疑いと、広い意味合いにて使われており、定義として一定しているわけではない。ただ、潜在的に有してある自力心に関わる問題であり、それは一体どのようなものなのかを考えるのが重要となります。例えば、この迷い苦しみの世界、迷い苦しみの輪廻の存在から逃れるために、救われるためには、何かをしなければいけないという強烈な衝動、もしくは、焦燥は、自力心であるとも言い得るが、これは仏教における「出離心」であり、仏教への入門、何よりも「菩提心」へと向かうための前提となるものである。そして、全ての者たちが同様に迷い苦しみの中に喘いでいることを知り、自分も皆も救われるための道である仏教を修するとの志を立てる心が「菩提心」である。やがて、仏教を修する中において、自力道で進めるか、他力道にて...疑心残存説について・潜在的自力心

  • チャンネル登録を宜しくお願いいたします。

    サブ垢で調査メモ程度として始めたYouTube動画。お寺の法話をアップしていた本垢がログインできなくなり、やむなく使うようになった。あまり宣伝もしていなかったので、チャンネル登録者数は相変わらず少ないが、1000回視聴を超えるのが二本になった。下記は現時点で1500を超えている。さほど凝った編集等は全くせず、スマホでただ動画を分けて撮り、編集アプリで繋ぎ合わせるだけである。一つ、自筆メモによる解説は意外に好評。これは法話フリップからの癖みたいなものだが、案外分かりやすいようだ。また、展示ケースの上で撮影しているのも珍しいパターンでそれも新鮮なよう。とにかく、これからも調査研究の記録として続けていければと考えています。古来より伝わる忌み地・禁足地における畏敬・慰霊・供養の大切さについて四條縄手の合戦戦没者供...チャンネル登録を宜しくお願いいたします。

  • 山畑子安地蔵尊 旧山畑墓地の六地蔵尊 四条春日神社、近年に再建か? 東大阪市上四条町 2024年6月6日

    山畑子安地蔵尊は、地蔵誓願が台座に刻石されている全国的にも珍しい地蔵尊であります。訂正晦朝→晨朝山畑子安地蔵尊旧山畑墓地の六地蔵尊四条春日神社、近年に再建か?東大阪市上四条町2024年6月6日https://youtu.be/eiGRxn8xYNM?feature=shared山畑子安地蔵尊旧山畑墓地の六地蔵尊四条春日神社、近年に再建か?東大阪市上四条町2024年6月6日

  • 経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査 壁面の陀羅尼の解明 経塚古墳の由来について考える 2024年6月5日

    壁面に書かれた陀羅尼を確認しに、再び経塚古墳へと行って参りました。間違いなく楞厳呪でありました。また、千手千眼の文字も確認しました。経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査壁面の陀羅尼の解明経塚古墳の由来について考える2024年6月5日https://youtu.be/-JTKwn-c9o0?feature=shared経塚古墳(東大阪市上四条町)再調査壁面の陀羅尼の解明経塚古墳の由来について考える2024年6月5日

  • 春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓 河内・往生院との関係 2024年6月4日

    生駒山麓における春日神社各春日神社は元春日と呼称されており、春日大社の祭神は、生駒山麓より勧請されたのであります。春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓河内・往生院との関係2024年6月4日https://youtu.be/V5t_XcFAN_0?feature=shared春日神社(東大阪市上四条町)元春日・中臣氏と生駒山麓河内・往生院との関係2024年6月4日

  • 信前・信後の不審のありようについての検討

    疑心を煩悩障に対応させるとしたら、所知障にあたるものが不審になるのかどうかであるが、この不審が、信後のものだとしたら、そう考えられるものとなる。要は、歎異抄における唯円の不審が、信前、信後、いずれの文脈で語られてあるのかどうかである。つまり、唯円とのやりとりで、親鸞聖人がおっしゃった意はどちらであるのかの検討になる。下記論文において紅楳英顕先生は、信前とお考えである。https://www.jstage.jst.go.jp/.../36/1/36_1_167/_pdf/-char/jaしかし、疑心の強烈な残り香、習気が信後にもあると考えるのが拙見解であり、また、推測でもある。むしろ、この信後にも残ってある習気により、衆生の迷い苦しむありよう、疑心に苦しむありようを把捉することができると考えられるのである。...信前・信後の不審のありようについての検討

  • 疑心残存説についての続き

    疑心残存説についての続き。煩悩障を断滅しても、所知障が対治できていない限り、悟りへと至れることがないように、信心決定、疑心断滅しても、所知障と同じように残り香的、習気として、何らか疑心の残存もありうるかどうかであるが、これはありうると考えるのである。まず、所知障とは何か、ということであるが、拙図を参考にして頂くと、簡単には「虚偽の現れ」をもたらす障りのことである。この「虚偽の現れ」とは、モノ・コトは本来は空性であり、実体として成り立ってはいないものであるにもかかわらず、まるであたかも実体として成り立ってあるかの如きにモノ・コトが現れてしまっているありようのことである。もちろん、煩悩障を断滅した行者においては、三昧・等引から離れた後得知の状態において、そのような「虚偽の現れ」があったとしても、もう騙されずに...疑心残存説についての続き

  • 疑心残存説について

    疑心残存説について、疑心が無くなった後に、疑心が生じたり、残ったりすることはあるのかどうか、ということですが、これは煩悩障におけることと同様の事態として考えればよいのである。煩悩障断滅後には、煩悩は一切生じることはなく、業が汚されることもなくなります。同様に考えれば、疑心が無くなり信心決定した後に、疑心が生じたり、信心が後退することはないと考えることができます。つまり、不退転(位)ということです。ただ、煩悩障の場合、煩悩障を断滅しても、その残り香的な習気である所知障が残ることになります。ならば、同様に、疑心を無くし、信心決定しても、疑心の残り香的な習気は残ってあることは十分に考えられるものとなります。疑心残存の事態をこのように考えるならば、どのようなものとなるのか?要は、疑心の本体は無いが、その残像がある...疑心残存説について

  • 浄土真宗の本義は真実浄土への往生を目的とすることにある・疑心往生についての補足

    疑い(疑心)があっても救ってくださるのが阿弥陀さま、とご意見を頂戴した。このことは随分と前にもお答えしたことがあるが、もちろん、お救いは下さるが、その救い先への往生は、真実浄土ではないということである。もしも、真実浄土以外の阿弥陀如来の報土、化土、六道等へとなれば、当然に善根功徳、菩提道次第の修行は必須になる。つまり、他力法門からは外れることになる。もちろん、しかるべきに修行すれば、疑心あっても往生はできるが、その先は親鸞聖人がおっしゃられた真実浄土ではないということなのである。浄土真宗でも阿弥陀経を読むことがあるため、極楽報土でも往生できれば良いという考え方もあるのでしょうが、それなら何のために親鸞聖人は開宗なされたのかということにもなりかねないのである。あくまでも、浄土真宗の本義は、真実浄土への往生を...浄土真宗の本義は真実浄土への往生を目的とすることにある・疑心往生についての補足

  • 東大阪市上四条・経塚古墳・壁面の墨書について

    東大阪市上四条・経塚古墳・壁面の墨書について経塚壁面の陀羅尼、やっぱり楞厳呪だった。三会だ。江戸時代に禅宗系(おそらく黄檗宗)の僧侶により始められたのではないだろうか。(同集落の花草神社には隠元書の扁額が伝わっている)となれば、やっぱり厄除け祈願になるであろうか。疫病や飢饉など。こちらもまた興味がわいてきますね。東大阪市上四条・経塚古墳・壁面の墨書について

  • 疑心往生について・真実浄土へ至る地図の作図は・・

    疑心断滅・信心獲得と真実浄土往生のセットと、煩悩障断滅と空性現量了解のセットが同様な事態であることを考えれば、その行者の境地についてもよくわかることになる。つまり、疑心断滅、信心獲得した現生の行者の状態も自ずと推測がつくことになるわけである。要は、阿羅漢果、菩薩八地以上ということなのである。ならば、疑心断滅・信心獲得の行者においては、まだ所知障を断滅できていない状態にあるとも言い得ると考えられるのである。疑心往生について・補足https://www.facebook.com/share/p/puXwebXnuCfSbx75/また10年以上前のこの図を持ち出してくることになるが、要は疑心とは、対応させると、有染汚の無明と同様な事態とも言い得ることになる。このように仏教の基本と比較検討すると、先に述べてあると...疑心往生について・真実浄土へ至る地図の作図は・・

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