経塚 楠開基 多門寺 横小路・多門寺跡石碑
合間に横小路、多門寺跡の石碑へ。経塚楠開基多門寺と確かに彫られてある。上方にある浄土院跡の瓦群は、兵火により焼かれた跡が顕著だった。焼けた瓦、すすこけた瓦、溶けた土壁・・1348年の四條縄手の戦いで、往生院城、往生院と共に、浄土院も高師直軍により焼かれ尽くされたのであろう。多門寺は、その戦乱で亡くなった多くの者を供養するために、楠木正儀により建立されたのではないかと推察する。四條縄手の戦いの翌年に楠木正儀は往生院を訪れ、正行の菩提を弔っている。その足で浄土院にも訪れ、その際に供養の経文を納めたのが、この多門寺であったのではないだろうかと、初めて拝し、そのように思った次第である。その後、横小路のなだらかな里山へ。古い土器や土師器、甕等は散見されるが、奈良や平安、鎌倉期の瓦は畔を歩いてみた感じではなさそうだっ...経塚楠開基多門寺横小路・多門寺跡石碑
2024/04/30 13:17