「新しい領解文」は、約仏の観点からも当然に間違いである
仏教における悟りは空性了解が、本来、重要なものとなるが、浄土真宗では、空性了解より信心領解が重要となる。この違いは目的の相違による。その違いは、悟りを目的とするのか、彌陀摂取を目的とするのか、である。浄土真宗では、彌陀摂取により彌陀と一如、一味となることで、如来と同等の二種(法性・方便)法身を得れるとするため、空性の了解へと向けた智慧の開発、空性了解による法身の獲得、また、衆生済度へ向けた福徳、功徳の集積、円満なる福徳による色身の獲得を必要とは考えないのである。この両者にまたがる目的の隔たりを理解しないと、浄土真宗を理解することは難しいのであります。浄土真宗は、彌陀摂取により、凡夫のままにて救われ、凡夫のままにて二種法身を得れて成仏できると考えることになるわけです。約仏とはこの観点となります。では、輪廻の...「新しい領解文」は、約仏の観点からも当然に間違いである
2024/02/29 10:59