私たちは本当はどんな存在なのか まずは思い出すだけでいい! <br>パワフルな愛・悦びに包まれながら 本
今までの私たちにとっての肉体の使用目的はプライド、快楽、攻撃だった。でも、ひとたび聖霊の目的のために肉体を引き渡すなら肉体の使用のやり方が、まったくかわってしまう。180度反対、真逆の方向で使うことになる。自己概念放棄。プライド維持のためじゃない。快楽維持のためじゃない。攻撃防衛のためじゃなくなっていく幸福を望むならそれは必然のことだった。肉体はスピリットの力をこの世界の現すための道具なんだ
好きなように生きるのをやめる時期だ自分勝手に生きるのをやめる時期だっていう静かな声がする。それは強制でもないし、義務でもない。神のご意志のために御心のためにのみ生きる実は、それ以外に自分にとっての平安と幸福はありえなかった。ただ、それだけのことだったと知る。そんな感じ。慈しみとともに生きる。そんな感じ。とてもありがたくて平安。そして、自我は嫌がっているでもそれも、もはや問題ではない感じ。自分勝手に生きるのをやめる時期
もともと無だったそれがどんどん消えていってる感じもともと存在していなかったそれが轟々と消されていってる感じもともと無かった、存在していなかったその起源に戻っていくだけな感じ。もともと無かったものが、無の中に消えていく
今日の勉強会でも話したのだけども「自分のプライド」「自分の正しさ」「自分好みの自己概念」を維持したり保持し続けることの無価値性、無意味性を思い知っていってる。そんなウンコにしがみついて、握り続けている限り、自分の幸せも平安も絶対に復活しねえな。。。と降参して降参して手放す必要もないほどに握りしめに魅力を感じなくなってきていて(おそらくまだ認識外では握りしめをやってるのだろうが)己の概念が、なんぼのもんじゃい??という感覚で、、すると、なんだろうでかい何かに触れている。これってなんだろう?言語化したらなんだろう?まるで羽が生えて飛び上がれそうな感覚。。あ、これは自由だ自由ってやつなんだ。と勉強会中に言語化が起きた。努力なし。自力でできる何か、など一切なしに勝手に自由の方からやってきている。なんだか、そんな感じ。あ...絶対に大丈夫だから!
Call me by your name 『君の名前で僕を呼んで』日本版本予告
Callmebyyourname『君の名前で僕を呼んで』日本版本予告「もう一度、あの映画を観たいんだよね」と、ラファエルが何度も言っててでも「今だ!」って、ピッタリとしたガイドを感じなかったので、数ヶ月間ずっと観ていなかった。2日前「もしも見るならBlu-rayだよ」って言ってミュージックだけ一緒に聴いた。私は、歌詞や映画の内容そのものも関係なく泣いた。嗚咽するほどに。ハートとみぞおちをえぐられるような、、本当は求めているのに求めないように必死に拒んでいた何かに触れたような思い出したくないし、でも絶対に思い出したい「それ」に触れている。。きっと、今が観るタイミングなのだろうと思ってすぐにBlu-rayを取り寄せた。半日後にはそれが届いたので早速、昨夜観ることにした。「この映画の、何が素晴らしいのか?何がそんなに...Callmebyyourname『君の名前で僕を呼んで』日本版本予告
マイティーコンパニオンに心の中を打ち明けることと、聖霊に打ち明けるのは全く同じ
この道を歩む多くのマイティーコンパニオンが一緒に歩んでくれるからこそ私たちは妥協なく、道を見失うことなく歩んでゆけます。聖霊に心を開くことと、兄弟に心を開くとは同じです。特に、同じ目的のもとで道を歩むことにコミットしたマイティーコンパニオンたちに自分の心を開き心の内にあるものを晒すのは私たちの想像を越えて浄化のスピードをあげていきます。ただし、覚えておく必要のあることは自我は絶対にそれをさせまいとあれやこれや画策します。自我は絶対に賛成しません。自我は絶対にそのように兄弟たちとつながらせたくはありません。なぜなら、自我はできる限り自分の存在を維持したいしできる限り時間を長引かせたいからで、、、それだけが自我にできる唯一の作戦だからです。マイティーコンパニオンに心の中を打ち明けることと、聖霊に打ち明けるのは全く同じ
君の名前で僕を呼んで☆ Sufjan Stevens - Mystery of Love (From "Call Me By Your Name" Soundtrack)
君の名前で僕を呼んで☆SufjanStevens-MysteryofLove(From"CallMeByYourName"Soundtrack)ラファエル曰く、この映画はスピリチュアルとは関係のない映画なんだけどそのイノセントさに心が開かれていく、音楽も映像もとにかくピュアなんだ。という私も何度も聴くのだけど、理由なしに心が透明になる感じ。映画のストーリーとしてはまた違うのだろうけども「君の名前で僕を呼んで」とは、神に対して私が言っている言葉なんじゃないか?そう感じたら涙が溢れて心が溶けていく。私自身も、私の名前も、あなたにお捧げしますどうか、あなたの名前を私にお授けください。というようなあなたに委ねます、降伏します、全託します、御心のままになさしめ給え、我が天命を完うせしめ給えのところからの言葉に聴こえた。君の名前で僕を呼んで☆SufjanStevens-MysteryofLove(From"CallMeByYourName"Soundtrack)
絶対的に信頼する、インスピレーションを信じてインスピレーションに従う。
仮に、1000人のうち999人が大反対しても、それでもインスピレーションを信頼する。インスピレーションに従う。仮に、結果的に、大失敗のようにみえた何かを経験してもそれを自分独自で判断したり結論付けない。いかなる非難者が出現したようにみえたとしても、それでも、心の奥のかすかな声に耳をすましていく。心の中の、大きな声には従わない。いつも聖霊よりも先に語る声には従わない。人間として生きている自分から見たら、その聞き取った声がどんなに疑わしい声と感じてもそれでも、自分独自ですぐに結論付けはしない。どこまでもどこまでも謙虚に、自分は何も知らないし先を見通せない、ということについて素直である。もはや、自分独自の人生など実在していなかった神のための人生であり生命であったと受け入れる。、、、というのが、犠牲者感覚でもなんでもな...絶対的に信頼する、インスピレーションを信じてインスピレーションに従う。
本日20:30〜【奇跡講座・基礎固めコース】としてのりチャンネルします。
1月勉強会参加者の皆さん今夜20:30〜のzoom配信には2020年1月ページから入れます。よろしくお願いします😊本日20:30〜【奇跡講座・基礎固めコース】としてのりチャンネルします。
肉体の【眼球】で世界を見ることが、どれほど無意味で無価値かを思い知るのは幸い。。🙏
日常で引き起こっている何か(知覚)によって「私は、今、この感情を感じている」と、自我は信じさせこの世界の夢見に私たちを縛りたがっています。でも、本当に今目の前に現れている状況を「どう認識・知覚するか?」は実は、それ以前にすでに感じている「感情」によって後付けで決まっているようです。そうでなければ、Ettyhillesumがアウシュビッツでガス室に送り込まれる車の中で慈悲と愛を感じるはずがないですよね。彼女は知覚の世界が感情の原因ではない証人ですね。。奇跡に難しさの大小はないとしてもアウシュビッツのそれとは比べものにもならないストーリーですが、、大型車が家に突っ込んできて被害者にならない。感謝を感じる。という知覚や感情が起きるはずもないわけでやはり最初に「自分がどのような者でありたいか」という願望がありそれについ...肉体の【眼球】で世界を見ることが、どれほど無意味で無価値かを思い知るのは幸い。。🙏
【それは私の声じゃない】存在せず、起きてもなかった世界という幻覚を見ていた。知覚が狂った心には癒しと訂正が必要だった。愛と助けを求める心にそれを与える、それが精神療法。
奇跡講座/奇跡のコース✨【それは私の声じゃない】存在せず、起きてもなかった世界という幻覚を見ていた。知覚が狂った心には癒しと訂正が必要だった。愛と助けを求める心にそれを与える、それが精神療法。2021.02.04勉強会より【それは私の声じゃない】存在せず、起きてもなかった世界という幻覚を見ていた。知覚が狂った心には癒しと訂正が必要だった。愛と助けを求める心にそれを与える、それが精神療法。
自分(夢を映し出す心)が見たいものしかこの世界では見れないってのはほんとうに、文字通りのことだなあと思う。罪や、裏切りや、犠牲や、加害があり得ると信じる心が信じるものを見るしかできない。愛と助けを求める世界には、私たちの本質である愛と慈悲を与えるしかない。方便でもなんでもなくそのようにしてのみ、私たち自身の心(夢を映し出す必要性に迫られた心)が、癒しを受け入れられるんだな。文字通り、自分が見たいものしか見れない世界。
とにかく私たちには慈しみが与えられるべきだと思う。私自身には慈しみが必要で兄弟たちにも慈しみが必要だ赦すことも、赦されるのを受け入れることも両方とも必要だ正しい必要もなく、勝つ必要もないもしも正しさや、正義や、勝利を望むなら「私」は、自分が一番欲しいものを見失うだろう。慈しみ
何かが起きているようだ。私にとって、2011年から目覚めの道が開かれ2011年〜2020年までの月日は、2021年の本当の本格的な歩み開始までの準備期間だったように思う。明らかに2021年からはハッキリと変わっていくのだろう。ちょうど10年、、なんとありがたい10年だったのだろう。今回の人生はどれほど恵まれた人生だろうか?これほどの恵まれた時代設定で、自分が何よりも望む真の目覚めへの一直線の道がここまでハッキリと開かれていて、今までの輪廻転生史上、最大の機会が授けられていると思う。これ以上のない感謝、感謝、感謝、感謝。。。自分の心にフォーカスを向けて、インスピレーションに従い続けて目の前に現れているのは、一緒にこの道を妥協なく歩む仲間たち。正直、私もびっくりしている。これについて一度も自分で計画しなかったからだ...自分の心の反映に感謝する
本日の勉強会は12:30↓12:10〜開始に変更です。よろしくお願いします🙏本日の勉強会は12:10〜に変更します:
幼少期から、私の心からの願望はこれだった。「すべての人々、全体の幸せを望む」何がきっかけでそう感じたのか?そう祈ったのかは思い出せない。幼稚園はカトリック系だったけど、そこで教えられたわけじゃない。たとえ今、私が幸せを感じていてもこの世の中でたった一人でも幸せを感じていない人がいたならば私の幸せは完成されない。それでは満たされない。。。なぜか、その事実に気が付いた。6才前後だったのではないか?と思う。「私という個人の幸せが満たされても、それは本当の私の幸せなどではない」という感覚。。だから、どうか全体のために私をおつかいください。という祈りを子供ながらに自然に祈っていたと思う。なぜそう祈っていたのか?というと自分の幸せを望むなら、同時に全体も幸せでないと私の幸せは決して叶わないと知っていたから。具体的な宗教や、...私の願望「すべての人々、全体の幸せを望む」
ルーシーとルーシー奇跡講座/ACIM/奇跡のコースの言うところの神聖な出会い(ホーリーエンカウンター)神聖な関係(ホーリーリレーションシップ)って、これなんだ。ああ、これだったんだ。って自分がどのような視座からその出会いをみてどの視座から関係するかなんだな、、と私はもう、ほんとにこれ以外の視座にブレたくない。って聖霊に沈み込んでいきたい。って本気で思う。先日の勉強会でも話したけど私は、私の人生に登場した「父」が精神分裂病で、彼が病気で、彼が狂っていると見えていた。その関係は最終的に「神と神の子として私たちはひとつだ」と経験を与えられたのだけどもそれでも、あのときは父は確かに発作が起きていて狂っていたし、病気だし、治療が必要だった。そういうシナリオだ。と、私は思えていた。けど、待てよ??と先日思った。あの瞬間、ど...神聖な出会い、神聖な関係
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