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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • 今年の大つごもりは・・・

    年賀状は、月、火、水で終わり、昨日はのんびりしたので、昨日は関内に手帳を買いに行った。今日の午前中は、ネットは全部松本人志のことで、ずいぶんとユーチューブは、どこも回数が上がったと思うが、見た。もともと、松本は嫌いで、愛嬌がないのに偉そうなのが嫌いだった。昔、高岡市に行ったら、松本の兄のトークーライブの広告があり、1万円くらいだったので、びっくりしたことがあった。「有名だなあと思ったが、本人はともかく兄で1万円とは・・・」昼は、『孤独のグルメ』を少し見た後、大晦日なので、歌舞伎の『直侍』を見る。金玉火鉢の直侍だが、尾上菊五郎は太りすぎだと思う。その後は、『シベリア超特急・5』を見るが、義経の財宝はいくら何でも無理だが、なによりも誰も真剣に演じていないので、どうにもならない。水野晴夫も可哀そうだなあと思った...今年の大つごもりは・・・

  • 『83年11月の美空ひばり公演』で

    前の美空ひばり公演の写真に使ったのは、1983年11月の新宿コマ公演だった。これは、1部はミュージカル『水仙の詩』で、樋口一葉の『たけくらべ』をもとにしたものだった。だが、これは信如の橋爪淳とは、16歳で別れてしまうので、筋が続かない。だから、『婦系図』のようになり、新内の師匠になるが、狒狒おやじに迫られたりするなど困った話で、これが沢島なの、と思ったものだ。だが、二部の歌は素晴らしかったが、途中で若い女性が二人、客席に入って来た。すると、一瞬ひばりさんは、むっとしたが、すぐにこう言った。「ご苦労様、会社で働いているとすぐに帰れないのよね、お掃除とかいろいろあるし・・・」このとき、私は「ひばりさんは、1950年代の新東宝映画のような世界に生きているんだんなあ」と思った。この頃、すでに普通の職場では、若手女...『83年11月の美空ひばり公演』で

  • 『大列車作戦』

    1964年のアメリカ、イタリア、フランス映画で、列車が主人公であり、ハラハラドキドキ映画である。劇映画の最初が『大列車強盗』であるように、列車と映画は相性がよく、勝新の『兵隊やくざ』でも良く出てきた。1945年春、ドイツのフランス占領下で、ドイツ軍は、押収したフランス絵画をドイツに輸送しようとする。それは、絵画を売却して戦費に充てようとするものだった。そこで、輸送を阻止しようとするフランスのレジスタンス側とドイツ軍将校との戦いになるが、双方ともバート・ランカスターとポール・スコフィールドの米英の役者で、すべて英語である。様々な抵抗やレジスタンスが行われるが、一番はドイツ国境を越えたとき、逆にフランス側に戻してしまうところである。駅の表示を変えたりして、フランスに戻してしまう。そして、ある町のホテルで泊まる...『大列車作戦』

  • 『76 歌声はひばりと共に』

    音楽については、私は大衆文化評論家として、三つの自慢がある。一つは、1964年7月のマイルス・デイヴィスの初来日コンサートに行っていること。二つ目は、パキスタンのカワーリーのグループのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのコンサートを3回とも見ていること。そして、最後の一つは、美空ひばりの新宿コマ劇場公演を見ていることだ。これは、かの佐藤利明さんも、実際には見たことがないそうで、大いに自慢したものだ。さて、この公演は1976年6月で、歌手芝居の例で、1部は林与一との共演の『お島千太郎』で、二部のコンサートの録画で、東京12チャンネルが放送したものらしい。実は、私は、この1年後の1977年7月の美空ひばり公演を見ていて、このときは『富士に立つ女』という、『河内山宗俊』と『富士に立つ影』を一緒にしたような話で、「...『76歌声はひばりと共に』

  • 『コグマだろう 最後の講義・岩下志麻』

    『最後の講義で岩下志麻』を見た。後半の半分くらいで、「極妻」以後のことだったが、本当に役に入ることが説明されていた。やはり、新劇に関係していた父親の岩下清氏の影響だろうか。岩下氏は、戦前に築地小劇場の事務をやっていた方で、戦後は新劇の劇団で役者をやっていて、テレビでは丹波哲郎主演の『トップ屋』に出ていて、事務局長のような役で、岩下志麻が篠田昌浩と結婚した後は、篠田の会社表現社の代表を務めていた。岩下志麻の聴講生の学生とのやりとりも非常に的確で、頭の良さがわかる。たぶん、日本の女優で、頭の良さは、吉永小百合と双璧だろうと思う。さて、座席は非常にきれいだったが、1階の廊下、上下の両側にある階段など、これは大隈講堂の地下にある小講堂だろうと思った。われわれは、ここを「コグマ」と呼んでいて、夏の若手、1,2年生の...『コグマだろう最後の講義・岩下志麻』

  • 山本由伸に期待する

    山本由伸が、ドジャースに入団したが、彼には大いに期待したい。と言うのも、彼の投げ方は、日本の伝説の投手である沢村英治に似ているからだ。近年、沢村の投球を8ミリフィルムで撮った方の映像がテレビで公開されたが、見ると山本由伸みたいな投げ方なのだ。沢村と言うと、左足を高く上げた写真が有名だが、あれは撮影用のもので、実際の投球は、あまり足を上げずに、サッと投げるもので、それは山本によく似ているのだ。それで、球が速かったので、沢村も、山本由伸もすごいのだ。30年以上前のことだが、私の妻の父親は、「沢村を見たことがあるよ」と言っていた。考えると、沢村は、川上哲治の少し上の選手だったので、当時の人なら、沢村を見た可能性があるのだ。ただ、当時はテレビもラジオもなく、実際に現場の球場に行くしか見ることはできなかったので、東...山本由伸に期待する

  • 『濹東綺譚』

    永井荷風の名作だが、豊田四郎監督のものではなく、新藤兼人脚本・監督のもので、1992年、東宝60周年、近代映画協会40周年、日本ATG30周年記念で制作されたもの。ただ、前半は永井荷風の『断腸亭日乗』の記述で、バスで玉ノ井に行って、お雪と会うところから、『濹東綺譚』になる。この辺は、豊田四郎監督作品とは異なっていて、私は豊田四郎が好きなのだが、正直に言って、この映画は、山本富士子と芥川比呂志で、きれいごとになっていて、全く感心できなかった。対して、ここの津川雅彦の永井荷風は、大作家だが、別の見方で見ればただのスケベ親父であることをきちんと描いているのは良い。スケベ心、性欲を肯定的に描くことは、1960年代のメジャー映画会社には無理だったわけで、その点は時代の進歩である。荷風は、当初は銀座のカフェーの女と遊...『濹東綺譚』

  • 「ポピュラー文化(音楽)30年説」

    音楽評論家中村とうようさんが言った言葉で、「ポピュラー音楽の寿命は30年だ」という説がある。その通りで、世界のポピュラー音楽、文化は、大体30年くらいの間隔で、生まれ、頂点に達し、そして衰えていく。それは、世界の大都市では、20世紀になるといろいろな人が集まりってきて、民族、文化、階層等の異なる者のよって新たな大衆文化が形成される。ジャズ、タンゴ、シャンソン、ハワイアン、日本の1960年代の演歌もそうだった。そして、それが流行し頂点に行き、最後は、階層、世代が変わって衰弱してゆく。大衆文化である以上、時代、社会の変化で、それは変化しゆくものだと思うのだ。「ポピュラー文化(音楽)30年説」

  • 首相官邸を初めて作った『皇帝のいない八月』

    小林久三原作の映画『皇帝のいない八月』は、クーデターを計画した連中が、九州からノロノロと上京する間抜け映画だが、このとき初めて松竹大船では、内閣首相官邸のセットを作ったそうだ。松竹は、基本的に庶民映画だったので、小津安二郎の鎌倉の屋敷や山田洋治の虎屋のセットの実績はあっても、首相官邸の実績はなく、仕方ないので現地に行って寸法を取り、図面を書いてセットを作ったとのことだ。クーデターというものは、深夜等に起こしてサッとやるもので、政治的に無知な小林の原作では、九州から列車に乗ってノロノロと来るので成功するはずもなく、山本薩夫監督らは、最後を列車爆破にしてしまったそうだ。松竹というのは、非常に面白い映画会社である。首相官邸を初めて作った『皇帝のいない八月』

  • 『西住戦車長傳』

    数少ない松竹の戦争映画だが、上原謙、笠智衆、近衛敏明、佐分利信、そして唯一の女優桑野通子のオールスターで、ヒットしたようだ。監督は吉村公三郎、脚本は野田高悟で、撮影は生方敏夫で、現地の長期ロケーションもし、記録フィルムも挿入され、ナレーションは竹脇昌作である。中国上海での戦いから、南京に向かう日中戦争だが、これは中国国民党軍には、なんとドイツが付いていて戦争指導をしたのだ。トーチカや塹壕戦などの日本が経験しなかった第一次大戦の戦術を中国国民党に教えたので、日本は非常に苦戦した。その苦戦が、年末の南京事件をよんだとも言われている。戦車隊の長が上原謙で、彼の父親は軍人だったので、軍人姿が様になっているが、やさしく部下思いの長を演じている。だが、日中戦争とはいえ、一方的に日本軍が、中国で戦闘を進めているのは、今...『西住戦車長傳』

  • 霧プロと『迷走地図』

    霧プロとは、松本清張が、野村芳太郎らと作った製作プロダクションで、松竹と連携して映画やテレビドラマを製作した。もともとは、松本清張が自分の小説『黒地の絵』を映画化するために作った会社で、以下のとおりだった。霧プロは、松本清張の小説『黒地の絵』を映画化することを目的に設立されたのだが、これが実に問題の小説だった。1950年7月に、朝鮮半島に送られる黒人兵が小倉市で反乱を起こした事件を基にしている。黒人兵に乱暴された女性が、朝鮮から送られてきた兵士の死体に、その本人を発見するという話である。松竹の監督のみならず、東宝の森谷司郎らも映画化を企画し、海外で撮影することなども考慮したが、結局できず、その間に野村芳太郎は、他の作品に行ってしまい、終には松本も1992年に倒れて7月に死んでしまう。私は、この話は映画化さ...霧プロと『迷走地図』

  • 『無頼漢』

    私は、試写会で映画を見たことがほとんどないが、その少ない作品の一つ。1970年、当時広告代理店にいた先輩の島村さんの招待券で、林さん、そして手島さんと4人で、東宝本社の試写室で見た。その後、どこかの名画座の併映で見て、テレビでも1回見たが、今回見て、篠田の娯楽作としては、かなり上だと思った。大島渚、吉田喜重らと松竹ヌーベルバーグと言われるが、篠田が最も娯楽映画的な資質があり、面白い映画を作っても上手い。脚本が寺山修司で、歌舞伎の『天保六花撰』などの人物を取り出して映画化している。撮影が岡崎宏三さんで、「錦絵をねらった」と言っているが、美術の戸田重昌と合って、感じはよく出ている。丹波哲郎、岩下志麻、仲代達矢は、当時すでに大スターだったが、他は、新劇やアングラ劇の連中が多く、女中役で鈴木仁美君も出ているが、彼...『無頼漢』

  • 「汽車道の前名は・・・」

    横浜の桜木町駅から、みなとみらい新興地区に行く道に、汽車道があるが、その前名は、ウィンナーだった。言うまでもなく、ウィナーソーセージのようにつながっていたからだ。そして、よく見ると、鉄路跡は、道路の真ん中ではなく、海側に寄った位置にあることがわかる。これは、この鉄路から下に停泊している艀に「艀落とし」で、荷役をしていたからで、主に石炭等を荷役していたと記憶している。だから雨に濡れないように、上には大きな木造の屋根がついていたのだ。汽車道を作る時に、屋根は撤去してしまったが、あっても良かったと思うのは、私だけだろうか。「汽車道の前名は・・・」

  • 『トラ、トラ、トラ』

    1970年公開の日本版。このときの黒澤明については、1967年7月に見たことがある。大学2年の夏、劇団の先輩島村さんの会社、東西通信社で映画広告のアルバイトをしていた。日比谷にあった会社の昼休み、ツインタワービルに昼飯を食べに行くと、エレベーターから大きな男が出てきた。黒澤明で、サングラスで両脇にボディガードのように男を従えていた。ちようど、この映画のシナリオを、菊島隆三、小国英雄らと作っているところで、自信満々に見えた。だが、その年の12月24日、エルモ・ウィリアムズに黒澤明は、東映京都撮影所で首になってしまう。そんなことは驚くことではなく、映画『風と共に去りぬ』など監督は3人も代わっているのだから。さて、これは山本五十六の山村聰以下の日本海軍、千田是也の近衛文麿らの政府首脳、そしてハワイとワシントンの...『トラ、トラ、トラ』

  • 『進軍』

    1930年、脚本野田高悟、監督牛原虚彦で、白黒のサイレント映画。サイレントで、ピアノも活弁もないので、10分くらいすると当然にいびきが聞こえる。私も、まん中辺で寝てしまった。話は、田舎の貧乏人の息子で、飛行機好きの少年の鈴木伝明が、なんとか上京して飛行学校に入り、操縦士となって、田舎に戻る。飛行機は、まだ複葉機で、ヒコーキ野郎の時代でのんびりしている。村の者は、貧乏人からご令嬢の田中絹代に至るまでの大喜び。そして、当然にも「宣戦」とタイトルされれて、鈴木を代表に徴兵されて前線に行く。「あれ、1930年って戦争はあったっけ」満州事変も日中戦争、太平洋戦争は遥か彼方であり、これはなにを意味しているのか。済南事件とか、山東出兵なのか。後の、東宝の戦意高揚映画に比べ、これがどこか牧歌的なのは、東宝がやはり秘密スタ...『進軍』

  • 薩摩剣八郎、死去

    ゴジラのスーツアクターだった薩摩剣八郎氏が亡くなられたそうだ、76歳。彼は、北朝鮮に行ったことがあり、映画『プルガサリ』でも怪獣のプルガサリを演じた。結構面白い作品で、VHSも持っている。さて、彼の観察眼は鋭いもので、撮影中に、ワンシーンが終わると、スタッフは、セットをばらして釘をいちいち抜いて直して使っていたというのだ。北朝鮮では、釘のような軟鉄は不足していたのだ。ソ連型の重工業重視の経済では、釘のような消費財は、不足するもので、それが社会主義国の1970年代以降の、国家指令型の経済の不振の根源なのである。ミサイルや原発は作れても、釘のような詰まらない物ができないのである。ゴジラ役者のご冥福をお祈りしたい。薩摩剣八郎、死去

  • 『母を恋はずや』

    1934年の小津安二郎監督のサイレント映画、1巻目と最後の1巻もない作品だが、上映が終わると場内に拍手があったのは、伴奏のピアノ奏者へだろうか。話は、おそらくは富豪の家の二人の息子、小6と小2年の家で、父親の岩田佑吉が倒れたとの電話が学校に来る。校庭を箒で掃除している男は、坂本武である。実は、私も小6年のとき、3月の卒業文集を学校に残って作っているとき、家から電話があり、戻ると3女の姉がいて、二人で入新井の赤十字病院に行くと、父は高いびきで寝ていて、その日の夜中に亡くなってしまった。次のシーンでは、家の岩田の写真には、黒布が掛けられていて、死んだことになっている。まことに、テンポよく簡潔に描写されている。そして、郊外に引っ越しする。母親は、吉川満子で、戦後も映画各社で母親役をやっていた方であるが、もちろん...『母を恋はずや』

  • 『巨匠』

    これは、NHKで放送されたポーランドのテレビ劇に感動した木下順二が作・演出したもので、主人公の老人は、滝澤修や大滝秀治が演じて来たそうだ。1967年で放送去れた時は、私も見て感銘を受けたもので、これ一つでもNHKの存在意義はあり、なんとからばかものたちが言う、「NHKをぶっ飛ばせ」には賛成できない。彼らは、NHkを上回るような優れた番組を上げられるのだろうか。民放吉本などに、そんな番組があるのか、お聞きしたいと思う。話は、劇場の控室で、『マクベス』の上演を控えている役者と演出家の対話から始まる。演出家が、経緯を説明するのは、1967年に放送されたこと、さらに1944年ナチスドイツ占領時代に、役者がまだ若い時、対ドイツパルチザン活動をしていたときのこと。逃亡して、ある小学校に逃げ込むと、5人の男女がいる。そ...『巨匠』

  • 『喧嘩安兵衛』

    1952年、市川段四郎が主演の、『忠臣蔵外伝』の中山安兵衛を描く映画。脚本は松浦健郎で、監督は、滝沢英輔である。新潟の新発田藩で、御前試合が行われることになり、安兵衛は、槍の名人で、親友の俵星玄葉の二本柳寛と対決することになる。安兵衛と玄葉が友人で、同じ藩にいたなど嘘だが、まあお話である。友人との生死を掛けた立ち合いなどばからしいとして、安兵衛は、試合を放棄して江戸に出て、喧嘩長屋という貧乏長屋で、笠張浪人をし、子供に手習を教えている。そこは、スリのエノケンの他、駕籠かき、手相見、大道賭博などで、坊屋三郎、益田キートンなどの連中が貧乏でその日暮らしをしている。女房は、清川玉枝、浜田百合子、田代百合子らである。駕籠かきの二人が、居酒屋の酌婦で、金で身請けをしようとしている悪徳武士の東野英次郎から逃げてきた関...『喧嘩安兵衛』

  • 照明ゼロの映画 『成吉思汗』

    映画で照明がきちんとされていないと、かくもひどいのかがよく分かった。モンゴルでが野外の部分は撮影されたようで、当時はもちろん電力はなく、電源車も持っていかなかったのか、主人公にもライトが当たっていないので、俳優がほとんど見えない。スタジオで撮った部分もあるはずだが、それも良く見えない。響くのは、テムジンの母の浦辺粂子のみで、若いころは美人だったのだなあと思う。テムジンは、戸上城太郎だが、よく見えない。筋は、若いテムジンが、いくつかの部族の長になり、戦いを経て、モンゴルの長になるのだが、その経過がほとんど理解できず、最上米子と婚姻して子もできるらしいが、詳細は分からない。最後は、成吉思汗になるというものだが。このような映像で、映画公社から配給されたわけだが、見た観客は文句を言わなかったのだろうか。実に不思議...照明ゼロの映画『成吉思汗』

  • 「小林久三も・・・」

    三村晴彦が、加藤泰を知らなかったことを書いたが、後に小説家となる小林久三も、都はるみを知らなかったと自分の本に書いている。小林久三は、東北大を出て、松竹大船の助監督になり、何本かのシナリオを書き映画化された。それが社内で評価されて、『アンコ椿は恋の花』の脚本を書けとの命令が来た。だが、そのとき、小林久三は、都はるみを知らず、初めて彼女のレコードを買ったそうだ。すごい、というしかないが、それが松竹大船の雰囲気だったようだ。その映画の古さ、センスの悪さに反比例して、実は大船は、非常に高踏的なスタジオだったようだ。小津安二郎の弟子だが、つまらないメロドラマばかりを撮った原研吉は、大変なオシャレで、女優並みの衣装替えで、現場に来るのが通常だったそうだ。そして、彼はフランス詩の研究家でもあり、詩人でもあったそうだ。...「小林久三も・・・」

  • 「醜い日本の安部派」

    安部派の政治家パーティのキックバック問題は、本当にひどい。テレビで、橋下三百代言が、しきりと自民党をかばっていたが、実に醜いことだ。理屈は、いろいろあったとしても、要は脱税であることに変わりはない。しかも、数千万円というのだから、ただ事ではないと思う。普通の人なら、数十万円の脱税や節税でも罪に問われるのだから。「醜い日本の安部派」

  • 加藤泰を知らなかった三村晴彦

    BSの「予告編特集」には、いろいろと面白いことが出ている。その一つが、大船の助監督だった三村晴彦が、監督の加藤泰の名を知らなかったというところだ。加藤が、松竹大船に最初に来たのは、『男の顔は履歴書』だから、1966年だろう。すでに東映で、『三代目襲名』や『遊侠一匹』などの名作を作っていた後のことで、鈴村たけしさんが聞いたら、卒倒してしまうに違いない。当時、松竹大船には、瀬川昌治、渡辺祐介らの他社の監督が来ていたが、「東映京都のヤクザ映画の監督」と聞き、ますます不愉快になったそうだ。だが、加藤が、撮影に当って、ノートに全シーンのコンテができていて、その通りやればよいのだが、ところどころ白紙で、「なにか、音がほしい」とか「ほうしなイメージがなにか、教えてください」などと書いてあって、全スタッフが知恵を出さない...加藤泰を知らなかった三村晴彦

  • 『大菩薩峠』を見て

    『大菩薩峠』の映画もいろいろあるが、一番好きなのは、市川雷蔵主演の大映版である。これは、1部と2部が、三隅研次監督で、3部が森一生で作られたもの。三隅が、映画『釈迦』の準備で忙しかったので、森一生になったとのことだが、できはさすがである。脚本が衣笠貞之助で、この映画というか、中里介山の物語を貫いているのは、江戸時代の表の社会の裏にある下層社会の姿だろうと思う。この辺は、介山には、もともと社会主義のような、社会の底辺の人々に寄せる意思があったからだと思う。ただ、これを強調すぎると、3部の冒頭で、近藤恵美子が唄う「相の山」への過剰な意味づけになってしまうと思う。昔、東映製作の「人権啓発映画」で、内田吐夢監督、片岡千恵蔵主演のこれで、ここから人権問題に行く映画があり、少々困ったものだ。ここでも、近藤恵美子、阿井...『大菩薩峠』を見て

  • 『黒い傷跡のブルース』

    1961年のこの映画は、珍品である。一つは、小林旭と吉永小百合が共演していること。もう一つは、小百合さまのバレリーナ姿が見られること。と、言っても『勝利者』の北原三枝のようなプリマではなく、その他大勢の一人だが。5年ぶりに、神戸から横浜に戻ってきたのが、小林旭の渡三郎。横浜のヤクザ堤組組長の松本染升から、神戸での拳銃取引の身代わりに神戸に行った小林旭は、取引現場で、小松という大坂志郎の裏切りによって、金を奪われて重傷を負う。拳銃取引の罪で5年の刑に服してきたところだった。堤の家に行くと、松本は病死していて、妻の東恵美子が、息子と横浜のぼろ家に住んでいる。旭は、小松を横浜で探すと、元町でスーパーをやっていることを突き止める。そして、大坂の娘がバレーをやっている吉永だったのだ。大坂は、神山繁らの指示で堤や小林...『黒い傷跡のブルース』

  • 昨日は・・・

    昨日の12月8日は、1941年に日本軍が米英に対して宣戦を始めた日である。1966年12月のある日、以下のようなことがあった。1966年、大学に入ったとき、英文科だったので、当然英会話の授業があった。講師この英会話の授業も面白くなかったが、ただ聞いていれば良く楽なので出席していた。授業は、ほとんどおばさんが一方的に話すだけで、こちらは何もすることがほとんどなかった。だが、ある日授業の最後に、ザバテロさんは、こういうことを言った。「日本とアメリカは、戦争もしたことがあるが、やはり仲良くしなくてはいけない」あれ、このおばさんはいったいなにを言っているんだ。考えると、その日は12月8日だった。「そうかアメリカ人は、まだ12月8日を忘れてはいないんだな」と思ったときだった。昨日の夕刊には、ハワイで記念行事が行われ...昨日は・・・

  • 「ケネディと発音できない人」

    私の母親は、英語教育を受けたことがないので、ケネディと発音できず、ケネデエ大統領と言っていた。もう一人、菅義偉前首相も、ケネデエ大使と『スイート・キャロライン』のキャロラインさんとよんでいた。秋田県の英語教育はレベルが低かったのだろうか。もう一人、DVDを、デイ・ブイ・デイという人がいることに気づいた。「夢俱楽部」の石田社長である。東北の出身なのだろうか。「ケネディと発音できない人」

  • 『魔性の夏・四谷怪談』

    私は、シェイクスピアや鶴屋南北らの名作は、そのままやった方が良いという立場で、蜷川幸雄も、芝居ではシェークスピアでは、ほとんどそのまま上演しているが、この鶴屋南北の名作ではかなり変えている。脚本の内田栄一が、萩原健一、石橋蓮司、関根恵子、夏目雅子らに合わせて書いたのだろうが、やや時代に合わせすぎていると私は思うのだ。むしろ、先日亡くなられて鈴木瑞穂や内藤武敏らのベテラン俳優の方がよく見えるのは、どうしたことだろうか。そして、一番問題だと思うのは、夏という感じがしないことだ。やはり、『四谷怪談』では、東京映画で豊田四郎が作ったのが一番好きだ。『魔性の夏・四谷怪談』

  • 『マタイ受難曲』を聴く

    このとろこ、朝起きて聴く曲は、バッハの『マタイ受難曲』にしている。もちろん、パレスチナでのイスラエルのジェノサイドによる、ガザの住民の鎮魂の祈ってである。しかし、イスラエルのネタニアフ右翼政権は、ヒトラーのジェノサイドを見ているのに、なぜパレスチナ人を絶滅しようとするのだろうか。世の中に宗教ほど、有害で恐ろしいものはないとつくづく思う。日本も、かつては天皇教という宗教の下に存在していたことを忘れてはならない。『マタイ受難曲』を聴く

  • 裸祭のレポート

    裸祭の映像は、いろいろあるだろうが、その参加者のレポートというのはまずないと思う。だが、それがある。映画評論家で、日本映画の紹介にご尽力された、ドナルド・リチー氏である。彼は、都内三多摩の裸祭に友人と参加して、その時のことを書いていて、彼の著作集に載っている。それによると、次第に興奮していく様子がきわめて細かく書かれている。興味のある方は、お読みいただきたい。裸祭のレポート

  • 裸祭の意味するものは

    岩手県の蘇民祭の裸祭部分が来年で中止されるそうだ。昔、前田憲二監督は、記録映画『土俗の乱声』で、中部地方の裸祭について、「この裸の男が玉を奪い合うのは、1個の卵子に向かって無数の精子が戦い、卵を射ることの象徴のようだ」と言っていた。たしかに、あの乱闘は、精子の運動のようにも見える。昔の人が、精子と卵子のことを知っていたとは思えないが、なんらかの象徴性を込めたようにも思える。『土俗の乱声』は、キネカ大森で見たと思うが、なかなか面白い作品だった。裸祭の意味するものは

  • 『空海』

    真言宗の全面的な協力をえて東映が、1984年に作った空海の伝記映画。当時、さんざ予告編を見たが、はじめて本編を見た。これは、はじめは空海に勝新太郎がキャステイングされていて、勝新と真言側との会合が開かれた。その席で、勝は、「空海は、唐に留学して多数の文献を持ってきたが、中には仏典だけでなく、エロ本もあったはずだ。だから、俺はマスをかいて、ビンビュン精液を飛ばしてやる・・・」これに真言側は、度肝を抜かれ、勝新には、ご辞退をいただき、北大路欣也に代わったのだそうだ。もちろん、北大路は悪くないが、まじめすぎて、破天荒さがないのは、残念なところだ。幼いころから、優秀さゆえに讃岐から、都(奈良)の大学に来ていた真魚は、本当の学問の意味はなにかと自問し、讃岐に戻ってくる。それから、全国を修行に自ら彷徨するが、都の桓武...『空海』

  • 松竹的母物映画 『広い天』

    昔、BSの予告編特集で、司会の篠田正浩が、松竹と大映の母物映画を比較していた。大映のは「演歌調」だが、松竹の木下恵介の『日本の悲劇』は、「母と子は絶対に和解できないこと」を描いていた、と言っていた。この1959年の獅子文六原作の映画『広い天』は、一種の「母物」で、1945年、東京に住んでいた井川邦子と息子新太郎が離れ離れになり、本当は父親山内明の故郷の広島に息子だけ疎開させるものだった。息子は、真藤孝行という子役で、当時松竹の映画に多数出ているが、江木俊夫みたいでかわいい子で、台詞が非常に良い。だが、空襲で列車が止まり、乗客が避難するときに、新太郎は、疎開先の住所の紙を失くしくしてしまう。仕方なく、偶然に前の座席にいた伊藤雄之助が、自分の四国の故郷に、新太郎を連れて行ってくれる。四国の田舎の農家で、伊藤の...松竹的母物映画『広い天』

  • 木下恵介を思う

    朝刊の広告に、東京工芸大学100年が出ていた。小西六写真写真専門学校で始まった同大も、100年を迎えたのだ。多くのアーチストが出ていると思うが、第一は、木下恵介だと思う。当時から学歴偏重だった松竹では、大卒が条件だったので、木下も、入学して学歴としたのだ。そして、彼は演出ではなく、撮影を担当していた。その後、戦時中に映画『花咲く港』で監督デビューする。戦後は、大活躍で、あの黒澤明の『七人の侍』よりも、『二十四の瞳』と『女の園』の方が上だったのだ、キネマ旬報のベストテンでは。黒澤は、3位だったのだ。私は、『二十四の瞳』は苦手な方になるが、『女の園』はすごいと思われ、これは大島渚の『日本の夜と霧』につながるものだと思う。そして、木下恵介は、表現としては、かの小津安二郎につながるものだとも思う。今日、黒澤明に比...木下恵介を思う

  • 「ああ、バブル時代・・・」

    『コミック雑誌なんていらない!』を見るが、1987年のこれは、実にバブル時代の東京の記録だなと思う。女性たちのファッション、麻布あたりのカフェやレストランなど。その意味では、貴重な記録だろうと思った。「ああ、バブル時代・・・」

  • 『コミック雑誌なんかいらない!』

    1986年の映画、公開時に見たが、その時よりも面白かった。内田裕也が演じるのは、テレビの芸能レポーターで、その名が木滑というのが笑える。モデルにしているのは、梨本勝で、芸能レポーターをしているが、神田正輝と松田聖子への突撃取材で、石原プロの苦情から芸能番組をはずされ、風俗レポートに廻され、夜の新宿の歓楽街のレポートが一番面白く、実際に売れっ子ホスト役として郷ひろみが出て来て、その前で片岡鶴太郎が、郷の物真似で歌う皮肉。同じマンションにいた殿山泰司や、内田の体を買った女性が、高額の純金商品で破産して自殺したこと等から、豊田商事を取材する。当初テレビの人間は、取材に非協力的だったが、大阪で騒ぎが起きそうだとなると、手のひら返しで、内田を突撃取材に派遣する。永野社長のマンションに行くと、ビート・たけしらの二人組...『コミック雑誌なんかいらない!』

  • 旧根岸競馬場について

    朝日の夕刊に、旧根岸競馬場の馬見所等について特集されていた。それは、それで良いが、この辺に「横浜市大病院が整備される計画もある」と書かれていた。実に、余計なことである。私の知る限り、このエリアに横浜市の所有地は、まつたくないはずであり、いったいどうやってそこに病院を建てるのだろうか。このエリアは、ほとんどが国有地であり、それを取得するのは大変な作業と費用がいる。また、あの高台に、患者と家族、医療従事者が、日々どうやって登るのだろうか。今は、103系統というバスが、つづら折りの坂を上下する状況である。新交通も無理なので、できるとすればケーブルカーくらいだ。病院行きのケーブルカーというのは、私は聞いたことがない。まことに非常識な考えであり、新聞記事だと思う。旧根岸競馬場について

  • 「俺は、戦後ずっとこれをやっているんだ!」

    前に書いた国有転貸については、少しだけ苦い思い出がある。それは、港営課に来て1年後の春、課長に言われて、新興ふ頭等の家賃、つまり転貸料を値上げしようと各社に通告した。金額は大したものではなかったはずだが、すぐに某倉庫会社の社長に呼び出された。行くと非常に怒っていて、「こんなのひどい、いきなり言ってくるなんてなんて奴だ」それで、「お前は、いつ港営課に来たんだ」と聞くので、「去年です」というと、「俺は、戦後ずっとこれをやっているんだ!」とのお答えで驚いた。私は、戦後の1948年の生まれなんだから。結局、戻って課長に報告して了解を取り、値上げ料を少し低くして、なんとか了解してもらった。この間、彼ら新興ふ頭の倉庫会社の社長の間を行き来して思ったのは、「この人たちは、元は戦前の国営の倉庫の関係者で、戦後国営ではなく...「俺は、戦後ずっとこれをやっているんだ!」

  • 山田太一がついた「海女映画」

    山田太一が亡くなられて、訃報に木下恵介に師事したと書かれていて、それは嘘ではないが、中にはかなり「変な作品」もあったようだ。それは、泉京子さんを主人公とする『禁断の砂』シリーズで、山田は、篠田昌浩らと共に、水中撮影班の助監督として、伊勢志摩の海に潜り、海女の股座目掛ける撮影に従事していた。どのような映画かと言えば、次のとおりである。昭和30年代、「海女女優」として有名だった泉京子の主演映画。共演は、大木実、褌姿が珍しい美少年石浜朗、泉と対立する悪役が瞳麗子。子供を亡くして気が狂った女に桂木洋子、大木の親が飯田蝶子と坂本武と、かなり豪華な配役。監督は松竹には少ないアクション専門の堀内真直。音楽は『水戸黄門』の木下忠司。当時すでに「バナナ・ボート」がヒットしていたので、カリプソ調の歌が歌われ、泉らが村祭りで踊...山田太一がついた「海女映画」

  • 『白い暴動』

    1982年1月の、クラッシュの東京公演は、非常に感動的で、今も開幕のとき、『荒野の用心棒』のテーマが流れて来た時の場内の大歓声を憶えている。今はなき、新宿の東京厚生年金会館ホールである。この年は、イギリス、アメリカのバンドが多数来て、ザ・プリテンダーズやトーキング・ヘッヅなどがあった。国内でもいいものが多数あり、郵貯会館での勝新太郎コンサートでは、「郵便貯金なんて俺にふさわしくない、不渡り手形ホールならぴったり」と笑わせてくれた。『与那国の歌と踊り』を国立小劇場で見て、「沖縄は日本じゃない、むしろ中国文化だ」と思わせたのも、この年で、11月には民音の主催で『服部メロディ・イン・ジャズ』があり、『ミュージック・マガジン』に「なんて軽いステップなんだ」と書いた。後に、演出の瀬川昌久にお会いして、このときのこと...『白い暴動』

  • 山田太一、死去

    シナリオライターの山田太一が亡くなられた。言うまでもなく、松竹大船の助監督だったが、やめて主にテレビで脚本を書いていたが、劇でも良いものが沢山あった。以下は、私が見たものの1本である。『日本の面影』2006年05月10日 山田太一作、木村光一演出の小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを描いた劇。テレビ用に書かれ、その後風間杜夫、三田和代主演で長く公演されてきたが、今回篠田三郎、日色ともえで公演された。なかなか感動的な舞台だった。ニューオリンズの新聞社から、日本に憧れて来日したハーンは、松江で西欧世界が喪失した美しい日本を発見する。同時に、日本は文明開化の真最中で、「古きよき日本」を捨て西欧化しようとしている。特に、次の任地の熊本では、地域社会との葛藤も経験し、東京の大学教員になる。ハーンが賛美する日本のよさは...山田太一、死去

  • 『帰郷』

    1950年の松竹映画、監督は大庭秀雄で、主演は佐分利信、木暮美千代、そして津島恵子である。原作は、大佛次郎で、外国にいて行方不明となっていた父親の佐分利が、戦後の日本で娘の津島恵子と再会する話であり、当時戦争で行方知らずになった家族が沢山いたことを反映した物語だといえる。かなり長い間、NHKでは『訪ね人の時間』という「・・・という人を知りませんか」と放送していたものだ。話としては、かなり上流に属する人間の再会話で、これを庶民化したのが、『君の名は』だとも言えるだろう。これは、大佛と菊田一夫との差でもある。これを見て面白いのは、出てくる男は、みな卑怯なことで、戦時中に憲兵だった三井公次は、戦後は新聞記者になって進歩派に属している。津島恵子の母親の三宅邦子が再婚した相手は、大学教授の山村聰だが、選挙に出るため...『帰郷』

  • 瑞穂ふ頭、ノースドックをどうするか

    瑞穂ふ頭、ノースドックの米軍施設の機能が恒久化しているのが問題との議論がある。私は、これに組みしない。ここはほとんどが国有地であり、もともと国の埋立事業だったので、日本国がどう使うかは、国の意思だ。だから、これを「横浜市に返還せよ」と言っても無理だろう。しかも、コンテナ化が進んだ今日、ここの港湾としての使用は価値がないと思う。だから、むしろ逆転の発想で、「ここは諦めますから、他の国有地を下さい」と交渉するのも手だと思う。第一の例は、旧横浜市役所の前の、横浜公園である。「あれが」と思われるだろうが、ハマスタのあそこは、全部国有地なのだ。だから、ここを瑞穂ふ頭の代わりとして、横浜市の土地にしてください、ということは有効だと思う。そうすれば、横浜公園全体をボールパークとすることもできると思うのだ。やることはいろ...瑞穂ふ頭、ノースドックをどうするか

  • 映画『聖獣学園』を思い出す日々

    パレスチナのガザ地区、さらにヨルダン川西岸地区でも、イスラエルの残虐行為が進んでいる。それを見て思うのは、東映の『聖獣学園』である。これは、インチキ学園に入った清純な少女の多喜川由美が、暴行を受けるもので(ただし、ほとんど吹き替えだが)、ひどい映画だった。ただ、唯一大笑いしたのが、神父の渡辺文雄の台詞である。「広島で、長崎で、アウシュビッツで、神はなにをしたのか、なにもしなかったではないか、神は死んだのだ!」「だから、俺はいくらでも悪いことをするのだ」この映画をぜひ、テルアビブで上映してもらいたいと思うものだ。「神は死んだ!」のだ。映画『聖獣学園』を思い出す日々

  • 国有転貸と日本大通り、そして関内、関外地区

    山下ふ頭再開発を考えるにあたり、重要なことは、過去の横浜の近代で行われたことを検証することだと思う。まず、幕末の開港のとき、攘夷派等の排外主義者から、外国人を守るために、吉田橋に関を設け、海側を関内地区とし、「関内、関外地区」を区分して、無事に開港を進めた。そして、次第に日本全体が、排外主義から逃れて、明治の文明開化になり、横浜市と港は大発展した。だが、1923年9月に起きた関東大震災は、横浜と港を壊滅させた。このとき、横浜市というか、主に経済界だと思うが、その対応は優れたもので、大桟橋、新興ふ頭等の、国が行った復興事業に、25%も、横浜市として負担をしたのだ。だから、国も、これをきちんと認めていて、今でも大さん橋、新興地区は、「国有転貸」という特別な制度で管理されている。これは、同地区全部を、運輸省から...国有転貸と日本大通り、そして関内、関外地区

  • 検討委員会を見て

    昨日の午後は、山下ふ頭再開発検討委員会学識者の議論をオンラインで見た。横浜市港湾局の報告も、寺島委員長のご意見も極めてきびしいもので、物流港としても、今後は難しい立場だろうとのことだった。そこで、カジノ・IRというのが、前林市長、そして当然にも裏にいた菅義偉官房長官だが、安倍晋三氏が亡くなった今日、この方向はもう無理だろう。彼らと同じ志向性の日本維新の会が、主導する大阪万博は、費用が2倍以上になることが暴露されて、維新の人気もがた落ちのようだ。「身を切る改革」は、いったいどこへ行ったのだと思うのは、私だけではないだろう。そもそも、カジノや万博、そして2年前のオリンピックのように、大規模イベントをやって・・・という発想が、時代遅れなのだ。これらは、19世紀的発想で、しかも欧州の発想で、21世紀の、アジア、ア...検討委員会を見て

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