日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
東京ドームでの巨人・阪神戦は、青柳が押さえ、佐藤と大山がホームランを打って3-2で勝つ。テレビでユーチューブを見ると大騒ぎなのだが、私も阪神ファンなので、気持ちはよく分る。青柳は、今や阪神のエースだが、最初出てきたときは、非常に評価の低い投手だった。いつだか忘れたが、テレビで野村克也が言っていた。「こんなひどいピッチャーっていないな」と。確かに、当時はコントロールがまったくなかったのだ。今は、投球のタイミングを外したり、いろいろやって打者を打ち取っている。最終回に岡本にホームランを打たれたが、後はたいしたことのない選手ばかりなので、問題なし。それにしても、巨人の菅野は良くない。肘の違和感だそうだが、ケガなのだろう。やはり、メジャーに早く行かせた方が良いと思うよ、原監督よ、それが本当の親心というものである。4連勝で大騒ぎ
1982年、テレビのスペシャル番組として作られたもの。脚本星川清司、監督は森一生である。秋山大次郎は、加藤剛で、父は中村又五郎、田沼意次は小沢栄太郎で、娘の佐々木三冬は新井春美という配役。ある夜、大辻ギロ辻斬りに襲われ、気を失った連中をつけると旗本長谷川・武内亨の屋敷であることを突き止める。その息子が、剣術好きで、刀剣を集めていることも分り、彼らとの対決となる。旗本屋敷に屯している化粧して女格好の剣士がなんと地井武男で、これがいい。ある侍は言う、「女男に男女」もちろん、最後は、大次郎を待ち構えているある道場に行き、二人で者共を成敗する。小沢、武内、地井、そしてもちろん加藤もみな劇団俳優座の関係者であり、「本当に俳優座は良い役者がいたなあ」と思う。私の姉の一人は、俳優座後援会の会員で、後援会の運動会に行ったことも...『剣客商売辻斬り』
阪神・中日戦を見ていて、4回の裏にノーアウト、1,2塁で高山がライナーを打つが1塁に取られて、なんとトリプル・プレーになる。解説の上田二朗も「珍しいものを見せてもらいました」と言っていた。結構あると思っていたら、12年ぶりとのこと。意外にないのだなと思う。たしかダブル・プレーでは、カゴメトマトジュースから賞品が出るはずだが、トリプル・プレーはなにが出るのだろうか。なんとか西の後は、アルカンタラ、湯浅、岩崎でリレーして勝つ。これでやっと6勝目。道は長い。トリプル・プレーを食らっても勝つ
なんともすごい題名だが、中身も凄い。監督は江崎実生で、脚本は山崎厳だが、構成は小川欽也となっていて、実際は小川のものだと思う。色魔とは、自動車修理工の藤木孝で、次から次へと女をものにしてしまう。女優は、火鳥こずえ、乱孝寿、美矢かおるらで、要はピンク女優のオンパレード。監督以外のスタッフも、岩橋秀光、黒沢治安など旧新東宝の人たち。日活は配給で、制作は青山プロとなっているが、児井英世のもので、彼が青山に住んでいたからだらしい。これが、1968年8月に作られていたとは驚きで、同時上映は野村孝監督、高橋英樹主演の『鮮血の賭場』で、これは見たことがあるのだ。こうしたピンク的な作品は、3本立ての1本として上映されていたのだと思う。ある女性との関係で、黒人のハーフと知合うが、変だなと思うと山本昌平。彼も、有名な男優で、調べる...『ある色魔の告白・色欲の果て』
1958年の新東宝作品、前年の『憲兵とバラバラ死美人』が当たったので、似たのを作れとの大蔵貢の要請でtくられた作品。監督は、中川信夫、脚本は助監督の石川義宏、撮影西本正、美術黒沢治安。憲兵の天知茂は、惚れていた女の久保菜穂子が、部下の中山昭二に取られて結婚したのを恨み、機密書類の行方不明を中山に罪を着せて、拷問の末に処刑してしまう。いくら戦時下の憲兵でも、そう簡単にはと思うが、中川のテンポの良い映像で進む。そして、天知は久保を手に入れてしまう。実は、天知が中国人商人で、実はスパイに金と引き換えに渡していたのだ。そして、戦局の進行で、天知は中国の漢江に赴任する。そこでは、キャバレーがあり、三原葉子、万里昌代らが踊るシーンもきちんとある。そこに、中山の弟が天知を追いかけて来る。兄の死を疑っていたのだ。最後、中山や憲...『憲兵と幽霊』
野球の技術的な話は、しないようにしているが、昨日の矢野監督の投手交代は理解できない。昨日は、2回に1点リードしたが、3ランで逆転され、これで終わりだと思い、ビデオの整理をして戻ると、小野寺の代打満塁ホームランで5-3で逆転したと言う。小野寺は、豊田と共に、評価できない打者だが、打ったのは結構なことで、しかも雨が降っていて、到底最後までできないと思うので、「ここは、岩崎だ!」と思う。だが、馬場で、危ないなあと思うと、予想どおり。雨でグランドがぬかるっているのに、力任せに投げる馬場は無理だと思うのだ。その点、岩崎は比較的軽く投げる投手なので、球のブレは少ないと思える。予想どおり、馬場はコントロールが付かず、簡単に再逆転されて、次の6回表で、降雨コールド負け。これは、去年の結果がトラウマになっているのだと思う。去年は...やはり、去年のトラウマだろうか
桜木町のシネマ歌舞伎で、玉・孝コンビの『桜姫東文章』を見る。上の部で、下は来週見るので、中身についてはその時書く。最後、流浪の身になった玉三郎の姫様が、赤児を抱えて海岸淵をいく。これは、日本映画で大ヒットした「母もの」だなと思う。東映にいた深作欣二は、助監督時代、さんざ母ものの「浪曲映画」をやったそうだ。「これは、非常に楽でいいの、母と娘がさんざ苦労して、海岸淵を歩いたり離れたりするだけで、人避けなどがいらないのよ」150年前の江戸末も、次第に進む資本主義と近代化の中で、庶民の中でも没落していく者が多数出て、さまざまな悲劇が生まれたのだと思う。浪花節や講談でも、こうした悲劇があり、それが母ものになったのだろうか。母ものの源流だろうか『桜姫東文章』
またしても、1点差負けで、3連敗。横浜の東を打てなかったのが、最大の原因だが、ライトに豊田というのは、驚く。巨人戦にも出てきたが、強振で三振。到底打てるとは思えなかった。いくら、東が左だといっても、糸井の方がまだ打てそうに思える。そんな選手をなぜ出したのか、豊田が横浜高校の選手で、地元だからだ。一昨日の西投手は、4点のリードを逆転された。どれも、矢野監督の温情である。温情で勝てるのは、アマチュアレベルで、プロでは無理だと思う。今年で辞めるのだから良いとしても。矢野の温情
NHKBSで『清朝の秘宝』が放送された。今、中国で秘宝のオークションが盛んに行なわれているそうだ。その内のいくつかが、実は日本の山中商会が、20世紀初頭に中国から買ったものだった。20世紀の中国は、辛亥革命で清朝が終わるが、その国内の混乱の中で、清朝の王侯たちは、所有していた秘宝を売却、質入れし、その金で生き延びる。山中商会も、それらを買い入れ、日本のみならず、米国で売る。かのロックフェラーも客の一人だったそうだ。そして、現在、中国の富裕化で、多くの富裕層が、世界でかつて中国から遺失した秘宝を買い戻している。一人の持ち主は、言う。「いずれ売ります」これは正しいことで、こうした骨董品は、多くの人の間を流れ、最後は本当にふさわしい人のもとに行くものだそうだ。財宝は、金と権力の下に行く、とはその通りだった。『清朝の秘宝』
映画『大日本スリ集団』で、前に阿佐ヶ谷ラピュタで見たときも不思議に思ったことがあった。それは、この大阪、京都、そして阪急電車沿線をロケしている作品が、なぜ宝塚映画で作られなかったのかである。大阪の道頓堀、京都の祇園祭、阪急電車での三木のり平のスリの実行など、普通に考えれば、宝塚映画で制作すればいい作品で、事実制作は宝塚の寺本忠宏で、照明も下村一夫である。だが、この作品は、脇に劇団民芸などの新劇の俳優が沢山でている。だから、東京にいる彼らをわざわざ関西まで行かすのは、旅費等が掛るので、すべて東京でやることにしたのではないかと私は思う。実際に、関西に行ったのは、三木のり平と小林桂樹、酒井和歌子、田中邦衛、菅原健二ら程度のように見える。さすがの東宝も、この時期は随分と予算が苦しくなっていたのだな。同様に、日活で舛田利...『大日本スリ集団』の制作体制
1969年、東宝の映画だが、大阪のスリ(三木のり平)と府警のスリ係刑事(小林桂樹)の話だが、この二人は戦時中は陸軍の戦友の仲である。松竹にもかっての戦友が敵に別れてという喜劇があったが、これは非常に上質。原作、脚本は藤本義一で、この小説を読んだ記憶もある。そこでは、スリの組合のことが詳説されていて、給料制で保険等もあるようになっていたと思う。訓練の様子もあり、お湯と冷水に指を交合に付けて指の感覚を磨くと言うのがあり、ここでも出てくる。小林桂樹の娘が酒井和歌子で、同僚の刑事が田中邦衛、三木のり平の若妻が高橋紀子、のり平の仲間に、平田昭彦、砂塚秀夫、草野大悟、古今亭しん朝など。三木の息子が寺田農で、ヤクザものになっている。道頓堀で、菅原健次の音頭で、戦友会が開かれると、その酌婦で刑務所に入れられた古今亭しん朝の妻・...『大日本スリ集団』
横浜市に40年にいて、いろんな人とあったが、Sさんも印象に残る人だった。ある局で、係長をやっている時、局の庶務課係長で、その局を背負って立っているように毎日忙しく動いていた。相当にうるさい人で、なんでも口を挟んで来たが、根は悪くないので、みな付いていたようだった。ただ、気分屋で、その時々で言うことが違うので、困ることがあった。あるとき、少しやばいかなと思える起案があり、それが無事通ったと言うので、総務課に見に行き、趣旨を話すと予想通りまったく理解していないで判を押しているのだった。「指田さん、こんなのだめだよ・・・」と印の上から鉛筆でバツを付けられてしまった。どのように通してもらったが忘れたが、たぶん庶務課長と私は仲が良かったので、課長に話し、課長から言ってもらったのだと思う。結局、そう悪い人ではなかったと今で...Sさんのこと
言うまでもなく、夏目漱石の小説の映画化で、1973年2度目である。監督の新藤兼人は、苦手で、そのドラマ作りが暑苦しくて気が抜けないからである。彼は、やはり師の溝口健愛愛の作風に似ているといえるのだろうか。これは、公開時に日劇文化で見たと思っていたが、ノートに記録がない。特に感想がなかったからだと思うが、20年後にシネマジャックで見ている。このときも感じたが、主人公松橋登が惚れる下宿の娘杏梨の母親の乙羽信子の美しさである。昔の日本の女性の着物姿は、実に美しいなと思う。なんとなく、ずるいなとも思う。この映画は、乙羽さんの賛美なのか。杏梨は、この映画の他出ていないが、当時はモデルで有名だったと思うが、乙羽さんの比ではない。松橋登に出し抜かれて自殺してしまう友人が辻萬長で、いかついかんじだが、よく見ると良い顔である。よ...『心』
火山火口から煙もくもくのニュー東映の作品、1961年で監督は深作欣二。これを見ると、彼の反米意識の強さがよくわかる。以前、テレビで彼は、「アメリカ映画を見ても、面白いのだが、敵国なので喜べないのよ」と言っていた。丹波哲郎が、部下の曽根晴美のほか、不良外人の白人夫妻、韓国人の春日俊二、さらに黒人兵士を秘密の別荘に集める、さらに、黒人との混血の中原ひとみも。丹波は、東京の外銀から多摩地区の米軍l基地に運ばれるドルを奪うことを計画しているのだ。脚本は佐治幹で、この時期アクション映画をよく書いていた。別荘の持ち主は、国会議員の柳英治郎で、彼は米軍と関係があり、彼から丹波は金で借りている。別荘で、いろいろあり、丹波の女の久保菜穂子など、全員が他人を殺してドルを独り占めしようと考えている。この件が結構長く、人間関係が上手く...『白昼の無頼漢』
完全試合を日本のプロ野球で最初にしたのは、藤本英雄だが、彼はもう一つ、最初のことをしている。それは、スライダーを投げたことで、それは宇野光雄とのキャッチボールの際に偶然に生まれたとされている。本当かどうかは分らないが、前から言われてきたことなので、まあ本当だろうと思う。当時は、ストレートとカーブだけだったのだが、そこにスライダーが加わった。今や、スライダーのほか、チェンジアップ、ツーシーム、カットボールなどいろいろある。だが、今回の完全試合の佐々木朗希は、ストレートとフォークボールしか投げていない。それでも、完全試合のほか、連続19人連続三振も取れたのだ。このことは、阪神の藤浪君は、よく憶えてほしいと思う。藤浪も、ストレートとスライダーだけで、十分に打者を押さえられられるはずだからだ、きちんと投げれば。藤本英雄が最初にしたこと
ロッテの佐々木投手が完全試合をしたそうだ。昨日は、用があって東京に行っていたので、阪神の試合を見なかったが、家にいれば阪神ではなく、ロッテの試合を見たと思い、実に残念なことだ。完全試合など、そうあるものではなく、また私の記憶では、完全試合を食らったチームは優勝していないと思う。その意味では、オリックスの今年の優勝はないことになる。さて、日本のプロ野球での最初の完全試合は、藤本英雄投手である。1950年6月で、巨人と西日本戦で、青森市営球場で行なわれた。ただ、これの写真はなく、誰も当時は問題とされた記録ではなかったのだ。これを見た人に、寺山修司がいて、本に書いてあった。ただ、寺山は野球が好きではなく、その理由は「野球はホームに帰るスポーツだから」とのこと。家出の勧めを書いた詩人の言葉である。この次は、阪神との交流...完全試合を見た人
西武の悪口を書いたので、同様に住友倉庫のすごさについても書くことにする。YCCがあった新山下の土地は埋立てられて。本牧A埠頭と一緒になって、そこに小さいが住友倉庫のコンテナヤードがあった。そして、その用地の中に首都高のベイブリッジの橋脚が立つことになり、本来なら首都高がやるべきだが、これもなぜか港湾局が住友と交渉することになっていた。要は、柱が立つのだが、それにつれてゲートの場所の変更、塀の新設などいろいろあった。それを交渉するのだが、いちいち大阪の本社に聞くと言うのだ。こっちは、担当と係長の私だけで大体決めていて、結局最後に課長の了解を得るようになっていた。交渉の途中で、本社の了解を取ると言うので、非常に驚いた。「100万円を超える交渉は、全部本社決済なのですから」と言っていた。さすがにケチで知られる住友と思...住友倉庫のすごさ
横浜都市発展記念館に行くのは、たぶん二度目で、今回は「激震、鉄道を襲う」展を見に行くためだ。正直に言って、「ああ、大変だったろうなあ」と思えるしかない。私たちは、その後の大震災を体験しているからだ。受付で、販売資料を見ていたら、この2015年の展示の資料があったので、買う。これが、実に面白い。日記そのものは、あまり載っていないが、この時計屋さんの下平博凞(しもだいらひろき)と言う人の軌跡が昭和そのものなのだ。1930年1月、13歳の下平少年は、長野県伊那郡から磯子区西町の谷崎時計店(やざき)に来る。伊那郡の村では、養蚕が盛んだったが、1929年の大恐慌で、アメリカ向けの生糸輸出が激減し、農家の子女は、都会に働きに出されたのだ。ニュースフィルムだと少女が身売りする映像が出てくるが、少年も同様だったわけだ。この時計...『時計屋さんの昭和日記』
金沢の横浜市大病院の移転先として、根岸の住宅地区が検討されているとのことだ。私は、これに反対であり、市大病院は、例のIRがなくなった山下埠頭に整備するのが良いと思う。私の知る限り、根岸の住宅地区で、横浜市の土地はゼロのはずで、ここに市大病院を整備するには、多大な用地費が必要である。しかも、あの高台に病人を行かせるのは問題である。バスのほか、新交通システムでも作るのだろうかね。その点、山下埠頭は、以前に港湾局長に聞いたところでは、かなり土地を取得しているので、用地費はほとんどいらない。海辺の病院というのは、あまりないが、今後の市民の健康促進としてはよいのではないかと思う。そして、市立病院を核に、特養、介護施設、民間特養ホームなどを配置して、エリア全体を「健康の町」とすれば良いと思うのだ。その外延の埠頭の岸壁には、...市大病院は、山下埠頭に移転を
金沢の西武のゴルフ練習場と新杉田駅前の石川島建機の土地が売却されたというので横浜シーサイドラインで上から見てるみる。どちらも完全な更地になっている。石川島の土地は、たぶん戦前に県が埋立てた土地だと思うが、金沢の福浦の土地は、元は横浜市が埋立権を持っていたが、戦後売却して、ある経緯があって埋立地のゴルフ練習場等になったものなのだ。1950年代以降、新杉田の昔は西武のゴルフ練習場等があった場所は、実は横浜市が埋立権を持っていて、埋立工事をやっていたところだった。ところが、当時は磯子も、本牧も埋立ててはできておらず、横浜港の波は激しくて、何度かの台風で護岸が壊されたので横浜市は、工事は止めて、その権利をある財団に売却したのだ。その時の価格は、200万円だとのこと。それは、横浜なんとか財団で、モーターボート場ほか、海上...200万円で売った土地を60億円で買い戻す
横浜には、二つのヨットのクラブがある。YCCとYYCで、横浜クルージンブクラブと横浜ヨットクラブ(協会)である。YCCは、新山下の貯木場の近くにあり、岡本造船所の隣で、サスペンスドラマの背景としてよく出てくる。YYCは、磯子にあり、ここは明治時代に横浜に居留していた外国人によって作られたもので、これも元は新山下の貯木場の脇にあった。その姿は、篠田正浩の映画『涙を、獅子の立髪に』に外人のヨットクラブとして出てくる。当時は、まだ貯木場も使われていて、その水面に死体が浮いているシーンもある。その周辺には、学連ヨットクラブという、首都圏の大学のヨットクラブの施設もあり、建築家の長谷川逸子先生も大学時代に通ったことがあると言っていた。この学連クラブは、1964年のオリンピックのとき、江ノ島に移転した。一方、YCCの前面の...YCCとYYC
パシフィコ横浜にいるとき、市内の3大学が入学式をやったのを見たことがある。横浜国立大学、神奈川大学、そして関東学院大学。ただ、見ただけなので、正しいかどうかはもちろん分らない。一番派手というか、はなやかだったのは、関東学院で、女性が多いのもその理由だろうと思う。逆に一番真面目そうと言うか、黒っぽかったのは、横浜国立大学で、神奈川大学はその中間という感じだった。そして、見ていて、どの大学も地方からの学生が多いなあと思ったものだ。あこがれの首都圏に来て、海の見える横浜の会場で入学式を迎えられるのは、きっとうれしいことだろうなと思ったものだ。入学はゴールではなく、ただの始まりにすぎないのだけどね。入学式に見る3大学の違い
佐藤忠男さんとは、3年前の小津安二郎ネットワークでもお会いしたことがある。その時、小津の『生まれてはみたけれど』の評価は、一般に高かったが、一人だけ評価しない人がいたと言っていた。それは、双葉十三郎さんで、「サラリーマンの世界はあんなもんじゃないよ」と言っていたそうだ。双葉さんは、サラリーマン生活を送ったこともあるからだろうと言っていた。たしかに、あの『生まれてはみたけれど』のサラリーマンの卑屈さは、小津がいた松竹のことかもしれない。松竹は、大谷と白井の同族会社で、ああいう卑屈なこともあったのかもしれないと思う。佐藤忠男さんからお聞きしたこと
20代のとき、一番好きな監督だったのは、蔵原惟繕だった。『憎いアンちくしょう』『銀座の恋の物語』『何か面白いことないか』などで、凄いのはこれらが皆日活の通常の娯楽作として作られていたことだ。彼の作品に疑問を持ったのは、1975年に三軒茶屋中央劇場で『雨のアムステルダム』を見たときで、これには本当にがっかりした。萩原健一が騒いでいるだけで、実につまらないと思ったものだ。1985年のこれも、それほどひどくはないが、売り物が古手川祐子の裸しかないのだから、大いに泣けてくる。まあ、古手川や三田佳子、加賀まり子らをきれいに撮ろうとしていることは認められるが。北大路欽也や三田佳子らの演技が非常におさえて淡々としているので、どこにも劇的な盛上がりがない。あるのは、最後に三田が、北大路と古手川の隠れ家に乗り込んで来て、狂気的に...『春の鐘』
大学に入って驚いたことの一つに、みなラジオ関東を知らないことだった。地方の人間はともかく、東京の人もよく知らないのだ。ラジオ関東の送信所は、多摩川の川崎側の多摩川大橋の近くにあったので、東京でも南部の池上では強力な電波で入っていたのだ。そこでは、『ポート・ジョッキー』などの番組があり、「港が見える云々」を言っていて、横浜の高台にあるように見せていたのだ。だが、それは建前上のことで、実際はほとんど港区麻布台で制作されていた。開局の際の競争で、神奈川県の放送局とのことで、河野一郎の力でできたので、横浜から放送しているとの建前が必要だったのだ。だが、実際は麻布台で作られていたそうで、当時の放送作家には、向田邦子や五木寛之などもいたそうだ。私の知合いの音楽評論家も、学生時代にラジオ関東でアルバイトをしていたそうだが、麻...ラジオ関東について
文化放送と同じように、ラジオ関東も深夜放送をやっていた。12時からは、なんだっかは憶えていないが、12時半からはDJで、季節によって替る番組だった。ここでは、中村とうようさんは、『ラテン・タイム』をやっていたので、私はずっと中村とうようさんは、ラテンの人だと思い込んでいた。それは季節番組で、夏はハワインという具合だった。そして、15分間のが終わると、チコ・ハミルトンの曲が流れ、本多俊夫の『ミッド・ナイト・ジャズ』が始まるのだ。1960年代当時、日本の都市ではモダンジャズが大流行で、石原慎太郎や大江健三郎はもとより、井上光晴、倉橋由美子らもジャズに興味を持っていたと言うのだから本当に笑える。モダンジャズは、今や第二クラシックなのだそうだ。ラジオ関東の深夜放送
もう30年以上前だが、ウィーンに行ったことがある。1991年夏に横浜で行なわれた国連ピ-スメッセンジャー会議の参加を依頼するために、欧州の各都市を廻ったのだ。ローマ、フィレンチェ、ウィーン、マドリッド、そしてリスボンである。リスボンでは、三島由紀夫の弟の平岡大使にお会いした。小柄で、当然だが三島によく似た方で、カンラカラカラと笑うところも同じだった。と言って三島由紀夫に会ったことはないが。そして、ウィーンで日本料理店があると言うので、行ってみた。同行してくれたのは、当時横浜市のハンブルグ事務所にいた新井成一さんである。その日本料理店だが、何を食べたか憶えていないが、そうまずくはなかった。だが、日本の他、中華、そして韓国料理もメニューに載っているのだった。まあ、そんなものだろう、欧州のアジアなど。ウィーンではもう...ウィーンの日本料理店
昔、宝塚映画という会社があった。東宝系で、小津安二郎の『小早川家の秋』なども作ったが、これは五社協定外だったので、他社のスタッフ、キャストを使えたのだ。もう一つ意味があり、東宝系で時代劇を公開することで、関西の時代劇スタッフを使って時代劇を作ることだった。監督は、大映の安田公義で、この人は地味だが、稲垣浩の弟子で、抒情的な作風がよかった。最初に驚いたのは、川崎の映画館に内藤洋子の映画を見に行ったときで、『殺人者』には非常に驚いたものだ。ここでは、権八の中村扇雀は、因幡の藩の作事奉行・高田稔の息子で、河川改修で、悪家老杉山昌作九の農民弾圧に反対して、運河開削を主張する。扇雀の恋人は言うまでもなく扇千景先生である。だが、藩主には通らず、農民の窮状との板挟みで、自害してしまう。扇雀は、田畑の溜池化の工事に従事するが、...『白井権八』
巨人、西鉄、太洋、近鉄、ヤクルトで監督をし、西鉄と太洋で日本一になった人に三原脩がいる。彼によれば、ゲーム差を回復するには、それに10を掛けた試合数が必要だとのことだ。つまり、1ゲーム差を追いつくには10ゲーム必要だとのことで、実際にそんなものである。阪神が今日も負けて、広島とは6ゲーム差なので、これを回復するには60ゲーム必要となる。そうなると、もう前半戦は無理となる。矢野は、今年で監督を辞めると2月に言ったが、4月中には辞める可能性も出てきたようだ。三原の法則では
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日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳