日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
テレビを見ていると、キセル乗車の語源について林先生が説明していた。今は、カードなので、キセルもやれなくなったと思う。大学の劇団の先輩で、キセルの常習者の二人がいた。もう二人とも亡くなっているので、書いてよいと思うが、OとYだった。Oは鎌倉に住み、Yは茅ヶ崎だった。二人が、高田馬場や新宿から帰るとき、Yはきちんと定期を持っているのでなにもない。ところが、Oは定期は持っていないので、まず最低区間の切符を買う。そして、品川から東海道線か、横須賀線に乗り、大船当たりに来ると、車検に来た車掌にYが鎌倉までの変更の切符を買う。そして、鎌倉でYは、その切符で降り、OもYの定期を見せて方向変更の切符を買ってそれで出る。劇の公演のある秋の時期には、「ほとんど毎日やっていたというのだから、車掌は分っていたのではないか」とYは良く言...キセルのやり方
ロシアのウクライナ侵攻は、どう考えてもひどいが、それに一番責任のある日本人は誰だろうか。言うまでもなく、安部晋三元首相である。彼は、プーチンと28回も会い、「シンゾウ、ウラジミル」と言いあったことを誇ってきた。安部は、ロシアがクリミアを取ったときの西欧側の経済制裁にも加わらず、山口にプーチンを招いたりしていた。日本テレビは、プーチンの山口入りを中継し、明日にも北方領土が戻るかのごとき幻想を振りまいてきた。だが、北方領土は、1ミリも戻って来ず、逆にロシアの領土を返還をしない法律までできてしまった。すべては、安部晋三がプーチンの横暴を許した結果である。ウクライナ侵攻に責任のある日本人は
「メロドラマの成立しにくい時代のメロドラマ 『かりそめの唇』」
西河克巳監督は、「メロドラマが成立するのは、戦争や革命などの大事件が必要だ」と言っている。『風と共に去りぬ』は、南北戦争だし、日本の『君の名は』も太平洋戦争で、特に東京大空襲が映画の始まりになっている。この1955年の松竹大船のメロドラマは、その意味では、太平洋戦争はおろか、米軍占領も終わった1955年なので、その分ドラマは苦しい。冒頭に、へねっ返り娘の淡路恵子が、車を運転していて、従兄弟の川喜多雄二を助手席に侍らしている。雨の中で、飛び出してきた少年を跳ねてしまい、病院に少年を運ぶ。そこに美人看護婦の藤乃高子がいて、ここで川喜多と藤乃は、あい惚れしてしまうのだ。翌日、川喜多は、少年の家を見舞いに行くと、浅茅しのぶに会う。この浅茅は、実は川喜多の叔父で、大会社社長の柳永二郎の妾なのだが、川喜多はまったく知らない...「メロドラマの成立しにくい時代のメロドラマ『かりそめの唇』」
先週に、小山台高校のクラス会があった。私は、この真面目高校が苦手だった。この高校の校舎が出てくる映画がある。日活の鈴木清順監督、高橋英樹主演の『けんかえいれじい』である。なぜ、小山台高校が使われたが不明だが、日活には、加藤彰、藤井克彦などが、実は小山台の卒業生で、当時は日活の助監督だった性だろうか。小山台高校が出てくる映画は
今回のロシアのウクライナ侵攻、ウクライナ戦争に似ているのは、どれだろうか。私は、満州事変から日中戦争に似ていると思う。五族協和を掲げて傀儡国家満州国を作った日本は、1937年に北京で盧溝橋事件をきっかけに中国との戦争に入った。盧溝橋事件の犯人については、諸説あるが、そもそもなぜ日本軍が北京にいたのだろうか。その理由は、なんと1901年の義和団事件なのだ。清朝末期の中国の混乱の中で、外国勢力の排撃を目指した義和団が騒擾を起こし、北京に攻め上ってきた。止められない清朝は、外国の出動を許し、日本、イギリス、アメリカ、ロシア等8か国の軍隊が出動して、鎮圧した。そして、各国は順次撤兵したが、日本軍はいろいろと理由を付けて北京にいた。太平洋戦争で勝ったアメリカですら、7年で占領をやめ、駐留も基地内だけである。それが、190...ウクライナ戦争に似ているのは
主演のキャサリン・ターナーは、『白いドレスの女』で好きになったので、前から見たいとおもっていたが。彼女の体当たりの演技が凄い。製作のマイケル・ダグラスは、父親のカークも製作をやって成功したので、これも上手くやっている。ロマンス小説家のターナーは、姉の夫が殺されコロンビアに誘拐されて、「現地に来い」と連絡される。コロンビアのジャングルに行くと、警察のごとき悪漢に追われ、そこで正体不明のダグラスと出会い、そこからは、ハラハラドキドキとなる。ハラハラドキドキ映画は、映画の源流の一つで、ここでも宝探しである。義兄が作った秘宝の地図が、宝の手がかりで、それは大きなエメラルドで、二人が洞窟の泥水から引き出したのは、緑に光るエメラルドだった。もう一人の悪漢でダニーデ・ビートが出てきて、非常にうれしかった。私は、このチビデブハ...『ロマンシング・ストーン秘宝の谷』
南原宏治(伸二)とは、どんな役者だとの話がきたので、書く。南原は、一流スターとは言えなかったが、結構話題の多い俳優だった。彼の経歴は、以下のとおり。上は、高倉健と共演した『網走番外地』である出演1955.01.27姿三四郎第一部東映東京...巡羅1955.04.19青春航路海の若人東映東京...高峰慎二1955.06.21終電車の死美人東映東京1955.09.06暴力街東映東京...岩佐哲次1955.11.08まぼろし怪盗団第一部まぼろし怪盗団東映東京...魔王の密使1955.11.15まぼろし怪盗団第二部魔王の蜜使東映東京...魔王の密使1955.11.29まぼろし怪盗団第三部悪魔の王冠東映東京...魔王の密使1956.01.03多羅尾伴内シリーズ戦慄の七仮面東映東京1956.01.08黒田騒動東映京都......南原宏治について
戦前から何度も作られている『坊っちゃん』だが、あまり知られていない版だと思う。1935.03.14坊つちゃんP.C.L.山本嘉次郎1953.08.12坊っちゃん東京映画丸山誠治1958.06.15坊っちゃん松竹大船番匠義彰1966.08.13坊っちゃん松竹大船市村泰一1977.08.06坊っちゃん松竹=文学座前田陽一監督は番匠義彰、主演は南原伸二(宏治)、有馬稲子、伊藤雄之助、伴淳三郎。トニー・谷などでなかなかの適役である。筋は、原作どおりで進むが、驚くのは、かなりの部分を松山周辺で撮影されているらしいことだ。最後の、松山中学と師範学校との喧嘩のシーンは、河原で100人近くでやっている。だが、いずれにしても注意して貰いたいのは、夏目漱石は、この坊っちゃんのような単純明快な男ではな異ことだ。むしろ、洋行帰りのキザ...『坊ちゃん』1958年南原伸二版
夜、阪神が勝ち、予想どおり大相撲は照ノ富士が優勝して夕食の後、適当にチャンネルを廻していると、東京MXテレビで西河克巳監督の『伊豆の踊子』をやっているので、見る。踊子は、吉永小百合で、一高の学生さんは高橋英樹、踊子一座の男は、大坂志郎で、元新派の役者となっている。母親は、浪花千栄子で、その他紙屋で井上昭文、鳥屋で桂小金治などが出ている。当時、伊豆半島は道路建設で多くの人間が出入りしていたのだ。大坂志郎と浪花千栄子が、いろんな芸を見せるが、この1963年当時、吉永・高橋の青春映画でも、多くの世才が見るものだったわけで、単純に若者向けになっていないところが、時代の差である。右奥は、西河克巳監督原作者の川端康成は、伊豆の撮影現場に来たそうである。完全なロリコンですね。MXテレビ2『伊豆の踊子』1963年吉永小百合版
昨日のブラタモリで、横浜、川崎の港を特集していて、番組の冒頭が本牧のシンボルタワーだった。これは、本牧のD突堤を作るときに、当時は横浜の外防波堤上にあった信号所も移設せざるを得ず、D突堤の先端に移動させたものだが、ただ動かしただけではつまらないとのことで、周囲を大きくして、さらに公園状ににしたものである。どこからどこまでを横浜市が作り、海上保安庁がどこを負担したかは忘れたが、10億円くらいだったそうだ。「最初、1億円でできるというので認めたが、やってみたら10倍掛って、俺は建築屋にだまされたんだ」と某経理課長はよく言っていた。さて、このネーミング、垂直に立っていてシンボルとはこれいかに。男性のシンボルでしょうかね。現在なら、かなり問題となったネーミングだといえないかなあ。横浜港シンボルタワーは
1961年の鈴木清順監督作品、主演は和田浩治で、高校生らしいが、豊島園のローラースケート場で、指導員をやっているが、池袋で暴力団と対決するグループを率いている。彼の母は、山岡久乃で、池袋でバーをやっているが、そこは暴力団ボスの富田仲次郎の庇護でやっているもの。和田の住む近所に医者の菅井一郎と娘の芦川いずみがいて、和田は芦川に引かれているが、彼女には富田の組にいる葉山良二と恋仲であり、この頃実際にこの二人は恋人同士だった。和田は、裕次郎に似ているというのが売りで、確かに笑顔は裕次郎にそっくりであり、彼の父和田肇はピアニストで、淡谷のり子と結婚していたこともあると言う有名人だったようだ。富田の組の横暴と和田らの若者たちが対立する以外に大した意味はないが、舞台が池袋西口で、当時はまだ区画整理をやっている中途だった。方...『無鉄砲大将』
昨日の午前中は、中野に行って中川右介さんの『歌謡曲という文化』の二回目の『沢田研二』を聞いたが、彼の舞台を見たことを思いだした。1989年、横浜アリーナの開場を祝ってのイベントで、斉藤憐作、市川猿之助演出、沢田研二と大地真央らが出た市民オペラと称するものだった。私としては、ほとんど感心できず、2年後にウォーマッド横浜をやることになったのだ。このイベントに参加した女性の一人のKさんからも聞いたが、「ただのマスゲームで、がっかりした」とのことだった。『海光』を思い出す
矢野は、本当に試合の流れが読めない監督だと思う。2点リードされていた9回裏、ツーアウトになったが、佐藤がレフトにヒット、ここで大山が2ランホームラン。一気に盛上がったので、10回か11回でサヨナラ勝ちすべきところだった。11回裏、中野が幸運な内野ヒットで出たので、次のマルテは当然バントだと思う。ところが、バントはしない。「巨人なら、丸や中田でもバントだったのに」と思う。予想どおり進塁はなしで終わり、次の12回表に4点も取られる。マルテにバントさせておけば、11回でサヨナラ勝ちだったはずだと思う。今年で、矢野は辞めるので良いのだが。マルテは大打者なのか
今日の午後は、横浜稻門会の3金会で、元横浜市国際室の河野君の「最強剣士は誰か」を聞く。剣術が問題になったのは、戦国時代と幕末で、どちらも政情不安で剣による戦いが行なわれたからだ。河野君は、息子が剣道を始めて自分もやって五段になったとのこと。いろいろあったが、明治期の剣士の一人で榊原健吉という人がいたのだそうだ。直新影流で、上野戦争にも参加した優れた剣士だったようだ。ただ、明治維新後、武士の中でも剣術で生きていた連中が失業したので、「撃剣会」というのを組織し、各地で興業のようなことをやっていたので、評判が悪くなったとのこと。これは、日活で1965年の『必殺剣』と1967年の『影を斬る剣』の2本が作られた『秩父水滸伝』シリーズのことなのだろうか。高橋英樹の主演で、落剥した武士が剣道を見せる集団を作って旅廻りをする話...『秩父水滸伝』は実話なのか
1963年の公開当時、「真っ赤な嘘の物語」と言われ、知人で見た人に聞くと「ひどかった」とのことで今まで見ていなかった。監督の井上梅次については、早稲田大学の映研の金子裕君も、「もう古いんじゃないの」と言っていた。これは、低迷していた当時の松竹で、岡田茉莉子の新企画として作られたもので、メリメの『カルメン』を基に松竹では珍し白坂依志夫の脚本となっている。話は、カルメンのように、愛への情熱で男を次から次へとわたり、最後は破滅する女性歌手となっている。横浜のクラブ・ハバネラ、そこの歌手マキの岡田茉莉子とできて、クラブの支配人でヤクザの根上淳を裏切った若い男松原緑郎が射殺されるところからタイトル。松原は、死ぬとき、マキと昨日できて、その見返りに赤いバラをもらったと柱に、「マキ」と書く。いちいち、画面の下で赤いペンキを付...『真っ赤な恋の物語』
阪神が連勝し、巨人が負けた気持ちの良い夜にCSで放映されていた『大魔神』を見る。監督の安田公義は、私が、当時森一生とならび大映での贔屓で、あるとき偶然に川崎の場末の映画館で見た安田道代主演の映画『殺人者』で、感動し驚いたのである。戦国時代のある藩で、流れ者から成り上がった家老の五味竜太郎が、藩主を殺し、藩主に従う家来たちも根絶やしにしてしまう。五味につくのは、杉山昌佐久や遠藤辰雄のように、見るからに悪人顔の残虐非道な連中。藩主の子、息子と娘は、正義派の藤巻潤によって逃れて、山中の巫女が住む家に匿われて10年が過ぎる。二人は、青山良彦と高田美和に成長している。青山は、花柳流の家元の人間で、数年間に騒がれた花柳流のお家騒動では顔が見えたが、元家元になっているようだ。五味らは、百姓を使役して砦を作り、さらに京へ攻め上...『大魔神』
早稲田の中野校で、中川祐介さんの「歌謡曲という文化1970年代」の1回目、阿久悠登場に行く。雨の中で、中野駅から随分と遠いのに驚く。以前、新人監督映画祭が、ここで行なわれたが、そこは駅近くのキリンビールのビルで、そこから明大、平成大を過ぎたところで、15分遅れてしまった。阿久悠は、書くこともないが、大卒後、高校代理店に入り、コリーライターから放送作家になり、作詞もするようになる。最初のヒットが、モップスの『朝まで待てない』であったことは注目される。要は、洋楽的であり、演歌ではないのだ。数多くのヒット曲があるが、興味深いのは、美空ひばりと山口百恵には書いていない。1973年に彼が、自分でベストテンを選定していて、1位が、北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」で、これは本当に凄い曲で、作曲が村井邦彦であることをあらた...阿久悠の後、ニューミュージックと演歌が出てきた
『桜姫東文章』を見て、私は次のことを思い出した。この話は、僧清玄と公家の娘菊姫との話で、二人は、いろんな人間に変化して出会い、そして恋に落ちる。これは、なにを意味しているのだろうか。それは、人間はある傾向の異性に引かれると言うことだと思う。それよりも人間は、ある種の傾向を容貌を持った異性に常に惹かれるようにできているからだ、と考えたほうが辻褄があうように思う。それは、私自身のことを考えても、心引かれる女性は、大体同じで、ある種の傾向があると思う。「人間は、それぞれ異性に対して、独自の牽かれる傾向性を持っているものなのだ」と気がついたのは、区役所で生活保護の経理担当課長をやっているときだった。「いつも同じような男に会い、その結果上手く行かなくなっていて、そこには学習効果がない」生活保護を申請する女性の生活歴である...『桜姫東文章』
月曜日、なにもなかったので、ネットで1965年の『紅白歌合戦』を見た。司会が、紅組が林美智子、白組は宮田輝だった。宮田は、とっくの昔に死んでいるが、林はご健在のようだ。林は、この前年の朝ドラの『うず潮』の主演をやったからで、無名の女優だった。審査員は、円地文子、松下幸之助、ファイティグ・原田などだった。最初は、三沢あけみと井沢八郎で、高校時代に三沢あけみが好きな同級生がいたことをもいだした。サッカー部の男で、変な趣味だと思ったが、たしか一橋大に行ったと思う。春日八郎は、「大阪の灯」、西田佐知子が「赤坂の夜」坂本九「ともだち」、雪村いずみは黒塗りで「スワニー」今では問題になる化粧だろう。山田太郎「新聞少年」、園まり「逢いたくて逢いたくて」東海林太郎が、叙勲をしたので、特出で「赤城の子守歌」アイ・ジョージの「赤いグ...演歌もニューミュージックもない「紅白歌合戦」
先日見た、『鯨と戦う男』では、佐野周二は、鯨猟の男で、やや悪役的な男だった。彼は、川島雄三の映画『花影』でも、青山二郎をモデルとしていた骨董評論家を演じていて、寸借詐欺師で、かつての二枚目が、こんな役を演じたなと思うほどだった。同様に、佐田啓二も、豊田四郎の『甘い汗』では、京マチ子の元恋人だが、今はヤクザになっていて、京を使って山茶花究の靴屋の店を騙し取る悪役を演じている。ここでは、いつもは悪役の山茶花が善人で、普段は善人の佐田が悪役という皮肉な配役になっている。また、佐田は、東宝系の『悪の紋章』でも悪役を演じている。このように、二枚目は、晩年になると、いつまでも善人役を演じるのに飽きて、悪役をしたくなるものなのだろうか。興味深いことだと思う。佐野周二と佐田啓二
私は、基本的には身内のことは書かないことにしているが、今日は母の日なので母、指田ケイについて書く。母は、1909年鶴見の矢向に生まれた。下に弟が3人、妹が2人いた長女である。家は、自作農の農家で、私が小学校の頃は、6月の田植えの季節になると実家に行って手伝っていた。「家は、小作じゃないよ」とよく言っていた。父指田貞吉と結婚したのは、1910年で、21歳だから、当時としては遅い方とのこと。もちろん、見合い結婚で、どのような経緯で話があったのかは知らないが、多分遠い親戚等からの話だと思う。その見合いは、南武線の電車の中でおこなわれたそうで、「すれ違っただけで、よく見えなかった。ただ、写真を事前に見ていて、ハゲているんじゃないの」と言ったが、「光線の加減だろう・・・」と言われたとのこと。おそらく父の額は広くて、私が子...母について
小田香とシルヴィア・シェーデルバウアーの短編映画の上映があった。一昨日の上映会では、新作の上映もあったのだ。これが実に困ったもので、1960年代の前衛映画なのだ。特に、シルビアのがそうで、『原始女性は太陽だった』は、言うまでもなく平塚らいてうの青鞜の宣言である。冒頭は、市川房枝の選挙の時の演説から始まるが、それがコラージュされるだけ。ご苦労さんと言うしかない。この時は、市川は87歳で、高齢なので当初は出ない予定だったが、出ることになる。すると異常に元気になり、当選してしまうが、1年で亡くなる。そうしたドラマとは関係なく、コラージュされた映像が続くだけ。小田の『カラオケ・ボサ』は、小田の母がやっているカラオケで、おバさんたちが世間ばしをしているだけ。8ミリで撮ったのを加工したと言うだけが意味あり。シルビアは言う、...小田香とシルヴィア・シェーデルバウアーによる新作映画
高校1年の12月末に、偶然に大森の本屋で見つけたのが松本俊夫の『映像の発見』で、完全に感化された。翌年に吉本隆明を知って、これまた信者になったが、松本の本の何編かは、暗記するほどまで読んだ。だが、3年の夏に、中核派の集会で見た松本俊夫監督の映画『安保条約』には唖然とした。「これが、松本俊夫監督の映画なの?総評からの委嘱映画としても、この単純さ、稚拙さはなんだ」と思った。松本の映画は、ほとんど見ているが、『薔薇の葬列』が最高だと思うが、「これはその次かな」と思った。川崎市民ミュージアムの本によれば、この映画はプリマハムの金で作られたとのこと。松本の映画で、良いのはカメラマンがよいことで、これも鈴木達夫で最高である。音楽は湯浅讓二で、冒頭は1960年代の前衛音楽風だが、次第に抒情的になる。ナレーションは岸田今日子で...『母たち』
1963年の日活作品、制作は児井英生なので、小林旭の新たなシリーズを狙ったものだと思うが、これだけで終わり。金持ちの息子の旭が、探偵事務所を開き、助手は星ナオミ。最初の依頼人が来て、松本典子で、「失踪した姉を探してくれ」と依頼してくる。二人は、別々に育って暮らして来て、松本は病院の看護婦、姉はクラブのホステスだった。旭は、クラブや、その前にいた劇場などを探す。劇場のマジシャンが小沢昭一、クラブのマネージャーが内田良平の悪役ら。そして、米国にいた二人の父親が遺産を残したので、それを取ろうとした犯罪であることが分る。そこに元麻薬担当の刑事だった大坂志郎が現れる。こうなると、内田か小沢が悪いと思えるが、二人は善人であり、大坂はやや悪役的と見える意外さ。当時劇団民芸の松本典子が、日活に出たのは、これが最初ではなく、石原...『夜の勲章』
今日は子供の日だが、私が初めてプロ野球の試合を見に行った日である。後楽園球場で、1958年の長嶋が巨人に入団した年である。兄が連れて行ってくれて、1塁側の内野の上の方で、対広島戦だった。内容は、ほとんど憶えていないが、以下の三つだけは憶えている。広岡が二塁打を打ったこと。代打で小鶴が出てきたこと。広島の救援投手で山田という若手が出てきたこと。小鶴は、当時ホームラン51本の記録を持っていたが、球団がいろいろと代り、当時は広島にいた。どちらが勝ったのかは、憶えていないが、憶えていないことを考えると巨人が勝ったのだと思う。そう、当時は巨人ファンで、特に宮本敏雄が好きだったのだ。5月5日は
1955年の大映映画、監督は言うまでもなく溝口健二、主演の平清盛は市川雷蔵、父忠盛は大矢市次郎、母親は木暮實千代だが、他にも良い役者が揃っている。この映画は、失敗作とされているが、娯楽作として見れば、実に面白く、私は好きである。出てくるエキストラの人数は凄いと言うしかない。特に、祇園祭の大群衆の踊り、ここはクレーンからクレーンにカメラの宮川一夫が乗り移って撮影したとのこと。パリで公開された時、「こんな撮影方法はありえない」としてゴダールが上映室に飛び込んでフィルムを点検したと言われている。だが、現在のフィルムではオーバーラップになっているのは残念。清盛の嫁となる藤原時子は久我美子、その父藤原時信は石黒達也で、この人はタイトルのナレーションもやっている。悪役が多い人だが、私の贔屓の役者である。早坂文雄の音楽も荘重...『新・平家物語』
1957年の東映だが、今では絶対に作られない映画である、鯨の映画なのだから。1960年代には、鯨映画は結構あって、大映の『鯨神』、日活の『荒い海』などがあった。現在の欧米の反捕鯨運動下では、鯨映画はまずできないだろう。鯨というと、すぐに言われる給食の鯨の竜田揚げだが、私は給食で食べた記憶がない。その性か、私は別に鯨が好きでも嫌いでもない。もちろん、食べたことはなんどかある。野毛にも鯨を出す店もあるが、食べたのは渋谷である。宮城の鮎川漁港の話で、捕鯨船での捕鯨の様子から始まる。佐野周二が砲手で、鯨を射止めて港に戻ってくる。「船長、船長」と言われているので、砲手で船長なのか。「地獄船」と恐れられている。そこに船員の高倉健がやって来て、砲手として会社で佐世保から移転して来たとのこと。彼の兄は、捕鯨船で死んでいて、その...『鯨と戦う男』
「ブログリーダー」を活用して、大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳