日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
テレビのCM出よく見るのが、「私らしさ」とか「あなたらしく」である。そんなものってるあるのだろうか。ない、にちがいない。このらしさ病について、最初に読んだのは、エーリッヒ・フロムの本だった。そこでは、キリスト教のプロテスタントの心性についての記述だった。信仰が次第に信じられなくなるところで、逆に信仰への意思が強まったと言うのだ。その通りだと私は、思う。私らしさ病
CSで『黒の手帖』を見ていて、昔港湾局の国際交流担当をしていた時、東京銀行の人から聞いた話を思い出した。松本清張原作の話では、銀行が持っている他人名義の預金の手帖を、本来は支店長(御木本伸介)が管理すべきをしていなくて、行員の大谷直子に映しとられて保持されるところから起きるドラマである。彼女は、スケベジジイ多々良純の預金を全部下ろしてしまい、その金の1億円で銀座にクラブを出す。今は、架空名義の預金は出来なくなっているが、以前はあったもので、東銀の人も、「割引債は、最初に利息を引いて渡すので、その名前は、担当の手帖にしか記録はありません」と言っていた。私も「どうですか」と聞かれたが、そんな余裕はなかったので、東銀のお世話にはならなかった。たしか、昔自民党副総裁の金丸信が掴まった時、割引債が多量に出てきたと思う。や...脱税ではないが・・・
テレビで、大島渚のストーリーが紹介されていたが、彼が倒れた時、右マヒだった。これは、男性には珍しく、長嶋茂雄と同じなのだ。右マヒになると言うことは、左脳の感覚、感性を保護するためだと思う。大島も長嶋も、感性的な人なのだ。さて、高校時代私は、大島渚の映画を見ていたが、早稲田の映研に入って、彼らが大島をあまり評価していないのには、少し驚いた。彼らが評価していたのは、川島雄三や鈴木清順だった。大島が倒れて再起した作品の『御法度』だが、川崎の映画館で見てなんだと思った。私が評価する大島渚の映画は、『太陽の墓場』、『少年』、そして『愛のコリーダ』である。どれも、実は松竹的な作品なのだ。大島渚については、1960年代末に、「日本社会党の委員長にしよう」という動きがあったことを思い出す。多分、大島は、石原慎太郎が先に政治家に...大島渚も、長嶋と同様に右マヒ
テレビのCMには、おかしなことも起きるもので、すでに亡くなられている方が出ている。元新人会だった岩本多代さんである。地上波では少ないが、ネットのユーチューブのCMで、神奈川県シルバー人材センターのに出ている。この方は、結構美人だったので、松竹や日活の映画にも出ている。調べると、2年前に亡くなられているのだが。岩本多代は、亡くなったはずだが
田中裕子というのは、苦手な女優で、彼女は、いつも自分の間で台詞を言うのである。それは、相当にしつこく、会話している内に、いつか相手の役者は、彼女に合わせるようになってしまう。そこが魅力なのか、沢田研二は結婚してしまったし、高倉健も晩年の相手に田中裕子を選んでいる。そうした演技は別として、私は彼女の曲は好きで、カセットを持っていて、久しぶりに聞こうとして巻き戻しをすると古くなっていたためかテープが切れてしまったので、通販でCDを買う。「悲しいほどWhite」は、完全にブルース・スプリングスティーンだが、やはり良い。田中裕子のCDを聞く
今回のロシアのウクライナ侵攻は、コメディアンとスパイの戦いでもある。意外にも、ウクライナが持ちこたえていて、元KGBのスパイ・プーチンとしては、結構苦しいところだろう。どう考えても理のないロシア侵攻だが、その大統領がスパイダと言うのが、さらに暗くする。対する元コメディアンのゼレンスキーも、明るさ、軽さはないが、戦時の大統領としては、仕方のないところだろう。だが、やはりスパイよりは、人間性をコメディアンの方が感じるのは当然のことだと思う。コメディアンVSスパイ
「共産主義は、世界の青春!」こんなスローガンがあったことをご存じだろうか。1960年代、民青が叫んでいた。私は、民青と日本共産党が嫌いだったので、嘘だと思っていたが、ソ連にシンパシーを持っていた人は多かった。早稲田の文学部でも、露文科は人気で、五木寛之も、露文科中退である。今回の、ウクライナ侵攻は、私は日本の満州事変から日中戦争への侵攻に似ていると思ってきた。戦況の推移も、よく似ている。満州事変では、日本は現地の軍に圧倒的に勝っていたが、日中戦争では、中国軍は各国の支援を受けて日本は大変に苦戦した。ドイツが、中国に武器を売り、軍事顧問団も送っていたのだから、嫌になる。特に上海では、日本はトーチか戦で苦労した。トーチカは、一次大戦で使われたもので、日本は不慣れで苦戦したのだ。私の叔父も上海戦で亡くなっている。ただ...「共産主義は、世界の青春」
昨日の夜は、阪神、ヤクルト戦を見る。藤浪が意外にもよく、小川のできがいまいちで、五回までに8対1と大量リードで楽勝かと思った。ところが、二番手の斉藤が駄目で、次に岩崎を出しても止められず、最後九回ににケラーを出す。ここでも、まだ1点のリードだっだが、山田にホームランを打たれて同点。村上のヒットの後、サンタナにホームランを打たれて10対8で大逆転負け。まるで、去年の前半はリードしていて首位だったのに、最後ヤクルトに追いつかれて優勝出来なかったみたいだった。まだ、去年のトラウマが残っているのだろうか。まあ、藤浪の投球がまあまあだったことが救いだが。去年の再現か
プーチン・ロシアのウクライナ侵攻に、一番責任のある日本人は、安部晋三だ!2014年のクリミア占領のときも、西側で唯一経済制裁はせず、ロシアに甘い顔をした。さらに、2016年にはプーチンを山口に招き、「明日にも二島返還が実現する」ような幻想を振りまいた。だが、もちろん、何も実現せず、ただロシアに足元を見られただけだった。本当に安部晋三の責任は大きいと思う。それは、サハリン1や2の利権のためだとは驚いてしまう。いやな言葉だが、こういう人間を「売国奴」と言わずして、誰を売国奴というのだろうか。ロシアの侵攻に責任のある日本人は、安部晋三だ
東の幕内15枚目で、元大関の栃ノ心が久しぶりに勝ち越した。私は、彼が大好きで、この日も照強を釣り上げて、豪快に勝ったのは、実にうれしかった。この人の顔が面白いし、相撲の本質は、力比べなので、彼のように力で勝負する関取が本物だと思う。また、少々下品になるが、この人は、巨根の持ち主のように見える。劇団時代の先輩にOと言う人がいて、金持ちの息子で、高校時代に婦女暴行未遂で、慶応高校をクビになって、早稲田に入って来た人だった。親父が、相撲のタニマチだったので、相撲部屋に言ったことがあるそうで、「裸を見たが、皆小さかった」と言っていた。彼曰く、「年中褌で締め上げているので、大きくならないのでは」とのことだった。「本当かね」と思うが、まあ嘘でもないようにも思う。栃ノ心、勝ち越し
先週の15日は、いろいろとあった。まず、4時に起きて確定申告用紙を記入した。京急で富岡駅に行く。本当は能見台の方が、南税務署に近いのだが、ここはエスカレーター工事で、エレベーター近くのホームは間が離れていて危険なのでやめたのだ。富岡からは、駅前に小屋でタクシーを待つと、五分くらいで来る。ここは、主に山側の高台に行く人のためのもので、結構多いのだろう。税務署は、かなり混でいたが、年年混み方がひどくなるように思う。すぐに出して終わったので、今度は電話で呼び出して富岡に戻る。夕方までは、家でテレビを見て過ごす。夕方は、大塚駅に向かうが、電車の接続が思ったよりも悪くて、約束の時間の8時半には遅れてしまう。劇団俳小の公演なのだ。芝居は見たいのだが、萬劇場というのが、地下2階で、エレベーターもなにもなく、がひどいので行かず...いろいろあった15日
昨日は、電力逼迫とのことで、節電がよびかけられた。1980年代にテレビで、『東京大停電』が企画されたが、制作中止されたことを思い出した。これは、猛暑の夏に、高校野球で東京の高校が決勝戦に出て、電力消費が上がり、さらに横浜の火力発電所の排水溝にクラゲが猛繁殖して停まると言ったものだった。このように、電力の危機は、夏だと思われていたが、冬とは意外だった。やたらに電力危機を叫んでいるのは、原発稼働を狙っているのかとも思う。さて、やはりここで重要なことは、周波数変換施設を増加させることと、蓄電池の増設だと思う。どちらも、大した金額ではないのだから、予算化すべきものだと思う。『東京大停電』を思い出す
いつからかは忘れたが、我が家では『びっくり捕物帖』『スチャラか社員』を見ていた。前者は、森光子と藤田まことの捕物帖で、頼りない与力が藤田で、その妹の森がいつも事件を解決するドラマだった。ここでは、藤田は一切笑いには加わらず、むっつり右門のまじめな演技だった。そして、なぜか『てなもんや三度笠』は見ていなかったのだが、ある小学生が家に来たとき見たのだ。このように大阪、関西の喜劇を見ていたが、シリアスなドラマを見たのは、読売テレビがやっていた『祇園物語』が最初で、この辺から本格的に大阪が好きになった。これは、大島渚の友人で京都撮影所にいた森川英太郎が書いたテレビドラマで、かなり傑作だったと思う。大学に入り、アルバイト先で阪神の江夏のことを知り、阪神そしてタイガースのファンになった。このように大阪と関西は好きなのだが、...大阪は好きだが、維新は嫌いだ
映画評論家の佐藤忠男さんが亡くなられたそうだ。91歳。私が、『黒澤明の十字架』を出したとき、現代企画室との関係で代官山でトークイベントをした時、来ていただいた。初対面だったが、肯定的な評価をいただいたのは、非常にうれしかった。佐藤さんは、戦後軍隊から戻って来て、高校を出た後上京し、国鉄に就職されて、横浜の神奈川区にいたとのこと。神奈川には国鉄の車庫等もあり、官舎が沢山あった。今は、横浜市神奈川図書館になっている場所も元は国鉄の官舎である。さて、佐藤さんは、国鉄をすぐにクビになってしまう。1948年の吉田内閣の行政整理で、独身で勤務年限が短いとのことで、「優先的」に馘首されたのだそうだ。家族持ちは、優遇されたようだ。下山、三鷹、松川の3大事件が起きたときである。その後、故郷の新潟に戻り、電電公社で勤きながら映画に...佐藤忠男さん、死去
昭和も、もう30年以上前のことで、「その感じが映像化されている映画は、ないか」と、以前に若い人に聞かれたとき、私が推薦したのは、1973年の日活の『妹』である。これは、林隆三と秋吉久美子の兄妹の話で、脚本は当時早稲田に住んでいた内田栄一、監督は藤田敏八、音楽は木田高介である。鎌倉に行っていた秋吉が早稲田に地下鉄で戻って来たところから始まる。「あいつ、気にいらないから別れてきてやった」と秋吉は宣う。秋吉は、大門正明と民芸品の鎌倉の店をやっていたのだが、出てきたのだと言う。大門は、声だけで姿は出てこない。実は、秋吉が事故で殺してしまっているのだが、ラストまで分らない。林のところは、両親は「毎日食堂」をやっていたが、彼は「俺には向いていない」と言って店を閉めて運送屋をやっている。そこに林の恋人である吉田日出子がやって...昭和の映画
昨日の朝日の夕刊に、ピアニストの室井摩耶子さんが、100歳でご健在なことが出ていた。今井正の映画『ここに泉あり』で出てくる。私は、今井正というと共産党なので嫌いだったが、これと『にごり江』は非常に良い。映画『にごり江』は、蜷川幸雄の劇『にごりえ』に多大な影響を与えた作品だと思えるほど、実にすばらしい作品である。さて、『ここに泉あり』は、言うまでもなく群馬交響楽団のことを描いた作品だが、マネージャーの小林桂樹が非常に良い。話ばかり大きくて、経済面がまったく駄目な男。たぶん、当時の今井正らが属した左翼映画運動等に多くいたタイプの者だと思う。小林桂樹の奥さんが、家で貸本屋をやってウィルのも興味深い。室井摩耶子さんは、公演に出てきて、演奏をするが、この映画では、岸惠子のもう一人のピアニストとして本当は草笛光子も出ていて...室井摩耶子さん、ご健在
高秀元横浜市長が優秀だったとしても、私には当時も一つの疑問がありました。それは、「この人は横浜を愛しているのか」です。数少ない会った中でも、二言目は夕張市でした。若竹さんは、「人間所詮はふるさとよ」と言っていましたが。まあ、そうなんでしょうね。高秀市長への疑問
プーチンのウクライナ侵略はひどいが、その根源は長期政権にあると思う。22年も国の権力に居座っているなど、ほんとうに異常である。私も、極小ながら長期権力に会ったことがある。横浜市長を3期務めた高秀秀信氏である。私が遭遇したのは、10年目くらいの時だが、彼は横浜市のすべてを知っているのに本当に驚いた。せいぜい、現場の係長が承知していれば良い程度のことまでも熟知している。本当に困ったものだった。アメリカでは、大統領は2期にしているのは、当然のことだと思う。どこでも、いつでも長期権力は、必ず腐敗すると思う。諸悪の根源は長期権力
夏の参議院選挙に向けて、自民党のポスターが貼られている。三原じゅん子と菅義偉のものだ。浅尾のもあるが、横浜市内は少ない。要は、三原は横浜市で、浅尾は横浜以外のようだ。この二人を見ていると、自民党も人材がいないなあと思う。三原は、「八紘一宇はすばらしい」と言った姉ちゃんである。浅尾は、最初は民主党から出たが、その後みんあの党に行き、今度は自民党である。そんなに議員になりたいのかね、と思う。三原じゅん子と浅尾慶一郎
昨夜は、確定申告の準備作業をしていて、夜は録画してあった『新幹線大爆破』を見た。これは、佐藤純也唯一の傑作で、アクションと抒情性が上手く混ざっていて、高倉健も良い。これは、公開時はヒットしなかったので見る機会がなく、1975年に反町東映という今はスーパーになっている館で見て、感動した。その後、テレビで3回くらい見ているが、東映の俳優だけではなく、新劇の俳優が半分くらいを占めているのに気づく。これは、東映東京撮影所は、昔から本田延三郎の縁で新劇の俳優が多くでていて、蜷川幸雄も端役で出ている。さて、途中で犯人一味になり損ねた郷英治が、怒って食堂車で騒ぐシーンがあった。その刑事が、近藤宏というのが泣かせる。二人とも元日活なのだ。「新幹線にも食堂車があったのだ、この頃は!」と思う。今では、スピード重視で余計なサービスの...新幹線に食堂車があった
これも、先週のイベントで、河北さんから教えてもらったこと。南区の吉野橋の両側には、神奈川県と横浜市の外郭が所有している高層の共同ビルがある。これは、黄金町の高層共同ビルが、黄金町駅周辺の闇市的店舗を入れたのと同じなのか、お聞きする。答えは、闇市というよりは、蒔田には戦後米軍の接収地があったので、その整理をしたのではないかとのお答え。今の蒔田公園あたりは接収地で、江戸時代は吉良氏の塩田があったとのこと。塩田とは意外だが、高家の吉良氏のこと、幕府の許可を得て塩田事業をやっていたのだろう。蒔田の山の上がそのお城だったようだ。吉野橋付近に県と市の共同住宅があるわけは
ある区で福祉課長をやっいる時、ケースワーカーが聞いてきた。「課長、梅坊主って知っていますか」「もちろん、明治期の大スターの芸人だ」「その孫という人が、来て生活が苦しいので・・・」豊年齊梅坊主は、大変なスターで、沢山のレコードを吹き込んでいる。1903年の「ガイズバーク・レコーディング」にも吹き込んでいる。この人は、寄席にも出たとは思うが、主に街頭で阿呆陀羅経を歌っていたそうだ。その意味では、若者にあるストリートミュージシャンだったとも言えるだろう。梅坊主の孫
今朝の朝刊に、ウクライナ支援で横浜市が募金を始めたことが出ていた。ウクライナの港町オデッサ市とは、横浜市は姉妹都市なのだ。理由は、たしか横浜の労組の人がオデッサに行き、そこで向こうの人と知合ったことから始まったと聞いたている。姉妹都市なんて、だいたいそんなもので、マニラ市は、『ああモンテンルパの夜は更けて』を歌った渡辺はま子さんが、横浜にいたからで、ついでに言えば彼女も武蔵野音楽大学出である。サンジエゴ市は、横浜市民の誰かの娘が、米海軍の軍人と結婚したことが始まりである。「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれないが、人と人の付き合いなんてそんなものである。あくまで民間レベルの交流だから、それで良いのだと私は思う。オデッサ市との姉妹提携は
光塩女子学院の有名人は先日の朝日新聞の夕刊に、高円寺についてあり、そこにある学校として光塩女子学院が出ていた。ここは、カソリック系女学校として歴史のあるところで、作家の有吉佐和子なども出ているそうだ。さらに、一部では有名なのは、蟻の町のマリアこと、北原玲子だろう。蟻の町とは、浅草と隅田川の間にあった「集落」で、貧困な町だったが、ここで活動したのが北原玲子で、私も名を知っていた。これを基にした歌舞伎座制作、松竹配給の映画『蟻の町のマリア』もあり、五所平之助監督で、なかなか面白かった記憶がある。町のリーダーで共産党風の南原伸二も出てきて、大いに笑えた。北原玲子役は、千之赫子で、地味な役柄だった彼女には、たぶん唯一の主演作だと思う。実は、この蟻の町の実景が出てくる映画もあり、日活の月丘夢路主演の『東京の人』である。こ...光塩女子学院の有名人は
1945年3月10日の夜は、東京大空襲が行なわれた日で、約10万人が亡くなられた。これは、実にひどいもので、まず広く丸い円を描くように周囲を爆撃し、逃げられないようにした後、真ん中を猛爆撃した。このひどさに付いては、半藤一利氏が、その実体験を語っていたが、本当に地獄のような光景だったようだ。一応、この無差別爆撃にも、理由はあった。太平洋戦争中、1943年頃からアメリカは日本への空襲を行なった。それは、当初は軍事施設や軍需工場を目標としたものだったが、米軍が期待したほどには、航空機生産は落ちなかった。理由は、日本の航空機生産は、アメリカとは異なり、一貫して大工場で作っていることではないことだった。日本では、多くの町工場で部品が作られ、それが工場で集められて飛行機になっていることだった。私の知合いの方も、大学生時代...77年前の昨日の夜は・・・
最近は、ポピュラー音楽のミュージシャンでも音大出が多いようだ。だが、意外なことに戦前、戦中の流行歌の歌手は、実はほとんどが音大出なのだ。淡谷のり子、霧島昇、藤山一郎らみな音楽大学を出ていた。戦前の歌手で、音大出出でなかったのは、たぶん田端義男とディツク・ミネだけだと思う。戦後は、「NHKのど自慢」のようなところから、沢山の歌手が出ている。民放でもジャズののど自慢番組があり、丹下キヨ子が司会していたと思う。いずれにしても、民主化は、流行歌手の出自でも進んだと言えるのだろうか。昔の歌手は音大出
ユーチューブを見ていたら、『陸軍中野学校・開戦前夜』があったので、井上昭監督を追悼して見てしまう。私の考えでは、これと『座頭市・二段切り』が井上監督の最高作だと思う。現代劇と時代劇の両方で名作を作っているのは、彼の師匠の森一生が『薄桜記』と『ある殺し屋』の名作を作っているのと同じだろう。『陸軍中野学校』は、1作目は増村保造監督で、東京で作られたが、2作目からは京都で作られたという珍しいシリーズである。おそらくは、長谷川一夫、山本富士子の2大スターを失っていた大映の中で唯一のスターだった雷蔵を取り合っていた撮影所の事情があったのだと思う。『座頭市』の勝新は、当たってはいたが、表舞台に出すべきスターではなかったのだから。さて、この『開戦前夜』は、椎名次郎の雷蔵が香港に行き、イギリスの諜報機関P機関の情報を取るところ...『陸軍中野学校・開戦前夜』を見て考えたこと
今日は、私の誕生日で、74歳になった。女優の篠ひろ子も同じである。もう一人横浜市役所にいた新井貴君もそうなのだ。なんで、こんなことを知っているかというと、私が国際室の課長になったとき、ある日突然新井課長が現れて、「私とあなたは、誕生日が同じだよ」と言ったのだ。なんで、彼がこんなことをしたのかは、今も不明だが、たぶん私が国際室の課長になったのが、不快だったのだろうと思う。本当なら自分がなるべきだと。別に私がなにかをしたわけではなく、人事が決めたことなのだが。今日は、非常に寒いが、以前にもあった。小学校に行く前だったので、1953年頃だと思うが、大田区池上の実家でもかなりの雪が降った。そのために家の前の電線が雪の重みで切れて停電になってしまった。このため、「誕生に祝いがなくなるのでは」と幼い私は心配したのだ。昼過ぎ...誕生日だが・・・
ウクライナ問題は、報道の量の多い割合には、その中身は他人事だが、実は横綱大鵬は、ウクライナ人とのハーフだった。大鵬の父は、ウクライナ人で、スターリン時代の迫害で、シベリアに流され、さらに樺太に来て、日本人女性と結婚して大鵬が生まれた。大鵬は、非常に色白で柔らかい体の力士だった。その意味では、日本も他人事ではないのである。スターリンの少数民族迫害は、実にひどいもので、逆にシベリアにいた朝鮮人は、アゼルバイジャン等の中央アジアに移転させられたのだそうだ。実にひどい話と言うしかないと思う。大鵬はウクライナ人とのハーフだった
私が住んでいる吉野町の隣は、新川町といい。ここには新川が流れていた。だが、旧暗渠は細い路地になっていて、とうてい大岡川の幅広く、河底も深いのと合わないので、変だと思っていた。今日の午前中に、おさんの宮神社で、「神ジャズ」というイベントがあった。その前に、河北直治さんから「お三の宮の謎」というレクチャーがあり、非常に面白かった。蒔田公園は、江戸時代は吉良家の塩田だったなど初めて知った。そして、終わった後、河北さんにお聞きした。この新川と大岡川のレベルが合わないのではないかと。それは、明治以後の話で、明治以降、この吉田勘兵衛が干拓した吉田新田は、港に近い方から次第に受託値になった。そのとき、江戸期の干拓地の上に土を盛っていったので、大岡川と新川のレベルは違って行ったのだとのこと。やはり、先達は何事にもあらまほしきも...新川の謎がとけた
『東洋の魔女』で有名だった日紡貝塚工場だが、今はもうない。現在は、ホームセンターや運動場になっているそうだ。それは、ユーチューブの「ララいずみさん」のチャンネルで見られる。東貝塚駅から出ている廃線跡を辿る映像で、今は巨大な工場跡になっているとのことだ。日紡貝塚工場はもうない
昨日の朝日新聞の投稿欄で、同窓会のことが書いてあり、そこの禁句があった。それは、「孫」「ペット」「病気」の話はしないとのこと。これは、非常に良いと思う。私もそうで、孫はいないし、ペットも飼っていない。病気はあるが、そんなことは言うべきものではないと思っている。「孫」「ペット」「病気」の話はしない
『東洋の魔女』は、言うまでもなく1964年の東京オリンピックの女子バレーボールでソ連に勝ち、優勝した日紡貝塚を中心メンバーとしたチームのことで、その80代になった女性たちの姿を捉えたドキュメンタリーである。冒頭に彼女たちの食事会の様子が出てくるが、それは亡くなった谷田絹子の午餐のようだ。彼女は、2020年12月に急逝していて、後は主将の河西昌枝が2013年に亡くなっている。そして、1960年代の彼女たちの日々の練習の様子が挿入される。日紡貝塚工場体育館での練習で、「鬼の大松」のきびしい練習が見られる。ここは、電通で渋谷詠子監督が撮って、カンヌ映画祭グランプリの『挑戦』が入れられるが、非常にすぐれた映像であることにあらためて感心する。鬼の大松と言われたが、ここでも描かれているが、みんな出休みに映画を見にいくことも...『東洋の魔女』
『ベルーシ』は、1982年3月にロサンゼルスのホテルで死んでしまったアメリカの俳優、歌手ジョン・ベルーシの伝記映画である。内容のほとんどは、彼の妻、ジュディスによって語られる。二人は、イリノイ州のある町の高校で知合って結ばれる。ベルーシの父は、アルメニア人移民で、町でレストランをやっていたとのこと。そう豊かな家ではない。そんなことは、初めて知った。1980年代、ジョン・ベルーシは、好きだった。類例のない笑いだなと思っていた。最初に見たのは、『アニマル・ハウス』で、1980年5月にテアトル新宿で、『ローラー・ブギ』と2本立てで見ている。次は、『ブルース・ブラザース』で、1981年の5月に銀座の松竹セントラルで見ている。そして、彼が出ていて、当時日本では放映されていなかったABCテレビの『サタデー・ナイト・ライブ』...『ベルーシ』
別に自慢することではないが、私は動物が苦手だ。ついでに子供の出るのも嫌だ。かつて森繁久弥は、「子供と動物の出るものには出ない」と決めていて、理由は、「この二つには絶対に勝てないから」だそうだ。私も、それに似ていて、動物に思い入れしていることが嫌いだった。その中で、動物への愛を普通に告白している方のユーチューブを見つけて、感動した。大阪の南に住んでいる「ララいずみ」という方で、鉄道が好きなのだが、町歩きも非常に面白い。この方の1月の映像で、2年前に閉館した和歌山の、みさき公園動物園を今年再訪した映像なのだ。この中で、きりんがいて、はじめ園内に入る時に見て、ぐるっと廻って戻って来たとき、「ただいま」とつぶやいたとあり、ここに感動した。そして、このララいずみさんは、キリンさん、ライオンさん、くまさんというように、すべ...動物が苦手だ
ロシアの侵略にあっているウクライナだが、意外にも有名スポーツ人を排出している。1964年の東京オリンピックの時、陸上競技で活躍した、タマラ・プレス、イリナ・プレスのプレス姉妹。なかには、プレス姉妹ではなく、プレス兄弟だとの説もあったが、非常に強い姉妹だった。特に、姉のタマラの砲丸投げは、ド迫力だった。彼女たちは、セックス・チェック以前だったので、いろいろと疑惑もあったようだが。さらに調べると、「巨人、大鵬、卵焼き」の大横綱大鵬の父親は、ウクライナ人だったとのこと。戦中期のスターリンの迫害で、彼らは、ウクライナからシベリアに送られ、そして樺太で大鵬が生まれたとのこと。スターリンの少数民族迫害は本当にひどいもので、ウクライナ人らとは逆に、シベリアの朝鮮人は、中央アジアに追放されたとのこと。まったくひどい話だった。ウクライナのスポーツ人と言えば
今回のロシアのウクライナ侵略で思ったことは、二つある。一つは、当然のことだが、20年も権力者でいれば、権力は腐敗することだ。もう一つは、この長期政権もそうだが、ロシアはヨーロッパではなく、アジアだと言うことだろう。マルクスによれば、「共産主義は、進歩した資本主義国で起こるはずで、彼はイギリスだろう」と予言した。ところが、最初の社会主義革命は、ロシア、そして中国で起きた。革命は、アジアの「後進国」から起きたことになる。ことあるごとに、プーチン大統領は、「ロシア的であることを強調している」そうだが、それはアジア的だと思う。実に困ったことだと思う。ロシアは、ヨーロッパなのか
「ブログリーダー」を活用して、大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳