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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • レコード大賞発表会を見て

    年末恒例の「レコード大賞発表会」を、別の作業をしながら見る。これはいつからか知らないが、初台の新国立劇場から放送されている。昔は、レコ大は、有楽町の帝劇で行なわれ、NHKの『紅白歌合戦』は、東京宝塚劇場で行なわれていた。この二つは、すぐ近くで、歩いて15分くらいなので、レコ大の受賞歌手が、そのまますぐに紅白の入場行進に並んでいるなんてことができた。それが、NHkが内幸町から渋谷に移り、紅白はNHKホールでやるようになった。そこで、9時の紅白の正式開始まで、新人歌手などで埋めていたのが、紅白が7時半過ぎから延々とやるようになった始めだと思う。そして、ついにレコ大は、前日12月30日に、初台の新国立劇場の中ホールでやるようになった。新国立劇場中ホールは、舞台機構が完備されているそうだが、その機構を駆使した舞台を私は...レコード大賞発表会を見て

  • 『東京流れ者』

    何度も見ている映画だが、やはり面白い。私が、早稲田の映画研究会に入って、その活動には大いに不満だったのだが、誰に言われたか忘れたが、「鈴木清順と川島雄三は見ておけよ」と言われたことには、最大の感謝を表すものだ。これは、入学した1966年の作品だが、見たのは記録では翌年の5月で、新宿国際だった。原作は川内康範だが、鈴木が相当に替えていると思う。今回見て、『東京流れ者』を松原智恵子が歌うシーンがあるが、これは彼女が歌っているようだ。ラストの『ブルーナイト・イン・アカサカ』は、鹿乃郁子のもののようだが。この映画が成功しているのは、渡哲也も松原智恵子も、お人形さん的な美男美女だからだと思う。マンガ的で、パロディ的な作品は、このお人形さん的な主人公によって成功していると思う。しかし、この作品は東京流れ者ではなく、横浜、東...『東京流れ者』

  • 大久保正信さんの略歴が分った

    ユーチューブには、いろんな情報があるもので、東宝映画に出ていた俳優大久保正信さんの略歴が分った。それは、「メディア・あどりぶ倶楽部」という元関西テレビにいた難波さんいう人の対談で、元朝日放送の小関プロデューサーの叔父なのだそうだ。小関さんは、慶応大学演劇研究会にいて、本気で役者を目指していたが、ある日、母親から、「叔父さんのように、本当に赤貧洗うがごとしの生活になる覚悟はあるのか」と言われて、役者の道は諦めたとのこと。この母親の2歳年下の男が、大久保さんなのだ。彼は、悲惨な中国での戦争から戻って、今後はやりたいことをするとのことで、演劇をやることになり、文化座に入った。ただ、お二人の話で、文化座を左翼的劇団と断じているのは違う。文化座は、井上正夫のところにいた佐々木隆が作った劇団で、いわゆる「中間演劇」の劇団な...大久保正信さんの略歴が分った

  • 『ちゃらんぽらん物語』

    なんともひどい題名で、これで金を払って見に行こうと思う人間がいただろうかと思う。1962年、松竹京都撮影所の盟主、伴淳三郎の原案、主演作で、そうひどくもなかった。話は、二つあり、大阪阿倍野の漫才村にいる伴淳が、船橋のヘルスセンター近くで、物乞いになっていた元芸人の山茶花究に会い、貧しい者の年金を作ろうとするが、詐欺師に騙されるというもの。これは、あゆみの箱を作って運動していた、伴淳の実話で、その過程でいろいろと騙されたこともあるのだと思う。もう一つは、北あけみ、中島そのみ、香山美子の娘達と、さらに富永ユキらの恋の話である。そこでは、漫才の若井けんじ・はんじ、台本作家の名和宏ら芸能人との結婚に反対する伴淳。その他、伴淳の人脈だろう、三木のり平、フランキー堺、加東大介、木田三千男、黒柳徹子らも出てくる。中では、三木...『ちゃらんぽらん物語』

  • この時期に嫌なのは・・・

    この時期、年末年始に嫌なのは、「ガキ」がうろうろすることだ。普段は、親と一緒に外に出ることがないのが、出られてうれしいのか、浮かれて歩いている。足に障害を持つ私には、ガキがうろうろするのが一番怖いのだ、どう動くか分らないからである。昨日も、用があって外に出て、京浜急行の井土ヶ谷駅で降りようとした。すると、小3くらいの男の子が、電車に乗ってきて、扉の横に付いている縦棒に捉まって回転しだした。こちらは、すぐに電車から出たいので、「邪魔だ!」と言って避けさせて降りた。その父親は、子供より早く乗ってしまい、このことに気づいていなかった。本当に参った。この時期に嫌なのは・・・

  • 『クナシリ』

    『クナシリ』は、北方領土でロシアが実効支配している国後島のことで、ベラルーシ出身で、フランスにいる監督によってとられた2018年の記録映画である。そうすごいとは言えないが、なかなか面白い作品である。この島の貧しさと荒涼としているのはすごい、日本で言えば1950年代の光景であろうか。「兵器のゴミしかない」とは主人公らしき漁師の言葉で、日露両軍の古い兵器がある。まるで、郷土愛のない人が住み、作っている土地と言ったら言い過ぎだろうか。全体として、この荒廃の仕方はかなり異常に見える。そして、高揚するのは戦勝パレードだけなのだから、戦後がまだ色濃く残っているわけだ。横浜シネマリン『クナシリ』

  • 『ワールドトレードセンター』

    ヒストリーチャンネルで、『ワールドトレードセンター』が放送された。その最初は、1939年のニューヨーク万博で、この時に世界の物産展示館としたワールドトレードセンターができたそうだ。戦後、それを自分で建てようとしたのが、デビット・ロックフェラーで、彼は父や兄が、ロックフェラー・センターやリンカンーン・センターを作ったのにならび、自分も歴史に残るものを作ろうとし、ニューヨーク港湾局と共同して建設したのだそうだ。そして、建設の最初のデザインは、日系のミノル・ヤマザキによって作られた。港湾局とデビットは、様々な障害を乗り越えて、10年間の工事で1972年に竣工する。あの場所は、ラジオ街と呼ばれた町があったエリアだが、港湾局が土地を収用したとのこと。日本の臨港地区規制に該当するものだろう。この計画には、アンパイア・ステー...『ワールドトレードセンター』

  • 50年前の今夜は

    今から50年前の今夜、1971年12月24日、私は同じ劇団にいた星野と新宿の喫茶店にいた。彼は、大学を5年で出て、製薬会社に就職していたが、私はまだ大学の6年目で、共に女もいないので会っていたのだ。夜、7時過ぎ、喫茶店の前の道をまず救急車が行き、消防車そして機動隊の車が行った。「これは何か起きたな」と新宿駅近くに来ると、伊勢丹の前の交番が黒山の人だかりで、そこにはすごい臭いがただよっていて、爆発部のような砂利、小石が散らばっていた。「クリスマスツリー爆弾事件」である。後に犯人は逮捕されたが、新劇人反戦に属していた者が被告にいた。劇研で私の一つ下にいて、後に横浜のパシフィコ横浜のオープニングイベントとして「ウォーマッド横浜」の制作・演出をやってくれた田村光男も、そのグループの近くにいたと後で聞いた。後に、ウォーマ...50年前の今夜は

  • 『慶安風雲録』

    私も、多くの映画、テレビを見てきたが、これほど想像力が豊というか、でたらめな話もないと思う。筋は、慶安太平記、由井正雪の乱で正雪と松平信綱伊豆守の知恵伊豆との対立である。知恵伊豆は、里見浩太郎、由井は西郷輝彦、徳川家光は峰岸隆之助、大久保彦左衛門は下川達平、丸橋忠弥は榎木孝明ともかく、家光の前で、御前試合をするが、宮本武蔵と荒木又右エ門が戦うのだからすごい。こんなことあったのか、疑問になるが、筋はどんどん進行する。最後は、一応史実通り、反乱は抑えられて終わり。本当にすごい劇だった。監督斎藤光正。『慶安風雲録』

  • 神田沙也加、死去

    自殺なのか、やはり親の存在が大きすぎるのは、子供には大変だと言うことだと思う。彼女の舞台は、一度だけ見たことがある。新国立劇場の『夏の夜の夢』で、英国人演出家だったので、依怙贔屓はなく、きちんと評価された上での起用だったと思う。ただ、見ていて、演技等はひどくはないが、あまり存在感がなく、終わってから、「あれは神田だったのか」と思ったくらいだ。よく親の七光りという言葉があるが、大きな存在の親に生まれるのも大変なことなのである。NEWS.YAHOO.CO.JP神田沙也加さん急死札幌のホテル高層階から転落(スポーツ報知)-Yahoo!ニュース女優の神田沙也加さん(35)が札幌市内のホテルの高層階から転落し、死亡したことが18日、分かった。北海道警は自殺を図った可能性もあるとみて調べている。関係者によると、神田さんは1...神田沙也加、死去

  • 柏木博氏、死去

    柏木博氏は、日本のデザイン批評の草分けの方であろう。さらに、公的には知られていないことだが、音楽評論家中村とうようさんの膨大なコレクションの武蔵野美術大学図書館への寄贈の橋渡しをした方でもある。柏木さんは、若いときからブルースが好きで、『ミュージック・マガジン』も読んでいたようだ。そして、NHkテレビで夜11時に放送されていた『ナイト・ジャーナル』で、とうようさんと一緒になったとき、そのコレクションを武蔵美図書館に寄贈してくっれませんかと話し、そこから進んだのである。武蔵美大が、新たな図書館を建設するに当り、美術のみならず音楽、文化等の大衆文化の総合的な図書館を作れば文部科学省からかなりの補助金が出るとのことで、とうようさんも同意されて、武蔵美大に寄贈されたのだ。この中村とうようさんの膨大なコレクションについて...柏木博氏、死去

  • 「親の死に目にあえないぞ」と言われたが・・・

    冬の夜でも、「寝るときに靴下をはいて寝ると親の死に目にあえない」とよく言われたものだが。湯たんぽを出すのも面倒なので、このところ夜は非常に寒いので、靴下をはいて寝ている。父親は、小学校6年のときに、母親も約30年前に亡くなっていて、なんとか病院で死に目にあっているので。でも、なぜこんなことを言ったのだろうか。要は、お行儀が悪いと言うことなのだろうか。「親の死に目にあえないぞ」と言われたが・・・

  • 鈴木淳、死去

    この人の配偶者は、元女優の藤田佳子で、作詞家の悠木圭子である。鈴木淳が、本名ではなくて鈴木の姓を使っていたのは、彼がある出版社の社員だったからだ。今は、サラリーマンが副業をすることは問題ないが、昔は問題にされたのだ。DAILY.CO.JP作曲家の鈴木淳さんが死去87歳伊東ゆかりの「小指の思い出」手がける/デイリースポーツonline作曲家の鈴木淳(すずき・じゅん、本名・藤田順二郎)さんが9日午前1時に都内の自宅で虚血性心不全のため、死去したことが13日分かった。山口県出身、87歳だった。葬儀告別式は、遺族の意向などにより、近親...鈴木淳、死去

  • 二つが欠けていた 『昭和天皇が語る開戦への道』

    百武侍従長などの日記を基にして『昭和天皇が語る開戦への道後編』が放映された。多くの証言を集めているが、二つ欠けていた。一つは、日中戦争時に、新聞が積極的に戦意を高揚させる報道を行なったことで、それは事実だが、それには裏があった。全国で在郷軍人会等が、反戦的新聞に不買運動をやったことで、これによって全国の新聞は次第に陸軍寄りになった行ったのだ。もう一つは、ドイツトのことで、最後は三国同盟に行くが、なんとドイツは中国国民党にドイツの武器を売っていたほか、軍事顧問団まで派遣していた。これでは、三国同盟なんてなんだったのだと言いたくなる。要は、陸軍が馬鹿だったと言うことになるのだろうか。二つが欠けていた『昭和天皇が語る開戦への道』

  • ポカスカ寄席『ポカスカ忠臣蔵』

    12月は、『忠臣蔵』の季節で、それに因んで桜木町の横浜にぎわい座で、『ポカスカ忠臣蔵』が行なわれた。感想は、ポカスカジャンって、こんなに面白い連中だったのか、である。と言っても、前は3人だったのが、一人抜けて2人になっていた。いろいろな演目があったが、この夜のメインは、『洋楽忠臣蔵』で、忠臣蔵を洋楽のアーチストに当て嵌めて語り、歌うという趣向。吉良は、ミック・ジャガーで、浅野はボブ・ディラン、大石はエルビス・プレスリーという配役。松の廊下での顛末を、浅野ボブ・ディランが、『風に吹かれて』や『ライク・ア・ローリングストーン』で語り、歌うという抱腹絶倒の仕儀。大石のプレスリーというのは、役が違うのではないかと思ったが、赤穂城での評議に入るところでチョンなので、これはOKだった。彼らの芸は、今や絶滅危惧種と言われる「...ポカスカ寄席『ポカスカ忠臣蔵』

  • 12月8日に思う

    1941年12月8日は、日本がハワイ真珠湾等を攻撃して、太平洋戦争を始めた日である。いくつかの新聞等が特集しているが、それが皆的外れで、日米交渉のことを書いている。この日米交渉も変わった交渉で、その始めは、日米間を危惧した民間人によって始められたものなのだ。キリスト教の神父と日本の友人達によって始められたもので、それもあって外務大臣の松岡洋右は、わざと壊したのだとする説もある。だが、この日米交渉の本質は、実は日本と中国との関係だったのだ。1937年から日本は、中国と戦争をしていたが、これの収拾が最大の問題だったのだ。第一の問題は、日本がなぜ中国本土に駐留していたかで、なんと1900年の義和団事件の際の出兵で、そのまま居残っていたというのだから、中国人が反日になるのも当然である。もし、今の日本に、米軍が太平洋戦争...12月8日に思う

  • 浪曲+映画 『忠臣蔵』

    12月は、『忠臣蔵』の季節で、横浜シネマリンで映画と浪曲で忠臣蔵を楽しむ企画が行なわれた。映画は、1957年12月の松竹京都の『暁の陣太鼓・忠臣蔵』で、主演の森美樹は堀部安兵衛を演じる。対するのが俵星玄蕃の近衛十四郎で、浪曲では安兵衛ではなく、杉野十平次だが、森には無理な役なので、安兵衛になったのだろう。新発田藩の藩士だった安兵衛は、藩主を打ち負かしてしまい首で、江戸に出てきて浪人生活を送っている。惚れているのは、髪結いの嵯峨三智子で、実際この頃二人は愛人関係だったはずだ。高田馬場の決闘で有名になり、各藩から召し抱えの依頼が来るが、赤穂藩の堀部家の聟になる。そして、吉良家への討ち入り。それを助ける俵星玄蕃の見事な槍捌き。大石内蔵助は、歌舞伎の市川寿海で、この人は市川雷蔵の養父で有名だが、出ている映画は少ないので...浪曲+映画『忠臣蔵』

  • 『集金旅行』

    井伏鱒二の小説『集金旅行』は、1957年に松竹で映画化されていて、以前見て面白かったが、題材的に新派あたりのもので、民芸のものではないと思ったが見に行く。会場は、都内最低劇場の俳優座劇場。荻窪のアパートの持ち主が急死し、滞納していた地代分を請求され、部屋代を滞納していた者から部屋代の取り立てに旅行に出た、小説家・西川明とバーの女給・樫山文枝の旅行。まず、岩国に行くが、面白いのは九州の門司と福岡の奥の人間の話。門司では、医者と見合いをさせられて、そこで100円の滞納分と、樫山は昔の男から慰謝料1000円を得る。樫山は、各地にいる昔の男から慰謝料を取るのが目的だったのだ。そして、広島に戻ると請求の相手の母の葬式が行なわれているところで、葬式の香典を袋毎もらう羽目に。井伏の作品は、ユーモアがあると言われるが、ここはブ...『集金旅行』

  • 太田博之君、『嘘とまことの間』

    太田博之君は、私と小学校、中学が同じで、大田区池上小学校、大森第四中学校である。それぞれ小4の時に来て、中2の時に私立に転校していった。同じクラスになったことはないが、実にきれいな少年だった。当時、池上小には、外国人に見える子供が2人いて、一人は銀座のドイツレストラン・ケテルの息子で、これはケテルの工場と社長宅が堤方町にあったためだった。もう一人は、竹内さんという女の子で、金髪で色白、背の高い子で、私と同じクラスだった。悪ガキどもは、「インディアン」と渾名していたが、白人系の血を受け継いでいるように見えた。そして、太田博之君で、どこにも外国人の情報はないが、どこかに外国人の血が入っているように見えた。新東宝、日活、テレビに出ていたが、これというヒットはなかった。余りに美しすぎて、リアリティがないからだろうと思え...太田博之君、『嘘とまことの間』

  • 喜多條忠、死去

    喜多條は、早稲田の文学部で、1960年代の中頃は結構有名人だったらしい。友人の下川博も、よくデモで見かけたといっていた。『神田川』がヒットして映画化されたが、これはひどいものだった。日活の制作の岡田裕が行くと、「もう東宝に売りました。でも次のがあります」で、映画化されたのが『妹』で、この藤田敏八監督、秋吉久美子主演作は傑作になった。昔、ある若い知合いが、「1970年代の風俗が分かる映画がないか」と聞いてきたので、この『妹』を推薦しておいた。原宿、鎌倉、早稲田、民芸品や原宿のフリーマケットなど、実によく当時の風俗が捉えられていると思う。対して『神田川』は、松浦健郎の弟子中西隆三が書いた古くさいものだった。ここでは、男の草刈正雄は、中流だが、女の関根恵子が貧乏人というのがひどかった。この曲は、中産階級の学生同士の恋...喜多條忠、死去

  • 党大会

    立憲民主党大会が行なわれ、泉健太氏が代表になった。4人の候補の中で、国会議員、党員等で一位で、地方議員のみ逢坂候補に敗れたが、これは逢坂氏が北海道で長く議員をやってきたからだろう。ともかく、4人の中で一番若いのだから、期待したい。さて、この大会は港区のホテルで開催されたそうだが、党大会で有名なのは、1994年12月の新進党大会だろう。パシフィコ横浜の国立大ホールで行なわれた結党大会は、相当に演出があったそうだ。実は、この大会の演出は、すべて公明党によるもので、5000人の動員も創価学会員だったそうだ。この新進党の大会のトラウマか、その後このような大会場で党大会をする党はないようだ。実は、パシフィコ横浜のような施設は、アメリカの民主党、共和党のような大会のコンベンション施設として聞いたいたので、これが本来のコンベ...党大会

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