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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • 大田区役所は

    用があって蒲田の大田区役所に行く。ここについて、2008年に以下のように書いた。現在、蒲田にある大田区役所は、元国鉄蒲田貨物駅跡地で、そこは民間に払い下げられ、六本木の不動産王と言われた桃源社の佐々木吉之助氏が、多額の金額で落札し、桃源社ビルを建てた。だが、いろいろな経緯があり、桃源社は倒産し、そこは大手銀行とゼネコンの所有になって、再度一般に売却され大田区が落札して大田区役所にした。だが、佐々木氏の著書『蒲田戦争』によれば、この桃源社ビル建設には様々な圧力がかかり、いろんな付帯工事をさせられたとのことである。その一つに、あのビルの地下に、駅のための巨大な空間を建設させられた、と言うのがあった。それは、鉄道に詳しい人なら良くご存知だろうが、所謂「蒲蒲線」のための地下駅なのだ。「蒲蒲線」とは、JR蒲田駅から京浜急...大田区役所は

  • 「サステイナブル・デベロップメント」を最初に聞いた頃

    今や流行語になった、SDGsの「サステイナブル・デベロップメント」を最初に聞いたのは、総務局国際室でヨークを担当している時だった。「ITTOのスローガンがSDGsなんです」とのことだった。このヨーク(横浜市国際交流協会、当時は海外交流協会)の中に国際協力会という組織があり、そのITTO(熱帯木材機関)などを担当していた。そして、これをパシフィコ横浜のビル内に入れるとき、彼ら専用のエレベーターを作ることになった。それを主張していたのは、A課長で、「ITTOは国際機関で、24時間働いているので、彼ら用のエレベーターが必要なのだ!」とのことだった。「本当かね・・・」と思ったが、私は課長補佐だったので、黙って聞いていた。実際に入居すると、そんなものはまったく必要ないことが分った。国際機関というのは、今や日本の円が強くな...「サステイナブル・デベロップメント」を最初に聞いた頃

  • 「ロール・キャベツは和食」

    朝、テレビを見ていたら、女優のKが出ていて、「結婚したので、料理もやっています。特に和食で、ロール・キャベツなんか得意で・・・」と言っていた。ロール・キャベツは和食とは驚くが、和食の店でも、惣菜として並んでいるので、間違えるのもあるのだろうか。それよりも、「原産地」が明確でないからだろうと私は思う。今や、カレー、ハンバーグ、餃子、ラーメンと言えば、今や日本の代表的料理みたいなものである。だが、それぞれは原産地が明確に分り、インド、ドイツ、中国だろう。だが、ロール・キャベツは、どうだろうか。南ドイツからルーマニア、ギリシャ、北トルコあたりまであるようで、その範囲は広いようだ。そうした原産地の範囲の広さが、和食という誤解を生んでいるのだろうか。ともかく若い方の「知識」はすごいと言うしかない。「ロール・キャベツは和食」

  • 『チェイシング・トレイン』

    大学に入り、映画研究会を辞めて、劇団に入ったとき、2浪して8年生という林裕通さんに会った。林さんは、1958年に大学に入った人で、なんと1960年6月15日には、国会に突入していたという人だった。どうやって国会に入ったのですかと聞くと、「あの頃は、すぐそばで集会をやって、そのまま通用門に行ったんだ」とのこと。当時は、最高裁判所や国立劇場のあたりは、国立劇場予定地と言われて、空地で自由に使えたのだ。その後、これらの建物ができ、国会周辺は規制が厳しくなり、容易に近づけないようになったのだ。さて、この林さんから、吉本隆明のことなどについて議論したが、同様に話したのが、ジャズのことだった。私もピンときていなかったが、ジョン・コルトレーンで、LPは持っていたが、あまり良いとは思っていなかった。林さんは、簡単に否定し、「鈍...『チェイシング・トレイン』

  • 歌会始

    皇室の正月の行事として歌会始があり、高校の国語の教師だったKは、批判的だった。「下手な歌ばかりだ」と言っていた。まあ、そうだろうが、私は、この歌会始は良いことだと思う。言ってみれば、これは『紅白歌合戦』と『日本レコード大賞』を併せたような行事である。これを鎌倉時代あたりから、日本の皇室がやっていたことは素晴らしいことだと思う。つまり、皇室は、武力ではなく、文化の持つ権威で国を統治していたわけで、すごいことだと思う。昔、インドのサタジット・ライの映画で、インドのある藩国がイギリスに合併されようとする。その時、藩国王は、「イギリスの女王は、作曲ができるのか」と聞く。その国では、「王は作曲ができないとまずい」ようになっていたのだそうだ。イギリスの女王が、できないと聞き、藩国王は、悲しげな顔だったように憶えている。アジ...歌会始

  • 『水俣曼荼羅』

    私が今までに見た映画で、最も長い作品の1本であり、入場料の高い映画でもある。6時間以上、3,900円だが、それに十分に見合う面白さだった。作品としては、第一部が非常に面白く、浴田熊本大学教授が、水俣病の病原を明かすところが非常に面白い。従来、水俣病は、有機水銀中毒のよる末梢神経の障害とされてきたが、浴田教授は、そうではなく、大脳の細胞の損傷による障害であることが明かされる。それは、私が経験した脳梗塞にもよく似ている。私は、2001年7月に倒れた時は、左半身マヒで、左の手足が動かなかった。今も、左足の足首から下は、自分では動かすことはできない。だが、感覚は当初から完全にあり、痛み、熱さ、寒さは完全にある。これは、人間の末梢神経は、二本あり、動かすのと感じるのと2本あるからなのだそうだ。私の場合は、動かす方の神経の...『水俣曼荼羅』

  • フィルム撮影だった 『剣客商売・婚礼の夜』

    昨夜、BSフジの『剣客商売・婚礼』を見たら、監督が井上昭で、脚本は野上龍雄だった。渡部篤郎の友人の金山一彦が、浪人から一応小身だが武家の娘の聟になる。義父は、左右田一平でこれは良い。その娘は、名は分らないが、言ってみればデブ、でも金山は惚れている。そこに、金山の結婚を妨害しようとする浪人者がいて、それは真剣白羽取りの剣豪の白竜。彼は、大阪にいたとき、女子に暴行した現場を金山に暴かれて逮捕されたことを恨んでいて、彼の結婚を妨害しようとしているのだ。この浪人者達は、豪商を襲って強盗したこともあり、彼らが奪った小判には特定の刻印が押されたいた。渡部は、浪人組に潜入し、梶芽衣子は賭場で小判を使った男を付けて彼らの小屋を見つける。そして、婚礼の夜、渡部は小屋に行って連中をめった切りし、最後は白竜との対決になり、勿論勝つ。...フィルム撮影だった『剣客商売・婚礼の夜』

  • 「やあやあ、元気会」

    昔、よこはまで「やあやあ元気会」というのがあった。横浜の自民党のボスだった横山健一元市議が主催するもので、1月10日くらい、横浜駅西口の宴会場に集まる会だった。そして、この種の挨拶や式辞などがまったくなく、「やあ、やあ」と挨拶する会だった。バカバカしいと言いつつ、皆行っていたが、私もこの年になると、「結構意味があるな」と思うようになった。年賀状も、そうだが「結局まだ生きていますよ・・・」と言う通知である。横浜健一氏も、いろいろと毀誉褒貶のある方だったが、先見の明のある人だったのかもしれない。「やあやあ、元気会」

  • 井上昭、死去

    大映の監督だった井上昭が、死んだそうだ、93歳。大映では、以下のような作品を作っている。1960.04.06幽霊小判大映京都1960.06.01続次郎長富士大映京都...助監督1960.10.18大菩薩峠大映京都...助監督1961.01.27潮来笠大映京都1961.11.01釈迦大映京都...助監督1961.11.29銭形平次捕物控美人鮫大映京都...助監督1962.02.21婦系図大映京都...助監督1962.07.29江戸へ百七十里大映京都...助監督1963.01.13雪之丞変化大映京都...助監督1963.12.19桃太郎侍大映京都1964.06.20黒の凶器大映京都1964.11.28勝負は夜つけろ大映京都1965.04.03座頭市二段斬り大映京都1965.12.11ザ・ガードマン東京用心棒大映東京...井上昭、死去

  • 銀行も大変なんだなあと思う

    昨日、三菱銀行池上支店から通知が来ている。4月22日から、池上支店を蒲田支店に統合するとのこと。そこには、池上支店の他、蒲田駅前支店、羽田支店も統合するとのこと。池上は、池上本門寺のお賽銭もあり、それなりの工場や事務所もあるので、そう小さな支店だとは思えないが。銀行も大変なんだなあと思った。銀行も大変なんだなあと思う

  • いつもの会だった

    昨日の朝、ゴミ出しに行くと、町内会館の前にバンが停まっていて、人が出入りしている。「ああ、毎月の売り立て会だな」と思う。毎月、15日に、骨董品の売り立て会をやっているのだ。横浜アートオークションの札が掛けられている。この南区、磯子区は骨董品店が多いのだ。なぜかは知らないが。いつもの会だった

  • 「藤竜也って知ってますか」

    私が、亡き田村光男の紹介で、現代企画室から黒澤明についての本を出すことになった時、渋谷の喫茶店で、担当の小倉君に会った時、すぐに聞かれたことである。もちろん、日活のファンだった私は、「知ってますよ」と答えると、「僕の叔父なんです」と言う。背は、藤のように高くはないが、顔はよく似ている。小倉君の母親は、藤のお姉さんなのだ。藤竜也も、本名は、伊藤で、そこから藤竜也にしたのだそうだ。小倉君は、非常にまじめに仕事をしてくれて、『黒澤明の十字架』として出すことができた。今まで出した中で、一番問題を起こした本のようだ。出た後、ある日、中年の方から現代企画室に電話があり、「この著者は、黒澤明監督作品をなんで見たのかね、ちゃんとブルーレイで見ているのかね」との質問があり、その後1時間以上もいろいろと苦情を言われたそうだ。その方...「藤竜也って知ってますか」

  • 大変ですね 大学入試

    昨日、今日は、大学入試センターの試験であり、見ていて大変だなあと思う。私は、幸運にも現役で合格したので、浪人はせずに入学できた。だが、教育学部英語英文科は、レベルが高くて、参った。定員120人だが、男女60ずつと、明らかに「足切り」をしていたと思う。普通に選考すると、女性ばかりになるので、半分で切っていたと思われる。すでに帰国子女もいて、多かったのは地方の女子のミッションスクール出の子で、優秀だった。早稲田に来る女性で、首都圏の高校出は少なかったと思う。首都圏の女子は、だいたい慶応や立教、上智や学習院などに行き、田舎くさい早稲田には来なかったのだ。唯一の例外は、女子学院で、私がいた学生劇団には、女子学院卒の女性が5人いた。授業に上手く付いて行けないのと、芝居が面白いので、ほとんど出ず、いずれ中退するつもりだった...大変ですね大学入試

  • パタパタ撮影で思い出したこと

    昨日、京浜急行川崎駅を通ると、列車の表示機・「パタパタ」を撮影している人が沢山いる。これは、「内の会社が作ったんですよ」と横浜コンベンション・ビューローにいたとき、帝国社から来ていたM君に言われた。M君は、横浜市の幹部の息子だが、高校を中退し、自衛隊でジェット機に乗っていたという少々変わった経歴の男だった。その後、横浜で当時は最王手の広告会社だった帝国社に入り、そこからビュ-ローに出向していた。帝国社は、元は京浜急行の現場にいた方が、辞めて始めた広告会社で、京急の駅の看板、車内広告を扱うなどしていた。また、横浜の佐々木投手が活躍すると、ポルタに「大魔神神社」を作るなどもしていた。だが、この会社の社長は、雨宮という家で、当時は二代目が務めていて、社を作った方は事業担当の常務だった。二代目社長は、たぶん広告代理店と...パタパタ撮影で思い出したこと

  • 『決算、忠臣蔵』

    『忠臣蔵』は数多いが、これは二つでユニークである。一つは、各場面での行為を金額に換算していること。もう一つは、赤穂方の人間の台詞は、関西弁というか、赤穂地方の言葉にしていること。この赤穂事件で、一番悪いのは、言うまでもなく浅野内匠守で、吉良に賄賂を送らなかったのは、異常と言うしかない。当時は、朝廷の勅使を迎える儀式など、特別な作法を教えてもらうときは、それに応じた金品を送るのは習慣だったのだから。吉良家は、こうした金品で生きていたのだから、ひどい。武士道云々は、無関係である。大石内蔵助の堤真一は、かなり適当な男で、その場その場で対応していて、彼は討ち入りは考えていなくて、浅野家再興のみを願い運動している。これが、すべて賄賂、金なのだ。だが、浅野家再興が駄目と解ると、大石は、討ち入りを選ぶ。ここからは、普通の運び...『決算、忠臣蔵』

  • 京浜急行の駅名は面白い

    京浜急行の駅名は非常に面白いのがある。まずは、雑色、ぞうしきと読めるだろうか。弘明寺も、普通に読めばこうみょうじ、である。読みは簡単だが、青物横丁、六郷土手もすごいと言えばすごい。青物横丁駅は、薬師丸ひろ子さんが、都立八潮高校へ通学した駅なのだが、それが青物とは、まるで大根役者ではないか。八潮高校卒には、声優の井上遙、こと漆川由美、さらに草笛光子や淡路恵子もいる。前は、学校裏という駅もあったが、今は平和島である。そして、最高はYRP野比で、先日も乗っていて、「これは、なんでしょうかね」と聞かれたので、「ヨコスカ・リサーチ・パークの略なんです」と言っておく。日本国中に、カタカナの駅名はあるだろうが、アルファベットの駅名というのは珍しいと思う。京浜急行の駅名は面白い

  • 藤真利子が出ていた

    テレビ時代劇で『国境を越えた男』があり、山本周五郎原作というので見る。江戸詰めだった武士の中村雅俊が故郷の城の勘定奉行となって戻ってくる。彼の従僕が今福将夫、藩内は怠惰の気風が蔓延しているが、中村は財政再建のために厳しく対応する。そして、国家老の娘の藤真利子と結婚する。藤は、当初は気位が高くて同衾しない。中村の周囲に、作事奉行の芦田伸介が出没すると、今福は嫌な表情を見せる。最後、国家老一味が、不正をしていることが分かるが、それは芦田が自ら申し出たからで、彼らは他国への所払いになる。つまり国境を越えた男というのは、芦田なのだ。そして、中村は、実は芦田の息子であることが明かされる。さて、藤真利子だが、この頃はよく出ていて、私は、彼女の『ロミオとジュリット』を蜷川幸雄演出で帝劇で見たことがある。ロミオは、本田博太郎で...藤真利子が出ていた

  • 褌イッチョでやれ!

    昨日は、成人式でいろいろあったようだが、勿論私は、1968年の20歳にとき、大田区の式典に行っていない。「役所に祝われるなど冗談じゃない」と思っていたからだ。川崎のとどろきアリーナでは、車やバイクで暴れた連中がいるようだ。こんなバカ連中をテレビに写すのはどうかと思う。しかし、考えると女性は晴着があるが、男にはない。羽織・袴があるが、今の男には似合わない。普段着ていないのをいきなり着ても身に付かないのだ。そこで、目立ちたい男は、褌イッチョで出れば良いと思うのだ。多くの祭礼では、褌姿があるのだから、それこそ男の姿、成人にふさわしいのではないか。寒さで風邪をひいても知らないが。褌イッチョでやれ!

  • 『逆縁・三つ盃』

    1971年の日活で、例によってDNのマークが出てくる、ダイニチ作品である。昭和初年の浅草で、伝統ヤクザの潮組の親分は加藤嘉、一の子分が高橋英樹。高橋は、加藤の実子ではなく、行方不明になっている息子こそ次代の組長にとしている。そこにテキ屋の安部徹が、博打打ちの縄張りを求めて、出てくる。博打場の喧嘩で、高橋は入獄し、そこで成田三喜男と義兄弟になる。成田は、やはりヤクザの内田朝雄の組の子分で、内田は、元々は加藤とも近い仲だったのだが。ヤクザの連中が集められて、軍人の木島一郎の命令で、「満州に慰安所を作るので、女を集めろ」と言われる。安部や内田は大賛成するが、加藤は反対する。そこで、加藤は安部の組の者に殺されてしまう。この悪の安部徹の名が、「得津」というのが笑える。オリオンズの主力選手に得津というのがいたからだ。これは...『逆縁・三つ盃』

  • 『太陽を盗んだ男』

    小林君から、横浜シネマリンで『太陽を盗んだ男』があるので、見に行けませんかとメールがあり、上映30分前日行くと満席で、補助椅子席!長谷川和彦、荒井晴彦、森達也のトークショーのためらしく、ぎりぎりに来た小林君は席がなくてお帰り。ゴジは、まだ人気があるんだなと思う。2時間以上も、補助椅子はつらいなと思い、厚い座布団状のものがあったので、尻に敷き、なんとか見ることがで来た。見るのは、たぶん3回目だが、後半の筋はほとんど忘れていた。しかし、最後は結構しつこいのは、やはり外人(レナード・シュレイダー)の体質だと思う。もっと短くしてもやれたと思う。事実、伊地知啓の本を読むと、これは沢田研二、菅原文太なのに余り当たらなかったそうだが、その一因は、このラストの長さにあると私は思った。終了後のトークは、ゴジの独演会で、荒井晴彦は...『太陽を盗んだ男』

  • 『絶版車』

    私は、車にはまったく興味のない人間で、ある事情から一度は運転免許を取り、車も買ったが、1年半で売ってしまい、70を越えたので、免許証も返してしまった。この「絶版車」は、非常に面白かった。1台目は、トヨタのトラックのトヨエースで、さすがに初代は動く物がなかったが、二代目が発見された。その見つけ方が面白く、NHKの映像から見つけた物で、奈良の箸作りの会社の映像で、そこから山形にあることが分る。今は、肉屋と食堂をやっている方が所有し、今はその方の息子が乗っているとのこと。昔は、養豚業をやっていて、豚を輸送するのに使っていたそうだ。この二代目トヨエースは、大変に売れたそうで、日活の傑作映画『上を向いて歩こう』では、坂本九が運転している。次は、ダイハツが作ったビーという三輪乗用車で、ミゼットの前に出した車だったとのこと。...『絶版車』

  • 『ドーナツ・キング』

    カルフォルニア州のドーナツ店の90%が、カンボジア難民なのだとのこと。主人公のテッド・イノイは、父が軍の中尉で、ポルポト時代に迫害を受け、カンボジアを出て、アメリカに来てドーナツを食べ、その美味しさに感激して、下層労働で資金を得て、ドーナツ店を始めて成功する。同郷の者などが次から次へと来て、家族的経営で皆成功し、テッドも巨万の富を得る。そしてお定まりの浪費、女、博打等にもはまるが、最後は懺悔して皆に許される。アメリカでドーナツは、やはりダンキンが群を抜いているようだが、西海岸ではこのカンボジアのドーナツ店が多いというのが面白い。もともと、カンボジアには似た菓子があったからだと言う。世界の歴史上でも異常だったポルポト政権だが、もともとはフランスに留学した左派のインテリ達によって行なわれたと言うのが不思議だ。それは...『ドーナツ・キング』

  • シネマジャック&ベティが30周年

    横浜の若葉町の映画館シネマジャック&ベティが、30周年を迎えたそうだ。この通りには、横浜大勝館という古い映画館があり、よく行っていた。相当に老朽化していて、毎日オールナイトという凄い館だった。夜の回に行くと、横の廊下の地面に新聞紙を敷いて寝ている男達がいる館だった。館内には、椅子の壊れた席があり、その後ろに座ると最高だった。絶対に前に坐る人がいないからだ。番組もユニークで、阪妻の古いのをやっていたかと思うと、ATGもあった。これが壊されて、他の横浜東映名画座、千代田劇場などと共に建て替えられたのがシネマジャック&ベティで、ここも古い邦画をやっていた。「カツライス」と言う言葉も、この館の2本立てで知った。その後、いろいろあったようだが、梶原君などの若いスタッフによって上映されている。また、伊勢佐木町の横浜シネマリ...シネマジャック&ベティが30周年

  • 『ジュディ』

    ジュディ・ガーランドの伝記映画で、ほぼ事実どおりだと思うが、アメリカの芸能界はすごい。前にも書いたが、私はトロントのホテルで、ナタリー・コールのショーを見たことがある。それは、エディ・フィッシャーの前座だったのだが、彼女もグラミー賞受賞の大歌手である。二人とも非常に上手く、また受けていた。そして、翌日、私と横浜市の若竹さんと、パシフィコ横浜常務の長田さんの3人は、シカゴに向かった。そのとき、ナタリー・コールは、われわれと同じ飛行機に、マネージャーと二人だけで乗っていた。彼女のような一応は大スターでも、旅興業ではそんなものなんだなと思った次第。この伝記映画でのジュディーは、ロサンゼルスのホテルで宿泊を断られ、仕方なく前の夫の家に行き、二人の子供を預ける。そして、娘のライザ・ミネリが残していたメモから、ロスでのパー...『ジュディ』

  • なぜ東京国際フーラムで 『NHk紅白歌合戦』

    昨日は、用があったので、上大岡の京浜に行くが、大混雑。正月のおせち料理の買い出しで、地下の食品売り場などは、冷房が必要なほどの混雑の暑さ。夜は、いつものように『紅白歌合戦』を見る。これを嫌う、あるいは馬鹿にする人が多いが、私は好きで毎年見ている。「村社会」たる日本の典型だからだ。村人が男女に別れて何かをするというのは、まさしく村の年中行事であり、これがまさしく日本なのだ。会場が、NHKホールではなく、有楽町の東京国際フーラムになっているのに、驚く。あそこには、アンディ・ラムとカエターノ・ヴェローゾのコンサートくらいしか行ったことがないが、音響がひどいと感じだ。手前味噌になるが、パシフィコ横浜の国立大ホールの方が、音ははるかに良い。なんで、国際フォーラムでやるのか、調べたら、NHKホールが改修工事中とのこと。切れ...なぜ東京国際フーラムで『NHk紅白歌合戦』

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