日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
用があって蒲田の大田区役所に行く。ここについて、2008年に以下のように書いた。現在、蒲田にある大田区役所は、元国鉄蒲田貨物駅跡地で、そこは民間に払い下げられ、六本木の不動産王と言われた桃源社の佐々木吉之助氏が、多額の金額で落札し、桃源社ビルを建てた。だが、いろいろな経緯があり、桃源社は倒産し、そこは大手銀行とゼネコンの所有になって、再度一般に売却され大田区が落札して大田区役所にした。だが、佐々木氏の著書『蒲田戦争』によれば、この桃源社ビル建設には様々な圧力がかかり、いろんな付帯工事をさせられたとのことである。その一つに、あのビルの地下に、駅のための巨大な空間を建設させられた、と言うのがあった。それは、鉄道に詳しい人なら良くご存知だろうが、所謂「蒲蒲線」のための地下駅なのだ。「蒲蒲線」とは、JR蒲田駅から京浜急...大田区役所は
今や流行語になった、SDGsの「サステイナブル・デベロップメント」を最初に聞いたのは、総務局国際室でヨークを担当している時だった。「ITTOのスローガンがSDGsなんです」とのことだった。このヨーク(横浜市国際交流協会、当時は海外交流協会)の中に国際協力会という組織があり、そのITTO(熱帯木材機関)などを担当していた。そして、これをパシフィコ横浜のビル内に入れるとき、彼ら専用のエレベーターを作ることになった。それを主張していたのは、A課長で、「ITTOは国際機関で、24時間働いているので、彼ら用のエレベーターが必要なのだ!」とのことだった。「本当かね・・・」と思ったが、私は課長補佐だったので、黙って聞いていた。実際に入居すると、そんなものはまったく必要ないことが分った。国際機関というのは、今や日本の円が強くな...「サステイナブル・デベロップメント」を最初に聞いた頃
朝、テレビを見ていたら、女優のKが出ていて、「結婚したので、料理もやっています。特に和食で、ロール・キャベツなんか得意で・・・」と言っていた。ロール・キャベツは和食とは驚くが、和食の店でも、惣菜として並んでいるので、間違えるのもあるのだろうか。それよりも、「原産地」が明確でないからだろうと私は思う。今や、カレー、ハンバーグ、餃子、ラーメンと言えば、今や日本の代表的料理みたいなものである。だが、それぞれは原産地が明確に分り、インド、ドイツ、中国だろう。だが、ロール・キャベツは、どうだろうか。南ドイツからルーマニア、ギリシャ、北トルコあたりまであるようで、その範囲は広いようだ。そうした原産地の範囲の広さが、和食という誤解を生んでいるのだろうか。ともかく若い方の「知識」はすごいと言うしかない。「ロール・キャベツは和食」
大学に入り、映画研究会を辞めて、劇団に入ったとき、2浪して8年生という林裕通さんに会った。林さんは、1958年に大学に入った人で、なんと1960年6月15日には、国会に突入していたという人だった。どうやって国会に入ったのですかと聞くと、「あの頃は、すぐそばで集会をやって、そのまま通用門に行ったんだ」とのこと。当時は、最高裁判所や国立劇場のあたりは、国立劇場予定地と言われて、空地で自由に使えたのだ。その後、これらの建物ができ、国会周辺は規制が厳しくなり、容易に近づけないようになったのだ。さて、この林さんから、吉本隆明のことなどについて議論したが、同様に話したのが、ジャズのことだった。私もピンときていなかったが、ジョン・コルトレーンで、LPは持っていたが、あまり良いとは思っていなかった。林さんは、簡単に否定し、「鈍...『チェイシング・トレイン』
皇室の正月の行事として歌会始があり、高校の国語の教師だったKは、批判的だった。「下手な歌ばかりだ」と言っていた。まあ、そうだろうが、私は、この歌会始は良いことだと思う。言ってみれば、これは『紅白歌合戦』と『日本レコード大賞』を併せたような行事である。これを鎌倉時代あたりから、日本の皇室がやっていたことは素晴らしいことだと思う。つまり、皇室は、武力ではなく、文化の持つ権威で国を統治していたわけで、すごいことだと思う。昔、インドのサタジット・ライの映画で、インドのある藩国がイギリスに合併されようとする。その時、藩国王は、「イギリスの女王は、作曲ができるのか」と聞く。その国では、「王は作曲ができないとまずい」ようになっていたのだそうだ。イギリスの女王が、できないと聞き、藩国王は、悲しげな顔だったように憶えている。アジ...歌会始
私が今までに見た映画で、最も長い作品の1本であり、入場料の高い映画でもある。6時間以上、3,900円だが、それに十分に見合う面白さだった。作品としては、第一部が非常に面白く、浴田熊本大学教授が、水俣病の病原を明かすところが非常に面白い。従来、水俣病は、有機水銀中毒のよる末梢神経の障害とされてきたが、浴田教授は、そうではなく、大脳の細胞の損傷による障害であることが明かされる。それは、私が経験した脳梗塞にもよく似ている。私は、2001年7月に倒れた時は、左半身マヒで、左の手足が動かなかった。今も、左足の足首から下は、自分では動かすことはできない。だが、感覚は当初から完全にあり、痛み、熱さ、寒さは完全にある。これは、人間の末梢神経は、二本あり、動かすのと感じるのと2本あるからなのだそうだ。私の場合は、動かす方の神経の...『水俣曼荼羅』
昨夜、BSフジの『剣客商売・婚礼』を見たら、監督が井上昭で、脚本は野上龍雄だった。渡部篤郎の友人の金山一彦が、浪人から一応小身だが武家の娘の聟になる。義父は、左右田一平でこれは良い。その娘は、名は分らないが、言ってみればデブ、でも金山は惚れている。そこに、金山の結婚を妨害しようとする浪人者がいて、それは真剣白羽取りの剣豪の白竜。彼は、大阪にいたとき、女子に暴行した現場を金山に暴かれて逮捕されたことを恨んでいて、彼の結婚を妨害しようとしているのだ。この浪人者達は、豪商を襲って強盗したこともあり、彼らが奪った小判には特定の刻印が押されたいた。渡部は、浪人組に潜入し、梶芽衣子は賭場で小判を使った男を付けて彼らの小屋を見つける。そして、婚礼の夜、渡部は小屋に行って連中をめった切りし、最後は白竜との対決になり、勿論勝つ。...フィルム撮影だった『剣客商売・婚礼の夜』
昔、よこはまで「やあやあ元気会」というのがあった。横浜の自民党のボスだった横山健一元市議が主催するもので、1月10日くらい、横浜駅西口の宴会場に集まる会だった。そして、この種の挨拶や式辞などがまったくなく、「やあ、やあ」と挨拶する会だった。バカバカしいと言いつつ、皆行っていたが、私もこの年になると、「結構意味があるな」と思うようになった。年賀状も、そうだが「結局まだ生きていますよ・・・」と言う通知である。横浜健一氏も、いろいろと毀誉褒貶のある方だったが、先見の明のある人だったのかもしれない。「やあやあ、元気会」
大映の監督だった井上昭が、死んだそうだ、93歳。大映では、以下のような作品を作っている。1960.04.06幽霊小判大映京都1960.06.01続次郎長富士大映京都...助監督1960.10.18大菩薩峠大映京都...助監督1961.01.27潮来笠大映京都1961.11.01釈迦大映京都...助監督1961.11.29銭形平次捕物控美人鮫大映京都...助監督1962.02.21婦系図大映京都...助監督1962.07.29江戸へ百七十里大映京都...助監督1963.01.13雪之丞変化大映京都...助監督1963.12.19桃太郎侍大映京都1964.06.20黒の凶器大映京都1964.11.28勝負は夜つけろ大映京都1965.04.03座頭市二段斬り大映京都1965.12.11ザ・ガードマン東京用心棒大映東京...井上昭、死去
昨日、三菱銀行池上支店から通知が来ている。4月22日から、池上支店を蒲田支店に統合するとのこと。そこには、池上支店の他、蒲田駅前支店、羽田支店も統合するとのこと。池上は、池上本門寺のお賽銭もあり、それなりの工場や事務所もあるので、そう小さな支店だとは思えないが。銀行も大変なんだなあと思った。銀行も大変なんだなあと思う
昨日の朝、ゴミ出しに行くと、町内会館の前にバンが停まっていて、人が出入りしている。「ああ、毎月の売り立て会だな」と思う。毎月、15日に、骨董品の売り立て会をやっているのだ。横浜アートオークションの札が掛けられている。この南区、磯子区は骨董品店が多いのだ。なぜかは知らないが。いつもの会だった
私が、亡き田村光男の紹介で、現代企画室から黒澤明についての本を出すことになった時、渋谷の喫茶店で、担当の小倉君に会った時、すぐに聞かれたことである。もちろん、日活のファンだった私は、「知ってますよ」と答えると、「僕の叔父なんです」と言う。背は、藤のように高くはないが、顔はよく似ている。小倉君の母親は、藤のお姉さんなのだ。藤竜也も、本名は、伊藤で、そこから藤竜也にしたのだそうだ。小倉君は、非常にまじめに仕事をしてくれて、『黒澤明の十字架』として出すことができた。今まで出した中で、一番問題を起こした本のようだ。出た後、ある日、中年の方から現代企画室に電話があり、「この著者は、黒澤明監督作品をなんで見たのかね、ちゃんとブルーレイで見ているのかね」との質問があり、その後1時間以上もいろいろと苦情を言われたそうだ。その方...「藤竜也って知ってますか」
昨日、今日は、大学入試センターの試験であり、見ていて大変だなあと思う。私は、幸運にも現役で合格したので、浪人はせずに入学できた。だが、教育学部英語英文科は、レベルが高くて、参った。定員120人だが、男女60ずつと、明らかに「足切り」をしていたと思う。普通に選考すると、女性ばかりになるので、半分で切っていたと思われる。すでに帰国子女もいて、多かったのは地方の女子のミッションスクール出の子で、優秀だった。早稲田に来る女性で、首都圏の高校出は少なかったと思う。首都圏の女子は、だいたい慶応や立教、上智や学習院などに行き、田舎くさい早稲田には来なかったのだ。唯一の例外は、女子学院で、私がいた学生劇団には、女子学院卒の女性が5人いた。授業に上手く付いて行けないのと、芝居が面白いので、ほとんど出ず、いずれ中退するつもりだった...大変ですね大学入試
昨日、京浜急行川崎駅を通ると、列車の表示機・「パタパタ」を撮影している人が沢山いる。これは、「内の会社が作ったんですよ」と横浜コンベンション・ビューローにいたとき、帝国社から来ていたM君に言われた。M君は、横浜市の幹部の息子だが、高校を中退し、自衛隊でジェット機に乗っていたという少々変わった経歴の男だった。その後、横浜で当時は最王手の広告会社だった帝国社に入り、そこからビュ-ローに出向していた。帝国社は、元は京浜急行の現場にいた方が、辞めて始めた広告会社で、京急の駅の看板、車内広告を扱うなどしていた。また、横浜の佐々木投手が活躍すると、ポルタに「大魔神神社」を作るなどもしていた。だが、この会社の社長は、雨宮という家で、当時は二代目が務めていて、社を作った方は事業担当の常務だった。二代目社長は、たぶん広告代理店と...パタパタ撮影で思い出したこと
『忠臣蔵』は数多いが、これは二つでユニークである。一つは、各場面での行為を金額に換算していること。もう一つは、赤穂方の人間の台詞は、関西弁というか、赤穂地方の言葉にしていること。この赤穂事件で、一番悪いのは、言うまでもなく浅野内匠守で、吉良に賄賂を送らなかったのは、異常と言うしかない。当時は、朝廷の勅使を迎える儀式など、特別な作法を教えてもらうときは、それに応じた金品を送るのは習慣だったのだから。吉良家は、こうした金品で生きていたのだから、ひどい。武士道云々は、無関係である。大石内蔵助の堤真一は、かなり適当な男で、その場その場で対応していて、彼は討ち入りは考えていなくて、浅野家再興のみを願い運動している。これが、すべて賄賂、金なのだ。だが、浅野家再興が駄目と解ると、大石は、討ち入りを選ぶ。ここからは、普通の運び...『決算、忠臣蔵』
京浜急行の駅名は非常に面白いのがある。まずは、雑色、ぞうしきと読めるだろうか。弘明寺も、普通に読めばこうみょうじ、である。読みは簡単だが、青物横丁、六郷土手もすごいと言えばすごい。青物横丁駅は、薬師丸ひろ子さんが、都立八潮高校へ通学した駅なのだが、それが青物とは、まるで大根役者ではないか。八潮高校卒には、声優の井上遙、こと漆川由美、さらに草笛光子や淡路恵子もいる。前は、学校裏という駅もあったが、今は平和島である。そして、最高はYRP野比で、先日も乗っていて、「これは、なんでしょうかね」と聞かれたので、「ヨコスカ・リサーチ・パークの略なんです」と言っておく。日本国中に、カタカナの駅名はあるだろうが、アルファベットの駅名というのは珍しいと思う。京浜急行の駅名は面白い
テレビ時代劇で『国境を越えた男』があり、山本周五郎原作というので見る。江戸詰めだった武士の中村雅俊が故郷の城の勘定奉行となって戻ってくる。彼の従僕が今福将夫、藩内は怠惰の気風が蔓延しているが、中村は財政再建のために厳しく対応する。そして、国家老の娘の藤真利子と結婚する。藤は、当初は気位が高くて同衾しない。中村の周囲に、作事奉行の芦田伸介が出没すると、今福は嫌な表情を見せる。最後、国家老一味が、不正をしていることが分かるが、それは芦田が自ら申し出たからで、彼らは他国への所払いになる。つまり国境を越えた男というのは、芦田なのだ。そして、中村は、実は芦田の息子であることが明かされる。さて、藤真利子だが、この頃はよく出ていて、私は、彼女の『ロミオとジュリット』を蜷川幸雄演出で帝劇で見たことがある。ロミオは、本田博太郎で...藤真利子が出ていた
昨日は、成人式でいろいろあったようだが、勿論私は、1968年の20歳にとき、大田区の式典に行っていない。「役所に祝われるなど冗談じゃない」と思っていたからだ。川崎のとどろきアリーナでは、車やバイクで暴れた連中がいるようだ。こんなバカ連中をテレビに写すのはどうかと思う。しかし、考えると女性は晴着があるが、男にはない。羽織・袴があるが、今の男には似合わない。普段着ていないのをいきなり着ても身に付かないのだ。そこで、目立ちたい男は、褌イッチョで出れば良いと思うのだ。多くの祭礼では、褌姿があるのだから、それこそ男の姿、成人にふさわしいのではないか。寒さで風邪をひいても知らないが。褌イッチョでやれ!
1971年の日活で、例によってDNのマークが出てくる、ダイニチ作品である。昭和初年の浅草で、伝統ヤクザの潮組の親分は加藤嘉、一の子分が高橋英樹。高橋は、加藤の実子ではなく、行方不明になっている息子こそ次代の組長にとしている。そこにテキ屋の安部徹が、博打打ちの縄張りを求めて、出てくる。博打場の喧嘩で、高橋は入獄し、そこで成田三喜男と義兄弟になる。成田は、やはりヤクザの内田朝雄の組の子分で、内田は、元々は加藤とも近い仲だったのだが。ヤクザの連中が集められて、軍人の木島一郎の命令で、「満州に慰安所を作るので、女を集めろ」と言われる。安部や内田は大賛成するが、加藤は反対する。そこで、加藤は安部の組の者に殺されてしまう。この悪の安部徹の名が、「得津」というのが笑える。オリオンズの主力選手に得津というのがいたからだ。これは...『逆縁・三つ盃』
小林君から、横浜シネマリンで『太陽を盗んだ男』があるので、見に行けませんかとメールがあり、上映30分前日行くと満席で、補助椅子席!長谷川和彦、荒井晴彦、森達也のトークショーのためらしく、ぎりぎりに来た小林君は席がなくてお帰り。ゴジは、まだ人気があるんだなと思う。2時間以上も、補助椅子はつらいなと思い、厚い座布団状のものがあったので、尻に敷き、なんとか見ることがで来た。見るのは、たぶん3回目だが、後半の筋はほとんど忘れていた。しかし、最後は結構しつこいのは、やはり外人(レナード・シュレイダー)の体質だと思う。もっと短くしてもやれたと思う。事実、伊地知啓の本を読むと、これは沢田研二、菅原文太なのに余り当たらなかったそうだが、その一因は、このラストの長さにあると私は思った。終了後のトークは、ゴジの独演会で、荒井晴彦は...『太陽を盗んだ男』
私は、車にはまったく興味のない人間で、ある事情から一度は運転免許を取り、車も買ったが、1年半で売ってしまい、70を越えたので、免許証も返してしまった。この「絶版車」は、非常に面白かった。1台目は、トヨタのトラックのトヨエースで、さすがに初代は動く物がなかったが、二代目が発見された。その見つけ方が面白く、NHKの映像から見つけた物で、奈良の箸作りの会社の映像で、そこから山形にあることが分る。今は、肉屋と食堂をやっている方が所有し、今はその方の息子が乗っているとのこと。昔は、養豚業をやっていて、豚を輸送するのに使っていたそうだ。この二代目トヨエースは、大変に売れたそうで、日活の傑作映画『上を向いて歩こう』では、坂本九が運転している。次は、ダイハツが作ったビーという三輪乗用車で、ミゼットの前に出した車だったとのこと。...『絶版車』
カルフォルニア州のドーナツ店の90%が、カンボジア難民なのだとのこと。主人公のテッド・イノイは、父が軍の中尉で、ポルポト時代に迫害を受け、カンボジアを出て、アメリカに来てドーナツを食べ、その美味しさに感激して、下層労働で資金を得て、ドーナツ店を始めて成功する。同郷の者などが次から次へと来て、家族的経営で皆成功し、テッドも巨万の富を得る。そしてお定まりの浪費、女、博打等にもはまるが、最後は懺悔して皆に許される。アメリカでドーナツは、やはりダンキンが群を抜いているようだが、西海岸ではこのカンボジアのドーナツ店が多いというのが面白い。もともと、カンボジアには似た菓子があったからだと言う。世界の歴史上でも異常だったポルポト政権だが、もともとはフランスに留学した左派のインテリ達によって行なわれたと言うのが不思議だ。それは...『ドーナツ・キング』
横浜の若葉町の映画館シネマジャック&ベティが、30周年を迎えたそうだ。この通りには、横浜大勝館という古い映画館があり、よく行っていた。相当に老朽化していて、毎日オールナイトという凄い館だった。夜の回に行くと、横の廊下の地面に新聞紙を敷いて寝ている男達がいる館だった。館内には、椅子の壊れた席があり、その後ろに座ると最高だった。絶対に前に坐る人がいないからだ。番組もユニークで、阪妻の古いのをやっていたかと思うと、ATGもあった。これが壊されて、他の横浜東映名画座、千代田劇場などと共に建て替えられたのがシネマジャック&ベティで、ここも古い邦画をやっていた。「カツライス」と言う言葉も、この館の2本立てで知った。その後、いろいろあったようだが、梶原君などの若いスタッフによって上映されている。また、伊勢佐木町の横浜シネマリ...シネマジャック&ベティが30周年
ジュディ・ガーランドの伝記映画で、ほぼ事実どおりだと思うが、アメリカの芸能界はすごい。前にも書いたが、私はトロントのホテルで、ナタリー・コールのショーを見たことがある。それは、エディ・フィッシャーの前座だったのだが、彼女もグラミー賞受賞の大歌手である。二人とも非常に上手く、また受けていた。そして、翌日、私と横浜市の若竹さんと、パシフィコ横浜常務の長田さんの3人は、シカゴに向かった。そのとき、ナタリー・コールは、われわれと同じ飛行機に、マネージャーと二人だけで乗っていた。彼女のような一応は大スターでも、旅興業ではそんなものなんだなと思った次第。この伝記映画でのジュディーは、ロサンゼルスのホテルで宿泊を断られ、仕方なく前の夫の家に行き、二人の子供を預ける。そして、娘のライザ・ミネリが残していたメモから、ロスでのパー...『ジュディ』
昨日は、用があったので、上大岡の京浜に行くが、大混雑。正月のおせち料理の買い出しで、地下の食品売り場などは、冷房が必要なほどの混雑の暑さ。夜は、いつものように『紅白歌合戦』を見る。これを嫌う、あるいは馬鹿にする人が多いが、私は好きで毎年見ている。「村社会」たる日本の典型だからだ。村人が男女に別れて何かをするというのは、まさしく村の年中行事であり、これがまさしく日本なのだ。会場が、NHKホールではなく、有楽町の東京国際フーラムになっているのに、驚く。あそこには、アンディ・ラムとカエターノ・ヴェローゾのコンサートくらいしか行ったことがないが、音響がひどいと感じだ。手前味噌になるが、パシフィコ横浜の国立大ホールの方が、音ははるかに良い。なんで、国際フォーラムでやるのか、調べたら、NHKホールが改修工事中とのこと。切れ...なぜ東京国際フーラムで『NHk紅白歌合戦』
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日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳