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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

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2014/09/11

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  • ベネディクトクス

    第二次世界大戦の末期、 イタリア占領中のドイツ軍を攻撃する連合軍は カンパニア高原の一角モンテ・カッシーノで 激戦を交えました。 その山頂には 聖ベネディクトクスの創設した修道院があり、 空陸からの

  • 古代の消滅

    アンリ・ビレンヌは論文 『マホメットとシャルルマーニュ』の中で 《古代は終わることなく、 少しずつ色あせて中世の内に延長される。 純歴史的にいえば、過渡期である…… グロヴィス王の征服以来、 フランク

  • 古代の連続

    現代に起こった二つの大戦間の時代は 「暗い谷間」とよばれますが、 それは大規模な国際戦争に始まり、 物質と精神とのはなはだしい荒廃にみまわれ、 ファッシズムによる 一層非人間的な戦争の危機に直面した時

  • 古代の没落

    ウェーバーのたくみな直喩によれば、 ローマの高度の都市文化の中に生きる ある古典作家が、 彼の羊皮紙の上にうつむいたまま、 数世紀間のうたた寝をした後、 ふと目をさましたとしたら、 彼はフランク時代の

  • 古代の転換

    西ローマ滅亡を ルネサンス時代のヒューマニストは 古代全般の没落と考え、 一八世紀の啓蒙思想家たちは モンテスキューやギボンのように ローマ末期の内的衰退と ゲルマン族による外的衝撃とによる 古代の「

  • 古代の衰退

    私は今、 第一次「民族大移動」の終末期に立って、 あわただしく過ぎ去ったローマ帝国末期の 数世紀間に見られたいくつかの光景を 回想しています。 そこにはもはや国境を 防備し得なくなったローマ軍団があ

  • 文明の変転

    地理的拡大と相まって、 西欧文明の内部でも大きな統合が行われました。 文明の統合は、生活のあらゆる層で行われ、 目ざましい成功をかち得ましたが、 それでも西欧流の制度や文化パターンを、 永続的な鋳型

  • キリスト教圏の拡大2

    キリスト教圏にとって、 南と東に最も大きな意味を持つ前線がありました。 その方角には、 イスラームとビザンティンの社会があり、 後進的で勇猛な蛮族よりも、 西欧の文明化のために 役にたつものを持って

  • キリスト教圏の拡大1

    西欧の新たな姿勢を最も劇的に証明したのは、 キリスト教圏の境界線が、 あらゆる方向に向かって 地理的に拡大したことです。 スカンディナヴイアと西ケルトの辺境地帯が 西欧の社会構成の中にうまく収まるま

  • 西方遠征軍

    暴動に慌てた皇帝エスティニアヌスが、 こそこそと亡命の支度にかかった時、 彼の背中を一つどやしつけて性根をすえさせたのは 口八丁手八丁の妃のテオドラです。 《恥をしのんで生きるより、 紫の帝衣のまま

  • 反皇帝暴動

    ローマでは皇帝、 元老院議員をはじめ軍人、役人たちが それぞれひいきの緑組、青組というチームの 戦車牽引競馬のスピード感や賭金のやりとりに興じ、 民衆もまた余興を求めていた。 人々は豊富な食糧をエジ

  • 新しいロ-マ

    西方フランク王国の分裂が始まったころ、 東方では、 ギリシアからオリエント一帯にひろがる 東ローマ帝国(ビザンツ)が健在を示していました。 帝都コンスタンティノープルは 歴帝の築いた幾重もの堅城にか

  • 司教の回想

    グロヴィス王の建国事業が完成して後、 約半世紀が過ぎました。 王の曾孫シルドベール二世の末年、 トクール市の司教館の一室で、 初老の一高憎が心静かに著述の 鵞(が)ベンを走らせていました。 その顔は

  • フランク人の統治

    ローマ人政権を倒して、 名目上「同盟者」となったグロヴィスは 余勢を駆ってロワール河畔まで進み、 北フランス一帯を手中に収め、 事実上ゲルマン族中第一の支配者に成り上がり ランス市に凱旋しました。

  • 最後のローマ人

    アングル人、サクソン人は 海峡を渡ってプリタニアに移ります。 諸族の統率者は各地で王国を創建し、 ローマ貴族、執政官(コンスル)の肩書きを受け、 思いのままに皇帝をあしらいます。 西ゴート人の擁立し

  • ローマの現状

    五世紀後半のローマ帝国の地図をひろげた人は あたかも古びた錦欄(きんらん)の布地に 雑色の端布(はぎれ)でつぎをあてた 道化師の着物でも見る思いがするでしょう。 それは支配権(インペリウム)の失われた皇帝

  • アフリカの聖者2

    真にアフリカの聖者としての面目は、 はからずも総督ボニファキウスの陰謀によって 起こった悲劇に際会して発揮されることとなりました。 総督は中央の政界に対抗するために、 スペインにいたヴアングル人を味

  • アフリカの聖者1

    フン族のローマ市来襲に先立つこと約二〇年前、 ローマ領ヌミディアに、 軍人で総督のボニファキウスと ヒッポの司教アウグスティヌスがあらわれまし。 二人は親友の間柄ですが、 その生涯と最後の運命はまっ

  • 征服者と聖人

    問答無用!アッテイラが まさに進撃命令を下そうとした時、 ふと頭上の空を見上げました。 初代キリスト教会の使徒、 ペテロとパウロが 天から舞いおりてくるのが見えたのです。 二聖人はぬき身の剣をふり

  • イタリアの敗北

    建国以来一二〇〇年の伝統を誇る永遠の都ローマは、 恐るべき征服者アッテイラが ローマをめざして進撃中だという情報が入ったので 皇帝はいち早く亡命しました。 アユテイクス将軍はまだガリアにとどまってお

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