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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

beabea65
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水戸市
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2014/09/11

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  • 蛮族の決戦

    フン族の大軍は四五一年、 西ローマの要衝の地、ガリア(フランス)を目指して 渡河西進します。 東ゴート人など多数のゲルマン諸部族が合流し、 疾風怒涛の進撃に、 またたく間にトレーヴ、メッツ、ランスの

  • フン族の襲来

    紀元四世紀の末、 ドナウ河中流ダキア地方(今のハンガリー)の ローマ辺境に、 恐るべき民族が姿をあらわしました。 フン族とよばれるトルコ系の一遊牧民です。 容貌(ようぼう)はずんぐりした短躯で、 黄

  • ゲルマンの伝説

    民族大移動時代のゲルマン族が信仰していた 神話の世界を伝えているこの伝説は、 彼らは文字をもたず、偶像をつくらなかったので、 忘れ去られていました。 ゲルマン神話とは、 キリスト教化される前のゲルマ

  • 神々のたそがれ

    伝説によると地獄の復讐が計画されており、 ゲルマン族の歓楽の世界にも 終わりがくることになっています。 ニッフルハイムという 北方の闇と氷の世界では ロキという巨人族の焔の神が、 地上で老衰や病気の

  • ゲルマン族の天国

    天にかかる虹の橋は ゲルマン族の天国への入口です。 戦場で勇敢に戦ってたおれた者、 神々の父オーディンに特別に愛された者は 地上での生命が終わると、 戦場の乙女ヴァルキュリーたちに運ばれて この橋を

  • 巨人の玩具

    森の一隅には聖なる泉がわき、 かれらは神殿も神像も作らない代わりに、 森の王国を民族的神話の世界になぞらえました。 白馬にまたがり槍をふるう主神オーディン、 戦車を駆る雷神トール、軍神テイル…… 神々

  • 森の民族

    長城前方の森は、 一見、住むものといえば野生の獣ばかりで、 農業も行なっている ゲルマン族の居住地とは思われません。 しかしよく森影をみると、 傭兵たちと同じように肌着に長ズボンをはき、 肩には毛織

  • 砦から都市へ

    砦にはローマ市民権をもつ正規の将校が 白銀色の胸甲を陽の光に輝かせ、 赤い羽飾りのついたヘルメットをかぶって 監視に立っています。 ゲルマン傭兵たちは軽装で、 布地の帽子をかぶり、 長槍をかまえて歩

  • 長城の構築

    紀元前二世紀末、 キンプル人というゲルマン族の一派が 南ドイツ地方に侵入してきた時から 防備を固めるようになったもので、 長城は二〇〇年後に完成しました。 その工事は大がかりなもので、 ライン軍団の

  • 辺境の砦

    中世の西欧史は ローマ帝国の辺境に築かれた長城の砦と、 そこに襲いかかるゲルマン族とによって始まります。 アメリカ西部の辺境(フロンティアー)にある 守備隊の砦(とりで)で幕をあける西部劇の舞台が、 や

  • 中世の暗黒史観

    西欧の学者は自分たちが 古代ギリシャ.ローマを受け継いでいる と自負しているため、 「古代」と「近代」の問に「中世」を挟んで、 いかにも西洋「文化」が一貫して 継続しているように考えていますが、 この

  • 西欧の中世

    西洋の歴史で「中世」(Middle Age)とは、 「古代」ギリシャ・ローマと 「近代」に挟まれた時代のことです。 この時代はゲルマン民族の大移動ののち、 キリスト教化され、現代の西洋といわれる 世界が形成さ

  • 日本と中世西欧

    イスラームの自己変容と拡大は、 一〇〇〇年から一五〇〇年の間におこった、 世界史上最も劇的でめざましい変化でした。 それについでおこった変化は、 さらに重要な意味を持っており、 それは、文明世界の両

  • 日本史の特徴

    支那から距離的に離れていたため、 支那の文化圏に完全にのみ込まれてしまう危険を あまり感じなかった日本は、 六〇〇年から一〇〇〇年までの間に、 仏教だけでなく、儒教をはじめ 彼らが輸入し得る支那文化の

  • インドの抵抗

    インドにしてもおなじことで、 マラータ人やシーク教徒は、 回教徒の専制支配にたいして、 復古の反乱をくわだて、 ときには成功をおさめたこともありましたが、 インド人全般の愛国心の高揚を見るにはいたりま

  • 支那の抵抗

    外国の支配を覆(くつがえ)そうとする企(くわだ)てが 無かった訳ではなく、なかには成功した例もありました。 しかし外国支配のもとで、民族意識の低下は、 民族再興をほとんど不可能にしました。 土着の王朝

  • 東洋への影響

    もともと 平和的で自足的な性格の東洋文明は、 外からの侵略にたいしてはつねに弱かった。 日本とベトナムを除く東洋諸国は、 モンゴルが東洋の統一を破壊するのを許したばかりか、 インド、支那の文明を彼ら

  • 西欧への影響

    モンゴルの襲来が 仏教世界とキリスト教世界におよぼした 影響を比べてみると、おどろくほどの違いがあります。 地中海とバルト海の沿岸諸民族は、 長いあいだたがいに侵略しあってきたので、 侵入してきた遊

  • モンゴルの影響

    支那を征服したモンゴルが、 十三世紀後半、朝鮮人に道案内をさせて 日本侵略をくわだてて以来、 わが国と大陸の隣人たちとの古くからの関係も、 衰えはじめました。 モンゴルの好戦的態度は、約四十年間もつ

  • 東洋の柔軟性

    六世紀のころ、 インドのヴイクラマーディティヤ王の治世にあらわれ、 詩歌音楽の隆盛をもたらした自由廣大の精神は、 支那唐朝にも、 同時代のわが奈良朝の宮廷にもあらわれています。 さらに、八世紀のイン

  • モンゴル襲来

    しかし、この最後のモンゴル襲来は、 過去にその比を見ない大規模なものでした。 それは、太平洋とインド洋に達しただけでなく、 ウラルをこえて、モスクワを侵しました。 ジンギス汗の後裔は、支那では元(

  • 東洋の輝き

    東洋の衰退は、 十三世紀のモンゴルの征服とともにはじまりました。 支那とインドの古典文明は、 この侵略以来彼らをおそった夜の暗さと対比するとき、 ひときわその輝きをましてきます。 黄河とガンジスの

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