西武新宿線本川越駅からひとつ手前、南大塚駅から入間川河川敷まで、かつて3.2キロにわたって貨物線が走っていました。南大塚駅構内。かつての敷地はそのままで、レールも一部残っています。線路跡はしばらく住宅街の中を抜けます。最近まで線路がそのまま残って
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真を中心に国内の寂れた観光地や温泉なども紹介。
建設関係の仕事のため首都圏の様々な街に通っており、暇を見つけては建物や街角の写真を撮り続けています。また旅好きで、特にマイナーな寂れた観光地や温泉、地方都市などを巡ってます。
今年は4年ぶりに神田祭開催です。こちらはコロナ前に開催された2019年の神田祭。当時は神田ガード下の神田小路もまだ残っていました。そう考えるとコロナ禍はつくづく長かった。こちらは2023年5月12日、夕方に霊入れをして夜に町内を練り歩く、前夜祭のようなもの。
久しぶりに秩父まで行って来ました。ここのところ追いかけて来たセメント産業のシリーズもそろそろラスト。まず西武秩父駅から見えるこの山が、石灰石の一大産地である武甲山です。元々は漆喰などの原料として石灰が産出されて来ましたが、大正時代よりセメントの原料とし
さて、セメント列車専用線の廃線跡、後編です。前回に引き続き太平洋セメント埼玉工場よりスタート。工場の西側はJR八高線高麗川駅までの貨物専用線がありました。こちら側は遊歩道として整備されています。踏み切りなど当時の設備が残されています。日本セメント(
先日、東松山市の日本セメント泥土採掘場跡地とその専用線廃線跡を巡りました。では、採掘された泥土は東武東上線に入線しどこへ運ばれて行くのか。そんな疑問を持ちましたが、その答えが鶴ヶ島市及び日高市にありました。坂戸駅から東武越生線に入り西大家駅の手前、専用
日本セメント専用線を歩いた後、高本駅跡地からゴルフ場のある丘陵地を越えていきます。一応峠になります。すでに2時間近く歩いており、ちょっと無茶しました。峠を越えて小川沿いに田園を下って行くと集落が開けて来ます。火の見櫓も最近では随分少なくなってしまいま
立て続けに東武東上線高坂駅まで参りました。かつてこの高坂駅から北西に向かい貨物専用線が延びていました。構内の引込み線は当時の名残り。専用線はしばらく東松山方面へと並走し、やがて西に分かれて行きます。この辺りより先の廃線跡は「まなびのみち」と言う遊歩
成増で仕事が早く終わったので、とりあえず東武東上線で北へ。東松山市の高坂駅まで行ってまいりました。大東文化大学を通り過ぎて峠を越えれば比企郡鳩山町。高坂からおよそ15分で鳩山ニュータウンに到着。1970年代に販売された南東部には時代を感じさせるデザインの
蒲田の東、羽田空港の手前は糀谷などの住宅街が続き、ちょっとした下町の雰囲気が残っています。京急羽田線は穴守稲荷から地下に潜り、海老取川の下を通って羽田空港へ。通る電車のほとんどが都営浅草線の車両で、たまに北総鉄道。京急の車両が来るまで何本も見送りました
先月、徹夜で突貫現場などありまして体がバキバキでして、今回たまたま仕事が早く終わったので、近場の日帰り温泉にでも行こうかと思いました。近場と言っても埼玉県中部、高崎線で熊谷の手前、吹上で下車。そこから行田市方面工業団地行きのバスで7分、産業道路下車。さ
さて、走水砲台と川間ドックの後は観音崎の南の岬にある千代ヶ崎砲台跡に行ってみます。川間ドックの少し先、急な坂道を延々と登って行くと千代ヶ崎砲台に辿りつきます。こちらは走水砲台に比べると全然高い位置にあります。土曜日曜祝日のみの公開となりますが、ボランテ
横須賀市の南、以前訪れた観音崎砲台跡の近くにある走水砲台跡と川間ドック、千代ヶ崎砲台跡に行ってまいりました。JR横須賀駅より観音崎行きのバスに乗って行きます。横須賀の海上自衛隊基地には輸送艇くにさきが停泊中でした。観音崎の手前、西側の入江は走水漁港。
さて、富岡の市内を巡って行きます。富岡にはまず高崎駅0番ホームより下仁田行きの上信電鉄に揺られて行きました。車両は昭和56年新潟鉄工製の6000系がまだ現役で走っています。長い直線を高速走行すると激しく横揺れ。実に懐かしい感覚です。さすが世界遺産登録
観光地、ましてや世界遺産なんて行かないと思ってましたが、最近ちょっと考えが変わって来ました。去年まで北関東の産業遺産関連を巡って来ましたが、ならば富岡製糸場ぐらい一度は行っておかないとと思い富岡市にお邪魔しました。駅から南に歩いたところ、富岡製糸場の隣
あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。以前、2016年6月、太田駅北口の街中を散策しましたが、今回は改めて南口を少し歩きます。ちなみに訪れたのは2022年の12月。更新のペースを定期的にするため公開を保留していました。→以前訪れた時の様子
早いもので年の瀬。そこで毎年恒例、印象に残った情景2022年総集編をお送りします。写真をクリックするとその時の記事に飛びます。今年はどうもまとまった休みが取れず遠出が出来なかったのが残念です。泊まりがけでゆっくり温泉にでも行きたかったんですが。また旅の予定を
去年に続き今年も熱海の冬花火に行って来ました。今後、毎年恒例になるかも知れません。去年の様子はこんな感じ。去年は伊東に1泊し2泊目熱海でしたが今回は1泊のみ。クリスマスイブの昼下がりに家を出て赤羽から上野東京ラインに乗り換えようとしたところ、大船駅で人身事
東武熊谷線はかつて旧国鉄熊谷駅から北上し、利根川の手前の妻沼(めぬま)まで走っていたローカル線です。昭和18年開業、昭和58年廃止。始発の熊谷駅と次の上熊谷までは秩父鉄道と高崎線に挟まれるように走っており、駅及び線路は秩父鉄道に借用していました。プラットホー
※注 今回は色々な意味でかなりマニアックな話になっています。写真の点数も多く飽きてしまうかも知れません。昭和の自動車が展示されている博物館と言えば、自分としては20代の頃に通い詰めた御殿場のスポーツカー博物館、フェラーリ美術館、箱根のポルシェ博物館で有名
東武伊勢崎線の太田と伊勢崎市の中間地点にある境町。ちょうど伊勢崎、太田、深谷に囲まれた知名度の低い町ですが、利根川の支流で赤城山から流れる広瀬川の北岸に位置する事から古くより交通の要衝として栄えて来ました。駅前には何も有りませんが、近くを通る国道17号線
先月に引き続き館林へ再訪して来ました。先月末、館林より帰ってから色々と調べるにつき、まず正田貞一郎を語らずして館林を語れないと知り、再訪の機会を伺っていました。しかし仕事が忙しく、早くも1か月が経ってしまった。まずは館林駅の真横に有りながらその存在に
駅の東、県道57号を越えた辺りに、かつての花街がありました。最盛期で150人居た芸妓さんも今では消えてしまいましたが、料亭や割烹はその名残りとして残っています。花街を求めて歩いて行くと、県道を渡る前から料亭などが目につくようになってきます。大正3年より昭和13
うわ、レトロとか言っちゃったよ。東武伊勢崎線から北東へ佐野線が、西へ小泉線が分岐する館林。都心からの電車は久喜止まりで久喜からここ館林まで各駅停車が往復し、館林から先の伊勢崎線は大田止まりと伊勢崎行き。さらに太田から桐生方面の赤城行きが発着と、現在の北関
前々から訪れて見たいと思っていた子安に残る漁村。9月より俄に仕事が忙しく、合間を見て訪れて来ました。JRと京急の止まる新子安より国道15号を西、横浜方面へと歩いて行きます。沿道にはなかなか古そうな建物も。かなり立派な廃屋。子安の辺りは海岸まで丘陵地が迫っ
9月に入ってから俄に仕事が忙しく新しい記事も書けませんでしたが、性懲りも無くまた佐野市に行ってしまいました。今回は佐野駅からバスに乗ります。中心街から多少外れているとは言え、やはり佐野駅前には唯一賑わっているセブンイレブン以外何もないです。なにしろ南東
前回吉水駅を訪れた続きとして、今回は東武佐野線の終点である葛生駅に行って来ました。折しも台風接近の最中、一瞬だけ集中豪雨に見舞われ靴下びっちゃびちゃで巡ります。かつてセメント工業の最盛期は出稼ぎ労働者も多く集まり多くの人で賑わったと言われる葛生の街。現
佐野市は2019年4月に軽く佐野駅前の廃スナック街を散策して以来です。今回訪れたのは佐野駅から東武佐野線で北へ二つ目、終点の葛生との中間地点に当たる吉水駅。かつては駅舎も有ったようですが、現在では交通系ICをタッチするポールがあるのみの無人駅です。駅の東側
船橋には2016年2月、赤線地帯の海神新地跡やバラック地帯の都疎浜地区などを巡りましたが、今回たまたま船橋に行く機会があったので駅周辺を巡りました。JR船橋駅の北口はイトーヨーカドーと、東武野田線(あーばんぱーくらいん)の起点駅だけあって東武デパート。南口には
前回、廃仏毀釈をテーマに取り上げようと秩父の山奥まで足を運んだのに空振りに終わり、消化不良だったので改めて調べ、その物証を求めて川崎市麻生区に来ました。小田急新百合ヶ丘駅より千代ヶ丘行きのバスに乗り千代ヶ丘三丁目で下車。丘の上はニュータウンと言うより、
今から5年前の2017年、一度訪れた両神小学校大谷分校跡に再訪しました。小鹿野から白井差口行きの町営バスに揺られて小森川沿いを登り、前回訪れた時と同様大谷橋で下車。山間部は霧が立ち込め小雨が降り続いています。5年前のGWは清々しい天気でした。定点観測して
小鹿野は秩父から北へひと山越えた奥、東西に横たわる宿場町です。西武鉄道の終点で東西に秩父鉄道が走る秩父市と比べてしまうと随分と田舎な印象を受けてしまいますが、北に接する上州にも抜けられる事から、かつては交通の要衝として発展し続けて来たそうです。特に明治大
東京の西の外れ八王子市。市街地は広く立派な地方都市と言った感じです。八王子と言えば駅ビルにもなっていた「そごう」の存在が大きかったのですが、2012年に閉店。現在では多くのテナントが入るファッションビルとなっています。かつてデパート全盛期には西武百貨店(
多摩川西岸を遡るJR南武線。川を渡って府中市に入る手前に、稲城長沼駅があります。稲城市と言えば梨狩りのイメージがあります。千葉方面の方にとっては船橋でしょうが、神奈川方面の者にとって梨狩りと言えば稲城市なのです。駅近くの公園に、いきなりボトムズのスコ
にわかに仕事が忙しくてどこも行けてないのですが、こう暑いと例え暇でも出掛ける気にはなれないと言うもの。まずは前回、追浜に行った帰り。追浜駅前の立ち飲み屋がまだ開いてなかったので、京急線の杉田で途中下車。賑わいを見せている駅前商店街には渋い建物もちら
神奈川県横須賀市追浜(1)、第三海堡構造物(移築)神奈川県横須賀市追浜(2)、追浜周辺の立ち飲み屋神奈川県横須賀市追浜(3)、追浜駅前の水上商店街追浜駅より日産自動車のある海岸方面へ。以前訪れた第三海堡や貝山砲台の手前の丘陵地にも戦争遺跡が存在します。まずは
神奈川県横須賀市追浜(1)、第三海堡構造物(移築)神奈川県横須賀市追浜(2)、追浜周辺の立ち飲み屋神奈川県横須賀市追浜(4)、旧第一海軍技術廠周辺の遺構日産のお膝元、企業城下町でもある追浜は奥が深い。と言う事で、やっと仕事も暇になって来た事だし追浜再訪して来まし
2006年に笠間市と合併した岩間町は、常磐線で友部駅のひとつ東京寄りに位置します。市街地は丘陵地(上郷)にあり、周囲を田園地帯(下郷)に囲まれています。特産品は栗や柿など。ごくありふれた田舎町と言ったらそれまでですが、今回は廃墟界で有名な未成マンショ
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西武新宿線本川越駅からひとつ手前、南大塚駅から入間川河川敷まで、かつて3.2キロにわたって貨物線が走っていました。南大塚駅構内。かつての敷地はそのままで、レールも一部残っています。線路跡はしばらく住宅街の中を抜けます。最近まで線路がそのまま残って
さて、後半はスナック街や旧青線地帯跡など、ディープな路地を歩いて行きます。実はこちらがメインディッシュ。駅から宮川を渡って1本目を左に。寂れた飲み屋街と言った感じの街並みを歩いてゆくと、右手にミリオン通りと言う路地裏飲食店街が見えてきます。入り
※2024年3月末訪問。昭和な街並み系や赤線地帯系のブログなどを巡っているとよく見かけるのが富士吉田市の月江寺。それだけそっち界隈では有名であり紹介され尽くされている感がある故に行くのは永らく後回し、と言う扱いでした。とは言えいずれ訪れたいと思っていたし、
ブログを開設してから早いもので10年。飲食店は3年続けば安泰、ブログなら5年続けば安泰(多分)と言う事ですが、よくモチベーションが続いたものだと思います。全国的に見れば行きたい場所なんて腐るほどありますが、それを限られた時間とお金でどれだけ消化していけるか。私
先週、先々週と羽村取水堰に行って来ましたが、次の週はお祭りがあると言う事で、羽村市の春の例大祭に行って来ました。3週連続です。近いからいいけど。このお祭りは稲荷神社に合祀されている八雲神社の祭礼で、阿蘇神社(加美町)、五ノ神社(五ノ神)、神明神社(川崎)、玉
※元々は3月28日、羽村山口軽便鉄道の廃線跡をシェアサイクルで訪れました。そしたら開花前の桜並木がずっと続いているじゃありませんか。あと1週間以上後に訪れたならば桜が見事だったろうに、そう思って4月7日の日曜日、リベンジの意味も込めて再度訪れました。花見スポッ
2019年10月末、日記として高田馬場の飲み屋の記事を書きましたが、久々に高田馬場に立ち寄ったら以前訪れた飲み屋街が全滅してたので記事を更新します。※以下は2019年10月29日の日記。高田馬場駅北口を出ると早稲田通りがガードをくぐります。その大通りを渡って右手、
にわかに仕事が忙しくなり更新が滞りそうなので、日頃のスナップなどを並べつついつもの如く近況報告などしてお茶を濁します。実は去年の秋から連れが板橋の帝京大学附属病院に入院したりなど、プライベートで色々有りました。帝京大学附属病院から石神井川沿いに歩
茨城県西部、西に栃木県小山市が接する辺りに結城市があります。地名としては初めて聞きました。そんなJR水戸線結城駅前の右手、2017年に完成した結城図書館および観光物産センターがあります。まずここでレンタルサイクルを借りました。ふと左手を見ればスーパ
もう5回目ですよ笠間に行くのは。笠間市の友部も入れれば6回目。以前定休日で入れずリベンジしたら予約制のツアーがあった事を知り、三回目の石切山脈です。JR水戸線、笠間のひと駅西にある稲田駅。小さな駅ですが駅前に稲田石に関する資料館、石の百年館があります。
以前から気になっていたザ・ヒロサワ・シティ。2月11日にリニューアルオープンしたとの情報を聞き、早速下館に再訪。ちょっと遅めに出たので下館に着く頃には昼になってしまいました。駅前に何も無いと前回知ったので不安を抱えながら稲荷町を歩いていたら、営業している
下館は東西にJR水戸線、北へ真岡鉄道、南へ関東鉄道常総線と、十字に鉄道が走ってます。下館駅は明治22年(1887年)国鉄水戸線の前身となる水戸鉄道として開業。明治45年には国鉄真岡線の前身となる真岡軽便鉄道が開通し、大正2年(1913年)には関東鉄道の前身となる常総鉄道
今、西武池袋線で池袋からひと駅目の椎名町に仕事で通ってます。西武池袋線は山手線の線路をオーバークロスしながら右へ急カーブ。地上に降りると山手通りの下を潜って椎名町に至ります。沿線は踏み切りだらけですが、山手通りの下を潜るために高架化が出来ないんでし
笠間には過去2度も訪れたのですが、また後から行きたい場所を発見してしまいました。JR水戸線笠間駅よりバスで笠間稲荷神社まで。門前通りの突き当たりにあるかさま歴史交流館にてドコモのシェアサイクルを借りました。ドコモシェアサイクルは都市部の他、極一部の地域で
新春特別企画として過去、今から約36年前の1988年3月に撮影した、茅葺き屋根の葺き替え工事の様子をお届けします。場所は現在世界遺産に登録されている岐阜県の白川郷。当時はまだ登録されておらずバイパスも整備されておらず、知名度はあれこそ陸の孤島とされておりま
まずは被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。私は能登半島には2度、富山県氷見市には出張で1か月半滞在した他に3度ほど訪れており、特に好きな地方であります。こちらは能登町宇出津の街並み。能登半島は木造建築が非常に多く残されております。2020年の春にお
毎年恒例、印象に残った情景2023年総集編をお送りします。写真をクリック(タップ)するとその時の記事に飛びます。今年は色々あって金銭的に遠出が出来ませんでした。しかしながら関東圏内の日帰り旅でも、結構衝撃的な場所が数多くあり、なかなか豊作の年でした。記憶に残
最近戸田に用事があってちょいちょい通っているのですが、検索したら近くにスーパー銭湯がある事が分かりました。戸田公園駅から西へ10分も歩けば物流倉庫だらけで車社会。巨大ホームセンターや駐車場完備のドラッグストアや飲食店。ここ彩香の湯も一階部分が全て駐車
仕事が休みだったんで寝坊して、あまり遠くまでは行けないなと言うことで船堀の温泉銭湯でも行こうかと。今年のお盆に訪れて9月頭に閉店となった東京健康ランド。再開発計画があるようで、もう解体作業が始まっていました。そこから歩いて10分もしない所に江戸川競艇が
荒川河川敷の廃村を巡った後、そのままレンタルサイクルで北東へ、秩父鉄道行田市駅周辺の市街地まで行きました。こちらが城下町行田の中心街であり、JR高崎線の行田駅は全然町外れに当たります。忍城と言えば映画「のぼうの城」で一躍有名になりましたが、私はあの映画大
今年は4年ぶりに神田祭開催です。こちらはコロナ前に開催された2019年の神田祭。当時は神田ガード下の神田小路もまだ残っていました。そう考えるとコロナ禍はつくづく長かった。こちらは2023年5月12日、夕方に霊入れをして夜に町内を練り歩く、前夜祭のようなもの。
久しぶりに秩父まで行って来ました。ここのところ追いかけて来たセメント産業のシリーズもそろそろラスト。まず西武秩父駅から見えるこの山が、石灰石の一大産地である武甲山です。元々は漆喰などの原料として石灰が産出されて来ましたが、大正時代よりセメントの原料とし
さて、セメント列車専用線の廃線跡、後編です。前回に引き続き太平洋セメント埼玉工場よりスタート。工場の西側はJR八高線高麗川駅までの貨物専用線がありました。こちら側は遊歩道として整備されています。踏み切りなど当時の設備が残されています。日本セメント(
先日、東松山市の日本セメント泥土採掘場跡地とその専用線廃線跡を巡りました。では、採掘された泥土は東武東上線に入線しどこへ運ばれて行くのか。そんな疑問を持ちましたが、その答えが鶴ヶ島市及び日高市にありました。坂戸駅から東武越生線に入り西大家駅の手前、専用
日本セメント専用線を歩いた後、高本駅跡地からゴルフ場のある丘陵地を越えていきます。一応峠になります。すでに2時間近く歩いており、ちょっと無茶しました。峠を越えて小川沿いに田園を下って行くと集落が開けて来ます。火の見櫓も最近では随分少なくなってしまいま
立て続けに東武東上線高坂駅まで参りました。かつてこの高坂駅から北西に向かい貨物専用線が延びていました。構内の引込み線は当時の名残り。専用線はしばらく東松山方面へと並走し、やがて西に分かれて行きます。この辺りより先の廃線跡は「まなびのみち」と言う遊歩
成増で仕事が早く終わったので、とりあえず東武東上線で北へ。東松山市の高坂駅まで行ってまいりました。大東文化大学を通り過ぎて峠を越えれば比企郡鳩山町。高坂からおよそ15分で鳩山ニュータウンに到着。1970年代に販売された南東部には時代を感じさせるデザインの
蒲田の東、羽田空港の手前は糀谷などの住宅街が続き、ちょっとした下町の雰囲気が残っています。京急羽田線は穴守稲荷から地下に潜り、海老取川の下を通って羽田空港へ。通る電車のほとんどが都営浅草線の車両で、たまに北総鉄道。京急の車両が来るまで何本も見送りました
先月、徹夜で突貫現場などありまして体がバキバキでして、今回たまたま仕事が早く終わったので、近場の日帰り温泉にでも行こうかと思いました。近場と言っても埼玉県中部、高崎線で熊谷の手前、吹上で下車。そこから行田市方面工業団地行きのバスで7分、産業道路下車。さ
さて、走水砲台と川間ドックの後は観音崎の南の岬にある千代ヶ崎砲台跡に行ってみます。川間ドックの少し先、急な坂道を延々と登って行くと千代ヶ崎砲台に辿りつきます。こちらは走水砲台に比べると全然高い位置にあります。土曜日曜祝日のみの公開となりますが、ボランテ
横須賀市の南、以前訪れた観音崎砲台跡の近くにある走水砲台跡と川間ドック、千代ヶ崎砲台跡に行ってまいりました。JR横須賀駅より観音崎行きのバスに乗って行きます。横須賀の海上自衛隊基地には輸送艇くにさきが停泊中でした。観音崎の手前、西側の入江は走水漁港。
さて、富岡の市内を巡って行きます。富岡にはまず高崎駅0番ホームより下仁田行きの上信電鉄に揺られて行きました。車両は昭和56年新潟鉄工製の6000系がまだ現役で走っています。長い直線を高速走行すると激しく横揺れ。実に懐かしい感覚です。さすが世界遺産登録
観光地、ましてや世界遺産なんて行かないと思ってましたが、最近ちょっと考えが変わって来ました。去年まで北関東の産業遺産関連を巡って来ましたが、ならば富岡製糸場ぐらい一度は行っておかないとと思い富岡市にお邪魔しました。駅から南に歩いたところ、富岡製糸場の隣
あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。以前、2016年6月、太田駅北口の街中を散策しましたが、今回は改めて南口を少し歩きます。ちなみに訪れたのは2022年の12月。更新のペースを定期的にするため公開を保留していました。→以前訪れた時の様子
早いもので年の瀬。そこで毎年恒例、印象に残った情景2022年総集編をお送りします。写真をクリックするとその時の記事に飛びます。今年はどうもまとまった休みが取れず遠出が出来なかったのが残念です。泊まりがけでゆっくり温泉にでも行きたかったんですが。また旅の予定を
去年に続き今年も熱海の冬花火に行って来ました。今後、毎年恒例になるかも知れません。去年の様子はこんな感じ。去年は伊東に1泊し2泊目熱海でしたが今回は1泊のみ。クリスマスイブの昼下がりに家を出て赤羽から上野東京ラインに乗り換えようとしたところ、大船駅で人身事
東武熊谷線はかつて旧国鉄熊谷駅から北上し、利根川の手前の妻沼(めぬま)まで走っていたローカル線です。昭和18年開業、昭和58年廃止。始発の熊谷駅と次の上熊谷までは秩父鉄道と高崎線に挟まれるように走っており、駅及び線路は秩父鉄道に借用していました。プラットホー
※注 今回は色々な意味でかなりマニアックな話になっています。写真の点数も多く飽きてしまうかも知れません。昭和の自動車が展示されている博物館と言えば、自分としては20代の頃に通い詰めた御殿場のスポーツカー博物館、フェラーリ美術館、箱根のポルシェ博物館で有名
東武伊勢崎線の太田と伊勢崎市の中間地点にある境町。ちょうど伊勢崎、太田、深谷に囲まれた知名度の低い町ですが、利根川の支流で赤城山から流れる広瀬川の北岸に位置する事から古くより交通の要衝として栄えて来ました。駅前には何も有りませんが、近くを通る国道17号線
先月に引き続き館林へ再訪して来ました。先月末、館林より帰ってから色々と調べるにつき、まず正田貞一郎を語らずして館林を語れないと知り、再訪の機会を伺っていました。しかし仕事が忙しく、早くも1か月が経ってしまった。まずは館林駅の真横に有りながらその存在に