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イギリス留学小話 http://backtomyuktime.seesaa.net/

今はむかしイギリス留学した時のこと。

1990年代、普通のOLだった私は留学を決心して、誰も知り合いのいないロンドンにバックパック一つで飛んで行き、1年の当初の計画を大幅に上回り、3年半も暮らしてしまいました。 その後東京でSEとしてIT企業に12年勤務するも、海外に住む夢が捨てきれず、今はニュージーランドに住んでいます。 このブログは、ニュージーランドに住むための基盤体験となったイギリス留学生活の思い出を書きます。

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2014/02/19

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  • 確実に英語が上達する習慣 その3 ベストな学習方法って?

    語学を学習する人達にとって、最も効果的な学習方法というのは、喉から手が出るほど欲しい情報の一つでしょう。 短期間で苦労せず、英語がペラペラになったら、これほど素晴らしいことはありません。しかし、一体そんな方法が存在するのでしょうか? 無限にある学習リソース 今の世の中、昔とは比べ物にならないくらい、英…

  • イタリアまで、あわや無賃乗車で捕まる その2

    1994年夏、フランクフルトから一気にローマまで、列車で南下しようとしていました。 日本の電車では、乗り越し乗車をしても車内で追加料金を払う事ができますね。今はどうかはわかりませんが、当時ヨーロッパではその感覚は通用しませんでした。 料金は目的地まできっちり支払う。払っていなければ違法乗車で罰金です。 置き去りにされ不安でいっぱいでしたが、何ができたでしょう? 車掌の指示に身をゆだねるだけです…

  • イタリアまで、あわや無賃乗車で捕まる その1

    1994年夏、フランクフルトから一気にローマまで、列車で南下しようとしていました。 ローマまでのクシェット(夜行列車のベッド席)切符を、フランクフルト駅の窓口で購入しました。 窓口のおじさんが、 「ローマまでクシェットだけだね?」と聞くので、 「そうです。クシェット」と答えました。 その時確かに、「あれ、思ってたより安いなあ」と思ったのですが、寝台ってそんなものなのか、とあまり気にとめませんでした…

  • ドイツの小学校の授業に出てみた

    1994年夏、ドイツを発ってイタリアへ行こうとしていました。 エミリー達の家には一週間くらいいたでしょうか? 翌日はイタリアへ向けて出発するという最後の晩です。 エミリーは翌日午前中、私が列車に乗る前、自分の学校に来てほしいと言いだしました。 夏休みだったので、学校は休みのはずでしたが、どういうわけかその日は登校することになっていたようです。詳細は忘れましたが。。。 お母さんのマリアは、エミ…

  • ハイデルベルクにて

    1994年夏、7歳のエミリー、6歳のスザンナと、目的地ハイデルベルクに着きました。 列車でおおはしゃぎだったスザンナが、ハイデルベルクの駅に着くころには心なしか無口になったなと思っていたら、列車を降りて歩き始めてからしくしく泣き出しました。 私は仰天し、そしてどうしたらいいか分からずうろたえるばかりでしたが、お姉さんのエミリーはしっかりしていました。 どうしたのか妹に問いただし、私に説明してくれ…

  • ハイデルベルクへ

    1994年夏、7歳のエミリー、6歳のスザンナと3人でハイデルベルク観光に行きました。 エミリー達の住んでいる村から、ハイデルベルクまではそう遠くはなく、一家はもう何回か行ったことがあったようです。 ティムとマリアが、古いいい街だから私に是非行くよう勧め、エミリーとスザンナもついて来ることになったのです。 さすがにまだ2歳くらいだったミリアムはまだ小さすぎて、一緒には来れません。 エミリーとスザンナは、…

  • バイリンガルに育つということ

    1994年夏 ドイツに住んでいたオーストラリア人一家を訪れていました。 家ごとエクスチェンジの交換留学 ご主人のティムはオーストラリアの学校の先生でした。 ドイツに姉妹校があり、生徒の交換留学だけでなく、英語教師とドイツ語教師のエクスチェンジもしてたそうです。 ティムは、そのプログラムに参加して、一家を引き連れドイツに住んでいました。 ティム達一家が住んでいた家は…

  • ベルギーからドイツへ

    1994年夏、ベルギーを後にしてドイツへ向かいました。 ロンドンのバックパッカーで友達になった7歳のエミリーの家は、ハイデルベルクに近い小さな村にありました。 エミリー達と知り合ったエピソードはここを読んでください。ロンドンに着いて住む家を探す その3…

  • ブリュッセル観光

    1994年夏、べベルの家に泊ってブリュッセル見物をしていました。 ブリュッセルと言って、何か有名な観光名所が思いつくでしょうか? 大広場、グランプラスか、小便小僧の像でしょうかね。 その町に住んでいるべベルも、その程度しか観光名所を知りませんでした。 でもえてして、自分の住んでいる町の名所は知らないものですよね。 べベルと私は、グランプラス…

  • べベルの家へ

    1994年夏、7年前に友達になったべベルの家を探そうとしていました。 ベルギーに着いてからも、何度か公衆電話からべベルの家に電話したのですが、相変わらず電話は繋がりません。 YHAにも2泊して疲れも取れ、歩きやすい靴も買ったので、私は住所を頼りに彼女を直接訪ねることにしました。 ヨーロッパの国は大抵、大小を問わず道には全て名前がついていて、表示も出ているので、アドレ…

  • ブリュッセルのYHAで

    1994年夏、ブリュッセルのYHAのドミに泊ってました。 ドミで泥棒にあった 夜遅くになって、同室の他の女の子2人が、電気の消えた部屋に戻って来た気配がしました。 私は、ぐっすり眠っていて、気配でうっすら目を覚ましたが、彼女たちはマナーを心得ていて、ひそひそ声で話して、手際良く眠る準備をしてそれぞ…

  • ベルギーに着いた

    1994年夏、友達を訪ねてロンドンからブリュッセルに着きました。 ブリュッセル南駅に早朝着きました。 当時はまだユーロ通貨統合前で、早朝の駅の両替で、小額のポンドをベルギーフランに替えました。 朝ごはんも食べたかったし、何よりべベルに電話したかったのです。 通りの公衆電話から、両替したばかりの硬貨を入れてダイヤルを回したのですが、やはり通じません。 こうなったら、住所を頼りに実際に行って見…

  • どの友達にも電話がつながらないけど、とりあえず出発

    1994年夏、ヨーロッパを1人旅する予定を立てました。 この7年前、ボーンマスに短期留学した時にできた友達のべベルをブリュッセルに訪ねることにしていました。 この時まで彼女と私は、ときどき文通していて、お互いの近況を伝えていました。 私がロンドンに留学すると決めた時は、 「ロンドンとブリュッセルは近いよ。すぐ会えるね!」 と彼女も喜んでくれました。 その後、私がロンドンに住み始めてからは、…

  • バックパックでヨーロッパ一人旅

    1994年の7月、語学学校のタームが終わり、夏休みになりました。 次のタームが始まるのは9月です。 その時25歳だった私は、1カ月くらいヨーロッパをバックパック担いで、一人で旅行することに決めていました。 出発する時はどこへ行くか詳しく決めていませんでしたが、どうしても行きたかったのは、イタリア、ギリシャなどの地中海沿岸の国々でした。 小さな頃に読んだギリシャ神話に魅了され、小学生の時に出会った…

  • 酒、タバコ、異性のゲスト不可の入居条件

    ヘンドンのアルマ・マンションズに住むことを決めた1994年初夏。 ドーソンさんから「よく読んでね」と言われた契約書ですが、私はあまりこういうものは読みません。 だいたい常識的なことをしていれば、そんなトラブルに巻き込まれたりしないと、いつも高をくくっているからです。 また、当然ですが英語で書いてあるので、辞書を引きながら読むのが億劫だったのです。 友達のイタリア人ブルーノに、今度から住む家の…

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